一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
正午の青空の下。
巨大な石冠を思わせる形の闘技場【
武を重んじる先代皇帝『
天高く伸びた円環状の壁は、頑強なだけでなく、石材同士が密に噛み合って隙間がない。壊すこともよじ登ることも困難だ。
おまけに壁の頂上には円環状の通路があるため、そこから人が守護すれば、守りはヘタな砦よりも硬い。
中に入るための入口も、正門以外存在しないため、防衛の際にはそこに人員を多く割けば良い。
そう。この【尚武冠】の防御力は非常に高い。ゆえに軍事拠点としても、避難場所としても、ここより優れたところは帝都に無いと言っていい。
しかし、壁の頂上にある円環の通路から外地を俯瞰する煌雀(ファン・チュエ)の顔には、戦況に対する絶望感が表情として浮かんでいた。
【尚武冠】の正門前は今――血と叫びで埋め尽くされていた。
敵は、衛兵から得た情報の通り、全身黒づくめという格好の集団だった。
しかし、こうも大勢この【尚武冠】へと押し寄せてきたのは予想外だった。
【尚武冠】を守り、かつ避難民を安全に中へ招き入れる任をもつ防衛班の面々は、必ず敵を食い止めてやるという気概で満ち溢れていて、心強さを感じられた。
しかしながら、気概だけではままならぬ事も、この世には多々ある。
黒づくめの集団は、数こそこちら側には遠く及ばないものの、個々においては防衛班の戦闘員を軽く凌駕していた。
その圧倒的な戦闘力をもって、正門を死守している防衛班の者たちをガリガリ削っていた。
最初の頃は護国の士気に満ち溢れていた有志たちも、その多くが物言わぬ死骸となって横たわっていた。彼らの血が、正門前広場を染めていた。
「くそっ! こいつら速――ぐはっ!?」
また一人、新しい屍が生まれた。
「このクソが! この――がはっ!」
また一人、新しい屍が生まれた。
「う、うわっ、た、助け――ごぁっ!」
また一人、新しい屍が生まれた。
屍。屍。屍。屍。屍ばかりが増えていく。
防衛班たちにも、怯えの色が出始めていた。
それを俯瞰するチュエも、同様の表情だった。
風に乗って漂ってきた濃い血臭が鼻につき、思わず口元を押さえる。渾身の気合いで、喉まで出かかった焼け付くモノの吐出をせき止めた。
意識が遠のきかける。
これが、戦場の匂いか。
自分は、武法が好きだった。
それに準ずる形で、武と名のつくモノも好きだった。
本でよく、昔起こった戦の数々を読んで知った。
栄光ある戦もあれば、二度と起こってはならないような悲惨な戦もあった。
自分は、この世の戦の全てを知った気でいたのだ。
けれど、それは知識の中での話に過ぎなかった。
実際の戦場は、本で読んだよりもはるかに恐ろしく、胸糞の悪い場所だった。
強い方が弱い方を一方的に殺し、血の河と屍の山を築き上げる。
それでもなお足りぬと、さらなる殺戮を望む強い方はどんどんその勢いを強め、蹂躙を続ける。
この調子では、いずれ防衛班の者たちは全滅する。
戦える者がいなくなれば、敵の牙は戦えぬ者に向くことだろう。
殺され、犯され、奪われるだけ。誰もそれを止めることはできない。
チュエは片膝を屈した。防衛班の勇姿が、円環通路を縁取る背の低い石材に隠れてしまう。
――逃げ出したい。
自分を信じて集まってくれた者たちが、無惨な死体へと変わっていくところを、少しだって見たくはない。
けれど、どんなに残酷な結果でも、自分はそれをこの目で見続けなければならない。
自分は皇女であり、将としてここに残ることを選択した身だ。
ならば、陣地の奥でふんぞり返って、結果だけを待っているわけにはいかない。護国のために立ち上がってくれた者たちの奮戦、散り様を、しっかりと目に焼き付けておかければならない。
たとえ自分が最後の一人になったとしても、戦うことをやめてはならない。四肢を落とされ、好き放題に弄ばれても、最期まで敵に噛みつき、睨み続けなければならない。
チュエはもう一度腰を上げ、正門前を見下ろした。目を背けたいのを我慢しつつ、眼下の惨劇を注視した。
今だけは情を捨て、「冷徹な指揮官」に心を切り替える。
正門を防衛する者の数は、まだ黒服の集団よりも勝っていた。
しかし、あの黒服集団は、その桁外れな強さを誇る武法で、数以上の実力を発揮している。
奴らの使う武法は、実に奇怪で、かつ異質だった。
あの衛兵の証言通り、まるで周囲の人間とは違う時間の中で動いているかのような速さだ。
肉体の速さではなく、使い手の肉体に作用する時間そのものが速まっているかのようであった。
その見たこともない武法の正体を知りたいものだが、今はそれを考えるのは置いておく。
今必要なのは、どうやってあの「速さ」に対応するか、だ。
自分だけでなく、他の防衛班の人間もその武法に圧倒され、為す術なしにやられている。彼らの中にも、あの謎の武法を見たことのある人間が一人もいないのだ。
具体的な対策を立てなければ、防衛班の者たちは無策で突っ込んでいき、そして殺されるだけだ。
眼下では、勢いづいた黒服軍団が、今なお防衛班の武法士たちを斬り倒している。
自分がうんうん悩んでいる間に、人が死んでいく。
そのことが、チュエをますます焦らせ、冷静な判断能力を奪うという悪循環。
それが、全滅まで続くかと思われた、まさにその時。
黒服軍団が、ひとりでに倒れた。
自然の風向きに、別の不自然な風が混じったと思った瞬間、まるで
当然、防衛班の誰も、黒服には触れていない。そもそも、触る前に斬られてしまうだろう。
またしても不可解な現象に頭を痛めそうになるチュエだったが、「見えない大きな手」という言葉から、それを可能にする武法流派の名を思い出した。
「どいて、邪魔」
戸惑う防衛班の武法士たちの人垣を割って前に歩み出たのは、兎の毛を思わせる白髪をした、眠そうな顔の少女だった。
それがなんだか悔しくて、気がつけば挙手していた。皇女様はそんな自分をしっかり見つけていた。
あの女――シンスイは嫌いだ。
汗水流して、ゼーゼー息を荒げるほど頑張れば、山さえ動かせると本気で思っていそうなあの真っ直ぐさが嫌いだ。
意思と精力にあふれたあの眼が嫌いだ。
散々自分を殴って、なおかつ敗北の味を覚えさせたあの拳が嫌いだ。
けれど、そのはずなのに、なぜか気になってしまう。
なんだか、あの女は、普通の人にはできないようなことを軽々とやってしまう。そんな感じがするのだ。
いや、それは事実だった。今まで誰も破ることのできなかった【
今回だってそうだ。あの女が一番に義勇兵として志願したことで、その他大勢が感化され、俺も私もと戦いに参加した。――自分も、そんな人間の一人だった。
あの女には、周囲を、世界を変えられる「何か」がある。
自分も、そんな「何か」によって変えられてしまった一人だ。なにせ、かつての自分なら絶対に抱くことのなかったであろう「対抗心」を抱いてしまっていたのだから。
トゥーフェイは、危機を告げてきた防衛班士の呼びかけに名乗り出て、こうして血まみれの正門前広場へ出た。
――眼前に立ちはだかる、怪しげな黒づくめの軍勢。
自分にとって、戦いとは「挑むもの」ではなく「降りかかってくるもの」だった。
しかし、今、自分は「挑んで」しまっている。
これもシンスイの影響なのだと思うと、すごく悔しくて、すごくムカついて、すごく新鮮だった。
「わたし……働くの嫌い。大嫌い」
ワッと、黒い軍勢が押し寄せてくる。
「小説やおとぎ話には終わりがあるけど、働くことには終わりがない。それがすごくしんどくて、嫌」
トゥーフェイはおもむろに掌を突き出す。
「……けど、ここで寝てたら、きっと、働くのよりずっとしんどい思いを、わたし含め、この国のみんながすることになる」
【意念法】で「球体」を思い浮かべる。大地を踏みしめて勁を体内に吸い上げ、呼吸法による筋肉操作で「球体」になるよう勁の形を整えていき、
「だからわたし――――
発した。
大きな立体の球形となった勁力が、トゥーフェイの掌から膨れ上がる。
黒服たちはその見えない力の膨張に押し込まれ、まとめて後方へ大きく弾き飛ばされた。
一気に雑魚寝のありさまとなった黒服たちを冷厳な眼差しで見据え、トゥーフェイは静かな闘気を込めた声で告げた。
「早く終わらせる。長時間労働がこの世で一番嫌いだから」