「街はこんなに物々しいというのに、昨日から何の事件もなく平和なままですね…。もちろん、良い事ではあるのですが」
職場体験3日目。今日も妹紅たちはパトロールを続けていた。現在時刻は夕方の5時を過ぎている。この日の保須市も大勢のヒーローたちによる厳重な警備のおかげか、ほとんど何事も起こらず平和なままだ。
それでも、エンデヴァー一行は一切の油断無く、路地裏など街の死角を中心に警戒を強めてパトロールを行っていた。
「これだけヒーローたちが集まっている街で派手な犯罪起こすようなヴィランはそうそう居ないぜ。麻薬か何かでブッ飛んでる奴か、余程の馬鹿くらいかな」
「そういう連中は他人を傷つける事に一切の躊躇いが無いんだ。理性も一緒にブッ飛んでるようなモンだからな。そんな訳で、こういう状況でヴィランが事件を起こした時は、いつも以上に気をつけた方がいい」
「なるほど…。勉強になります」
妹紅の言葉にキドウとオニマーが答えてくれた。事件解決数史上最多を誇るエンデヴァーのサイドキックを長年勤めてきた彼等はヒーロー活動の経験も非常に豊富で、そこらの事務所を経営しているヒーローの実力くらいならば軽く凌駕するほどの実力を秘めている。サイドキックだからといって舐めてかかるような輩は、一瞬でお縄にかかることになるだろう。そんな彼等のアドバイスは実戦的で参考になる。轟も“なるほど”といった表情で話を聞きながら、パトロールを続けていた。
それからしばらくして、日も傾いてきたのでそろそろ拠点へ戻るか、という話が出た時だった。突如として腹に響くような重低音が遠くから聞こえた。
「爆発音だッ!アッチの方から聞こえたぞ」
「頭上注意!頭上に注意しろ!」
周囲の建物に激しく反響して聞こえた音だった為、妹紅には何の音か、どの方向かも判別が付かなかった。しかし、サイドキックたちは一瞬で聞き分けており、既に厳戒態勢をとって頭上や周囲の警戒をしている。爆心地が遠くても、爆発で巻き上げられた瓦礫が降ってくる可能性があるからだ。瓦礫が降ってくるようであれば、個性を使って、もしくは身を挺して周りの人々を守らなければならない。それがヒーローの仕事だ。
幸い、今回は瓦礫が降ってくるような事態にはならなかった。僅かな安堵の息を吐く暇も無く、装着していたインカムから連絡が届いた。拠点で待機していた女性サイドキックの声だ。こういう緊急時には、誰かがオペレーターとなり情報を纏めて、皆に伝える必要があるのだ。
『警察より緊急連絡。大通りで男が暴れているとの事。個性は不明。現在、付近のヒーローたちが交戦している模様です』
「行くぞ!」
エンデヴァーが走り出した。他の者たちも彼の後ろについて走る。妹紅も炎翼に頼らずに走って追いかける。エンデヴァーから何があっても側を離れるなと厳命されているからだ。
更に、先程の連絡から30秒も経たずして新たな情報が届いた。
『現場ヒーローより応援要請有り。場所は大通りの北側。丹生堂デパートの目の前です。敵は異形型個性の大柄な男。大型バスを素手で破壊する程の力を持っているとの事です。お気をつけ下さい』
「異形型の大男か…。ヒーロー殺しでは無さそうだが、まぁ良かろう。すぐに片付けてやる!焦凍!藤原!遅れるなよ!現場に着いたら、避難誘導や後方支援などは他のヒーローに任せて、お前たちは見学に徹しろ!俺が実戦での炎の使い方というものを見せてやろう!」
好戦的な笑みを浮かべるエンデヴァーを尻目に、妹紅は走りながら覚えているマップの地形と事件発生現場を照らし合わせていた。このまま走り続けて5分といった距離だろう。わずか5分。だが、妹紅にとっては長い時間に感じた。妹紅の炎翼であれば1分程度で行ける距離だ。5分の間にどれだけの人たちが傷つくかと思うと、それが焦燥感に繋がるのだ。
「…ッ!おい、藤原!携帯見ろ!」
「なんだこんな時に!」
「いいから携帯見ろって!」
轟の声に促され、妹紅は走りながら携帯をチェックした。画面には緑谷からメッセージが届いたアイコンが表示されている。つい先程送られてきたものらしい。
「緑谷からクラスメイト全員にメッセージ…?しかも住所だけ…?保須市江向通りの細道…まさか、緑谷の身に何かあったのか…!?」
「む!?焦凍!藤原!携帯じゃない!俺を見ろォ!おい、聞いているのか!」
立ち止まった妹紅たちに気付いたエンデヴァーが諌めの言葉を放つ。だが、その言葉は2人の耳には入っていなかった。
「江向通り4-2-10の細道。そっちが済むか手の空いたプロがいたら応援頼む。友達がピンチかもしれねぇ。藤原、緑谷ン所に行くぞ。運んでくれ」
「ま、待て…!すぐそこで事件が起きているんだ!助けを求めている市民も居るかもしれない…!」
妹紅は激しく迷っていた。友は大事だ。しかし、妹紅には弱者を助けたいという思いがある。更に、緑谷が送ってきたアドレスにはヴィランが絶対居るという確証が無いのだ。どちらを優先するべきか…。今の妹紅にはその判断が出来なかった。
「見学しか出来ねぇなら、俺たちが行っても意味無いだろ。
「そ、それはそうだが…」
逆に、轟は冷静だった。先程発生した事件において自分たちの出番は無い。ならば、緑谷が送ってきたアドレスに向かう事が何よりも効率的だと判断したのだった。それに妹紅の炎翼があれば、走るよりも早く到着出来るという考えもある。後は妹紅を説得するだけだ。
だが、それをエンデヴァーが許すはずも無かった。彼は職場体験期間中における妹紅たちの保護管理者なのである。
「馬鹿者!仮免も持っていない学生だけで別行動など認められる訳が――ッ!」
エンデヴァーが怒鳴る。しかし、彼は途中で言葉を失った。轟が、今までエンデヴァーに激しい嫌悪を示していたあの轟が、頭を下げたのである。
「…頼む、親父。説教なら後からいくらでも聞く。
「轟…」
妹紅には頭を下げる轟の横顔が見えた。今の轟の顔にはエンデヴァーに向ける憎しみの様相は無い。有るのは心配や焦り、不安などの感情だ。友への思いが父への憎しみを凌駕しているのだった。
そんな轟を見て、妹紅の心は動かされた。送られてきたアドレスを脳内のマップと照らし合わせる。この距離ならば炎翼を使えば2分ほどで着くだろう。そして、何も事件が起きていなければ(緑谷の誤報であれば)即座にエンデヴァーの元へ戻る。アドレスの場所からエンデヴァーたちが向かっている事件現場までは3分ほど。つまり、往復にかかる時間は5分程度であり、このまま走って到着する時間とほぼ同じだ。時間のロスは無い。それに万が一、本当に事件が起きていれば、助けを求める人々がそこに居るはずだ。
そのように思い至った妹紅は轟の隣に立ち、彼と同じく頭を下げる。そんな2人を見て、エンデヴァーは小さく溜息を吐き、呆れた声で許可を出した。
「仕方無い…行け、この馬鹿者どもめ。確認したら即座に我々の所に戻ってこい。念の為、インカムは常にオープンにしておけ。良いな?」
「分かりました。ありがとうございます…!行くぞ、轟。手を掴め。抱えるよりもスピードが出る。急ぐぞ」
「頼む」
エンデヴァーの言葉に頷きながら妹紅たちはすぐに行動を起こした。周りに人が居ないことを確認して炎翼を繰り出すと、轟の手をとった。抱えての飛行では炎を抑える必要が有るため、速度が出ないのだ。逆に、手に掴まらせてぶら下がっている状態ならば、熱源から遠ざかるので炎を抑えずとも火傷はしない。ただし、この運搬方法は相手に大きな負荷がかかる。相応に鍛えていなければ肩が脱臼する事もある運び方なのだが、轟ほど鍛えていれば余裕であった。
『報告します。先程の事件現場の近くで飛行個性持ちのヴィランがヒーローたちを襲っている模様。更に中央本線の上り新幹線を別のヴィランが襲撃。今は保須駅前付近で現場のヒーローと戦闘中との事。エンデヴァーさん、待機中のサイドキックたちは出動準備が出来ています。指示を』
妹紅が轟と共に飛び立ち、エンデヴァーたちが事件現場に向けて再び走り出した時であった。オペレーターから新たな報告が入り、その内容にエンデヴァーの供をしていた2人のサイドキックが訝しんだ。エンデヴァーも走りながら眉を顰めている。
「同時多発だと…?まさか計画的犯行か?」
「だとしたら3ヶ所だけじゃ済まない場合もあるな…」
「チッ、先ほどのアドレスにヴィランが居る可能性が高くなってしまったか…。待機中のサイドキックを出動させ、江向通り4-2-10の細道に向かわせろ」
轟と妹紅に届いたというアドレス。当初、エンデヴァーはそこにヴィランが居る可能性はほぼ無いと思っていた。だからこそ2人がそこに向かう事を許可したのだ。というのも、本当に事件が起きていれば、わざわざクラスメイトに連絡をする意味など無く、警察に通報するだけで良いからだ。そうすれば、警察から連絡を受けたプロヒーローたちがすぐに駆け付けてくれる。そういう仕組みになっているし、ヒーロー科生徒ならば当然知っている筈だ。
しかし、かなり考えにくい状況ではあるが、警察に通報する時間すらも無かったというのならば話は変わってくる。更に、今現在同時に起こっているという3つの事件。エンデヴァーはそれらの情報から僅かな危機感を抱くに至った。故に念の為、待機しているサイドキックたちに出動を命じたのでる。
「焦凍、藤原。聞こえていたな?お前たちが向かっている先にヴィランが居る可能性が少しだが高くなった。お前たちは今すぐにでも戻って来い、と言いたいが、言ったところで素直に戻る気が無いのは分かっている。良いか、お前たちはまだヒーローでは無い。戦闘は原則的に禁じられているという事をしっかりと認識して行動しろ。分かったな?」
『分かりました。』
『…分かった』
妹紅たちの了承する声を聞いたことで、エンデヴァーは半ば安心してしまった――油断してしまったのである。慎重を期するのであれば、何をしてでも戻らせるべきであったし、どうしても戻らないと2人が言うのならば、向かわせたサイドキックたちが合流するまで待たせておくべきであったのだ。
(焦凍たちならば、もしもヴィランが居た場合でも、戦闘を行わずに救出活動くらい余裕で出来る。彼奴等にはそれだけの実力はあるし、緊急時には交戦許可を出せば良い。俺が現場に居ない状況で資格未取得者に交戦許可を出すのは多少問題やもしれぬが、数分後にはサイドキックたちも現場に到着するし、その辺はいくらでも誤魔化せよう。
懸念が有るとするならば、ヒーロー殺しがその場に居た場合だが…。いや、あり得んな。これまでの犯行から見て、奴が単独犯である事は確定している。しかも、妙な思想を持った狂人だ。共犯者など居るはずも無い。この事件にヒーロー殺しが関わっている可能性は皆無と見て間違いは無かろう)
2人の実力を寸分の狂いなく理解した故に発生してしまったエンデヴァーの油断。彼の最大のミスは、ヒーロー殺しという可能性を早々に切り捨ててしまった事だった。しかし、誰が予想出来るというのだろうか。まさか、ヒーロー殺しがこの事件の直前に“あの組織”と関係を持つなどとは…。
エンデヴァーが自身の判断を激しく後悔するのは、この数分後の事となる。
『報告します!各地の情報を纏めると、事件を起こしているヴィランは全員異形型の個性の持ち主。3人とも頭蓋骨が剥がれて脳が露出しているような外見的特徴を持っているそうです。また…これは現場の混乱だと思いますが、個性を複数持っているようだ、との情報が流れています。単なる複合個性とは思えないという旨を、幾人ものヒーローが訴えておりまして…』
「全く!最近の
エンデヴァーが新たな報告に大きな声で愚痴を溢した。敵の個性分析はプロヒーローの大原則だ。これが出来ないヒーローはプロを名乗る資格すら無いとエンデヴァーは思っている。
しかし、同時に一つの疑念を抱いていた。
『脳の露出に複数個性だと?まさか…!?』
『ヴィラン連合の…脳無!?』
不意に轟と妹紅の声がインカムから聞こえてきた。ヴィラン連合。雄英高校を襲撃したテロリストたちの名前だ。エンデヴァーを始め、サイドキックたちも当然知っている。いや、今や国民の大多数がその名を知っているだろう。雄英襲撃とは、それほどの大事件だったのである。
「ヴィラン連合だと?何故そこでヴィラン連合が出て来る。焦凍、藤原。何か心当たりがあるのか?」
『…雄英がヴィラン連合に襲撃された時に対
エンデヴァーが問うと、妹紅が一拍をおいて話し始めた。『あの脳無』の存在は未だに妹紅の心にシコリを残している。しかし、それは恐怖やトラウマから生まれた心の傷では無い。何時の日か己の手で決着を着けなければならない、という宿命染みたナニカを感じたからである。
まぁ、とはいえ奴は既に捕まっているので、出所した後に再び罪でも犯さない限りは再戦する機会など無いのだが。
『報告を聞く限り、あの時の脳無と特徴があまりにも似てやがる。偶然って訳じゃあ無さそうだ』
「オールマイトのパワーに加えて、更に2つの強個性だと…!?」
「ほ、本物のバケモノじゃないか…!」
妹紅に続いて轟が説明すると、聞いていたサイドキックたちが目に見えて狼狽え始めた。オペレーターや妹紅たちの元に向かっているサイドキックたちもインカムの先で絶句している。
それも致し方なかった。オールマイトに憧れるプロヒーローは多い。プロだからこそ一般人以上にオールマイトの凄さを理解してしまうのだ。エンデヴァーのサイドキックたちも上司の手前、大きな声では言えないが、オールマイトに憧れている者は多かった。そんなオールマイト並のパワーに加え、2つの強個性を持っているヴィランがこの街に3体も居るかもしれないと聞いて動揺してしまうのは仕方無いだろう。
しかし、そんな彼等を諌める男が居た。エンデヴァーである。唯一彼だけは冷静な思考を保っていた。
「ふん、落ち着け馬鹿者ども。現在、暴れている脳無とやらは少なくとも3人。各所でそれなりの被害は出ているようだが、オールマイト級のパワーを持っている奴が居れば、周辺は既に廃墟になっている筈だ。それに死者が出たという報告もまだ無い。恐らく、今暴れている脳無は雄英に現われた個体よりも弱いのだろう。戦闘能力の低さをカバーする為に複数体を投入しているのだと考えれば合点がいく」
「な、なるほど」
エンデヴァーは常にオールマイトの背中を見てきた男だ。故に、不本意ながらも彼の実力を詳しく把握していた。そして、そこから導き出された推測は十分な説得力が有り、サイドキックたちは落ち着きを取り戻す。
「となれば、この一連の騒動はヴィラン連合の犯行と見て良いだろう。オペレーター、保須市のヒーロー全員に情報を流して注意を促せ!そして、脳無共の個性情報を個体ごとに取り纏めろ!迅速にだ!」
『はっ!了解しました!』
「焦凍、藤原!件のアドレスに行くのは少し待て!後、4分…いや、3分もすれば、サイドキックがそこに到着する。それまで待つんだ!」
妹紅たちの話から、これら一連の事件はヴィラン連合による犯行に間違い無いと確信したエンデヴァーは、真っ先に情報の共有を命じた。更に、妹紅たちには待機を命じる。そこにヴィランが居ると決まった訳では無いが、エンデヴァーには妙に嫌な予感がしていた。悪い予感というのはこういう時に限って当たってしまうものなのだ。エンデヴァーは長いヒーロー活動の中で、そのような経験を何度も味わってきた。
『そんなに待ってられるか。俺たちはもうすぐ到着する。藤原、この辺りだ…上からじゃ陰になっていて良く見えねぇな。とりあえず、降りるぞ』
「待てッ!マズいな…。サイドキック!合流を急げ!」
それでも、妹紅たちは止まらなかった。これは明確な命令違反だが、2人は何よりも友の危機を優先したのだ。妹紅たちの行動に、エンデヴァーは焦燥感に駆られる。
『緑谷!それに飯田も!無事か!?』
『やっぱ、こういう事だったか。おい、聞こえているか?さっき言ったアドレスの場所に…クッ!―――ブツッ』
インカムから妹紅の焦り声が聞こえた。次に、聞こえたのは轟の声だ。しかし、何かをエンデヴァーたちに伝えようとしたところで、苦悶の声と共に彼のインカムは切れてしまった。
「焦凍!?おい、どうした焦凍!?何があった!?」
エンデヴァーはその場に足を止めて何度も問い質すが、轟からの応答は無い。代わりに妹紅が声を張り上げた。
『轟、大丈夫か!?コイツ、脳無じゃない…!紅い巻物に全身の刃物…ヒーロー殺し!』
「な、何だと!?撤退だッ!!焦凍を連れて今すぐ撤退しろ!急げッ!!」
エンデヴァーの血の気が一気に引いた。最悪のヴィランに当たってしまった。状況次第では、息子が殺される可能性も有る。エンデヴァーは即座に撤退命令を叫んだ。しかし―――
『負傷者多数!撤退出来なッ―――ブツッ』
「藤原!?応答しろ!藤原ーッ!!焦凍ーッ!!」
絶望的な言葉を残して、妹紅からの応答は途絶える。
今のエンデヴァーに出来ることは、ただ彼等の名前を呼ぶことだけであった。
妹紅と轟が装着していたインカム君
「「グワアァァッ!」」
以下、轟パパの心境の変化です(適当)
緑谷からメッセージが届いた当初のエンデヴァー
「ヴィラン居たら警察に通報する筈やし、こんなんただの誤報やろ。そんなことより焦凍が頭を下げてビックリ。仲直りフラグ有るでこれ!」
同時多発で事件が起きた時のエンデヴァー
「さっきのアドレスにヴィランが居る可能性がちょっとあるかも?念の為、サイドキックを送っといたろ(親心)」
ヴィラン連合に気付いた時のエンデヴァー
「ここでヴィラン連合が出て来るってどういう事なの…?あかん、なんか嫌な予感してきた…」
ヒーロー殺しだと知った時のエンデヴァー
「 ( ゚д゚ ) 」
エンデヴァーの心労はマッハです。