黄昏時の約束   作:ナナシの新人

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Episode6 ~選択の時~

「はい、もういいよ」

「ありがとうございましたー」

 

 体操着姿の女子生徒は、救護と記された白い屋根の仮設テントを出ると、元気よくグラウンドへ駆けていった。

 五月下旬、梅雨の季節に入る前のある晴れた日。吹き抜ける風が涼しく過ごしやすい気候の中、グラウンドを駆け抜ける体操着姿の生徒たちへの声援と歓声が沸き起こっている。

 今日は、朱雀高校の体育祭。

 故障を考慮して競技に参加しない俺は、各学年の保健委員と共に救護係を担当。グラウンド脇に設営された仮設テントの下で、ケガをした生徒の手当てを担当している。先ほどの女子生徒も患者の一人。

 

「よう。久しぶりだな」

「ん? ああ、朝比奈(あさひな)か。ケガでもしたか」

「いや、部活のことでちょっとな」

 

 救急箱を整理していると、よく知る男子生徒――朝比奈(あさひな)は、近くのパイプイスを引き寄せ、作業の邪魔にならないようにやや距離を取り斜め前で腰かけた。

 彼は中学時代、全国大会で対戦したチームで主将を務めていた人物。読み、統率力に優れ、高い守備力を誇る鉄壁のディフェンダー。

 

「生徒会が、お前の動向を探ってる。小田切(おだぎり)だ、知ってるよな?」

「ああ、知ってる。サッカー部に入れって話しだろ。一応、事情は話したけどね」

小田切(おだぎり)の話だと、三年の高校総体(インハイ)までに説得するって息巻いてた。結構、意地悪だな」

 

 作業の手を止めて、向き合う。そいつは、クスクスと含み笑いを浮かべていた。

 

「あれは気づいていないな、教えてやらないのか? オレたちの本番は、()じゃないってことを」

 

 高校サッカー最大の大会は、夏のインターハイではない。冬の選手権大会こそが、高校サッカーの集大成。順調に回復すれば、右膝の完治は来年――三年の春。選手としての復帰を視野に入れた場合、基礎体力、試合勘を取り戻すのに最短でプラス六ヶ月は掛かる。つまり、順調に行けば本格的な復帰時期は来年の秋――選手権の予選にギリギリ間に合う計算。

 俺は、最後の大会での復帰に向けて全てをかけている。フットサルのバイトも少しでも衰えを戻し、ミリ単位でのタッチプレーテクニックを身に付けるためのもの。店長も事情を知っているから、全面的に支援してくれている。だが、これは理想であって全てが上手く順調に行くとは限らない。

 

「希望的観測はダメだった時の失望感を生む。無責任なことは言いたくないだけだよ」

「まあ、そうだな。賢明な判断だな」

宮内(みやうち)くん、いいかしら?」

 

 その声に顔を上げると、白石(しらいし)と女子生徒が三人居た。彼女たちの中の真ん中にいる女子が、両サイドの二人に支えられている。ケガ人のようだ。右足をついていない、おそらく捻挫。

 

「足を捻ったみたい。見てあげてほしいのだけれど」

「どうぞ」

「さてと、じゃあオレはお暇しよう。邪魔して悪かったな」

「いや。またな」

 

 席を立ち、手を上げてグラウンドへ戻っていった。彼女には空いた席に座ってもらって、痛みが走る角度を確かめる。患部は足首、軽い捻挫。アイシングをして、テーピングで固定する処置を施す。治療の様子を興味深く観察している白石(しらいし)の横顔が、ふと目に入った。

 ――キスしたことある?

 先日、白石(しらいし)にされた質問がよみがえる。

 答えは「ある」。正確には“された”というのが正しい表現だけど。答えのあとも、突っ込んで聞かれた。

 

『相手は、朱雀高校(うち)の生徒?』

『そうだけど、それがどうかしたの』

 

 まあ、こんな感じの受け答え。すると彼女は、やや視線を落として手を口元へ持っていき、少し考え込むそぶりを見せてから顔を上げた。

 そして続いた台詞は――その時、何か変わったことはなかったかしら?

 あの言葉は結局、何を意味していたのだろう。俺の視線に気づいた白石(しらいし)は、不思議そうに小さく首をかしげた。とりあえず、微笑んでごまかしておこう。

 

「はい、おしまい。捻挫はクセになりやすいから、今日は絶対安静。明日になっても痛みが引かないようなら、病院へ行ってね」

「はーい。ありがとー」

 

 礼を言うと、二人の手を借りて椅子を立つと、支えてもらっていた手を放して自力で立ち、テーピングで固めた足の感覚を確かめている。少し歩き難そうだけど、しっかりと自分の足で歩いているから大丈夫だろう。

 

「すごく手際いいのね」

「こういった類いの故障の処置は慣れてるから」

「そう。ん? なにかしら?」

 

 白石(しらいし)が後ろを振り向く。同じ方を見ると、何か問題でも起こったのだろうか、体育祭運営本部周辺に人だかりが出来て、何やら物々しい空気が漂っている。

 

宮村(みやむら)

「あん!? なんだ、宮内(みやうち)か。白石(しらいし)さんも一緒か」

 

 ちょうど近くを通りかかった宮村(みやむら)に声をかける。何やら、イラだっているご様子。

 

宮村(みやむら)くん。何かあったの?」

「ああ、一年の一部が体育祭ボイコットを企てやがったんだ」

 

 俺と白石(しらいし)は、顔を見合わせる。

 

「ボイコット? 理由は?」

「さーな。そいつを今、調べるのさ」

「期待しているよ、宮村(みやむら)くん」

「会長......!」

 

 救護テントにやって来た一組の男女。眼鏡をかけた男子生徒――朱雀高校現生徒会長三年の山崎(やまざき)宮村(みやむら)が、(タヌキ)と称した食わせ者。もう一人は確か、生徒会長の秘書を務めている三年の女子だったはず。

 

飛鳥(あすか)くん、状況を」

「はい。ボイコットを先導している生徒ですが、1-Fの渋谷(しぶたに)敬吾(けいご)と思われます」

渋谷(しぶたに)......!?」

 

 主犯格の生徒の名前には、聞き覚えがある。眉をひそめた宮村(みやむら)に確認。

 

渋谷(しぶたに)って、確か」

「ああ......サッカー部の新人だ」

 

 思った通りだ。以前宮村(みやむら)から聞いた、今年サッカー部に入ったという逸材の名前だった。

 

「ふむ。サッカー部か......」

 

 アゴに手を持っていった山崎(やまざき)は、考え込むそぶりを見せ、横目で視線を送ってきた。表情からは読み取れないが、わざわざここへ来たことを鑑みれば何かを企んでいることは明白。何より、宮村(みやむら)と違って、声や表情に苛立ちや焦りのようなものが感じない。それどころか、まるでこうなることを予め予期していたかのような冷静さを感じる。

 

「このままでは、サッカー部は監督不行届により連帯責任で何かしらの処分を課すことになりかねないね」

「そうですわね」

「うーん、では、こうしよう」

 

 右手の握り拳を左の手のひらにポンっと軽く置く仕草をして、名案だと言いたげなしたり表情(かお)

 

「午後の種目を変更しよう。変更後の種目は、全学年対抗男女混合フットサル大会でどうかな? 彼もサッカー部だ、これなら出場するだろう」

「さすがは、会長。体育祭の枠を越え、球技を取り入れるなんて。素晴らしい発想ですわ」

「はっはっは、そう褒めないでくれたまえ、飛鳥(あすか)くん。では、さっそく競技変更を伝えに行こう」

「それでは、失礼いたしますわ」

 

 秘書の飛鳥(あすか)と共にきびすを返した山崎(やまざき)は、思い出したかのように足を止めて振り返り、眼鏡に触れ、俺に向けて言う。

 

「キミは、フットサルコートでアルバイトをしているんだったね。()()()()()()()

 

 それだけ言って、大会運営本部前の人込みの中へ消えていった。

 

「わかってると思うけどよ。この騒動は全て、山崎(アイツ)が仕向けた策略だ」

「だろうね。あからさまなプレッシャーをかけてきやがった」

 

 顔は穏やかに微笑んではいたが、あの威圧感のある目。もし出場しなければバイトはもちろん、サッカー部もろとも潰す。そんな意思を感じる冷徹な目をしていた。

 ――なるほど、これが宮村(みやむら)が言っていた、手段を選ばないってヤツか。

 

宮村(みやむら)くん。ボイコットは、生徒会長が仕組んだことだって言っていたけど。どういう意味?」

白石(しらいし)さんは去年の十二月、男子陸上部が休部になったことを知ってるか?」

「え? ええ、確か、部員の一部が傷害事件を起こしたって聞いたわ」

「その事件の黒幕が、山崎(やまざき)だ。アイツが裏で糸を引いて、意図的に事件を起こさせたのさ。自分の手を一切汚さずにな」

「そんなことが出来るの?」

「それを出来るのが、校内最高権力を持つ朱雀高校生徒会長なのよ」

 

 三人で話していたところへ、もうひとりの生徒会副会長の小田切(おだぎり)と、彼女の取り巻きの五十嵐(いがらし)が会話に加わってきた。小田切(おだぎり)宮村(みやむら)と同様に、険しい表情(かお)で苛立ちを感じさせる声色で話す。

 

「だけど。今回の件は、私たちへの当て付けよ」

「だろうな。宮内(みやうち)を口説き落とせなかったことに対するペナルティだ」

「そうね......」

 

 事態を把握出来ないでいた白石(しらいし)に、かいつまんで説明する。宮村(みやむら)小田切(おだぎり)は、次期生徒会長の椅子を争っていること。朱雀高校は選挙ではなく、現生徒会長からの指名で次期生徒会長が選ばれるため、二人は御用聞きという名目のミッションをクリアし、貢献度を競っている。

 俺をサッカー部へ引き込むことも、ミッションのひとつ。

 

「そう。そういうことなのね」

「ハァ、さて、どうっすかね~」

 

 腕を組んでパイプ椅子に座った小田切(おだぎり)と、一瞬目が合った。気のせいだろうか、彼女がどこか申し訳なさそうな表情(かお)をしているように思えたのは――。

 

「ひとつ、方法があるわ」

「マジかよ、白石(しらいし)さん!」

「ええ。会長は、午後の競技を変更すると言ったわ。今行われている短距離走が午前最後の種目だから、お昼休みが終わる前までにボイコットを止めればいいのよ」

「なるほどな。実際にボイコットの影響がなけりゃ現行のプロローグのまま進むってことか......!」

「しかし、どうやって止める? 山崎(やまざき)が裏で操っているということは、渋谷(しぶたに)は冤罪なんだろ?」

 

 五十嵐(いがらし)が上げた懸念のように、ボイコットは生徒会長の策略だとすれば、渋谷(しぶたに)は主犯に仕立て上げられているだけで、別に扇動している奴がいるとみて間違いないだろう。タイムリミットの昼休み終了まで、あと一時間と少し。今から真犯人を見つけて説得、もしくは強行手段を取るとしても時間は少ない。

 

「やるしかねぇだろ? 見ろよ」

 

 宮村(みやむら)が指を差したグラウンドでは、真剣な表情でトラックを駆け抜け、各クラスの応援団が大きな声で声援を送っている。みんな、本気で競いあっている。

 

「策略を阻止したとなりゃ逆鱗に触れるかも知れねぇが、そう思い通りにはさせねぇよ」

「そうね。私も、こんなことで体育祭にケチをつけさせたくないわ」

「珍しく意見があったな。ここは一時休戦といくか?」

「いいわ、手を組んで上げる。でも、今日だけだからっ」

 

 会長の座を争う二人は一時的な停戦協定を結び、協力してボイコット主導者の調査を行う約束。俺も、二人に協力を申し出る。

 

「俺も手伝うよ。原因は、拒んだ俺にあるんだし」

「なに言ってんだ。凄腕の救護係が居なくなったら困んだろ?」

「そうよ、私たちに任せなさい。あなたは巻き込まれただけよ、気にやむことはないわ。行きましょう、(うしお)くん」

「ああ」

 

 それぞれ調査へ出掛けていき。救護テントの脇で、俺と白石(しらいし)が残された。

 

「そろそろ戻った方がいいんじゃない?」

「うん、そうね」

「すみませーん! 急患です!」

 

 ケガ、体調不良含めて三人同時に患者が訪れた。保健教師と保健係二人が担架を使い、体調不良を訴えた生徒を保健室へ連れて行き、比較的軽傷の二人を捌くことに。

 

「手伝うわ」

「ありがとう。助かるよ」

 

 擦り傷の軽いケガをした生徒を白石(しらいし)に任せ、捻挫の生徒を俺が看る。その後も何人かケガ人が来て、気がついたら昼休みはあと十分ほどになっていた。ひと段落ついたところで、ボイコットを未然に阻止するために行動していた宮村(みやむら)たちが戻ってきた。さっそく成果のほどを尋ねる。

 

「どうだった?」

「......シャレにならねぇ。扇動していたのは、飛鳥(あすか)先輩だ」

「それって、さっきの秘書の人だよな?」

「ええ、朱雀高校の実質No.2よ。あの人の発言力は、副会長の私たちよりも上なのよ」

「しかも、オレたちがボイコットを潰そうとしていることに気づいてやがった」

「うむ。見下すような表情で、俺たちをせせら笑っていた」

 

 ――上手いな。一般生徒が相手なら、最悪力づくという強行策もあり得たが、相手が悪すぎる。生徒会長最側近となれば強引な口封じは行えず、軽はずみに手出し出来ない。

 

「くそっ!」

「このままじゃ関係のないサッカー部まで......」

「くっ......」

 

 三人とも、悔しそうに地面に目を落とした。

 

『体育祭実行委員会よりお知らせです。午後の競技に変更が――』

 

 競技変更を告げる校内放送が始まった。

 どうやら、選択の時が来たらしい。

 

宮村(みやむら)。悪いけど、急ぎで教室から荷物持ってきてくれないか? バイト道具が入ってるんだ」

「はあ? お前、まさか......!」

「俺が出場すれば、丸く収まるんだろ?」

「そりゃそうだけどよ」

 

 テーピングを拝借し、救急箱の蓋を閉じる。

 

「いいのっ? あなた、ケガしてるから入部を拒んでたのに――」

「大丈夫だよ。期待に応えるだけだから、あの人の」

 

 心配してくれた小田切(おだぎり)から、運営本部が置かれたテントの下で、涼しい顔をしている山崎(やまざき)に目を向ける。

 ――悪化しない程度にね。


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