覇王の冒険   作:モモンガ玉

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覇王と王都

「姐さん! お戻りになってたんですね!」

「あら、兵団の皆さん・・・え?」

 

エンリを見かけた近衛兵団の面々が笑顔で声をかけてきた。これから再びエ・ランテルへ向かおうとしていたところだが、入れ替わるように村に帰還したようだ。

彼らは問題無く溶け込めているらしく、村人達からの評価は非常に高い。訓練の合間に仕事を手伝ったり、近場までの護衛を引き受けたりと村へ献身的に貢献していると聞いた。

噂話にフィルターをかけてくれている件も含めてお礼を言おうと思ったのだが、彼らが身に着けている物を見て固まった。

 

「なんですか、それ・・・?」

 

近衛兵団の者は全員、白金(プラチナ)のプレートを首にかけていた。

流石にエンリよりはかなり遅い昇級だが、モモンガの力を得ている自分と比べるのは違うだろう。この短期間で白金(プラチナ)までランクを上げるというのは、冒険者の常識で考えると異例の出世と言える。

 

「も、申し訳ありません!!」

 

団員は一斉に頭を下げた。1人の少女に17人の屈強な男達が最敬礼している光景は何とも不思議な物だ。村人達はエンリが彼らのトップだと思っているので表情を変えることは無い。

だがエンリは怪訝な顔をした。

謝るということは後ろめたい事があるということだ。何か不正を働いてランクを上げたのだとしたら、冒険者組合へ報告しなければならない。

 

「3チームに分かれて数をこなしているのですが、流石に姐さんに追いつくまでには至らず・・・。」

「ああ、そういうことですか。」

 

つまりランクを上げる速度が遅くて叱責を受けているのだと思っていたらしい。その程度の事で文句を言うつもりは無いし、そもそも異常に早いのだから文句を言う隙が無い。

何か良からぬ事をやっていた訳ではないことに安堵し、笑いかけた。

 

「思ってたよりずっと早い昇級だったから驚いただけですよ。怒っている訳ではありません。」

「おお、頑張った甲斐がありました!」

 

褒められたことが余程嬉しいのか、肩を抱き合って喜んでいる。

見ていて微笑ましいのだが、そろそろ出発しなければ日が暮れてしまう。久しぶりの再会だが馬車を予約している時間に遅れてはまずいので、モモンガが《転移門(ゲート)》を開き言外に急いでいることを示した。

 

「これからどこかへ向かわれるんですか?」

「はい。1度エ・ランテルへ戻ってから馬車で王都に行く予定です。」

「王都、ですか・・・姐さんなら大丈夫だとは思いますが、あそこには厄介な連中がいます。お気を付けて。」

 

何のことだろうと首を傾げるが、ひとつ頷いて漆黒の門の中へと入って行った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「ここが王都か!」

 

モモンガは満面の笑みを作り、両手を広げて景色を見回した。

道行く人の数はエ・ランテルよりも数段多い。検問所から延びる道は石畳によって舗装され、立ち並ぶ建物は立派な物ばかり。元の世界で実際に見ることの叶わなかった、大昔のヨーロッパのような風景だ。時折聞こえる喧騒や、通りを大急ぎで走るコックのような格好をした者、ガタガタと大きな音を立てる馬車などの騒がしさが非常に心地よかった。

エ・ランテルも活気に溢れた賑やかな場所だったのだが、流石は王都といったところか。

道の真ん中で立ち尽くすモモンガを邪魔そうに避けて行く者も多いが、そんなことにも気付けない程にテンションが上がっていた。

 

(まずは散策ですか?)

(当たり前じゃないか! エンリも見てみたいだろう?)

(もちろんです! やっぱり服屋さんが気になるなぁ。王都なんだからいっぱいありますよね。)

(エ・ランテルよりは絶対多いよ。しっかり変装もしてきたし、今日はひたすら観光だ!)

(はい!)

 

エンリは街を回る時のための変装スタイルで王都に来ていた。エ・ランテルのお気に入りの店で購入した衣装で身を包み、三つ編みも解いて無造作に下ろしている。

王都には王国戦士団以外の知り合いが1人もいないため、例え声を上げたとしても正体を見破られることは決してない――

 

「失礼ですが、エンリ・エモットさんではありませんか?」

 

と思っていた。

慌てて辺りを見回すが、周囲の者がその声に気付いた様子は無い。そのことに胸をなで下ろしてから漸く、爆弾を投下してくれた相手の方へ振り向いた。

 

「はい、そうですけど・・・あなたは?」

 

声の主は、長く美しい金髪で顔の半分を覆いつくした女性だった。この世界では上等な部類に入る黒い鎧を身に纏い、首には冒険者プレートがかけられている。

 

「お会いできて光栄ですわ。私、帝国で冒険者をやっております、レイナと申します。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

時は変わってバハルス帝国、王宮内の一室。皇帝の住まう城に相応しい装飾が施されたその部屋に、3人の男女が集まっていた。

王宮の主であるジルクニフと、護衛の任に就いているバジウッド、そして呼び出しを受けたレイナースである。

 

「今回お前に頼みたいのは、聖女様への接触だ。」

「エンリ・エモットですか・・・。」

 

あまりジルクニフと話す機会の無いレイナースですら、その名は聞き飽きる程耳にした。驚くべき早さでプレートのランクを上げ続ける新人冒険者。力だけでなく思慮深さも備えており、最近まで皇帝に“復讐”という真の狙いを気付かせなかったという。しかしその行いから、王宮内では“聖女様”というのが彼女を指す隠語になっていた。

 

「お前にはミスリル級冒険者レイナとして王都に潜入し、彼女の情報を収集してもらう。」

「・・・何故私なのですか? 私ではとても目立ってしまうと思いますわ。」

 

髪で覆った顔の半分を、更に隠すように背ける。

レイナース・ロックブルズは貴族の出だ。高貴な身分でありながらも自らの領地を己が手で守護することに誇りを持ち、侵入してきたモンスターをその手で倒してきた。

しかしある時、倒したモンスターの死に際の呪いにより、顔半分が常に膿を分泌し続ける醜い物に変わってしまった。それを治癒する方法は見つからず、醜聞を恐れた家は彼女を追い出し、変わり果てた姿を見た婚約者は逃げ出した。

レイナースは自分を捨てた者達への復讐と解呪を生きる目的とし、そのために皇帝に仕えているのだ。

ジルクニフの協力によって復讐は終えているものの、呪いの解除方法は未だ見つかっていない。その容姿と四騎士という地位を持つレイナースの名は、そこそこ力のある者なら誰でも知っている。

彼女の疑問は尤もな事だった。

 

「うむ。四騎士が接触を試みれば普通の人間なら気付くだろう。しかし力の無い者を送り込んだところで相手にされない可能性が高い。それに相手は村娘、世情に疎いという報告も上がっている。仕事をこなしている中で呪いを受けたことにすれば気付かれることはあるまい。」

「では“ミスリル級冒険者”について詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

忌避してやまない“呪い”という単語に舌打ちしそうになるが、何とか堪えた。

 

「冒険者ならば敵国に行っても問題にならないのと、親近感を持たせる狙いがある。力を示すのにも丁度いいだろう。本当は対等な立場で行きたいところだが、オリハルコン級で無名というのは言い訳が難しいからな。」

「しかし本人は騙せたとしても、周りが黙っているとは思えませんが。」

「ああ、だがそれは他の3人も同じことだ。ならば四騎士の中で一番逃げ足の速いお前が選ばれるのは、自然なことだろう?」

「・・・なるほど、承知いたしましたわ。」

 

呪いを解く方法を探すことが現在の生きる目的であるレイナースにとって、帝国よりも文化、魔法共にレベルの低い王国へ向かうのはあまり好ましいことでは無い。しかし、皇帝との利用し合う関係は崩したくないため渋々ながら頷いた。

 

「上手く接触に成功したなら、友好的な関係を築け。それからさり気なく王国の腐敗しきった現状を説き、帝国に興味を持たせるんだ。恩を売っておくのを忘れるな?」

「はっ。」

 

こうして彼女は王都へ向かうことになった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「わあ、紅茶って初めてなんですけど美味しいですね。」

(俺はコーヒー党だけど、これはいいなぁ。)

「ふふ、淑女の嗜みですわ。」

 

モモンガとエンリはまんまとカフェに連れ込まれていた。

エンリの噂は帝国まで轟いているらしく、それに憧れたレイナは本人を一目見たいと遥々王都へやってきたらしい。

同じ冒険者の知り合いができれば、帝国へ赴いたときに融通が利きやすくなるだろうと喜んで誘いに応じたのだ。皇帝の思惑など露知らず、2人は呑気に紅茶の香りを楽しんでいた。

 

 

「帝国にはもっと美味しいお店が沢山ありますのよ。」

 

他の客や従業員に聞かれては雰囲気を壊してしまうため、小声で言う。

 

「そうなんですか。村ではほとんど水か、たまに果実水を飲むくらいだったので想像もできません・・・。」

「よろしければ私が案内しますわ。」

「はい、帝国へ行くことがあったら是非お願いします。」

 

レイナースは優しく微笑むことで答える。今では呪いが解けた後にやりたいことを日記に書き連ねることが趣味になっているが、嘗ては良い紅茶を探すことが楽しみのひとつだった。良質な茶葉を扱っている喫茶店にはいくつか心当たりがある。

紅茶で釣りつつ、情報収集へと移行した。

 

「少し不躾な質問ですが、やはり冒険者になられたのは徴税が厳しいからですか?」

 

冒険者の世界では、個人の問題を詮索することはマナー違反とされている。常に人手不足である組合が手あたり次第に冒険者のプレートを渡すため、正義感から来た者や身分証が欲しいだけの者など様々な人間がいるのだ。相手によっては質問するだけで激昂することもある。

ある種賭けのような質問だが、出自に関する事前情報が正しければ問題は無いはずだ。

 

「いえ、私がいたカルネ村は確かに貧しいところでしたけど、王様の直轄領だったので重税がかけられているというような事はありませんでした。冒険者になったのは、ちょっと恥ずかしいんですけど身も蓋もない言い方をすればお金のためですね。」

(やはり本当の目的は言いませんわね。けれど、金銭的な問題を抱えているのが事実だとすれば此方に引き込むのはそう難しくは無いかもしれませんわ。)

 

エンリ・エモットの真の目的、即ち“襲撃犯への復讐”という点で言えば、ジルクニフほど頼れる相手はいないだろう。その卓越した頭脳と権力を以て短期間で結果を出す男だ。自分(レイナース)という実例もある。

 

「そうだったのですか。王国では飢餓に喘ぐ民が多いという噂を耳にしたものですから・・・変なことを聞いてしまい申し訳ありません。」

「気にしないでください。そういった話は行商人の方から聞いたことがありますから、多分事実なんだと思います。帝国では珍しいことなんですか?」

「ええ。現皇帝が即位されてからは貴族が好き勝手な行動を取れなくなりましたの。貧富の差は簡単には消えませんが、貧困に苦しむ村などは少なくなりましたわね。村娘が貴族に攫われるといった事も滅多に起こりませんわ。」

「へえ・・・。」

 

興味津々といった具合に目を輝かせ、少し身を乗り出してきた。これまでと少し違った反応に戸惑うが、食いつきがいいことには間違いないのでここぞとばかりに畳み込もうとする。

 

「おかわりはいかがですか?」

 

しかしそれは、従業員によって遮られた。

 

「あ、いえ、私は大丈夫です。」

「私も満足いたしましたわ。」

「かしこまりました。」

 

エンリが紅茶を飲んだ感想を聞いていたのだろうか、ウェイトレスは嬉しそうな笑みを浮かべながら一礼し、去って行った。

だがレイナースの心は少しだけ穏やかではない。

 

(もう少しでしたのに・・・。)

 

自分の仕事はエンリ・エモットを帝国へと誘導することまで。そこから先は皇帝がどうにでもするだろう。逆に言えば自分の仕事こそが最も難しいと言える。後一歩というところまできて邪魔されるのはあまり気持ちのいいことでは無かった。

 

「じゃあ、そろそろ出ましょうか。」

「そうですわね。」

 

まずい。このままでは店を出て別れることになるだろう。帝国に少しでも興味を持っている今こそが最大のチャンスなのだ。日を改めて会うこともできなくは無いだろうが、顔を合わせる度に自国の自慢話をしていては流石に不審がられる。

最悪狂信的な愛国者だと誤解され、距離を置かれる可能性すらある。そうなればエンリからの好感を得るどころか、帝国が変人の集まりだと思われかねない。ただでさえ呪いのせいで再会できるかは分からないというのに・・・。

だが、エンリの次の一言によりレイナースの顔に心からの笑顔が浮かんだ。

 

「私はこれから王都を見て回ろうと思うのですが、よかったらレイナさんも一緒にどうですか? まだここに来て日が浅いんですよね?」

 

それはレイナースには、女神の声のように聞こえた。

 

「ええ、ええ! 喜んでご一緒させていただきますわ!」

「え? えっと、良かったです。」

 

エンリがオーバーなリアクションに面食らっているが、それを気に掛ける余裕は無かった。舞い込んだ思わぬ幸運に対して感じてしまった幸福感。それは長く、とても長い間忘れていた感情だった。

その久しぶりの感覚はとても心地良い物だった。そのことに更なる喜びを感じ、連鎖していく。まるで空白の時間を埋め合わせるかのように増幅した感情は、すぐにレイナースの心を埋め尽くした。

 

レイナースはいつものように、時折布で顔を拭っていた。それに付着した黄色い膿に気付かないはずがないだろう。紅茶を楽しんでいる最中にそのような物を見せられれば、普通は不快感を抱く。そして次に嫌悪感を抱くはずだ。化け物を見るような視線を此方に向けてくるはずだった。

だが彼女は違った。上司でも、同僚でもないただの初対面の人間だというのに、醜い自分を躊躇いなく誘ってくれたのだ。

彼女となら友達になれるかもしれない。分け隔てなく、嘗ての自分にもいた友達のように接してくれるかもしれない。

レイナースは、この巡り合わせに深く感謝した。

だが彼女の目的は変わらない。呪いを解くまでは運命の出会いであろうと切り捨てる。その鉄の覚悟で忌避の視線を耐え抜いてきたのだ。

 

(失敗したくはありませんわね。)

 

エンリと殺し合うのはできれば避けたい。任務に失敗すれば帝国の敵となる危険がある。冒険者である以上政治や国同士の争いに手を出すことはできないが、何事にも例外はあるのだ。

今のレイナースはこれまでにないほどやる気に満ちていた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(頭がいいのは分かってたことだけど、流石に驚いたわね。)

 

王城を出たラキュースは1人で大通りを歩いていた。

今回ラナーに会いに行ったのは、八本指が運営していた麻薬密造地から回収した機密文書らしき物を見せるためだ。見たことのない文字で書かれており、周辺の国で使われている言語では無いことは確かだった。誰の目から見ても暗号である。

解読方法を探すために相談しようと思っていたのだが、なんとラナーはその場ですらすら解読を始め、あっという間に内容を暴いてしまった。

彼女に対して“能天気なところはあるけどしっかりした女性”という印象しか持っていなかったラキュースは、冷や汗を流さずにはいられなかった。ここまで頭が回ることは知らなかったのだ。

 

(でも、おかげで漸く奴らの拠点がはっきりしたわ。逃げられる前に決着を付けないと。)

 

麻薬を栽培している畑は、これまでに幾度も襲撃をかけてきた。下っ端の下っ端である売り子を捕えたところで何の意味も無い。そのため大本である生産地を直接叩いてきたのだ。

文書が存在している支部が陥落したという情報はすぐに伝わる。そうなれば大規模な襲撃を恐れて拠点を変えるに違いない。

それを見逃せば再び居場所を突き止めるのに相当な時間がかかり、その間も奴らの暗躍は止まらないだろう。無理をしてでも攻勢に出る必要があった。

 

(まずは報告ね。)

 

頼れる仲間が待っている宿屋へと急ぐラキュースだが、不意にその足が止まった。

その目に映っているのは、漆黒の鎧を纏う女性。長く伸ばした髪の間から美しい顔が半分だけ覗いている。

 

(あれは“重爆”のレイナース? こんなところにいるはずが・・・闇の人格が見せている幻覚!?)

 

ラキュースはその女性を注意深く観察する。隣に立っている少女には見覚えが無いが、四騎士と親し気に話している様子を見ると、帝国の工作員か現地協力者といったところか。

外見は至って普通の街娘で、一見無害にしか見えない顔立ちだ。レイナースと行動を共にしているのを目撃していなければ絶対に気付けなかっただろう。

 

「ギガントバジリスクの群れ、ビーストマンの群れ、アンデッドの群れって・・・群ればっかりでしたね。」

「繁殖期なのかもしれませんわ。」

「アンデッドの繁殖期・・・?」

 

出て来た単語には聞き覚えがあった。現在組合に張り出されている高位冒険者への依頼だ。レイナースが首に冒険者のプレートをかけていることから、自分が冒険者であることを強調するための演技と考えるのが妥当だろう。

しかしその会話に少女が参加しているのはどういう訳なのか。少女が着けているのはプレートではなく、銀のネックレスだ。身分を偽っている可能性はあるが・・・。

 

(全く情報が足りていない・・・大事な時だっていうのに。)

 

本来ならば宿屋へ直行し、計画を練らなければならない。だが帝国四騎士の1人が王都へ潜入しているとなっては放っておけない。

ラキュースは慣れない尾行を開始した。

 

 

 

(つけられていますわね・・・隠れる気があるのかしら?)

 

レイナースには一瞬でばれていた。当然ながらラキュースの尾行など素人丸出しで、護衛の任務に慣れている四騎士の目は到底誤魔化せない。

それは感知スキルを持たないモモンガでも気付けるレベルの物だったが、浮かれ気分の彼は前しか見えていなかった。

 

「レイナさん、どうしました?」

 

突然黙り込んだレイナースへ、エンリが語りかける。

 

「尾行がついていますの。」

「っ!」

 

エンリが声を上げかけるが、すんでのところで抑えた。

 

「何か心当たりは?」

「私、帝国では少しばかり名が知れていまして・・・恐らくはそれに関する相手かと。」

「なるほど。とにかくここでは不味いですね、人気の無い方へ行きましょうか。」

「ええ。」

 

同時にくるりと向きを変え、真っ直ぐに歩き出した。王都で最も人目に付かない場所など訪れたばかりの2人には分からない。だから組合でチラリと目を通した地図で見た場所――墓地へと向かったのだ。

 

(雰囲気が急変した・・・此方が本当の姿ですか。陛下を欺くだけのことはありますわ。)

 

親しみやすい村娘のような態度は消え去り、冷静沈着な戦士の表情がそこにあった。あの尾行に気付けなかった事実には能力を疑わざるを得ない。しかしその存在を知らされた時の端的な確認といい適格な判断といい、場慣れしている様を伺わせる。

尾行の対処に慣れているということは、対人戦闘の経験が豊富であることは確実。やはり裏の世界を渡り歩いているのだろう。

 

()()という目的は最早確実ですが、これも報告した方がよろしいですわね。)

 

ジルクニフはエンリの目的が復讐であると確信していたが、その信憑性を増す情報が無駄ということは無いのだ。

エンリがあまりにも無防備に情報を垂れ流していることに若干の不安はあるが、情報の精査は自分の仕事ではない。質よりも量を持ち帰る方が先決だと自分を納得させた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(この辺りでいいかな。)

 

2人は尾行者を引き連れたまま、墓地の入り口へ辿り着いた。軍事拠点とされているエ・ランテルの墓地よりは流石に小さいが、此方の規模もなかなか大きい。

尾行者も人気の無い方へ誘導されていることには気付いているはずだが、追跡を辞める気配は無かった。余程レイナを重要視しているのか尾行の初心者なのか、はたまたエンリの正体に気付いている者なのかは知らないが、此方としては好都合だ。

モモンガは懐からひとつの巻物(スクロール)を取り出し、呪文の詠唱と共に軽く放った。

 

「《兎の耳(ラビッツ・イヤー)》」

 

巻物(スクロール)に炎が灯り、灰となって散る。同時にエンリの頭部に一対の耳が生えた。まるで本物のようにぴょこぴょこと動くそれに、特に意味は無いが両手を添える。

 

「それは?」

「聴覚を増幅する魔法です。見た目は・・・まあ、気にしないでください。」

(すごく気になるんですけど・・・。)

(多分似合ってると思うよ。俺も見てないから分からないけど。)

 

エンリは自分がどういった状態なのか確認することができない。

だが、耳から入ってくる情報量が増えたことは感じた。大音量で聞こえてくる訳ではなく、音を拾う範囲が大きく広がり、小さな物音でもはっきりと認識できていた。追跡者と思しき人間の息遣いまで聞き取れる程である。

だからこそ、現状には全く関係ない音でも聞き漏らすことは無かった。

 

(この音・・・墓地からですか? 何してるんだろう。)

(掘っているのは間違いないね。1人みたいだし葬式では無さそうだ。墓荒らしかな?)

 

金属を地に突き立てるような音と、土が落とされる音。それが何度も規則的に響いていた。日が沈み暗闇に包まれた墓地に1人でいるだけでも怪しいというのに、穴を掘っているというのでは不審者以外の何者でもない。

わざわざ魔法を発動したのは相手の位置と数を把握するためなのだが、偶然にも対応すべき案件を見つけてしまった。

 

「レイナさん、墓地に人間がいます。恐らくただの墓荒らしです。どうしますか?」

「そうですわね・・・もし尾行している者と戦闘になれば目撃されてしまいますわ。厄介なので先に対処しておきましょう。」

「そうですね。」

 

一応レイナの意見も確認し、墓地内へと歩を進める。尾行者も同様だ。

 

(対処ってどうするんですか?)

(レイナさんの出方にもよるけど、気絶させて適当な記憶に書き換えれば済むと思うよ。)

 

そう気楽に考えていたモモンガの目に映ったのは、予想外の――いや、それもあり得ると思っていた光景だった。それに大きく心を乱されたのはエンリだけだ。

眼前にはスコップを両手に持つ厳つい男。ここまでは想定していた物と一致している。しかしその足元に転がっている物はエンリには想像し難く、許し難い状態の物・・・人間だった。

全裸で投げ出されたその女性の体は痣で覆われ、顔面はボールのように膨れ上がっている。変色した全身から血が滲み出し、虫よりもか細い息でかろうじて生きている状態だった。

どんな凄惨な虐待を、どれだけの時間受ければこのようになるのか、エンリには全く理解できない。ただ分かるのは、此方を睨みつけている男に対する殺意だけ。

 

エンリの脳裏に家族の姿がちらつく。

こんな事態だというのに、思い起こした記憶の中の両親は穏やかに微笑んでいた。傍らには無邪気に笑うネム。その和やかな光景に―――血が混じる。徐々に広がっていく赤い染みは家族を飲み込み、遠ざかって行った。エンリを置き去りにして遥か遠くへ。

 

――この人にも、家族がいたのかな?

 

頭にビリビリと電流が走る。今すぐその男を殺せと叫んでいる。やることは簡単だ、頭に流れて来た映像に体を委ねてしまえば全てが終わる。だがほんの少しだけ残った理性がそれを拒む。この激情を受け入れてしまえば、きっともう戻れない。

 

(・・・もしも誰かが、あと少しだけ優しかったなら、こういうことにはならなかったかもしれないね。だけどそうじゃなかった。)

 

モモンガの悟ったような声が聞こえてくる。彼には自分の全てが伝わっているだろう。とても隠すことができないほどの悲しみと、暗く渦巻く物が。

そしてもし彼が悪魔だったなら、妖しく囁きかけただろう。「躊躇うことなど何もない」と。

だが、彼は優しかった。

 

(それでも今は落ち着くんだ、エンリ。近衛兵団が言ってたことが少し気になる。拷問した後で俺が殺すよ。)

 

ただしそれは隣人愛の類では無かった。

その優しさが向けられているのは、この場においてたった1人。

 

「わ、私、は・・・」

 

――私はただ、みんなが楽しく笑っていられればいいんです。

その言葉が発されることはない。様々な感情で混濁した頭と震える唇から出すことのできた声は、これだけだった。

 

一瞬の気の緩みで理性のダムは決壊し、電撃のような信号で支配される。戦い方を教えてくれるだけのはずなのに、激情が、エンリの心が体を突き動かしてしまう。そんな物は偽善に過ぎないとでも言うように、葛藤するエンリを嘲笑うかのように。

言うことを聞いてくれない左足が一歩踏み出した。

 

(そうか・・・それが君の望みなら――)

「ち、ちがっ!」

 

握りしめた拳が真っ直ぐに男へと向かっていく。時間がやけに間延びして感じられるが、攻撃を止めることはできなかった。

 

「待ちなさい!」

 

本当の意味で自分の手を汚す時が来たのだと半ば諦めかけた頃、背後から声がかけられた。それと同時に、腕に大きな逆方向の力が加わる。誰かに掴まれている訳ではない、モモンガがブレーキをかけているのだと経験から理解できた。

結果的に男は死なずに済んだが、歯を撒き散らしながら吹き飛び、動かなくなった。

 

 

 

ゆっくりと振り向いた少女の顔を見て、ラキュースは息を呑んだ。

それは怒りに満ちた物では無い、悲しい物だった。悲しみ、怒り、憐れみ、安堵、様々な感情が入り混じったような何とも言えない表情だ。だが、頬を伝う一筋の涙が少女の心情を痛いほど良く教えてくれる。

 

「アダマンタイトのプレート・・・蒼の薔薇の方ですか? こんな所までつけてきて、一体何の御用でしょうか。まさかこの男を庇う訳ではありませんよね。」

 

その表情は一切変わらないのに、口だけは雄弁に語ってくる。その姿はとても哀しく、ラキュースの心は酷く痛んだ。尾行がばれていたことなど気にならない程に。

 

「その前に、あなたの名前を教えて頂けませんか?」

 

だが、聞いておかねばならない。

少女の突きは凄まじい物だった。一歩踏み込む気配を見せた時に制止の声をかけたのだが、言い終える前に男を吹き飛ばしていた。

一目見ただけで分かる。その強さは帝国四騎士を凌ぎ、蒼の薔薇の面々にも引けを取らない物だ。

帝国がそれほどの強者を隠し持っており、それを王都へ投入したとなると、次の戦争で王国は壊滅的な打撃を受けるだろう。少しでも情報を得てラナーに伝えなければならない。

しかし、その思いは完全に杞憂だった。少女がプレートを首にかけ、2本のグレートソードを地に突き刺したのだ。冒険者ならばそれだけで相手が誰なのか理解できる。

 

「私はエンリ・エモットです。それで、ご用件は?」

 

あまりの衝撃と感動に、答えを返すことができない。

 

「ああ、やっと会えました・・・やはりあなたは優しいのですね!!」

「はい?」

 

少女の正体を知り、全ての糸が繋がった。

“重爆”が王都へ潜入していたのはエンリ・エモットと接触を図るため。ミスリルのプレートを付けることで無知な村娘を騙し、取り込もうとしていたのだろう。エンリが変装をしていたのも無用なトラブルを避けるためだ。しかし帝国には身長や顔立ちが伝わっていて付け込まれてしまったというところか。

だが自分がその思惑に気付くことが出来た。これ以上帝国に好きにされることは無い。

 

そして垣間見たエンリの人柄。

虐げられ、死の淵に追いやられている女性を見て我が事のように傷付き、涙を流している。自分が信じていた噂の通りだった。これまでも多くの悪と戦い、その姿を誤解されてきたのだろう。でなければ“血塗れ”に代表されるおどろおどろしい異名の数々が広がるはずがない。

彼女になら八本指のことを話しても大丈夫だと思った。

 

「いえ、失礼しました。私はその男の所属する組織と拠点を知っています。しかし・・・。」

 

ラキュースの視線がレイナースへ動く。

ただの部外者ならまだ良い。しかし四騎士となるとこの重大な情報を伝える訳にはいかない。

 

「私も協力いたしますわ。」

「えっ!?」

 

――しかしレイナースは恩を売る好機を見逃さなかった。自国の内情にすら明るくないエンリと違い、周辺国にもその名を轟かせる八本指の存在は熟知している。王国で奴隷を扱うことができるのは最早彼らしかいないということも。

 

「レイナさん、いいんですか? あなたには関係の無いことだと思いますが・・・。」

「恐らく犯人は八本指でしょう。彼らの密造した麻薬は帝国にも回ってきていますの。決して無関係ではありませんわ。」

「いえ、流石に他国の方を巻き込む訳には・・・。」

 

ラキュースは焦った。

レイナース程の地位にあれば王国の汚点を知っていても何ら不思議はない。だが彼女は信用できない。

彼女の言うように、八本指は帝国にも麻薬を流している。帝国としては看過できない問題だろう。だが積極的に八本指の駆逐に関わってこなかったのには理由がある。国を蝕み弱体化させている存在を利用しているのだ。収穫期に仕掛けている戦争も合わせて、大きく衰退した所を併呑するつもりだろうというのがラナーの考えだった。

ならば今回の襲撃に参加するふりをして、此方の動きを八本指へ伝えられる恐れがある。

 

「レイナさんはとても良い人ですよ。信じていいと思います。」

「・・・分かりました。ではレイナー――さん、よろしくお願いします。」

「ええ、こちらこそ。」

 

早く会いたいと焦がれていた少女が断言した。

エンリはとても優しい心の持ち主だ。その信頼を裏切って敵へ情報を流したとなると、レイナースの評価は地に落ちる。つまり帝国へ取り込むことは不可能になるのだ。戦争している国に恩を売られるのはあまり好ましくないが、エンリがここまで信じ切っている人物なら問題ないだろうと自分を納得させた。

 

「では場所を移しましょうか。宿屋に仲間が集まっているはずなので、女性を治療してから向かいましょう。」

「治癒魔法が使えるのですか? でしたら此方の巻物(スクロール)をお使いください。」

 

少女が懐から巻物(スクロール)を取り出し、気絶している男の方へ歩き出した。

 

「エンリさん? 一体何を?」

「私達の存在が露見しないように、おまじないをするだけですよ。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(エンリ、大丈夫かい?)

(・・・はい、ごめんなさい。)

 

エンリとモモンガは、蒼の薔薇の冒険者――ラキュースに連れられ、彼女達が活動拠点としている宿屋を訪れている。

その道中で、エンリが嗚咽を上げて泣き始めた。モモンガの問いかけにも答えず、嫌悪の感情を渦巻かせてただただ涙を流し続けた。それは宿屋に到着し卓を囲んでも収まらず、事情を知らない面々を驚かせた。

ラキュースの話を聞いた彼女達は優しく見つめるような視線を向けてきた。普通に考えれば、女性を襲った悲劇に悲しんでいるのだと思うだろう。

今エンリの胸中にある感情を知っているのはモモンガだけだ。

 

(私はあの時、自分の心に負けたんです。人はみんな変われるって、アベックさん達みたいに良い人になれるって分かってたのに・・・私はあの人を殺――)

(エンリ。)

 

再び黒く染まり始めたエンリの心を見兼ねて、言葉を遮った。

 

(世の中には、生きてちゃいけない人間っていうのが確かに存在するんだよ。今回は偶々それが目の前に現れたってだけなんだ。エンリの行動は何も間違っていない。)

(そんなことありません! 兵団の皆さんは変われたじゃないですか!)

(あの人達はまだ()()に嵌っていなかったってだけだよ。

 少し辛い事を聞くけど、村を襲った騎士にも同じことを言えるかい? アンデッド騒ぎを起こした組織の人間達、冒険者を大量に殺したあの女はどう?)

(そ、それは・・・。)

(堕ちた人間はもう救えない。救えないんだよ、エンリ。奴らはただ害を撒き散らす存在。人間には戻れないんだ。)

 

――それでも、私は・・・。

 

エンリの心は、ただ沈んで行く。

 


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