あっ! カルデアのマスターがあらわれた! 作:私ワタシ渡しタワシ
日曜日。誰もがレムレム睡眠を貪りたくなるのが世の摂理だ。昼食を告げる母親の声に一度意識が覚醒するも、眠気がかま首をもたげるように襲い掛かり、深い眠りへと誘う。
ガチャリと、部屋の主も与り知らぬ所で扉が開いたのはその時だ、音は聞こえど、目を開こうとは思えない。
『――――』
…………声が、する。
寝ぼけた頭に、思考は意味を成さない。
右から入ってきた言葉は、そのまま脳に咀嚼される事もなく左から出て行ってしまう。
眠い。眠い。眠い。
母親のそれと思っていたオレは、頭上で囁かれる企みをまんまと見過ごしてしまった。
『――――あ、アン。本当にやるの?』
『もう、メアリーったら。いざ目の前にしたら臆病になってしまうんですから。ただでさえ会う機会も少なくなってしまったのだから、こういう時は大胆に行きませんと』
『わ、分かったってば。……じゃあ、行くよ。起こさないようにっと……』
次いで、ギシリと。ベッドに何かが乗った感覚。何かが押し付けられる感覚。妙に、やわらかい。
耳元に湿った空気が吐き出され、熱を帯びたそれは静かに、しかし確実に、オレの名前を切なげに読み上げた。
「――――り・つ・か・さ・ん♪ 朝でしてよ♪」
フ――……
左耳の中に、息が吹き込まれる。
次いで、右から。
「――――りつか……こんな時間まで寝てるだなんて、悪い子だなぁ。僕、悪戯したくなってきた」
どちらも、聞き覚えのある声だ。
しかし、それは本来あり得ない筈だった。駆流出亜地区の悪童の名を欲しいままとした女コンビは、惜しまれつつも上京を果たした筈なのだから――――。
とっくの昔に意識が覚醒していたにも関わらず、オレはこの現実を夢と見なした。夢と見なしたかった。アン・ボニーとメアリー・リードが、シングルベッドに身を縮こませながらオレを抱き枕にしているなど、ある訳がないのだから。
「りつかさん♪」
「り・つ・かー」
密着の度合いは激しさを増し、その息遣いまで聞こえてくるほどだ。
ただでさえ狭いシングルベッドを三人で共有しているのだ。目を開けば、それこそすぐに、あの二人の顔を映す事になるだろう。
しかし、ここで根負けして目を開けてしまうのは、二人に負けたような気がどうも否めない。ただでさえ昔から玩具扱いされているのだ。二人の戯れに対し、オレは徹頭徹尾黙秘を決め込んだ。
「――りっちゃん♪ うふふっ、この呼び方、懐かしいですわ。そうですよね、りっちゃん♪」
「りつかー? 起きないの……?」
不意に、オレの名前を呼ぶ声が止まる。しかしそれは、オレの沈黙が功を奏した訳ではなかった。
何時まで経っても起きようとしないオレに痺れを切らしてか、突如とんでもない提案が繰り出される。
「仕方ありませんわ。暇ですし、立香さんのお部屋を荒らしましょう」
「そうだね。最近の立香の趣味とか気になるし。ちょっとした冒険としゃれこもう」
感じていた気配が嘘のように消えてなくなり、ベッドが重みから開放される。しかし、オレの心は軽くなるばかりか、益々重圧を受けていた。物音が部屋中を動き回り、二人がとうとうベッドの下探索に乗りかかった時、それまで続けていた狸寝入りを止める他、手立ては残されていなかった。
→【ストップ! 二人とも!】
【そこだけは勘弁してください】
身を起こしたオレを待ち構えていたのは、こちらを満面の笑みで迎える二人だ。突然の出現からここに至るまでの経緯を軽々しく振り切り、彼女達は事も無げに挨拶してきた。
「や、立香」
「ごきげんようですわ」
悪童アン・ボニー。同じくメアリー・リード。公園を占領する不届き者を叩きのめした小学生時代から始まり、近所の不良生徒を全滅させた例の件は、今をもってなお駆流出亜地区に語り継がれている伝説だ。
発端は定かでないが、自分達がやりたい事は暴力沙汰を起こしてでもやり遂げる傾向が彼女達にはあったから、恐らく件の不良生徒達はその障害となったのだろう。南無。
千切っては投げ千切っては投げの奮闘は正に凄まじいの一言に尽き、誰も彼もがその蹂躙ぶりを目に焼き付けている。二人を守ろうと駆けつけたオレ自身、何のために来たのか分からなくなるほどだ。
→【何時帰ってきたの?】
着替えを手早く済ませて下に降りると、母親が食事を作ってくれていた。二人の分まであるから驚きだ。
不思議な事に、昔から付き合いのある連中の中でも群を抜いて、彼女たちは母と仲が良かった。普段の傍若無人な振る舞いも、母の前ともなると借りてきた猫のようになるのだから驚きだ。最も、それも普段と比べたら程度のものだが。
「つい先ほど。お義母様に挨拶に伺ったら、まだ寝ているとの事でしたので、このような形をとらせていただきました」
「駄目だよ、立香。ちゃんと朝は早起きしなきゃ。お義母さんも忙しいんだからね」
【これから気をつけるよ】
→【オレより直すべき人達がいるような】
唐突な駄目出しに思わず言い返すも、二人は何も聞こえなかったかのように振舞った。
この二人、見た目に反して生活能力がゼロに等しい。少し前にルームシェア中のアパートに遊びに行ったことがあるが、早々と汚部屋と化していた。この分だと、わざわざ掃除した手間は全て水泡に帰したと捉えるべきだろう。
→【大学はどう?】
「それなり、といった所でしょうか。都会は異性の不躾な視線を浴びる事が多くて、うんざりいたしますわ。最近も一人髭面の男をぶちのめしましたし」
「かと思ったらすぐ復帰して、今度は僕の方に寄ってきたからね。正にゴキブリ並みの生命力だったよ」
本人達の理想は高いが、そんな事周りの男達にしてみれば全く関係のない事だ。相変わらず男に囲まれる生活を送っている事に苦笑しつつ、未だ寝ぼけた頭はつい禁句を滑らせた。
→【大学では彼氏出来るといいね】
やってしまった――――それを悟った時には、二人は見たこともない沈痛な顔つきを貼り付けていた。およそ普段の二人からはかけ離れた表情に、食事の手が止まる。悪童として浮名を流していたものだから、こっちにいた時はまるで良い縁がなかったのである。付き合いのある不良がちょっかいを出してくる事は多々あったが、今度はその性根が二人のお眼鏡にかなわない。
振り下ろされた母の拳骨に痛みを覚えていると、アンが神妙な面持ちで語りだした。
「はぁ――。まあ、以前お会いしたラカムさんはそれなりに良かったんですけれど」
「それなり、にね。けど結局、僕たちが付き合いたいと思うような人間じゃなかったんだ。やっぱり、僕は、そうだなぁ。もっと好きになれる人が……その、いると思うし」
→【二人はどういう人がタイプなの?】
母親の二度目の拳骨が振り下ろされる。どうやらこの手の話題はタブーらしい。
しかし、母の思いとは裏腹に、二人は待ってましたとばかりに意気揚々と語りだした。まるで水を得た魚と言わんばかりの勢いである。オレとしても、子供の時からの付き合いも相まって、姉同然の人達だ。ぜひとも幸せになってほしいという気持ちが強くある。
「そうですわね。たまたま身近にいるだけかと思っていたら、いつの間にやら、一緒にいて『楽しい』と思うようになっていた人でしょうか」
「それに、どんな時でも信頼出来る人かな。例えば……危ない連中とやり合う時とかも来てくれる、とか」
「喧嘩が強いとか、そういう話ではないのです。ただ、私達と同じような強い意志を見せてくれるかどうか、そこが問題ですので」
→【姉さん達なら、きっと良い相手が見つかるよ】
そこまで具体的に描けているのなら、思い悩む必要もないだろう。色々と問題はあるものの、魅力的な人達に変わりはないのだ。いつかきっと、それこそ『運命』に出会うのも遠い話ではあるまい。
しかし激励のつもりでかけた言葉は、二人にとってお気にめすものではなかったらしい。
彼女達は顔を見合わせると、何か予想だにしなかったものを見たとばかりに目を丸くし、やがてそそくさとリビングから出て行ってしまった。かと思えば、ひょっこりとメアリー姉さんが顔を出してきて、
「ちょっと作戦タイム! 立香、絶対聞いちゃ駄目だからね。絶対だよ。こっち来たら絶交だからね」
言うだけ言うと、バタンと大きな音を立てて扉が閉まる。三度目の拳骨が振り下ろされたのはその時だ。母の方を見やると、呆れ返るようにしてこちらを見つめているではないか。
その後。
姉さん達は先にも増してオレをからかうようになった。
突如として泊まりたいなどと言い出して母を説得したかと思えば、空き部屋を使えば良いのにも関わらず、オレの部屋で寝たいと言い始める。
しかも、朝と同じく、ひとつのベッドの上でと来た。
「りつか、起きてる?」
「まだまだ寝かせませんわ♪」
「りつか~」
「りつかさん♪」
→【寝たい……!!】
と