「それで、八幡。理由を聞かせてもらえるかい?」
練習が終わりシャワーを浴びて帰り支度を整え、帰宅してから勇利さんの作った夕食を食べ終えたリビングで、笑顔のヴィクトルが勇利さんの入れたお茶をすすりながら話を切り出した。
「あ~説明すんのめんどいから聞いてくれ」
そう言って、俺はスマホを操作するとテーブルに置いた。冒頭の数秒は何も入っておらず無音が流れたが、すぐに音声が流れだした。
『比企谷、私が授業で出した課題はなんだったかな?』
事の発端である独神・平塚との会話が流れ始めた。
なぜ、俺が会話を録音しているかと言えば、大人を信用していないからだ。
世界を回っていたあの頃、俺に近寄ろうとした大人は多かった。
ヴィクトル、勇利さんは共にフィギュアスケート界では有名な二人で、そんな二人が連れてきた俺は格好の獲物だったのだろう。それに加え、日本人の子供と言う事で言葉が通じないと思っていたのだろう、あいつらは自国の言葉で言いたい放題俺に言葉をぶつけてきた。
だが、俺は二人から、二人の知人から様々な国の言葉を教えてもらっていた。それは単純に知らないことを知ると言う楽しさと、二人の役に立ちたいと言う気持ちがあったからだ。
だから、そいつらの言葉は全て聞き取れた。
俺を貶す言葉、二人を貶す言葉、良いも悪いも悪いも悪いも、その全てが。
しかし、それを素直に誰かに話しても信じる人間はいないだろう。二人は信じてくれるだろうが、発言元が俺だと分かれば二人が文句を言ったところでその人間はしらを切るのは目に見えている。
ならば、証拠を残すという手段を使うのは当然の帰結だ。
ただ、あそこまで上手くいくとは思わなかった。あそこまで怒った勇利さんを見るのは初めてだったが、それ以上にヴィクトルの笑顔は胆が冷えた。そして、数人俺たちの前から消えたのは……ナンダッタンダロウネ。
あと、俺が活躍し始めた頃、インタビュー時にも用心として仕込んでいたが非常に役に立った。聞くこと訊くこと失礼な事ばかり聞く記者が、やはりいた。その筋では結構有名な記者だったがその後その姿を見た者は、イナカッタZ。
などと、過去を振り返っていると録音は終わり自動的に音声が止まっていた。
「はぁ、まったく日本の学校はナンセンスだよ」
聞き終ったヴィクトルはオーバーアクションで呆れたことを表現し、勇利さんは苦笑を浮かべていた。
「ん~でも、八幡君。流石にあの作文を読んだら、誰でも反応に困ると思うんだけど」
「勇利、だからと言って否定する権利は誰にも無い。もちろん、俺にもね」
ヴィクトルはめったに見せない真面目な表情を浮かべていた。
俺たちフィギュアスケーターは、技術も大切だが同じくらいに表現力も必要だ。得点を競う競技としては、ジャンプやステップと言った技術は得点を稼ぐために必要不可欠だと俺も思う。ただ、それは俺が好きなフィギュアでも、俺が憧れたフィギュアでもない。
俺が魅せられたフィギュアスケートは、二人のフィギュアスケートは直接心に語りかけてくるスケートだった。言葉が出ないほどに、ため息すら出ないほどに。
心が、充たされた。
俺の境遇を俺自身が忘れるほどのなにかで、心が充満した。
圧倒的な表現力。
それは、五感すべてを使い世界を観測し、自分だけの思いと想いを昇華した先にあるものだ。俺はそう思っている。ヴィクトルがどう感じているかは知らないが、それは真面目な表情になるほどに大切な事だろう。
そして、俺がどんな感想を持とうと否定せず褒めてくれて、こうして真面目に考えてくれるのは、少し、嬉しい。
「さて、勇利。明日は空いているかい?」
「うん、空いているよ。でも、ヴィクトル。ヴィクトルは連れていくけど、全部僕が引き受けるからね」
時間は飛んで、翌日の放課後。
全ての授業が終わり、俺は荷物をひっつかんでさっさと教室を出る。
「比企谷、どこに行くつもりだ?」
「用事があるんで帰るんですよ。昨日も言いましたよね?」
「異論反論口答えは聞かないと言っただろ」
これは、勇利さんが残したチャンスだったんだがな。
ヴィクトルは朝一で抗議に行くと言っていたが、勇利さんがそれを止めて放課後まで待つ事となった。まぁ、いきなり朝一で乗りこんだりするのは非常識だってこともあるが、これは心優しい勇利さんの慈悲だ。
だが、こいつは、
「さぁ、部活に……」
『平塚先生、至急応接室までお願いします。繰り返します。平塚先生、至急応接室までお願いします』
「呼んでますけど、行かなくていいんですか?」
渋い表情を浮かべたあと、舌打ちを打ち鳴らすと、
「比企谷、お前は部室に行っておけ。用が済んだ時、部室にいない場合どうなるか分かっているだろうな」
「そんな事を言っている時間はあるんっすか。結構急いでいたみたいですけど」
「っち。いいか、逃げるなよ」
逃げるも何も、あんたが勝手に部活に入れようとしているだけだろうが。
平塚は踵を返して応接室へ足を向け、俺は昇降口へと足を向ける。
昨日の練習を取り戻さなきゃいけねぇ。俺としては一日中練習していたいんだが、練習場所と人間の肉体ってやつは無理がきかない。それに、実際にやると二人にかなりの心配をかける。
「とりあえず、いつもの日課をこなして今日はジャンプを中心に……」
今日はヴィクトルと勇利さんが遅くなるだろうから、練習メニューを考えつつ廊下を歩いていると、不意にポケットのスマホが震えた。そこに表示された名前は、久しぶりに見る名前だった。
「もしもし、久しぶりですね」
「よぉ、ハチマン。今日は俺がお前のコーチだ、さっさと帰ってこい」
「相変わらずいきなりっすね。分かりました、急いで帰りますよ」
ほんと、この人の行動はいきなりだな。ロシアと日本の行き来するのもかなり時間がかかるってのに。ヴィクトルに似てきた気がする。
「でも、ヤコフ爺ちゃんがよく許しましたね。今シーズンも優勝を目指すって言ってたじゃないですか」
「当たり前だ! いつまでもJJにでかい顔をさせてたまるか!」
ここ数年のシーズンは、カナダのJJことジャン・ジャック・ルロワが大半の優勝をかっさらっていっている。
「つか、俺だけじゃなくてヤコフも一緒だぞ」
「ヤコフ爺ちゃんに無理さすなよ、結構いい年だろ。
まぁ、爺ちゃんと会うもの久しぶりだし楽しみだな」
「ヤコフはヴィクトルとカツ丼と一緒にお前の高校へ行ってるぜ」
……爺ちゃんもか。
「んじゃ、さっさと帰ってこい」
「ええ、分かっていますよ、ユリオさん」