一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
ボクは日頃の鍛錬ゆえに、体力には自信があった。そのため、飛賊との追いかけっこはかなり長引いた。
しかしながら、地の利の差は歴然だった。
ボクは木々が乱立して入り組んだ森の中をいちいちかいくぐって進まなければならず、進行が遅かった。しかし飛賊はサルやモモンガのような気軽さで木から木へ飛び移り、ボクよりもすいすいと円滑に移動した。
おまけに、飛賊の逃走には戸惑いや躊躇が無かった。まるで森の周辺の地理を熟知しているかのごときである。
ボクらの差が少しずつ長くなっていくのは、必然だった。
――そして、とうとう飛賊の姿を完全に見失ってしまった。
薄暗い広葉樹林のど真ん中。枝葉が重なり合ってできた天然の天蓋から漏れ出てくる陽光は、追いかけっこが始まったばかりの時に比べて弱い。どうやら、夕空になり始めているようだ。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………!!」
ボクは手近な木の幹に手を当て、体重を預けた。
全身の毛穴という毛穴から汗が湧き出し、衣服を内側から濡らしていた。呼吸も荒く、心臓は間隔の狭い鼓動を何度も刻み続けている。
後からずっとついて来ていたライライとミーフォンも、ヘトヘトの様子だった。
一体、ボクはどれくらいの時間走ったのだろうか。必死すぎたため全然覚えていない。
しかし、そんなことは些細な問題だった。
「…………どうしよう……!」
ボクは、かつてないほどの絶望感を抱いていた。
【
取り返そうにも、飛賊の姿はもう無い。全身黒ずくめだったせいで容姿の特徴も分からないため、探しようがない。
そして――このままでは【
【吉火証】は本戦参加資格者の証。そして、この異世界には写真やカメラなんていう便利なものは無いため、優勝者の顔も広く知られている訳がない。もしボクが
ボクは今、まさに最大の窮地の真っ只中だった。
まるでこの世の終わりに直面した気分だ。
「……っ!!」
凄まじい危機感を着火剤にして、再び戦意が燃え上がった。
息を大きく吸い込み、また飛賊を探すべく走り出そうとした瞬間、
「待ちなさいシンスイっ」
不意に、ライライに片腕を掴んで止められた。
精神的に余裕がなくなっていたボクは、ムキになってその手を振り乱しながら、
「離してよっ!! あの泥棒を追いかけないといけないんだ!!」
「少し落ち着きなさい」
「落ち着けるわけないよ!! 【吉火証】がないとボクは――」
続けようとしたが、ライライに左右の頬っぺを両手でむぎゅっと挟まれたため、言葉が途切れてしまった。
ライライは吐息のかかる距離まで顔を近づけ、子供を諭すような口調で言った。
「いいから落ち着くの。もうあの黒ずくめは見失っているじゃない。闇雲に探し回ったら体力の無駄よ。まして、私たちは旅の最中なんだから、これ以上進路をそれるのは良くないわ」
「
「まだ全部が潰えたわけじゃない。今いる位置を考慮しても、【黄龍賽】が始まるまでまだ時間があるわ。その間に【吉火証】を探す方法を何か考えましょう」
「
「ないわ。今はね。でも、やけになって時間と体力を浪費するより、別の方法を探る方がずっと希望に溢れていると思うわ。とにかく、最後まで諦めちゃダメ」
非難がましい響きをもったボクの言動に、ライライは終始冷静に対応した。
ボクの中で燃えくすぶっていた火が消えていく。頭と体が冷水を通したように冷えていく。
それを読み取ったのか、ライライはボクの頬っぺから手を離した。
「……ごめんね、ライライ」
「気にしないで。ほら、汗拭きなさい。女の子でしょ」
そう言って、持っていた手ぬぐいで優しく顔の汗を拭き取ってくれた。
不思議と、心が落ち着いていく。
さすがは年長者。ボクなんかより、彼女の方がずっと大人だった。よく分からないが、寄りかかりたくなる包容力がある気がした。
「あ、あたしも参加するー!」
ミーフォンも鞄から大急ぎで手ぬぐいを取り出し、ボクの首筋の汗をポンポンと拭き始めた。
美少女二人に体を拭いてもらうというこのシチュが、まるで美女を傍らにはべらせる悪代官と同じ図に思えてきた。
「あの、ミーフォン、いいよ? 別にそんな無理しなくても」
「無理なんてしてません! あたしはお姉様の心の奴隷ですから! むしろこの
「勘弁してください」
三人の間に和やかな空気が生まれた。
自然に笑みがこぼれる。
雷雨のように荒れていた心が、快晴のように透き通った。思考もネガティブからポジティブに変わる。
そうだ。まずは冷静にならないとダメだ。
まだ時間はある。その間に上手いこと取り返してやればいい。
ボクは頭のキレる方じゃないけど、一人じゃない。この二人が一緒なのだ。三人寄ればナントカって言うだろう。きっとなにか、いい方法が見つかるはずだ。
兎にも角にも、まずはクールダウンし、これから状況が良くなると信じるのだ。
「――大切なものが盗まれた割には、随分と呑気なものね」
だが不意に、そんな聞き覚えのない声が割り込み、ボクらの和やかな雰囲気を切り裂いた。
ボクらは脊髄反射で臨戦態勢を取り、声のした方向を睨んだ。
薄暗い森の木陰に、人影が一つ。
その人影は足底が地に吸い付くような足取りで、ゆっくりとボクらへ近づいて来る。
やがて木陰から抜け、その明確な姿が現れた。
一人の少女だった。見た感じの年は、ボクと同じくらい。
その黒い瞳は大きいが、ボクと違って子供っぽさが無い。反って伸びた長いまつ毛も相まって、憂いを帯びているような眼差しだった。右目の下には、小さな泣きぼくろが二つ隣り合わせでついている。肩を少し通過する程度に伸びた黒髪は右寄りで結ばれており、右肩に髪束が垂れ下がっている。
文句なしに目鼻立ちの整った少女。しかしその装いは平凡というか、華やかさが感じられない。細身ながら出る所はそれなりに出たたおやか体つきだが、それを包んでいるのは簡素な深緑の半袖と黒いロングスカート。何も装飾が無く、生地も安物。質素な服装である。
少女が右手に持っているものを見て、ボクは心臓を高鳴らせた。
「それは……ボクの鞄!」
そう。見間違いようもなく、ボクの鞄だったのだ。
「そうよ。はいこれ、貴女に返すわ」
少女はそう言うと、持っていたボクの鞄を放り投げた。
ボクは慌てて前に出て、それを両腕でキャッチする。
この形、生地、手触り、間違いない。間近で見て触って、改めて自分のものである事を確認した。
さっきまで欲してたまらなかった感触。
ボクは強い喜びを感じる一方で、強い不審感を持った。
「……どうして、君がこれを持ってる?」
疑惑の眼差しを少女へ送る。
この鞄はさっきまで飛賊が持っていたはずだ。なのに、どうしてこの娘が?
まさか、この娘が飛賊の正体なんじゃ――と考えかけて止める。あの飛賊は声と体つきからして、間違いなく男だったからだ。
でも、そしたらどうして?
だが、それよりもまず、自分にとって今一番必要なモノの存在を確かめようと思った。
ボクは鞄を開け、急いた手つきで中を探った。
だが、
「無い……!?」
どんなにかき分けても――【吉火証】がどこにもなかった。
そんな!? どうしてっ!?
すると、
「当然じゃない。【吉火証】は私の仲間が抜き取ったもの。貴女の鞄を盗んだのと同じくね」
少女が無慈悲な口調で、そんな事を告げてきた。
「なんだとっ!?」
ボクは烈火のような激情に駆られ、少女を睨みつける。
しかし、彼女は少しも気圧されず、それどころか嘲り笑いすら浮かべてさらに言う。
「あら? いいのかしら、そんな反抗的な態度で? 貴女の大事な【吉火証】は私の手中にあるのよ? つまり私の一存で自由自在というわけね」
「……っ!!」
激しい悔しさのあまり、奥歯を強く噛み締める。
少女は嘲笑を崩さぬまま、名乗った。
「紹介が遅れたわね。私の名前は
相手の名前より、ボクは自分の名前が呼ばれた事に対して関心が行き、そして驚いた。
「どうして、ボクの名前を?」
「つい最近、「【吉火証】を持った
彼女――
「単刀直入に言うわ、