地底の空を煌めかせていた石桜が怨霊達に食い尽くされる頃。地上の気温が上がってきても、地底は変わらず雪が舞います。洞窟の中というものはどんなときでも一定の温度に保たれているらしく、地底は昼も夜も夏も冬も、気温の変化に乏しく寒い気候みたいですね。
「さて、こんなものでしょうか」
地上では日が登り、でも地霊殿の住人はまだ殆どが寝静まっている頃、私は廊下等の掃除を行うことにしています。掃除といっても大体の場所は皆が起きている間に妖精達と行った後ですから、私が綺麗にするのは主に天井や窓といった、あまり掃除しないようなところになります。早起きしてなにもしないというのは暇ですからね。
…………と、ふむ。先ほどから何者かの視線を感じますね。懐かしい感じです。
そそくさと塵を片づけ、自分の部屋に入りますと突然、目の前の空間が裂け、一人の女性が現れました。私達座敷わらしの元々の主にして、偵察のため便利グッズとして人里に送り込んだ張本人、八雲紫様です。
「お久し振りです、紫様」
「あの事があってからめっきり姿を見かけなくなったと思ったら
「地霊殿で、こいし様の従者として働かせていただいてます」
「そう。地上に戻って偵察を続けてくれそうにはないわね。…………まぁ、あんなことがあった後ですから、特別に認めましょう」
「えっ」
思わず声が出た。
私が紫様に対してしたことは命令違反である。なにしろ報告にもいかずに無断で、地底に引きこもっていたのだから。
ですから当然、何か罰されると思っていたのですが……
「あら、意外そうな顔ね。そんな逃げた程度で罰したりしないわよ、元々は私の不注意もあるのだし。貴方方を人里に送り込んでおきながら、人間にいいように扱われてしまうかもしれない可能性を考えていなかった私の責任。
でも、そうねぇ……」
そういうと紫様は私の肩に扇子を当てました。
「貴方はクビよ」
紫様から発された解雇通知に一瞬、世界が固まります。
「え……」
「これで貴方は私に縛られる必要はない。まぁ人里に戻ってきてくれると、私としては有り難いのだけれどもね。新たな主人を得たのでしょう?あとは戻るなり残るなり、貴方の好きにするといいわ」
紫様の言葉で再び世界が動き出し、この解雇が私を自由にするためのものであることに気づきます。
「あ、ありがとうございます。紫様」
「あら、私は貴方を解雇しただけよ。感謝される謂れはないわ」
そう言って紫様は妖しく笑います。
「それじゃ、覚り妖怪のいるこの屋敷にあまり長居する気はないし、もう帰るわね…………と、そうそう。」
「なんでしょうか」
「貴方が知っているかは知らないのだけれど、実は地底と地上の間には相互に不可侵である、という条約が結ばれているのよ。」
「…………」
知っています。そしてそれに今、私とこいし様が違反していることも。
「それなのだけれどもね、貴方方は例外とするわ。普通にしてたら気づかれないでしょうし、地上に危害を加えないと約束できるならね。まぁ、別に問題ないと思うけれども」
そう言いながら、紫様は隙間の向こうに消えてしまいました。先程まで隙間が開いていた空間には、もう何もありません。
「ありがとうございます、紫様」
私しかいなくなった空間に、元主への感謝の言葉が響きました。
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紫様が去ってから暫くして、私はようやく部屋の外に出ました。いつの間にか活動時間になっていたらしく、あちらこちらで妖精や動物霊を見かけます。そろそろ朝ごはんの時間でしょうか? 朝ごはんもまだですし食堂に向かってみることにしましょう。
あぁ、そうそう。どうやらこいし様は私の作る料理を気に入ってくれたようで、あれから時々、朝ごはんを作ってくれ、と来てくれるんですよ。和食が好きなんだそうです。まあ今日は普段こいし様が来る時間は過ぎてますし、今からお米を炊くと少し遅くなってしまいますから今日は適当に済ませていると思うのですけども。
案の定食堂の辺りには鈴の音は響いておらず、朝食を食べている間にもこいし様は来ませんでした。食事を終えて皿を片し、食堂の外に出てから今日どうするかを考えます。
こいし様を見失ったときは無理に探さなくてよい、といわれていますし、昼御飯の時間までは確実に暇ですね…………掃除の続きでもしていましょうか。
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今日も特にいつもと変わりのない地霊殿ですね。掃除をしながら家の点検のようなこともして、特に異変がないことを確かめます。少しでも普段と違ったことがあれば私の座敷わらしとしての勘で気づきますから、特に館には問題はなさそうですね……
……と、訂正。侵入者のようです。
中庭に面している廊下を掃除しているときでした。灼熱地獄跡からこそこそと、地底の者らしくない、どこか神々しい雰囲気をまとった何者かが出てきました。
少なくとも普通にここで暮らしている者達の行動ではなさそうですね。
「なにかご用でしょうか?」
急いで近くの出入り口から中庭に出て、侵入者らしき人に話しかけます。背中に……柱?でしょうか。そんなものを背負った女性ですね。
いきなり私に話しかけられたその人はひどく驚いた顔をすると、慌てたように逃げ出しました。もちろん、私はその後を追いかけます。
地霊殿の敷地を抜けて、街に出て、しばらくの間は私と彼女で鬼ごっこを続けていたのですが、相手の方が足が速かったのと街の建物を使ってぐるぐると逃げ回られた結果、見失ってしまいました。
……仕方ありませんね。彼女を捕まえて、何をしていたのか聞こうと思ったのですが、逃げられてしまっては仕方ない。とりあえず館に戻って、彼女が出てきた灼熱地獄跡を確認しに行きましょうか。
さて…………。地霊殿は、どちら側でしたっけ?