地を埋め尽くす死体。
よくもまぁ、これほどの尋常ならざる多量の死体を積み上げたものです。
流石はエンリ将軍。
でも……どうやって処分すんだろ?
一夜明けても、そこは地獄であった。
血の臭い、死の臭い。
数万を超えるビーストマンの死体が視界を埋め尽くし、ここが人の住まうべき世界なのかと疑問を持ってしまうほどだ。
「はぁ、堀の中まで死体でいっぱい……。こんなのどうしたらイイんだろ?」
「朝っぱらから辛気臭い顔してるっすね~。そんな顔してると嫌われちゃう……って、ありゃ? ンフィー君はどこっすか?」
防壁の上でため息を漏らす、そんなエンリに声を掛けてきたのはルプスレギナだ。相変わらず楽しそうな笑顔で、この場が死臭漂う戦場であることを忘れさせてくれる。
「あ、はい。ンフィーは熱を出して寝込んじゃいました。まぁ、大したことは無さそうですけど」
「ダメダメっすね~。頼りになるところを見せにきたはずなのに……、ガッカリっす」
「ははは、仕方ありませんよ。私もこんな数の死体をどう片付けたらイイのか、って考えただけで熱が出そうですから」
軽く笑顔を見せてはみたが、エンリの心境は暗いままだ。
八万のビーストマンを被害甚大のうえで撤退させ、竜王国の滅亡を一時的に防ぐことはできた。ならば今こそビーストマンの後を追いかけ、再度の侵攻が不可能になるくらいの打撃を与えなければならない。
これはゴブリン軍師の進言であり、エンリ自身もそう思う。
だけど多くの負傷兵や崩れかけた砦をそのままにしておくわけにもいかないだろう。ゴブリン軍団が追撃へ移った後、ビーストマンの別動隊が砦へ襲いかかってきたならば、今度はほんの数千体であろうとも撃退できないかもしれない。
竜王国兵士はもう限界なのだ。
故にゴブリン軍団は動けない。
部隊を分けるのも論外だ。寡兵を更に少なくするなど愚の骨頂としか思えない。
「ん~~~~~はぁぁ。さぁて、まずは砦の修復を工作部隊の皆さんにお願いして、私達は死体の処理でもしましょうか?」
「ああ、そのことならイイ考えがあるっす。エンちゃん、ちょっと耳を貸すっすよ」
「え? あ、はい」
戸惑うエンリの耳に「ごにょごにょ」と何かを呟くルプスレギナは、なんだか楽しそうだ。言葉の意味を理解できないエンリにとっては、またルプスレギナが妙なイタズラを仕掛けているのかと気が気じゃない。
「え~っと、その台詞を空に向かって叫べばイイんですね?」
「そうっす。まぁ近くに音声伝達用の
ルプスレギナが何を企んでいるのかは分からない。
だけど台詞の内容からして特に問題があるようにも思えないので、エンリは大きく息を吸い込み、そして全力で叫んだ。
「シャルティア
まーす、マース、マーㇲ――――。
―――――。
竜王国兵士がビックリして空を見上げるほどの大声が遥か彼方へ響き渡り、その後静寂が訪れる。
どれくらい時間が経ったのだろうか?
エンリは何も起こらないことにルプスレギナへ抗議の視線を飛ばそうとしたのだが、目を大きく見開いたまま硬直してしまった。
闇だ。
見たことのある闇の扉が砦の防壁上、エンリの真正面に開いたのだ。
エンリは即座に跪き頭を下げる。
それは当然、闇の扉から姿を見せる人物に心当たりがあったからだ。というより一人しか思い当たる人物はいない。
カルネ村の大恩人。
魔導国の王にして、王国兵数万を一瞬で皆殺しにできる大
アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、その人である。
「ようこそ、ゴウンさ……あ、あれ?」
「くひひ、仕方ないでありんすねぇ。人間に力を貸すのはあまり気がのりんせんが、このシャルティア
エンリの視界には女性物のスカートしか映っていなかった。しかし少し目線を上げると――そこには日傘を差した美しい少女がいたのだ。
小柄ながら大きな胸。
細い腰に細い手足。
ボリュームのあるスカートの縁には可愛らしくも繊細なフリルが並び、どこかの貴族令嬢、又は王族姫君であるかのよう。
微笑む小さな口からは吸血鬼の牙らしきものも見えるが、これほどの美少女ならばチャームポイント以外の何ものでもない。紅い瞳も美しさを引き立てる一要素であろう。
「シャルティア様、ようこそおいでくださいました。では早速予定通りに」
「ルプスレギナ、違うでありんす」
「え?」
「シャルティア
「……」
最初は驚き、次に「何言ってんの? この男胸さんは」という表情を見せ、最終的にルプスレギナは「ああ、そういうことっすか」と理解した。
「シャルティア
「うひひひ、仕方ないでありんすね~。この
「ぅえっ?! ゴ、ゴウン様の奥方様なのですか? も、申し訳ありません! わ、私はエンリ・エモットです!」
あまりの美少女ぶりに呆けていたエンリであったが、ハムスケの尻尾で殴打されたかのような衝撃を受け、我に返る。
ゴウン様の妻、つまり奥方様。
村の救世主が少女趣味だったのはこの際無視するとして、エンリは跪いたまま深く頭を下げていた。
「ああ、かまいんせん。私が王妃であることはまだ内々の話でありんすから……。くひひ」
「(シャルティア王妃様、よい気分に浸っているところ申しわけないっすけど、この場はアインズ様も御覧になっております。あきられる前に行動を起こした方がイイと思うっすよ)」
「(はぅっ、そうだったでありんす! さっさと終わらせるとしんしょう!)」
コソコソと内緒話をしていた美しい二人は、何も無い空をキョロキョロ見回したかと思うと、コホンと小さな咳をしてエンリへ向き直る。
「え~、この場にある数万の死体は私のほうで綺麗さっぱり処分しんすが……かまいんせんな?」
「えっ? ええぇーー!! あ、あの、王妃様! 御言葉は大変嬉しいのですけど、見ての通り酷い有様でして、これをどうにかするなんて」
「何を無茶なことをっ」エンリの感想は心を覗くまでもなくハッキリしていた。
それも当然であろう、砦前面の深い堀を埋め尽くし、大地を覆い隠すほどの死体、死体、死体。
これをどうするというのか?
運んでどこかへ埋めようとしても、その人員と場所はどうするのか? 全てを焼いてしまうとしても、その燃料は? 薪は? 近くの林を丸ごと伐採したとしても足りるかどうか……。
どちらにせよ数週間がかりの大仕事となろう。とても目の前の日傘を差した美少女が取りかかれる内容ではない。
そう、このときのエンリは、シャルティアらと共に階段を下り、死体の並ぶ大地へ歩を進めている道中もそのように思っていたのだ。
「〈
「はい、お任せください。シャルティア王妃様!」
ザッザッザッと闇の扉から足並みをそろえて出てきたのは、スケルトンと呼ばれるアンデッドであった。
一般人にも広く知れ渡っているモンスターであり、人家近くの墓場で目撃されることも多いポピュラーな存在である。
ただ、エンリの目に映ったスケルトンたちは、いつまで経っても闇の扉から出続けていたのだ。最初のスケルトンが遥か彼方まで過ぎ去っても、未だ列は途切れない。
何百か、何千か、はたまた万を超すのか?
口をあんぐりと開けて膨大な骨を見ていたエンリは、あまりの多さに数えることを放棄していた。
「な、なんですか? いったいこれは?」
「大丈夫っすよエンちゃん。このスケルトンたちは死体を運びにきただけっす。ほら、先頭のヤツが戻ってきたっすよ」
「い、一体でビーストマンの巨体を二つって……。スケルトンさんって力持ちなんですねぇ」
エンちゃんほどじゃないっすよ~、というルプスレギナの言葉を聞き流しながら、エンリはビーストマンの死体を二つ担いだ状態で闇の門へ消えていくスケルトンを見送っていた。
その後ろには同じように複数の死体を背負い、引き摺ったスケルトンの長い行列が続く。
「凄い……ですね。これがゴウン様の奥方様である、シャルティア王妃様の御力ですか? アンデッドをこれほど使役するなんて、もはや神の領域ですよね」
「ん? なに言ってんすか? 神なんてアインズ様は何度も殺しているそうっすよ。『ざこいべんとぼす』とか呼ばれていて、大して強くもなかったそうっす」
「ころっ!? あ、あの、ちょっともう、頭がついていきません。私の世界観が壊れそう……です」
エンリは再び考えるのを止めた。
一万近いスケルトンが闇の扉から出てきて、美少女の命令に従い、ビーストマンの死体を運んでいくのは、考えても仕方のない現象なのだろう。
風が吹き、雨が降るのと同じことなのだ。
大地に溢れかえっていた数万もの死体が見る見るうちに無くなっていくのも、死体が腐って土に還る別バージョンと思えばよい。
気にしないことだ。
砦の防壁上から竜王国の兵士が、今にも死にそうな表情でこちらを見てきたとしても気にしない。そんなことを気にしていたらやっていられない。
(はぁ、私がここにいる意味って何だろ?)
思わず人生の意味を考えてしまうエンリであったが、答えは出そうにない。
今のところはとりあえず――今日の朝飯についてでも考えを巡らせればよいだろう。レイナースが用意してくれている少し塩気の強い戦時食を如何に美味しく食べられるか。そんなくだらないことに時間を割けばよいだろう。
シャルティアやルプスレギナは神話の世界の住人だ。
理解しない方がよい。
踏み込む必要はない。
エンリにはエンリの世界が、村娘にはその力量にあった世界があるはずだから。
「アインズさまぁー! シャルティアは、妻は頑張っているでありんすよー!」
「(シャルティア様、あんまり『妻』を連呼するとアルベド様が割り込んでくるっすよ)」
「かまいんせん! 第一夫人と第二夫人の差なんて無いのと同じでありんす! それにアインズ様を愛しているという意味では、アルベドより私の方が上でありんすからっ!」
「ああ、そんなこと言ったら」
「このぉ、偽乳ウナギ!! ビーストマンの死体と一緒に五階層で氷詰めにされたいの?!」
「なんだとっ、この腐れホルスタイン! 〈
なんだか残念な形相の美人が一人増えたような――そんな気がしたが、エンリは違う世界の出来事だと思い無視した。
あっちの世界での事象は気にしてもしょうがない。だからエンリは血生臭い戦場を見据え、その先で待ち構えているであろうビーストマンたちへ想いを馳せる。
防衛戦は終わりだ。
次は占拠されている三都市の奪還戦へと移行する。その後はビーストマンの本国へ侵攻。強烈な一撃を喰らわせて、竜王国へ入り込めないよう叩き潰さねばならない。
「うん、これからがんばるぞ~」
「ヤツメウナギ!!」
「大口ゴリラ!!」
「はぁ、やれやれっす」
決意を新たにしていたエンリの背後では、何だか別の戦争が始まりそうだ。
ルプスレギナが仲裁のポーズを見せてはいるが、どうにも諦め気味のようでやる気は見られない。
エンリとしては努めて無関係を装いつつ、運ばれていくビーストマンの死体を眺めるだけだ。
ふと「騒々しい、静かにせよ」と聞いたことのある声がしたような、しないような――そんなデジャブを感じたものの、振り返る勇気はなかった。
エンリはただ、爽やかな血生臭い戦場を見つめ、「ビーストマンと対峙していたときの方が気楽だな~」と呟くだけである。
ゴウン様は少女趣味。
となるとエンリはギリギリ対象外でホッとしちゃう。
でも、妹ネムに魔の手が迫る?
お家に招待して頂いた時も、ゴウン様はやけに親切だったし、機嫌良さそうだったし。
今はまだ早いかもしれないけど、あと数年もすればどうなるか?
戦争が終わったらネムと話し合わないとっ!
当人の気持ちが大事ですからね!
こういう事は!