覇王の冒険   作:モモンガ玉

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薔薇の強襲

―――私は、何をしてるんだろう。

 

モモンガと最後に会話してから、体の全てを委ねて自分の中に引きこもった。

暗く閉ざした心の中で、ただひたすらに考え続けた。

彼の呼びかけが聞こえた気がする。彼の様々な感情が伝わってきた気がする。しかし、それに答えるだけの気力が沸かない。

 

暴力に晒された女性を見て、それを棄てようとする男に殺意を覚えてしまった。感情が命じるままに体を動かし、男を殺しかけた。

いや、殺したと言っていい。ラキュースの制止が無ければ確実にそうなっていたのだから。

 

人は誰だって変われる。十分に生活ができるような環境を用意して、ほんの少しだけ背中を押してあげれば普通の人間に戻ることができる。そうして“死を撒く剣団”は“近衛兵団”になったのだから。あの男だって、兵団に加入してもらえば改心してくれるはずだ。

 

――村を襲った騎士にも同じことを言えるかい?

 

その質問に答えることはできなかった。

騎士達だって変われる。沢山の人と触れ合って温かさを知れば、きっと良い人になれる。だが、心の底では彼らを憎らしく思う。村を焼き、隣人を殺し、両親を手にかけたあの男達が、憎い。

そんな者達を救いたいなどとは毛ほども思えなかった。

墓地にいた男も同様だ。救えるんだという気持ちと、許せないという気持ちがある。ひょっこりと現れた矛盾が酷く苦しい。

 

救うか、殺すか。

つい最近まで単なる村娘でしかなかった自分に、今ではそれを選択する力がある。敵の切り札である翅の怪物を一撃で倒し、精強な魔獣を屈服させ、見上げるような巨木のモンスターの足元でくつろげる程の、絶大な力を宿している。

これまで深く考えることはしなかったが、他人の生殺与奪など自分の機嫌次第でどうにでもなるのだ。気に入らない人間を消すことに苦労は無いだろう。

自分の主観で他人の生死を選択する。自分はその業を受け入れられるだろうか。その重圧に耐えられるだろうか。

 

自分はこれまでに何人もの人間を殺してきた。それはモモンガによって行われたことで、どこか他人事のように捉えていた。殺されても文句が言えない事をしてきた相手なのだから、特に気に病むことは無かった。

今になって殺すことに思い悩むのは。我が儘なことなのだろうか。

 

「本当に、もう救えないんでしょうか。殺すしかないんでしょうか。」

 

ただでさえ纏まらない思考が、考えれば考えるほど混濁していく。自分が何を考えているのか、何がしたいのか、分からなくなっていく。

長く思考の海に浸っても、結論を出すことはできなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「そろそろ時間ね。」

 

まともに先を見通すことのできない薄暗闇の中、7人は定位置で1本の蝋燭を取り囲んでいた。

酒場の営業時間はとうに過ぎており、彼女達以外は客も従業員もいない。照明も全て落とされている。街灯の無い大通りを歩く者もおらず、内外共に静寂に包まれていた。

自然と委縮してしまいそうな雰囲気の中、卓を囲んでいた女性の1人が立ち上がる。

 

「エンリさん、近衛兵団の方々は?」

「彼らには直接現地へ向かうよう指示しました。開始時刻も伝えてあります。」

 

ラキュースはひとつ頷き、視線を外すと卓を囲む仲間達を見渡した。

 

「では、最後に確認をします。ティアとティナは暗殺部門。」

「了解、鬼ボス。」

「了解、鬼リーダー。」

「イビルアイ、ガガーランは賭博部門。」

「おう。」

「うむ。」

「レイナさんは近衛兵団の方と共に奴隷売買部門。」

「・・・承りましたわ。」

「そして最後に、私とエンリさんで警備部門。よろしくね、エンリさん。」

「はい、こちらこそ。」

 

ぐるりと回った視線が再びエンリの元へと戻り、一瞬だけ片目を瞑る。

その意図が分からなかったモモンガは、とりあえずウィンクを返しておくことにした。

秘密の合図のような物を堂々と交わされ、他の面々はあまり面白くない。ガガーランがテーブルに頬杖を突き、呆れた表情で問いかけた。

 

「けどよ、本当に2人で大丈夫か? 警部部門っつったら六腕がいるところだろ。何人かは他の護衛に回ってるだろうが、ゼロは確実にいると思うぜ。」

 

謎多き組織である八本指だが、“六腕”の名は広く知られている。警備部門最強の6人にして、八本指最強の戦闘集団。その実力は冒険者のアダマンタイト級に比肩するとも噂され、八本指に対抗しようとする者が現れない理由のひとつになっている。

 

「安心して、エンリさんの実力はこの目で見てるわ。彼女とのコンビなら大丈夫よ。」

「自信があるのはいいけどよ、慢心し過ぎじゃないか? 警備部門を最後に回して全員でかかればいいと思うんだがな。」

 

六腕の存在だけでも厄介だが、警備を生業としている以上、構成員の1人1人が平均以上の戦闘能力を有しているはずだ。

 

「警備部門は真っ先に潰さなきゃいけない。組織の戦力さえ奪ってしまえば、一部を取り逃がしたとしても大きな問題にはならないわ。これは誰かがやらなきゃいけないことなの。」

「・・・そうかい。死ぬなよ、ラキュース。」

「皆も、気を付けて。」

 

その言葉を最後に立ち上がった彼女達の表情は、真剣そのものだった。

 

 

 

「エンリさん、準備はいい?」

 

自身の身長の倍はあろうかという高さの塀を見上げながら、突入の確認を取る。

返事はすぐに返ってくると思っていた。しかし、暫く待ってもエンリの声が聞こえない。どうしたのだろうと顔を横へ向けると、彼女は力無く俯いていた。

 

「ラキュースさん。八本指の連中は、何度牢に入れても意味が無いんですよね。」

「ええ、貴族との繋がりを利用してすぐに釈放されるわ。」

「殺すしか、ないんですよね。」

「・・・少なくとも六腕に関しては、その通りよ。」

 

上位にある者達を消して組織を瓦解させなければ、この戦いは終わらない。仮に八本指を束ねる者達全てを同時に捕えたとしても、甘い蜜を吸いたい貴族が釈放してしまうのだ。

これは宿での話し合いの際、既に伝えている。流石にもう忘れたということは無いだろう。ラキュースには、エンリが必死に自分に言い聞かせているように見えた。

 

(本当に優しい人だわ・・・できれば巻き込みたくなかった。)

 

後悔の念を抱き顔を伏せる。

その視界に映るエンリの足が、漸く鎧によって包まれた。話に聞く鎧を呼び出す能力だろう。だが、それは噂通りの物ではない。

ゆっくりと顔を上げ、エンリの鎧を眺める。

どれだけ瞬きを繰り返しても、それは目の覚めるような紅ではない。例えるなら、昏き深淵の底を覗き込んでしまったかのような、漆黒。

不意に吹き抜けた風が、赤いマントを柔らかく揺らした。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「何かあったか?」

「いや、何も。上もここと同じような状態だな。」

 

階段から降りてきたイビルアイに問いかけるも、予想通りの返答に肩を落とす。

ガガーランは体ごと後ろを向き、広い室内を見渡した。

あるのはただの床と壁。椅子はおろか、テーブルのひとつすら無い。まるで人のいなくなった廃墟のような状態だが、そうでないことは素人目にも明らかだった。壁や床に規則的に残っている跡が、最近までそこに家具類が置かれていたことを物語っている。

 

「一歩遅かったってところか。」

 

悔しさを隠すことなく拳を強く握り締める。

作戦開始時刻と同時に踏み込んだ時、賭博部門の本拠は既にもぬけの殻だった。まるで高級宿のような外観で周囲に溶け込んでいるのだが、家具も人の姿も見当たらない。1階が受付及び待合室、上階が賭場として使われていたことは床の汚れ具合から推察できたが、それだけだ。

 

「まだ()が残ってるぞ。」

「・・・そうだな。何か手がかりが残ってりゃいいんだが。」

 

2階へ続く階段の横にぽっかりと空いた穴。その先には地下へと続く長い階段があった。当然そこにあったはずの照明は取り払われ、終点を見通すことはできない。

これは2人が見つけた物ではなく、最初から隠すことなく存在していた。手前の床が日に焼けていないところを見ると、普段は棚か何かで見えないようにしているのだろう。

逃げるのに必死で隠蔽するのを忘れていたのか、地下の存在が知られても問題無いのか。堂々と晒された秘密通路は何とも不気味に見えた。

 

イビルアイが魔法を発動し、小さな光源を作り出す。まだ敵が残っている可能性を考え、足を踏み外さずに歩ける程度の明るさに留められていた。

罠が仕掛けられていないか簡単に確認し、ガガーランが先に踏み出す。突発的な出来事に関しては、重装備であるガガーランの方が対応しやすいのだ。イビルアイの反射神経ならば即座に防御魔法を展開することも可能だが、魔力はできるだけ温存しておきたかった。

 

「ガガーラン、どう思う?」

 

イビルアイが前触れも無く口を開いた。

多くを省略した言葉だが、その意味を聞き返すことは無い。

 

「地下通路を逃亡中ってのが一番嬉しいんだが、そうはいかねえんだろうな。上と同じような光景が広がってるんじゃねえか?」

「私も同意見だったんだが・・・。」

「ん?」

 

言い淀むイビルアイに、足を止めて振り返る。

いつも自信を持った物言いをする彼女にしては珍しい光景だった。

 

「妙だとは思わんか? 奴らがわざわざ建物の構造を晒すはずがない。」

「そうかもしれねえが、今は考えるより行動だぜ。俺達だけ成果無しってのはまずいだろ?」

「・・・ああ。」

 

イビルアイは靄を振り払うように頭を振ると、歩みを再開する。

警戒しつつゆっくりと降りていたのだが、何事も無く下層へ辿り着いた。階段が終わってすぐのところに鉄製の扉がある。ガガーランの身の丈よりもやや大きな扉には無骨な傭兵の模様があしらわれ、重厚感を漂わせている。

慎重に近付いて取っ手を掴み、ゆっくりと押し開いた。

 

「こいつは・・・。」

 

目に飛び込んできたのは、眩い光。地下に採光用の窓などあるはずもなく、これが人工的な光であることは確実。《永続光(コンティニュアル・ライト)》が付与された光源がそのまま残されているのだろう。逃亡の際にこれ以上の荷物は持ちきれないと判断されたのか、あるいは――。

 

「お待ちしておりましたよ。」

 

未だ光に慣れない目を強引に開き、声のした方向を見ようと顔を上げる。

階段にしては踏面も蹴上も大きな段差がいくつも続き、最下段に腰ほどの高さの塀。その塀によって円形に囲まれた場所の中心部にその男は立っていた。

 

「闘技場たあ、洒落た場所を選んだな・・・マルムヴィストさんよ。」

「私如きの名を貴方がご存じとは光栄ですね。」

 

眼前に広がっていたのは、闘技場だった。

地上から続く階段は、客席部分の中間辺りに繋がっていた。観戦に来る貴族はそう多くないだろうに、客席はかなりの数が収容できる作りになっている。数百人は軽く入るだろう。

如何に巨大組織といえども、ここまで大規模な物を裏で作り上げていたことに驚愕を禁じ得ない。

 

「やはり罠だったということか。しかし、お前1人で私とガガーランに勝てると本気で思っているのか?」

「まさか。しかし、金を受け取った以上やらなければならないのですよ。逃げる時間くらいは稼がないと六腕の名に傷が付きますしね。」

「ほう? つまり、ここの連中はまだ中にいるのか。」

「おっと、これは何たる失態。地下通路からの逃亡を知られてしまうとは。」

 

マルムヴィストはわざとらしく拳を額に当てる。

その気取った仕草に構うことなく、男の背後に見える入場門を顎で指した。

 

「ここは俺に任せろ。イビルアイは逃げ腰の連中をとっ捕まえてくれ。」

「おやおや、いいのですか? 2人一斉に来られては私に勝ち目が無かったところですが。」

「はっ、俺1人でも十分だぜ。」

 

マルムヴィストの安堵しているのか挑発しているのか分からない言葉も聞き流し、軽々と跳躍する。ガガーランの鍛え抜かれた筋肉は見た目にそぐわない敏捷性を発揮し、難なく塀を飛び越える。大きく砂を舞わせながら着地すると、素早く刺突戦鎚(ウォーピック)を構えた。

軽く目を上へ向けると、ガガーランの跳躍よりも遥かに高い位置にイビルアイの姿が見えた。

 

「では頼む。できるだけ早く戻る。」

「おうよ。」

 

イビルアイはそれだけ言うと向きを変え、全力に近い速度で入場門へと飛び去る。

2人は、すぐに闇の中へと消えた彼女を動くことなく見送った。

 

「追わない、か。奥で待ち構えてやがるな?」

「ばれていましたか。下手な芝居を打つ必要もありませんでしたね。」

「よく言うぜ、隠す気なんか無かっただろ。」

 

男が肩を竦め、レイピアを引き抜く。いよいよ戦闘が始まるかのように思えたが、その手は下げられたままだ。これから殺し合いをする人間とは思えない穏やかな笑顔でひとつの提案をしてきた。

 

「ここは賭博部門ですし、賭けをしませんか? 賭け金は互いの命で。」

「おもしれえ。勝負の内容は?」

「ルールは単純ですよ。どちらが先に、肉塊になるか。」

 

その勝敗の付け方は野蛮極まりない物だった。

ガガーランは彫りの深い顔に、更に深い笑みを浮かべる。

 

「乗ったぁ!」

 

その場に豪快な粉塵を残し、マルムヴィストへ肉薄した。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「これが拠点?」

「しょぼい。」

 

双子は揃って眼前の建物を眺めた。

王都の外れに暗殺部門の本拠が存在するとのことで襲撃に来てみたはいいが、この外観は期待外れもいいところだった。全て木材を用いて建てられた建物は既に朽ち果て、そよ風が吹いただけで倒壊してしまいそうだ。屋根はところどころ剥げ落ち、頼りない壁には多くの隙間が空いていた。

敷地内も荒れ放題で、草は鬱蒼と茂り、歪な形の木々が無秩序に乱立している。

これが本当に奴らの塒だとしたら、「八本指などとうの昔に壊滅した」と言われても信じてしまいそうな惨状である。

 

「私は表。」

「私は裏。」

 

とはいえ、何も確認をせずに作戦終了とはいかない。簡単に分担を決めると、姉妹の内1人の姿が掻き消えた。これはスキルを使用して移動したためであり、その軌跡は常人では決して感知できない。

まるでその瞬間を待っていたかのように、あばら家の扉が軋みを上げて開かれた。

 

「ヒヒヒ、まんまと策に引っかかるとは、蒼の薔薇の双子は馬鹿なのか。」

()()部門を名乗るなら、もっと気配を殺すべき。」

 

無論、双子はあばら家に潜む人間の気配に気付いていた。それを分かっていて戦力を分けたのだ。

敵の発する殺気、視線、気配がはっきりと知覚できていた。本人達は隠れているつもりだったのだろうが、“忍者”である彼女達からしてみれば、それは三流以下の技術。警戒に値しない烏合の衆と言えた。

 

「生憎と俺は暗殺部門の人間じゃないんでな。分かるだろう?」

「全く知らない。誰?」

「は?」

 

自信に満ちた表情で話していた男が素っ頓狂な声を上げる。

 

「・・・警備部門だ。ここまで言えば――」

「知らない。」

「ろ、六腕の――」

「知らない。」

「サキュロン―――!!」

「全然知らない。」

「ふざけんなッ!」

 

謎の男は遂に地団太を踏んだ。

 

 

 

 

 

何も無いはずの建物の影から、突然少女が現れる。髪は後ろで1つに括られ、身を包んでいるのは赤を基調とした身軽な装備。俊敏性を意識した装束は自然と露出を増やしていた。

普段から何の感情も示さない表情をそのままに、街道を歩いているかのような軽さで歩み出す。少々釣り目がちながらも不思議な魅力を感じさせる容貌を、月明りの下へ晒した。

 

「23人。」

 

ぽつりと、ただそれだけを呟く。何も知らない者が聞けば、意味を為さない単語にしか聞こえないだろう。しかし、それが魔法の合言葉だったかのように周囲の草や木々がガサゴソと音を立てた。

 

「さすがは元イジャニーヤの頭領殿。全部お見通しか。」

 

ぞろぞろと草むらから這い出て、或いは木から飛び降りてきたのは、総勢23人の男。それは決して諦めを孕んだ緩慢な動きではなく、獲物を追い詰める獣のような機敏さで1人の少女を円状に取り囲んだ。

それを見た少女はがっくりと項垂れ、大きなため息を溢す。

 

「はぁ・・・。」

「どうした、流石の頭領殿もこの人数相手じゃお手上げか?」

「失格。」

「――っ!」

 

元の姿勢に戻った少女の顔を見た男達は、息を呑んだ。

その表情にはやはり何の変化も無い。暗殺部門の精鋭23人を相手取って、感情に揺らぎを与えることすらできていない。挙句の果てには“失格”の烙印まで押された。

 

「ふ、ふん、下らんはったりはやめておけ。手早く済ませるぞ。」

 

敵のリーダーらしき男の声で、23人が一斉に円の中心にいる少女へと躍りかかる。暗殺部門の名に恥じず無駄の感じられない動きだが―――次の瞬間、少女の姿が消えていた。

 

「お前達に足りない物。それは―――」

「上か!!」

 

頭上から降る声に顔を上げる。降り注いでいたのは声ではなく、いくつものクナイだった。それは1本も外れることなく、次々と男達の肩に突き立って行く。

ひらひらと木の葉のように舞いながら包囲の外へ着地した少女は、またしても姿を消す。

 

《闇渡り》

 

「ぐぎゃっ!」

 

少女とは反対方向にいた男の1人が悲鳴を上げた。

 

「服装、隠形、声、姿勢―――」

 

少女がひとつ言葉を発する度に、離れた場所で悲鳴が上がる。

 

「思考、聴力、筋力、判断力。そして何よりも―――」

 

23度悲鳴が上がったところで少女の動きが止まり、男達に背を向ける。両足を揃えて直立すると、両手の人差し指を立て、片方の人差し指を掴んだ。所謂“忍法”のポーズである。

右足を引いて腰を落とし、印を解いて両手を後方へ振り払う。

 

「ロマンが、足りない。―――《爆炎陣》」

「ぐわああああぁぁっ!!」

 

盛大な爆発が戦いの終わりを告げた。

 

 

 

 

 

「くそっ、俺だって六腕だってのに。畜生、何で・・・。」

「そろそろいい?」

 

謎の男の独り言が漸く小さくなってきたタイミングで声をかける。男は我に返ったように顔を上げると、必死の形相で問い詰めてきた。

 

「なあ、本当は知ってんだろ? “幻魔”のサキュロントだよ。」

「知らない。」

 

身振りまで交えて自分をアピールしてくる男をバッサリと切り捨てた。

実際のところ、勿論サキュロントの存在は知っている。しかし話に聞くサキュロントと今目の前にいる男では、実力に差があり過ぎた。つまり「こんなに弱そうな六腕など聞いたことも無い」と言っているのだが、初対面の人間が彼女の言葉を理解することなど不可能だろう。

 

「・・・もういい。だったらその身に刻め。警備部門最強の6人“六腕”が1人、“幻魔”のサキュロントの名を!」

 

言い終えるよりも早く、サキュロントの姿が6つに増える。

 

「さあ、どれが本物の俺か、分かるか、なっ!?」

「影分身は忍者の特権。」

 

少女の姿もまた、対抗するように6つに増えていた。

焦りに魔法の制御を誤ったのか、サキュロントの作り出した幻影が掻き消える。その隙を逃すことなく、6人の少女がそれぞれ全く同じ動きで飛びかかった。

 

「問題。本物のティナはどれ?」

「ク、クソ!」

 

本物を見分ける能力など持ち合わせていないサキュロントは、運を天に任せて剣を突き出す。予想だにしていなかった事態に敗北を確信していたのだが――ずぶりと、切っ先が沈みこむ感触が伝わった。5つの幻影も動きを完全に停止している。

 

「かはっ。」

 

腹部に剣を突き立てられた少女が吐血する。

思わぬ幸運に踊り出しそうになる心を抑えながら腕を捻り、剣を乱暴に引き抜いた。

 

「はは、はははっ! 俺の勝ちだ!!」

 

少女の体がゆらりと揺れ、膝から崩れ落ち―――ひょいと顔を上げた。

 

「残念。」

「え?」

 

残り5人の少女が、再生ボタンを押したかのように同時に動き出す。

 

「全員本物の()()()でした。」

「ぐがあッ!!」

 

4本のクナイが、四肢の付け根を正確に穿つ。

《影分身の術》は、質量を持つ分身を作り出すスキル。サキュロントが生み出した幻影とは根本から異なるのだ。

身体を支える力を失い、崩れ落ちるサキュロントの襟首を最後の1人が掴んだ。

 

「ただの幻影には負けない。」

「そ、その問題・・・色々卑怯だ、ろ・・・。」

 

全身を駆け巡る激痛に、サキュロントの視界が暗くなって行く。意識を失う直前、大きな爆音と弾け飛ぶ木片が目に入った。

 

「グッドタイミング?」

「ジャストタイミング。」

 

気を失ったサキュロントの影を踏むように、相方のティナが現れる。崩れ落ちたあばら家など目に入っていないかのように、2人同時に親指を立てた。

ここでの任務は完了した。貴重な情報源まで手に入れることに成功し、万々歳といった状況だ。しかしやはりというべきか、姉妹は表情を変えることなく、淡々と事後処理を始めた。ティアが無造作にサキュロントを担ぎ、ティナがそれを先導する。

慣れた様子でこの場を後にしようとしていた2人だが、不意に足を止める。

風上から、何やら焦げ臭い風が流れ込んできたのだ。

 

「燃えてる。」

「あそこは貴族の家。」

 

その言葉に呼応するかのように、姉妹が見つめる先に火の手が上がった。

建物に遮られて全容は把握できないが、それは王城に近い、貴族の家が密集している区画だ。

 

「どうする?」

「・・・次の集合場所に向かう。」

 

2人の脳裏に“鬼ボス”と呼んで慕う女性の悲しげな表情が浮かんだが、姉妹は淡々と仕事をこなした。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「はあ、はあ、はあ・・・っ!」

「お待ちください、アングラウス様!」

「ついて来んじゃねえ、ガキ!」

 

ブレイン・アングラウスは夜の王都を駆ける。

過去のトラウマから全力で逃げるために。

 

(クソッ、あの化け物女、俺を消しに来やがったのか!!)

 

彼は嘗て、死を撒く剣団という野盗に与していた。

王都の御前試合で初めての敗北を味わって以降、努力という言葉を知り、ただ強くなるためだけの日々を送っていたのだ。己を磨くためならばどんなことでもやってきた。

そうして彼はガゼフ・ストロノーフにも劣らない力を手に入れた。最早自分とまともに戦える相手などストロノーフしかいないと――驕っていた。

 

彼の誇りと自負は、年端のいかぬ少女によって一瞬で打ち砕かれた。

 

あの時の少女は遠距離からの攻撃に専念していた。彼の攻撃など通用しないというのに。

彼は遊ばれていたのだ。少女は、彼が非道に手を染めてまで手に入れた力を嘲笑ったのだ。

その恐ろしい女が今、王都にいる。

今夜は何となく気が立って中々寝付けなかった。気晴らしにと夜の王都を徘徊していると、見つけてしまったのだ。忘れもしない、あの横顔を。

 

――続きをしようか。全力で向かってこい、天才剣士よ!

 

どこからでもかかってこいと言わんばかりに両手を広げた少女を思い出し、身震いする。

あの姿はまさしく、魔王。

暇を持て余した魔王が闘争を求めて地上へ降り立ったに違いない。

 

(ん? 待て・・・そうか、そうなのか。)

 

ブレインは、はたと思う。

唐突に立ち止まったため、自分を追っていた少年がよろけた。

 

(思いを踏みにじったのは、俺の方だったのか・・・。)

 

あの時の少女は確かに遊んでいた。楽しそうに、まるで子供のようにはしゃいでいた。

ブレインは、自分程の強者はそう存在しないと自負している。ならばあの魔王も、強者と剣を交わすのは久しい事であるはずだ。

 

――天才剣士よ!

 

再び魔王の声が頭に響く。寝ている間も収まらなかった全身の震えが、漸く止まった。

目に鋭さが蘇る。自然と口元が綻ぶ。

数日ぶりに上げられた彼の顔には、無邪気な笑顔が浮かんでいた。

 

(ったく、あれほどの女に認められてたってのに俺は・・・。今行くぜ、魔王。)

「アングラウス様・・・?」

 

心配そうに問いかけてくる少年と、初めて視線を合わせた。

 

「クライム、だったか。死にたくないならここから離れな。」

「え?」

 

状況が理解できていない少年をそのままに、肌身離さず握っていた刀をゆっくりと引き抜く。

 

「これが・・・俺の覚悟だ!!」

 

愛刀が月明りに照らされ、妖しく輝く。

時間をかけて抜刀したというのに、その決意を表現するかのような風切り音が鳴った・・・

 

「ごがっ!?」

 

かのように見えたが、風切り音を上げていたのは飛来した木片だった。

後頭部を襲った突然の衝撃に反応しきれず、うつ伏せに倒れ込む。

 

「ア、アングラウス様・・・アングラウス様ああああああぁぁぁぁっ!!!」

「し、死んでねえよ・・・。」

 

 

 

(確かこの辺りだったな。)

 

ブレインは1人でエンリを見かけた路地裏に戻っていた。

木片が高速で飛来するという異常な事態を目の当たりにしたクライムは同行を希望したのだが、これから行うのは生死を賭けた闘い。宿敵であり恩人でもあるガゼフの知り合いを巻き込む訳にはいかなかった。

彼はブレインの口車に乗せられ、ここから離れた場所を見回っている。

 

(準備は・・・今からじゃ無理か。)

 

自らの腰をさする。

そこには何も無い。身体能力を一時的に向上させるポーションも、前回の戦闘で使った目くらましも、提げられていない。あるのは不安から己を守るように握り締め続けた刀だけだ。

だが、それだけで十分。

 

(俺の全てをぶつけてやる。お前を倒し、今度こそ俺は最強の男に・・・なんだ?)

 

頭上から耳を劈くような爆音が響く。

上を見やると、大きな石の破片が大量に降り注いでいた。

 

「何だってんだ、今日はやけにかてぇ雨が降りやがるな。」

 

やれやれと愚痴を漏らしながらも、石が当たらない位置に移動する。

油断さえしていなければ、この程度のことは朝飯前なのだ。

 

「ん、あれは・・・。」

 

しかしブレインは、飛来物の落下地点へと移動した。




ブレイン「お久しぶりです。」

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