夢を見ていたみたいだった。
あの日、あの時、多くの祝福に包まれていた時間は二年以上の時が経った今でも、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。
自分でも大袈裟だと思う。だけど、あの瞬間、まるで歌劇の主役にでもなったかのような錯覚を覚えるほど、本当に夢のような時間だった――。
* * *
「ハァ......まったく、もう少し真面目に答えてくれ。取材にならないじゃないか」
レコーダーの電源を落とした
「ちゃんと答えてるって」
「そうとは思えないから言っているんだが?」
「なに? どうしたの?」
キッチンでお茶と茶請けを用意してくれていた
「真面目に取材を受けてくれないんだ」
「あら、そうなの? ダメよ、ちゃんと受け答えしてあげないと」
「いやいや、ちゃんと受けてるって。本当にまだ何も決まってないんだよ」
「聞いての通り、この調子だ。
「私もう、
口元へ左手を持っていってクスっと小さく笑った
「あれから、もう二年以上になるのか。あの、大会最後の試合の後、六万の観衆とテレビ画面を通して世界中の人が見守る中での公開プロポーズから――」
思い出し笑いを浮かべながら「とてもじゃないが、俺にはマネできないな」と言って、コーヒーをすする
「お前たちがやれって言ったんだろ」
まるで人ごとのように言っているが、発案者の
「スタッフさんに声をかけられてグラウンドに連れていかれたと思ったら、あんなことになって......本当に驚いたんだから。サプライズなんて言葉じゃ足りないわ」
マスコミにはしつこく追い回されるし、いろいろと面倒も迷惑もかけた。
「フッ、多少強引に背中を押さなければ何となくずるずる行きそうな気がしたからな。
「そういえばまだ、そういう話しにはなってないんだって?」
「ああ。先日、
まだ社会人一年目、ぜんぜん不思議じゃない。むしろ、俺たちが早かっただけの話しで。
「
「
「へぇ、そうなの。大人しくくっついちゃえばいいのに。それで、
「何がだ?」
「ノアちゃんと、よくご飯とか行ってるんでしょ?」
「......あれはアイツが、やれ飯おごれだの、やれストレス発散させろだの、しつこくて仕方なくだ。面接官がウザかっただの、セクハラまがいの発言してきたから暴露記事を書けだの、毎度愚痴ばかり聞かされる身にもなってくれ......。決まったあとは、祝えと催促してくるんだぞ」
眉間にシワを寄せながら不満気に言いつつも、ちゃんと付き合ってあげいてるんだから人が良い。まんざらでもないんじゃないか、と
「まったく、突然の部署移動といい。俺の人生は、周りに振り回されてばかりだ」
愚痴を漏らして、コーヒーカップをソーサーに置いた。
元々、絵本などの児童書の編集を担当していた
確か、移動前に担当していた絵本のタイトルは、そう――山田くんと7人の魔女。
朱雀高校の七不思議である魔女伝説を題材にして、実体験を元に作られた絵本。今や売れっ子漫画家になった
「唯一の利点は、お前と同じ代表クラスの
「その分をアイツにたかられてるけどな」と、若干恨み節を加えながら冗談交じりに言った。
「話しを戻すが、本当のところどうなんだ? 例の話し、海外リーグへの移籍の件は――」
つい先日閉幕した、四年に一度開催されるサッカーの世界大会。結果は、ベスト16。ベスト8にあと一歩届かず、欧州の強豪国相手に惨敗。若手中心の大会とはまったく違う、本物の世界との差、世界の壁というものを思い知らされた。
取材を終えた
「オファーは、届いてるでしょ?」
彼女の言う通り、幾つか海外からオファーは届いている。所属クラブ側も、去年の契約更改時に海外への移籍について別途にオプションを付けて配慮してくれている。契約上の障害は、皆無に等しい。
ただ、ひとつだけあるとすれば。今は、ひとりではないということ。単独で決められることじゃない。だけど――。
『この雪辱は、四年後に必ず果たすぞ』
悔しさを滲ませて言った
サッカー選手の平均引退年齢は、25才。
もし仮に、四年後まで現役を続けられたとして、代表メンバーに選出されたとすれば、年齢的にはラストチャンス。
「勝負したい。世界を相手に、どこまでやれるか試したい。一緒に来てくれる?」
本心を伝えると、
「イヤよ。なんてこと言うなら、最初からプロポーズなんて受け入れてないわ」
「......ありがと」
「もうっ。でも、いろいろ決めないといけないわね」
人生の岐路に立った時、いつも傍で支えてくれる。
彼女と出会えたことが一番の幸運なのだと、はっきりと自信を持って言える。
そして、目まぐるしい早さで季節は巡っていった。
* * *
「あ、
荷物を担ぎ、ロッカールームを出て、スタジアム内の通路を駐車場へ向かって歩きながらワイヤレスでの通話。
『さっき、うららちゃんから連絡が来たのっ!』
「
イヤフォン越しに聞こえる
『大事な話があるんだって。
「今、スタジアムを出るところだから。そうだね、渋滞に嵌まらなければ二十分くらいかな?」
『そう。じゃあ、安全運転で急いで帰ってきて』
また無茶な注文。ひとまず通話を終え、スタジアムから自宅へと続く車通りの多い大通りを安全運転で帰る。
「お帰りなさい」
「ただいま。もう、寝ちゃってるよね?」
玄関をあがってすぐの横の寝室へ目を向けて訊ねる。
「ええ、ぐっすりよ。晩ご飯は?」
「後でいいよ。それより、
「そうなの。いつもと声色が違ったから、もしかしてと思って。帰ってきたって、メッセージ送るわ」
リビングに入るのとほぼ同時に、
『久しぶりだな!』
「ああ、久しぶり。元気?」
『おう。さっきまでやってた試合、観てたぜ』
『おめでとう、スゴかったわ』
「ありがとう」
『疲れてるのに、ごめんなさい。そっちは、もう夜も遅いでしょ』
「気にしないで。それで、大事な話って何かしら?」
挨拶も早々に、
画面越しの
『うん、あのね――』
通信環境のせいなのか、多少ラグがあって口の動きの後に
――私たち、結婚することになったの。
* * *
「よっ、久しぶり。元気してたかー?」
スタイリッシュにスーツを着こなした
「ああ、おかげさまで。そっちは?」
「ぼちぼちってとこだな。ま、立ち話もなんだし、とりあえず行こうぜ」
「それ、俺のセリフだからな?」
笑いながら助手席へ回った
「悪いな、こんな遠くまで来てもらって」
「気にすんなよ。どうせ来月には、
「欧州っていっても、配属先は北欧なんだろ?」
「日本からと比べりゃ全然ちけぇーよ」
「そりゃそうだ」
父親と同じ外交官になった
「おっ、サグラダファミリア。あれ見ると、スペインだよな」
窓を下ろし、肘を乗り出して、視界に拡がるスペインの街並みを眺めている。
「おお、そうだった。
「マジか。オゴれって言っておいて」
「もう言った」
どちらからともなく笑い合う。
こんな些細なことで笑い合える。まるで、学生時代に戻ったみたいに。何年経っても一瞬で戻れるんだと思うと、嬉しさ一緒に感慨深さが心に込み上げてくる。
「さあ、着いたぞ」
「サンキュー」
自宅のガレージに車を止めて、呼び鈴を鳴らす。
「あら、早かったわね」
「空港から直で来たから」
「久しぶり! おっ、大きくなったな~」
玄関でしゃがんだ
「あはは、ホント、入学案内のパンフレットの
「同じくらい歳だもの。ほら、ちゃんと挨拶しなさい」
「こんにちわー」
「こんにちは。ちゃんと挨拶できてエラいなー。もうひとりは?」
「お昼寝中よ」
褒めながらぽんぽんっと頭にふれて立ち上がった
「そろそろお昼だけど、どうする? まだでしょ?」
「近くのレストランにでも行こうか?」
「そうだな。出来れば、和食がいい。ここんところ他国の料理ばっかで飽きた。ある?」
「あるにはあるけど、現地向けにアレンジされてるんだよね。日本のカレーとか、中華料理みたいに」
「だよなー......」
「簡単なものでよければ、私が作るわよ 」
「ぜひ頼む!」
そんなわけで外食は止めて、近所の市場で食材を買い揃えて、自宅で食べることに。
「えっ? じゃあ、
「そ、実際は二週間の出張。完全な早とちりだな。つーか、味噌汁って、スゲー美味いのな......」
何より、海外移籍から五年が経ち。去年の世界大会が終わったあとも、こうして現役を続けていられるのは彼女のサポートがあってこそ。感謝してもしきれない。
「ハァ、そういうところは変わらないわね。ちゃんとやっていけるのか心配になるわ」
「その辺りは、大丈夫だろ。国家プロジェクトに関わる企画を任されてるし。それも海洋じゃなくて、宇宙開発の方のな」
「宇宙ねぇ。
「ビンゴ! スゲー羨ましがってた。必ず宇宙人見つけ出せってな。そうそう
「ホントっ?」
「じゃあ、また、はじまりの魔女が......?」
対処法があるとはいえ、やっぱり気になる。
「イヤ、ただの私的目的。部員に体験談を話してるそうだ。生徒たちは目を輝かせてるって言ってたけど、まあ、な」
「ああ、なるほど」
「
どや顔で得意気に話す
「ねぇねぇ、まじょってなーに?」
「お、気になるか」
「うん」
「プレゼント。あとで読んでもらいな、魔女のことがたーくさん載ってるぞ」
「ありがとー」
「これ、
「いいの?」
「ああ。こっちじゃ売ってないだろ。おっと、それこそ大事なもん忘れるところだった。今のうちに渡しとく。ほい」
同じスーツケースの中から装飾された封筒を取り出して、テーブルに置いた。それは、
「
「ええ、
「事情が事情だし、仕方ねぇよな。じゃあ、飯も食い終わったことだし、そろそろ行こうぜ!」
支度を整え、本拠地のスタジアムへ向かう。
クラブ側から事前に許可を貰っていることを警備員に伝え、スタジアムの中へ入れてもらう。使い慣れたロッカールームの前を通り、人気のない廊下を抜けて、鮮やかな緑色の芝が映えるピッチへ出る。
「うおっ、マジでスゲーな! テレビで見るのと迫力が段違いだ!」
「観客が入るともっとスゴいわよ。いつも満員で、熱気がスゴいんだから」
「マジか。滞在予定伸ばして、プライベートで観戦してくかな?」
「次節と同日だから、二人の結婚式から弾丸になるぞ」
「しゃーねぇ、またの機会にとっておく。よし、始めるぞ」
「大丈夫なの?」
「心配すんなって。こっちへ来る前に、
カメラを構えていない方の手で黙ったまま人差し指を立てた
「
俺は、二人の結婚式には出席出来ない。
――初恋は、叶わない。よく聞いた話しだ。
確かに、俺の初恋も叶うことはなかった。
捉え方は人それぞれ十人十色なんだろうけど、少なくとも俺は今、不幸でなく幸せだと心から言える。
カメラへ向かって話している途中ふと視線を上に向けると、どこまでも澄み切った青空が広がっている。
その雲ひとつない晴れやかな綺麗な青空に、この言葉と想いを託そう。
――
途中間延びしたりといろいろありましたが、長い間最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
簡単な設定公開。
○主人公の名前。
参考資料・原作。
○山田くんと7人の魔女(原作)
○山田くんと7人の魔女(アニメ)
○古河美希先生