皆さんは理科や生物などの科目はお好きかな?
週明けの月曜日。妹紅と轟はエンデヴァーヒーロー事務所へと赴いていた。
大きなオフィスビルが丸ごとエンデヴァーの事務所として使われている事に内心驚きながらも、妹紅は轟と共に建物の中に入っていく。
「轟焦凍様、並びに藤原妹紅様。お待ちしておりました。到着次第、コスチュームに着替えて社長室に来るように、と
「どうも」
「あ…はい…」
妹紅たちを見つけるや否や、受付の女性が即座に近づいてきて深々と頭を下げた。彼女は要点を話し終えるとニコリと笑顔を見せる。そして、歩調を妹紅たちに合わせて案内を始めてくれた。
轟はぶっきらぼうなままだったが、年上から敬語で話された機会など買い物に行った時くらいしかない妹紅は、その洗練された動きに圧倒されていた。同時に憧れも感じる。こういった仕事の出来る女性というのは、実は妹紅の密かな理想像でもあった。
そして、各更衣室で着替えた2人は再び女性に案内してもらい、エンデヴァーの部屋へとたどり着いた。
「よく来た焦凍、藤原。歓迎するぞ」
部屋の中央にはエンデヴァーが、その横にはサイドキックのヒーローたちがズラリと並んで2人を出迎えた。30人近くは居る。恐らくエンデヴァーの全サイドキックが集まっているのだろう。たかが学生の職場体験という理由では、絶対にあり得ない待遇だった。
「雄英高校1年の藤原妹紅です。よろしくお願いします」
「…轟焦凍です」
妹紅が語先後礼でしっかりと挨拶をする一方で、轟は左右に控えるサイドキックたちだけに向けて軽く会釈するだけで済ませていた。轟家の家庭事情を知らないサイドキックはその様子を見て“ああ、息子さん今はきっと反抗期なんだなぁ。俺にもあったあった”と微笑ましく見守っている。不仲の理由を知れば、彼等はエンデヴァーにドン引きするだろう。知らぬが仏であった。
「早速だが、お前たちのヒーロー名を教えてもらおう。職場体験とはいえヒーローコスチュームを身につけた以上、お前たちは一端のヒーローだ。これよりはヒーロー名で呼び合うことを心懸けよ」
「チッ…。俺のヒーロー名は『ショート』だ」
「ほう、悪くないな!」
轟が舌打ちしながらヒーロー名を答えると、エンデヴァーは平静を装いつつも内心では歓喜していた。『焦凍』という名前は親である自分たちが考えて付けた名前だ。それを自らヒーロー名にしたというのだがら、父親であるエンデヴァーとしては嬉しかった。……実際は考えるのを面倒くさがった轟が適当に付けたヒーロー名なのだが、それは秘密だ。
そして妹紅の番となった。
「フェニックスヒーロー、『もこたん』です」
「もこ……」
「『もこたん』です」
「……」
「『もこたん』です」
エンデヴァーが押し黙る。想いを込めて付けたヒーロー名であるから、妹紅も譲らなかった。サイドキックたちの何人かは妙にハラハラしながら行く末を見守っている。
結局、折れたのはエンデヴァーの方だった。
「焦凍!藤原!お前たちは未熟だ!仮免すら持たぬ身でヒーロー名を名乗るなど烏滸がましい!サイドキックたちや他の者たちがお前たちをどう呼ぼうが俺は関知せんが、俺はお前たちの実力を認めるまではヒーロー名では無く、名前で呼ぶことにする!いいな!」
「はい」
「どっちだよ」
前言撤回するエンデヴァーに轟が呆れた様な声を出した。折れたのでは無く、逃げたともいえる。それでもエンデヴァーは気にせずに話を進めるのであった。
「うむ、それでは俺のサイドキックたちを紹介しよう。全員のヒーロー名と個性くらいは頭に入れておけ。職場体験とはいえ、いざという時があるやもしれんからな。ああ、お前たち2人の個性は既に伝えてあるから気にするな」
エンデヴァーの言葉に並んでいたサイドキックたちが順々に自己紹介を始めた。強い個性だけで無く、便利な個性を持ったヒーローたちも揃っており、彼等の自己紹介を聞いているだけでも結構面白い。
「自己紹介は終わったな。では次に、お前たち2人のスケジュールを伝える。まず、今日は訓練に時間を割くことにする。そして、明日は朝から移動し、東京都の保須市に出張する」
「保須…!」
「保須市だと?」
轟と妹紅が顔を見合わせた。保須市では飯田の兄であるインゲニウムが襲われ、重傷を負っている。犯人はヒーロー殺し『ステイン』という名のヴィランだ。これまで17人のプロヒーローを殺害しており、全国各地に転々と現れては複数のヒーローたちに危害を加えるという犯行を繰り返している凶悪ヴィランだった。
「そうだ、前例通りなら保須にヒーロー殺しが再び現れる可能性が高い。これ以上の被害を出す訳にはいかん!必ずや我らの手でヒーロー殺しを捕まえる!」
妹紅たちが驚いたのはヒーロー殺しが保須市に現われる可能性高いから、では無かった。真に驚いたのは飯田がその街を職場体験で訪れているという点だ。これは偶然なのだろうか、それとも――
「しかし、焦凍、藤原。お前たちは決して手を出さずに俺の監視下で待機、もしくはサイドキックたちの指示の下で避難誘導や後方支援にあたれ。何故かは分かるな?」
エンデヴァーに尋ねられ、妹紅は慌てて思考を元に戻す。妹紅たち職場体験生がヴィラン相手だとしても手を出してはならない理由。当然、妹紅たちは雄英の授業で習っていた。
「えっと…ヒーロー資格未取得者が公の場で個性を使用することは禁じられています。私たちはヒーロー科の生徒といえども、まだ一般人です。相手がヴィランであっても他人に危害を加える行為は暴行罪にあたります。更に個性を使用していれば、個性違法行使となります」
「例外は正当防衛。『急迫不正の侵害に対して自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずした行為』と認められたら
妹紅に続いて轟がそう答えると、エンデヴァーは大きく頷く。
「よく勉強している、その通りだ。しかし、ことヒーロー殺しとなると話は変わる。奴は強い。今のお前たちでは相手にならぬどころか、プロヒーローたちの足手まといになるだろう。法律云々に関係なく、お前たちがヒーロー殺しと交戦することは禁ずる」
「足手まといだと…?」
轟がイラついた声を出した。そもそも轟を鍛えたのはエンデヴァー本人だ。幼い頃は逆らうことも許されずに厳しい訓練の毎日を送ってきた。涙を流し、胃の中身を戻しながらも強くなり…その果てに母は心を壊した。轟に残ったモノは強さだけだ。それを否定されたのだから、轟の心境にも頷ける。
だが、エンデヴァーはそんな轟に手を向けて窘めた。
「落ち着け、焦凍。言ったはずだ、“今のお前たちでは”とな。確かにお前たちは強かろう。単純な戦闘力だけで考えれば、一線級のプロヒーローにも匹敵すると言っても過言ではない。しかし、お前たちは圧倒的に経験と技術が足らん!並のヴィランはともかく、ヒーロー殺しレベルのヴィランともなれば、確実に
エンデヴァーはヒーロー殺しの犯行を調べていた。凶器は刃物を使用しており、個性は恐らく拘束系だろうという事まで予想が付いている。更に、被害者の創痕は鮮やかで躊躇いの無い切り口ばかりであり、17人どころか遙かに多くの人間を殺しているのではないかとエンデヴァーは見ていた。その戦闘力は疑いなくトップヒーロー級。実際にトップヒーローの1人であるインゲニウムが倒されているのだから、その見立ては間違い無いだろう。
故に、学生である妹紅たちとヒーロー殺しを接触させる訳にはいかないのだ。その事を伝えると、轟は渋々といった感じで納得の意を示した。
「さて、焦凍と藤原は俺に付いてこい。炎熱個性用の訓練室に向かう。
「「「「はいッ!」」」」
エンデヴァーがサイドキックらに号令を飛ばすと、勢いの良い返事と共にすぐさま動き出す。一糸乱れぬ動きで社長室から出て行った。とはいえ、彼等の半数は夜間担当のサイドキックたちなので、このまま帰宅したり、仮眠室へと休憩に向かった者も多いのだが。
残った妹紅と轟もエンデヴァーに先導されて訓練室へと向かう。道すがらエンデヴァーが2人に声をかけた。
「お前たちの訓練は俺が直々に見てやる。教わる以上は俺の事を…そうだな、“エンデヴァー先生”とでも呼ぶがいい。焦凍、お前もだ。親子といえども最低限の礼儀は必要だぞ!」
「はい、エンデヴァー先生」
「は?ふざけろ」
オールマイトへの対抗心か、それとも素か。エンデヴァーは自らのことを教師として呼ばせようとする。妹紅は生真面目にも言われた通り敬称をつけたが、轟はひたすらに嫌悪感を示していた。
正直、“お前は最低限の礼儀どころか、親としての最低限すら満たしてねぇだろ”と言いたい轟だったが、隣に妹紅が居たので自重していた。
「く…!ま、まぁいい、仕事の話をするぞ。ヒーロー殺しについてだ。ヒーロー殺しの犯行の多くは人気の無い街の死角で行われている。路地裏などだ。ゴミなどの可燃物をはじめ、エアコンの室外機やプロパンガスのボンベなどもあろうな。焦凍、藤原。お前たちはそんな状況下で氷結や再生などの能力を使わず、炎だけでヒーロー殺しに勝てる自信はあるか?」
(…駄目だ、私の炎じゃ火事になりかねない。勝ち負けの話の前に、戦う事すらもままならないかもしれない…)
(チッ、
妹紅と轟が言葉によどむ。妹紅の強みというのは火力と再生によるゴリ押しだが、狭い路地裏ではその火力を活かせない。更に再生能力も使わずに、となると妹紅の戦闘力は激減するだろう。
また、それは轟も同様だった。轟は今までの確執から、戦闘において
「厳しかろう。焦凍の炎熱のコントロールはベタ踏み状態。藤原は火力が強すぎて細かなコントロールが出来ていないと見える。個性の制御不足。それがお前たち2人に共通する課題だ。故に、今日は個性制御の訓練を行う!」
豪語するだけはあって、エンデヴァーには炎のみでヒーロー殺しに勝てる自信があった。それは確かな実力で裏打ちされたモノだ。その技術を示すべく、そして伝授すべく妹紅たちを炎熱個性用の訓練室に連れて来たのだ。
非常に強固な防火設備で整えられた個性訓練室に3人が揃う。広々とした部屋の中心にはヴィランを模した人形が数体置かれていた。エンデヴァーが備え付けのノート型タブレットを軽く操作した後に、それを妹紅に手渡す。画面にはヴィラン人形が映し出されており、その各部位には『----℃』という表示があった。
「まずは手本を見せてやる。右腕400℃、左腕800℃、右足1200℃、左足1600℃、頭部2000℃、胴体…3000℃!」
エンデヴァーの右手から放たれた炎が10メートルほど離れているヴィラン人形を飲み込んだ。ヴィラン人形には各部位に炎用の温度計が付いており、その温度が妹紅の手元のタブレットに表示される。その値はほぼエンデヴァーが言うとおりだ。差があったとしても数℃程度の違いでしか無かった。
まずは400℃。炎の最低温度というのは大体
因みに、いずれも最高温度での場合ではあるが、煙草の火は850℃程度。アルコールランプで1000℃程度、ろうそくの炎で1400℃、ガスバーナーで1700℃、マッチの発火直後で2500℃、溶接用アセチレン酸素バーナーで3000℃の温度になる。
「凄いな。ほとんど誤差が無い」
「温度計に細工でもしてんじゃねえか?」
「細工などしておらん。後で、お前たちが自分で確かめてみろ…。そんな事よりもだ、炎熱系個性を扱う上で温度管理は重要だ。焼き過ぎてしまえば相手は死ぬ。俺は3000℃を優に超える炎をも扱えるが、人間相手には極力使わないようにしている。お前たち、何故人が火傷によって死に至るか知っているか?」
エンデヴァーが右手を払うと、ヴィラン人形から炎が消える。隙あらば
「熱によるタンパク質の変性だろ。内臓とかに重度の火傷を負ってしまったら、どんなに頑丈な奴だろうが死んじまう」
「うむ。人体の重要臓器が焼かれてしまえば、良くても重傷。悪ければ即死してもおかしく無いダメージとなろう。しかし、重要臓器が無事でも死ぬ事は多々ある。全身表面の50%以上を火傷すると人は死ぬ、という話を聞いた事は無いか?あれは皮膚が火傷しただけで、重要な器官は無事なはずだ。だと言うのに死に至る。藤原、何故か分かるか?」
火傷にも重症度で違いがあり、Ⅰ度や浅達性Ⅱ度、深達性Ⅱ度、Ⅲ度と順に酷くなる。成人の場合、Ⅱ度以上の熱傷面積が20%を超えると入院治療が必要となる程の重傷となるのだ。50%以上の火傷ともなると命を失うのも頷ける。
その理由をエンデヴァーが問いかけると、妹紅は頷いた。
「熱傷性ショックです。広範囲に重度の熱傷を負うと大量の血漿が火傷部分に流れ出てしまい、結果、体内の循環血液量が減少。多臓器不全などを引き起こし、死に至ります。更に感染症。細菌が火傷で壊死した細胞に感染する事で発症します。感染症が悪化して、もしも敗血症にでもなってしまえば、これも多臓器不全となり…非常に高い確率で死に至ります。他の死因は気道熱傷による窒息死などでしょうか…」
「ほう、その通りだ」
エンデヴァーが感心したように声を上げた。
熱傷性ショックといっても火傷の衝撃や痛みで死ぬ、という訳では無い。医学的な用語でいう『ショック』とは、重要臓器に血液が巡らずに細胞の代謝障害や臓器障害を引き起こし、それによって重度かつ生命の危機を伴う病態の事である。
また、敗血症も恐ろしい。敗血症とは、感染症で引き起こされる生命を脅かすような臓器障害の事だ。現代の火傷による最大の死因は、この敗血症だった。
「詳しいな」
「勉強した」
轟の簡素な褒め言葉に、妹紅も一言で返す。
妹紅は雄英入学前からしていた医学の勉強を続けている。特に個性柄、火傷の症状についてはかなり詳しくなっていた。
「良かろう、今の話は焦凍も覚えておけ。次だ。あのヴィラン人形の口元には温度計だけではなく、酸素濃度計測器も付けてある。藤原、タブレット画面の『酸素濃度』という所に触れてみろ。表示が切り替わる」
妹紅が言われた通りタブレットに触れると、画面内での表示が変わった。ヴィラン人形の口部分に『---%』という表示が出ている。
「本来、酸素濃度が17%を下回ると炎の燃焼は止まる。しかし、個性によって無理矢理燃焼させる事で酸素濃度を更に下げるのだ。それを今から見せてやる。よく見ておけ、酸素濃度16%、頭痛悪心や吐き気を催し、集中力が低下する。12%、目眩と吐き気に加え、筋力の低下が始まる。10%、嘔吐やチアノーゼ、更に意識不明などの症状が表われ始める。吐瀉物によって気管が閉塞し、窒息死する場合もあるから気をつけろ。8%、一呼吸で意識を奪い、昏睡する。吸い続ければ7~8分で死に至る。6%、一呼吸で痙攣、呼吸停止…放置すれば6分以内に死亡する。覚えておけ。それと、個人差がある事にも注意しろ」
エンデヴァーが順に炎を放ちながら、各濃度の酸素欠乏時の症状を話していくが、タブレットの表示には1%のズレも無い。正確無比の炎制御であった。
これには流石の轟も文句が言えないようで、ムスッとした顔でエンデヴァーを見ているだけだ。
酸素濃度の調整。これこそがエンデヴァーの秘技であった。
通常、大気中は約21%の酸素が含まれているが、人間が空気を吸い、吐き出した際の酸素濃度は16%程度となる。これは人間の肺胞で、濃度勾配に従ったガスの交換がされている為だ。
つまりは酸素濃度16%以下の空気を吸い込んだ場合、体内の酸素濃度の方が濃くなってしまうので、濃度勾配に従って体内の酸素が外に引っ張り出されてしまうのである。
――これは極論だが、酸素濃度10%の空気を吸い込んだ場合、『10%の酸素を取り込んだ』のでは無く、空気に『6%の酸素を奪われる』という事になるのだ。
更に、人間は血中酸素濃度が低下すると、延髄の呼吸中枢の命令により反射的に呼吸が行われてしまう。酸素濃度の低い空間であれば、反射呼吸で更に体内の酸素を失うという悪循環に陥る為、気をつけなければならない。
エンデヴァーが話を続けた。
「戦闘の際、俺はヴィランの顔に向けて炎を放っている。2000℃前後の温度かつ、周囲の酸素濃度を8%にする炎だ。炎を顔面に直撃させる事によって敵に強い痛みと精神的ショックを与え、血管迷走神経反射性失神を起こさせる。そして失神せずとも、ましてや直撃せずとも低酸素状態の空気を吸い込めば、一呼吸で意識を失う。目に見える炎を警戒させておいて、目では見えない攻撃を仕掛けるという訳だ。これを避けられる者はそうそう居ない」
血管迷走神経反射性失神。若年者や健康な人にも起こりうる失神の一種である。強い痛みや精神的なショック、予想外の視覚刺激や聴覚刺激、驚愕、怒り、ストレス、長時間の起立など、様々な原因によって交感神経の活動が亢進し、副交感神経が優位となる。すると血管拡張、徐脈となり、脳血流が低下して失神が起こるのだ。最も頻度の高い失神とも呼ばれている。
これに加え、周囲の酸素濃度を下げることでヴィランを徹底的に追い詰める。それがエンデヴァーの
「お前たちにはこの炎制御を覚えてもらう!最初は多少アバウトでも良かろう。だが、最終的には数十℃単位で炎の温度を制御し、1%単位で酸素濃度の調整を出来るようにしろ!」
「数十℃単位だと…?ヴィランとはいえ人間に向ける炎だ。もっと細かく制御した方が良いだろ」
「不要だ。炎というのは数千℃の世界だぞ。数十℃の違いでも誤差に過ぎんのだ。むしろ、炎を浴びせる時間を気にしろ。3000℃の炎といえども一瞬であれば火傷すら負わんが、最低温度の400℃でも長く浴びせれば重度の火傷を負う。行き過ぎた訓練など時間の無駄だ。もっと有意義なことに時間を使え」
轟がここぞとばかりに反論するが、逆に論破されてしまった。エンデヴァーは数℃程度の誤差しか無かったので、轟はそれを超えたかったのだろう。しかし、時間の無駄だという事も理解出来てしまった。苦々しい、複雑な表情をしている。
「そして、戦闘中に己の個性を一々気にする暇があると思うな。ゆくゆくは意識せずに感覚で制御出来るようになれ。そのレベルにまで達するには何年もの訓練が必要となってくるだろう。しかし、これを身につければお前たちの強さは飛躍的に――」
「いいから早く訓練させろよ」
「ぬぅ…!いいだろう、少し待っていろ……、よし、2つ目の人形の準備が出来た。さぁ焦凍、藤原!やってみろ!まずは温度制御からだ」
更に話を続けるエンデヴァーにウンザリしてきた轟が言い放つ。エンデヴァーも話が長すぎたと思っていたのか、すぐに準備を始めた。そして2つ目のタブレットを轟に手渡す。準備完了だ。
妹紅と轟は人形から10メートル程の距離をとってから、それぞれの的に向けて炎を放った。
(2000℃くらいを目安に炎を発したつもりだったのに、3000℃近くまで上がってる…。もっと抑えないと…)
妹紅は今まで自分の炎の温度を測った事など無かった。そもそも炎の温度を測るのは難しい。普通の温度計では高温すぎて測れないからだ。炎の温度を測るには、熱電対を使用した温度計であったり、光を利用した温度計であったりと特殊な温度計が必要になってくる。当然、そんな温度計が寺子屋に有るはずが無かった。それは酸素濃度計も同様だ。
「温度制御の次は酸素濃度の調整だ。片方に偏るなよ。バランス良く訓練して炎の感覚というものをしっかりと身につけろ。多少慣れてきたら、温度と酸素濃度の合同制御を行え。しかし、合同制御の難易度は高い。時には単独制御に振り返り、基本を見直すが良かろう。基礎こそが応用の一番の近道である事を覚えておけ!」
黙々と訓練を続ける2人に、エンデヴァーは適時適切なアドバイスを送っていく。いずれもエンデヴァーが自身で経験した事ばかりだ。それを一つ一つ丁寧に妹紅たちに教えてくれている。
「この部屋には、屋外の状況を再現するために送風機や湿度調整機、雨天再現用のスプリンクラーなどが設置されている。手元のタブレットでそれらの状況を変えられるし、ランダム設定も出来るぞ。通常状態で出来るようになってきたら、色々と設定を変えてやってみるといい。感覚を忘れぬ為にも、職場体験が終わってからも毎日訓練するように心懸けておけ。雄英にも同じような施設があったはずだ」
(雄英にもこういう施設が有るのか…。相澤先生に申請すれば使わせてくれるのかな?)
そんな事も思いながらも妹紅と轟は訓練を続ける。エンデヴァーはそんな2人の様子を見て笑みを浮かべていた。成長する若者の姿が微笑ましい…と言う訳では無い。
(雄英の炎熱用訓練室は1学年に1部屋しか無かったはずだ。そして焦凍たちの学年に炎熱個性持ちは、焦凍と藤原しかいない。炎の制御も条件次第でいくらでも難しくなるから、実際の難易度はほぼ無限だ。つまり、アイツらは今後3年の間、学校のある日の放課後は訓練室で2人っきりという事になる!それだけ密接な時間あれば、必ず芽生えるはず!淡い恋心!!)
エンデヴァーは雄英の卒業生だ。学生時代にはその訓練室に1人篭もって特訓に明け暮れた事もある。炎熱系個性はそう珍しくない個性だから、雄英にもまだ炎熱用訓練室は残っているだろう。エンデヴァーはそう考えていた。
その通りだ。エンデヴァーの予想は正しかった。ただし、炎熱用訓練室が1学年に
(雄英を卒業したら、焦凍と藤原は間違い無く俺の下に来るだろう。そこで、俺は2人の背中を押し、晴れて入籍!結婚!1年後には第一子誕生!2年目には2人目が!片方の個性を継いだとしても十分強い個性だ。ましてや、両親の個性が上手い事組み合った子どもが産まれてくれば…)
エンデヴァーの笑みが徐々に深くなっていく。脳裏には自分の息子がNo.1ヒーローになった姿が、そしてランキングのトップ10には孫たちがズラリと並んでいる姿が映し出されている。No.1どころか、まさかのランキング制圧である。エンデヴァーからしてみれば夢の光景かもしれないが、他人の目から見たらカオスすぎる。
「ハハハ!いいぞォ!!焦凍!藤原!ハハハハハ!!」
(うるせぇな…)
(うるさい…)
エンデヴァーが求める様な関係では無い妹紅と轟だったが、奇しくもこの時、エンデヴァーに対して抱いた気持ちだけは同じだったという…
轟ともこたんが職場体験に来た事で、ハイになっちゃったエンデヴァー。最短で4年後に孫の顔が見られるとか思っちゃっています。もうちょっと冷静になって欲しいです。