三十八話 意外な出会い
Sideぬえ
「ありがとうございました~」
店内に響く感謝の言葉。今日のバイトの終わりを告げる宣言にも似たそれは、どこか気だるげな雰囲気が伝わってくる。
「終わったか……」
私の隣で料理長は感情の籠っていない顔でそう呟く。あれだけの作業を毎日のようにこなしていると自然にそんな表情になってしまうのだろうか。私は疲労と気苦労でどこか引きつった笑みが零れてしまう。
「お疲れさん、それじゃ私は閉店作業に入るね」
「ああ、頼む」
着ていたエプロンを脱ぎ、肩にかけて私は厨房を出る。
厨房を出ると既にこころとフランは閉店作業の一環として店内の掃除をしている。その様子に少しクスっと笑いながら、私は店の外に出て暖簾を仕舞う作業に入る。
外はもう真夜中、私がバイトしている定食屋は戌の刻まで営業中だ。確か現代の時間では夜十時くらいだったかな。空を見上げれば月が暗天を照らしている。こういった時間帯は私達妖怪の時間だ。ここは人里ではあるが周りを見渡しても人っ子一人歩いていない。
「………なんか、ちゃっかり人間に馴染んじゃっているわね」
ふと、そんなことを考えた。私も然り、この定食屋で働いている者は乖離を除けば全員妖怪だ。なのに私達は毎日のように人間を相手に頭を下げている。千年以上生きて来た私は他者から『大妖怪』と畏れられているのに、その大妖怪が人間相手に媚び売っているとなると他の奴らのいい笑いものだ。そう考えると少なからずイラっとは来るけど、どこか悪い気はしていない。それもこれもあの変わり者の料理長の悪影響なのかもしれない。
「ぬえ~、まだ片付いてないのか?」
「もう終わるよ」
不意に店内から聞こえた正邪の呼びかけに応えつつ、私はさっさと暖簾を仕舞い店内に入ろうとする。
「ほうほう、ここがあの天狗の記事に記してあった定食屋とな?」
今度は別の方角から聞こえるどこか古めかしい物言い。こういった口調は私の知る中では二人だけ。一人は平安時代からの旧友マミゾウ。そしてもう一人は聖たち命蓮寺勢と対立関係にあたる聖徳太子の連れの『物部布都』。しかし残念な事に、今宵出くわしたのは後者のようだ。
声のした方に視線を向けると、奇抜な導師服に青い鳥帽子を被った一人のアホが仁王立ちの如く立っている。
「青娥殿が言っていた通りじゃな。よもや本当に妖怪が人里で定食屋などを営んでいようとはな」
青娥と言えば、あの八雲以上に胡散臭く信用ならない邪仙の事か。つまり、そこに立っているアホはあいつにそそのかされてここへやってきたという事か。根っからのアホとなると、最早救いようがないなこれは。
「で、何の用でここに来たのよ」
「ウム、青娥殿が言うにはこの定食屋には太子様を脅かす者がいると言うのでな?我が視察を兼ねて排除しておこうと思った訳だ!」
「フーン、それってさ……つまりここで私に殺されたいって事でいいんだよね?」
「ぬぬ、やはり太子様を脅かす者というのはお前の事じゃったのか!覚悟せよ妖怪畜生!!」
ちょろい。相変わらずこいつはちょろい。少し挑発しただけですぐに乗ってくる。こんな奴があの聖徳太子の連れだと思うとあいつの格もたかが知れるというもの。
既に布都の方は臨戦態勢に入っているようだが、今ここでやり合うのはマズイ。下手に大技を使って定食屋が倒壊なんてしたら私が乖離に殺される。かといって加減をしたところであいつが加減をする筈も無い。それを考えると、早計だったかもしれない。そもそもここは人里なんだから、騒ぎを起こした妖怪は博麗の巫女に退治される。
「一人盛り上がっているとこ悪いけどさ、ここで騒ぎを起こせば博麗の巫女が黙ってないんじゃないの?」
「太子様の為とあらば我は喜んで博麗の巫女に退治されてやろう!」
そう来たか……。やれやれ、参ったな。迎撃は簡単だが店への被害は避けられない。どう転んでも戦う以外に道はないらしい。面倒ではあるが、サクッと殺して黙らせるか。
私は妖力を開放し、愛槍を顕現させ臨戦態勢へと移行する。
「私にも大事な物ってのがあるからさ……容赦はしないぞ?」
「望むところじゃ!!」
「ぬえ、遅いぞ何やってんだよ」
一触即発の事態に、不意に店の中から正邪が現れた。
「せ、正邪!?」
「ぬ、貴様は!」
「妙に遅いと思ったら何してんだよ」
あからさまに不満気な表情を隠そうともせず正邪は問いかけて来る。どこから説明したものかと考えていると、正邪は布都を一見してタメ息を吐いた。
「厄介事に見舞われてんのか?」
「まあそうな感じかな」
やれやれと言わんばかりに正邪は再度タメ息を吐く。なんだかその面倒事に絡まれたと言いたげな表情は乖離に似ていると思える。正邪も正邪で乖離からの影響を受け始めているのかもしれない。
「これから賄の時間だってのに、邪魔しやがって……ぬえ、さっさと終わらせるぞ」
そう言って正邪は赤雷と共に白銀の剣を顕現させ構える。
「へぇ~、正邪から協力してくれるなんて珍しい」
「黙って構えろよ」
久しぶりの正邪との共闘。正邪は乖離から譲り受けた白銀の剣を手にして以来、今ではフランにすら迫る強さを得ていると言っていた。ま、一度も勝ったことはないらしいけど。それでも今私達の前にいる相手はフランに比べれば月とスッポンほどの力の差があるのだから私と正邪なら準備運動程度で圧倒できる。
「確信したぞ妖怪共!貴様らが太子様を脅かす存在だな!!」
「テメーのバカ主の事なんざ知るかよ!私は仕事終わりの賄いの邪魔されてキレてるだけだ!」
赤雷と共に正邪は白銀の剣を振り上げ布都へと突貫する。その衝撃で地面にはひび割れがはしり、砂煙が舞い上がる。これには流石の布都も慌てたように上空へと避難するが、それを逃す私ではない。
布都が上空へ避難したのをいいことに、私も弾幕を展開しつつ布都へと襲撃を掛ける。弾幕自体の火力は抑制してあるので当たっても大したダメージは与えられないが、それでも逃げ場を塞ぐ包囲網としては充分に機能する。
「クソッ!貴様ら卑怯じゃろ!!ニ対一など」
「先に喧嘩吹っ掛けて来たのはお前だろ!」
布都も負けじと弾幕を展開して迎撃を図ってくるものの、乖離との一戦以降感覚を研ぎ澄ませた私にはあの程度止まって見える。
布都の弾幕を回避しつつ確実に距離を詰めていく。長期戦になるのは面倒なので一気に決着を着けるために槍に妖力を注ぎ込む。それに、布都は上空に避難し私と二人で対峙しているつもりなのだろうが、別に正邪が宙を飛べない訳じゃない。
「おい、余所見とは随分余裕じゃないか」
「なッ!」
既に正邪は布都の背後に回り込んでおり、赤雷を帯びた白銀の剣は布都を捉えている。
正邪の容赦無い一撃が布都へと見舞われる。ガキンッ!と鈍器で金属を殴ったような音が反響する。
驚いた事に、正邪の不意討ちを布都は両手でガードして受け止めている。本来なら両手とも一息に両断されていてもおかしくない。おそらく何かの術だろう。
「ぐぬぬ、遠慮がない」
「遠慮なんざする訳ないだろ?それより、もっと力込めてないと薪みたいにスパーンと斬れちまうぜ?」
「抜かせ!妖怪風情が!!」
これはもう正邪の圧勝で決まりそうだ。あの状況から切り返せるのは霊夢とか乖離とかその辺の人間離れした奴らくらいなものだし、たかだか尸解仙程度ではあの状況から切り抜けるのは無理だろう。だが、油断は禁物。短期決着を望むなら今が最大の好機だ。
私は妖力を注ぎ込んだ槍を布都に狙いを定め、投擲の構えを取る。
「さっき正邪が余所見を指摘したのに、学習しないねぇ人間は」
未だ尚鬩ぎ合っている布都に向け槍を投擲する。風切り音を響かせ一直線に対象に向けて飛来する槍はまさしく榴弾砲の如し勢いがあった。
「ちょ、おいッ!」
「え?」
私の投擲にいち早く気付いた正邪はギョッとした表情を浮かべ慌てて白銀の剣を霧散させ布都から距離を取った。それが幸をそうしたのか、槍は布都の目の前で大きな爆発を起こす。
爆煙と爆風が入り乱れる中、急の不意討ちに不満を露わにする正邪がこちらに近づいてきた。
「おいぬえ!お前殺す気か!!」
「いやあ、正邪ならちゃんと躱せると思ったのよ~」
「嘘つけ!絶対私ごとやる気だったな!」
「言いがかり~」
正邪の講義を適当に流しつつ、未だ爆煙漂う宙に警戒を向ける。雑魚とはいえ相手は尸解仙、あの程度の爆発では直に復活して来る筈だ。あるいは正邪の斬撃を防いだように何らかの術を使用し回避している可能性もある。相手は伊達に放火魔などと呼ばれていないのだ、防火対策はしているだろう。
しかし、私の警戒は杞憂に終わりを告げた。爆煙の中から一塊の物体が落下していくのが分かる。言わずもがな、布都だ。
「う~ん、もう少し妖力込めて爆撃しても良かった気もする」
「お前反省してないだろ……」
※※※
あの後なんやかんやあって私と正邪は布都を回収し店の中に運んだ。なかなか頑丈な奴なのか、気絶していたのに数分で目を覚ました。目を覚ました布都はさっきまでの勢いは何処へやら、まるで借りて来た猫のように大人しくなってしまった。
そして現在は適当な席に座らせて尋問という名の賄待ちの暇つぶしをしている。
「で?結局お前は何しに来やがったんだ?」
「……青娥殿がここに太子様を脅かす者がおると言うので、我が調査を兼ねてその排除にと思って……」
正邪の圧のかかった問いに布都はまったく覇気のない返事を返す。いつもはそこに居るだけで煩そうな奴なのに今はまるでその正反対だ。何と言うか、見ているこっちが虚しくなりそう。
「布都は青娥にたぶらかされたの?」
「分からぬ……」
こころもそんな布都を見兼ねて声を掛けてやったのだろうけど、如何せんその布都は相変わらずのようだ。勝負に負けて悔しいという感情と何の役にも立てていないという状況に自責の念でも感じているのだろうか……。だとしてもそれは私達には何の関係も無いのだけど。
「我は青娥殿がここにいる妖怪達を排除すれば太子様が喜ばれると言っていたので行動に出たまでだったのじゃ」
「で、行動に出たは良いものの標的に返り討ちに遭い立つ瀬がないと?」
「ウグッ、ぐうの音出ぬ……」
「こういうのってざまあみろって言うんだっけ?」
確かにそうだけど、それは流石に惨いと思うぞフラン。こんなアホでも一応大義名分があっての行動みたいだし。まあ喧嘩売る相手を間違えたのは自業自得だろうけど。ていうかどこで覚えたのよそんな俗っぽい単語……。
「まあ詳しい話は君をたぶらかしたあの邪仙に問うとしてだ、とりあえず賄出来たよ皆」
ふと後ろで乖離の声がしたと思ったら、トレイに五つの丼ぶりを乗せた乖離が意味深な表情で立っていた。
「おおー!待ってました!!」
「賄最高!!」
「ワーイ!一日の安らぎだぁ!」
皆賄で大はしゃぎ。それもその筈、この定食屋は弩が付くほどに忙しい。如何に高給料といえど乖離の賄がないとぶっちゃけやっていけない。
「今日はニラ丼だから滋養強壮に良いよ」
「「「「頂きます!!」」」」
トレイから一人ずつ丼ぶりを受け取り、箸で一斉に口の中に出来たてのニラ丼を掻き込んでいく。やっぱり仕事終わりの賄がないとだよね。
「………あの、一つ残っておるのじゃが?」
「それは君の分だよ。はい、箸」
キョトンとした表情で未だ理解が及んでいない布都に箸を手渡す乖離。人の厚意を無碍にするのは憚られると思ったのか、布都は渋々ながらも乖離から箸を受け取る。
「こう言ってはなんじゃが、本当に良いのか?我はお主らをの敵じゃぞ……」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで食えよ。冷めたら美味しくなくなるだろ?話はそれから!」
未だニラ丼に手を付けようとしない布都を正邪が無理やり論ずる。若干納得いかぬと言いたげな布都だが、諦めて合掌の後ニラ丼を一口頬張る。数回咀嚼した後、急激に布都の表情が変化する。最初は驚いた顔から今度は幸せそうな表情に変わり、一口飲み込めばどこか悲しそうな表情に変わる。見ていてとても忙しない。
「う、美味いッ!!なんじゃこの味は!?今まで感じた事もない味わいが口いっぱいに広がるぅぅ!!」
「堕ちたな」
「堕ちたね」
「堕ちた」
「堕ちちゃったね」
「……あのさあ、作った本人の前でそういう事言うのやめてくれる?」
まるで一種の漫才のようなやりとりが開かれる。これもこの定食屋ならではの醍醐味の様なものだし、私としてはいつでも大歓迎なんだけどね。楽しいしさ。
「プハーッ!実に美味であったぞ!!これほどの物とは思わなんだ」
気付けば布都は私達より先に完食してしまったようである。乖離の料理が美味しいのは分かるけど、もっと味わって食べればいいと思うんだけど。勿体ないしさ。
ただ、そんな布都を見て乖離は相変わらず意味深な表情で笑みを浮かべている。
「そりゃどうも、
「おや?我はお主に名を名乗ったことがあったか?」
「いや、俺が君を知っているだけだよ。あの豊聡耳の部下でしょ?」
「お主、太子様を知っておるのか?」
「知っているも何も、あいつはある意味で言えば俺の『バカ弟子その2』だからさ」
………は?今乖離何て言ったんだ?あの聖徳太子が乖離の弟子?………そんなバカな!!
ようやく新章突入ですね!
なんだか最近文章崩壊起こしている気がしますが気にしないでおきます(嘘です気を付けます)
さて、次回は乖離を神霊廟に連れて行こうと考えてます。少々ペースが早いですが、このくらいしないと色々間に合いませんのでね。しかも今章はこれまでよりも中々長いですし。
では、次回もお楽しみに!!