一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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防衛班②

 ——【尚武冠(しょうぶかん)】正門前の防衛戦は、最初の敗色濃厚なさまとはガラリと戦況が変わっていた。

 

 陽炎のような残像を残しながら近づき、斬りかかる黒服。対し、防衛班の武法士が複数で敵一人にあたり、死角という死角から剣で貫いた。敵がまた一人倒れて息絶える。

 

 防衛班は、最初のうろたえようが嘘のように、果敢に挑み、そして的確に敵を倒していた。

 

 十分に距離を取った上で機先を制する。それが難しいなら一人の敵に対して複数でかかる。防衛班の基本的な戦法はそれに終始していた。

 

 そんな劇変っぷりを、姫兎飛(ジー・トゥーフェイ)は戦いながら見ていた。

 

 この変化はひとえに、皇女が高みから伝えてくれた戦術のおかげに他ならない。

 

 皇女は敵の使う武法の正体が【琳泉把(りんせんは)】だと伝え、その能力、能力への対処が可能な戦法を防衛班全員に告げたのだ。

 

 なぜいきなり敵への対処法が分かったのだろう? 前線で戦う自分たちでさえ、敵の情報がほとんど掴めなかったというのに。

 

 そんな風に一度は不審がったトゥーフェイであるが、彼女は皇族だ。何か秘密の情報網があるのだろう。そう思うことにした。皇女が伝えてくれた情報のおかげで、こうして戦況は良い色に変わりつつあるのだ。それでいいだろう。

 

 視界の端に、敵に斬られそうになっている味方の姿が映った。トゥーフェイは指先から「長い直剣」の形をした勁を伸ばす。その不可視の刺突は敵の胸を貫き、その息の根を止めた。

 

 自分が最前線で立つ役目はもう終わった。もう彼らは自力でこの黒服軍団と戦えるだろう。ならば自分の役割は、犠牲者を少しでも減らすべく援護をしてやることだ。

 

 だがこれも結構大変な仕事だった。自分の身を守りながら、常に前線の戦いに目を凝らしていないといけないからだ。それに、そもそも一人で全員を援護するのは物理的に不可能であるため、やはり仕損じて味方を斬られてしまうことは避けようがない。

 

 面倒な役回りだった。これだから働くのは嫌いなのだ。一つの仕事が片付いても、次の仕事がやってきて、それが終わってもなお別の仕事が生まれる。延々に終わらぬ苦行。

 

 大将首を落とせばこの戦いも収束するのだろうが、その「大将首」とやらが誰なのかも、まだ分かっていない状況なのだ。それでは首級を上げたくても上げられない。

 

 ——いや、ちょっと待った。

 

 そうだ。この黒服連中に指示を与えている、「指揮官」の存在が見当たらないではないか。

 

 逐一司令を与える指揮官がいない以上、こいつらは前もって与えられた「単純な司令」にもとづいて暴れまわっていることになるのではないか?

 

 こうして市井で暴れまわっているところを見ると、その「単純な司令」とは、市井の制圧だろうか?

 

 しかし、そう決めつけるべきか迷った。もう【琳泉把】とやらの弱点はこっち側に筒抜けだ。「複数の拍子を一拍子の中に圧縮する」という破格の能力も、すでに強みの半分ほどを失った状態である。——にも関わらず、黒服連中の動きには大きな変化が見られない。

 

 つまり、この連中に事前に与えられている「単純な司令」とは、「暴れるだけで良い」ということになる。だって、もし市井を攻略することが目的なのだとしたら、弱点がバレた今なおあれほどの気勢を保ってはいられないだろうから。

 

 それが真実だと仮定しよう。そうなった場合、この連中が行う「ただ暴れるだけ」という行為には、一体どういう意味が隠されて——

 

 

 

 紫色の風が、トゥーフェイを横切った。

 

 

 

 その紫の風は、黒服相手に応戦し続ける防衛班の中に入り込んだ。——瞬間、群雄たちが体のあちこちに血の華を満開に咲かせた。

 

「なっ……!!」

 

 緊急事態になってもなおボンヤリした表情を崩さなかったトゥーフェイの顔に、初めて驚愕が浮かんだ。

 

 なんだ、いまのは。

 

 一瞬で多くの味方を殺傷せしめたその紫風は、やがて天に登った。速度が下がるたびに、朧のかかった不確かな姿から、ハッキリとした人間の形へと戻った。その紫紺の衣服をまとったその人物は、空中で何度かトンボを切りながら位置を移動させ、敵味方がぶつかり合う位置から離れた位置へ軽やかに着地した。

 

 女である。自分と歳が近いくらいの。

 

 やや短めに整えられた栗色の髪と、紅玉のような双眸。麗人然とした中性的な顔立ち。

 手首足首までを包む天鵞絨(ビロード)生地の紫の上下衣には、細くもメリハリのきいた肢体の曲線美が浮かび上がっており、上品でありながら艶めかしい印象を受ける。

 

 その右手には、血の滴る短刀。

 

 生き残った防衛班の武法士らは、それを目にしたことで、この紫の女が大勢の仲間を一瞬で殺したのだと判断したのだろう。

 

「おのれぇっ!!」

 

 彼らは燃えるような憤激に駆り立てられるまま、紫の女に突っ込んでいった。

 

「やめろ!! 下がって!! あなたたちじゃ敵わない!!」

 

 柄にもなく、必死に声を張り上げるトゥーフェイ。あの女が持つ非凡な実力を、すぐに看破したからだ。

 

 けれど、その柄にもない頑張りが報われることはなかった。

 

 女が再び紫の風と化し、向かってきた防衛班の間を目にも留まらぬ疾さで駆け巡った。通過した場所にいた者は例外なく急所から血を噴き出し、絶命した。

 

 女が止まる。その後ろには、さっきまで防衛班だった死体の山が出来上がっていた。

 

「他愛ありませんわね」

 

 中性的で艶のある声で、女は言った。

 

 敵味方問わず、その尋常ならざる強さに我が手を止める。

 

 が、黒服たちはその女を味方と判断したようだ。(とき)を上げて再び勢いを取り戻し、一気に数を減らした防衛班の者たちへとなだれ込んだ。一方、防衛班らは強力な敵の登場で多少気勢を削がれたのだろう、黒服たちに対応するのが少し遅れ、犠牲者を新たに数名増やすこととなった。

 

 もはや両陣営の人員の差は互角。それは、防衛班が「数の有利」を失ったということを意味する。つまり劣勢。

 

 たった一人の登場で、形成が一気に逆転してしまった。

 

 泥沼と化した戦線を、その紫の女は他人事のように見つめていた。

 

「へぇ、(わたくし)達の武法のことをよく理解した上で、それに応じた戦法を見せていますわねぇ。けれど、【琳泉把】は数度見ただけで理解できる代物ではありませんし……もしかして、裏切り者がいるのかも……」

 

 思案するようにブツブツ独り言を言う女めがけて、トゥーフェイは問答無用で勁力を飛ばした。形状は地面と平行に真っ直ぐ伸びる刃。上半身と下半身を別れさせてやる。

 

 その勁力が紫女の腰に触れる直前、その姿が消え——

 

「へぇ、遠距離まで届く勁撃ですの? 面白い技ですわねぇ」

 

 た、と思った瞬間、背後からその声が聞こえた。

 

「!!」

 

 驚愕したのとほぼ同時に、背中の真ん中に短刀の切っ先が触れた。

 

 しかし、触れはしても、刺さることはなかった。刺突も、広義的には「打撃」に分類される攻撃法。そうである以上、トゥーフェイの肉体に刻み込まれた【空霊衝】が黙っていなかった。刺突にこもった運動量が波として大地に伝わり、それと等量の反力が返ってきて、短刀の直撃位置へと戻ってきた。

 

「えっ……」

 

 自分が生み出した衝撃で弾かれた女は、唖然とした声と顔をしていた。

 

 重心を崩しかけて不安定になっているこの一瞬を、トゥーフェイは有効活用した。指先から剣尖の形をした勁力を伸ばし、女の短刀の腹に当てた。その短い刀身は半ばから半分に折れた。——紫女が最初の遠距離勁撃を回避した。であれば、あの女はまた飛んでくるであろうことを予測し、隙を見せている間は【硬気功】で自分を防御するはず。なら、【硬気功】の恩恵を受けられない武器を狙い、破壊しておく方が比較的良いだろう。

 

 重心の安定を取り戻した紫の女は、その麗人の顔に好戦的な微笑を浮かべた。

 

「……なるほど、読めましたわ。【空霊衝】ですのね? 道理で刃物が通らないわけです」

 

 トゥーフェイは我知らず喉を鳴らす。

 

 ——やっぱりこの女、強い。

 

 最初に、トゥーフェイが不意打ち気味に放った勁力の刃にも、この女は即座に対応してみせた。わずかな空気の流れから勁力の刃の存在を察知した上で、【琳泉把】特有の俊足で回避し、そのままこちらの背後を取った。

 

 しかも、この女の【琳泉把】は、あの黒服の軍勢よりもはるかに速かった。「一拍子」の中に圧縮できる拍子の数が、間違いなく二拍子を超えている。

 

「申し遅れましたわ。私、趙緋琳(ジャオ・フェイリン)と申します」

 

 その女は自らの名を名乗り、一礼した。……その挙動は洗練されていて、どこか育ちの良さを感じさせた。

 

 トゥーフェイはジッと睨み、

 

「……あなたがこの黒い連中の親玉?」

 

「当たらずとも遠からず、でしょうか。私たちは『琳泉郷(りんせんごう)』という一団です。我々の首領は、その一団の名前の元になった村の生き残りにして、私の義理の父、琳弓宝(リン・ゴンバオ)。私は弟子であり、副官ですの」

 

 『琳泉郷』。それは、あの黒服とフェイリンが使う武法【琳泉把】の発祥地。

 

 『獅子皇』の勅によって滅んだ、不運な村。

 

 トゥーフェイは確信した。——この戦いは「復讐」なのだ。不当に滅ぼされた自分たちの村や、その住人の。

 

「その首領はどこにいるの?」

 

「教えるわけありませんわ。そもそも知る必要もありません。貴方はここで、死体になるのですから」

 

 そうあっさりと口にした次の瞬間、フェイリンの姿が消え、真後ろに存在感が現れ、自分の喉元に腕を回してギュッと締め上げた。気道が狭まり、呼吸が苦しくなる。

 

 この女は実に賢しかった。打撃では意味がないと分かるや、「ならば締め技はどうだろうか」という手を即座に思いついたのだ。締め技は「打撃」ではないから。

 

 しかし、【空霊衝】はそれも折り込み済みで、技術体系が組まれている武法だった。大地を踏ん付けて生み出した力を背中から発し、フェイリンに浴びせかけた。呼吸法が使えなかったため力の形を整えることはできなかったが、それでも相手を吹っ飛ばすことくらいはできた。

 

 吹っ飛んだフェイリンがたたらを踏んでいるわずかな隙を狙い、トゥーフェイはもう一度背中から勁力を撃ち出した。剣尖の形をした不可視の力が、フェイリンの胸に真っ直ぐ向かっていく。

 

 しかし、ギィン! という、金属同士が強くこすれるような音が聞こえた。フェイリンは自らの両手に【硬気功】を施し、剣尖状に伸びてきた勁力を受け止めたのだ。

 

 その的確な防御に、敵ながらあっぱれと感じたトゥーフェイ。あの刹那の瞬間、しかもわずかな空気の流れから自分の不可視の力の軌道を見破り、あらかじめ【硬気功】をかけておいた両手で防いだ、といったところか。それを土壇場やってのける豪胆さは賞賛に値する。

 

 重心の安定を即座に取り戻したフェイリンの姿がまた消える。薄紫の霞のように、目の前に現れる。

 

 もう近づかれたくない。

 そう思ったトゥーフェイは全身から「剣」を生やした。五体の至るところの表面から外側へ向かって、剣の形に変えた大地の力を発したのだ。

 

 ハリネズミのようにいっぱい生やした。これだけ綿密に剣を出せば、近づいた相手は絶対に避けられず、突き刺さる——はずだった。

 

「貴女、戦い慣れしてませんのね」

 

 しかし、この女ときたらどうだろう? あれだけたくさんの剣勁を、まるで針に穴を通すような身のこなしで全て避けてみせたのだ。

 

 トゥーフェイは己の目を疑った。なんだこの女は。こっちの頭の中を覗き見る力でもあるのか? こちらの心を読み取った上で避けているとしか思えない、神がかった回避だった。

 

 この刹那の瞬間、トゥーフェイの思考は驚くほど高速で働き、その原因を見つけ出した。

 

 

 

 ——切れ目(・・・)だ。

 

 

 

 トゥーフェイの衣服のあちこちに、刃物で刺してできたような切れ目があった。

 

 それを見て確信する。手以外の部分から刃状の勁力を発した時、自分の服に穴が空いてしまうのだ。

 

 今更ながら、もっともなことだと思った。だって、勁力は服から出ている訳ではなく、素肌から出ているのだ。素肌から剣が生えでもすれば、その上に被さっている衣服を貫いてしまうのは当然と言えよう。

 

 さらに、この切れ目が出来上がるのを見ていれば、たとえ不可視であっても容易にその軌道が読めるはずだ。どこに飛ぶのか分かっていれば、防御も回避も難しくない。

 

 今まで気がつかなかった【空霊衝】の弱点。それに気づけなかった己の不注意。

 

 「戦い慣れしてませんのね」というフェイリンの言葉が、胸に突き刺さるようだった。

 

 不可視の剣が消え、フェイリンがさらに間合いの奥へ踏み入ってくる。

 

 フェイリンの手が閃いたと思った瞬間、胴体の”五ヶ所”へ同時に衝撃を受けた。

 

 当然ながら「打撃」であるため、フェイリンは【空霊衝】の衝撃反射に引っかかって吹っ飛ぶこととなった。

 

 だがしかし——トゥーフェイも片膝を屈してしまった。

 

「ぉえっ……!!」

 

 酒杯一杯分ほどの血を、石畳に吐出した。赤黒い模様を描く。

 

 全身から血の気が引いたみたいに寒い。まるで真冬の雪原に裸で立っているみたいだ。

 

 なんだこれは。あいつの打った衝撃は、全部まとめて跳ね返したはずだ。なのにどうして自分が血なんか吐いてる? 

 

 顔を上げ、敵の姿を見る。フェイリンはすでに受け身をとってから立ち上がっており、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。

 

 その赤い両眼を爛々と光らせ、口端を吊り上げながら、なぶるような語気で口にした。

 

「「同時に押してはならない経穴」を押したのですわ」

 

「……なに?」

 

「経穴は、押した箇所に応じて、肉体に良い変化も悪い変化ももたらす。けれど、良い変化をもたらす経穴にも、同時に押すと、健康どころか害をもたらす組み合わせがいくつか存在するのですわ。貴女はしばらく、技を使うことや、気を練ることが困難なほどの不調に苦しむことでしょう」

 

 凍ったように冷たく、岩石を巻きつけたように重たい我が身を起こしながら、白い前髪の下からフェイリンを睥睨する。

 

「この……赤眼女……」

 

 それは、何気ない悪態だった。

 

 しかし、相手は「何気ない悪態」以上の受け取り方をしたようだ。

 

「…………眼が赤いから、何よ」

 

 ふと、フェイリンのまとう雰囲気が変わった。

 

 今まで涼しげだった雰囲気が、爆発前の火山のような状態に変わる。

 

「——眼が赤くて、何が悪いんだよっ!!!」

 

 爆発。

 

 フェイリンが紫の風のようにこちらへ近づいたと思った瞬間、全身のあちこちから次々と衝撃が叩き込まれた。竜巻のように周囲を周りながら、ひっきりなしに蹴りを繰り出してきているのだ。

 

 技が満足に使えないため、衝撃の反射もできない。トゥーフェイはただひたすらにやられ続けるだけだった。

 

 かと思えば、足を払われ、仰向けに転ばされた。

 

 フェイリンはそんな自分の上に馬乗りになり、何度も何度も顔面を殴りつけてきた。

 

「ちくしょう!! 殺す!! 絶対にお前を殺してやるっ!! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」

 

 まるで人格そのものが変わったような狂いようだった。

 

「死ね! 死ね! さっさと死ねよ!! 私の前から消えてなくなれよ!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ねぇぇっ!!!」

 

 赤い瞳をギラギラと不気味に光らせ、顔に深い怒り皺(じわ)を刻み、口端を泡立たせながら怨嗟を吐き散らす。その表情は、先ほどまでの華やかな貴人然とした印象とは似ても似つかぬ、ケダモノのような顔だった。

 

 想像がつかぬほどの、深い憎しみ。

 

 彼女の顔には、それがむき出しになっているような感じがした。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………そうだ、お前も私と同じ赤眼になれ。その忌々しい目玉をくり抜いて、お前の血を空っぽの眼窩に注いでやる! そうすれば、私と同じ痛みが分かるだろうさ! それを感じながら逝け!! 逝け!! 逝けぇっ!!!」

 

 意識が朦朧としてきた。

 

 自分に迫る命の危機さえ、他人事のようになりかけている。

 

 ああ、わたし、ここで死ぬんだ。

 

 もう面倒くさいし、この辺でやめようか。

 

 せめて、痛くないように死にたいな。

 

 だが、次の瞬間、

 

 

 

 ——「めんどくさいから死にたい」なんて言葉を吐くんじゃない。

 

 

 

 準決勝敗北後に聞いたシンスイの言葉が、脳裏に強く響いた。

 

 刹那、倦怠感で重かった体の芯に、電撃のような気力が通った。

 

 弾かれたように左腕が動き、自分の目玉をえぐろうとしてきたフェイリンの右手を掴み取った。

 

「っ!? このっ、離せ!」

 

 フェイリンはその野良犬みたいな荒んだ目でこちらを睨み、今度は左手を目玉に近づけてきた。

 

 しかし、それも右手で掴み取る。さらにその掴んだフェイリンの左手を口元へ引っ張り、その指に思いっきり噛み付いた。

 

「ぐあああっ!! やめろ!! 離せこの死に損ないがぁっ!!」

 

 必死に身を揺らして暴れるフェイリン。しかしトゥーフェイは最後の力を振り絞り、ずっと掴み続ける。

 

 死なない。死んでたまるものか。

 

 重くてだるいだけで、手足は動くのだ。なら、情けなくても、恥ずかしくても、惨めでも、最後の最後まで食らいついてやる。

 

 こうしてこの女を足止めしていれば、他の誰かが助けに来てくれるかもしれない。それを信じて、ひたすら頑張るのだ。

 

 ——ああ。わたしはいつから、こんなに頑張る奴になっちゃったんだろう。

 

 あなたのせいだよ、李星穂(リー・シンスイ)

 

 だからあなたって嫌い。

 

 でも、あなたに会えてよかった。不思議とそう思えるよ。

 

「ちくしょう!! 離せこの売女(ばいた)がっ!!」

 

 だが、引き締まっていた腕の【筋】から、突如勝手に力が抜けた。先ほどのフェイリンの攻撃の傷が響いたのだ。トゥーフェイの左手が一瞬緩んだ隙に、フェイリンは自らの右手を引き戻した。肩を上下させ、呼吸を荒くしている。

 

「もういい! もういいですわ!! 貴女はすぐに殺しますから!! さっさと私の前から消え失せなさいっ!!」

 

 いくらか理性が戻ったのか、口調が元に戻りかけていた。しかし、そんなことはどうでもいい。

 

 フェイリンの右手が、こちらの首を掴んだ。かと思えば、その細く滑らかな指からは想像もつかないほどの怪力で締め付けてきた。

 

「く……か……っ」

 

 息ができない。苦しい。

 

 抵抗しようにも、力が出ない。

 

 だんだんと意識が遠のいていく。

 

 ああ。せっかく、がんばったのになぁ……

 

 やっぱり、苦労なんて率先してするもんじゃ、なかった。

 

 なんて……つまらない…………終わり方………………

 

 

 

「——(いな)。誇っていい。この戦い、誰が何と言おうとあなたの勝ちだ」

 

 

 

 一陣の風が吹いた。

 

 それとともに、自分の首を絞め上げていた圧力が、消える。

 

 意識が、徐々にはっきりしてくる。

 

 ぼやけた視界も、鮮明になってくる。

 

 目の前にいたのは、趙緋琳(ジャオ・フェイリン)ではなく——幼女だった。

 

 長い髪を両側頭部で一本ずつ束ねている子供っぽい髪型で、外見も十を超えて間もないくらい。しかし、その幼い顔立ちには深い知性の匂いを感じさせる雰囲気が浮かび上がっており、その立ち姿にも、歩んだ人生の深さを感じさせる威厳のようなものがあった。

 

 知っている。この幼女を。

 

 煌国有数の大流派【道王把(どうおうは)】。その総本山である【道王山】にて、頂点に位置する地位【太上老君(たいじょうろうくん)】を継いだ人物。

 

 その強大な功力(こうりき)で、怒涛の勢いで決勝戦まで上りつめた、その幼女の名は——

 

(リウ)……隋冷(スイルン)?」

 

()。姫殿下のお命じで馳せ参じた次第。ここまでよく健闘した、姫兎飛(ジー・トゥーフェイ)。あとはわたしに任せて、あなたは早々に退がるべき」

 

 突然現れた彼女の提案は、こちらとしては願っても無いことだった。もう体は限界だった。

 

「……わかった。お願いする」

 

 こくん、と頷く幼女。

 

 一方、そんな幼女に打ち飛ばされたのであろうフェイリンは、しゃがみ込んだ状態からゆっくりと起き上がった。その顔からは獣じみた怒気がすっかり消えており、醒めたような眼でスイルンを見つめていた。

 

「次から次へと湧きますわね。ですが、私の【琳泉把】は、あの黒服たちとは格が違いますわよ」

 

 スイルンは気負う様子を見せず、悠然と言い返した。

 

「否。わたしにとっては似たようなもの」

 


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