あの日から、朱雀高校の卒業式から約半年が過ぎて、暦の上では秋。暦の通り日が陰るのは早くなったけれど、まだまだ真夏の様な暑い日々が続く残暑の初秋のこと。私は、大学の夏期休校期間を利用して、日本へ一時帰国してきた。
「あっ、お茶畑だー!」
車窓へ顔を向ける。
「さっき見た富士山もだけど、お茶畑を見ると静岡に来たって感じよねー。ね、うららちゃん」
「ええ、そうね」
私たちは今、東京発の新幹線に乗って、静岡県内を西へ向かって移動している。
その理由は――。
「あっ、
「そういえば
通路を挟んで三人掛けの真ん中の席に座る
「
「結構かかるんだなー」
「最寄り駅から目的地までシャトルバスが出てるみたいだけど、最終のバスに乗り遅れたら最悪徒歩で一キロ以上歩くことになるわよ」
「うへぇ、今のうちに体力温存しとくか。
「あん? なんで、俺が」
「いいじゃねーか、ついでだろついで。じゃあ頼んだぜ~」
「ったくよ」
通路側の席の
「大丈夫よ。私も手伝うから」
「いや、別にただ起こすだけだし。ひとりで出来るって」
「そう?」
「おう。頭ぶっ叩けば一発だろ」
「おい、そりゃねーだろ!」
顔を背けて目をつぶっていた
「嫌なら素直に起きてろよ。もうすぐ着くんだから」
「ったく、友だちがいのねーヤツだなー」
ちょっと意地悪に言った
「ふふっ」
「相変わらずね~。ところで、
「部活の後輩たちは、来ないの?」
「来たがっていたが、何かと忙しいそうだ」
「もう、進学は決まってるようなものなのに?」
「だからこそだよ」
「
「ふーん、そうなんだ。けど、残念よね。せっかくなのに現地で観れないなんて」
今、私たちが向かっている目的地は――プロサッカーの試合が行われるスタジアム。今日は、私たちの友だちのプロデビュー戦。ちょうど長期休校中に行われる試合ということで、ホームのスタジアムまでみんなで応援に行くことに。
「現地へは行けなくても、フットサルコートで生中継を観るそうだ。あそこは今期から、サッカー専門の衛星放送チャンネルを契約したらしい。開始時刻に間に合うように終わらせると言っていた」
「ノアちゃんも?」
「ああ。内部進学組とはいえ、生徒会に所属していないアイツは一般受験にようなものだからな。もうじき実力テストがある」
「今が大事な追い込み時期なわけね。何か懐かしいわねー」
「だな。たったの一年前のことなのに。ホント一年なんてあっという間だよなー」
昨年の今頃のことを思い出して、少し物思いにふける
「それは、今が充実してるってことだろ?」
「何? アンタ、起きてたの?」
「まーな。さて、そろそろ降りる準備しとかねーと、降りる寸前になって焦るぞ」
「そうね。そうしましょう」
まだ少し時間はあるけど、お菓子の空き箱を片付けて、下車の準備を始める。ちょうど片付け終わった頃、車内に、間もなく到着を知らせるアナウンスが流れた。忘れ物がないかもう一度確認してから、列車を降りる。
「着いたー!」
「思ったより遠かったなー」
新幹線で東京から片道一時間以上の距離を毎週何度も往復三時間近くかけて往き来しているんだと思うと、本当に大変な道を進んだのだと改めて思った。
「駅北の広場で待ってるってさ。さあ、行こうぜ」
「えっ? じゃあ、うららちゃんの記憶は戻ったのっ?」
「そうなのよ。ねっ、うららちゃん」
「もう、だったら教えてくれればよかったのに」
「ごめんなさい。私も、突然のことでビックリしちゃって」
「うららちゃんは、悪くないのよ。
「う、うっせー!」
「まっ、そこはオレのおかげだろ」
「どういうこと?」
昨夜あの場に居なかった
「
「キススランプ? 何よ? その聞き慣れないパワーワード」
アルバム、自分の日記、みんなの話しを聞いてある程度信用は出来たのだけど。
「今まではほら、魔女の能力のためにしてたからつーかなんつーか......」
「つまるところ、ていのいい理由付けがなくなったことで、シラフになった途端に気恥ずかしさを覚えたんだろ」
「ぐっ......」
「理由はどうあれ、よかったわね。無事に思い出せて。本当に」
まるで自分のことのように喜んでくる
「ところで
「もう、クラブハウスへ行ってるわよ」
「えっ? もう行っちゃったの。試合は、夕方からなんでしょ?」
「ベンチ入りの選手は、試合前のミーティングとかいろいろあるから早く行って準備するのよ」
「へぇー、そうなんだ」
「さてと。噂のハンバーグも食い終わったことだし、オレたちも行くとするか」
「試合開始には、まだ時間あるわよ?」
「ギリギリだと混むからな。道路も、駐車場も」
「駐車場?」
在来線で最寄り駅まで行く予定だから、駐車場は関係ないんじゃと不思議に思っていると、
「レンタカー、借りてくんだよ!」
駅近くのレンタカー店でワゴン車を借りた
「シートベルト付けたか?」
「ちょっと、ホントに大丈夫なんでしょうね!?」
「心配すんなよ。東京の街中も、高速も走って予行練習済みだって」
そして無事、試合が行われるスタジアムがあるホームタウンに到着。スタジアムから少し離れた場所に空いていたコインパーキングに駐車して、スタジアムまでの道を歩く。
スタジアムに近づくにつれて人通りが増えていき、スタジアム前のメインゲート付近には試合開始までまだ一時間以上もあるにも関わらず、ホーム・アウェイを問わず既に両チームのレプリカユニフォームやグッズを身に付けた大勢のサポーターたちで溢れかえっていた。
入場待ちの列が続くメインゲートの人混みを抜けて仮設のオフィシャルショップへ足を運ぶ。陳列されているグッズを眺めていた
「
「本格的なデビュー前だもの。私のスマホケースも、既存のグッズにサイン書いてもらったものだし」
グッズは活躍中の主力選手、人気など需要のある選手の物を優先的に生産・販売されているため、新人や知名度の低い選手の商品はあまり用意されてないそう。そんなわけで私は、比較的安定して造られる背番号入りのマフラータオルを購入、フードコートに寄ってから、ゴール裏に陣取っている応援団から少し離れた場所の自由席にみんなで座って、軽いものをつまみながら試合開始の時を待つ。
「けどよ、マジでスゲー人だよな。つーか、ピッチもスゲーちけぇし!」
殿大受験のため夏のインターハイは予選大会まで。冬の選士権はテレビ中継で試合を見ていた
「これでも、キャパは決勝の時のスタジアムの半分もねーんだぜ」
「これで半分以下!? マジかよ......」
「あっ、横断幕! ああいうのもあるんだ」
「アイツのは、ないのか?」
「あるわよ。だけど、主力選手じゃないからきっと隅の方に......あっ、ほらあったわ」
アウェイ側のコーナーエリア付近に名前が書かれた横断幕が掲げられていた。
「あの横断幕の費用、私も出してるのよ」
「なんだよ、教えてくれればオレたちもカンパしたのによ。なあ?」
「小さめだから費用はそれほど掛からなかったのよ。でも活躍すれば、もっと大きなものに新調されると思うから、その時は声をかけるわ」
「任せとけ。おっ、出てきたぞ!」
試合開始予定時刻三十分前、両チームの選手たちがピッチに出てきた。各自ボールを蹴ったり、軽く走ったり、ストレッチしたりと、試合開始に向けてウォーミングアップを始める。みんなで、彼の探す。一番最初に見つけたのはやっぱり、
「あ、居たわ。ベンチ前でボール蹴ってる輪の中よ、オレンジとスミレ色のミサンガを左手に付けてるから間違いないわ」
「おっ、マジだ。それに、ビブスを着てるってことは――」
先発出場予定の選手は、ビブスを着けウォーミングアップをする。つまり今日の試合、スターティングメンバーとして出場が確定したということ。
「だけど、思ったていたよりも遅いデビューだったね。同期の
「正式に契約を結んだのがシーズンが始まってからだったからよ。キャンプには参加していなかったし、プロへ対応出来る身体に作り直したり、チーム内の連携プレーだったり、細かな調整に時間が掛かったのよ。部活は元々
「なるほど。それで、どうなんだい? 肝心のチーム状況は」
「正直、芳しくないわ。二部リーグのチームとのプレーオフ戦圏内の残留争いをしているチームに勝ち点差を6もつけられての最下位。もうシーズンも終盤戦、残留には一戦一戦が必勝の正念場よ」
「てーと、あの横断幕に書かれた文字が、そのまま応援団の願いってことか」
それは奇しくも、
『お待たせいたしました。ここで本日のレフェリー、マッチコミッショナー、両チームのスターティングメンバーの発表です――』
場内に設置されたスピーカーから、アナウンスが流れる。
主審、主催者、アウェイ側の選手と順番に発表されて、いよいよホームチームのメンバー紹介。ゴール裏の大型ビジョンに壮大な音楽と共にプロモーションビデオが映し出され、ひとりひとりの名前が練習中の姿を捉えたリアルタイムの映像と一緒に読み上げられる度に、大きな声援が応援団から送られた。
そして、遂に彼の名前が......
今日がデビュー戦ということもあってなのか判らないけど、ひときわ大きな声援が送られている。そしてそれは、全選手の紹介が終わって一度ピッチ外へ引き上げても、いっこうに鳴り止む気配はない、地鳴りの様な大声援。
「これは、途轍もないな。選手権制覇、世代別代表に選出されたとはいえ、いくら何でも、たかがいちルーキーに対して過度に期待し過ぎじゃないか?」
「そのルーキーに託さなけりゃいけねーほど、切羽詰まった状況ってことなんだろうよ。チームも、サポーターもな」
「私は、判るわ」
「
「だって、そうでしょ?」
「ええ、そうね」
監督と控え選手はベンチへ向かい。そして、両チームのスターティングメンバーが小さな子どもの手を引いて、再びピッチに姿を現した。
また大声援が送られる。
そう、あの人は、どんなに確率の低いことでも成し遂げてしまう人。それを私は、私たちは知っている。だから今、一枚の紙のように薄い可能性しか残されていない絶望的な状況下だとしても、きっと必ず応えてくれる。
それはまるで、映画の主人公のように――。
「そうよね! よーしっ、今日は声が枯れるまで応援するわよっ!
「はいよ、
「コレ、いつの間に買ったんだよ? まっ、いいか。ぜってぇー負けんじゃねーぞ!」
「がんばれー」
気合いいっぱいの
「ほら!
「ぼ、僕たちもそれで応援するのかい? キャラじゃないんだけど」
「む、むぅ......」
若干気恥ずかしそうな
子どもたちが係員に連れられてピッチから下がり、試合前のセレモニーが終わった。両チームの選手たちはお互い陣地へ散り、自分のポジションに付いて、試合開始の笛が鳴る時を待っている。
ボールが置かれたセンターサークルのすぐ外に彼が居る。
スタジアムの照明に明かりが灯り、傾き始めた夕日に照らされる後ろ姿。
夕日を背に立つその後ろ姿は、まだ幼かったあの日と。
そして、一年前のあの日と同じ。どこか儚くも幻想的で鮮やかなオレンジ色の綺麗な黄昏色の空に負けないくらい、とても輝いて見えた。