一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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闇の世界

 そこは、黒以外何もない、無の世界。

 

 一面に墨汁をぶっかけただけで何も描かれていない絵のように、空虚な闇の世界。

 

 そんな世界に、唯一色彩を持つボクは、ふわふわと雲のように闇の世界を漂っていた。

 

 なぜ、ボクはこんなところにいるのだろうか。

 

 どういう経緯を経て、ここへ訪れたのだろうか。

 

 何も思い出せない。

 

 この闇の世界には何もない。出口さえもない。

 

 まるでこの世界そのものが、ボクを逃すまいとしているように感じられた。

 

 だとするなら、この世界は牢獄だ。

 

 罪人の自由を束縛し、外の世界から隔離するという、世界からの阻害。それがボクに課せられた罰なのか。

 

 だが、罰には必ず、罪という前提があるもの。

 

 その「罪」とは?

 

 考えた。

 

 でも、ここにくるまでの経緯どころか、以前の記憶がまったく無い。全部抜け落ちていた。

 

 ボクの罪とはなんだ?

 

 ——がしっ。

 

 ふと、浮遊感以外の新しい感触が、ボクの足首にまとわりついた。

 

 人間の手だ……血塗れの。

 

「ひっ!?」

 

 ボクは喉からもがり笛のような声を出して震え上がる。

 

 その手を視線でたどり、持ち主を見つける。

 

 琳弓宝(リン・ゴンバオ)。

 

 その姿を見て、ボクはすべて思い出した。

 

 以前までの全ての記憶。

 地球で死に、異世界で生まれ変わり、武法という究極の体術に心惹かれて没入し、その生き方を認めぬ父を認めさせるために【黄龍賽(こうりゅうさい)】で優勝することを決意し家を飛び出し、予選で優勝し、帝都へ向かう道中にて馬湯煙(マー・タンイェン)の猟奇殺人を暴き、帝都で本戦に出場し、勝ち抜き、決勝戦を始める直前に武装集団が帝都を荒らし回り、仲間とともにそれらと戦い、皇族を助け出すために宮廷の地下へ行き、

 

 この男と戦った。

 

 そして、殺した。

 

 ならば、ボクの罪とは……

 

 ゴンバオは、声なく、唇の動きだけでこう言った。

 

 

 

 ——お前が殺した。

 

 

 

「ひぃっ!?」

 

 小さく悲鳴を上げ、肩を震わせるボク。

 

 姿形はゴンバオだが、目だけは違った。眼球ではなく、血を眼窩に溜め、その深い赤色にボクをはっきり映していた。

 

 逃げたい。ここから解放されたい。

 

 でも、どこへ逃げればいい。

 

 そうだ、ここは牢獄なのだ。逃げられるわけがないのだ。

 

 あらゆるモノを破壊する威力を誇る【打雷把(だらいは)】でも、何もない場所を砕けっこない。

 

 濁流のように思考を渦巻かせている間に、一本、一本、また一本と、血の塗れた手がボクの四肢へ掴みかかった。

 

 ゴンバオ以外のその者達は、皆、同一の格好をしていた。……帝都の市井で戦った、黒服たちだった。

 

 ボクが殺めたのはゴンバオだけじゃない。こいつらも殺した。

 

 その黒服の亡者たちも、眼窩に赤黒い血を溜め、それを頬へ涙のようにこぼしながら、口々に言った。

 

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 オマエガコロシタ。

 

「あああああああああああああ!! やめろ!! もうやめてくれよぉぉぉぉぉ!!!」

 

 ボクはとうとう錯乱した。

 

 耳を塞ぎたい。だけど亡者たちに腕を掴まれていてそれができない。

 

 怨念が何重にも重複し、ボクの耳へとなだれ込んでくる。

 

 オマエガコロシタ、オマエガコロシタ、オマエガコロシタ、オマエガコロシタ、オマエガコロシタオマエガコロシタオマエガコロシタオマエガコロシタオマエガコロシタオマエガコロシタオマエガコロシタオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガオマエガ

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!! ああああああああああああああああああああああああああ————」

 

 

 

 

 

 

「うあああああああっ!!!」

 

 ようやく体の自由がきいた! と思った瞬間、闇一色だった世界が急激に明るくなった。

 

 新鮮な空気の匂い——匂いがある。

 

 色彩もある。

 

 ばくばくと早鐘を打ち続ける心音を実感しながら、ボクは周囲をぐるりと見回した。

 

 豪華な一室だった。部屋のところどころに、きらびやかな飾りや調度品が邪魔にならない位置に置いてある。その中の一つでも売ってしまえば、ひと財産築けそうなくらいの価値がありそうだった。

 

 ボクが今背を預けていた寝台(ベッド)も、その部屋をいろどる華美な飾りの一つだった。庶民が寝るような硬質的な寝台ではなく、綿飴(わたあめ)を思わせるほどのふかふか敷布団と、羽毛がふんだんに詰まった掛け布団。寝台の四隅からは垂直に柱が伸びており、紗(しゃ)を周りに垂らした天蓋を支えている。真上を見ると、金糸の刺繍で描かれた美しくきらびやかな絵。

 

 まるでお姫様が眠るような寝台だ。なんでボクが、こんなところで寝ているのだろう。……さっき見ていたのは、夢だったのか。

 

 見ると、ボクは見たことのない薄手の寝衣を身にまとっていた。その下にある肌はぐっしょりと寝汗をかいていて気持ち悪い。三つ編みが解けて下された長い髪もなんかベタベタする感じ。

 

「お風呂入りたい……」

 

 今ちょうど思った事を口にした瞬間、その部屋に唯一ある扉が勢いよく開かれた。

 

 思わず身構えようとしたが、体に激痛が走ってうずくまる。痛った……なんだこれ。

 

 上目遣いで扉を睨むと、そこにはよく見知った顔と姿があった。

 

 ミーフォンだった。

 

「おねえ……さま」

 

 一日ぶりに見た感じがする妹分は、信じられないとばかりに目を大きく見開き、ボクの姿を凝視していた。

 

「ミーフォン、おは……」

 

 ボクはとりあえず挨拶しようとして、途中で止まる。

 

 見開かれた彼女の目元に、大粒の涙が浮かんでいたからだ。

 

 その涙滴をボロボロと数滴床にこぼしたかと思うと、ミーフォンはこっちへ向かって跳ねるように駆けてきた。

 

 ぶつかるようにボクの胸に飛び込み、背中にきつく腕を回して抱きついてきた。

 

「いってぇ——————っ!?」

 

 ぶつかった拍子に、衝撃以外の鋭い痛みを覚えて叫ぶボク。

 

 抗議の声をかけようとしたが、

 

「おねえさま……おねぇさま…………おねぇさまぁぁぁぁぁ……!!」

 

 ボクの胸の中で涙混じりのくぐもった声を出しているのに気づき、それは思いとどまった。

 

「ああああぁぁぁぁぁぁぁん…………!! うえええぇぇぇぇぇぇぇぇん……!!」

 

 泣いている。それもかなりひどく。

 

「どうしたの、ミーフォン」

 

 泣く子をあやすような口調で話しかける。

 

 ミーフォンは顔を上げた。ようやく母親に会えた迷子のような泣き顔だった。

 

 そんな妹分ににこりと微笑みかけると、

 

「あああああああああああああああんおねぇさまぁぁぁぁぁぁ!! ああああああああん!! うおおおおぉぉぉん…………!!」

 

 また大泣きしてしまった。

 

 こりゃ……落ち着くまで待った方がいいな。

 

 ワンワン泣き続けるミーフォンの背中を優しく撫でさすりながら、ボクは落ち着くのを待った。

 

 しばらくしてようやく落ち着きを取り戻したミーフォン。しかし涙としゃくりは止まらないようで、そのまま幼児のようにたどたどしく話し始めた。

 

「おねえさま……ここしばらく、目をさまさなかったんです。血まみれで医務室にはこばれてきて、医師も、よだんをゆるさない状況って、それで治療して…………そのままおきなくて……」

 

「しばらく目を覚さなかったって……ボクは何時間寝てたの?」

 

「一ヶ月」

 

 あっさり出されたべらぼうな日数に、ボクは仰天した。嘘だろおい。

 

 ミーフォンは涙の量としゃくりを増やしながら言葉をつむいでいく。

 

「ひくっ、それで、一命はとりとめたけど、ひぐっ……おねえさま、ぜんぜん、ひぐ、目をさましてくれなくて…………あたし、もういっしょう、ひくっ、起きてくれなかったらどうしようって、ひぐっ、しんぱいでしんぱいで……しんぱいしすぎてしんじゃいそうでした」

 

「ミーフォン……」

 

 どうやら、かなり気苦労をかけたようだ。

 

 その頭を撫でてやろうとした瞬間、ミーフォンは泣き顔を上げて吐き出すように言い募ってきた。

 

「おねえさまのばかあほ!! おおうそつき!! 死なないっていったじゃない!! すっごくしんぱいしたんだからっ!! おねがいだからもう無茶しないで!! あたしをひとりにしないでよぉっ!!!」

 

 ぽかぽかと、ボクの体を叩いてくる。

 

 ああ、ボクは悪い女だな。

 

 この子を、泣かせちゃった。

 

 でも、泣かせたなら、泣き止ませればいい。

 

「めっ」

 

 ボクはミーフォンの頭を軽く叩いて、優しく叱るように一声。

 

 こちらを見上げてポカンとしている彼女を見つめ、口元を微笑ませながらゆっくり言った。

 

「嘘つき、じゃないでしょ? 目の前にいるボクは、お化けなのかな?」

 

「ううん……」

 

「だよね。ちゃんと生きてるよね。ちゃんと生きて君の側にいるじゃない。それでも、不満かい?」

 

「ううん」

 

「だよね。なら、それでいいじゃない」

 

「よくないっ!」

 

 ミーフォンはキッと泣き顔でボクを睨む。

 

「これから先、またこういう事が無いとも限らないんです!! お姉様は優しいから、すぐに人のために頑張ろうとする!! あたし、お姉様のそんな所が大好きだけど大嫌いっ!! そうやって人のために頑張って、それでボロボロになったり死にそうになったりして、それを見て傷つく人の気持ちに気づかない!! 馬湯煙(マー・タンイェン)の時といい、今回といい、あたしがどんな気持ちでお姉様を見つめてきたか、分かりますかっ!?」

 

 刺すような口調でそれを言われたボクは、心に刺さるものを感じた。

 

 確かに、この子の言う通りかもしれない。

 

 自分は自分だけのものではない。そんな基本的なことを、ボクは忘れていたのかもしれない。

 

 ボクだって、ミーフォンが意識を失ったまま何ヶ月も目覚めなかったら、きっと気が気でなくなってただろう。

 

 けど、ボクも誰彼かまわず身を捧げるほど、バカじゃない。ちゃんと、大義があったのだ。

 

「ボクはね……そんな小説の英雄みたいな女じゃないよ。いつも目先のことに必死なだけさ」

 

「なら、なんでお姉様はそんなに頑張るんですか!?」

 

「……それは、ボクにしかできない事だったからだ。その状況で、その状況を打破できるのが、ボクだけだったからだよ。ただそれだけの話さ。タンイェンの時も、今回も」

 

 ボクは、気を失う直前のことを思い出しながら、素直な気持ちを口にした。もしあの場でボクがゴンバオと戦わなければ、皇族は必ず殺されていただろう。そうなればこの国は乱れ、権力を持った者たちが宙に浮いた帝位をめぐって争いを繰り広げたことだろう。

 

 そう、あの場でボクが戦い、勝たなければ、そうなっていた。だから戦ったのだ。

 

「でも……心配をかけたのは事実だ。ごめんね、ミーフォン」

 

 そう言って、ボクはそっとミーフォンを抱き寄せた。鼻をくすぐるこの子の香りが、なんだか懐かしく感じられた。

 

「お姉様……」

 

「お詫びと言ってはあれだけど、何かして欲しいことがあったら言ってごらん。出来ることなら何でもしてあげるから」

 

「じゃあ、お姉様の腋舐めたいです」

 

「やだってば」

 

「ふふっ」

 

 二人してくすぐったそうな笑みをこぼす。

 

 しばらくそうやって抱き合っていると、落ち着いた足音が近づいてくるのを聞き取った。

 

「っ! シンスイ! 目を覚ましたのね!」

 

 その足音の主であるライライは、開けっ放しな扉越しにボクの姿を確認すると、嬉しそうに声を弾ませて笑った。

 

「一ヶ月くらい寝てたらしいね。随分心配かけちゃったな」

 

「まったくだわ。血塗れの状態で内廷(ないてい)に運び込まれたってチュエ殿下から聞いた時は、血の気が引いたわよ。まったくもう」

 

 責めているような苦笑をこちらへ向けるライライに、ボクはごめんねと謝った。

 

 ……ん? 今、妙な単語を聴いたぞ?

 

「ライライ、ボクは内廷に運び込まれたの? ……ということは、ここは内廷なの?」

 

「そうよ。救国の英雄に対する最大の処置として、名医を呼びつけて治療させたそうよ。そんな名医の目から見ても、あなたは生きてるのが不思議なくらい酷い怪我だったみたい。どんな無茶をしたらここまでボロボロになれるんだ、って驚いてたって」

 

 ……救国の英雄。

 

「ライライ……帝都の暴動は?」

 

「完全に鎮圧したわ。武装集団を圧倒できたこと、スイルンが司令者の趙緋琳(ジャオ・フェイリン)って女を無力化させたこと、そしてシンスイ……あなたが敵の親玉を倒して、皇族を守り抜いたおかげでね」

 

 その言葉を始まりに、ライライは聞かせてくれた。

 

 戦いの終わりに至るまでの経緯を。

 

 

 

 

 

 戦いは、その日のうちに終わったという。

 

 市井の人たちを含む非戦闘員を全て【尚武冠(しょうぶかん)】に避難させたらしい。

 

 しかし、それでめでたしめでたしとはいかなかった。

 

 人を殺して回るという目的がなせなくなった武装集団は、今度はもぬけの殻となった市井の家々を略奪しに回ったという。

 

 それも、遊撃班の手によって防がれたが。

 

 もはや帝都で自分たちにできることなど何もないと悟ったのだろう、武装集団は帝都から逃げ出そうとした。十人くらいを捕まえることには成功したが、それ以外は逃げてしまった。

 

 それから、国と民が最初に始めたことは、市井の復興だった。敵の撒き散らした薬による麻痺からようやく回復した兵士たちも、それに積極的に協力した。有事の際に何もできなかった後ろめたさもあったのだと思う。

 

 ……ちなみに【黄龍賽(こうりゅうさい)】の決勝戦だが、街の復興などの事後処理のため、争乱終了から三ヶ月後に延期となったという。これにはボクもホッと胸を撫で下ろした。もしボクが眠っている間にスイルンの不戦勝になっていたら、ボクは家で官吏になるための勉強地獄か、あるいはミーフォンのお嫁さんという究極の二択を迫られていただろうから。

 

 閑話休題。

 

 あれだけ活気があって整然とした大通りは、まるで台風でも通過したかのような酷い荒れようだったという。火災が起きている家も何軒かあり、燃え移りを防ぐために隣の家を破壊しなければならず、さらにゴミの量を増やすことになった。

 

 さらに、当然ながら死体なんかもそこら辺に転がっていたので、埋葬も行った。死体の家族がいたらその人たちに引き渡し、いなければ無縁墓地に集団埋葬するとのこと。

 

 大切な人に死なれた人は少なくなく、その人たちはみんな泣きながら自分の家を片付けていたという。どれだけ悲しくても苦しくても、時は流れていく。立ち止まっている暇などないのだ。

 

 その悲しみが『琳泉郷(りんせんごう)』への憎しみへと変わるのは必然という他なかった。

 

 黒服の残党十人と、それらの指揮官たる趙緋琳(ジャオ・フェイリン)という女。彼らに対して「殺せ」という声が相次いだ。

 

 無論、皇帝の膝下たる帝都を恐怖と混乱に陥れたのだ。朝廷とて死罪が妥当と判断していた。しかし、ここで残党を消してしまえば、『琳泉郷』のその他の情報もそのまま闇に消えてしまう。なので朝廷は、残党に対して尋問を行なったという。

 

 だがその途中、一番尋問したかった相手であるフェイリンが脱走した。見張りの兵はみな首をへし折られて絶命していたという。

 

 この事は、一部の者を除いてまだ知らない。もし知れたなら、民に不安を煽ってしまうか、もしくは暴動を起こさせてしまうからだ。なので箝口令(かんこうれい)をしいて行方を調査中とのこと。

 

「え? 箝口令? そんなことをボクなんかに話しても良かったのかい?」

 

 そこまで話を聞いたボクは、至極まっとうな意見をライライたちへぶつけた。……ちなみにライライはルーチン様の近侍という立場上耳に入ってしまい、ミーフォンは【琳泉把】の弱点をチュエ殿下に伝えたという功績を認め、知ることを許されたらしい。

 

「——今更すぎる意見だぞ、我が友よ」

 

 また一つ、違う声が部屋に響いた。

 

 扉にいたのは、第一皇女のチュエ殿下だった。ただし普段着仕様なのか、その衣服の煌びやかさは控えめだった。

 

 その隣にいたのは、

 

「リーエンさん! 生きてたんですね!?」

 

 そう、地下室で満身創痍だったリーエンさんが、普通に護衛官の赤い制服を着て皇女殿下のそばに控えていた。もう助からないかも、と思っていたボクにとって、それは数少ない朗報の一つだった。

 

「貴女の負傷に比べれば、擦り傷のようなものでした。……貴女こそ、よく生きていてくださいました」

 

 いつも淡々と言葉を述べるリーエンさんだが、今回は少し口調が柔らかくなっている気がする。口元にもうっすら笑みが浮かんでいる。

 

 そんなリーエンさんの足を、皇女殿下は軽く蹴った。非難がましい口調で、

 

「何が擦り傷だ、この痴れ者めが。医師から止められているにもかかわらず、無理を押し通して任務に出ているくせに」

 

「……そう思っておられるのなら、蹴らないで頂きたいのですが。それに休んでばかりもいられません。私は今や、宮廷護衛隊の隊長なのです。隊長たるこの身が柔らかい寝台で寝転がっていては、部下に示しが付きません」

 

 大きくため息をもらしながら言うリーエンさん。いつもの状態に戻った。

 

 そういえば、隊長だったゴンバオがもう死んだから、必然的に位が一コ下のリーエンさんが隊長になるのか。

 

 ……ボクの心が、ガラスの破片が刺さったように鋭く痛むのを感じた。

 

「すみません、リーエンさん……あなたの尊敬していた人を、ボクは殺してしまった」

 

 リーエンさんに対する、そんな罪の意識ゆえであった。

 

 対して、彼はやや気落ちする様子を見せたものの、すぐに普段通りの醒めた表情に戻った。

 

「謝る事など何もありません。貴女は彼を打ち倒し、この国の未来を護ったのです。……貴女は、この煌国の英雄だ。尊敬の念を抱きこそすれ、なにゆえ恨む事がありましょう」

 

「……でも、ボクは」

 

「【琳泉把】を使えるから英雄の資格がない、か?」

 

 その先に続けようとしていた言葉を、皇女殿下が代弁した。

 

 ボクは頷く。

 

 ちょっと家柄が良いだけのボクを、内廷の医務室で手厚く看護している理由が、分かる気がするのだ。

 

 「これは、隔離なのではないか」と。

 

 ボクは、【琳泉把】が使える。いわば危険人物なのだ。そんな輩を野に放てば、伝承を流出されるかもしれない。そう思って、自分たちの手の届く場所に囲い込んだのではないだろうか。

 

 そんな考えを読んでいるのかいないのか、皇女殿下はふるふるとかぶりを振った。

 

「シンスイ、我々はキミに罰を与えるつもりはない。キミはリーエンの言う通り、この国を危機から救ってくれた救国の勇者だ。キミがゴンバオとやらと同じように【琳泉把】を広めたりしない限りは、我ら一同、何も見なかったことにしよう」

 

「……本当に、よろしいのですか」

 

「無論だ。むしろキミのお陰で、【琳泉把】のより詳しい実情と、その対処法を明らかにできた。我が祖父『獅子皇』は、【琳泉把】の情報の流出を恐れて、自分で得た情報まで闇に葬るという徹底さを見せていたからな。だから我々にも、【琳泉把】のことがはっきり分からなかったのだ。それゆえ、キミにはむしろ感謝しかないのだ」

 

 ボクはその寛大な処置に、胸がじんわり熱くなるのを感じた。

 

 最悪、隙を見て逃げ出して逃亡生活を送ることも視野に入れていたのだ。今ではその企みがかえって恥ずかしくなった。

 

「……だが、その代わりと言ってはなんだが、キミに一つ、やってもらいたいことがある」

 

「やってもらいたいこと、ですか?」

 

 うむ、と景気良くうなずくと、その高貴な美貌にニンマリといい笑顔を浮かべ、次のように要求した。

 

「——歴史に名を残してもらう」

 


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