一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
真っ暗で何も見えない。
目に墨汁をかけたみたいな暗闇が、ボクの視界を一片残さず覆い尽くしていた。
しかし、今は絶賛昼下がりの時間帯だ。普通ならこんな暗闇はありえない。巨大隕石が落ちた後は、衝突の勢いで巻き上がった大量のチリが太陽光をさえぎるため、昼間でも暗いらしいが。
この闇は、ボクの目にぐるりと巻かれた布がもたらしているものだ。
前後不覚となったボクは前に右手を出し、誰かの手を掴んでいる。その手はひたすら前へ前へとボクを引っ張っている。その引っ張る力に逆らうことなくボクは進んでいた。
さらに後ろへ差し出されたボクの左手は、同じように目元に布帯を巻いて視界を封じられたライライの右手を掴んでいるはずだ。その手は本人の興奮を表しているかのように汗ばんでいた。ぬるぬるする。
ボクの右手を引っ張っているトゥーフェイに、困惑しながら尋ねた。
「ねぇ、まだ着かないのかい?」
「あと少し」
気の抜けたハスキーボイスが簡潔に答える。
ボクら三人は今、トゥーフェイを先頭にして電車のように連結して進んでいた。
トゥーフェイが、あの超人気覆面作家『月里(ユエリィ)』であるという衝撃的事実が明らかになってから、すでに数十分が経っていた。
彼女は『
原本を拾ってくれたボクらに感謝を示すと「お礼に、わたしの隠れ家でもてなして、あげる」と寝ぼけ眼で提案してきた。
ボクはこの提案に素直に乗るべきか迷ったが、『
トゥーフェイは原本を『落智書院』に渡して戻ってくるや、ボクとライライに一条の黒帯を手渡し、コレを目に巻いて視界を隠せと言ってきた。
なんでも、トゥーフェイは覆面作家で通しているため、自宅の情報も隠しているらしい。曰く「家の場所が割れるとめんどくさいことになる」。
だからボクらの目を隠しながら、こうして自宅まで引っ張っているのだ。
黒一色な視界の中、右手にかかる引力に導かれるまま進む。
しばらくして、ようやく立ち止まった。扉が開く音。
周囲の匂いが変わる。お日様の匂いから、紙と墨汁と木の匂いに変わる。
「もう大丈夫。はずして」
トゥーフェイにそう言われるや、ボクは目隠しを取った。数分ぶりの外の世界が視界に広がる。
後ろには扉。前には右へ曲がり角が続いた直角の廊下。
廊下の直角軌道をなぞるように進むと、またしても扉。
そこを開いて中へ入ると、紙と墨汁の匂いが強まった。
その部屋には、あらゆる要素が密集しすぎていた。
正方形の空間のど真ん中には、寝台がぽつんと置かれている。最初にそれを見て寝室かと思ったが、周囲の情景がその決め付けを許さなかった。
壁際には、うっすらと汚れた机、図鑑や歴史書といった資料が並んだ本棚、墨汁や紙束が大量に置かれた棚、一段一段に入っているモノの名前が書かれた引き出し棚……いろんなものが密集していた。この一部屋だけで、食事も睡眠も仕事もすべてこなせてしまうだろう。
壁の上部には、力強くも繊細な筆遣いで描かれた絵が、ストーカーの部屋よろしくびっしり張られていた。
「ようこそ。ここが、わたしの寝室兼食堂兼仕事部屋」
「兼」が多い部屋である。
「その寝台に座って。何か持ってくる」
言うとおりにボクは寝台の端っこに座った。
ライライもその大きなお尻を恐る恐る寝台の端に置きながら、興奮で息を荒げさせていた。
「シ、シンスイ……! きちゃった、私たちとうとう来ちゃったわ……!」
目を見開き、顔を火照らせ、額には汗びっしりで息も荒い。なんかちょっとエロい。
「み、見てあれ! 『
ライライの指に導かれるまま、壁の上部に貼られた絵の一枚を見る。
それは、「連環画」の一ページだった。
ちなみに地球の中華圏にある「連環画」とは、絵の下に文章が書かれた絵本のようなものだ。けれど、異世界にあるこの国の連環画はまるっきりマンガであった。
「あ、あれは主人公が秘伝の剣法を授かる場面! やだっ、あれは!」
ライライはさっきから興奮冷めやらぬ様子。いつもの落ち着いた大人っぽい印象からは百八十度変わっていた。
「すごい……すごいわぁ……!! ぜんぶ銅版画じゃない、手書きの絵よ!! 破壊力が違うわ!!」
「あ、はい、そうですね」
気後れしながらも、そう返事を返す。
しばらくして、トゥーフェイがお菓子の乗った皿を持って戻ってくる。
「お待たせ」
「あ、はい、どうも」
ボクはそれを受け取る。
「えっと……トゥーフェイ、どこで食べたらいい?」
「その寝台でいい」
「いや、でも」
「この部屋はもともと、来客の存在を想定していない……だから、そこしかない」
「そういうことなら……遠慮なく」
ボクはライライとの間に皿を置く。トゥーフェイは仕事机の椅子を引っ張り出してそこへかったるそうに腰をおろした。
不意に、ライライがもじもじしながら、
「あ、あの、あの、あの、あのあのあのあの……ゆえりぃ、せんせい」
「ん?」
「その、えっと、えっと……まことに、図々しいお願いだとは思うのですが……」
ライライはしばらくためらってから、思い切って口にした。
「か……
「いいよ」
「ほ、本当ですかぁぁぁぁ!?」
「ちょっと待ってて」
よっこらせ、とババ臭く立ち上がると、近くの棚から厚紙を一枚引っ張り出し、机に持ってきて筆をさらさらさらりと滑らかに走らせた。
「はい」
「あ、ありがとうございましゅぅぅぅぅ!!」
厚紙を眺め、絶頂でもせんばかりの喜びを見せるライライ。
「わたし……愛読者は大事にする主義。あなたは、わたしの書き物がとても好きみたいだった、から」
「はい! はい! はいですぅ!」
さっきからライライの
水を差すようで悪い気がしたが、ふと気になったことがあり、それをトゥーフェイに尋ねた。
「ところで、ここって君の家なのかな?」
「そうでもあり、違うともいえる」
「というと?」
追い討ちをかけるように問いかけると、トゥーフェイがふと、押し黙った。
なんだろうか。なにか重い事情でもあるのだろうか。だとしたら薮蛇だったかも……そう考えていた時、
「……すーぅ、すーぅ、すーぅ」
寝息。
「って、寝るなっつーの!」
「…………ふぁ。あれ、ここ、わたしの仕事部屋? さっきまで街中を歩いてたのに、なぜ」
「それは数分前の話だよ!」
「……ああ、そうだった。あなたがあまりに詰問するから、眠くなったんだった」
「いや、詰問ってほどのものかな……」
ああ、だめだ。調子狂う。
「さっきの質問の答えだけど、ここはわたしの家であって仕事部屋」
「ご両親は?」
「この帝都に住んでるけど別居中。実家の方が広い。けど両親がうるさい」
「うるさい?」
「……すーぅ、すーぅ、すーぅ」
ずびし! 頭にチョップして起こした。
「…………「嫁に行くアテはあるのか」とか、「将来のこともちゃんと考えろ」とか、「物書きなんて不安定な仕事やめて堅実に生きろ」とか、「もっと見た目に気を使え」とか……正直うっとい。わたしの人生なんだから、何をしようとわたしの勝手」
そこに関しては、ボクも同意を示さざるを得ない。
ボクがこの【
けれど、彼女の親御さんは、世間体のことだけを考えてそんなことを言っているのではないと思う。
「きっと、トゥーフェイのことを心配してくれているんだよ。親なんだから」
この言葉を口にしてから、ボクは身につまされる思いをした。
父様は、ボクが武法を続けることを反対し、官吏になることを強く望んでいる。……それは、世間体だけでなく、ボク自身の未来を心配しているからではないだろうか。
そうかもしれないし、違うかもしれない。
けど、どちらにせよ、ボクが引き下がる理由にはなりえない。このまま戦い抜くだけだ。
「……そうかもしれない。けど、それは、わたしが譲歩する理由にはなりえない」
トゥーフェイの返答は、ボクの意見を丸写ししたかのようにダブっていた。
「この話、しんどくなるから、もうおしまい。……ライライさん、って、いったよね?」
「ひゃっ!? は、はい! なんでしゅかっ!?」
憧れの人に自分の名を呼んでもらえたことに感激したのか、ライライがうわずった声で返事する。
「ついでだから、わたしの仕事風景……見ていく?」
「い、いいんですか!?」
「うん。そのかわり、わたしのこの場所、しー、だからね」
唇に人差し指を当てて「しー」と口止めするトゥーフェイ。
ライライがあふれん喜びでふくらませたような笑みのままコクコクうなずく。
それを見るや、トゥーフェイは椅子からかったるそうに立ち上がり、棚へ近づく。引き出しを引いて、中に大量に入っている白紙を数枚取り出し、再び作業机へ戻ってきた。
一見すると年寄りのように緩慢で力のない動きだが、スキが一切見当たらない。
それを見て、このねぼすけ女が【黄龍賽】を準決勝まで勝ちあがった強者なのだということを再認識した。
トゥーフェイはゆったりと椅子に座る。取り出した数枚の紙を机の左端に置いた上で、そこから二枚ほど取り出して机上の下敷きに並べた。
机の最前に置いてあった小さな壷と、二本の細筆を取る。小さな壷を紙の前に、二本の細筆を手元へ置く。
小壷のフタを開封。中はやはり墨液だった。
トゥーフェイは両手にそれぞれ一本ずつ細筆を持つと、二つの筆先を墨液にチョンとひたす。
ボクは早くも唖然としていた。あの両手の筆を同時に使うというのか……?
次の瞬間、ずっと緩慢だったトゥーフェイの両手が、
ものすごい速度で走る二本の筆。それらは目の前に置かれた二枚の紙の純白を、これまたものすごい速度で染め上げていく……!!
「なん……」
「だと……!?」
二枚の紙に描かれていく「それ」がはっきりしたものになった瞬間、ライライとボクは同時に驚愕をあらわにした。
なんと――「小説」と「連環画」を、同時に書いているではないか!!
右の紙には、地球で言うところの漫画のような「連環画」を。
左の紙には、小説を。
表示形式がまったく異なるそれらの作品を、同時に書き記している。
ありえない。普通なら頭の中身がこんがらがって、両方とも支離滅裂な出来となっているはずだ。紙の無駄である。
けれど、トゥーフェイが黒く刻み込んでいく二つの作品は、とても同時に書いているとは思えないほど整然としており、なおかつ絵も文字も美麗だった。
あっという間に小説と連環画の一ページ目を完成させたトゥーフェイは、その完成品を横長の机にゆっくりと置いた。どうやら、あれは書いたものを乾かすための机らしい。
すると、作業机の左端に積まれた紙からまた二枚取り出し、同じように作業を進めた。
その光景に、ボクたち二人は時の経過さえ忘れて見入っていた。
その間にも、窓から見える太陽はどんどん西方向へと傾いていき、完成した紙の数もどんどん増えていく。
やがて、部屋に入ってくる陽光が白から茜色へ変わった頃。
「…………ふぅ」
ずっと機械的に作業を進めていたトゥーフェイの手が、止まった。
すでに完成品置き場には、乾燥を終えた完成品が何束も積み上げられていた。
「……『遊雲天鼓伝』十九巻、『
ぎょっ、と目を見開くボクとライライ。
「う、うそっ!? もう終わったんですか!?」
「ん。これでしばらくは怠け放題。この一仕事終えた後が最高のひととき」
ライライの質問に答えながら、干された布団のようにぐでーっと椅子にだらけるトゥーフェイ。
ボクらは今なお驚きを残していた。
小説であれ、漫画であれ、本一冊を書き終えるのに一日では足りないはずだ。それを、一日どころか半日以下の時間に、二冊も終わらせてみせたのだ。どう考えても人間業じゃない。
その上、彼女の作品はどれも非常に高い人気を誇っているという。
まさに天才少女。
だが一方で思う。
こんなすばらしい芸術的才能を持った少女が、なぜ武法を学び、【黄龍賽】なんかに出ているのか。
その疑問を、そのままの形でトゥーフェイにぶつけると、
「磐石な「怠け」を作るため」
という答えが返ってきた。
「わたし、文や絵を書くの、好き。でも、それ以上に「怠ける」ことが大好き。だから、好きなことで稼ぎを得て、大好きな「怠け」を実行しているの」
でもね、と気だるげな接続詞でつないで、次の言葉が連なった。
「……この仕事、結構不安定。人気が出て売れれば万々歳だけど、そうでないと厳しい。だから、それ以外の財源が必要。かといって、両親みたいにしゃかりきになって働くの、嫌」
一息ついてから、またも続けた。
「そんなある日、わたしの前に一人の老武法士が現れた。なんでも、わたしが、一千万人に一人の確率でそなえる希少な骨格【
その先に続く言葉を、ボクは予想できてしまった。
「そこでわたし、考えた。この【空霊衝】を手に入れれば、何の苦労もせずに【黄龍賽】で優勝して、莫大な賞金を得られるって。だからわたし、ガラにも無く頑張った。【空霊衝】は普通の武法と違って、【剣骨】さえ持っていれば早く習得できる。わたしは一年で【空霊衝】の全伝を体得して、前回の【黄龍賽】に出た。それで本当に楽々と優勝して、懐もウハウハ。――そして、今回もウハウハ」
それを「準決勝は自分の勝ちで決まり」という早まった勝利宣言だと解釈したボクは、おもわず
「やってみないとわからないよっ」
「最初にそう言って、結局最後には白旗を揚げた人を、わたしは何人も見てきた。あなたの戦い方は見てるけど、結局は力と手数にモノを言わせて敵をねじ伏せるだけのもの。わたしの【空霊衝】と一番相性が悪い武法。――だからわたしに、あなたの名前を知る必要、ない」
「だから、やってみないと――」
そう言い返しかけたところで、トゥーフェイが寝息をたてていることに気がついた。
「…………すーぅ、すーぅ、すーぅ」
まるで干された布団のように、椅子の上に垂れ下がるようにして寝入っていた。
今度はいくら揺さぶっても一向に起きなかった。どうやら、仕事で疲れているみたいだ。
――くそっ、明日絶対勝ってやるからな。
唾液をだらだら垂らしながら眠ったトゥーフェイのほっぺたをむにーっと引っ張りながら、ボクは改めてそう決意したのだった。