混沌ロード   作:剣禅一如

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第十話 黄金

 リ・エスティーゼ王国王都には1400メートルもの城壁に囲まれたロ・レンテ城がある。城には12基もの巨大な円筒形の塔が聳え立ち更に内奥にはヴァランシア宮殿が存在する。宮殿は王族の住居として機能しており、幾つかの離宮を備えていた。

 

 その離宮の一つに住まうのが、その類稀なる美貌故に黄金と呼ばれた王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフである。彼女は自室の綺羅びやかな装飾の施されたテラスで紅茶に舌鼓を打ちながら、物憂げに睫毛を伏せた。

 

(遅すぎたんだわ、腐ってしまっているのね)

 

 ラナーが憂鬱な表情を浮かべるのには訳がある。ラナーには生まれつき狂人染みた頭脳が備わっている。その為に容易く分かってしまうのだ。王国が極めて危険な領域にまで踏み込んでしまっている事に。

 

 父親のランポッサ三世の偽善者面した愚鈍さや、第一王子である兄のバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフの短慮な脳筋ぶり、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフの策士気取りの国盗りへの野心など、国の舵取りを任せるには不安の残る親族達。

 

 初代の国王から褒美として賜った領地の権勢を背景に、上位である国王にすら慇懃ではあるが脅しとも取れる態度で接する六大貴族達。

 

 これらの愚物達の喜劇を端から眺めているだけならば、ラナーは声を上げて嗤って居られただろう。だがラナーの生活面を支える王族としての権勢に陰りを齎すのならば話は別だ。他人事だと嗤っている訳には居られない。

 

(嘆いていても仕方がないわね、打てる手を何でも使って私の利益だけは確保しないと、他の有象無象を巧く踊らせて操らないと駄目ね)

 

 ラナーは、他人に全く興味が持てない自分を自覚していた。他人など単に動く肉塊人形にしか認識する事が出来ない。その為に人と接しても情動を得る事もない。人との触れ合いに温もりを感じられなければ、ラナーの心に残るのは暗く冷たい虚無感である。

 

 ラナーがもしも王都の路地裏で子犬を拾っていたならば、彼女は執着と云う名の愛に生きる女性へと変貌を遂げられただろう。だが、そんな歪な救いは彼女には与えられなかった。今も孤独に虚無の虚空を漂うのみである。

 

 今ではラナーの人生に彩りを与えるのは、物理的な充足だけであった。それを支えるのが王族としての権勢から産み出される富が齎す、豪勢な食事や豪奢な住まい、艶やかな衣装などだ。

 

 それらを破滅へと導く親族や貴族達を何とか排除して、己に安定した富を供給してくれる庇護者を見付けなければならないと、ラナーは頭を悩ましていた。

 

 単純にこのままならば、何処ぞの有力貴族に降嫁して安泰だとラナーも思いたい処だ。だが王国自体が崩壊してしまうのならば破滅へと一直線の道を行く事になる。

 

 仮に帝国が王国を滅ぼしたとして、王国民の慰撫が目的の皇帝の子供を産みさえすれば、ラナーにも安泰の道が開ける。しかし帝国の戦略が後腐れの無い王族の殲滅を選択する場合も有り得る。

 

 それに元王女の姉が二人、六大貴族に嫁いでいる。そちらでも皇帝にはなんら支障は無いのだ。皇帝に必要なのはラナーでは無く、元王族としての血なのだから。それに噂では皇帝はラナーを気持ち悪く感じて嫌っているらしいとの話もあり、ラナーに予断を許さない。

 

 皇帝の思考は明晰な為にラナーには読みやすくはあるが、ラナーとしては読みだけで博打を打って全てを委ねたくはなかった。帝国に王国が支配される未来とは、ラナーの最後の手段と云うよりも手を打たねば自然に辿り着く帰結でしかない。ならば自分から働きかけて王国を復興させる道を模索した方が良いと、ラナーは判断していた。

 

 そうしてラナーが目を付けたのは、エリアス・ブラント・デイル・レエブンと呼ばれる六大貴族の一人だ。風体から蛇とも行動からは蝙蝠とも揶揄される野心家で、秘かに王位簒奪を狙っているのはラナーには明らかである。

 

 レエブンは有力貴族の娘を政略結婚の為に娶って妻としたが、石女だったのか子宝に恵まれず最近になって離縁した。レエブンならばラナーには劣るが充分に優秀であり、王国を建て直してくれるのではとラナーは期待している。

 

 レエブンの歳は30代後半だが、貴族の結婚であればラナーとの歳の差など問題にすら成りはすまい。レエブンに野心を満たす為の王家の血と云う餌を与える事で、ラナーの庇護者としてそして王配として頑張ってくれればラナーには言う事はない。

 

 不眠不休で王国の為に働く気などラナーには毛頭無いのだから。全てをレエブンに丸投げして自分は適当に儀礼だけ熟して奥に引っ込み過ごせれば充分であるとラナーは考えていた。

 

 そこまで思案を固めた段階で、ラナーは別の問題を思案する。現在エ・ランテルの冒険者組合に所属するアダマンタイト級パーティー変革の翼が、気になる思想を溢しているとの情報をラナーは得ていた。

 

 ラナーは、普段から出入りの商人などに情報屋に渡りを付けさせて情報を得ている。その情報を、持ち前の狂気の頭脳を駆使して精査する事でラナーは世情などを読んでいるのだ。女性ばかりのアダマンタイト級冒険者の友人がラナーに居たならば、こんな事はしていないのだろう。

 

 ラナーの聞いた処、変革の翼はどうやら民の為に動く制度とやらを目指しているらしい。これはラナーとは到底相容れない制度である。ラナーに充足感を与えてくれる物品は今の体制下だからこそ齎される物であり、民の為に動く制度下では望むべくも無いのだから。

 

(変革の翼の思想は危険ね。異端だと言えるわ、だけど民には輝いて見える筈)

 

 ラナーにとって民衆とは家畜の如く愚鈍であれば良いのであって、妙な思想に感化されて反抗的に成られては困るのである。熱し易く醒めやすい民意が民の為の思想とやらに触れる事で騒動か引き起こされると拙い事態になる予感がラナーにはした。

 

 相手は容易く捕縛出来ないであろうアダマンタイト級冒険者である。ラナーとしても王国側にも其れなりの被害を覚悟せねば成らない。それに随分と民衆に慕われているらしいとも。

 

 特にリーダーのガゼフとか名乗る男は義に熱く慈愛に溢れる好漢との事。それを王国が害したとなれば、一気に種火が猛火に変わる可能性すらあるのだ。ラナーとしては避けたい事態である。殺るならば巧くガゼフの品位を貶めて、民衆に愛想を尽かされる犯罪者にまで堕とし込んでからラナーが直接抹殺したい処である。だが貴族連中にはそんな繊細な誅殺手段は、望むべくも無い。

 

 ラナーは、自分の痕跡を辿らせない道筋で裏の稼業へ連絡出来る手段を幾つか把握している。その一つへ連絡して変革の翼を何とか出来ないか相談してみようと決意する。

 

 イジャニーヤと呼ばれる組織には、アダマンタイト級に匹敵する凄腕の輩が在席して居るともラナーは聞いていた。大枚を叩く事に成るが、騒動が本格化する前に民意の炎は消さねば為らないとラナーは思う。

 

 馬鹿な貴族連中には、所詮平民の火遊び位にしか映ってはいないのだろう。従ってラナーが裏で動くしかないのだ。ラナーからも宮殿に正式に働き掛けるが、事態が本格化しなければ誰も民の為の思想と云う毒に気付きはしない。民にとっては、さぞや甘く素晴らしい甘露に感じられる毒だろうとラナーは思う。

 

 上手く行けば変革の翼は冒険の途中で命を落とす事になる。麻薬の黒粉にまみれた姿でだ。民と王国との確執に挟まれた結果殺された訳ではなく、単純に冒険者として世界の脅威に敗けた敗残者として民衆の記憶に残る事になる。ラナーの危惧する民意の炎は種火の段階で消え失せ、民衆は元の愚鈍な家畜へと戻ると云う訳だ。

 

(さようなら民の希望、ガゼフ・ストロノーフ)

 

 思案のお蔭でスッカリ冷めてしまった紅茶をお付きのメイドに換えさせて、ラナーは祈る。己を満たす黄金の環境が離れていかない様にと。

 

 裏組織への手紙をラナーは己の手の者に託したのだが、不自然な影がそれを追跡する事にも気付かずに。

 


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