一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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それぞれの戦い②

   

 草が敷き詰められた大地の上を、風にあおられたボロ布同然に一人の少女が転がった。

 

 その少女――ミーフォンはすでに満身創痍の有様だった。

 

 服は草と汚れにまみれ、皮膚にもところどころかすり傷が見られる。

 

 しかしそれ以上に、体中が痛く、重い。

 

「ははははっ! 弱い! 弱すぎるんだよ小娘ぇ!!」

 

 勾藍軋(ゴウ・ランガー)は哄笑の混じった叫びを上げながら、転がるミーフォンめがけて鞠を蹴る要領で足を振り放ってくる。

 

 ミーフォンは両腕を交差させ、その又で蹴りを受け止めた。衝撃が背中までジィンと響いた。

 

 すでに日が垂直に達しつつある時間帯。帝都東部に生い茂る大森林『緑洞(りょくどう)』の手前に広がる草原にて、二人は戦っていた。

 

 ……否、それは「戦い」と呼んでいいのかいささか首をかしげたくなるものだった。

 

 力量差があり過ぎるのだ。

 

 「より強い相手との実戦を」と自ら望んだミーフォンだったが、やはり【黄龍賽(こうりゅうさい)】を本戦まで勝ち上がってきただけのことはある。

 

 途轍もなく強い。手も足も出ないほどに。

 

 だが、この男程度、乗り越えられずにどうする。

 

 自分の姉シャオメイは、この男を簡単に叩きのめしたのだ。コイツを倒せぬようでは、姉に一撃当てるなど逆立ちしたって不可能だ。

 

 そんな気概から、恐れず挑みはしたものの、この体たらく。

 

 最初は何度か反撃できたものの、すぐにランガーの圧倒的な速さによって怒涛の攻めを受け、身動きが取れなくなっていた。

 

 起き上がろうとした所を攻撃される、ということを何度も何度も繰り返され、まるで蹴鞠のような状態におちいっていた。

 

「あの紅梢美(ホン・シャオメイ)の妹だっていうんでいかほどのものかと警戒したが、なんてことはない! 弱い! あまりにも雑魚! 俺が予選で叩きのめした対戦相手にも劣る! こんなのが【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家だってんだから笑えるぜ!!」

 

 愉悦が混じったランガーの声。

 

「やっぱ「大流派」なんて呼ばれてるトコの門人なんざこんなもんだ!! 歴史と技の数ばっかで功力が伴ってねぇ!! 「全ての武法の母」なんて気取ってやがるくせに!! いや、テメェが特別出来が悪いのか!? どうなんだよ!? 教えてくれよ!! なぁ!!」

 

 言葉が途切れるとともに、再び新たな蹴りが加えられる。派手に転がる。

 

 転がる勢いを利用して立ち上がりたいけど、疲労の蓄積による重々しいだるさで四肢がうまく動かない。

 

 動かないと延々と鞠にさせられるだけだ。ミーフォンは気力を振り絞って四肢に力をこめ、立ち上がった。

 

 しかし、立ったのもつかの間。遠く離れていたランガーの顔が一気に視界の中で巨大化し、同時に撞木(しゅもく)()くような掌打を腹に打ち込まれた。

 

「あぅっ……!!」

 

 身体の裏側まで突き抜けそうな重く鋭い勁力に、ミーフォンはえずくような声であえいだ。再び地面を転がる鞠と化した。

 

 今いるこの場所は、小さな下草が絨毯のように生え広がっただけの大地だ。木々といった遮蔽物は全くと言ってもいいほど見当たらなかった。なので、地形を利用した戦法は使えず、純粋な技比べを強いられている。

 

 だが、この場所を選んだのはそもそもミーフォン自身。純粋な技比べを望んでここへランガーを連れてきたのだ。

 

 そうしておいてムシが良い話だが、ミーフォンは早速後悔気味だった。もう少し遮るものが多い場所を選べばよかっただろうか。そうすれば、その地形を上手く生かして、このランガーとも渡り合えたかもしれない。

 

 ――いや、やっぱりそれじゃダメだわ。

 

 自分は純粋な実力だけで、あの偉大な姉へ一矢報いたい。

 

 この戦いは、そのための修行でもあるのだ。

 

 ミーフォンはもう一度立ち上がる。すぐさま呼吸の焦点を下へ落とすように呼吸と心身を安定させ、しっかりと足を立たせた。

 

 ランガーがまたしても高速で迫る。

 

 恐れるな。自分はやれる。

 

 敵の持ち味である「速さ」を考慮して、間合いに入ってからではなく、間合いに入る直前にミーフォンは両の掌を眼前で同時に回した。右掌を反時計回りに、左掌を時計回りに。

 

 自分の間合いの前面を無駄なく満たしたその掌の動きが、残像を置き去りにして突き出されたランガーの拳に側面から絡みつく。拳は視界の端へどけられ、胴体が露わとなった。

 

 そのガラ空きの胴体めがけて、靴裏で踏んづけるように蹴ってやろうと考えた。

 

 だが次の瞬間、目の前からランガーの姿が消え失せた――と思ったのと同時に、顎へ下から硬いモノがぶつかるような鈍痛を覚えた。頭が揺さぶられる。

 

 天を仰ぐように倒れていくミーフォン。一瞬ぼやけた視界に、片膝を上へ突き出した状態で虚空を舞う敵の姿を捉えた。あの突発的な跳躍は、間違いなく【飛陽脚(ひようきゃく)】だ。真上に飛び上がりつつ、こちらの顎を膝で蹴ったのだと悟る。

 

 やわらかい草の絨毯に背を預けた。あまりに寝心地が良く、そのまままどろみに身をゆだねてしまいたくなる。

 

「あうっ……」

 

 だが、髪を上に引っ張られる痛みとともに、眠気は覚めた。

 

 強引に持ち上げられたミーフォンの顔の前に、槍のように鋭い殺気に満ちた眼光を放つランガーの顔がぬっと現れた。

 

「立てよ、売女(ばいた)。まだ終わってねぇんだよ。武法の世界に男女の扱いの差なんか存在しねぇ。一回左拳包んだらどっちかがくたばるかまで終わらねェんだ」

 

 恫喝するような声に、心胆が震えた。

 

「まぁ、ずっと惰眠(だみん)をむさぼってきた「大流派」のお嬢様じゃあ、ここまでが潮時か? 俺も鬼じゃねェからよ、一つ言う事を聞いたらこの決闘をチャラにしてやる」

 

「何を……しろってのよ?」

 

「俺の靴の裏を舐めてから股をくぐれ」

 

 それを聞いた瞬間、ミーフォンの中で何かがはじけた気がした。

 

 その弾けた何かの欠片は、全身へと染み渡り、精根尽きかけていた体に力を与えてくれた。

 

「どうだ? 悪くねェ条件だろ? ほら、さっさとしろ――ごっ!?」

 

 憤激に駆られるまま、ランガーの左頬を右拳で殴打した。

 

 小柄な娘であるミーフォンも一応は武法士だ。鍛えられた腕の【(きん)】の力は、成人した男以上である。

 

 殴られた勢いでランガーは横転する。その隙にミーフォンは体の痛みをこらえて立ち上がった。

 

「てっ……テメェッ……!! もう許さねぇぞ……!! 親切にしてりゃ付け上がりやがって……!!」

 

 ランガーは左頬を手で押さえながら、親の仇を見るみたいな目でミーフォンを睨みつけた。

 

 不思議と、その目に対して恐怖は無かった。

 

 毅然と言い放った。

 

「黙れ、この田舎者。今のが親切心だって言うんなら、あんたはよほど俗世から隔離された辺境で育ったみたいね。あまりにも世間との認識から離れすぎてるわ」

 

「んだとコラァッ!! 今度はマジ殺すぞ!!」

 

「やれるもんならやってみなさいっ!!」

 

 喝破した。

 

 ランガーが押し黙る。

 

 ミーフォンはさらに言い放つ。

 

「あたしはあんたとは違う! 全ての武法の母【太極炮捶】を生み出した(ホン)家の血を引く末裔の一人! あんたとは持って生まれたものが違うのよ! 分かったかハゲ!」

 

 これは「(おご)り」じゃない。

 倒れそうな体を支える「鼓舞」だ。

 自分は確かに未熟者かもしれない。

 けど、今にも倒れそうなこの体は、悠久の歴史が支えてくれている。

 そう思うと、不思議と勇気が湧いてくる。

 

 ――「誇り」と「驕り」は似ているようで全く違う。

 

 昔、姉のシャオメイから聞いた言葉が、脳裏によみがえる。

 

 当時まだ幼かった自分は、その言葉の意味が分からなかった。

 

 いや、きっと、ずっと分かっていなかった。

 

 ……今、この瞬間までは。

 

 本当の意味で、姉の言葉の意味を今、理解できた気がした。

 

 それだけでも、この戦いに身を投じた意味は十分にあったと思えた。

 

「いい!? 今からあたしはあんたを倒す! 凄まじい痛みに備えて、歯を食いしばっておきなさい!」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 第ニ回戦、第一試合は凄まじい盛り上がりを見せていた。

 

 長身と痩身の女拳士が、各々の技を遺憾無く発揮し、熱くしのぎを削っている。

 

 拳が、脚が、鋭く飛び交う。

 

 その戦っているうちの一人である紅梢美(ホン・シャオメイ)は、次々と絶え間なく繰り出されるシンスイの技の応酬に圧倒されていた。

 

 矢のごとく距離を詰めてくるシンスイ。それに対し、シャオメイは右腕を薙ぎ払って牽制の一手を放つ。

 

 シンスイはかがんでその腕刀の下をくぐり、速度を緩めることなくこちらの間合いの奥へ乗り込んでくる。

 

 そう避けるのは分かっていた。だからこそ深く身をかがめたシンスイめがけて右足を下から上へ振り出した。

 

 対し、シンスイは靴裏を持ち上げ、前蹴りの脛を受け止めた。

 

 防がれて間もなく、シャオメイは次の攻撃へ疾風のごとく転じた。前蹴りに出した右足へ重心を譲渡し、勁力を込めた左掌を放った。

 

 シンスイは独楽(こま)のように回転しながら左へ移動し、左掌を紙一重で避けた。さらに、回転の勢いをそのまま右回し蹴りへと利用する。

 

 シャオメイは前足に乗った重心を素早く後足へ引っ込め、その移動に上半身の動きを同調させた。シンスイの右回し蹴りがこちらの腹部の布をチッ、と擦過。

 

 遠心力に従うまま後ろを向こうとし始めたシンスイの背めがけて、再び重心移動の勢いを乗せた左掌底を走らせる。

 

 だがその掌底を、鉤爪状にして戻されたシンスイの蹴り足によって横から弾かれる。それによって強制的に胸を開かされた。

 

 胴体のど真ん中へしたたかに蹴りが叩き込まれた。

 

「くっ……」

 

 どうにか【硬気功】による防御が間に合い、痛覚はない。だが【気】の力を乱用すると体力を消耗するので、こんな防御を何度も繰り返すわけにはいかない。

 

 ――何という精密で、変幻自在の脚法か。

 

 シンスイは急に破壊力抜群な勁撃をやめ、蹴り技のみで仕掛けてくるようになったのだ。

 

 何を考えてそうしているのか、よく分からない。

 

 だが、決してヤケになったわけではなさそうだ。

 

 

 

 さっきからその蹴りに当たってばかりなのだから。

 

 

 

 非常に精密な動きをするシンスイの脚部は、器用にこちらの攻め手を払い、受け流し、こちらに隙を生み出し、そこへ的確に蹴り込んでくる。

 

 その軌道は、まるで稲妻模様を彷彿とさせた。

 

 明らかな「技」の匂い。

 

 基本的に他流派に無関心なシャオメイも、流石に聞かずにはいられなかった。

 

「……なんだ、「それ」は」

 

 するとシンスイは、次のようにうそぶいた。

 

「さっきも言ったでしょ。【縫天脚(ほうてんきゃく)】さ」

 

 今まで高威力の打撃ばかりを使っていたので、【雷帝】の伝説を含めて考え、シンスイの持ち味は高威力の打撃だけだと思っていた。

 

 ……しかし、こんな厄介な蹴り技まであったなんて。

 

 今度はシャオメイから仕掛けた。跳ねるような足さばきで一気に間を潰し、前蹴り。それを横へ動いて逃れるシンスイ。

 

 だが次の瞬間、シャオメイは軸足を跳ね上げ、蹴り上げたばかりの自分の片足へもう片方の膝を叩き込んだ。【飛陽脚】が発動し、シャオメイの重心が空高く跳ね上がった。

 

 そこからさらに重心を蹴り、今度は斜め下へ我が身を跳ばした。上空で狭い角度をつける軌道で、シンスイめがけて足裏から落下。――だが、それも避けられる。

 

 シャオメイは、シンスイが避けた方向へ鋭く足と身と掌底を進めた。

 シンスイがこちらの懐へ入りつつ避けたのを「狙い通り」と心中でつぶやく。

 一度の吐息とともに猛烈な拳打の連発を放った。【連珠砲動(れんじゅほうどう)】。

 

 雨あられの如き拳は、いくらかは防ぎ躱せても、いくらかは当たる。そう思った。

 

 しかし、その期待はすぐに裏切られた。

 

 ――当たっていない!?

 

 三つ編みの美少女は、放った一拳を側面から蹴りつけてシャオメイの体幹へ揺さぶりをかけた。それによって上半身の位置をずらし、次に放つもう片方の拳の軌道を歪ませているのだ。歪められた次の拳はシンスイがいる位置より若干ズレた位置の虚空を打っている。……それを何度も繰り返すことで、雨の如き連続拳を一発も受けずにいた。

 

 あっという間に一息吐ききった。

 

 吸う瞬間は隙となるので、迅速に退歩しつつ鼻から空気を充填し、追い討ちをかけるべく向かって来たシンスイへもう一度【連珠砲動】を試みる。

 

 ……だが、今度は二拳目以降を打つ事さえ許されなかった。

 

 放った【連珠砲動】の一拳目へ、シンスイは体を横へ向けつつ蹴りを放った。その蹴りはこちらの拳の内側を滑り、それをなぞる形で腕の根元がある中心――すなわち胴体へとぶつかった。

 

 大した威力ではなかったものの、重心の均衡を崩されたせいで技の中断は免れなかった。

 

 後ろへたたらを踏んだのはほんのわずかな時間。しかしシンスイはそのわずかな隙を突く形でもう一度胴体へ蹴りを叩き込んできた。

 

 くぐもった呻きをもらしつつ、シャオメイは後方へ飛ばされた。しかし足と地面の摩擦で勢いを殺し、持ち直す。

 

 なんたる的確さ。なんたる緻密(ちみつ)さ。

 

 【縫天脚】。その名の通り、まるで天を縫うように翔ける雷のようである。

 

 だが、それよりも、なによりも、重大な事があった。

 

 

 

 

 

 ――――盗めない。

 

 

 

 

 

 すでにこの技の動きは十分すぎるほど見ている。その術を取り巻く「理」も読めている。

 

 だというのに、【縫天脚】をいまだ我が物に出来ていない。

 

 なぜ真似できない?

 

 その答えは明白だ。

 

 

 

 この技は、技であって(・・・・・)技ではないからだ(・・・・・・・・)

 

 

 

 この精緻(せいち)な脚法は、李星穂(リー・シンスイ)という武法士が持つ、飛び抜けた足の功力(こうりき)があってこそ成り立つもの。

 

 シンスイの脚の動きの精密さは、達人を通り越し、もはや変態の領域にまで達している。

 

 【縫天脚】などという技名を称してこそいるが、これはそんな「変態的に精密な足の動き」を最大限に活かしただけの「脚による攻防」に過ぎない。

 

 ゆえに――その技は『定形(ていけい)』を持たない。

 

 シャオメイが模倣できるのは、体術が『定形』な技のみだ。相手が積み上げた功力までも真似することは出来ない。そんな怠慢を【太極炮捶】は許しはしない。

 

 シンスイがまたも追いすがり、回し蹴り。

 

 それを後ろへ飛び退いて避ける。すると、シンスイは軸足を跳躍させて再びシャオメイを足の間合いに収め、ぐるりと円周して戻ってきた回し蹴りをまたも見舞う。

 

 このまま下がり続けていては、延々と回し蹴りを見舞ってくるに違いない。

 

 そう判断したシャオメイはあえて前へ進んでシンスイの懐へ入り、比較的遠心力の弱い蹴り足の太ももを受け止める。……あの馬鹿げた脚力とは不釣合いなほど柔和で細い脚だった。

 そのまま肩口から体当たりを仕掛けようとする。

 だがシンスイは受け止められた蹴り足をシャオメイの足の隣へ降ろすと、そこへ体ごと重心を移して体当たりを躱す。さらに背後へと回り込み、こちらの背中を踏むように蹴った。

 

 前のめりに押し流されたシャオメイは、そこへ追い討ちが来ることを懸念した。回転しながら跳ね、振り向きざまに蹴りを横から横へ降り抜く。それによって、三つ編みの少女の侵攻をわずかな時間ながら妨害することに成功した。そのわずかな時間で重心の均衡(きんこう)を取り戻す。

 

 電光石火の勢いで急迫してくるシンスイ。外から内へ弧を描く形で右足を振り抜こうとするが、シャオメイはそれよりも速く懐へ詰め寄る。

 先ほどと同じく、蹴り足の付け根付近を左手で押さえることで右回し蹴りを止めつつ、今度は体当たりではなく右掌を真っ直ぐ打ち出した。

 

 が、またしてもシンスイの行動は的確かつ機敏だった。

 受け止められた右足を、元来た軌道へ戻すように迅速に引っ込めた。さらにその足に重心を移し、斜め後ろへ大きく立ち位置を退いてこちらの右掌打を避けてみせた。

 

 そこからシンスイはすぐに手前へ戻り、下から上へすくい上げるような蹴りを走らせた。

 

 シャオメイは両前腕を交差させ、その又で下からの蹴りを受け止めた。

 シンスイはすぐにこちらの両腕から蹴り足を引き、そのままこちらの胸を真っ直ぐ狙った蹴りへと変化させた。それを体の捻りで間一髪躱す。

 

 滑らかで変化多彩な蹴りの数々。

 なんてやりづらいのだろう。

 どれだけ(みつ)な攻め手を用意しても、針穴に糸を通すようにして通り抜けられ、まともに蹴りを当てられてしまう。

 回避しようにも、相手はこちらのわずかな隙さえ見抜いて蹴りこんでくるため、いずれ食らってしまう。

 

 ここまで来て、ようやく【縫天脚】という技の本質を掴んだ気がした。

 

 

 

 あれは――"必ず当たる蹴り"なのだ。

 

 

 

 そんなとんでもない脚法が、俗世にはあったのだ。

 

 自分の【太極炮捶】至上主義は、とてつもなく偏狭な考え方なのではないか。

 この主義を貫き通すことは、【太極炮捶】を再び偉大にするどころか、逆に衰亡させてしまうのではないか。そんな気持ちが湧いてくる。

 

 ……弱気の虫を起こすな。

 

 シャオメイは自身を戒める。

 

 ああ、認めよう。この国は広い。【太極炮捶】を除いても、素晴らしい武法が星の数ほどあるのだろう。百歩譲ってそこは認めよう。

 

 だが、それでも自分は【太極炮捶】を将来背負って立つ存在なのだ。たとえ他の流派が優れていようと、自門の劣等を認めるわけにはいかない。

 

 勝てるかどうか分からなくても、たとえ勝てなくとも、全力で戦い抜く。そうするべきなのだ。

 

李星穂(リー・シンスイ)……認めよう。現時点では、私ではお前に勝てるかどうか分からない。いや、もしかすると負けるかもしれない。我が門の面汚しとはいえ、武林で雷鳴のごとく名を轟かせた【雷帝】の拳。その力は伊達ではなかったというわけか……」

 

 そこまで弱々しく言ってから、シャオメイはグッと腰を落とし、左足を前にした半身の立ち方を取った。

 

 そこから先の口調からは、もう弱さの響きは消えていた。

 

「……だが、私も自分の負けや劣りを認めるわけにはいかぬ立場ゆえな。ここで白旗を掲げるわけにはいかないんだよ。だからこそ――【太極炮捶】の絶技の一つでお前にあたり、地に伏せさせてやる」

 

 絶技、と聞いてシンスイは何やら一瞬目を輝かせた気がしたが、すぐに真剣な表情の裏に隠し、呼吸を整え始めた。

 

 何となく分かる。次の手で、シンスイは全力の勁撃を出してくることが。

 何となく分かる。次の技のぶつかり合いで勝敗が決まることが。

 

 もし、万が一、この戦いで敗北したならば。

 

 その日を境に――私も少し大人になることにしよう。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 正午となる時間帯。紅蜜楓(ホン・ミーフォン)勾藍軋(ゴウ・ランガー)の戦闘はまだ続いていた。

 

「くそっ、ボロクズの分際でちょこまかとっ!」

 

 ランガーの苛立った声。

 

 ミーフォンはボロボロの有様になりつつも、懸命に、かつ賢明に戦っていた。

 

 実力差は歴然だった。普通にぶつかり合えば、もうすでにランガーの勝利は確定していた。

 

 けれど、武法とは弱い者が強くなるための「技術」だ。

 ただ単純な馬力や身体能力の高さだけが勝利の鍵であるならば、その時点で「技術」としての存在価値は皆無となる。

 

 確かに、技の威力、脚力、腕力といった基礎的な功力は、遠く及ばないかもしれない。

 

 だが、自分は【太極炮捶】の中にある多くの技術と触れ合ってきた。

 

 知っている技の数なら自分の方が上だと言える自信がある!

 

 ――よく考えてみれば、当たり前のことだったのだ。

 

 武法の技には、別に「教えられた方法通りの使い方しかしてはいけない」という決まりなど無いのだ。

 その技から、手法や歩法だけを一部抜き出し、好きなように使ってもいい。

 そう考えると、ミーフォンはあまりにも多くの回避方法、防御方法を知っていることになる。

 

 それらの蓄積が、ランガーという格上の相手に食らいつくための、ささやかな牙となっていた。

 

 姉に追いつかんとして、ついに叶わなかったミーフォン。

 けれど、そのために積み重ねたミーフォンの頑張りは、無駄ではなかったのだ。

 

「いい加減諦めろ、クソ女ぁ!」

 

 眼前に鉢合わせたランガーが、鋭い運足に合わせた拳を放つ。

 

 ――この男の動きにも、徐々に目が慣れてきた。

 

 ミーフォンは拳が自分に到達するであろう時間を冷静に予測してから、小さく体を横へズラす。

 正拳が耳の横で空を切るのと同時にランガーの胸の中へ侵入し、肘鉄を打とうとする。

 

「しゃらくせぇっ!!」

 

 それを読んでいたのであろうランガーが、重心の乗っていない方の足を蹴り上げた。

 ギリギリでその蹴りを察知したミーフォンは、全力で後ろへ退がる。蹴りは服をかすめただけで、当たらずには済んだ。

 

 けど、これで終わりじゃない。攻撃は流れるように続くのだ。

 あの振り上げられた足は、いつか地面に下ろさないといけない。

 なら、その下ろす足をどうやって再利用する?

 ――おそらく、かかと落としか、蹴り足でそのまま踏み込んで勁撃。

 

 後者だった。

 

 動作の過程が途切れて見えるほどの速度で肘を放ったランガー。――しかしその肘の先にミーフォンはすでにいなかった。

 

「ぐはっ!?」

 

 すれ違いざま、ミーフォンの膝蹴りがランガーの脇腹へ突き刺さった。

 

 意表を突かれたことによる微かな動揺を、ミーフォンは雨あられのごとき連続正拳で突いた。【連珠砲動】。一息で多くの手数を放つ。

 

 拳はランガーを的確にとらえるが、怒りで痛覚が鈍化しているのか、こちらの連続拳をもろともせずに足を進めようとしてくる。

 

 ミーフォンは【連珠砲動】を中断。最後に放った拳を開き、ランガーの片腕を掴み取る。そのまますぐに重心を真後ろへ移動させた。

 

 後ろへ流れるミーフォンに引かれ、前のめりになるランガー。

 

 足底を撃発させ、上肢に力を送り、それをさらに肘へと送る。こちらへ手前へ向かってくる力に逆らう形で肘を叩き込む。

 

 矛盾した力の激突がより強い力を生み、ランガーが倒れ臥す……と思った。

 

「っの…………小娘がァァァァ!!」

 

 だが限界を突き抜けた怒気が膨れ上がると同時に、ランガーは震脚した足を強く捻り込んだ。螺旋状の反力がランガーの全身を竜巻よろしく旋回させ、その渦中にミーフォンを巻き込んだ。

 

 力の竜巻に投げ出され、草原を転がる。受身を取ってしゃがみ姿勢になるが、膝をついた楽な体勢をとった瞬間、今まで目をそらし続けていた疲労が一気に押し寄せた。

 

 しかし、殺気を満々にめぐらせたランガーの姿を見た瞬間、疲労を危機感が上回った。

 

 一気に我が身を右へ切り、風のような速力を乗せて放たれた蹴りを間一髪で躱す。跳ね起きる。

 

 ランガーは鼻血を腕で拭い、再び向かってきた。

 

 対してミーフォンは正面から挑む。前方から飛んでくるであろう攻撃に備えて両掌を前に構えるが、こちらの間合いに入った瞬間ランガーの姿が消え、

 

「がっ!?」

 

 背中に重々しい衝撃がぶち当たった。

 

 一瞬息を詰めつつ背後を一瞥すると、ランガーが蹴り足を引っ込めている姿が見えた。そこからさらにもう一撃加えんとばかりに距離をもう一歩詰めてきた。

 

 それなら、こっちから近づいてやる――ミーフォンは前には逃げず、あえて後ろへ一歩退がった。背後へ重心を移動させる勢いで、背中による体当たりを仕掛ける腹づもりだった。相手もまたこちらへ直進してきているため、力同士がぶつかり合って威力が増すだろう。

 

 しかし、背中に全く手ごたえを感じなかった。……真上に影が差す。

 ランガーはこちらの真上に跳躍していたのだ。

 かと思えば、こちらへ向かって下弦を描く形で片脚を振った。それを横へ動いてなんとか躱す。

 

 着地する直前は、あえて狙わない。向こうもそこが隙になる事を分かっていて、なおかつそれに対する心構えをしているはずだからだ。

 

 ランガーは着地し、加速。

 

 ミーフォンも同時に加速。予備動作を一切作らず、一気に最高速度まで達する高速の正拳【霹靂(へきれき)】。

 

 ――通常、【霹靂】は他の技よりも威力が低めだ。なので決め手には不向きであり、主に速度を生かした奇襲や牽制に用いられる。

 

 しかし、ミーフォンが向かう先から、ランガーもまた手前へ直進して来ている。……これはつまり、逆方向から向かってくる力も威力に加算できるということだ。

 

 ランガーが放った雷光のごとき拳打。その拳の側面に自分の拳の側面をこすらせ、軌道をずらし、懐へ入り込み――衝突。

 

「ぐぉっ……!?」

 

 ランガーが呻いたのと、ミーフォンが拳越しに確かな手ごたえを感じたのは、まったく同時だった。

 

 今度こそ、雌雄を決するに足る一手だと思った。

 

 しかし、そう思ったことで、今まで引き締まっていた心にかすかな緩みが生じた。

 

「このっ…………クソガキがぁっ!!」

 

 その緩みを、ランガーは猛烈かつ正確に突いてきた。痛みと怒りを食いちぎったように切歯しながら、前足で踏み込む。

 爆風が起きそうなほどの重心移動に伴った虎爪手(こそうしゅ)がミーフォンの体に鋭く叩き込まれ、勁力が刺さるように伝わった。

 

 一瞬白眼を剥きそうになるが、渾身の意志力で意識を現実につなぎとめた。ミーフォンは蹴飛ばされた鞠のように後方へと弾き飛ばされ、ランガーから約5(まい)離れた位置でうつ伏せになった。

 

 腹部に受けた勁の痛々しい余韻が身体中に波及する。しかしそのねちっこい痛覚よりも、土壇場における自分の甘さへの怒りの方が強く感じられた。

 

 ――自分は、なんてせっかちで早計なのだろうか。

 

 シャオメイなら、【霹靂】が決め手になり得たとしても、決して手を抜かないだろう。きっと通用しなかった場合における対処法を何通りも考えるに違いない。

 

 それに比べて、自分は何と短気なことか。

 

 思えば、自分はこれまで「近道」ばかりを求めてきた。

 

 手っ取り早く功力をつけるための「近道」を求めていた。

 手っ取り早く名声を高めるための「近道」を求めていた。

 手っ取り早く攻め入る隙を見つけるための「近道」を求めていた。

 

 そんなもの、存在しないことくらい分かっている。けれど理屈はそう理解していても、本能が「近道」を探しているのだ。

 

 功力――すなわち修行による力の蓄積とは、積み木と同じだ。一段一段地道に積み上げていくもの。よほどの天才でもなければドカンと二、三段も積み上げられない。

 

 自分という人間はきっと、本質的には怠け者なのだろう。

 

 それでも、ミーフォンにはただ一つ、熱心に積み上げていた「積み木」があった。

 

 【臥牛一条拳(がぎゅういちじょうけん)】――【太極炮捶】における基本中の基本。

 

 幼い頃、姉のシャオメイから「他の何が出来なくてもいい。でもこれだけはちゃんとやっておくんだぞ。そうすればお前は大成するから」と笑顔で教えられた【拳套】。

 

 思えば、その教えだけはキチンと守っていた。他の何が腐っても、【臥牛一条拳】だけは大切に大切に学んだ。だからこそわかることがある。

 

 【臥牛一条拳】は、非常に合理性の高い技の結集だ。

 

 ――自分の足元に寝そべる一頭の牛を思い浮かべ、その中でのみ拳を打つ。そうすることによって、窮屈な状況下でも満足に戦えるようにする。

 

 ――さらに、その仮想の牛を縦に分割するような「直線」を思い浮かべ、その線に拳や掌の動きをなぞらせる。それによって、ぶれている勁の向きをまっすぐに整え、勁に針のような鋭さと速さを与えていく。

 

 その二つの要訣のうち、特にミーフォンが注目していたのは後者だった。

 

 打撃というのは、本人が真っ直ぐ打っているつもりでも、「力の向き」は真っ直ぐになっていないことがほとんどだ。

 

 それは、"高度な打撃法"である【勁撃】もまた同じ。まっすぐ直線軌道で勁を走らせているつもりでも、実際には直線状とはいえない歪んだ軌道になっていることが多い。

 

 

 

 「直線」こそが、速く、鋭く、強く進むための一番の「近道」。

 

 

 

 そう。「近道」なのだ。

 

 ずるがしこく横道にそれることなく、ただ真っ直ぐ進むことが――最高の「近道」なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時。

 

 場所は違えども、まったく同じ時期と時刻に。

 

 長女と三女の視界の中心に――――前へ真っ直ぐ伸びる「直線」が浮かび上がった。


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