もこたんのヒーローアカデミア   作:ウォールナッツ

60 / 92
 またもグロ注意です。お気をつけ下さい。




もこたんと決着

「火の鳥-鳳翼天翔-!」

 

 まず、妹紅は炎翼で空を飛んだ。機動力の確保の為と、脳無の攻撃を空へと誘発させる為である。そして、再び火の鳥を放つ。しかし、それはカモフラージュ。本命は火の鳥の炎によって低酸素になった空気を脳無に吸わせることだった。

 あの職業体験から2ヶ月あまり。自己鍛錬を続けてきた妹紅の技量は相応に上がっており、火の鳥に低酸素の炎を交ぜた攻撃も可能となっていた。その酸素濃度は8%。普通の人間なら一息で昏睡状態に至るほどの低酸素である。

 しかし、脳無は倒れなかった。

 

「効かないか…グッ!」

 

 炎の手応えからして、確かに脳無付近の空気は低酸素にしたはずである。だというのに脳無は低酸素状態の症状すら一切示さず、反撃に転じてきた。ジャンプして拳を振り下ろす。たったそれだけで、妹紅を隕石の如きスピードでアスファルトに叩きつけた。

 だが、当然その程度で妹紅の炎が消える筈もない。妹紅はグシャグシャになった身体を炎で再生させながら、脳無に低酸素が効かなかった理由を考察していた。

 

(考えられる理由は3つ。1つ目、タイミング悪く低酸素を吸っていなかった。2つ目、改造されているから低酸素の影響が少ない。3つ目、そもそも呼吸をしていない。流石に呼吸してないなんてことは有り得ないと思いたいところだけど……ああクソ、さっきから奴の口元付近の煙や砂埃が全く揺らいでいない。3つ目の『呼吸していない』可能性が高くなっちゃったけど…コイツ本当に生物?)

 

 脳無の滅茶苦茶な構造に、妹紅は何とも呆れを感じた。

 そもそも、生物が身体を動かすにはエネルギーが必要だ。そのエネルギーを作る為には(グルコース)と酸素が必須になってくるのだが*1、それらが必要無いとなると、それはもう動物かどうかも怪しい。むしろ、機械(ロボット)などの方が近いかもしれないと妹紅は思った。

 いずれにしても、しばらくは低酸素の炎も使って攻撃を仕掛けてみるが、本当に低酸素が効かないのならば他の手段で倒すしかなくなる。妹紅は素早く立ち上がり、新たな火の鳥を作り出した。

 

(私たちが黒い水で強制移動させられた時、あの黒マスクのヴィランはその場を“バーから南に5キロ余り”と言っていた。そこから私が吹っ飛ばされた距離も考えれば、あの建物の大まかな場所はここからでも特定出来る…。行け、火の鳥!)

 

 妹紅は作り出した数羽の火の鳥たちを、ヴィラン連合のアジトであったバーへと向かわせる。これはプロヒーローたちへの応援要請などではなく、ある意図を持ってのことだった。

 

(でも、あの火の鳥たちが戻ってきたところでソレ(・・)が必ず効果が有るとは言い切れない…。こっちはこっちで出来る限りのことはしないと…!)

 

 妹紅は空を飛んで炎を発するが、脳無は全く気に止めずに炎の中を突っ切り、先程と同じように妹紅を地面へと叩き落とした。更に、倒れた妹紅の頭を踏みつけて追撃を加える。頭蓋骨は簡単に砕け、水風船のように妹紅の頭がはじけた。脳無が足を上げると、血の混じった脳漿が糸を引く。

 

(――…クソ、頭を踏み潰されたか!やはり速過ぎる…!まるで反応出来ない…ぁッ――!)

 

 地面に横たわりながら再生した妹紅の頭を、又しても脳無は足で踏みつける。やはり頭部は簡単に砕かれてしまった。一方的な蹂躙だ。AFOの攻撃も含めて、妹紅はここまで既に5回も死んでしまっている。まだまだ体力は残っているが、このペースで殺され続けるとかなり厳しくなってくるだろう。

 

「……」

 

 脳無は再び足を上げ、再生した妹紅の頭部を踏み潰そうする。同じ行動を繰り返す脳無は、本当に機械の様だ。しかし、何度も同じ行動を取るのならば、スピードで劣る妹紅にもやりようがある。頭部の再生から再び踏み殺されるまでの僅かな間。妹紅は素早く動いた。

 

(デスパレートクロー!)

 

 脳無は妹紅を踏み潰さんと片足を上げている。故に軸足を炎爪で焼き切ってやれば、脳無はバランスを大きく崩して倒れた。チャンスとばかりに妹紅は両手に炎爪を構えて突っ込む。狙いは四肢だ。手足を切り落とし、再生しても切り落とし続ければ、いかに脳無だろうが動けなくなるだろう。

 

「ふっ!」

 

 軸足に続いて片腕を切り落とす。更に残った手足へと切りかかる妹紅だが、やはりそう簡単にはいかなかった。脳無が残った腕を振るうと、当たらずとも風圧だけで妹紅を吹き飛ばし、勢いよく瓦礫の山へと叩きつけた。

 

「グ…!ゴホッ!コヒュッ…!」

 

 瓦礫を赤く染めながら、妹紅は蘇生する。しかし、咳が酷く呼吸をする度に血泡が口から溢れて止まらない。砕けたコンクリートから飛び出した直径1cm程度の鉄筋に貫かれて、片方の肺に刺さったことが原因だった。右胸から鉄筋が1本飛び出しており、他にも左太腿から2本、腹部からも2本の計5本の鉄筋に、妹紅は刺し貫かれていた。それら異物によって完全な再生が出来ないのである。

 だが、そこは最強レベルの継戦能力を誇る妹紅。まるでベッドから起き上がるようにそのまま身体を動かしてズブズブと鉄筋を引き抜くと、妹紅は口に溜まった血を吐き捨てながら何事も無かったかのように炎翼で飛んだ。

 

(炎爪による斬撃は効果が高い…。でも、奇襲を仕掛けたところで切り落とせるのは手足の1本や2本が精々。四肢全てを切り落として無力化するのは無理ね…)

 

 脳無の行動は機械的だが愚かではない。いかに妹紅が炎爪で奮闘しようとも、高速で動く脳無はそれを楽に叩き潰すだろう。妹紅はそれを踏まえた上で戦わなければならないのだが、パワーとスピードで圧倒的に劣り、更に街中という能力が限られる場面では手段が限られてくる。

 

「火の鳥!」

 

 故に、己を餌に脳無を引きつける。今の妹紅に出来ることは、これしか無かった。妹紅はとにかく脳無を誘き寄せるように飛んだ。火の鳥や炎爪で牽制し、時に殺されながらも移動する。そして、荒野と化してしまった破壊現場にもう少しで辿り着くという時であった。脳無は拳をほどき、手を広げて襲いかかってくる。張り手ではない。それは逃げる獲物を捕まえる為の動きだった。

 

(しまっ――)

 

 反射神経も身体能力も常人より優れている妹紅だが、恐ろしい程のスピードを誇る脳無から見れば、その程度は動かない人形を拾う程度の動作だったのだろう。脳無はいとも簡単に妹紅を捕まえてしまった。妹紅の上半身が丸ごと脳無の片手で鷲掴みにされている状況だ。妹紅の両腕も巻き込まれてしまっている。

 そして、脳無は妹紅を掴む手に力を入れた。それだけで、妹紅の上腕や肋骨は容易く砕ける。更に胃や肺、心臓やその周囲の血管までも破裂し、大量の血が食道と気道を通って妹紅の口から絞り出されていく。

 

「グッ…!ガァッ…!」

 

 握り潰されて身体が上下に千切れ落ちるくらいなら、まだ良い。蘇生1回で済むからだ。しかし、脳無は妹紅を半殺しの状態で手放さなかった。

 脳無は戦闘中に妹紅の殺害方法を学習している訳では無い。ただ状況と命令に合わせた殺し方を機械的に選択しているだけだ。そのため妹紅を握り締めることで殺し続けようとしたのはただの偶然。だが、その殺害方法は妹紅にとって非常に効果的な一手だったのだ。

 

(マズいッ!殺され続ける!)

 

 脳への血流が遮断されたことで起こる全身の悪寒と痺れ。歪んでいく視界と思考。このままでは数秒の内に意識を喪失するだろう。そして脳無が妹紅をこのまま手放さなければ、意識不明のまま死に続けて体力は底をつき、妹紅の敗北は決定してしまう。

 

(早く奴の手を…焼き飛ば…思考…が…!)

 

 腕も一緒に掴まれているため炎爪は使えない。悠長に火の鳥を作っている暇も無い。とにかく一刻も早く炎で脳無の手を焼き飛ばさなければならなかった。『超再生』を持つ脳無に囚われつつ、意識を混濁させながら残りの瞬刻でそれを行うのだ。それも周囲を燃やさないように注意しながら脳無だけを――当然そんなことは不可能である。

 

(不死身のッ…捨て身ッ!)

 

 故に、妹紅が選んだ選択肢は自爆であった。意識の混濁した今のコンディションならば、爆発範囲は半径数メートルが精々。たとえ脳無の手を焼き飛ばせなくても、妹紅自身が細かな肉片となることで拘束からは脱出出来る。粗雑な力加減でも周囲に被害無くこの危機を切り抜けられるという点が大きかった。

 爆発音と共に妹紅の身体が爆ぜる。脳無の指を千切り飛ばしながら妹紅だったモノが辺りに飛び散る。そして、その破片の一部に炎が灯り、徐々に大きくなっていった。再生中の妹紅である。

 だが、そんな燃え続ける妹紅の塊に向けて、脳無は容赦無く追撃を加えた。まるでサッカーボールのように妹紅を蹴ると、暴風と共に炎の灯った肉片が更に細かくバラバラになって散っていく。ほとんどの肉片からは炎が消え、無残にも地面に転がった。

 しかし、ただ一つだけ炎が消えない塊がある。不滅であり不屈。それこそが不死鳥の在り方だ。妹紅は再生の炎を纏いながら立ち上がると周囲を見渡し…そして薄らと笑みを浮かべた。

 

「ああ…ここだ…。ようやくここまで移動出来た…。ここでなら本気が出せる…!」

 

 脳無に蹴り飛ばされた妹紅が居るここはAFOが吹き飛ばした破壊跡地の中心。アスファルトやコンクリの舗装は全て剥がれて酷い荒れ地と化しており、周囲には瓦礫が僅かに転がるのみ。しかし、だからこそ妹紅も遠慮無く戦えるのだ。

 妹紅は大きく息を吸うと全身から全力の炎を放ち、その技名を叫んだ。

 

「フジヤマヴォルケイノ!!」

 

 妹紅には奥義と呼べる必殺技が2つある。1つは『パゼストバイフェニックス』。全力の炎を1羽の巨大な火の鳥に込めて敵を薙ぎ倒す必殺技だ。USJでは、この脳無に敗れてしまった技ではあるものの、本来の強みは圧倒的な熱量を持ちながら遠隔操作も可能だという利便性にある。込められた炎に相当する攻撃力と防御力を持つ火の鳥になるため、これと敵対する者は本物のフェニックスと戦うが如き苦労を強いられることになるだろう。

 

 そして、2つ目の奥義がこの『フジヤマヴォルケイノ』である。鳥やその一部を炎で形にした必殺技が多い妹紅だが、この技だけは違う。これは『全力で炎を放出する』という、ただそれだけの技だ。炎で鳥の形を作る能力資源(リソース)を全て投げ出して、ただ炎を放出するという一点だけを全力で追求したこの必殺技は、恐ろしい程の熱量を持っていた。技名の通り、富士山が噴火したら本当にこうなってしまうのではないかと幻視してしまう程の炎である。

 しかし何より、停電して闇が包み込むはずの街を昼間のように照らして天空へと立ち上る炎は、神話の裁きの火を連想するが如く厳かで、酷く幻想的であった。

 

「ここに来るまでに少々死に過ぎた。体力は残り3割程度といったところか…。あのマスコミの人たちが居なければ、もっと楽にここまで来られたのだが…。なんか追っかけて来てたし…」

 

 炎の中心地で妹紅は独りごちる。正直言って、彼らが居なければ7~8割の体力を保ってここまで来られたはずだ。彼らも報道が仕事なのかもしれないが、周囲の被害に配慮しながら戦っていた妹紅からしたら本当に邪魔でしかなかった。全く以て迷惑な話である。

 

「まぁいい、これだけ炎を出していたら彼らも近付こうとはしないだろう。さぁ、ここからが本当の戦いだ。行くぞ脳無」

 

 近くまで移動してきた脳無に向かって、妹紅はゆっくりと歩み寄った。ただ歩いただけ。しかし、それだけで炎が触れた訳でも無いのに脳無の表皮は発火した。炎の照射熱により皮膚の水分が蒸発して炭化、更に炭素の発火温度を超えたことで炎に触れずして燃え出したのだ。

 それほどの熱。しかし、脳無も怯まない。全身の表皮を炭化した端から再生させており、脱皮するかのように燃えカスとなった皮膚が次々に剥がれていく。ブクブクと皮膚と筋肉が再生していく様は、まるで身体の肉が沸騰しているかのようにも見えた。

 

「熱中症も脱水症も起きない、か…。予想はしていたが面倒だな」

 

 そういう症状は恐らくどちらも効果が無いだろうとは妹紅も思っていたが、やはり『超再生』で無効化しているようだった。どこまでも厄介な個性である。

 なにより、脳無も焼かれてばかりではない。脳無がその拳を妹紅に目掛けて振るった。今までで一番勢いのある大振りのパンチだ。炎によって距離が空いているため拳は直撃しないが、振るわれた拳圧によって暴風が生まれ、炎を吹き飛ばしながら進む。これに巻き込まれたならば風圧の勢いで手足を引き千切りながら妹紅を遠くまで吹き飛ばすだろう。

 

「無駄だ」

 

 妹紅はその場から動いていない。しかし、暴風は勝手に妹紅の上へと逸れていった。妹紅の周囲には豪炎によって凄まじい上昇気流が発生しているため、それに影響されて逸れたのだ。脳無は何度も拳を振るうが、やはり妹紅には当たらずに全て上方へと逸れていく。脳無には上昇気流を考えて偏差攻撃を仕掛ける思考回路も無いようだった。

 お返しとばかりに、妹紅は腕を軽く振って豪炎を少しだけ脳無に向けた。それに反応した脳無も拳を振るい、風圧で炎を吹き飛ばす。脳無の風圧は炎を貫通したが、妹紅の頭上を通過していくだけで済んだ。一方で、妹紅の炎は脳無の腕に少し掠めただけで腕一本を丸ごと炭化させている。

 当然、それはすぐに再生されてしまったが、妹紅は脳無を焼き続けた。『超再生』のリスクを炙り出す為だったが、それらしき徴候は一向に見当たらない。

 

(『超再生』は『不死鳥』の派生元だから、私の様に体力を消費している可能性は高いと思ったんだけど…。クソ、化物なら体力なんて概念も有って無いようなものか…。これはマズいな…)

 

 酸素を必要とせず、個性のリスクも表われないとなると、やはり人間とは根本的に造りが違うのだろう。

 だが、そうだとすると、この状況はかなり厳しい。今は妹紅が有利に戦闘を進めているように見えるが、脳無と違って妹紅には限界が有る。それまでに決着をつけなければ妹紅は動けなくなり、脳無の無差別殺人が始まってしまうのだ。

 

 

(そろそろ体力も本格的に厳しくなってきた…。何か、何か手を打たないと…)

 

 脳無との攻防は続き、妹紅の残り体力は1割程度。『フジヤマヴォルケイノ』を維持出来る時間は残り1~2分といったところか。

 しかし、だからといってこの技を解除することも出来ない。解除したところで、脳無の猛攻によってすぐ殺されてしまうからだ。蘇生はどんな必殺技よりも多くの体力を消費してしまう。すぐに妹紅の体力が尽きてしまい、それで終わりになってしまうだろう。

 

(……。)

 

 妹紅は考える。だが、妹紅は出来る限りの手を尽くしてきた。現状で打てる手は、最後の手段ただ一つを残してもう無い。

 最後の手段。それは――

 

(殺すしかない…)

 

 それは脳無の殺害。己の炎で脳無を焼き殺すことだった。

 そもそも『フジヤマヴォルケイノ』を発動した時から、妹紅は脳無を殺そうと思えば何時でも殺せる状態にあった。だからこそ妹紅は“脳無とは個性相性が良い”と言い切ったのである。脳無がどんなに足掻いて炎を吹き飛ばしたとしても、結局は津波のように押し寄せる炎の海に飲み込まれ、『超再生』すら関係無く死体も残らぬほど完全に焼き尽くすだろう。この必殺技にはそれが可能なほどの炎が込められていた。

 

(……。)

 

 実際のところ、ここで妹紅が脳無を焼き殺したとしても誰からも咎められることは無い。この脳無は名目上、拘置所から脱走中の極悪ヴィランであるし、今の状況はどこからどう見ても妹紅の正当防衛であることが明白だ。しかも、脳無は人間を材料にした人形のようなナニカである。ヒト(・・)としての権利が認められることも無いと思われた。

 故に、脳無を殺すことで妹紅が罪に問われることは無い。それは妹紅も分かっている。だが、妹紅が戸惑っているのは、そんな上辺の問題などでは無いのだ。

 

(………。)

 

 怪物に改造されている脳無とはいえ、元は人間。それも不本意ながらも妹紅の肉親である。酷く憎んではいるが、殺す価値すらも無い愚かで哀れな父だった。

 だが、事ここに至っては選択肢が無いことも妹紅は分かっていた。妹紅が脳無に負けてしまえば、大勢の一般人が殺されてしまう。そんなことは絶対にあってはならないと、誰よりも妹紅は思っているのだ。ならば、取るべき手段は一つしか残されていない。全ては人々の命を守る為に。

 

 妹紅は、今から人を殺す。

 

(…………。)

 

 妹紅は右手を脳無に向ける。自分が思っていたより戸惑いは無かった。殺人を前にして心が麻痺しているのだろう。だが、それで良かった。たとえ今後、自責の念で心が潰れる日が来ようとも、今だけは躊躇いなく脳無を焼き殺せるのだから。

 妹紅は全ての感情が抜けきった表情で脳無を見つめた。後は、炎の流れを脳無に向けるだけ。回避行動をせず迎撃しか行わない脳無は、抵抗しようとも数秒も経たずに炎の中に沈み、死ぬだろう。

 妹紅は無慈悲に殺戮の炎を放つ…その直前のことだった。

 

「妹紅!」

 

「え――」

 

 聞き覚えのある声。それは妹紅が最も敬慕し、愛する女性の声だった。

 押し殺した筈の心が大きく揺らいだ。驚きの余り、炎の動きが止まる。それどころか妹紅の元へと駆け寄って来る“その人”を焼くまいと、無意識的に『フジヤマヴォルケイノ』まで解除してしまっていた。今の妹紅は身に纏う程度の炎しか放出していない。

 

「すまない、妹紅。待たせてしまったな」

 

「慧音…先生…?」

 

「ああ、そうだよ妹紅」

 

 その声を、その姿を妹紅が間違えるはずがない。2本の角を生やしたハクタクへと『獣化』している慧音は、息を乱して大量の汗を浮かべながらも優しい笑顔を妹紅に向けていた。

 

 

 あの時。妹紅と爆豪が黒い水の『転送』個性で攫われた際、慧音と相澤はすぐさま2人の元へと赴こうとしていた。あの現場に現れた脳無たちは他のヒーローたちに任せて、とにかく急いで向かっていたのだ。

 警察から緊急車両(白バイ)を借りる事が出来たため、それほど時間もかからず妹紅たちの元へと行けたはずなのだが、そこで慧音たちの行く手を邪魔しに来たのは又しても脳無たちだった。白バイを破壊された慧音と相澤は黒い水を吐き出しながら次々に現れる脳無たちを打ち倒しながら必死に突き進んだ。

 そして数々の戦闘の末に、ようやく相澤は爆豪の元へ、慧音は妹紅の元へと辿り着いたのだった。

 

「よく頑張ったな妹紅。後は私に任せてくれ」

 

「危険です!あの脳無は邪魔する者を殺します!しかも力はオールマイト級で…!」

 

 慧音は妹紅の前で仁王立ちして、脳無と対峙した。しかし、脳無は妹紅殺害を邪魔する者を優先して殺すという命令がある。妹紅がそう注意を促している間にも、標的の前に立ちはだかる慧音を排除せんと脳無は襲いかかってきた。

 妹紅では目にも映らぬ速さ。だが、慧音はその動きを捉えていた。

 

「ハッ!」

 

 慧音は脳無の拳を右手の甲で受け流して衝撃を上手く逸らした。更に、伸びきった脳無の腕を背負い、思いっきり投げる。合気道にも通ずるその動きは、相手の力を利用して投げ飛ばす技であった。

 

「なるほど、凄まじい力だ。『獣化』した私の膂力を遙かに上回るとは、確かにオールマイト級だろう。だが、彼の全盛期の力には遠く及ばないと見た。攻撃を受け流してしまえば私でも十分戦えるレベルだな」

 

 投げ飛ばした脳無を見据えながら、慧音は妹紅に自信たっぷりの笑みを見せてそう言った。

 確かに脳無のパワーとスピードは、間違い無くオールマイト級である。しかし、それは5年前AFOとの戦いで重傷を負い、ギリギリの状態でヒーロー活動を行っていた末期のオールマイトと同等ということ。決して全盛期だった黄金時代(ゴールデンエイジ)の頃と同じパワーという意味ではなかった。

 加えて、脳無の攻撃は殆どがテレフォンパンチである。脳無の攻撃そのものを見ずとも、予備動作や筋肉の動きを見れば、武闘派ヒーロー(ワーハクタク)時代の経験と技術で攻撃箇所を容易に予想出来た。そして何より、慧音の『獣化』はハクタクに変身することで身体能力はもちろん、反射神経や動体視力も飛躍的に上昇する個性だ。特殊な能力こそ無いものの、極めて優れた増強型個性だった。

 

 そう、慧音(ワーハクタク)は強い。何年も前、ラジオを首にかけた謎の巨人ヴィランに襲撃されて引退する程の大怪我を負ってしまったが、その出来事さえなければ彼女(ワーハクタク)の名は今頃トップ10ヒーローの中に連ねられていてもおかしくない程の実力者であったのだ。

 

「どうだ妹紅。私は強いだろう?だから、後は私に任せて妹紅は避難してくれ。脳無なんて私が軽く片付けてやるさ」

 

 慧音は自慢気にそう語る。それは誰よりも頼れるヒーローの姿そのものだ。しかし…その姿は妹紅を守る為の虚勢であった。

 確かに慧音は脳無の一撃を華麗に捌いてみせた。しかし、それにも関わらず攻撃を受け流した右手の甲の骨は完全に砕けていたのである。いくら全盛期には劣るといえどもオールマイトは今でもNo.1ヒーロー。そのパワーに匹敵する攻撃力であったのならば、慧音がいくら完璧に受け流してところで無傷で済むような威力では無かったのだ。

 また、個性の相性も非常に悪かった。慧音は物理特化の個性であるため、『ショック吸収』を持つ脳無には絶対に敵わず、機転を利かして何とかダメージを入れたとしても『超再生』ですぐに回復されてしまうことは目に見えている。

 そして最大の問題は、慧音の引退の原因となった古傷の影響である。リカバリーガールですら治癒しきれなかったそのダメージは、数年経った今でも多少の運動で激痛をもたらし、体が悲鳴を上げる状態だった。チンピラヴィラン相手の短期戦闘ならともかく、長期の戦闘は不可能。ましてや無数の中級脳無を相手した直後に、この脳無に挑もうなど自殺にも等しい行為だった。即ち、どう足掻いても慧音に勝ち目は無いのである。

 だが、慧音はそれで良かった。彼女の狙いは妹紅を避難させる事ただ一点。故に、妹紅を避難させた後は、この戦いを最大まで引き延ばせばいい。運が良ければ、自分が生きている間にオールマイトやエンデヴァーなどトップヒーローたちが応援に来てくれるだろう。慧音はそう考えていた。

 

「さぁ妹紅。早く避難を」

 

「私は…避難しません。この脳無は私が逃げると周囲の一般人を殺害するよう命令を受けています。私を見失ったら、恐らく奴は先生を無視して一般人を殺害しに行くでしょう。ですが、そうでなくても私は逃げません。あの脳無の材料は…私の父親だそうです。慧音先生こそ避難を。私はここで決着をつけます。…来ないで下さい慧音先生。邪魔です」

 

 慧音は骨の折れた手を身体で隠しながら笑顔で避難を促すが、妹紅はその申し出を断った。それは一般市民に危険が及ぶ可能性が有る為、そして己の父と決着をつける為、という言い分だが、内心はそうでは無い。慧音が自分の代わりに傷ついてしまうなんて、絶対に許されないことだ。更に慧音が死ぬかもしれないなんて、考えただけでゾッとする。想像しただけで吐き気を催してしまうほどだ。

 故に、妹紅は覚悟を決めた。慧音がやられる前に脳無を殺す。慧音は喜ばないだろうが、彼女が助かるならば何だって良い。だから、妹紅はわざと冷たい態度で慧音を拒絶したのである。後は、妹紅だけが戦いの場へと赴くだけだった。

 

「…そうか。知ってしまったか…。だが、私は避難するつもりなんてこれっぽっちも無いぞ…フッ!」

 

 慧音がそう話している内に、脳無が空気を読まずに襲いかかってくる。今度は右手の甲ではなく手首で受け流して、投げ飛ばした。身体の先端部分から順に犠牲にしていくという痛々しい戦い方である。慧音がいくら負傷を隠そうとしても、目の前に居る妹紅に隠し通せるはずがない。

 当然、そんな戦闘は妹紅が望むものではなかった。

 

「なぜ!?私が全て背負ってしまえば済む話なんです!先生の手だって、もうボロボロだ!先生の個性ではあの脳無に勝てない!殺されてしまう!お願いですから…お願いだから逃げてよ…けーね…!」

 

 妹紅は涙を流して懇願していた。そんな妹紅の頬を、慧音はまだ無事な左手でそっと撫でる。脳無への警戒は割くことが出来ないため、それが今の慧音がとれる最大の愛情表現だった。

 

「…私は寺子屋で引き取った子たち全員を、自分の子どものように思っている。もちろん、妹紅もだ。周りから不死鳥だのなんだの言われようが、私にとっては可愛い可愛い雛鳥さ。…そんな我が子が目の前で苦しんでいるのに、置いて逃げる親がいるものか」

 

「けーね…せんせい…」

 

 寺子屋には親の虐待等が原因で引き取られる児童が多い。親への信頼を失った子どもたちの心を癒すために、慧音は誰よりも信頼される親らしくあろうとしていた。『親代わり』ではない。子どもたちの『本当の親』であろうとしていたのだ。

 妹紅の瞳から溢れていく涙が、慧音に手にも熱く伝った。慧音は妹紅を愛している。そして、妹紅も慧音を愛している。その想いが胸一杯に満ち溢れて堪らなかった。

 

「親として、子どもには危ないことに近付かせたくないし、辛い思いもさせたくない。脳無は私が何とかするから、妹紅には遠くに避難してもらいものだが…」

 

「それは…絶対に嫌…です」

 

「強情だなぁ。ついに反抗期が来ちゃったかな?」

 

 妹紅が涙混じりの震えた声で拒否すると、慧音は思わず苦笑してしまった。どうにも頑固な所は自分によく似てしまったらしい。しかし、慧音はそんな妹紅が可愛くて仕方無かった。

 実際のところ、2人とも最初から理解していたのである。『妹紅は、慧音は、絶対に自分()を残して避難しようとはしない』ということを。心で繋がった親子だからこそ、お互いに想い合っているからこそ、戦いの場を譲らないのである。

 だというのならば、この場で導き出される答えは1つしかないだろう。

 

「妹紅が甘えてくれないのは寂しいけれど、今はとても頼もしいよ。…妹紅、私と共に戦ってくれるだろうか?」

 

「はい…!一緒に戦いましょう…!慧音先生!」

 

 妹紅は涙を拭い、力強く頷いて答えた。『共闘』。それこそが互いに退かない2人が辿り着いた妥協案であった。しかし、それで良いのだ。必ず守る。命を賭けて守る。お互いが、お互いの為にそう想う。その姿こそヒーローであり、親子であり、愛そのものなのである。

 

「これ以上、妹紅には指一本触れさせない!」

 

「慧音先生は絶対に死なせない!」

 

 愛と慈悲に満ちた2人の聖獣が並び立つ。人々を守る為に。愛する者の為に。魔王が生み出した悪意『脳無』と対峙する。

 

「慧音先生!時間を稼げれば一手あります!」

 

「分かった!ならば私が防御を受け持つ!妹紅は攻撃を!」

 

「はい!」

 

 妹紅1人では出来なかったことも慧音が居れば難しくはない。慧音と妹紅は同じタイミングで脳無に向かって走り出した。慧音は脳無へと肉薄して、わざと攻撃を誘発。脳無の大振りパンチを前屈姿勢で躱すと、慧音はその勢いのまま足を払った。

 倒れた脳無に妹紅が炎爪を構えて迫ると、脳無の右腕、左腕を切り落とした。次は両足を…、というところで妹紅はその場から飛び退いて獲物を狩る猫のように地面に伏せる。直後、倒れたままの脳無が凄まじい蹴りを放った。遙か上空の雲すらも綺麗に断ち割るほどの斬脚。妹紅の反射神経では決して避けることが出来ないスピードだったはずである。だが、上述の通り妹紅は攻撃が放たれる前に回避していた。

 

(分かる…!慧音先生が私を導いてくれている…!)

 

 それは慧音のおかげだった。慧音は脳無の予備動作や筋肉の動きで攻撃を予想出来る。それを妹紅に伝えていたのである。ただし、慧音は妹紅に声をかけた訳でも、何か合図を送った訳でもない。それどころか、目立ったことは何もしていなかった。しかし、妹紅には慧音が“こう動いて欲しい”と思っていることが、手に取るように分かったのである。そして同時に、慧音もその感覚を共有していた。これこそが真の以心伝心。愛に言葉も動作も必要無い。ただ深く想い合ってさえいれば、それは必ず伝わるのである。

 

(ああ、慧音先生――!)

 

(ああ、妹紅――!)

 

 受け流して投げる。火の鳥で焼く。躱して転ばせる。炎爪で焼き切る。避けて翻弄する。放出炎で全身を焼く。跳躍して引きつける。足元を焼き飛ばす。受けて投げて避けて、焼いて焼き切って焼き飛ばす。

 戦いの中で妹紅と慧音は心を重ね続けた。当然、極限状態で高速戦闘を続ける2人の、特に慧音の疲労は甚だしい。だというのに、この上無いほど心地良い感覚が胸から溢れ、永遠に戦えるのではないかと思えるくらいの力が心の奥から湧いてきていた。

 これが妹紅と慧音の『Plus Ultra(更に向こうへ)』。愛が為せる限界突破だった。

 

(もう少しです、慧音先生!)

 

(任せろ、妹紅!)

 

 最早、妹紅と慧音に時間の感覚は無い。それでも妹紅は既に手を打っていた。後はソレ(・・)の効果が有ることを祈るだけなのだが…、脳無の様子に変化は無い。

 “駄目だったか…”と妹紅が歯噛みした瞬間、脳無が何も無いところでコケた(・・・)。それを見て、妹紅はハッと目を見開いて声を上げた。

 

「効いたッ!?」

 

 凄まじいスピードで転んだことで大量の砂埃を巻き起こしていた脳無だが、すぐに立ち上がり再び妹紅たちに向かって突進してくる。しかし、またも脳無はコケた。足がもつれて転んだようである。慧音と共に跳んでそれを躱した妹紅は、その動きを見て確信に至った。

 

「やはり効いている!トガヒミコが持っていた毒ナイフ!脳無にも効果が有った!」

 

「毒…!?そうか、犯行に使われたという神経毒か…!」

 

 妹紅の最後の策。それが自身の拉致にも使用された毒を脳無に注入することだった。

 オールマイトら救助チームがヴィラン連合のアジトへと突入してきた時、シンリンカムイの拘束でトガヒミコが毒ナイフを床に落とした瞬間を妹紅は見ていた。故に、脳無との戦闘が始まった際、低酸素の効果が薄いと悟るや否や、妹紅は毒ナイフの回収の為に火の鳥を飛ばしていたのである。

 

「私の再生能力は、奴の『超再生』から遺伝しています。私に効果があったという事は奴にも効く可能性は高い。それに素の肉体でオールマイト級のパワーを引き出しているということは、各種薬物に高い感受性を持っているとも思いました。…しかし、脳無は低酸素攻撃が効かず、体力の底も無い怪物。正直、毒が効くかどうかは賭けでしたが、上手くいったようです」

 

 妹紅はそう慧音に言う。それに加えて、トガヒミコが取り落とした毒ナイフが誰かに拾われてしまっていたら、この手は使えなかった。数体の脳無がワープしてきていたので現場はパニックになっていたので、ナイフどころの話では無くなっていただろうとは想像出来るが、妹紅はその後すぐにワープさせられてしまったのでハッキリとした状況は分からなかったのである。

 

「毒ナイフは火の鳥をオート操作で飛ばし、落ちている所を発見して持って来させました。瓦礫に紛れていたのか回収するのに時間がかかってしまった様ですが…林間合宿でピクシーボブ先生から火の鳥の操作訓練を受けていたおかげで何とかなったみたいですね」

 

「なるほどな」

 

 もしも、毒ナイフを回収出来なかったり、この神経毒が脳無に効かなかったりしていれば、かなり厳しい状況になっていたに違いない。その場合の妹紅に残された手段は、応援が来るまで決死の覚悟で時間を稼ぐか、脳無を殺害するかの2択。プルスウルトラで限界突破しているとはいえ、慧音が受けたダメージは蓄積していっている。時間を稼ぐことを選んでいた場合は、慧音の命が酷く削られていただろう。

 

「しかし、毒ナイフが手元にあったとしても私1人では脳無にナイフを刺すのは難しかったと思います。奴はこちらの攻撃を迎撃するように設定されているようでした。そんな状態で『ショック吸収』に阻害されずにナイフをゆっくり刺し込むなんて、私1人だけでは間違い無く不可能だったでしょう」

 

 慧音と妹紅は脳無から目を離さずに、その動きを観察していた。脳無は立ってはいるものの、神経毒の効果によって全身をガクガクと痙攣させている。妹紅も経験したから分かる。こうなってしまってはもう身体の自由は無いのだ。

 その様子を見ながら、妹紅は話を続ける。

 

「ですが、奴は私の殺害を邪魔する者を優先して攻撃する命令を受けていた…。慧音先生が居てくれたおかげで、火の鳥に咥えさせた毒ナイフを脳無に刺すことが出来ました。囮にするような真似をして申し訳ありません慧音先生」

 

「謝らなくて良いんだ妹紅。私は妹紅の助ける為に来たんだから。でも、良かった。こんな私でも多少なりとも妹紅の力になれたんだな…」

 

 謝る妹紅に慧音は微笑む。自分の力によって妹紅が多少なりとも救われたのなら、慧音はただそれだけで良かったのである。

 

「脳無…」

 

 慧音が見守る中、妹紅は脳無を見て呟いた。脳無は白目を剥いて激しく痙攣しており、その様子はバグった機械のようでもある。実に惨めな様相だった。

 

「終わりだ脳無…愚かで哀れな父よ…。今はもう、お前に恐怖も何も感じない」

 

 父への恐怖の呪縛は完全に消え去った。胸に満ち溢れる愛が、全てを断ち切ったのである。最早、妹紅にトラウマは存在しない。妹紅は脳無に、そして己の闇に打ち勝ったのだ。

 

「……」

 

 脳無はバランスを崩し、前のめりに傾きつつある。しかし、妹紅は脳無に背を向けた。克服した過去を見届ける必要など無い。妹紅が見定めるべきは未来。愛と慈悲を掲げて人々を守る、妹紅が最も愛する人のような最高のヒーローになるという未来だけだ。

 

 妹紅の背後で脳無が倒れていく。その時、妹紅は白髪に付いた汚れを落とすため、強めに髪を払った。バサッと長い白髪が綺麗な弧を描いて広がった瞬間、後方で巨体が地面に沈む音が聞こえた。

 それは、魔王が作り出した改造人間『脳無』が倒れ伏した音。同時に、妹紅と慧音の勝利を伝える音だった。

 

 

 

「ふぅー…」

 

「妹紅!」

 

 今ここに戦いは終わりを告げた。妹紅は周囲の一般人を守り切り、そして脳無を倒したのである。その安堵からか全身の力が抜けてしまった。身体から放っていた炎も消え、フラリと倒れそうになる妹紅を慧音は胸で抱き留める。そのままゆっくりと腰を下ろしながら、慧音は妹紅に問いかけた。

 

「妹紅、大丈夫か?」

 

「ええ…大丈夫ですよ慧音先生。ちょっと疲れてしまっただけです。それよりも先生こそ酷い怪我…とにかく安静にしていて下さい。すぐに腕の固定を…慧音先生?」

 

 慧音の両腕は酷くボロボロだった。指先から肩辺りまで内出血で紫色に染まり、何十カ所もの骨が折れているらしく腕が酷く歪んでしまっている。

 それを見た妹紅は急いで添え木や包帯になる物を探そうとするが、当の本人である慧音に止められてしまった。妹紅の横顔に自分の頬をギュッと寄せて、もう二度と手放すものかと言わんばかりである。

 

「私は大丈夫だ。私にとって妹紅は鎮痛剤みたいなものだからね。…それよりも妹紅、もう少しだけ抱きしめさせてくれ」

 

「それは私も嬉しいですけど…。両腕がドス黒い紫色に腫れ上がっているじゃないですか。それ絶対ヤバいですよ」

 

 慧音の柔らかい髪が鼻先に触れて、実にくすぐったい。だが、それがいい。慧音の匂いで包まれて非常に心地良かった。ずっとこうしていたいくらいだが、慧音の腕を診る限りそうは言っていられない。これほどの怪我だ。下手をすると腕が壊死する可能性もあった。

 

「お願いですから安静に…ん?」

 

「それを羽織ると良い」

 

 突然、和風のマントが全裸の妹紅の上から被せられた。声の方へと振り向いてみると、そこにはNo.4ヒーローのエッジショットが立っていた。彼は紳士的にも妹紅を見ないように顔を背け、視線を倒れた脳無へと向けている。妹紅たちが倒したといえども脳無は怪物。再び動き出す可能性も考慮すると、トップヒーローとして警戒を怠ることは絶対に出来ないのである。

 

「エッジショット!オールマイトの方はどうなった!?」

 

 そんな彼の背に向かって、慧音はもう一つの激闘について尋ねた。オールマイト対AFO。それは日本の未来を左右する戦いだ。もしも、この戦いでAFOが勝利しようものならば、日本中の人々は永遠に醒めぬ悪夢を現実で見続けることになる。正に生き地獄だ。

 しかし、エッジショットは語った。平和の象徴(オールマイト)は最後まで平和の象徴で在り続けた。そしてNo.1ヒーローとしての最後の仕事を全うしたのだ――と。

 

「AFOと呼ばれたヴィランは倒れ、現在オールマイトの監視下で護送隊を待っている。爆豪君も敵の手から逃れた。無事のはずだ」

 

「そうか、それは良かった。本当に良かった…」

 

 エッジショットの言葉に慧音は安堵の息を深々と吐く。戦いは終わったのだと、慧音にもようやく実感が湧いてきていた。

 

「それと…救援に遅れてすまなかった」

 

「いや、理解はしている。この脳無よりも敵の首魁であるAFOに戦力を向けるのは当然だ。ここで奴を逃してしまえば、また妹紅と爆豪くんを拉致されてしまうからな…」

 

 心苦しそうな顔で謝るエッジショットだが、慧音は首を横に振った。AFOの優先度は脳無よりも遙かに高い。ヴィランとしての危険度もそうだが、AFOに逃げられてしまえば『転送』個性で何時でも何処でも妹紅たちは簡単に拉致されてしまうのだ。これでは妹紅を脳無から救い出したとしても意味が無い。

 結局の所、全ての結末はオールマイトとAFOの勝敗に委ねられていたのである。だからこそトップヒーローたちはオールマイトの下へ集うしか無かった。それはオールマイトを援護する為、そしてオールマイトが敗れた際は自分たちが命を賭けてでもAFOと戦う為だ。

 故に、送り出せる戦力は妹紅の所に慧音と、爆豪の所に相澤の1人ずつが精々。エッジショットたちもオールマイトがAFOを倒してからすぐにコチラへと加勢しに来たのだが、どうやら脳無を倒した直後のタイミングだったらしい。だが、周囲の惨状と慧音の両腕を見る限り、勝てて良かったなと単純に喜べる状況では無かった。

 

「…すまない藤原妹紅、ワーハクタク」

 

「いいさ。それより、この倒れた脳無の見張りを頼む。今は神経毒で麻痺しているが、何時まで効果が有るか分からないし、逆に効き過ぎて窒息死する可能性がある…。そもそも元から息をしていたかも怪しいものだが、それを含めて頼めるだろうか?」

 

「把握した。あのパワーで暴れていた時は不可能だっただろうが、倒れて動かない今なら『紙肢』で脳無の身体の中を調査出来る。内臓をいじくる事で無力化の維持も可能だろう。後は任せてくれ」

 

 慧音が頼むと、エッジショットは快く頷いてくれた。彼ならば問題無く脳無を捕縛し続けることが出来るだろう。倒した脳無のその後に不安を感じていた妹紅であったが、これならば一安心だ。

 

「慧音先生…」

 

「妹紅…本当に良かった…」

 

 妹紅と慧音は抱きしめ合った。力が入らないためお互い寄りかかるような形になってしまったが、だからこそ相手の存在を感じられる。それが心地良く、静かに寄り添い続けた。

 エッジショットも無粋は無用とばかりに2人の邪魔をせず、救護要請を本部に送った後は黙って脳無を見張っている。そんな時、戦闘を遠巻きに見ていた周りの人々から歓声が上がった。完全に動かなくなった脳無を確認して、ようやく妹紅たちが勝利したことに気付いたのだろう。また、その戦いを全国中継していたリポーターの女性も興奮した声を上げながら、妹紅たちの元へと小走りで駆け寄って来ていた。

 

「脳無と呼ばれたヴィランは倒れ、それから動きません!勝利です!今度こそ間違い無く藤原妹紅さんの勝利です!早速、インタビューを――キャッ!?」

 

 しかし、横から急に現れた人影にぶつかり、その女性リポーターは尻餅を突いてしまう。一体誰が邪魔を、と彼女が上を見ると、そこにはNo.2ヒーローのエンデヴァーがコチラを睨んでいた。エンデヴァーはカメラマンをも睨み付けると、彼の方へと右手を向ける。そして、テレビカメラのレンズ部分を掌に収めて…そのまま握り潰した。カメラのレンズやその周辺の部品は完全に拉げてしまい、本格的な修理をしない限り映像を撮ることは出来ないほど破損している。

 

「エ、エンデヴァー!?ちょっ…カメラが!?」

 

「ふん、修理の請求書なら俺の事務所に送っておけ。おい、危険区域からさっさと一般人を追い出せ。何をトロトロしている!動け!」

 

 リポーターの彼女としては当然の疑問だったが、エンデヴァーは鼻を鳴らしてそれを撥ね除けた。更に、サイドキックや他のヒーローたちに指示を出し、マスコミも含めた一般人の規制に取りかかる。

 リポーターの女性は報道の自由を訴えていたが、妹紅の戦闘の一部始終を本部から聞かされていたエンデヴァーは『再三にわたり藤原の戦闘を邪魔しておいて、何が報道の自由か!』と一喝して、彼らを追い払った。彼らにとっては運が悪いことに、カメラの破損はレンズだけでマイクは生きており、エンデヴァーの言葉は全国に中継されてしまったらしい。女性リポーターたちは顔を真っ青にしながら撤収していった。

 

「む…」

 

 ふと、現場で各種指示を出すエンデヴァーの視界の中に、妹紅と慧音の姿が遠目に入った。短期間だったとはいえ妹紅の師であるエンデヴァーならば、『良くやった』と一言くらい声をかけに行くのは至極当然だろう。だが、抱き合う2人を見た瞬間、エンデヴァーの足は石のように固まり動かなくなってしまった。

 

「家族…親子…」

 

 エンデヴァーはオールマイトを超えるべく、努力を続けてきた。しかし、No.2まで登り詰めた時、彼は理解してしまったのだ。己では絶対に頂き(オールマイト)に辿り着けない、と。だから、エンデヴァーは家族をないがしろにしてまで焦凍を作り上げた。妻が心を壊すほど焦凍を厳しく鍛えた。最強のために全てを犠牲にしてきた。

 そんな彼の目には、妹紅と慧音という親子の存在は眩しすぎた。近づけない。いや、己如きがあの2人に近付くなど許されないとすら思ってしまった。

 しかし仮に、それが許される日が来るとするのならば――妻が、子どもたちが胸を張れるような父親になった時だろう。家族が誇れる偉大な父。家族が誇れる偉大なNo.1ヒーロー。そんな存在になって初めてエンデヴァーは許されるのだ。

 その時まで彼は己の罪と向き合い、償っていかなければならない。それはきっと酷く険しい道のりだろう。どんなに償い続けても永遠に許されないかもしれない。だが、親子の眩しさを知ったエンデヴァーは前を向いた。眩しい光が真の道を確かに照らしたのである。

 父として、ヒーローとして。エンデヴァーはその第一歩を踏み出すのであった。

 

*1
酸素を必要としない嫌気性の生物もいるが、殆どが微生物である




『フジヤマヴォルケイノ』
 原作の東方永夜抄で妹紅が使うスペルカードの一つ。正式なスペルカード名は『蓬莱「凱風快晴-フジヤマヴォルケイノ-」』。原作では爆発する赤い弾幕を放つ技で、夕日をイメージしたスペルカードらしいですが、このSSでは火山の噴火を模した単純な最大火力の必殺技になってしまいました。名前が豪快だからね、仕方無いね。
 なお、対脳無との戦闘ではコスチュームではなく体操服で行っているので、自爆した時点で全裸になっています。ですが基本的に常に炎を纏っていたので大事な所は見えていません。炎を消した時も髪で隠れています。セーフ。

『妹紅には指一本触れさせない!』
 東方原作の慧音の台詞「あの人間には指一本触れさせない!」から引用。「あの人間」が妹紅とは明言されていないものの、状況からして妹紅である事は間違い無い。
 このSSの慧音先生は、妹紅が『死と自己同一性』で悩んでいることを知り、色んな本を取り寄せ勉強していました。秘蔵宝鑰はその中の一つ。なお、慧音が何とかする前に、妹紅は秘蔵宝鑰を読んで勝手に納得していた模様。それでも根本的な問題が解決したという訳では無いので、慧音は『妹紅は蘇生するから大丈夫』とは1ミリも思っていません。全力で助けに来ます。
 因みに、脳無の材料が妹紅の父親であるという警察の検査結果はオールマイトから根津へ、そして根津から慧音や相澤へと伝えられています。

「爆豪を助けに行った相澤先生」
 死柄木たちを『抹消』で無力化して捕縛しかけたものの、『干渉個性無力化』を持つAFOが『個性強制発動』したことで黒霧の『ゲート』を使われてしまう。爆豪も連れて行かれそうになるが、相澤先生が奮闘している間に緑谷たちが爆豪を救出。相澤先生は褒めれば良いのやら、怒れば良いのやら複雑な気持ち。でも彼らの先生としては絶対に怒らなければなりませんね。


『妹紅のリボンの秘密』
 本編で書こうと思っていましたが無理でした。
 元々考えていた設定では、最後の戦闘中に妹紅が脳無を焼き殺す直前に昔の記憶を思いだし、肉親で唯一愛してくれた祖母が病気で逝去する前にリボンを付けてくれた。それを凄く大事にして外さずにいたら、個性がそれを身体の一部と誤認識していまい、リボンまで再生するようになった。その記憶で祖母だけだが自分にも家族の愛があったことを思いだし、脳無を殺すことを一瞬躊躇った隙に慧音が来てくれて、親殺しをしなくて済んだ。みたいな流れでしたが、長いしつまらないのでカットになりました(無慈悲)。
 一応、祖母が最後にくれたリボンを無意識に大事にして身に付けていたら『不死鳥』が誤認識して、再生するようになったという設定だけ生きています。たぶんもう本編には出て来ないですけど。


次回は幕話の2chです。
幕話が終われば最終話となります。ちょくちょく手直しもしていきます。
完結までもうしばらくお付き合い下さい。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。