将軍の敵ではありません。
この世界は、数よりも強力な個体が活躍する非情な世界。
100ガゼフ1人が1ガゼフ100人と互角――なんて事は無いのです。
ましてや疲労しないアイテムなんか装備されていたらお手上げ状態です。
だからビーストマン諸君、……御愁傷様でございます。
いつもと変わりなく、朝は訪れる。
晴天だ。
ただ砦の中は異様なほどの熱気に満ち溢れ、引き絞られた弓であるかのように何かを放たんとしていた。
「エンリ将軍、現在においても数か所で小競り合いを確認。部族の中には戦場から逃亡した者もいるようです」
「分かりました。暗殺隊の方々は砦の中で休んでください」
「ほっほ、見事に軍隊としての
ゴブリン軍師が語るように、ビーストマンの軍はバラバラだ。八万もの大軍勢は今や半分、の更に半分以下となっている。
指揮系統は寸断され――最初から存在しなかったのかもしれないが――各部族が自分勝手に振る舞っているだけだ。
竜王国の砦を落とそうとしていたことなど、もはや頭に無いのだろう。
今は喧嘩をふっかけてくる同族相手に己の力を見せつける……、そのことだけが強き者を上位と見据えるビーストマンにとっての至上命題なのかもしれない。
「私たちにとっては好機です! 今こそ打って出て、ビーストマンの脅威を取り払うのです! さぁ、門を開けなさい! ゴブリン軍団! 出陣です!!」
「「おおおおおおぉぉおおおお!!!」」
ゴブリン軍団だけでなく、竜王国の兵士からも雄叫びが上がる。
その場にいた誰も彼もが、鮮血を浴びた血塗れ将軍の言葉に身を震わせて叫ばずにはいられないのだ。
身の内から湧き上がる経験したことのない活力。心身共に疲労して瞼も重くなる苦境において、何故か将軍に付き従いたくなる。重いはずの剣を強く握り、脱ぎ捨てたくなるはずの鎧を苦もなく纏う。
――勝てる――
誰かがそう思った。いや、誰もがそう思った。
朝日を浴びて黄金の輝きを放つサークレット。全身から滴り落ちそうな鮮血。
まさしく稀代の英雄であろう。
竜王国の兵士たちは思ったに違いない。これは後々語られることになる英雄の活躍劇なのだと。
「突撃!!」
ゴブリン軍団は一つの塊となって正面門から打ち出された。
その姿は巨大な重戦車であるかのよう。
進路上にいた不運なビーストマンは、
エンリはルプスレギナが使用していた馬のゴーレムに跨り、ゴブリン軍団の中央を駆ける。
ちなみに専用騎獣のハムスケはというと、今までの鬱憤を晴らすために軍団の先頭で暴れてもらうこととしたのだ。背中にエンリを乗せたままでは、流石に思いっ切り暴れるわけにもいかないので仕方がないと言えよう。
ただ、エンリの代わりにルプスレギナがハムスケの背で直立しているのはどういうわけなのか?
「乗り物交換するっす」と言われた際、ルプスレギナはエンリと違ってハムスケの邪魔にはならないと思ったから特に抵抗はしなかったのだが……。
ハムスケの背で、メイドにあるまじき狂乱の表情を見せているルプスレギナの様子からすると、エンリとしても「止めるべきだったかなぁ?」と後悔せずにはいられない。
「(まぁ、ビーストマンを打ち破るにはルプスレギナさんの力が必要なんだし、ここは自由に動いてもらおうっと)ハムスケさん! 右手側から蹴散らしますよ!」
「了解でござるよ! 一匹たりとも逃さないでござる!!」
「うっひゃー!! オモチャはバラバラっすよ! 〈
魔獣の背に固定された砲台であるかのように、次から次へと魔神級の魔法が放たれ、細切れの肉片が大地を飾る。
ビーストマンにとっては手に負えない攻撃だ。
ましてや一晩中同族との小競り合いを繰り返し、疲れ果てていた現状で何ができるというのか。
大盾で吹っ飛ばされ、太い足で踏みつけられ、魔法と弓矢で追い立てられ、圧倒的な力で首を斬り取られる。又は自分の身に何が起こったのか分からぬ間に、閃光と衝撃で原型を留めぬほど細切れになる。
これが人間を餌にしてきた強大な種族、ビーストマンのなれの果てとは……憐れすぎて言葉も出ない。
太陽が頂点に昇る頃、ゴブリン軍団は動きを止めていた。
先頭を走っていたハムスケ、その背に乗るルプスレギナ、軍団の前面に並ぶ重装甲歩兵団。その誰もが血と肉片に塗れ、疲労の色を滲ませる。
特にルプスレギナは珍しいことに、立っていられないほどなのか――ハムスケの背で大の字になって荒い呼吸をしていた。
とはいっても表情からすると大満足なのだろう。今まで一度も「力を出し尽くして倒れ込む」なんて行動をとれなかったがゆえのスッキリ感なのかもしれない。
ただ、どこか遠くの大墳墓で魔法の鏡を覗いていた魔王様は呟いていたことだろう。
『お前が活躍してどうすんだ?』と。
「軍師さん、状況は?」
「はっ、周囲にビーストマンの群れは確認できません。軍としては瓦解したものかと……。しかし生存個体は彼方此方におりますぞ。エンリ将軍、如何なさいます?」
「殺しましょう。ビーストマンは捕虜にしても役に立たないと聞いています。生かしておく理由もありませんしね」
「では竜王国の兵士も呼び集めて、一斉掃討を行いましょう」
馬のゴーレムに跨ったエンリが辺りを見渡せば、数えるのも億劫なほどの死体が見える。
それらは全てビーストマンの残骸だ。
まぁ、砦近くに積み上げられたビーストマンの死体を掘り返せば、竜王国兵士の死体も見つけられるだろうが。あったとしてもごく少数であろう。
ビーストマンの軍勢は万を超える死者を出し、命を拾った者は散り散りに逃走した。
今頃は竜王国から奪取した三都市のいずれかに逃げ戻り、態勢を整えているところだろう。逃げてきた同部族の集結、負傷した者たちの治療。だからこそ即座に反撃してくるとは考え難い。
今回の敗戦はビーストマンにとって痛過ぎるはずだ。戦争の優位性が逆転したと言っても過言ではあるまい。
戦争継続か、即時撤退か。
ビーストマン側が方針を決めるだけでも相当な時間を要するだろう。
ならばその間、竜王国も一息つけるはずだ。
「ルプスレギナさん、ハムスケさん、大丈夫ですか?」
「ほい~っす、さすがに疲れたっすよ~、ってか魔力枯渇による倦怠感なんすけどね」
「それがしはあまり活躍できなかったでござるよ。ルプスレギナ殿が敵を吹き飛ばし過ぎでござる」
もこもこ魔獣の背に寝っ転がるルプスレギナの疲労具合に対し、当のハムスケはまだまだ余裕がありそうだ。それどころかもっと活躍したかったようで、尻尾の先に付けたアダマンタイト製の斧槍をフリフリさせている。
「あはは、活躍ならいくらでもできますよ。この先、ビーストマンから都市を奪い返さないといけませんからね」
笑顔を見せて砦への帰還を指示するエンリの瞳には、戦場の彼方此方で止めを刺されているビーストマンらが映っていた。
奇跡的に生き残った手負いの獣たちだ。
敗走する同朋らに連れて行ってもらえず、かといって名誉ある死を遂げることもできない。五体のどれか、もしくは全てがひしゃげ、地べたを這いずり回る瀕死の獣。
エンリは強者として人間を襲いまくっていた獣の末路を、自身への戒めも含めて心へ刻んでいた。
「はぁ、それにしてもこの死体の山。取り除くのに何日かかるのかなぁ? まるで地獄みたい」
「うぷっ、エ、エンリは凄いね。僕は……ちょっと気分が悪くなってきたよ」
「ちょっ、ンフィー、大丈夫?」
「うひひ、情けないっすね~。そんなことじゃ~エンちゃんを支えられないっすよ~」
「そうでござる。雄ならもっとしっかりするでござるよ」
戦闘中は気が張っていたためか、魔法を詠唱する動作にも支障はなかったンフィーレアだが、安堵した瞬間、むせ返るような血と死の臭いに打ちのめされてしまったのだろう。
まぁ、竜王国兵士の中にも胃の中身をぶちまけている者がいるので、仕方のないことかもしれない。
どちらかというと平気な顔で馬のゴーレムを操り、ビーストマンの死体を踏み歩いているエンリの方が異様なのだが……。
身に付けた血濡れの武装、及びサークレットの効果であろうか?
恐らくそうであろう。
間違いない。
「もぉ、ルプスレギナさんってば疲れ果てて起き上がれない、って言っていたわりに元気ですね」
「ちがうっす~、人をからかうのは別腹なんすよ~。あ~、疲れたっすぅ~」
「はいはい、今日はしっかり休みましょうね。ゴブリン軍団の皆さんもンフィーも、雑務は明日からにして本日はゆっくり休養をとりましょう」
「う~ん、それはどうでござろうなぁ」
「え?」
ハムスケの疑問を耳にして、エンリはその大魔獣が見つめていた先へ視線を向ける。
その先にあったのは――
「おおおお、勝った! 勝ったぞぉ!!」
「信じられねぇ! ビーストマン皆殺しだ!!」
「ゴブリン軍団! ありがとう!! エンリ将軍! ありがとう!!」
「家族の下へ帰れる! もう諦めていたのにっ!」
「エンリ将軍万歳!! ゴブリン軍団万歳!!」
「あなたは命の恩人だ! メイドさんもありがとう!!」
「ゴブリンさん! 助けてくれてありがとう!! 怖がってごめんなさい!」
「エンリ将軍あいしてるぅ!!」
砦の防壁上にいたのは、涙を流して喜ぶ満身創痍の兵たちであった。
その多くは、ビーストマンに殺されるのを待つだけであった後陣の負傷兵たちであろう。レイナース率いる支援部隊と、ゴブリン医療団によって治療を受けていた者たちだ。
「あわわ、なんだか凄い騒ぎになっているけど……。どうしよう? ンフィー」
「……うぷ」
「(ンフィーの兄さん、ダメダメですぜ)姐さん、とりあえず手でも振ってみたらどうです? 英雄の凱旋みたく堂々としていればイイと思いますぜ」
「えっ、あ、そ、そうね。私は今、魔導国から派遣された将軍なんだから、しっかりしないとっ」
演技も時には必要だ――とどこかの魔王様が言ったかどうかは知らないが、エンリは背筋を伸ばして片手を振り、歓声に応える。
その姿は無理やり戦場へ引き出された大人しい村娘のモノか、それとも恐るべき獣を皆殺しにし、その死体の上を平然と歩く血濡れ将軍のモノか。
当人の希望としては前者でありたいと願うのかもしれないが、周囲に転がるバラバラの肉片と、異様な迫力を放つゴブリン軍団が許してはくれないだろう。
エンリは数万とも思えるビーストマンの死を踏みつけながら、この日、表舞台へと躍り出た。
最低でも難度三十と言われているビーストマンを、羽虫の如く殲滅した最強無敵のゴブリン軍団。率いるは魔導国の若き女将軍、エンリ・エモット。
全身を鮮血で満たし、大地すら獲物の血で染める血濡れの英雄。
アンデッドが王である魔導国にて、人間でありながら将軍の地位を賜る人類の希望。
竜王国の兵士たちは――ぎこちなく笑う血塗れの少女を見て、ふと思う。人が人として生き残るには、この方が必要なのではないかと。人類を救うために現れた六大神、又は十三英雄に匹敵する御方なのではないかと。
「あ、あのぉ! ビーストマンは撃退しましたからもう大丈夫ですよー! 後始末はこちらでやりますから、皆さんはゆっくり怪我を治してくださいねー!」
何故か祈りを捧げはじめた兵士達に対し、エンリは「まだ不安なのかな~?」と呟きつつ、危機が去ったことを告げて回る。
その度にエンリは拝まれるわけだが、結局最後まで自分が祈りの対象だとは気付かなかった。
もちろん、人々の瞳の奥に『人の領域を逸脱した化け物』を見つめるような畏怖の感情が含まれていたことなど知る由もない。
◆
薄暗い領域に、複数の陰が蠢く。
「中々順調のようだな」
「はい、レベルアップの検証は予定通りに進んでおりますわ」
「人間、ゴブリン、魔獣、そしてルプスレギナ。結果は予想通りではありますが、必ずしも喜ばしいことばかりではないかと」
「ン? ソレハドウイウ意味ダ?」
「ゴブリンとルプーがまったく経験値を獲得できなかったってことでしょ? あんだけ殺したのにさ」
「つ、つまりこれ以上成長しないって……ことなのかな?」
「そうだ。ルプスレギナがレベルアップできないということは、私も、お前たちもこれ以上の成長は望めないということになる」
「そ、そんなぁ、私は成長したいでありんすぅ」
「このおバカ、胸のことじゃないってーの! 第一あんたはアンデッドでしょ?!」
「黙りんしゃいおチビ! 胸のことなんて言ってないでありんす!」
「二人とも、見苦しいわよ」
「むぅ~、自分はデカいからってっ」
「羨ましくなんかないでありんすっ」
「(やれやれ……)しかし、ハムスケのレベルアップがイマイチだったな。尻尾の斧槍ならビーストマン数千匹ぐらい狩り殺せると思ったが……」
「やはりルプスレギナが獲物を奪い過ぎたのでしょう。少しばかり力の行使を控えるよう、通達いたしましょうか?」
「いや、それには及ぶまい。ルプスレギナは全力戦闘を楽しんでいるようだ。水を差すのは控えよう」
「オオ、ナントモ羨マシキ御言葉」
「そ、そうですね。あれだけの敵を全力で滅ぼすよう御命令いただけたなら、僕……すっごく頑張っちゃいます!」
「あー! それならあたしだって頑張るもんね! 集団戦闘は得意なんだからっ」
「はん、あの程度の相手に得意も不得意もありんせん。私一人で十分でありんす」
「(いやいや、そんなことしたら誰もレベルアップできないでしょうよ!)うおっほん、まぁ今回は人間のパワーレベリングが目的だしな。法国の神人に匹敵する人間を作り出せるかどうか……。これが上手くいけばナザリックの戦力増強に繋がる」
「まさにっ、人間を支配する人間を作り出す計画! ナザリックの
「流石はわたくしの愛すべき旦那様です!」
「お、おう……」
骸骨魔王様は、ただ頷くことしかできなかった。
闇夜に佇む魔王様。
ラスボス臭がプンプンしますけど……。
いったい何ンズ様なんだ?
エンリ将軍が突撃していく戦争の裏で暗躍する異形種集団。
はたしてこの者達の目的とは?