※C91の東工プロジェクト合同誌『雪月風花』に投稿した作品です
「私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの」
それは蓮子と別れてすぐのことだった。人気の無い夜道を恐る恐る歩いていたものだから、声をかけられただけで飛び跳ねそうになったし、その声の主が人ならざるものだと直感して蓮子に助けを求めそうになったわ。
「……っ!」
でも曲がりなりにも秘封倶楽部で蓮子の荒唐無稽かつ冷静沈着な態度に振り回されたり付き従ったりしてきたお陰か、都市伝説の犠牲者のように後ろを振り返らずにいられた。そして同時に違和感に気づく。
後ろに気配を感じない。むしろ、目の前に結界の歪みのようなものが見えることに。
蓮子が普段、わからないものには観察が大事よ、と言っているのに習い、私はジッとその歪みを見つめる。
五秒観察すると、それが空間と空間の境界とは違うものだとわかった。
十秒観察すると、それが意識の歪みのようなものなのではないかと推測できた。
そして三十秒観察すると……
「わっ、お姉さんなんで私が見えるの?」
何も無い空間から唐突に女の子が現れて腰を抜かしそうになったわ。緑髪で独特のファッションに身を包んだ女の子はぴょこぴょこと私の周りを回って私のことをじっと見つめてから尋ねてきた。
「お姉さんの名前は?」
「えっ……メ、メリーよ」
思わず本名じゃなくて蓮子から呼ばれてる名前で答えてしまったけど、それはこの少女の琴線に触れたようだ。
「メリーさん! あなた、本物のメリーさんなのね!」
「本物……?」
本名はマエリベリーであることを考えればむしろ偽物のような気もするが、彼女はそんなことはお構い無しにはしゃいでいる。
「まさか本場のメリーさんに逢えるなんて……。私もメリーさんやってるけどなかなかうまくできないんだよー」
本場? メリーさんをやっている? この可愛らしくも不気味な少女の話の意図がイマイチ読み取れない。
「えっと……あなたの名前はメリーでいいのかしら?」
昔、正体不明の怪異にあった時はなによりもまず解釈の余地ない質問を投げかけるのが良いと聞いた。特に名前を尋ねるのが良いと。名前っていうのは人が認識しているよりも多くの情報が内包されているからね、というのは蓮子の弁だ。
「ううん、私の名前は古明地こいしだよ。オカルトボールを集めたらなんかこっちに放り出されちゃったんだ」
オカルトボールというものはよくわからないが、彼女がその風貌とは裏腹に日本人であることがわかった。
次に投げかける質問は何がいいだろうかと思案していると、彼女の懐からポンッと濃い紫色の球体が飛び出してきた。……いよいよもってオカルトだわ。蓮子がいたらさぞかしはしゃいでいたでしょう。
「あれっ、なんでオカルトボールが?」
「オカルトボール? これが?」
「うん、本当は戦って負けないと明け渡せないんだけど……。あ、もしかしてメリーさんに見つかっちゃったからかも。かくれんぼで負けたって考えればおかしくないね」
「はあ……。それでどうすればいいのかしら、これ」
オカルトボールは私の周りをふよふよと浮遊している。危険性は感じないけれど不気味なことには変わりない。
「うーん、メリーさんにあげるよ。私は他にも持ってるし、メリーさんが持ってた方が面白そうだから」
「そう、じゃあありがたく受け取っておくわ」
正直まったくもって要らないのだけれど、ここで拒否すると恐ろしい目にあうのが定番だろう。オカルトボールをカバンにしまいこむと、何か普段より力がみなぎったような気がした。気味は悪いが、これのおかげで会話が途切れた。さっさとこの少女とはお別れしよう。
「じゃあ、私はこれで」
「待ってよ、メリーさんがメリーさんしてるの見せて。参考にするからさ」
「ええっ⁉」
まるで飲み会の一発芸のようなノリで都市伝説の再現を求められた。正直なことを言えばこのまま少女の言う通りにしていってもいい方向に進む気がしない。
「ごめんね、こいしちゃん。私今携帯電話持ってないのよ」
「えー、じゃあ私の電話貸してあげる!」
うまく断りの理由を作れたと思ったら、逆に外堀を埋められてしまった。彼女はポケットから電話……というよりふた昔くらい前の受話器を取り出して私に渡した。受話器から伸びる線をたどって行くと……なにやら彼女の纏うアクセサリーのような眼に接続されている。
「あの……これ番号入力するところがないけど、どうやって連絡すればいいのかしら?」
「メリーさんは番号なんて入力しないよ。かけたい先にかけられるんだから、ただ念じればその人にかけられるよ」
「念じれば……?」
その時私が思い浮かべたのは、あの相棒の姿。秘封倶楽部の片翼、宇佐見蓮子だった。
しまった、と思った時には時すでに遅し。受話器からはコール音が流れ始めた。
「ワクワク」
どうすればいいのだろうか。蓮子に事情を話せば彼女の聡明な頭脳で解決してくれるだろうとは思うけれど、巻き込むのもあまり気が進まない。
そうこう悩んでいると、受話器からコール音が消え、向こうから音声が流れてきた。
「もしもし、どちら様ですか?」
「私、メリーさん。今〇〇通りにいるの……っ!」
蓮子の声が聞こえた瞬間、私の口は意図しない言葉を発していた。「乗っ取られた」というよりは「操られた」に近い感覚。蓮子に状況を伝えようとしても、受話器から流れるのはツーという音だけ。
「あはは、本物の都市伝説見られるなんてオカルトボールを集めた甲斐があったよ! あ、これも渡しておくね、締めには必要だろうし」
ポンッと渡されたのは刃渡り二十センチの小刀。これで……これで刺せと? 蓮子の背中を?
ふざけないで! そう言おうとしてもその言葉は口から出ず、足が勝手に蓮子の自宅へと向かって歩を進める。一方でこいしは私について行こうとして首を傾げた。
「あれ? そろそろ幻想郷に引き戻されちゃうのかあ~。最後まで見たかったけど仕方ないな。後はよろしく、メリーさん。電話は置いてくね」
そう言うとこいしは雲のように消えてしまった。けれど私を縛る力は一向に消える気配がない。
私はフラフラと、だが着実に蓮子に近づいていく。途中、巡回の警察官がいたけれど刃物を抜き身で持った私にまるで気づいてなかったのを見るに他者の助けは期待できないだろう。
時折、私の体は立ち止まり、蓮子に電話をかける。当然のことながら、それは私の意志じゃないし、抗おうにも抗えない。
「私、今京都大学の前にいるの」
「私、今セブンイレブンの前にいるの」
そして、とうとう蓮子の住むマンションの入り口までやってきてしまった。
「私、今あなたのマンションの入り口にいるの」
暗証番号を知っていることが仇になり、セキュリティゲートも難なくパス。恐らく知らなかったら知らなかったでオカルト的に突破できるのだろうけれど。
上り慣れた階段を進み、いつものように、蓮子の部屋にたどり着いた。
「私、今あなたの部屋の前にいるの」
蓮子に押し付けられた合鍵で扉の錠を開ける。大きな音が出たけれど恐らく蓮子や他の人には聞こえていないだろう。ご都合主義にもほどがあるが、都市伝説とはそういうものだ。
なぜ私はこれほど落ち着いているのだろうか。今にも蓮子の命を奪ってしまうかもしれないのに。……たぶん、私がメリーさんと化しているからなのだろう。元々の話ではメリーさんは人形だ。思考が機械的になっても不思議じゃない。
頭がそんな無機質な思考を進めているうちに、体は蓮子の部屋までやってきていた。
幸か不幸か部屋の扉を開けたとき、蓮子は背を向けていた。私はすっと歩み寄り……最後の言葉を投げかける。
「私、今あなたの後ろにいるの」
もう息がかかるほどの近距離に蓮子がいる。もし蓮子が振り返れば間違いなく私は彼女の背に刃物を突き立てるだろう。そしてそんな状況に至って、さっきまでの冷静さが感情の爆発に吹き飛ばされた。
嫌だ嫌だ嫌だ! こんな結末は何をしてでも覆さなきゃならない!
私は目を大きく見開く。結界を見る程度しかできない眼だけれど、今だけでいいから何か力を発揮して!
そして私は何かを操れるような感覚を覚え、それを実行しようとし――
その瞬間、こちらに背を向けたまま蓮子がポツリとつぶやいた。
「さっきぶりね、マエリベリー」
「えっ……」
その蓮子らしくない呼び方をされた瞬間、手に握られた刃物も、こいしに渡された電話も、私をメリーさんとして縛っていた力も、そして、何かを操れるような感覚も消失した。あまりにも突然の状況変化に脚の力が抜けてしまい、倒れそうになる。
「おっと危ないわね」
そんな私を支えてくれたのは、他ならぬ宇佐見蓮子だった。
「メリー、産まれたての子鹿みたいになっちゃって大丈夫?」
「これが大丈夫ならサナトリウムに入ってた時はスーパーマンよ」
「あのお堅いメリーが面白くもない冗談を言うなんて相当キテるみたいね」
「面白くもないは余計よ」
さっきまでまったくの非日常にいたのに、それがさも夢かのようにすぐにいつもと同じ呼び名でいつもと同じような会話をしている私たちはつくづくマイペースに過ぎるわね。でも、さっきまでのは夢じゃないし、だからこそ聞かなければならないことがある。
「蓮子、どうやって私を救ってくれたの」
「命の危険に晒されてたのは私だけだから救われたのは私自身だと思うけど」
「そういう屁理屈はいいから」
「あら手厳しい。うーん、詳しく説明すると長くなるから端折るけど……都市伝説って正体不明だからこそ機能するものでしょ? 私にとってメリーはマエリベリーのことであってメリーさんのことじゃないから。夢は現実に変わるものだけれど、悪夢はうたかたに消えるものよ」
「言ってる意味がよくわからないけど……要するに本名を呼ぶことで私を引き戻したってこと?」
「めちゃくちゃ頭の悪そうな理解の仕方だけど概ねそれで合ってるわ」
「生意気言うのはこの口ね、そうなのね」
「むにょーん」
こっちは蓮子を殺してしまわないかと心臓も止まりそうな心境だったのに能天気な蓮子には本当に腹が立つ。マエリベリーと呼ばれてちょっとドキッとしたのは絶対蓮子には言ってやらない。
「あれ? でもどうして電話の相手が私だとわかったの? 電話は私のじゃないし、声もかなり変わってたと思うんだけど」
「チッチッチッ、甘いわよメリー。私くらいになるとイントネーション、呼吸音、声量などなど複数の要素からメリーを特定することが可能よ」
「まるでメンヘラね」
「失礼ね! そのおかげで助かったんだから感謝して然るべきよ」
「……それもそうね、ありがとう蓮子」
「……どういたしまして、メリー」
蓮子の穏やかな声を聞きながら、私は彼女の薄い胸に顔をうずめた。
ひとしきり薄い胸を堪能して落ち着いてから、私は何があったかをすべて蓮子に話したわ。
「そのオカルトボールっていうの、見せてよ」
「別にいいけど、乗っ取られないように注意してよね」
蓮子の要求に応じてカバンを開けるとボールが勢いよく飛び出してきた。メリーさんの都市伝説を破られたから今は蓮
子に所有権があるのかしらね……?
蓮子は物怖じもせずにオカルトボールを両手でガシッと掴むと、いろんな角度から観察し始めたわ。
「ふむふむ、動力源のようなものはなし。形状は恐らくは完全な球ね。他には……ん?」
「なによ蓮子、急に固まっちゃって」
「メリー、これ見て」
なにか面白いものを見つけたかのように目を輝かせた蓮子がオカルトボールの表面を指差す。顔を近づけてみるとなにか文字が書いてあるようだ。なになに……。
『製作年 二◯一五年 製作者 秘封倶楽部』
「……蓮子、これって」
「今から百年以上前に秘封倶楽部の名で製作されたオカルトの塊、私たちの追いかけるべき秘密にぴったりじゃない? メリーはどう思う?」
「……どうせ嫌だって言っても引っ張り回すんでしょう?」
「嫌だなんて思ってないくせに」
「一人で追いかけるなら嫌よ。……でも蓮子となら楽しそうね」
「そうこなくっちゃ!」
夜は更けて、朝に近づく。蓮子と迎える朝は待ち遠しいけれど、蓮子と過ごす夜が終わりゆくのは名残惜しい。背反した感情を抱えながら私は宇佐見蓮子とこの怪異について夜通し議論を交わすのだ。
二人でひとつの秘封倶楽部として。