覇王の冒険   作:モモンガ玉

13 / 18
王都のモモンガ

薄い照明に照らされた閑散とした酒場。すべてのテーブルには純白のクロスと花瓶が置かれ、豪華な内装も相まってそこらの酒場とは違うことを嫌でも認識させる。そこに腰を下ろす者は数えるほどしか無い。全ての冒険者の憧れである最高級宿の宿泊費は、当然ながら簡単に支払える額ではない。ここでは見慣れた光景だった。

その広い空間の奥、いくつものテーブルを素通りしたその先にある隅の席、最も目立たないテーブルが彼女達の指定席となっている。一見すると地味な位置取りだが、王国最強と名高い彼女達が座ることによって最も華のある場所へと昇華していた。

そこへ集う7人の女性は酒場の人間の視線を釘付けにした。普段は目を付けられることを恐れて関わることを避けているが、尋常でないことが起こっていることは確かだ。反射的に聞き耳を立ててしまうのも無理はない。

しかしどれだけ耳を澄ましたところで、彼女達の声が聞こえることはない。仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法によって音が遮断されていることも、この場の全員が理解していた。

 

「遅かったな、ラキュース。それで、そちらの見慣れたお客さんと見慣れないお客さんはどういう事情だ?」

 

ガガーランが警戒を隠すことなく問う。泣きじゃくる街娘には見覚えが無いが、その横にいるのは間違いなく“重爆”のレイナース。身に纏う雰囲気と他にない容姿から、それ以外の何者でもないことは明らかだった。

 

「えっと、どう説明したらいいのかしら・・・。まず此方がオリハルコン級冒険者のエンリ・エモットさん。」

「は? こいつが?」

 

眼前で涙を流し続けている女性が噂の絶えないエンリ・エモットであることを知り、目を丸くする。ガガーランと同様に訝しげな視線を向けていたイビルアイも似たような反応だ。ティアとティナだけは察しが付いていたのか、驚きは薄い。

 

「そしてこの人がレイナー――さんなんだけど、ちょっといい?」

 

ラキュースが4人の座るテーブルへ歩み寄る。左手を突いて顔を中央へ寄せると、もう片方の手を口元へ添えた。同時に4人もそこへ顔を近づける。

 

「“重爆”がここにいるのは、恐らくエンリさんを帝国に取り込むためよ。街で偶然見かけて後をつけたんだけど、そこで娼館の人間と出くわしちゃって・・・。」

「なるほど、それで・・・。」

 

イビルアイが横目でエンリを眺める。

違法娼館で行われている事の一端を垣間見てしまったのだろう。そこに立つのは物々しい二つ名に似合わない純情な少女だった。

 

「ラキュースの予想が正しかった訳か。だが、それを分かっていて何故ここに連れてきた? これ以上エンリ・エモットと接触させるのはまずいだろう。」

「そうなんだけど、“重爆”が八本指の襲撃を手伝うと言い出したのよ。エンリさんも彼女のことを信頼しているみたいだし、断れなくて。」

「じゃあよ、レイナースの正体を明かせばいいんじゃねえのか? 陰謀があって近付いて来たって教えてやりゃあ、泣き虫の嬢ちゃんも――」

「それはダメ。」

「ガガーラン、脳筋。」

 

姉妹に言葉を遮られ、片眉を上げる。無論これはただのポーズであり、短くない付き合いの仲間に不快感を抱くことなどそうそう無いのだが。

 

「悔しいけど、国としての魅力では帝国には敵わないわ。エンリさんは村の出身でしょう? 村への愛着はあっても国への執着はないと思う。村の平和を約束する代わりに軍門に下れとでも言われたら――」

「滅ぼす側に回りかねないってか。面倒なことになっちまってるな・・・。」

「だが、エンリ・エモットの前で妙な事が出来ないということでもあるぞ。ただでさえ手が足りないんだ、ここは利用したほうがいい。」

 

帝国が大した変装も無しに四騎士を送り付けてきたのは、見つかったとしてもどうにでもなると踏んでのことだろう。事実四騎士、それもレイナースを捕える事など簡単なことではないし、これを問題にしたところで帝国の侵略が止まることはない。エンリを王国に繋ぎ止める鎖すらないのだ。むしろ八本指という王国の暗部を見せてしまい、貴重な人材が他国へ流出する可能性が高まった。

内外から為されるがままの状態に歯噛みしつつも、全員が頷いた。

話が纏まったところで、示し合わせたように一斉に元の姿勢に戻る。

 

「お待たせしました、まずは座ってください。」

「ありがとうございます。」

 

ラキュースが椅子を引く。レイナースは優雅に一礼して、エンリは無言でそれに腰を下ろした。

蒼の薔薇がレイナースについて話し合っている間にエンリの嗚咽は止んだ。しかしその涙を拭うことはなく、流れた跡が未だ鮮明に残ったままだった。

 

「エンリさん・・・大丈夫ですか?」

「はい、みっともない姿をお見せして申し訳ありません。」

 

エンリは表情が抜け落ちたような顔のまま、平然とした声で答えた。

ラキュースはこの光景を見るのは二度目。前回は様々な感情で彩られた顔だったが、声の調子はあのときと全く同じ物だった。

 

「では早速状況の説明をしたいのですが、その前に。レイナさんにエンリさん。おふたりは今回の件に協力してくださると認識してもよろしいですか?」

「もちろんですわ。」

「ええ、協力させてください。」

 

八本指の構成員に攻撃を仕掛けていたことから確認するまでもない事のように思えるのだが、これは重要なことだ。聞いておかねばならなかった。

 

「ありがとうございます。現在の状況ですが、私達は八本指の所在を突き止めることに成功しました。しかしこの事は恐らく相手にも伝わっているので、急がなければなりません。明日にでも襲撃を決行する予定です。」

「八本指は8つの部門からなる組織と聞いていますわ。この人数では戦力不足ではありませんか?」

「その通りです。当初はチームを2つに分け、迅速に1つずつ処理していく予定でした。」

「蒼の薔薇だけで、ですか? 王国の衛兵や戦士団に頼むことはできないのですか?」

「本当に何も知らないんだな。」

 

エンリの呈した疑問に、イビルアイが溜め息混じりに説明する。

 

「八本指は多くの貴族を取り込んでいる。国を動かす大貴族やそこらの衛兵、誰が八本指の手先なのか見当も付かない。これは秘密裏に行わなければならない作戦なんだ。」

「そこまで腐って・・・いえ。少なくともガゼフさんなら大丈夫なはずです。」

 

エンリの様子には明らかな落胆と失望が見えた。視界の端に映るレイナースの唇が僅かに吊り上がる。

ラキュースは大きな危機感を覚えたが、嘘を伝える訳にもいかない。

 

「戦士長の率いる王国戦士団は王直属の親衛隊なんです。それが王の元を離れて八本指の征伐に向かうのは色々と問題が・・・。」

「貴族の横やり。」

「ガゼフは動けない、無能。」

「――ふふっ。」

 

ティアのあんまりな物言いに、遂にエンリの顔に笑みが浮かぶ。

それを見たラキュースも跳ねて歓びを露にしたいところだったが、ぐっと堪えて軽く微笑むだけに留めた。

 

「でしたら、3箇所分くらいの手勢なら私が用意できます。」

「噂の近衛兵団か?」

「ええ、まあ。」

 

ガガーランが腕を組み、眉根を寄せる。

 

「・・・それはやめたほうがいいな。生半可な力で拠点を潰せるほど甘い組織なら、ここまで国に浸透できねえ。最近鍛え始めたばっかの連中じゃあ返り討ちにされるだけだぜ。」

 

戦力が少しでも増えるのは喜ばしいことだ。現時点で集まっているのはたったの7人。2人か3人のチームで巨大組織の拠点を潰すというだけでも成功するか怪しい。それを一夜に何度も行うのだから、制圧に失敗するどころか全滅の可能性もあった。

それでも、実力の足りない者を襲撃に参加させる訳にはいかない。無駄死にするだけならまだいい。警戒心を強めた組織が撤退を早め、見つからない場所に潜伏してしまうかもしれないのだ。

それを理解しての事なのか定かではないが、エンリは気負うことなく答えた。

 

「大丈夫ですよ。街のチンピラに負けるほど軟弱な鍛え方はしていないはずですから。」

「甘く見過ぎ。」

「そこらのごろつきとは訳が違う。」

 

姉妹の忠告もどこ吹く風とばかりに肩を竦める。

 

「同じですよ。私の真なる力を以てすれば、英雄もまたチンピラに等しい。」

「っ!?」

 

ラキュースは目を見開き、卓上へ身を乗り出した。まるで電光のような速度で行われたそれは、姿が消えたようにも見えた程である。

その視線が向けられている本人は、酷く落ち着いた様子で両肘を突く。指を絡ませて手を組むと、そこへ顔を寄せて口元を隠した。大きな悩みを抱えている姿勢にも見えるが、その目に宿る光はオーガを射殺せるのではないかと思うほどに鋭い。

対照的にゆっくりと行われた一連の動作を見たラキュースは、益々平静を失っていく。

 

「エンリさん、まさかあなたは――!!」

「私の二つ名の意味・・・お見せしましょう。」

 

エンリは不敵に笑った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは17人と1匹の前に堂々と立つ。

円らな瞳を少しだけ鋭くして此方を見つめるハムスケと、緊張した面持ちの近衛兵団。その背後に見えるのは巨大な木箱。前後左右どこを見回しても同じ物ばかりが並んでいる。唯一確認できる外の情報は、くり抜いたように四角形になった夜空だけだ。

この区画は倉庫街として利用されており、民家はほとんど存在しない。わざわざ四方から死角になっている場所を選んだこともあって、発見される可能性は極めて低い。それに加えて、モモンガは蒼の薔薇との会議の直後に彼らを呼び出した。つまり今は夜中。誰かに見られるとすれば、それは何か()()な仕事に就いている者くらいだろう。

 

「まずはこれを読んでくれ。」

 

モモンガがくしゃくしゃになった羊皮紙を懐から取り出し、ぞんざいに放る。アベックが両手を差し出すが、その軌道が大きく外れていたため片手を伸ばして受け取った。

羊皮紙を広げると、そこに記されているのは3行だけ。それぞれ密輸、金融、奴隷売買の文字で始まり、その後に住所らしき物が続いている。

 

「姐さん、これは?」

「招待状だよ。」

「招待状・・・?」

 

兵団の面々の表情が困惑で埋め尽くされる。こんな時間に呼び出しを受けたものだから、緊急の要件だと思っていたのだ。

だがすぐに、彼らの予想が間違っていなかったことを知る。

 

「うん、王都裏側観光ツアーのね。昇級祝いに私が申し込んでおいた。ガイドを務めてくれるのは誰だったかな。八本腕? 六指・・・?」

「あ、姐さん、そりゃあ――」

「もちろん予定が合わないなら断ってくれて構わない。私が今から中止を伝えに行く。」

「なっ!!」

 

近衛兵団の者は皆、エンリが何を言っているのか理解していた。

王都裏側観光―――即ち、八本指との戦争。

自分達がそれを拒めば、エンリは1人で王国最大の犯罪組織へ喧嘩を売ると言っている。そんなことを許容できるはずがなかった。

 

「予定など何も入っていません! ありがたくお受けします!」

「そうか、それは良かった。では明日・・・いや、今日の夜だな、各班それぞれの場所へ集合してくれ。割り振りは任せる。詳細な日程はまた伝えるよ。」

 

そういって踵を返し、ゆっくりと去って行く。この場の全員が、徐々に小さくなっていく背中を木箱に隠れて見えなくなるまで見つめ続けた。やがて遠ざかる足音も聞こえなくなり、夜の静寂に包まれる。虫の羽音すらしない空間に、彼らはただ立ちすくんでいた。

未だにドヤ顔を続けているハムスケだけは、鼻をひくつかせて辺りを見回していたが。

 

どれだけの時間が経過したのか分からなくなった頃、アベックが歩き出す。その先にあるのはただの木箱。その唐突な行動に目をやる者は1人としていなかった。

木箱まであと10歩というところまで来ても、彼は止まらない。あと3歩、2歩、1歩のところで漸く立ち止まり、拳を振り上げた。

 

「クソッ! クソ、クソ、クソがッ!!」

 

殴りつけた木箱に穴が空く。穴に嵌った腕を忌々しそうに引き抜くと、別の場所を殴りつけた。何度も何度も繰り返し殴りつける。腕を抜く度に鮮血が舞うが、それを気に掛けることは無く、止めに入る者もいなかった。

 

「八本指め・・・姐さんに何を見せやがった!」

「あんな姐さん、見たことが無いな。」

 

彼らは、エンリを傷付ける方法がひとつしか無いことを知っている。

圧倒的強者である彼女に何かしたところで、その心はこゆるぎもしない。エンリを傷付けたいのなら他者を嬲るしかないのだ。

沈黙が一転して険悪な雰囲気が漂い始めた中、ディーフが軽い足取りでアベックへと近付く。その手から羊皮紙を抜き取り、少し眺めてから頷いた。

 

「わりぃが、ここは俺が貰うぜ。」

 

指さしたのは“奴隷売買”と書かれた行。

 

「そこを選ぶからには失敗は許されんぞ。しくじれば・・・分かってるな?」

「俺がトチると思ってんの?」

 

視線が交錯する。

ガフが脅すような事を言ったのは、ディーフの失敗を恐れたからではない。ここにいる誰もが奴隷売買部門――娼館への襲撃を望んでいるのだ。自分達の慕う存在を傷付け、まるで別人のようにしてしまった憎き存在、その可能性が最も高い場所を破壊したい。それが共通の想いだった。

エンリの頼みでないのなら、残りの2箇所など無視して全員で押し掛けただろう。

 

「分かった、娼館はお前に任せる。」

「おい、アベック!!」

「落ち着くんだ、ガフ。ここまで具体的な指示を受けたことなど今までにあったか? 私達は姐さんに任された。漸く役に立てる時が来たんだ。これをもっと重く受け止めろ、感情に流されるな。」

 

まだ言い返そうとする雰囲気を見せたガフだが、歯軋りの音を響かせて黙り込んだ。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは1人、通りを歩く。

王城から続く大通り。昼間は多くの人が行き交い喧騒に包まれていた場所だが、その広い道を進むのはモモンガだけだ。

 

(蒼の薔薇の人たちに大見得を切っちゃったけど、流れ的に仕方ないよね。)

 

視界に映るのは石畳で舗装された道と、歩を進める自らの足。

 

(ああでも言わないと認めてくれないと思ってさ。)

 

照明の無い街路。月明かりだけが照らす薄暗い道を歩く。

 

(・・・ああ、近衛兵団の事かい?)

 

舗装されている区画が終わり、砂を踏みしめる音が規則的に夜の街に響く。

 

(荒事を別の物に例えるというのはよくある話じゃないか。それで笑いを取ることができれば士気も上がるんだよ。)

 

人がいなくなり静まり返った露店が密集している地域を抜け、宿泊する予定の宿を通り過ぎる。

あてどなく、縮こまった背中を更に小さくして、ただ黙々と歩く。

 

(ははは、失敗しちゃったみたいだけどね。)

 

ふと足を止め、視線を上げる。大通りとは対照的な粗い道が続き、こぢんまりとした建造物が並んでいる。正面に高く聳える塔のてっぺん、その上に広がる雄大な星空を眺めた。瞳に溜まった涙が溢れ、頬に一筋の線を作る。これはどちらが流した物か、彼にも分からない。

 

「エンリ、返事をしてくれ。もう、1人は嫌だ・・・。」

 

夜闇に溶けて消えてしまいそうな掠れた声で呟く。

モモンガは1人、歩いていた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(眩しい・・・。)

 

横合いから差す光に眉を顰める。いつの間にか閉じていた瞼を光から庇うように腕で覆った。

どうやら眠っていたらしい。昨夜はひたすら歩き続けていたはずだが、今は柔らかいベッドに横になっている。精神的に疲労していたからか記憶が曖昧で、どうやって宿に辿り着いたのか思い出せなかった。まるで二日酔いの朝のように気怠い。

ふと自分が寝ているベッドから、より正確には自分の横から漂う良い匂いに気付く。それに引き寄せられるように寝返りを打つと、左手が何かとてつもなく柔らかい物に受け止められた。

 

「んぅ・・・。」

 

艶めかしい声がやけに遠くから聞こえた気がする。意識がはっきりしないままに、漸く重い瞼を上げた。

視界いっぱいに映ったのは、未だ見慣れない、生気に溢れる美貌。今にも鼻先が触れ合いそうな、吐息がかかるほどの距離。自然とその艶やかな唇へと視線が動く。

一気に顔が紅潮し、鼓動がドラムロールの如く早まるが―――

 

「ひょわああああああ!!」

 

それを自覚するよりも、ベッドから転げ落ちる方が早かった。

その珍妙な叫び声と盛大な落下音を聞き、女性が跳ね起きる。

 

「何事!? って、エンリさん。どうしたの、怖い夢でも見た?」

(な、何が起こっている。何で昨日より親しげなんだ。)

 

身体を起こしたラキュースを凄まじい速度で視界から外す。彼女は一糸まとわぬ、とまではいかないが、非常に肌色の多い格好をしていた。急いで視線を落とした先にもまた、肌色。自分もラキュースと同じような格好だったのだ。目のやり場に困ったモモンガは、首を90度に回して壁を見つめる。ベッドの脇に備えられた卓の上に、2人の衣服が綺麗に畳まれていた。

ベッドが軋み、すらりと伸びたラキュースの足が目に映る。白く透き通ったそれはガラス細工のように光輝いて見えた。彼女はそのまま立ち上がり、少し屈むと手を差し出した。

躊躇いながらもその手を掴む。今度はラキュースの瞳を見つめ、決して視線を下げないように。

手を借りて何とか立ち上がったモモンガは、急いで後ろを向いて問いかけた。

 

「あの、これは一体どういう状況ですか・・・?」

「やっぱり覚えてないのね。エンリさん凄かったのよ、ビックリしちゃった。」

(な、なんだってーーっ!!)

 

モモンガの頭の中は更に混迷を極める。

彼女の言葉は、これまでに何度も見てきた光景をフラッシュバックさせた。仕事での失敗、女友達と自棄酒、ホテルでの目覚め・・・。もちろんその経験は無いが、昔のドラマでは頻繁に見かけるシーンだった。

 

(なんてことだ・・・俺はどうすれば・・・。)

 

昨夜の記憶を必死に漁る。蒸気が出るほどに頭を働かせるが、それらしい記憶は一切見当たらない。自棄になって何がなんだか分からなくなっていたのだろうか。

 

「まあ落ち着いて。何か飲みながらゆっくり話しましょう。」

 

ラキュースが2人分の衣服を手に取り、朝日よりも眩しく微笑んだ。

 

 

 

「はい、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 

ラキュースがカップに紅茶を注ぎ、丁寧に差し出す。震える手を必死に抑えて取っ手を握るが、カップとソーサーが触れ合ってカタカタと音を立てた。紅茶の表面が波打ち、今にも零れそうだ。まるでモモンガの心情を形容しているかのようだった。

 

「えっと・・・大丈夫?」

「え、ええ。いただきます。」

 

溢れてしまわないように注意しながらカップを持ち上げ、口元へ寄せる。その果実のような爽やかな香りは、ざわつく心を多少ながらも落ち着かせてくれた。火傷しないようにゆっくりと、少しだけ口に含む。

 

「どう? お口に合うかしら。」

「とても美味しいです。飲みやすい味ですし、香りがいいですね。頭がすっきりします。」

「そうでしょ。朝はいつもこれを飲んでいるの。」

 

ラキュースは嬉しそうに2回頷くと、自らも紅茶を手に取った。彼女がカップを置くのを待ち、本題へと入る。

 

(大丈夫だ、ラキュースさんに変わった様子は無い。妙な事にはなっていないはずだ! 自然に、自然に聞けばいいんだ。)

 

親密さが増しているということを意識の外へ追いやる。

まるで呪文のように“自然に”と繰り返し、意を決して口を開いた。

 

「そ、それで・・・昨夜は一体何があったにょでしょうか?」

(全然無理でしたーッ!)

 

過度に意識して言葉のひとつひとつに力を込めた結果、ド派手に噛んでしまった。これでは何が起こったのか大体察していると言っているような物である。焦りによって再び混乱し始めた頭を沈めようと、カップを手に取る。

ラキュースは彼の失態を気にした風もなく、口元を隠して上品に笑った。

 

「本当にビックリしたわよ。急に座り込んだと思ったら眠ってるんだもの。」

「え?」

「あっ・・・ぐ、偶然! 偶然エンリさんを見かけて、奇遇にもその瞬間を見かけたの。本当よ? 土で汚れてたみたいだったから体を拭っておいたんだけど、迷惑だった?」

「な、なるほど・・・!」

 

やはり妙な事は何も無く、至って普通の話だった。彼女が半裸になっていたのは、余計な物を身に着けていると眠れないタイプだからというだけだろう。エンリもそうであると仮定して、服を着せないまま寝かせたとすれば納得できる。

モモンガは張りつめた糸が緩むように脱力し、肩を落として項垂れた。彼は作戦会議が終わった後、兵団の担当する場所を紙に書いてもらってからすぐに宿屋を出たのだ。自分の連絡先を伝えることをすっかり失念していた。それさえ忘れていなければこんなハプニングに陥ることは無かったのだが、過ぎた事は仕方ない。

首を傾げて不安そうに此方を見つめるラキュースを安心させるために、両の手の平を突き出した。

 

「いえいえ、迷惑だなんてとんでもない。とても助かりました、ありがとうございます。」

「良かった。もうあんなところで寝ちゃダメよ? 今は物騒なんだから。()()。」

「そうですね、不用心でした。」

 

こうして話が一段落した時、室内に腹の音が響く。昨日色々な事があって夕食をとっていなかったのだ。緊張が弛緩したことで体が空腹に気付いたらしい。

ラキュースが席を立ち、微笑を浮かべる。

 

「よかったら外で朝食をとらない? 丁度いいお店があるの。」

「それはいいですね、是非行きましょう。」

 

2人は手早く紅茶セットを片づけた。

 

 

 

「ふぅ・・・。」

 

店から出たモモンガは満足気なため息を漏らし、腹部をさする。

早足気味に向かった大衆食堂でのオーダーはラキュースに任せた。この店を良く知っているであろう彼女に頼んだ方が良い物が食べられるというものだ。

店員が運んできたのは、ありふれた朝食。目玉焼きの横に2枚のベーコン、瑞々しい野菜のサラダと、主食のパンだ。飲み物には果実水が用意された。

それらは特別美味ではないが、まさしく“丁度いい”物だった。朝食として重すぎず、けれども程よく胃を満たす。ラキュースが勧めるのも頷けた。

 

「エンリさん、今日の予定は何かある?」

 

ラキュースが少し緊張気味に問う。

何か重大な事を聞いているような様子に小首を傾げた。

 

「いえ、特にはありませんが。」

「そう! じゃあ少し付き合ってくれないかしら。私が王都を案内するわ。」

「・・・。」

 

モモンガは歩みを止めて俯いた。陰の差した表情をラキュースが心配そうに覗き込む。

数瞬の間そうしていた2人だが、やがてモモンガが顔を上げ困ったように笑った。

 

「そうですね、お願いします。」

 

彼女と共に行動することが少しでもエンリの心を軽くしてくれれば・・・。

モモンガにはそう願うことしか出来なかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「少し失礼を・・・。」

「おおっと、そうはいかねえ。」

 

腰を浮かしたレイナースの肩に腕を回し、強引に座らせる。

 

「今日の夜は長くなりそうだからな。もっと親睦を深めようぜ?」

「普段なら感心しないところだが、今日くらいは戦う前に酒を酌み交わすのも悪くないだろう。」

「あなたはまだ子供ではありませんか。お酒を飲んではいけません。」

「な、なんだとっ!」

 

イビルアイがテーブルを叩いて立ち上がった。

彼女は見た目こそ未成熟な子供だが、その正体は伝説の吸血鬼“国堕とし”。人間の寿命では考えられない時間を生きており、彼女にしてみれば周囲の全ての人間こそが子供なのだ。しかし体の成長は完全に止まってしまっている。プライドのために秘密を公にするなどできるはずもなく、こうして屈辱的な扱いを受けることは少なくなかった。

レイナースはそんなことを知る由もないのだが、イビルアイへ視線が集まったのをいいことに脱走を図る。

 

「私はエンリさんに用がありますの、申し訳ありませんがお酒を嗜む暇はありませんわ!」

 

言いながら勢いよく立ち上がり、脱兎の如く駆け出す。

椅子が音を立てないまではいいが、背を向けての逃亡はあまり気品のある物ではない。時に躊躇なく外聞を捨てる姿勢こそが、彼女の逃げ足の早さの秘訣なのだ。

 

「ティア!」

「がってん。」

 

とはいえ、事前に打ち合わせ済みである蒼の薔薇のチームワークにはとても及ばなかった。スキルを使用して素早く背後に接近したティアにより羽交い締めにされる。不利な体勢となったレイナースに為す術はなかった。

 

「一体これはどういう――ひゃあ!」

「くんかくんか、よいにほい。」

「・・・お前は何をやっているんだ。」

 

蒼の薔薇が裏で打ち合わせていた事。それは現在行っているように、レイナースを足止めし、宿へ釘付けにする作戦だ。

その目的は言うまでもなく、エンリ・エモットに王国への帰属意識を持ってもらうため。彼女は、少なくとも八本指との戦いが終わるまでは王都に滞在することになる。その後どこへ行くのかは彼女の気分次第なのだ。この一件が解決するまでに何かアクションを起こす必要があった。

しかし、彼女は国の暗部を見てしまった。そんな場所をたった1日で好きになってもらうなど並大抵のことではない。それでも出来る限りの努力はしなければならない。王国最強と謳われる自分達に匹敵する強者が味方に付くのか、敵となるかの瀬戸際なのだから。

 

そんな訳で、1人がエンリに“綺麗な王都”を見せ、残りの4人で邪魔をしてくるであろうレイナースを抑えるという作戦が立てられた。考案者はラキュース、会議の進行役もラキュース、エンリの案内役に立候補し、強引に決定したのもラキュースだ。

彼女は自分が案内役であることの重要性を熱弁すると、後は任せたとばかりに宿を飛び出していった。

 

「別にあんたをどうこうしようってんじゃねえ。仲良くしたいだけだよ。」

「仲良くしたいのならこの人を引き離して欲しいのですけれど・・・ち、ちょっと、どこを触っていますの――」

「よいではないか、よいではないか。」

「いいぞ、もっとやれ。」

「ハハハハ!」

 

こうして大騒ぎしている間も、音を遮断する魔法はしっかりとかけている。周囲の者にはさぞ不思議な物に見えているだろう。

 

「まったく・・・。」

 

何とも言えない状況になりつつあるが、レイナースの足止めに成功しているのは事実。

仲間の奇行を目の当たりにしたイビルアイの仮面の下は、複雑な表情に彩られていた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは手すりを掴み、眼下に広がる街並みを見下ろした。

建物も、馬車も、家路を急ぐ人々も、全てが小さく見える。

 

「いい眺めですね。」

「そうでしょ。普段は誰も来ないけど、ここが王都で一番綺麗な景色が見られる場所よ。」

 

2人がいるのは、昨夜モモンガが見た高い塔。

今日は1日中ラキュースに連れられて様々な場所を訪れた。王都で有名な観光スポットから何でもない八百屋まで、ありとあらゆる場所へ行き、沢山の人と出会った。

それでも、エンリが反応を返すことは無かった。唐突に妙な行動をしても、大げさな物言いをしても、抗議の声を上げるどころか何の感情も伝わってこない。王都を一望している現在に至っても、水の波紋程度の揺らぎすら無かった。

 

何となく右手を上げ、王都を訪れた時に通った門を指さす。

 

(あそこから王都に入って、あそこでレイナさんに出会った。あの店で紅茶を飲んで、あっちの店で服を見て・・・あの露店で飲み物を買って、冒険者組合に行って、それから――)

 

すらすらと宙を泳いでいた手を固く握り締める。

空を見上げると、赤く染まった雲が触れそうな程に低く見えた。

 

(許さんぞ・・・死など生ぬるい程の苦痛と絶望を与えてやる・・・。)

 

ゆっくりと沈んで行く夕日を忌々しげに睨んだ。

 




大冒険伝説様、kuzuchi様
誤字報告ありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。