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翌日 司令官室
酒の匂いをさせたまま仕事をするのは、戦前の帝国軍では考えられないことだった。しかし、今は勝利が確定した戦争の末期。
そしてクナイセン少将自体がかなりいい加減な人物として知られていたから、それをどうこういう人間はいなかった。
「閣下、昨日は挨拶に伺えず、申し訳ございません」
「よいよい、早く来たのはこちらだからな」
現在の司令官は大佐である。このレベルの基地であれば、少将が配置につくべきであった。そしてそのしかるべき司令官であるクナイセン少将の到着と着任は3日後であったが、道路事情を鑑み、ついでに「早く着くならそのほうが良いだろうという」クナイセン少将の思い付きによって早く到着している。以前の業務が、共和国軍の早期崩壊によってなくなってしまったことも大きかったが。
つまり本来の司令官(大佐)と将来の司令官(大佐)が同時に存在しているという状況だった。
「ところで、大佐。早速で悪いがブレスト軍港についてだが」
「は? ブレスト軍港ですか」
うむ、ファイルに書いてあったからな。と続けるクナイセン少将にたいして、はてそんな話はあっただろうかと大佐は訝る。まさか昨日酔って読んでいたファイル(閲覧の必要なし)にあった話とは知らないわけだから、当然のことだ。
「昨日、西方方面からの遣いで来た少佐な。あれがもって来たファイルに書いてあったが」
「いえ、こちらではなにも」
この少将とほぼ同時にやってきた同性の少佐と叔父と甥の関係にあることは彼も知っている、一族が軍人という一家は多い。大戦によって所帯が大きくなった今の陸軍では珍しいが、戦前では同じ基地や任地に親類縁者がいることは稀によくあることだった。
すぐに持ち出してくる話としては唐突だが、自分が留守にしていたとき、昨日その少佐と会話を交わしたのかと大佐は思った。横や縦の関係── 組織の上下関係や同期以外にこうした親類縁者からもたらされる情報というものはあるものだ。
だが、大佐も、そしてその上位の司令部や参謀本部もブレスト軍港に集結した艦艇と残存陸軍部隊については注意を払っていない。
防衛線の再構築か、より積極的な後方上陸作戦かと考えていたが、首都が落ちた現在ではどちらも現実的な策ではない。
むしろ今考えるべきは、来るべき終戦への用意であり、現場レベルならば付近に残った残存共和国兵との停戦交渉だった。昨日、大佐が基地を留守にしていたのはその点について、西方方面司令部にて確認すべき事項がいくつかあったからである。
細々した内容を要約すると「よけいな行動は厳に慎め」ということであった。と、そのようなことを説明すると少将は、勝者の取り分だ。と答えた。
「昨日、ここで大層上手いワインを飲んでな。ここの前任者が置いていったものだ。貴官には悪いが、全部飲んでしまった」
はあ、と要領を得ない大佐に対して続ける。あのワインやこの基地のように、勝者である帝国は戦利品を受け取る権利がある。この基地についてはともかくとして、昔の戦争でも賠償金── スダンで捕まった皇帝陛下の身代金かな── を受け取ったわけだ。
ならば、ブレスト軍港にある艦船や物資は、当然我々のものなるべきではないか?
「…… おっしゃることは分かりますが、それは政府の交渉結果次第では?」
「なぜ誰も戦利品について気にせんのだ。連中、ワインは渡したが、船や物資を渡す気があるのか。そのあたりの勘所が分からんだろう。ヨットの一隻くらいは欲しいぞ」
まあ浮かべる場所はないがな。と最後は冗談めかしていた…… ひょっとするとまだ酔っていて半分本気なきもするが…… そのあたりの話は西方方面司令部でもちらりと聞いていた。
「一応本国は国境線の再策定、適当な植民地と少々の賠償金を要求するそうですが、艦艇や軍需品の扱いについては何も決まっていません」
「それだけか。兵への報奨金はどうする。賠償金をふんだくるべきだな。ついでに失った馬や自動車、飛行機、これも賠償として受け取らなければ補いがつかん」
「そこまでしては共和国も飲めないでしょう」
そして、すべては終戦交渉の後の話です。いや、まだ我々は勝ってはいないのですが。と続けて、大佐は気が付く。確かに政府は共和国に対して交渉を開始している。しかし、まだそれに共和国がはっきりと答えたわけではない。
そのようなことを考えていると「そういえば、203大隊には特殊偵察機材があったな」と少将は言った。それについて大佐はなにか言いかけたが、まあ良いと言って退出を促された。
奥の飾り棚の上にワインの瓶があることに今、大佐は気が付いた。
少し遅れたおかげで、私はあれを飲み損ねたわけだ。
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「行かせて頂きたい! 何としても! 私の部隊に!」
同日午後、203魔導大隊デグレチャフ少佐が司令室にて絶叫していた。
理由は共和国の残存艦隊の脱出と、すなわち反抗戦力の温存。そしてその艦隊を撃滅させろ。というものだった。
懇願する少女。そしてそれを受ける老人と言っていいクナイセン少将。
後方での勤務が長く、というより戦争の拡大によって表に引っ張り出されたといったほうが適切な少将はこのデグレチャフ少佐が英雄だと知っていても、その本性までは理解していない。軍人が全員自分の職掌や分野以外の話題に明るいわけではない。
「落ち着きたまえ、少佐…… 」
「あと500キロ! あと500キロだけなのです。我が大隊が持つ長距離偵察用装備ならば、十分に可能です!」
懇願する少女の高い声、二日酔い、昨日の甥との会話。退役後の生活。
ここに来て酷くなってきた二日酔い、二日酔い……
「強硬偵察といったな?…… それは参謀本部からの許可が必要なのでは…… ないか?」
少将はやや体調が悪くなりつつあることを周囲の参謀たちは察していたが、ラインの悪魔とまで呼ばれた少女は意に介さない。
わかった。と少将は憔悴したように言った。あるいは駄々をこねる孫に根負けしたようにも見えた。
西方方面司令部へ── わかった、わかったから制服を掴まんでくれ── 参謀本部に回線をつなげ。確認する。少佐はそのまま待機。
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同時刻、首都ベルン 中央参謀本部
ゼートゥーア少将は外務・内務官僚などの文民との会合が終わり、休憩時間に入っていた。そこに、長らく会話のなかった、旧知のクナイセン少将からの通信が入ったのはこの後の帝国の運命を思えば幸か不幸か、判断に迷うところだった。
「クナイセン少将、今の話がほんとうだとすると、デグレチャフ少佐は…… 本気なのですか」
言葉使いが丁寧なのは階級が同じであることや、クナイセン少将の方が年上であったためだ。
ついでに、声の質からして非常に体調が悪そうに思えた
軍規則上はゼートゥーアが先任かつ参謀本部に配置されているため、彼はクナイセン少将の上位者である。だが、ゼートゥーア少将が少将となる前に、もはや思い出と呼ぶにも遠い時代に、この気の良いババリア小貴族には世話になっていたから、言葉使いは丁寧なものになっていた。
「……今俺のところに来て往生したよ、指揮系統は参謀本部直属で、私には要請はできても命令はできないからな。それにあのでかい…… ラケータは参謀本部が持たせたものだろう。」
「先ほど参謀本部名義で、停戦命令を」
と、ここまで言いかけてゼートゥーア少将はほんの一瞬沈黙した。クナイセン少将から強行偵察くらいなら許可を出してもいいかと思ったが、と言われたからだ。
ゼートゥーア少将は高速で思考を巡らせる。
── 彼女は停戦命令で止まるだろうか……? 否、ダキアのように独断専行を行いかねない。
── 彼女はダキアを含めて、結果的には私が、否、中央参謀本部の全員が見落としていることに気が付いたのではないか?だからこその独断専行ではなかったか。
── 私は重要な決断を行うときに、常に少佐との会話を思い出していた。
この電話に隠された配慮。少佐の考えは何か?一瞬で思考を巡らせる。
「クナイセン少将、西方方面司令部直下の基地司令として、停戦命令についてデグレチャフ少佐に通達していただきたい」
「基地司令の名前で? 少将閣下、失礼ながら、中央参謀本部の名前で停戦命令を伝えなければこの子は、いや少佐は飛び出すぞ」
それでよい。デグレチャフ少佐と大隊は中央参謀本部の直属。クナイセン少将は命令を下す立場にない。
それでも常識的に考えて、将官からの命令であるなら素直に従うはず。
意図は単純だ。もしもデグレチャフ少佐に確固たる確信があるなら
もしも帝国の未来の為にそれが必要ならば
真に必要ならば、デグレチャフ少佐は独断専行を行う。
「結構です。間違いなく貴官から西方方面司令部の停戦命令を伝えて頂きたい」
5分後、デグレチャフ少佐は『中央参謀本部よりの権限に基づき』
独断専行を行うことを宣言した