一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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殴り込み

 ――シンスイが指名客を殴り飛ばすという痛恨の大失敗を犯す、数時間前。

 

 

 

 あかね色の光が西の彼方へ姿を隠れるのに合わせて、空の下には闇が下り始めていた。

 

 そしてその夜闇の中、煌々と自己を顕示する大きな光の集まりがあった。

 

 そこが色町【甜松林(てんしょうりん)】の隣にある――【会英市(かいえいし)】という町だった。

 

 正方形を形作るように密集した、無数の灰瓦の屋根。大通りは、その正方形の南西の(かど)から北東の角までを貫く形で一直線に伸びている。

 

 宮莱莱(ゴン・ライライ)紅蜜楓(ホン・ミーフォン)が町の形を知っているのは、何も空を飛んで俯瞰したからではない。南西側の入口の端にある立て看板に書かれた【会英市】の簡単な地図を見たからだ。

 

 【滄奥市(そうおうし)】よりは明らかに見劣りするが、それでもなかなか大きな町だった。夜になり始めているが、寂しさを感じない。未だに多くの店が明かりを灯して商いに勤しんでいた。人通りもそこそこ多い。これが昼間だったら、もっと賑わいがあるのだろう。

 

 ライライたちがここに来た理由はただ一つ。奪われた【吉火証(きっかしょう)】を探すためだ。

 

『私は【会英市】の人間である上、一度治安局にタンイェンをチクった事がある。だから奴に顔が割れていて、なおかつ警戒もされているわ』

 

 高洌惺(ガオ・リエシン)は、自分が【会英市】の人間であると口を滑らせた。

 

 さらにリエシンは徐尖(シュー・ジエン)と兄弟弟子の関係。つまり【奇踪把(きそうは)】の所属。

 

 【会英市】に【奇踪把】の武館があったなら、まずはそこを尋ねてみようと考えたのだ。

 

 リエシンは自分を犠牲にする覚悟と、何が何でも目的を達成しようとする執念を持っている。しかし、もしかすると彼女の仲間の一部はそうでもないかもしれない。なので、そこを攻めてみようと思った。

 

 しかし、腹が減っては戦はできぬ、という言葉がある。まずは空きっ腹を満たしてから行動に移そうとライライは考えた。

 

 当然というべきか、ミーフォンは「そんな悠長な事やってる場合じゃないわよ!」と突っかかって来たが、その途端に彼女の腹の虫ははっきりと鳴いた。体は実に正直である。真っ赤になったミーフォンの意見を半分尊重する形で、歩きながら食べられる軽食をいくつか購入することが決まった。

 

 その軽食片手に、二人は【会英市】の【武館区(ぶかんく)】へと立ち寄った。

 

 理由は簡単。この町における【奇踪把】の武館の有無と、その場所を聞くためだ。

 

 通りすがりの武法士を訪ねた結果、この町には【奇踪把】の武館があるという情報と、そこまでの道のりの情報が得られた。

 

 得た手がかりを元に、ライライたちは夜の街路を歩く。

 

 そして、手元の軽食を全てたいらげた頃には――到着していた。

 

 四角く土地を囲う土塀の一箇所は、背の高い木製の両開き扉となっている。そして今まさに、一人の男がそこを開けて中に入ろうとしていた。

 

 ちょうどいい。まずは彼に話を伺おう。

 

 ライライの考えている段取りはこうだ。まず、リエシンと徐尖(シュー・ジエン)が所属しているかどうかを誘導尋問で確認。もし所属が確認できたら、話し合いで【吉火証】の返還を要求。それが受け入れられなかったら実力行使。武力に訴えるのはあくまでも最終手段である。

 

 しかし、歩き出した自分の横を――ミーフォンが放たれた矢のような勢いで通り過ぎた。

 

 扉の奥へ入ろうとしている男に向かって、迷いのない一直線軌道で突っ込んでいく。

 

「ちょっ、ミーフォン、あなた何を――」

 

 する気なの、と言い切る前に、ミーフォンは男の背中めがけて回し蹴りを叩き込んだ。

 

「ギャ!!」

 

 背後からの予期せぬ攻撃に、男は声を上げて吹っ飛んだ。扉を破り、土塀の中の敷地内へと放り出される音。

 

 ミーフォンはそれを追って、扉の奥へ入る。

 

 土塀の中がざわめき立った。

 

「オラァ!! 【奇踪把】のイモムシ共!! とっとと高洌惺(ガオ・リエシン)徐尖(シュー・ジエン)を出しなっ!!」

 

 次に、ミーフォンの鋭い怒号が耳に届いた。

 

 ライライは本気で頭を抱えたくなった。まずは話し合いで聞き出すつもりだったのに、ミーフォンはいきなり強行突破してしまった。あんな入り方では道場破りと何も変わらないだろう。血の流れる展開が現実味を帯びた。

 

 だがその強行突破は、ミーフォンが内心に抱く焦りをよく表しているようだった。

 

 ――やってしまったものは仕方がない。

 

 ライライは開け放たれた扉の中へため息混じりで入り、ミーフォンの隣へ駆け寄った。

 

 四角く広がった広場の中には、大勢の男たちがいた。その顔は軒並み、闖入者に対する驚愕に満ちていた。

 

 が、その驚愕の表情は、やがて憤怒のソレに変わる。

 

「貴様なんのつもりだ!? ここを【奇踪把】の武館であると知っての児戯か!? どこの流派の回し者だ!!」

 

 男の一人が、殺気を周囲にたくわえてそう怒鳴ってきた。

 

 ミーフォンは高慢に鼻を鳴らし、

 

「ハッ、盗っ人流派に教えてやる義理はないわね! 痛い目に遭いたくなかったら、今すぐ高洌惺(ガオ・リエシン)徐尖(シュー・ジエン)をふん縛ってこっちに寄越しなさい!」

 

「訳の分からん事を!! とにかく、この武館を愚弄するような真似をした以上、二人とも無傷では返さんぞ!!」

 

 え? 二人とも? やっぱり私も入っているの? しかけたのはミーフォンなのに? ライライは理不尽な気分になった。

 

 しかし、すでに向こうはやる気十分の様子。何もせずに帰してくれる未来は全く予想できなかった。

 

 武法の世界は綺麗事ばかりではない。ミーフォンがさっきやらかした行為は、この武館の看板に泥団子を投げつける行為に等しい。面子を潰された怒りに任せ、全員で向かって来ることだろう。

 

「上等よ。普通に訊いて吐かないんなら腕づくで吐かせてやるわ!」

 

 ミーフォンはそう勝気に言うと、持っていた手提げ鞄を土塀の隅に投げ捨てた。そして上着の背中の裾口に片手を入れ、衣擦れの音とともに何かを取り出した。

 

 それは、鎖で一本線状に繋ぎ合わされた、三本の短い鉄の棒。――三節棍(さんせつこん)。鎖に繋がれた短棒を遠心力で振り回し、敵を打つ打撃武器だ。

 

 かと思えば、ミーフォンは三節棍同士を繋ぎ合わせている二本の鎖を棒の中の収める――どうやら棒の中は空洞になっているようだ――。そして、三本の短棒の先端同士を接触させたまま数度ねじり、そして「カチッ」という音とともに連結させた。

 

 あっという間に、全長約150厘米(りんまい)におよぶ鉄の長棒が組みあがった。

 

 ライライは理解した。あれは連結式三節棍だ。三節棍としても使えるが、三本の短棒同士を連結させて一本の棍にすることもできる。長物である棍はあまり持ち歩くのに向いていないが、この連結式三節棍は隠し持つことが可能なのだ。

 

 さらに連鎖的に思い出す。【太極炮捶(たいきょくほうすい)】には棍法に優れた者が多いことを。

 

 この状況に危機感を感じる一方、【太極炮捶】の総領筋にあたる(ホン)一族の棍さばきがいかほどのものであるのかに、若干の興味が湧いた。

 

 得物を持たれたせいか、男たちの表情がさらに険を帯びる。

 

 もう引けないわね――仕方なしに覚悟を決めたライライは、ミーフォンと同じく土塀の近くへ鞄を投げ置いた。

 

 「ボスンッ」という落下音が聞こえた瞬間、男たちは一斉に飛び出した。

 

 ――戦いが始まった。

 

 最初にライライが行ったのは、ミーフォンと距離を取ることだった。そうすることで棍の射程圏内から外れ、彼女が戦いやすいようにしたのだ。味方の自分が近くに居ては、満足に棍を振れないだろう。

 

 ミーフォンはこっちを見ないまま口端を歪めた。どうやら自分の意図が伝わったらしい。

 

 そこから、ライライは自分の戦いに意識を集中させた。

 

 横一列に並んで向かってくる三人の敵。

 

 ライライはまず、一番右の男へ素早く前蹴りを打ち込み、吹っ飛ばす。

 

 そしてすぐさま後方へ跳んだ。約半秒後、さっきまで自分が立っていた位置を、残った二人の男の正拳が貫いた。

 

 空振りを確認すると、ライライは再び前に戻り、回し蹴りを放った。二人は極太の鞭のような蹴りに巻き込まれ、真横へ大きく転がった。

 

 次の敵の来襲は早かった。前から急迫してきた男が、柳葉刀を横薙ぎで振ってきた。

 

 しかし、その刃が斬ったのは空気。ライライはすでに大きく背中側へ跳躍し、後ろにあった土塀の表面を片足で踏みしめていた。その足でそのまま壁面を蹴って飛び出し、柳葉刀の男の顔面に膝を叩き込んだ。

 

 敵がまた一人沈んだが、まだ安心はできなかった。周囲から一点(ライライ)を挟撃しようとしている連中の存在に気づいたからだ。その数、ざっと見積もって六人。

 

 ライライは鍛え上げた脚部の【(きん)】の力を引き出し、できるだけ高く真上に跳躍した。自分の背後から正拳を突き出そうとしていた男の両肩を踏み台にし、その真後ろへと降りる。

 

 目の前には、六人の塊があった。

 

 ライライは臍下丹田に【気】を集中させると、片膝を抱え込む。

 

「はぁっ!!」

 

 そして、靴裏を真っ直ぐ前へ突き放つのと同時に――【炸丹(さくたん)】させた。

 

 気力が少し抜け落ちる感覚とともに、元々の蹴りの力がさらに倍加。その衝撃をモロに受けた六人の塊は、まるで落ちた石が砕けるようにあちこちへ散り飛んだ。落下音が六人分重複する。

 

 本当は回し蹴りでまとめてなぎ倒したかったのだが、それは無理だった。【炸丹】は、【気】の爆発によって生じる体の外側への張力を、打撃力に転化する技術。つまり、体の中心から外へ向けて放つ技にしか使えないのだ。

 

 少しだけ余裕が出来たので、ミーフォンの様子を一瞥した。

 

 見ると、彼女もなかなか上手く立ち回っていた。自分の背丈よりも少し高い棍を、まるで自分の手の延長のごとく生き生きと操り、四方八方から迫る敵を次々と蹴散らしている。

 

 ミーフォンの棍さばきは、予想通り達者なものだった。彼女と、彼女の刻む棍の動きは、水上で翻る蓮華のように華麗で、且つなめらか。しかしその上品さの中には確かな鋭さと圧力が内包されていた。美しさとしたたかさを兼ね備えた、海千山千の麗人を彷彿とさせる。

 

 ライライは我知らず目を奪われていたが、近づいて来る三人の敵の存在を新たに感じ取り、ハッと我に返った。

 

 一人目の男の正拳を紙一重で躱しつつ、その足を鋭く払う。

 その一人目の後ろから飛び出した二人目の男の腹へ靴裏を叩き込んで沈める。

 右から円弧軌道を描いて接近してきた三人目の男の手にある直剣を足で叩き落とし、それから回し蹴りで薙ぎ払う。

 

 円滑に敵を処理出来たことに気分が良くなる一方で、ライライはある事に気がついた。

 

 ――【奇踪把】の十八番である変幻自在の歩法を、敵がほとんど使ってこないのだ。

 

 そしてその理由も、ほとんど考える時間を要さずに察することができた。

 

 人が密集しているからだ。

 

 パターンの無い変幻自在な歩法で相手の攻撃を躱し、幻惑し、そして付け入る隙を導き出してそこを突く――それが【奇踪把】の基本的戦闘理念。

 

 しかし、その戦法は遮蔽物の少ない場所でこそ真価を発揮するもの。

 

 つまり、今のような状況――限られた範囲内に多くの人間が密集した状況では、その伝家の宝刀(変幻自在の歩法)は満足に機能しなくなる。有効な策に思える人海戦術が、逆に彼らの足を引っ張っているのだ。

 

 おまけに倒れた仲間が足元に転がっていることも、歩きづらさを手伝っているようだった。

 

 しかし、自分たちの武館を愚弄された事で頭に血が昇っているのか、敵側はその事に気づいていない様子。

 

 歩法さえ封じてしまえば、【勁擊(けいげき)】の威力が低めな【奇踪把】はそんなに怖くはない。警戒するとすれば【点穴術(てんけつじゅつ)】くらいだ。

 

 ミーフォンの無謀な突入は、結果的に戦略として成り立っていた。偶然なのか計算ずくなのか、自分には分からないが。

 

 以降も、仲間という名の足枷によって動きの鈍った男たちを次々と倒していった。

 

 動きを大きく制限された相手を蹴散らすのは実に簡単だった。まるで陸に打ち上げられた魚と戦っている気分である。

 

 大多数を寝かしつけ、立っている人間の数が減った後も、状況は変わらない。相手は倒れた仲間が邪魔で歩法を行えず、やはり鈍足だった。こちらのやる事はそれらをただ倒すのみ。

 

 しかし、それも無限には続かない。終わりは来るべくして来た。

 

 気がつくと、攻撃が止んでいた。

 

 周囲を見る。この場に立っているのは、自分とミーフォンの二人だけ。あれだけ大勢いた敵はすっかり雑魚寝状態だった。

 

「……ふぅ」

 

 それを確認した瞬間、ライライは額に浮かんだ汗を拭いながら、大きな溜め息をついた。

 

 ――やっと終わったか。

 

 正直、最初から喧嘩をする気で来たわけではなかったので、彼らをこんな目にあわせた事に多少の心苦しさを感じた。

 

 一方、ミーフォンはそんな良心の痛みを欠片も見せず、倒れている男の一人に掴みかかって気炎を吐いていた。

 

「ほら、言え! あんたらが高洌惺(ガオ・リエシン)とグルだって事は分かってんのよ! さっさと【吉火証】の隠し場所を吐きなさい! でないとマジ殺すわよ!」

 

 怪我人相手にもあの容赦の無さ。気後れを通り越して苦笑がこみ上げてきた。

 

 でも、こんなふうに笑えるのは、戦いが無事に済んだからである。数の面ではこちらが明らかに不利だった。【奇踪把】の歩法が使いにくい状況が偶然出来上がらなかったら、勝率はもっと低かったはずだ。

 

「は、はあ……? だ、誰だよそれ……? そんな奴しらねぇよ……」

 

 問い詰められた男は、かすれた声でそう訴えてきた。

 

 ミーフォンは掴んだ胸ぐらを乱暴に引っ張り上げ、

 

「ああん!? パチこくんじゃあないわよ!!」

 

「ほ、本当にしらねぇって。その(ガオ)ナントカなんて奴、ウチにはいねぇよ……」

 

 男は殺気満々なミーフォンの瞳を真っ直ぐ見つめ、すがるような必死さで言った。

 

「……いいわ。そんなに言いたくないのなら、多少強引にでも吐かせてやるわよ」

 

 ミーフォンは業を煮やした様子で、もう片方の手をゆっくりと男へ伸ばし始めた。おそらく、苦痛を使って無理矢理自白させるつもりだろう。

 

 ――ライライは素早く駆け寄り、その手を掴んで止めた。

 

「なっ……何よライライ!? 邪魔する気!?」

 

 当然ながら、ミーフォンは不満そうだった。

 

 ライライは子供を諭すように言った。

 

「落ち着きなさい。ここに突っ込んだ時といい今といい、あなた少し焦りすぎよ」

 

「焦らずにいられるあんたの神経を逆に疑うわよ! 分かってんの!? こうしてる間にも、お姉様は――」

 

「分かっているわ。私だって、一刻も早くシンスイを【甜松林】から出してあげたい。でも、だからこそ落ち着くの。そうしないと、見える真実も霧に隠れて見えなくなるわ」

 

 ライライがミーフォンを止めたのは、焦っていると感じたからだけではない。

 

 「リエシンを知らない」という男の主張が、嘘に思えなかったからだ。だって、怖いくらいに殺気立ったミーフォンの瞳から目を逸らさず、真っ直ぐ見ていたのだから。

 

 そしてさらにもう一つ、ライライには引っかかることがあった。

 

「ミーフォン、あなたが戦った相手の中に――【軽身術(けいしんじゅつ)】を使っていた人はいた?」

 

 その問いに対し、ミーフォンは何かに気がついたように大きく目を見開くと、

 

「…………いなかったわ。一人も」

 

 しばらくして、バツが悪そうな顔でそう答えた。

 

 ――そうなのだ。ライライが気になったのはその点である。

 

 シンスイから【吉火証】を奪い取った黒ずくめの男も、リエシンの仲間だという。そしてその男は【軽身術】を駆使し、まんまと逃げおおせたのだ。つまり【奇踪把】だけでなく【軽身術】も持っていないと、リエシンの仲間であると認定できないのである。

 

 ライライが戦った相手の中に、【軽身術】を使う者は一人もいなかった。そしてそれはミーフォンも同じだった。

 

 ライライは最後の裏付けを取るべく、手近に倒れている男に問うた。

 

「あなたたちって【軽身術】は修行してるの?」

 

「……あんな大道芸、俺たちの武法には必要ない」

 

 ――決まりだ。

 

 この武館はリエシンのいる武館ではない。

 

 自分たちはハズレを引いたのだ。

 

「だとするなら、一体どこなの……?」

 

 ライライは空を見上げ、問える相手のいない疑問を吐き出す。

 

 しかし、夜空が返してくるのは、月光と星明りだけだった。

 


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