混沌ロード   作:剣禅一如

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第十六話 天武

 南方の砂漠にある都市エリュエンティウを上空から俯瞰すると正方形の形をしている。その正方形の各辺から道が伸び中央で十字に交わる箇所は、巨大な広場が設けられていた。住民の憩いの場所である市場や各種の重要な施設が軒を連ね、大変に賑やかである。その施設の内の一つ、冒険者組合エリュエンティウ支部ではその日を休日と定めた冒険者達が待合室兼酒場で管を巻いていた。広間には丸テーブルと椅子が並べられ、その最奥には受付が設置されている形式だ。

 

 入口近くの丸テーブルの一つに陣取る鉄級冒険者のパーティ[砂漠の風]のメンバーも既にかなりの量の酒を鯨飲していた。リーダーで戦士のフランツ、盗賊のスティーブ、軽戦士のマイクの三人しかいない未だに駆け出しの冒険者達である。しかしフランツは生来の恩恵であるタレント持ちでもある。そのタレントとは、視界に入った者の正確な脅威度をフランツ自身との差に応じ、寒気としてフランツの背筋へと発現させると云う物だ。このタレントのお陰でパーティーの危機を回避出来た事もあって重宝していた。

 

「どうする? また砂漠ゴブリンでも狩るか?」

 

 フランツが問い掛けると二人共に首を振った。

 

「俺達もそろそろ一つ上を目指して行動するべきだろ」

 

 マイクが拳を握り締めて力説する。それをフランツは諌めようと口を開いた時、組合の入口に一組の男女が現れた。組合の入口に向いて座るフランツの視界に男の姿が入った瞬間、フランツの背筋がこれ迄に感じた事のない程の寒気に包まれる。まるで背筋が氷柱に成ってしまったかの様な感覚をフランツは覚えた。その昔フランツはアダマンタイト冒険者を見た事があり、その時フランツはそれなりに強くタレント由来の寒気を感じた。だが入口の男の方と比べれば、春風に感じられる程に温かかったとフランツには断言出来た。その寒気はフランツの躯を芯から震えさせる。フランツは堪らずテーブルに肘を突き目を瞑った。尚も止まらない震えを手の指を組む事で耐え忍ぶ。

 

(何なんだ! あの男は! 化物? そんな言葉じゃ生温い。兎に角、俺のタレントがこんなに反応するのは初めてだ!)

 

 スティーブは、突然の異常なフランツの様子に心配して声を掛けた。

 

「どうした?  何かしらあったのか?」

 

 スティーブはフランツの肩を掴む。その瞬間フランツの異常な状態にスティーブは気付く。

 

「冷たい! フランツ、まさかお前!」

 

 二人共フランツのタレントを信頼していた。当然その効果が寒気として表れる事も熟知している。だが躯全体にまで寒気を纏う程の物ではなかったのだ。二人はフランツの向いていた方向を見ようと振り返ろうとした。

 

「ば、馬鹿……ふ、振り向くな」

 

 寒気で固まった舌を無理に動かして、フランツは二人に押し殺した声で警告する。

 

「あれを化物なんて言葉でかたずけるんじゃ、化物が可哀想になる位の玉だ。何者なのかは知らんが、関わり合うな。危険だ。いいか! そっとだ。刺激しない様にして遣り過ごすんだ」

 

 二人の仲間は共に唾を呑み込み、真剣に語るフランツの言葉に頷いた。フランツの様子から、予想を遥かに越えた領域に棲む化物と一つ屋根の下に居るのだと悟る。もしも善良な存在だとしても、桁が違えばそれは災厄と紙一重だと理解出来たからだ。しかし男が実際は人化の指輪で80レベルまで力を抑えている事を知れば、その状態にすら戦慄してしまったフランツ達はどう思うのだろう。10レベル差があれば次元が違うと言われるユグドラシルの基準を鑑みれば、男の現在の80レベルは弱すぎる程であると云うのに。そして入口から男女が広間の壁際を通って奥へと進み通り過ぎた。フランツ達はその間に殺していた息を安堵と共に吐く。男女の会話がフランツ達の耳に届く。

 

「ウルベルトさん、冒険者達に気を付けて。新人が登録しに来たって分かると絡んで来る馬鹿も居るのよ。刃傷沙汰は流石に御法度だけれども、殴り合う位はある程度組合も黙認しているの。それで冒険者に成れるのかどうかの適正を判断出来ると考える組合の職員もいるからかしらね。でも後衛職のウルベルトさんには殴り合いは難しいのは分かっているわ。だからもし負けても恥を感じる必要はないのよ。だけど気概だけは最後まで持っていて、それなら後衛職でも舐められないで周りにも認めて貰えるわ。後は……例えば軽快な話術で煙に巻けるのなら、それはそれで機転の利く奴だとも認めて貰える。兎に角、何でも良いから対処してみせる事ね」

 

 ウルベルトは煙管を吹かし、気楽に冒険者達を眺めて御満悦である。雑魚しかいないと確信を持てたからだ。

 

「そうか、俺が昔に所属していた団体にも洗礼はあったから多分大丈夫だ。それなりの戦闘訓練も受けている。しかし思っていた以上に冒険者は見窄らしい身なりで活動しているんだな。ユグドラシルなら即死確実と言った処だ」

 

 ウルベルトからしてみれば、冒険者達の装備はとても不憫に思えるレベルにあった。

 

「何だと! 聞いたぜ新人さん。誰の装備が見窄らしいってんだ。これは俺達エリュエンティウ支部への侮辱だと俺は受け止めた。これは落とし前を付けなけりゃいけねぇな」

 

「ん?」

 

 広間の端を中程までウルベルト達が進んだ時、体格の良い冒険者が立ち上がりウルベルトに絡んで来た。ウルベルト達に聞き耳を立てて居たのはフランツ達だけではなかったのだ。ブリタは相手の冒険者が銀級である事を確認すると流石に止めようとするが、ウルベルトは手を上げてブリタを制した。周りの冒険者も新人への洗礼が始まったのかと囃し立てる。

 

「銀級冒険者のボルカンか……あいつは遣り過ぎるからな。可哀想な金持ちのボンボンさんだ。ご立派な装備を狙われたか」

 

「まあ、これ位の窮地を捌けない様じゃ。どのみちモンスターに殺られちまうさ。ならボルカンに痛め付けられて冒険者に成るのを諦めた方が良いだろうよ。高い授業料に成るが」

 

 固唾を呑む冒険者達の期待を裏切る様に、ウルベルトは立ち上がったボルカンの頭を右手で無造作に掴む。

 

「な!? てめぇ、何を!」

 

 そしてボルカンの頭を無理矢理に側の壁へと押し付けた。

 

「お前ちょっと黙ってろ。な?」

 

 軋んで悲鳴を上げる壁の木材に、ボルカンの頭が捻り込まれていく。ボルカンはウルベルトの拘束から逃れようとして愕然とした。

 

(馬鹿な! なんて力なんだ! 全く頭が動かねぇ! こんな筈は……)

 

「痛えぇ、ちょっ、待っ、ぐげっ」

 

 蛙の様な鳴き声を上げたボルカンの頭は、壁板を突き破った。ボルカンは穴に頭を突っ込んだ儘で動かない。時折躯が痙攣している為、未だ生きてはいる様だった。予想を越えた展開に広間は静寂に包まれる。

 

「はっ?!  ボルカンが金で装備を整えただけのボンボンに捻られた?」

 

 ボルカンが新人相手に油断していたのかと、冒険者達は訝しんだ。とは言っても、仮にも銀級冒険者が急所である頭部を容易く相手に掴ませる筈がない。ウルベルトは只の金持ちのボンボンではないのだと、周りの冒険者達も気付く。

 

「何者だ。あの新人は……」

 

 そこで初めて冒険者達はウルベルトに注目し、ウルベルトと目が合うと皆が揃って顔を俯かせてしまう。下級冒険者はボルカンが遣られた事で格の違いが分かるからだが、上級冒険者はウルベルトの瞳の奥に何かを感じてだ。特に上級冒険者程であれば理屈で説明出来ない感覚を疎かにはしない。或いは瞳の奥にウルベルト本来の姿を幻視したのかも知れなかった。だがその感覚を全く読めない愚か者も存在する。男は壁際のウルベルトに近付くと周りに言い放った。

 

「情けない連中ですね。エリュエンティウの冒険者とはこの程度ですか。南方に予備の刀を仕入れに来たのですが、少しは骨の有る南方の冒険者に出逢えるかと期待していたのですよ。しかし、貴方達の臆病さ加減には呆れるしか有りませんね」

 

 その男の見た目は一見すると優男に見えた。しかし修練に依って鍛え上げられた故に絞り込まれた躯が優男に見えるだけである。その男の後には三人の女性のエルフが随分と怯えた様子で控えていた。彼女らの首には奴隷の証である首輪が付けられ、そこから伸びた鎖の先を男が握っている。当然エルフの誇りである長い耳も途中で切断されていた。しかもエルフらの躯には所々殴られた跡があり、男が普段彼女らをどの様に扱っているのかが察せられた。法国出身の男にとっては亜人などに価値はないのだ。何人かの冒険者が男の言葉に反応して睨み付けるが、男にとっては負け犬の遠吠えにしか感じられなかった。

 

「お前は? 俺と一緒で冒険者のタグを付けてないが、新人さんなのか?」

 

 ウルベルトが煙管を更に吹かして悠然と問い掛けた。

 

「新人ですか? このエルヤーウズルスを掴まえて、依りにも依って新人? 愚か者を通り越してもはや白痴の類いですね貴方は。救い様がないとは、この事です。……まあいいでしょう。喜びなさい! 今から私が貴方に躾を施して上げます。これで少しは人らしく振る舞える様に成るでしょう」

 

 冒険者達は突然しゃしゃり出て来たエルヤーに注目する。

 

「エルヤーウズルス? どっかで聞いた事がある様な気がする……そうか! 天武か! 昔に冒険者仲間を再起不能にして冒険者組合を追放された天武だな。偉そうな割には馬鹿やって冒険者資格を剥奪されたワーカーじゃねぇか! そもそも何でワーカーが冒険者組合直営の酒場に居やがる!」

 

 冒険者の一人がエルヤーを指差して糾弾する。エルヤーがその端正な顔を歪めて吐き捨てた。

 

「そこの雑魚! 生意気な新人君を懲らしめたら次は貴様の番です。私が追放などされる筈がある訳が無いでしょう。冒険者組合を私が見放しただけの事です。私程の大器を御する器がなかったのですよ、冒険者組合程度の組織ではね。さて、お待たせしましたね新人君。躾の御時間ですよ。まあ、私が刀を使ってしまえば後衛職らしい貴方に勝機は有りませんし、流石に衛兵を呼ばれてしまうのは避けたいので素手で躾て上げます」

 

 艶やかに捕食者の笑みを浮かべるエルヤーは、刀を鞘ごと後ろのエルフへ投げ付けた。そして右手で手刀を作ると、左手で作った輪の中に納める。重ねた両手を左の腰に付けて腰を落とし構えた。これは本来なら刀を使用して剣士がとる抜き打ちの構えだ。鞘の中で勝負が決すると言われる居合抜刀術程の物ではないが、抜き打ちでも充分に脅威的な加速を得られる。エルヤーは下手に拳を固めて構えをとるよりも、いつもの剣士としての構えの延長線上に位置する構えで闘った方が有利だと判断したのだ。実際にエルヤーが手刀を刀と模して振れば、その鋭さは他の追随を許さない。エルヤーの躯から妖炎が立ち上ったかの様な切迫感が迸り、寄れば即座に反応しそうな雰囲気を醸し出していた。

 

「さぁ……来なさい」

 

「ふむ、先手を譲ってくれるのか。気前が良いな。じゃあ遠慮なく……」

 

 ウルベルトが返事を言い終えた瞬間、広間に空気の破裂音が響き渡った。冒険者達が何事かと見れば、エルヤーの頭が仰け反り、その鼻から血が滴り落ちていた。ウルベルトが立った姿勢から軽く放った拳がエルヤーの顔面に炸裂したのだ。エルヤーが後退り鼻を押さえて喚く。

 

「な……何が起きた? 貴様! 私に何をした」

 

「何、拳を突き出したら当たっただけの事だ。騒ぐ程の事じゃない」

 

 冒険者達も今の一幕に驚愕していた。皆、ウルベルトの打撃が全く視認出来なかった為だ。

 

「おい、お前は見えたか? ウルベルトとか言う奴の拳」

 

「いや全く。何となく姿がブレて奴の右手が消えた様に思えたが」

 

 

 エルヤーはぶつぶつと呟く。

 

「こんな筈がない……こんな筈がない……こんな筈がない……私が認識出来ない程の拳速で撃ち抜かれたなんて事が……断じてあるものか!」

 

 固く握りしめた拳から血を吹き出しながら、エルヤーは先程の余裕をかなぐり捨てて、ウルベルトへ抜き打ちの手刀を掬い上げる様に放った。それをウルベルトは半歩だけ後退し半身になって避ける。そこからエルヤーの返す手刀での袈裟斬りがウルベルトを襲う。それも素早く屈んでウルベルトが避けると、エルヤーはエルフに預けていた刀へと走り刀を掴んだ。周りの冒険者やブリタがエルヤーの凶行で驚愕に陥る間に、エルヤーが稲妻の様な歩法でウルベルトの眼前まで迫ると言い放つ。

 

「私を本気にさせたのは失敗でしたね。そんな御馬鹿さんは後悔して逝きなさい。兎に角……死ね!」

 

 本気のエルヤーの太刀筋は、見惚れる程の軌跡を描きウルベルトの脳天から股ぐらまでを切り裂こうと唐竹割りに降り下ろされる。ウルベルトの脳天に剣先が触れる寸前、ウルベルトの両手が霞む様な動きを見せた。刹那の間に数十の打撃がエルヤーに叩き込まれ、エルヤーは全身を殴打され反対側の壁面まで吹き飛び、壁にぶち当たるとめり込む。ウルベルトの実力は桁が違い過ぎ、もはや広間には沈黙が漂うのみである。後から放った拳が、何故に着斬寸前の刀より疾いのか誰にも分からなかった。

 

「他に俺と円舞(ワルツ)を踊りたい奴は居るか?」

 

 

 


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