夏休みが終わって新学期。これまでは仮免試験に向けての訓練ばかりだったが、今日からは普段の授業も加わってくる。夏休みと同じ感覚でいると、予習や復習を怠ってしまい授業についていけなくなってしまうだろう。
その点、女子たちは八百万の下で勉強会などを定期的にやっており、新学期に向けての準備はできていた。
「ん……」
朝7時前。携帯の目覚ましアラームが鳴る直前に妹紅の目は覚め、アラームを解除しながらゆっくりと起床する。それから身支度を整えて、一階のリビングへと降りる。一階は男女共同のエリアでそれぞれにリビングがあるのだが、女子側の方には男子も気を遣っているのかあまり立ち入ってこない。
とはいえ、そこが共同エリアであることは変わらないので、女子たちが一階に降りる際は身嗜みを整えてから行くようにしていた。寮という共同生活なのだから、当たり前のマナーである。
「おはよう、梅雨ちゃん、ヤオモモ」
「おはよう、妹紅ちゃん」
「妹紅さん、おはようございます」
蛙吹と八百万は、大抵にして妹紅よりも早く起きている。葉隠や耳郎は妹紅より少し後に、麗日と芦戸はギリギリになって降りてくることが多かった。
「おはよー!」
「ぉはよ…」
7時半頃になると葉隠や耳郎も起きてくる。葉隠は元気良く、耳郎はまだ眠たげだ。その時間帯になると先に起床していたリビング組が朝食をとっている頃合いになっている。2人も席に着くと寮に届けられたランチラッシュ特製の朝食に手を伸ばしていた。
「いただきま~す!」
「ぃただきます…三奈たちは…?」
「女子の朝食が2人分残っているし、自室で食べている訳でもなさそうだ。いつもの寝坊だろうな。起こしてくるよ」
先に食べ終えた妹紅がそう言って席を立った。女子の部屋割りは、二階に耳郎と葉隠、三階に麗日と芦戸、四階に八百万と蛙吹、五階に妹紅という感じである。寝坊癖のある麗日と芦戸が同フロアになったことで、揃って寝坊してしまっているようだった。
「三奈、お茶子。早く起きないと朝御飯を食べる時間が無くなるぞ」
「んー…?…ひぇぇ!?」
「ぇ……わぁ!?」
それぞれの部屋の扉をノックして、室内まで聞こえるように大きめの声で伝えると、少しの間をおいて慌ただしい音が聞こえてきた。なんとも予想通りである。
それにしても、麗日は入学時から一人暮らしをしていたはずなのに、その割には意外とズボラだった。まぁ、彼女の登校時間は毎日遅刻寸前だったので、常にギリギリを生きていたのかもしれない。とはいえ、寮生活となったことで登校時間も大幅に短縮されたのだから、彼女たちにはもっと麗らかで余裕ある日常を過ごしてもらいたいものである。
「どうだった?」
「どうやら寝ていたようだ。今、慌てて準備中だよ」
「あはは、やっぱり」
リビングに戻って彼女たちの状況を伝えると、他の女子たちは苦笑を浮かべる。今後も麗日たちを起こす機会は多くなりそうだった。
そうして寝坊した2人も急いで朝食をとり、登校の準備を整える。そろそろ寮を出るかという時間になって男子たちと合流すると、不思議な光景があった。登校の準備を済ませた男子たちに混じって、私服の緑谷と爆豪が掃除機をかけているのである。
これには女子たちも首を傾げるばかりだった。
「緑谷?もうすぐ登校時間なんだから、掃除するより早く制服に着替えた方がいいぞ」
「ていうか、その傷どうしたの?仮免試験でそんな傷受けてた?」
「いや、その…。それが――」
妹紅が緑谷に注意を促すと、麗日が彼の傷に気付いた。顔には大きい絆創膏が貼られているし、手足にも湿布や包帯が巻かれている。爆豪も同じくだ。
昨日の仮免試験ではそこまでダメージを受けていないはずなのに、どうしたのかと女子たちが疑問に思っていると、緑谷が答えづらそうしながらも説明してくれた。
「ケンカして謹慎~!?」
「馬鹿じゃん!」
「ナンセンス!」
「骨頂ー!」
女子たちが口々に騒ぎ立てた。
愚かしいことに彼らは昨晩、皆が寝静まった後に寮を抜け出して殴り合いの大喧嘩を繰り広げたらしい。生徒を守る為の寮の厳重警備だというのに、夜中に抜け出すなど馬鹿げている話だ。彼らは一体何を考えているのだろうか。妹紅は呆れるしかなかった。
「えええ。それ仲直りしたの?」
「仲直り…っていうものでも…。うーん、言語化が難しい」
結局、彼らはオールマイトに発見された後、相澤に突き出されたらしい。そして、先に手を出した爆豪は4日間、ガッツリ反撃した緑谷は3日間の謹慎処分を受けた。謹慎中は寮内共有エリアの清掃と反省文の提出を命じられたそうだ。
妹紅としては、爆豪の癇癪に付き合わされた緑谷が可哀想である。彼女がそう考えていると爆豪が近寄ってきた。妹紅が皆と少し離れた時を見計らって来たようで、妹紅に何か言いたいことがあるようだった。
「おい、白髪女」
「……」
呼びかけられるも、妹紅はチラリと見るだけに済ませて、すぐに視線を戻した。最早、妹紅は爆豪に1ミリたりとも期待していない。『好意の反対は、嫌悪ではなく無関心』という言葉があるが、今の爆豪に対する感情は正にその通り。彼への怒りが振り切れてしまったせいで、妹紅は彼の存在自体が酷くどうでも良くなってしまっていたのだ。
「…落ちて悪かった」
「…は?」
故に、爆豪の口から謝罪の言葉が出た瞬間、妹紅はポカンと口を開いたまま振り返ってしまった。
あの傍若無人な爆豪が謝ったのだ。有り得ない。妹紅は自分の頭か耳がおかしくなったのだと本気で思ったが、どうやらそんな簡単な話ではないようで、爆豪は嫌そうに顔を顰めながら謝罪を続けた。
「だから、仮免試験落ちて悪かったッつってんだよ!」
「爆豪が…謝った…だと…!?」
意地張ってはいるものの、彼は真剣に謝罪していた。しかし、だからこそ恐ろしい。妹紅が己の手を見ると、無意識的にプルプルと震えていた。
「馬鹿な、この私が恐怖している…!?」
「どういう意味だコラァ!」
それは紛うこと無き恐怖だ。死柄木やAFOを前にしても断固たる意思を貫き、脳無と化した父のトラウマすらも克服した筈の妹紅が怯えていた。
これには爆豪としても甚だ遺憾であろう。己の否を認めて謝ったら、何故か今までにないくらいビビられたのだから当然だ。しかし、これが日頃の行いというものなのだから仕方ない。
「ちょ、どうしたの!?」
「爆豪が謝ってきた」
「ウソ!?ケンカの怪我で、脳に後遺症が出ちゃったの!?」
「ンだと丸顔テメェ!」
近くを通りかかった麗日がやって来たので妹紅が状況を伝えると、彼女は彼女で失礼だった。爆豪の謝意が脳の障害だと思っているのだ。酷い話である。
「じゃあ、高熱が出とるとか?」
「ンな訳ねぇだろ!デコに手ェ当てようとすんじゃねぇ!」
打撲によって風邪のような発熱が引き起こされることがある。怪我による炎症の範囲が広いと全身が発熱するのだ。その熱の影響かと麗日は思って手を向けたが、爆豪は素早くそれを払いのけた。それほどの怪我なら掃除している場合ではなく、入院するレベルなのだから当然だ。
「一体どうしましたの!?これ以上の騒動は良くありませんわ!」
そうこうしていると騒ぎを見かねてか八百万がやって来た。また、爆豪と妹紅がケンカを始めようとしていると思われたのだろう。なので、妹紅は再び端的に説明した。
「爆豪が謝ってきた」
「まさか精神干渉系の個性に操られて…!?いえ、トガヒミコが変身している可能性もありますわ!」
「ねぇわ、ボケがッ!」
妹紅が伝えると、八百万は即座に臨戦態勢をとった。爆豪が謝ることなど有り得ない。即ち、ヴィランの襲撃なのだと判断しての行動である。素晴らしい判断能力だ。八百万は現場の指揮などのリーダー的素養に長けているなと、未だに爆豪が謝ってきたことが信じられない妹紅は現実逃避しながら1人そう思っていた。
「なんだなんだ?コイツがまた何かやらかしたのか?」
「爆豪が謝ってきた」
「うおおお!?オレのそばに近寄るなああーッ!」
あまりにも騒がしくしていたため、他のクラスメイトたちもやってくる。瀬呂が皆を代表して聞いてきたので妹紅がまたも説明すると、彼は腰を抜かして叫んでしまうほど驚いていた。爆豪と仲が良いからこそ余計に信じられないらしい。顔が劇画調になるほどの勢いで絶叫していた。
「あああーッ!クソウゼーッ!どいつもコイツもぶっ殺すぞコラァ!」
「あ、いつもの爆豪くんだ」
「本物ですわ!」
「ふぅ、驚かせやがって…!」
流石にこれには怒りが限界に達し、爆豪は目を極限まで吊り上げて爆ギレする。だが、それでようやく彼が本人に違いないという確認が取れたので、クラスメイトたちは心の底から安堵した。
そんな反応も爆豪としては非常に腹が立つので、今までに無いくらいの表情で顔の筋肉をヒクつかせていたのだが、その間に入ったのは緑谷だった。
「マジでテメェら…!」
「まぁまぁ、皆。かっちゃんも仮免試験で色々思う所があったみたいで…」
緑谷曰く、ケンカの後にオールマイトに色々と諭されたのだという。恐らく、オールマイトは彼にヒーローとは何たるかを教え聞かせたに違いない。流石はNo.1ヒーローであると妹紅は思った。
皆も『爆豪を改心させるなんてオールマイトすげぇ!メンタルケアもNo.1かよ!』と感動している。きっと、この評判は一瞬で雄英を駆け巡るに違いない。なお、緑谷は言えないことでも有るのか、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべていた。
そんな中、妹紅は爆豪の正面に立つ。彼への意趣返しは済ませた。残りは爆豪の謝意に応えるだけだった。
「謝罪は受け取ろう。後は行動で示せ。…私もそうする」
「ふん…」
妹紅への謝罪はそれで良い。だが、妹紅も爆豪も神野区の悪夢の原因になってしまったという罪悪感がある。ならば、今後はヒーローとして正しき行動をするだけである。
爆豪も分かっているのだろう。鼻を鳴らして去っていくも、その顔に嫌悪感は無いようであった。
二学期の始業式。入学式は相澤の体力測定で参加できなかった1年A組であるが、始業式は彼らも参加することになった。A組は雄英が完全寮化の原因になったクラスでもあるので、ここで不参加という訳にはいかないのだろう。そんなことをすれば他のクラスから大ひんしゅくを買うに違いない。
そんなこんなで始業式を行うグラウンドに向かうために教室から出ると、隣のB組の面々にバッタリ出会った。そして、妹紅たちA組を見ると、物間はニヤニヤと笑みを浮かべる。どうやら彼は今日も御機嫌のようだ。
「聞いたよーA組ィィ!2名!そちら仮免落ちが2名も出たんだってぇぇ!?しかも、轟と爆豪がぁぁ!」
「物間!相変わらず気が触れてやがる!」
ニヤケ面のままに言い募ってくる物間に対して、上鳴がドン引きしながら返答する。いつもの如くA組と競うのが大好きな男だった。
「さては、またオメーだけ落ちたな?」
「ハッハッハッハ!こちとら全員合格!水があいたねA組!」
期末試験のように、また物間だけ試験に落ちたのか思って切島が聞くも、B組は全員合格したのだと彼は全力で自慢した。体育祭以来、彼らも順調に力を伸ばしているようだ。
「ていうか、なんで2人が落ちたこと知ってんだ?先生たち経由か?」
「いや、私たち女子は割と頻繁に連絡してるから。女子だけのチャットグループも作っているし」
上鳴が首を傾げると、耳郎が横から答えた。彼女たち女子陣は普通に仲が良い。昨日の夜の時点で、既にB組が全員合格したことを聞いていたし、轟と爆豪が落ちてしまったことも伝えているのだ。
「マジか!よし、じゃあ俺たちもAB組の男子全員で作ろうぜ!」
女子たちに触発されて切島がそう発案する。しかし、そんな彼に妹紅は端的に言い放った。
「やめとけ」
「「「うん」」」
他の女子たちも追従して一斉に頷いた。確かに情報は共有した方が良い。しかし、AB組の男子全員となると流石に人数が多いし、そもそも物間と爆豪が同一グループに居る時点で成立しない。
むしろ、AB組の仲良い男子数人でグループを作って、その情報を他のクラスメイトたちに伝えた方が良いだろう。物間と爆豪が問題を起こすとクラスを跨いで騒ぎも大きくなるので、女子たちとしても面倒なのだ。
「あれ?その爆豪は?」
「爆豪ちゃんと緑谷ちゃんは、昨夜殴り合いの大喧嘩をして寮内謹慎になってしまったわ」
「何やってんの!?」
いつもならキレて騒がしい爆豪が居ないことに気付いた拳藤が首を傾げて尋ねてくる。それに蛙吹が答えると、彼女もB組の面々も目が飛びださんほどの勢いで驚愕していた。A組の者たちであっても『何やってんの!?』という感想は実に正しいと思うので、何も言えなかった。
「アハハハハ!ウッソでしょA組ィ!アハハハ、アーハハヒュッヒュー…ハカヒュ…!」
「コイツ、笑いすぎて呼吸困難になってやがる!?」
「あーもう」
一方で、物間は抱腹絶倒するほど笑っており、その勢いで呼吸が止まりかけていた。満面の笑みのまま死にかけるとは実に器用な男である。不死の妹紅でも真似することは難しいだろう。
だが、拳藤が呆れた様子でそんな物間の首筋を手刀で叩き、見事に沈静化させた。相変わらずの手慣れ具合だ。当然のように無言で彼を回収するB組男子も、美しいくらい熟練した動きである。
そんな立ち話をしていると彼らの次のクラス、普通科C組がすぐ後ろまで迫って来ていた。
「オーイ、後ろ詰まってんだけど」
「すみません!さぁさぁ皆、私語は慎むんだ!迷惑がかかっているぞ!」
「かっこ悪ィとこ見せてくれるなよ、ヒーロー科」
体育祭時に比べて少々体格が良くなったように見える心操に注意を受けて、委員長の飯田が慌てて皆を促す。そしてA組もB組もグラウンドに向かうのだった。
「ん~?この埃は何です、爆豪くん?」
「そのエリアはデクだ!ザけんじゃねぇぞ!オイコラてめぇ掃除も碌に出来ねぇのか!」
「わっ、ごめん!あ、みんな部屋にゴミがあったら出しといて。まとめて捨ててきます」
始業式も授業も終わり、放課後の自主練も済ませて妹紅たち女子が寮に戻ると、峰田が窓のサッシ部分を指でなぞってニヤニヤと爆豪に話しかけていた。その後ろでは瀬呂たちが爆笑している。どうやら爆豪を茶化す絶好の機会を大いに活用しているようだ。
「ありがとう緑谷。だが、女子の分のゴミは女子で持っていくから、こっちは気にしないでくれ」
「峰田は何してんの?嫁姑ごっこ?」
「嫌なおままごとね」
寮のゴミを回収している緑谷に声をかけつつ、妹紅たちは隣を通り過ぎる。峰田が姑役だとしたら、嫁役は爆豪だろうか。だとしたら地獄の様な絵面である。耳郎も蛙吹も頭で想像してしまい眉を顰めていた。
そのまま妹紅たちは男子側のリビングに向かう。男女の区別なく集まる際は、基本的に男子側のリビングを使っていた。
「なァ、今日の
「まさかお前も…?予習忘れてたもんなぁ…。一回つまずくと、もうその後の内容が頭に入らねぇんだよ」
リビングのソファでは切島と砂藤が頭を抱えていた。どうやら今日の英語の授業についていけなかったらしい。妹紅たちは対面のソファに座ったり、テーブル席に座って寛ぎながら彼らに声をかけた。
「私たちは女子で集まって勉強会とかしてたよ。男子もヤオモモにお願いしてみたら?」
「おー、そうするわ。ヤオモモ、助けてくれー!」
「ええ、ええ!私にお任せ下さい!」
葉隠の言葉に、彼らも頷いて八百万に助けを求めた。彼女も頼られて嬉しいのだろう。誇らしげに胸を張っていた。
なお、緑谷は出られなかった始業式や授業内容に興味津々だったが、クラスメイトたちは相澤から情報の伝達が禁じられていた。それも罰則の一部なのだそうだ。そういう訳で緑谷は寮のゴミを持ってゴミ捨て場へと行き、爆豪は他の場所の掃除に向かった。
因みに、爆豪の清掃は性格に似合わず非常に丁寧であり、彼が掃除したところは専門業者でも来たのかと思うくらい綺麗になっている。こんなところでも相変わらずの才能マンだった。
「インターンの話さ、ウチとか指名無かったけど参加できないのかな?」
「前に職場体験させてもらったとこでやらせてもらえるんじゃないのかなぁ」
皆で会話をしていると、話題は自然と根津の話にあったインターンの話になった。
根津は始業式で、神野区の悪夢と
始業式後に相澤が説明してくれたのだが、ヒーロー科のインターンというのは『校外でのヒーロー活動』であり、以前行った職場体験の本格版なのだという。仮免を取得したことでより本格的・長期的に活動に参加できるが、逆に仮免に落ちてしまった者はインターンに参加することができないということだった。
また、このインターンは授業の一環ではなく生徒個人の任意で行う活動だ。基本的に学校が休みの日曜日がインターン日となるが、プロヒーローの仕事が一学生のスケジュールに合わせられる筈もなく、時には平日にも活動を求められることもある。その場合は後日に補習となるため、非常にハードな学生生活を強いられるのだ。
「だけど、相澤先生はあんまり乗り気じゃなかったよな」
「ヴィラン連合のこともあるから、仕方ねぇのかもしれないけどよぉ」
スパルタな相澤ならばインターンを強く推奨するのかと生徒たちは思っていたが、彼の口調はむしろ逆。1年生での仮免取得の先例があまりない事と、ヴィランの活性化も相まってインターンの参加は慎重に考えているのが現状だと言って消極的だった。
確かに、その意見も生徒たちは理解できる。しかし、それにしては相澤の気が重たげに見えたのだ。
「でも、やりたいよねぇ。妹紅は行くとしたらエンデヴァー事務所?」
「ん…。ああ、そうだな…」
「妹紅、どうかしたの?さっきの自主練の時からずっと考え事をしてるようだったけど…」
妹紅が曖昧に答えると、葉隠が心配そうに尋ねてきた。
男子も女子もインターンの話で盛り上がる中、妹紅だけはずっと思案顔のままだったのだ。自主練を一緒にやっていた時から妹紅はそんな様子だったので、仲の良い彼女たちは気になっていたのであろう。
その様に心配された妹紅は、リビングのソファに深く腰掛けたまま口を開いた。
「…以前、慧音先生が学生時代のインターンでの出来事について話してくれたことがある。それを思い出していた」
「え、慧音さんが?妹紅、教えて教えて!」
そう言うと横に座っていた芦戸が妹紅に縋るようにじゃれついてきた。神野区での妹紅との共闘もあり、ワーハクタクの実力は誰もが知るところだ。更に、一線級のヒーローは大抵学生時代から逸話を残しているという風説もある。芦戸以外の者たちも元プロの体験談が聞きたいのだろう。誰もが妹紅に注目していた。
しかし、その話は皆が想像するような甘いものではなかった。
「慧音先生は雄英の2年生の夏、クラスメイトをインターンで亡くしたそうだ」
「え…」
リビング内は一瞬で静寂に包まれた。芦戸も動きが完全に止まってしまっている。他の者たちもそうだ。それほどの衝撃があった。
妹紅が慧音からそのことを聞いたのは、雄英を受験する前であった。『私はかつてこういう経験をした。それでも本当に妹紅はヒーローを目指すのか?』という話の中でそれを聞いたのである。
「ある日、担任の教師から『クラスの誰々がインターン先で殉職した』という連絡が急に入ったそうだ。現実を受け入れる前に通夜や葬式が行われて…教室で花を添えられた机を見て初めてその人の死を真に認識したらしい。言葉に出来ないくらい辛かったと言っていたよ」
その過去を話す慧音の顔が酷く悲しげだったことを妹紅は思い出す。亡くなった彼はクラスの人気者で、明るく毎日おちゃらけていたのだという。慧音自身も彼のような人物が人気ヒーローに成るのだと思っていた。それが、一瞬で消え去った。途方もないほど大きな喪失感であった。
「確か…、慧音さんは雄英で相澤先生やマイク先生と同じクラスだったんだよね…」
「そうなのか…!?」
葉隠がポツリと呟くと、男子たちは驚きの声を上げた。彼らの関係は余程のファンでもなければ知らないことだろう。しかし、慧音と一緒に買い物を楽しんだ葉隠たちは、学生時代の相澤たちの笑い話を聞いているのである。
「ああ、同じA組だったそうだ。亡くなった人は男子生徒だと言っていたから、もしかしたら相澤先生たちとも親しかったのかもしれないな」
「そう、だね…」
慧音と葉隠たちとの会話の中で、その亡くなったという人物の話は出て来なかった。希望に満ちた彼女たちの為に、あえて語らなかったのだろう。共に励んだクラスメイトが死ぬ。そんな経験も悲しみも、慧音は子どもたちに味わってほしくはなかったに違いない。
しかし、現実は非情だ。ヒーローインターンで学外活動する以上、殉職の危険はいつだって近く有るし、ヴィランが活性化してしまっている今の状況ではその可能性も高くなっている。憧れだけでヒーローを目指す時代は終わり、覚悟を決めて悲しみを乗り越えた者だけがヒーローになれる波乱の時代が幕を開けようとしているのだ。
「相澤先生、それで俺たちのインターンに乗り気じゃなかったのかな…」
「かもね…」
尾白が俯きながら呟くと、麗日が悲しげに頷いた。
相澤の指導は厳しい。しかし、それは生徒を死なせないために、己の様な残された者が出ないようにするための厳しさだ。だからこそ、時に除籍処分すらも活用して生徒たちを指導する。
それこそ、ぶっきらぼうな彼の愛情だったのだ。皆もそれを感じ取っていた。
「職場体験と違って相応の危険が伴うってことか…。俺たち甘く考えていたのかもな」
「ああ。学校から許可が出たとしても、各自よくよく考えて決める必要があるだろう」
熱血硬派な切島も思慮を巡らし、飯田もそれに強く同意する。神野区の悪夢では短絡的な行動をしてしまい、クラスメイトたちを悲しませてしまった。故に、次の間違いは許されないのだ。これには八百万も、仮免に落ちてしまった轟も同じように頷いていた。
「気をつけてくれ、皆。インターンに行ったとしても絶対に無事で帰ってきてくれ」
「「「おう!」」」
「「「うん!」」
妹紅が祈るような声で言うと、男子も女子も力強い返事で答えた。
個性でも消されない限り妹紅は死なない。誰も彼もが死んでいくような状況に遭遇したとしても、妹紅だけは生き続ける。生き残ってしまうのだ。友人たちが亡くなる中で自分だけが生き残ってしまうなど、考えただけでも恐ろしい。だからこそ、彼らの無事を強く願った。
しかし、相手の無事を願うのは妹紅だけではない。皆、抱く想いは同様だった。
「もちろん妹紅もだよ!」
「…ああ、そうだな」
そう言って抱きついてくる葉隠や芦戸を、妹紅は笑みを浮かべつつ抱き締め返す。妹紅は得難い友情を得た。この友情を想うだけで幾らでも強くなれるだろう。妹紅はそう信じて疑わなかった。
そうして、ゴミ出しから戻ってきた緑谷が謎の状況に困惑したり、今がチャンスとばかりに妹紅や葉隠たちの間に潜り込もうした峰田を男子が慌てて取り押さえるなど、相変わらず騒がしく過ごしつつも、日は暮れていくのであった。
爆豪、原作と同様(ちょっとだけ)改心。
妹紅個人に対しては『死ね・殺す』は言わなくなりましたが、他人には普通に使う程度の改心です。大きな1歩ですね。
次、白雲朧
相澤たちの学生時代の殉職者です。原作ではほんの少ししか登場しなかった彼ですが、スピンオフのヴィジランテでは8~9巻にかけてガッツリ描写されています。興味有る人は是非。