一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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それぞれの戦い③

 

 シャオメイは、自身の鳩尾(みぞおち)の延長線上に立つシンスイへ真っ直ぐ伸びた「白い直線」を、奇妙な感慨とともに見つめていた。

 

 ――よもや、「これ」を公衆の面前で使うことになろうとはな。

 

 この「白い直線」は、シャオメイの目にしか映っていない「幻」である。

 

 しかし、ただの幻ではない。力を持った幻。

 

 

 

 この線は「近道」だ。

 

 

 

 【雷箭(らいせん)】――【太極炮捶(たいきょくほうすい)】における五つの絶招【通天五招(つうてんごしょう)】のうちの一招。

 

 高速の正拳突き【霹靂(へきれき)】よりもさらに速く、そして岩をも穿ちぬくほどに鋭い必殺の一撃。

 

 勁撃の威力は、必ずしも生み出された勁の量に比例しない。

 ほんの1両斤(りょうきん)弱ほどの重さしかない鉄塊でも、薄く、鋭利に鍛え上げれば、その重さ以上の物体を両断できる刃と化す。

 さらにそれより軽い鉄片でも、極限まで細めれば、あらゆるものに突き刺さる針と化す。

 この鉄の例は、勁にも当てはめられる。

 総量を増やすのではなく、その質を変えることで強くする。

 

 そのための修行は【臥牛一条拳(がぎゅういちじょうけん)】に含まれている。仮想の直線を拳打や掌打でなぞることで、勁を直線状に整え、鋭く変化させていくのだ。

 

 しかし、それだけでは【雷箭】は使えない。

 

 【雷箭】を使うために、もう一つ必要な要素がある。

 

 それは――修行において、常に「近道」を求める気持ち。

 

 「近道」を求める、とは言うが、それは楽して強くなる方法を探す、という意味では断じてない。

 むしろ、そういう邪道はこれ以上ないほどの「遠回り」である。

 

 【易骨(えきこつ)】によって武法に必要な肉体を作り、

 さらにその上に流派の基礎修行を重ね、

 さらにその上に基本的な技を重ね、

 さらにその上に応用を重ね、

 さらにその上に奥義を重ねる。

 その積み重ねが終わったら、今度はまた基礎修行に回帰。流派を支える基盤を徹底的に鍛え上げ、実力を底から伸ばしていく。

 

 そんなありふれた地道な積み重ねこそが、最高の「近道」なのである。

 

 「「近道」を求める気持ち」を常に持ちながら、ひたむきに武を練る。

 

 その過程で、「「近道」を求める気持ち」は、肉体に影響を与える確かな力を持った【意念法(いねんほう)】へと進化する。

 

 

 

 そうなって初めて、この「白い直線」を見ることが出来るようになる。

 

 

 

 この線は、常人には決して歩けない「近道」だ。

 この線に沿って歩けば、普通に歩くより数十倍以上の速度で移動できる。

 この線に全身の力――すなわち勁を通せば、それは雷さえ置き去りにする最速の一撃と化す。

 

 「近道」たる幻影の白線の向かう先では、シンスイが左足前の半身の構えでこちらの攻め手を待っていた。

 丹田には高密度の【気】の充足を感じる。

 おそらくは【炸丹(さくたん)】を使ってくる。

 彼女もまた、次の一撃で勝負を決める気だ。

 

 ――面白い。

 

 土壇場に追い込まれているというのに、口元には自然と笑みが浮かんでいた。

 

 異流派、しかも憎き【雷帝】の流れを汲む者であるというのに、彼女に大して嫌悪の感情はもうほとんど皆無だった。

 

 あるのは、今まで見た中で一番すさまじい勁撃への畏怖と、技一つ一つからにじみ出る修練の濃さへの敬意。

 

李星穂(リー・シンスイ)、終わらせるまえに、お前に詫びておこう。田舎拳法、などと言ったことを」

 

 シンスイは目を丸くしたかと思うと、可笑しげにクスリと笑い、

 

「いきなりどういう風の吹き回しだい?」

 

「お前の実力を認めなければならないと思ったからだ」

 

「なんか気味悪いよ。【太極炮捶】至上主義なキミが、そんな事を言うなんて」

 

「……そうかも、しれないな」

 

 シャオメイは自嘲が混じった苦笑を浮かべる。

 

 自分は今まで「【太極炮捶】こそが真の武法。他流派は取るに足らない塵芥(ちりあくた)」という考え方を疑いもしなかった。

 

 実際、この【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦まで勝ち上がってくるまでに、さほど労力のかかる試合は存在しなかった。

 

 しかし、それは【太極炮捶】が優れているからではなく、シャオメイの実力が優れていたからだ。

 

 このシンスイは、確実に自分よりも格上だ。

 

 強大な勁撃、細密な歩法――会ったことは無いが、そんな【雷帝】の持ち味を忠実に受け継いでいる。

 

 まともに戦えば、勝ち目は薄い。

 

 ならば、まともではない技法に頼る他あるまい。

 

 それに、自分をここまで窮地に追い込んでくれた相手へ、ささやかな礼をしたい。

 

 ゆえに使おう。

 

「見せてやる。我が門の絶技【通天五招】の一つ――――【雷箭】をな」

 

 刹那、シャオメイの五体は光と化した。

 

 音も無く、目にも留まらぬ速度で一直線に突き進むその姿は、空を翔ける稲光のようだった。

 

 その稲光は、突き出されたシンスイの右正拳と衝突した瞬間に再びシャオメイの姿を取り戻し、落雷のような轟音を周囲にぶちまけた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ――時を同じくして。

 

 妹である紅蜜楓(ホン・ミーフォン)もまた、同じ境地の技法を無意識に発動させていた。

 

 突然、視界内に現れた謎の「白い直線」。

 

 ランガーに問うても、「線だぁ? 何を言ってやがるんだオメェは? 殴られすぎて幻覚でも見てんのか?」と一蹴された。

 

 そう言われたことで、ミーフォンはこの「白い直線」を幻だと断定。

 

 幻まで見えるほど、疲労と痛みを蓄積させていたのか……いよいよもって限界が近いことを悟った。

 

 この、白絹の紐のような「白い直線」は、自分の鳩尾から真っ直ぐ前へ伸び、その延長線上に立つランガーへと突き刺さっていた。

 

 こんな幻影に教えられずとも、自分のやるべきことは決まっている。――前に進むのみ。

 

 そうして再び、足を前へ進めた。故意ではないが、その「白い直線」の軌道に乗る形で。

 

 

 

 だが次の瞬間――――遠ざかっていたランガーの姿が、いきなり至近距離にまで達したのだ。

 

 

 

 また持ち味である速さを使って一気に距離を詰められた。ミーフォンはそう危機感と焦りを覚えつつ、両前腕を揃えて突き出して胸と顔を守る。

 

 衝突。

 

 しかし、それによって大きく吹っ飛んだのはランガーの方だった。

 

 対し、自分の方はぜんぜん痛みを感じなかった。それどころか、全身の力が極限まで細まり、それが後ろから前へ透き通るような感覚を覚えて、謎の爽快感。

 

 今なお草原を勢いよく転がっているランガー。その隙に、ミーフォンは自分の立ち位置を確認する。

 

 戦慄した。

 

 さっきまでの自分の立ち位置は、はるか後ろへ置き去りとなっていた。

 そこから今の位置までに、半円状にごっそり地面をえぐられた跡が一直線に引かれていた。緑一色の大地に土色の線。

 

 先ほどとは違う意味で怖気が走る。

 今、自分はいったい何をした?

 こんな技、自分は覚えた記憶がない。知らない。

 けれど、一度見た記憶ならあった気がする。記憶の彼方に、引っかかるものを覚えていた。

 

 ランガーが、とんでもなく遠い位置で仰向けになって止まった。

 

 

 

 ――同時に、ミーフォンは思い出す。

 

 

 

 あれは確か七歳の頃。

 

 当時十四歳だったシャオメイとともに、修行で必要な薬の材料となる植物を、山の中へ採りに行っていた時のことだ。

 

 自分はシャオメイとは遠く離れた位置に立っていた。大きな声を出さないと会話が出来ないほどの遠さだった。

 

 そんな位置関係に置かれた状態で、自分は熊と鉢合わせしたのだ。

 雲を衝くかと思えるほどの巨躯。丸太を思わせる太い四肢。餓えと敵意に満ちた眼光。

 ミーフォンの五倍はあろうかという体長を誇るその大熊は、その山の主だと思われた。

 

 大熊は、ミーフォンの腰周りの倍以上の太さの右前足を上げたかと思うと、それをミーフォンめがけて袈裟がけに振った。

 

 殴られればスイカのように頭が吹っ飛ぶであろう一振りだった。武法には熊の動きを模した高威力の技が多く存在するが、これは真似したくなると思えるほどの重厚さだった。

 

 だが次の瞬間、それよりもさらに驚愕すべき現象を目にした。

 

 ミーフォンから遠く離れていたはずのシャオメイが、いきなり視界内に現れたかと思うと、こちらを横切って熊に拳で衝突したのだ。

 

 誇張なく、電光を思わせる速度だった。こちらへ来るまでにたどったであろう道のりには、半円状にえぐれた直線状の傷跡が刻まれていた。

 

 十四歳の細腕によって、熊の巨躯が紙クズ同然に飛んだ。

 

 遠距離で針葉樹にぶつかり、その幹をへし折ったところで止まった。

 

 倒れてくる木の梢を避けてから、二人は熊に恐る恐る近づいた。

 

 我こそ山の主であるとばかりに超然と立っていた熊は、ぐったりと項垂れたまま動かなくなっていた。

 

 口元からは赤黒い血が湧き出ており、シャオメイが打った胴体のど真ん中には――半球状の陥没跡がはっきりと見えた。

 

 姉の助けによって九死に一生を得たミーフォンだったが、恐怖から助かったことによる安堵から泣き出したりはしなかった。

 驚くべき出来事が連続で舞い込み、頭がいっぱいいっぱいだったからだ。

 

 結構時間が経過したところで、ミーフォンはようやく熊を一撃で死なしめたあの技法について尋ねることができた。

 

 姉は言った。――【通天五招】の一つ、【雷箭】だ、と。

 

 

 

 追憶はそこで途切れた。

 

 

 

 意識が再び現実に立ち戻る。

 

 ランガーは今なお、遠距離で仰臥(ぎょうが)したままだった。

 

 勝った…………のよね?

 

 自分は勝利した。信じられないことに。

 

 しかし一方で、新たな懸念が生まれる。

 

 ――殺してしまったのでは。

 

 あの大熊を一撃で倒すほどの技なのだ。まともに食らって立っていられるどころか、生きていられる人間がそうそういるとは思えない。

 

 左拳を包む【抱拳礼】をしておいて何をいまさら、と思うかもしれない。

 

 だが自分は、ランガーを殺したいから戦いを挑んだのではない。

 

 疲労で重たい足を引きずりながら、ランガーに近づく。

 

 ずいぶんかかって、ようやく彼の元へたどり着く。

 

 衣服の腹回りが焼け落ちたように破れ、皮膚が露出している。腹部のほぼ中心には、火傷のような打撲痕。

 

 気絶はしている。

 

 だが、息は普通にしていた。

 

 それを見て、安堵と理解が両方胸中に生まれた。

 

 自分の【雷箭】は、まだ姉のような威力には達していないようだ。

 

 けれど、【通天五招】という必殺の技法の一つを独学で覚えられたのだ。

 

 確かに、自分は成長した。

 

 が、今はそれを喜ぶよりも、やるべきことがあった。  

 

 正午の日差しの下、ミーフォンはランガーを背負って、帝都東門まで歩き出した。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 【通天五招】。

 

 名前だけなら聞いたことがあった。

 

 五〇〇種類ある【太極炮捶】の技法の中でも、桁外れの威力を誇る五つの絶技の総称。

 

 武法における「弟子」は、主に二種類に分類されている。

 ただその流派に名を置いているだけの『外門(がいもん)弟子』。

 師から才能と人格を認められ、家族に等しい師弟関係を結び、流派における秘伝などといった特別な訓練を受ける権利を持つ『内門(ないもん)弟子』。

 

 【通天五招】は、『内門弟子』にしか教えられない特殊な技法の集まりだ。

 

 いずれも強力で、一回の使用で形勢を大きく覆すほどの力があるという。

 

 始めは、あの【通天五招】を見られると思うと、胸が高鳴った。武法好きの身としてはこの上ない僥倖(ぎょうこう)に思えた。

 

 しかし、シャオメイが放った【雷箭】を【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】で受け止めた瞬間――その想像を絶する威力に仰天した。

 

 鋭い重さの塊が拳にぶつかった瞬間、その場所から背中まで針を通されたような鋭い痛みを覚えた。

 

「あぐっ……!!」

 

 腰を落として弓を引いたような【碾足衝捶】の形を崩しそうになるが、なんとか思いとどまった。

 

 ボクとシャオメイの右拳が接触し、勁と勁を拮抗させていた。

 

 苦い顔をする。まさか、【炸丹】を用いた【打雷把】の一撃と同程度の威力だなんて。

 

 【雷箭】と名乗った彼女の必殺技は、思いのほか速く、思いのほか重かった。

 

 いや、これは「重い」のとは少し違う。まるで極限まで研ぎ澄ませた針のごとく、勁力が極細で、かつ強い指向性がある。

 ホースから流れ出る水も、出口を指で摘まんで小さくすれば水圧が増す。それと同じで、勁力の「量」ではなく「質」を劇的に変えた一撃。

 

 まるで、物差しに沿って綺麗に引いた一本の直線のごとく、歪み無い勁。

 

 ――直線。

 

 その単語を聞いて、ボクは【太極炮捶】に存在する「ある拳套」を想起させた。

 

 【臥牛一条拳】――【太極炮捶】の基礎を養うための【拳套】だ。

 

 ボクの師である強雷峰(チャン・レイフォン)は、もともと【太極炮捶】の出身だ。

 なので【太極炮捶】の技術や事情にある程度通じていた。

 そんな彼から、【臥牛一条拳】の要訣とその重要性を教えられたことがある。

 

 自分の目の前に「直線」が引かれていることを意識し、そこへ勁力を沿わせる意念(イメージ)で勁撃を放つ。

 そうすることで、岩を削って針にするがごとく勁力を鋭利にしていくのだ。

 ――実用主義極まれりなレイフォン師匠でさえ、【臥牛一条拳】は「先人の英知の賜物」とこの上なく称賛していた。

 

 もしかすると、この【雷箭】は、そんな【臥牛一条拳】の技術要訣を応用した技なのかもしれない。【拳套】で極限まで細めた勁力をさらに細め、それに肉体の動きを乗せて高速移動――こんな感じの技術かもしれない。

 

 いや、ボクでも予想がつかない。あの悠久の歴史を持つ【太極炮捶】の絶技なのだ。ボクごときの浅知恵では及びもつかない技術内容が含まれているのだろう。

 

 それはそれとして――

 

「ぐおおおお……っ!!」

 

 重い!! 体がどうしようもないくらい重い!!

 

 【易骨】によって理想の配置に整えられている武法士の骨格は、骨と関節の間にゆがみが無い。

 どれほど重い荷重を手で受け止めても、それで腕や手首が折れたり、肩が外れたりすることはない。

 その重みは肩甲骨と鎖骨……背骨……骨盤……大腿骨……下腿骨……足というルートを経由して地面へと逃げていく。

 

 しかし、それを踏まえても、今の状況は決して芳しくない。

 

 【雷箭】を受け止めたことで、ボクの体力と気力は根こそぎかっさらわれた。ここで押し負けたら、もう立てないかもしれない。

 

 今でこそ両者の拳は拮抗している。が、それもいつ瓦解するか分からない。

 

 いや、今にもボクは瓦解しそうだった。威力はほぼ互角だが、「突き進む力」は【雷箭】の方が強い。

 

 このままでは間違いなく押し負ける。

 

 ――焦るな。押し合いで負けるなら、他の方法で勝つんだ。

 

 妙なプライドは捨てろ。

 【打雷把】がいくら威力重視の武法だからといって、それにこだわり過ぎるな。

 力でねじ伏せる戦法にこだわるな。不利な状況に陥ったら、水のように柔軟に戦法を変化させろ。

 

 シャオメイの拳に通った勁は、今なお強い指向性を維持して、ボクを真っ直ぐ押し込もうとしている。

 

 ――真っ直ぐ。 

 

 そのとき、天啓を得た気がした。

 

 進む力で負けるなら、相手のその進む力を逆手に取ろう。

 

 ボクはシャオメイの右拳と押し合わせている自らの右拳を、右へとずらす。それと同時に右足も右へと滑らせ、左拳を胸の前へ持ってくる。

 

 押し合っていた拳が横へずれたことで、シャオメイの右拳がするりと拮抗状態から抜け出し、あの稲妻じみた直進を再開させた。

 

 ボッ! と耳元を拳が通過する。

 同時に、胸の前に添え置いていたボクの左拳に、重々しくも鋭い衝撃がぶつかった。

 同時に、シャオメイのかすれた呻きが耳朶を打つ。

 

 シャオメイの体から強い指向性を持つ勁が失せ、空を仰ぎ見るような格好で弾かれた。

 

 ――彼女の強い推進力を、ボクは逆に利用したのだ。

 勁力による押し合いをやめ、【雷箭】の鋭い拳を避けてから、あらかじめ構えておいた左拳にシャオメイの体を衝突させる。

 ボクはその時も、肉体を上下に突っ張らせることで磐石の重心を得る【両儀勁(りょうぎけい)】を使っていた。

 つまりシャオメイは、そびえ立つ岩へ自ら体当たりしたようなものだ。その岩へ突っ込む力が強ければ強いほど、彼女自身が受ける痛みも大きいはずである。

 

 十分に効いたと思った。

 

 しかし、シャオメイは地へは倒れず、足を石敷きへ踏ん張らせて立ち姿勢を維持した。

 

 くそっ。ダメだったか。

 

 ボクが舌打ちとともに再び構えを取ろうとした瞬間、シャオメイは驚くべき一言を口にした。

 

 

 

 

 

「この試合――私の負けだ」

 

 

 

 

 

 と。

 

 途端、会場が妙なざわつき方をした。

 起き上がったのに「自分の負け」とは一体なにを言っているんだ、降参なのか……そんな言葉が蚊の群れみたいに飛び交う。

 かくいうボクも同様の気持ちだった。

 

 だが、今の一言が降参ではない事を、シャオメイは次の発言ではっきりさせた。

 

「先ほど、私は一瞬だが意識を失った。一瞬であろうと、敗北条件を満たした以上、負けを認めねばなるまい――この勝負、誰が何と言おうとお前の勝ちだ、李星穂(リー・シンスイ)

 

 くやしさ、至らなさ、さらに上をめざそうという向上心……これら全てを咀嚼(そしゃく)して味わっているかのようにシャオメイは静かに目を閉じ、自身の敗北を再度告げた。

 

 会場が数瞬静まり返る。

 

 だがその数瞬が過ぎた瞬間、割れんばかりの大喝采が爆発した。

 

『しっ……試合終了ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 第二回戦、第一試合を制したのは――李星穂(リー・シンスイ)選手だぁぁぁぁぁぁ!!』

 

 ここにきてようやく司会者の声と存在を再認識した。

 

 シャオメイがこちらへ近づいてくる。だがダメージが残っているのだろう、途中でよろけた。

 

 ボクから近づいて支えようとするが、彼女は手振りでそれを断ってくる。

 

「私としたことが不覚を取った……まさかあんな方法で【雷箭】を破るなど……」

 

 見ると、シャオメイは少し沈んだ表情に見えた。

 

「私はミーフォンを「面汚し」と断じたが……こんなザマでは私も妹の事を腐せんな。私は【太極炮捶】を偉大にするどころか、逆に泥を塗ってしまった。私こそが、【太極炮捶】の真の面汚し……なのかもな」

 

 自嘲気味に発された……いや、文字通りシャオメイは自嘲していた。

 

 それを聞いて、ボクは少しむっとした。あえてイヤミったらしい口調で、

 

「ミーフォンといい、キミといい……どうして(ホン)一族の人ってそんなに極端なんだろうね。あのさ、勘違いしちゃダメだよ。キミが今回負けて汚したものがあるとすれば、それは【太極炮捶】の看板じゃなくてキミ自身の名誉だ。キミの腕が未熟だから負けたんだ。だから、今のキミの言葉こそが【太極炮捶】を真に貶めてると、ボクは思うよ」

 

「しかし、私は」

 

「しかしもお菓子もコケシもない。それに、仮にキミの名誉に汚れが付いたとしても、そんなものは後でいくらでも洗い落とせる」

 

 それを聞いたシャオメイは、しばしうつむいた。

 

 だがおもむろに顔を上げると、ほんのかすかにだが――柔らかな笑みを浮かべて言った。

 

「……そうかも、しれないな。お前の言う通りだ」

 

 ――なんだ。可愛く笑えるじゃないか。

 

 やはり姉妹というべきか。シャオメイが初めて見せた純粋な笑みは、ミーフォンにどこか似ていた。

 

 だがすぐに元の鉄仮面に戻ったシャオメイ。そんな彼女を真っ直ぐ見つめ、ボクはなおも続けた。

 

「それに、ミーフォンを「面汚し」って言うのもものすごく気に入らない。あの子は最後の最後では頑張る子だ――ボクが保障する」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 勾藍軋(ゴウ・ランガー)は目を覚ました。

 

 ほんの一瞬、眠っていたような気がする。眠り始めと今まで、ほとんど間が無いように思えた。

 

 鼻につく薬の匂い、白い天井、それなりに寝心地の良い寝台に横たわる我が身。

 

 見慣れぬ部屋だった。壁と天井は白一色。硝子張りの窓からは午後の日差しが見て取れる。壁の直角の位置には棚があり、そこにはランガーもよく知る霊薬や医療具がきれいに陳列されていた。

 

 最初はおぼろげにそれらを認識していたが、あっという間に意識は覚醒し、『緑洞』の前で行っていた紅蜜楓(ホン・ミーフォン)との闘いをすぐに思い出すに至った。

 

 勢いよく体を起こした瞬間、

 

「ぐっ――――!?」

 

 体幹に、鋭い痛みが駆け抜けた。

 

 痛んだ腹部を強く押さえ、荒い呼吸を繰り返す。

 

 さらに思い出した。

 

 自分が、ミーフォンに負けた事実を。

 

 太陽の強さを見る限りでは、気を失ってから今までそれほど時間は経っていないようだった。

 

 ほぼ誇張抜きに稲妻じみた速度で急接近され、腹に常軌を逸した勁力が突き刺さった――その事をようやく知覚できたのは、意識を手放す寸前だった。

 

 明らかに普通の技ではなかった。おそらく、【太極炮捶】の秘伝に位置する技法に違いない。

 

 しかし、あんなとてつもない技を、どうして今まで隠していた?

 

 決まっている。秘伝だからだ。むやみに見せるものではないからだ。

 

 けれど、戦況不利になったので、やむを得ず使った。

 

 使えばいつでも勝てたのだ。

 

 つまりこういうわけだ――こいつなかなかやるじゃないか。じゃ、そろそろ本気出して終わらせるか。

 

 ランガーは歯噛みする。姉妹そろって、俺を馬鹿にしやがって。

 

 自分は紛れもなく本気だった。だが、あの小娘はボロボロの様相を見せつつも、本気で取り合ってはいなかった。単なる暇つぶしだったのだ。

 

「――あ、気がついたみたいね」

 

 その怒りは、この部屋の入り口から入ってきたミーフォンの姿を目にしたことで、さらに猛々しく燃え上がった。

 

「テメェッ! 舐めやがっ――!!」

 

 寝台から飛び出して掴みかかろうとしたが、全身に走った痛みがそれを許さなかった。

 

 ミーフォンは慌てた様子で駆け寄り、

 

「ああっ、ダメよ馬鹿! まだ傷が癒えてないでしょ! おとなしくしなさい!」

 

「るせぇっ!! 関係ねぇだろ!! とっとと失せやがれ!!」

 

「な、何よその言い方!? せっかく自腹切って医者に連れてきてあげたってのに!」

 

「頼んでねぇんだよアバズレ!! そもそもテメェが蒔いた種じゃねぇか!! あんな技ずっと隠して手を抜きやがって!!」

 

 止まらなくなっていた。

 

 あまりの屈辱に、涙さえ目に浮かんでいた。

 

「助けたつもりか!? ふざけんな! 完全に恥の上塗りだろうが!! 今まで手ェ抜かれてた挙句に負けて、おまけに施しまで受ける!! なぁ、お前に分かんのか!? この屈辱が!! この惨めさが!!」

 

 「大流派」は嫌いだ。

 

 流派の歴史を傘に着て武林の雲上人(うんじょうびと)のごとく振る舞い、ランガーのような無名の流派の門人をどこまでも下に見る。

 

 ランガーが強くなったのには、そういう連中の鼻っ柱を叩き折りたいという理由もあった。

 

 事実、「大流派」に所属する大勢の武法士と戦い、地を舐めさせてきた。

 

 しかし、自分が今まで戦ってきたのは、弱い連中ばかりなのかもしれない。

 自分がしてきた戦いは、ただの弱いものいじめなのかもしれない。

 自分はただ、「大流派」の連中にされてきた仕打ちをやり返すだけの、卑小な行いばかりをしてきたのかもしれない。

 

 ずっと、心のどこかでそう考えていた気がする。

 

 今回、それを明確に思い知った。

 

 ミーフォンが土壇場で見せた、あの常軌を逸した技。

 

 あれを目にし、我が身に受けたランガーは、今まで築き上げた自信を一気に削ぎ落とされた気分だった。

 

 恐るべき技だった。自分が使う【飛陽脚(ひようきゃく)】などただの曲芸にしか思えぬほどの、質実剛健な技。

 

 長い年月によって培われた、桁外れの「奥義」。こういった技が「大流派」にはあるのだ。

 

 ――自分は、本当はそれを見ることを恐れていたのかもしれない。

 

 流派の歴史の違いを思い知ってしまうから。

 

 そんな奥義を知ってしまった挙句、敗北。おまけに、今まで手を抜かれていたという始末。

 

 自分の情けなさに自決したくなる。

 

 そんな風に、泥沼の渦のごとく自己嫌悪に呑まれていた時。

 

「――手なんて抜いてないわよ」

 

 疲れたような、あきれたようなミーフォンの一言が降ってきた。

 

 思わずその姿を見上げる。

 

 ミーフォンは、治療を受けていない様子だった。だって、まだボロボロなままなのだから。

 

 ――なんでお前は治してねぇんだ。

 

「あんた強かったわ。悔しいけど、あたしより強い。あたしは常に本気で当たってたし、あのままだと確実に負けてた。今回勝ったのは、ほとんど奇跡みたいなもんよ」

 

 真顔で淡々と述べるミーフォン。

 

 嘘を言っているようには見えなかった。

 

 そう確信すると、いくつか疑問が出てくる。

 

 あの技は何なのか。今まで使わなかったのは、土壇場で身に着けたからなのか。

 

 いや、そんなことより、何より――

 

「お前は……なぜ自分より強いと分かっていた俺に挑んだ?」

 

 それが聞きたかった。

 

 対し、ミーフォンは少しの逡巡も無く答えた。

 

「いろいろ理由はあるけど、その中で一番大きいのは……強くなるため」

 

「強く……?」

 

「そう。あたしには、認められたい人がいるのよ。だから、その人に認められるくらい強くなりたかった。あんたみたいな格上とやりあうのが、そのための最高の近道だと思ったのよ」

 

 泥縄かもしれないけどね、と、擦り傷の残った顔に苦笑を浮かべるミーフォン。

 

 ――同じだ。

 

 ランガーは目の前の少女に、強い共感性を覚えた。

 

 その姿は、かつて我が流派の力と名を天下に知らしめたいと懸命に足掻き、己を鍛えることに邁進(まいしん)していた若い頃の自分に酷似していた。

 

 自分の弱さと非力さを許せず、それを乗り越えんと四苦八苦と試行錯誤を繰り返していた、昔の自分に。

 

「じゃ、あたしはそろそろ行くから。ちゃんと体を大事にね。あたしがせっかく有り金ほとんどぶち込んで治したんだから」

 

 ミーフォンは少しよろけながらも、きびすを返して立ち去ろうとした。

 

「お、おい待て。どこへ行く?」

 

 ランガーが思わずそう問うと、その小さくも大きく見える背中は、一切の迷いも気負いも無い口調で答えた。

 

「――決着をつけにいくのよ」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 試合の後にシャオメイが連れて行かれたのは、医務室であった。

 

 寝台に寝かされ、応急処置が行われた。

 

 数十分もの処置のおかげで痛みは引いたが、しばらくは安静にしているように言われた。

 

 だがシャオメイは言う事を聞かなかった。

 

 その二足は、確信をもって、ある一方向へ向かっていた。

 

 【尚武冠(しょうぶかん)】の入り口だ。

 

 おそらくミーフォンが待っている。そう分かる。

 

 その途中で、李星穂(リー・シンスイ)と再会した。彼女もまた、妹がこれから行うであろう戦いを見届けに来たのだろう。ついて来いとは言ってないが、代わりに拒みもせず同行を許した。

 

 【尚武冠】は大きな建造物だが、それを踏まえても、シャオメイは入口までの距離が妙に長く感じられた。

 

 緊張しているのか。

 なぜ緊張している?

 妹に負けるのが嫌なのか?

 それとも、本当は勝って欲しいと思っているのか。期待しているのか。

 

 ――どれも無駄な感情だ。

 

 もう自分は昔のシャオメイではない。【太極炮捶】という大流派を守ることを宿命づけられた人間だ。

 

 自分はただ、本気でミーフォンに当たるのみ。怪我がまだ残っているが、実力差を埋める丁度いい(かせ)といえよう。

 

 細い円弧状の石造りの道。そこをしばらく歩くと、やがて脇道が見えた。

 

 そこをくぐり、広大な広間に差し掛かる。外へと通じる大きな両開き扉をくぐり抜ける。

 

 薄暗い風景が一転、まばゆい光が照りつけた。すでに昼過ぎのようで、太陽が最高潮に照り付けている。

 

 そのまぶしい陽光の中にたたずむ、一人の小柄な少女。

 

 やはりミーフォンは、自分を待っていた。

 

 しかし、

 

「ちょっ……ミーフォン!? どうしたのその恰好は!?」

 

 こちらの隣を歩いていたシンスイが、ひどく驚いた様子でそう尋ねた。

 

 ミーフォンは確かにそこにいた。だが、衣服が酷く汚れていて、いたるところに土埃や草の破片が付いていた。顔にも微かなかすり傷が見られる。

 

 明らかに荒事の後といった出で立ちであった。

 

 往来する人々も、すれ違いざまに妹を注視している。

 

 何があったのだろう。自分の中で鍵をかけて閉じ込め続けていた「姉」としての感情がざわついた。

 

「へへへ……ちょっと勾藍軋(ゴウ・ランガー)に喧嘩売っちゃいまして……」

 

 ミーフォンはにへらと笑ってそう答えるが、その笑顔はとても痛ましい。

 

 シンスイは恐る恐るといったふうに、

 

「まさか……乱暴されたの?」

 

「ええ、勝ちはしましたけど、めちゃくちゃにされまして……あ、別に手籠めにされたって意味じゃありませんよ。あたしは処女です。だから安心してねお姉様」

 

 片目をつぶって茶目っ気ある笑みを浮かべるミーフォンに、シンスイは「安心できないよ……無茶しちゃ駄目デショ」と力なく突っ込む。

 

 勾藍軋(ゴウ・ランガー)と……戦った?

 

 そんな馬鹿な、なんという無茶を。

 

 自分は確かにあの男に勝った。けれどあの男はかなりの使い手だ。正直言って、ミーフォンでは荷が重い相手である。ミーフォンも、それを分かっていたはずだ。

 

 なのにミーフォンは、みずから戦いを挑んだ。

 

 ボロボロになりながらも、勝利したという。

 

 ミーフォンは相変わらずへらへらしながら、恥ずかしそうに言った。

 

「だって……姉上に一撃当てたいなら、姉上が負けた相手にさえ勝てなきゃ意味がないと思ったので」

 

 心が再び、別の意味でざわつくのを感じた。

 

 見たい、と思った。あのランガーを倒してみせたという妹の力を。

 

 最初は義務感で戦うという意識が強かった。しかし今は、自らの意思が「戦いたい」と叫んでいる。

 

 気が付くと、シャオメイの手は右拳左掌の【抱拳礼】を作っていた。

 

 それを見たミーフォンが、面くらったように目をぱちくりさせている。

 

「姉上……?」

 

「約束は約束だ。早速勝負といこう。私も先ほどの試合での怪我が癒えていないし、お前もその有様だ。条件は似たようなものだろう?」

 

「……うん。じゃあ、人のいない場所でやりましょうよ」

 

 同じく右拳を包んで返すミーフォンの言葉に、シャオメイは頷く。

 

 

 

 

 

 

「ここであたしと勾藍軋(ゴウ・ランガー)は戦ったの」

 

 そうしてミーフォンに連れてこられた場所は、帝都東側を覆う大森林『緑洞』の前に広がる草原だった。

 

 自分たち姉妹は、遠く間を作って向かい合っていた。シンスイはその中間あたりで、向かい合う姉妹の延長線上から離れて立っていた。

 

 戦いの場に連れてこられる前から、シャオメイの精神は戦士のソレに変わっていた。それを発散させたいと、ミーフォンへせかすように言った。

 

「では、構えろミーフォン」

 

「うん。でもその前に、一つ勝負方法を指定したいんだけど」

 

「……言ってみろ」

 

「この勝負――互いに放つ技は一回きりの、一本勝負にしない?」

 

 ミーフォンのその発言に、シャオメイは「何っ?」と目を見開かずにはいられなかった。

 

「な、何考えてるんだよ!? それだと、キミに与えられた機会は一回しかなくなるよ!?」

 

 自分の代わりに、シンスイが驚きと狼狽を見せた。

 

 ミーフォンはふるふるとかぶりを振り、安心させようとするような涼しい笑みを浮かべて告げた。

 

「お姉様、ぶっちゃけてしまうと、あたしもう今にもぶっ倒れそうなんです。バカスカ小技を繰り出すなんて体力的にもう無理ですから、最後の一発に……あたしの【太極炮捶】の門人としての人生を賭けようと思います」

 

「それこそ無茶だ! 手数をいっぱい出せばシャオメイに触れられるかもしれないけど、たった一回きりだなんて!」

 

「大丈夫です、お姉様」

 

 なおも涼しげに微笑むミーフォン。

 

 何かある――シャオメイは確信した。

 

 一本勝負などという暴挙に出させるだけの「秘策」が、妹にはある。

 

 それは一体いかようなものだろうか?

 

 見たい。

 

「いいだろう」

 

 シャオメイはそう了承した。

 

 何か言いたげに姉妹の顔を交互に見やるシンスイ。だが二人の固い決意を感じ取ったのか、もうどうにでもなれとばかりに大きなため息を吐いて、距離を取った。

 

 シャオメイは右足を後ろへ下げ、腰を若干落として半身に構えた。

 

 一方、ミーフォンは自然体だった。両足は揃えず両腕はぶらりと下げた、正中線丸出しの無防備な姿勢。

 

 一見すると無防備なその姿勢が、その裏側に秘められた「何か」を示唆している気がした。

 

 ――何が来ようと関係ない。平等に迎え撃つのみ。

 

 そう心を引き締めるのと、遠くにいて小さく見えていたミーフォンの姿が急に大きくなるのは、全くの同時だった。

 

 驚くのと平行に、防御を行う。

 

 なんとか腕による防御が間に合い、やってきたミーフォンの拳を側面から押すことに成功。

 

 しかし、ミーフォンの拳に込められた勁力は、まるで一本の針のごとく研ぎ澄まされており、腕だけで完全に横へ払うことは出来なかった。

 

 脇腹へわずかに当たった。

 

「がっ……!?」

 

 尋常ならざる痛覚と同時に、体が勢いよくもんどり打った。

 

 そんな最中でも、思考はめまぐるしく働いていた。

 

 今の技。

 間違いない。

 あれは――【雷箭】だ。

 

 そんな馬鹿な。ミーフォンが【通天五招】を教わったなんて聞いていない。

 

 しかし、あれは紛れも無く【雷箭】だ。――常人には決して歩くことのできない「近道」を歩くことで、稲光にも等しい速度と、細い針のごとく研ぎ澄まされた勁力を生み出す技。

 

 もしかして、【通天五招】の練習を盗み見たのか――いや、それは無いだろう。ミーフォンは流派の掟にはきちんと従っていた。そんな妹が【盗武】などあり得ない。

 

 ならば、残された可能性は一つ。

 

 独学で習得した(・・・・・・・)

 

 それこそ考えにくい。あれを独学で編み出せるとしたら、そいつはとんでもない天才だろう。ミーフォンは、そんなに才能がある方ではない。

 

 しかし一方で、ミーフォンも【太極炮捶】の門人だ。同じ流派の奥義である【通天五招】を組み立てるための基盤はできていた。

 

 まして【雷箭】は、【臥牛一条拳】から編み出された技なのだから。

 

 そこへもう一つ「キッカケ」が加われば、習得できなくもない。

 

 【雷箭】は、感覚的な「近道」を歩く技。

 

 

 

 ――「近道」という単語で、シャオメイは腑に落ちる。

 

 

 

 ミーフォンは常に「近道」を求めてきた。

 

 強くなる「近道」、名声を手に入れて威張り散らすための「近道」、シャオメイに近づくための「近道」。

 

 そして今回、ミーフォンはシャオメイに一撃当てるための実力を付ける「近道」を求めた。だからこそ、格上であるランガーに戦いを挑んだのだ。

 

 武法とは、単なる「技術」という枠組みでは収まりが付かない。生き物みたいなものだ。

 

 ゆえに、使い手の意思などで、急に形を変えてしまうことがある。

 

 ミーフォンの持つ「技術」と、ミーフォンが望む「近道」が呼応し、新たな技術を生み出したといったところか。

 

 なんという偶然。なんという幸運。なんという執念。

 

 よもや、自力で【雷箭】を得ようとは。

 

 一撃当たってしまったが、それよりも【雷箭】を身につけたことの方が何倍も衝撃的で、かつ称賛に値する。

 

 もんどり打って倒れるシャオメイ。しかし威力をいくらか緩和できたため、受け身を取る余裕はあった。回転の勢いを利用して立ち上がる。

 

 ミーフォンを見る。あの驚くべき速度で拳を放った妹は、拳を前へ突き出した姿勢を保ちながら止まっていた。先ほどいた位置から今の立ち位置を結びつけるように、半円状にえぐられた深い溝が地面に刻まれていた。

 

 妹の足がガクッと崩れ、下草の上に倒れ伏した。

 

「ミーフォン!」

 

 先に飛び出したのはシャオメイだった。妹の元へ駆け寄り、その具合を見た。

 

「あ……姉上。あたしは……大丈夫」

 

 ミーフォンは力なく微笑んだ。

 怪我の度合いから見て、すでに限界だったのだろう。それを今まで気力でごまかしていたが、自分に一撃当てられた事を確信した後、一気に安心して力が抜けたといったところか。

 

 そんな妹のもとへ、今度はシンスイがゆっくり歩み寄った。

 

 ――目の前の二人の少女を見て、シャオメイは自分の価値観が変わりゆくのを感じていた。

 

 かたや、自分を圧倒的拳力で打倒してみせた少女。

 かたや、自力で【太極炮捶】の奥義を編み出してみせた妹。

 

 世界は広いのだと、思い知る。

 

 紅家は【太極炮捶】以外を見下しがちだが、武法に貴賤など無かったのだ。流派は違えど、どれを鍛えても天下に名を残せるほどの力を得られる。

 

 目の前のシンスイが、その最たる例と言えるだろう。

 

 そんなシンスイと出会い、触発されたからこそ、あのミーフォンもここまで変われたのだ。

 

 シャオメイは感動を覚える。決して顔には出さないが。

 

 目の前の妹と、その隣のシンスイに対し、シャオメイは言った。

 

「……この勝負、お前の勝ちだ、ミーフォン。約束通り、お前を流派から叩き出す、などという発言は取り消そう」

 

「姉上……」

 

「それと……今まですまなかったな。見事だったぞ、お前の【雷箭】は」

 

 自分は今、いったいどんな顔をしているのだろう。

 

 ミーフォンの目元から大粒のしずくがぼろぼろとこぼれ出した。涙を指で掬うように拭いてやるが、止まらない。

 

「それと、李星穂(リー・シンスイ)――お前にも感謝する。ミーフォンがここまで変われたのは、きっとお前のおかげだろう」

 

「……そんなことはないさ。この子が変われたのは、ボクのおかげじゃない。この子自身の力だよ」

 

 そう言って、愛おしそうに妹の額を撫でるシンスイ。力ない照れ笑いを浮かべるミーフォン。

 

 それを見て、シャオメイの口元もほころんでくる。

 

「どうか、これからも妹のことをよろしく頼みたい。……猪突猛進という言葉を人の形にしたような女だが、好いた相手にはとことんまで尽くす愛情深さがある」

 

「え? う、うん。いいけど」

 

 なぜか、やや気まずそうにあちこち向きながら頷くシンスイ。

 

 その反応は一体? と思いつつもシャオメイは立ち上がり、踵を返す。

 

 シンスイの声が背中に当たる。

 

「もう帰っちゃうの?」

 

「そのつもりだ……と言いたいところだが、気が変わった。まだ路銀はあるし、もう少しこの帝都に残ろうと思う」

 

「なんで?」

 

「……李星穂(リー・シンスイ)、君がどこまでやれるのか見届けたいからだ。あの【雷帝】から衣鉢を継いだ君の力を、私は最後まで見てみたい。願わくば……君が最後まで勝ち残らんことを」

 

 シャオメイはそのまま歩き出した。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 しばらくしてから、ボクとミーフォンは宿へ向かって帰りはじめた。

 

 ミーフォンは動けない状態だったので、ボクがおんぶして歩いている。

 

 草原から帝都東門までの道のりを、えっちらおっちら進む。

 

「まったく、今回のミーフォンはとんでもないことばっかりしでかしたよね。何度ヒヤヒヤさせられたことか」

 

「ごめんなさいお姉さま……でも、全部丸く収まったんだからいいじゃありませんか」

 

「まあ、そうだけどさ」

 

 正直、今回のミーフォンの挑戦は、無茶の一言に尽きるものだった。

 

 圧倒的実力差のある姉に勝つべく、約一日半程度の時間で力をつけ、勝利する。

 

 あまりに無茶だ。泥縄にもほどがある。取り決めた後でも、ボクは内心では反対していた。

 

 けれど、ミーフォンの意思は岩のように固かった。なので、黙って手を貸した。

 

 ボクはミーフォンが負けた時にどうするかばかり考えていた。手を貸しておいて、彼女の勝機を感じていなかったのだ。

 

 だが、勝ってみせた。

 

 絶望的な力の差を、ミーフォンは自力で埋めてみせたのだ。

 

「何か、ご褒美をあげてもいいかもなぁ」

 

 背中にかかる控えめな重みを感じながら、そうつぶやいた。

 

 とたん、ほとんど身じろぎしなかったミーフォンの体がビクンと反応した。さっきまでとはうって変わった嬉々とした声で、

 

「な、何かくれるんですか!?」

 

「うん、ボクにできることなら」

 

「で、でしたらお姉様の腋の下を舐め――」

 

「それはヤダ」

 

「えー!? お姉様、前に「うん」ってうなずいてくれたじゃないですかー!」

 

「あ、あれはナシだよ! ボクも心ここにあらずだったんだから。ていうか、何でそこまで腋舐めたがるのっ」

 

「お姉様の腋で生成された塩を味わいたいんですぅ! きっと数百年ものの岩塩も敵わない極上の味ですぅ!」

 

 うわぁ、ドン引きだわぁ。

 

 けど、これだけ騒ぐ元気があるならいいかな。

 

「……じゃあ今夜、一緒に寝てくれませんか。お姉様のお部屋で」

 

 しぶしぶといった感じで、ミーフォンはそう妥協してきた。

 

 ボクはしばらく考えてから、

 

「んー、それくらいなら、まあ…………でも、変なことはしないでね?」

 

「…………」

 

「返事は?」

 

「はぁい」

 

 心底残念そうな返事が返ってきた。

 

 かと思えば、ボクの首元へ後ろから回された腕に、ちょっとだけ力が入った。

 

「なら、一晩中抱きしめながら寝るのは…………だめ?」

 

 ミーフォンが耳元でささやいてきた。花のように甘い吐息と、やけに色っぽい声色。

 

 ボクは若干ドキリとしつつも、冷静に考えてから、

 

「……それくらいなら」

 

 そう承認した。まあ、匂い嗅がれたり、首元にキスマークつけるくらいはされそうだけど、許容範囲内か。下着に手突っ込んできたりしたらゲンコツってことで。

 

 ミーフォンはうふふ、と嬉しそうにボクの背中にもたれかかってくる。

 

「やっぱりお姉様は優しいです。なんだかんだで、厳しくなりきれないんですもん」

 

「そうかな」

 

「そうですよ。そういうところも……大好き」

 

 きゅっと、ミーフォンの両腕の力がほんのり強まる。まるで大切な宝物を抱きしめるように。

 

「お姉様――ありがとうございます。あたしと出会ってくれて。あなたがいてくれたから、あたしはやっと前に進めたんです」

 

「……ミーフォン」

 

「あたし、お姉様にどこまでもついていきますから。たとえあなたがとんでもない大罪を犯したとしても、あたしだけは、あなたの味方でいますから」

 

 その言葉は少し大げさな気がしたが、それでもボクの心に深く染み入るのを感じた。

 

「ありがとう」

 

 それ以上の言葉は、要らないと思った。

 


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