黄昏時の約束   作:ナナシの新人

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Episode67 ~触れた優しさ~

 話を終えて、応接室を出たのは入室してから一時間以上が経ってからだった。一緒に部屋を出たスーツ姿の男性二人のうちの一人が代表するかたちで、「今日は、お時間を作っていただきありがとうございました」と言い。二人揃って、校長と教頭、顧問に向かって会釈をした。そして、上げた顔を顔を向ける。

 

「連絡をお待ちしています。願わくば良い返事であることを願って。それでは、私たちはこれで失礼します」

 

 再び会釈をした二人に会釈を返し、廊下を歩いて行く後ろ姿を見送る。

 

「大変なことになったね。突然の事態にいろいろと思うところもあるだろうから、じっくり考えなさい」

 

 そう穏やかに声をかけてくれた校長は、教頭と今後の対応について話をしながら、職員室の方へ歩いて行った。隣で大きく息を吐いた顧問がネクタイを緩めながら壁にもたれ掛かり、腕を組んだ。

 

「こんなに緊張したのは、採用試験の面接の時以来だな」

 

 なんで俺より、この人の方が緊張してるんだか。だけど、おかげで助かった。混乱していた頭を少しだけ整理する出来た。

 

「どうするつもりだ?」

「正直、まだ分かりません」

 

 事実今は、告げられた話の内容を受け止めるだけでやっとで。まだ冷静に判断できる精神状態にない。

 

「ま、そうだろう。まだ時間はある、焦って決める必要はない。校長先生の言った通り、学校として出来る限りのサポートはするからな」

「はい、ありがとうございます」

 

 またひとつ息を吐いた顧問も、職員室へ戻って行く。顧問が廊下を階段の角へ曲がったところで、入れ替わりで寧々(ねね)が現れて駆け寄って来た。待たされて、ややご機嫌ななめなご様子。

 

「もぅ、遅いじゃないっ」

「うん、ごめん」

 

 素直に謝ると、可愛らしく口を尖らせていた寧々(ねね)の表情が戻った。

 

「それで、何の話だったのかしら?」

「ああ......うん、これ――」

 

 受け取った名刺を、寧々(ねね)に手渡す。

 

「名刺? あら、またなのね」

 

 名刺に記されている名前と役職を見て話の内容を察した寧々(ねね)は、顔を上げて小さく首をかしげた。

 

「それで、なにを悩んでいるの?」

 

 どうやら俺の葛藤は、彼女にはお見通しみたいだ。

 

           *  *  *

 

『フッ、そいつだ。二本場18’600。これで終いだな』

『テメェ......』

 

 部室の中から、朝比奈(あさひな)詫摩(たくま)の声が漏れ聞こえてきた。「まだやってるのね」と、寧々(ねね)はやや呆れ顔でため息をついた。とりあえず中へ入ることに。

 

「お、戻ってきたな」

 

 最初に気づいたのは、真正面の宮村(みやむら)。四人は、雀卓で牌を混ぜている。どうやらちょうど、対局が終わったタイミング。

 

「あなたたち、まだやってるの」

「何局目?」

「今から、三戦目」

「三戦目? またずいぶん早いな、半荘(ハンチャン)だろ?」

「二戦とも南場(なんば)のオーラスを待たずに全員飛ばされたんだよ。コイツ、マジで強すぎだろ......?」

 

 朝比奈(あさひな)に目を向けた宮村(みやむら)が嘆く、五十嵐(いがらし)も背中を丸めて肩を落としていた。詫摩(たくま)は、やや居心地(バツ)が悪そう。

 

「あら、あなたも朝比奈(あさひな)くんに負けたの? リベンジとか言って、あんなに強気で自信満々だったのにっ!」

「チッ......!」

 

 さっき脅かされたお返しとばかりにクスッと笑った寧々(ねね)に対して、黒い方の詫摩(たくま)は不機嫌そうに舌打ちをして顔を背けた。因みに一回戦は、白い詫摩(たくま)の方が南場で飛ばされたそう。けど、同情出来る面はある。上家(カミチャ)下家(シモチャ)ならまだしも、朝比奈(あさひな)対面(トイメン)というのは最悪のポジション。どんなに完璧なポーカーフェイスに努めても、ほんの僅かな挙動を読まれるから絶対に勝てない。前に訊いたら、良い牌を引き入れると瞳孔が開くとかなんとか言ってた。

 

「代わってもくれ。俺じゃ数合わせにもならん」

「了解」

 

 二戦とも早々にハコテンにされた五十嵐(いがらし)に代わって、卓に入る。

 

「それで、話は何だったんだ?」

「これよ」

 

 寧々(ねね)は、コタツを出て座布団であぐらをかく五十嵐(いがらし)に、さっきの名刺を渡した。

 

「編成部長......プロのスカウトか」

「マジか、スゲーじゃん」

 

 混ぜた牌を積みながら、宮村(みやむら)はいつもの軽い感じで賛辞の言葉を送ってくれた。

 

「日本代表に選出されただもんな、スカウトが来ても全然不思議じゃねーか。朝比奈(あさひな)には、来てないのか?」

「全部断った。はなっから、海外へ留学するって決めていたからな」

「それはそれでスゲーな」

 

 まったくだ。俺とは、大違い。まったく迷いがない朝比奈(あさひな)を見ていると、こんなにも揺らいでいる自分自身が情けなくなる。

 

「それで、どうすんだ?」

「今までは断って来たんだけどね」

 

 牌を積み終える直前、宮村(みやむら)の手が止まった。

 

「てーと、今回は返事に迷ってるってワケか。何でだ?」

「あなたねぇ、少しはデリカシーを持てないのかしら?」

「言葉を選んでも結局は同じなんだから、ストレートに訊いた方が回りくどくねーだろ」

 

 二人の、この手のやり取りを目にするのは何度目だろうか。

 こんな見慣れた日常も、あと数日で終わりを告げる。少なくとも宮村(みやむら)寧々(ねね)は、お互いに別々の大学に進学することになるから今までみたい会える時間は減るだろう。まあ宮村(みやむら)が、殿様大学に受かればの話しだけど。

 

「別にいいよ、ありがとう」

「もうっ、甘いんだから」

「選手権が終わった直後から話はあった。受験に集中したくて断る時間も惜しかったから、学校を通して予め交渉の条件を提示してたんだよ。条件を全部呑むなら契約を考えるってね」

「条件?」

「そう。引くぐらいの条件」

 

 俺が学校を通して提示した条件は、全部で四項目。

 1、公式戦や練習日と模試や実習の日程が被った場合は、必ず学業を完全に優先させること。

 2、寮生活はしない。東京からの移動費及び宿泊費については、全てクラブ側が負担をすること。

 3、遠征時は、日帰りで往き来出来る範囲に限ってのみチームに帯同。

 4、契約に当たって例外は一切認めない。これらに違反して生じた損害の責任は全てクラブ側が負うこと。

 

「そりゃスゲーな......」

「とんでもない条件を提示したな。そんな条件を認めてしまえば、他の所属選手に示しがつかないだろう。チームに不協和音が広がってもおかしくない」

「こんな面倒な奴、絶対にオファーしないでしょ? 普通は」

 

 そもそもそのつもりで提示した条件。ところが――。

 

「この無茶な条件を全て受け入れてオファーしてきた球団が現れた、と。どこのチームなんだ?」

「所在は......静岡のチームだな」

 

 名刺を持っている五十嵐(いがらし)が、宮村(みやむら)の質問に答え。前局トップの朝比奈(あさひな)が仮親になってサイコロを振り、オファーをしてきたチームの詳しい解説を行う。

 

「昨年、二部リーグとの入れ替え戦までもつれ込んで残留したクラブだ。十数年前までは優勝・上位争いの常連だったが。近年では、一部と二部を何度も往き来していることからエレベータークラブと比喩されてる。現状打開を謀るため思い切った改革をしたいんだろう。フットサル仕込みの宮内(みやうち)のトリッキーなプレースタイルは、日本サッカー界では異色だからな。良くも悪くも」

「なるほどなー。長年低迷してるチームの起爆剤にってことか。地元出身で、中学と高校で全国制覇、世代別の日本代表招集の実績持ちで話題性もあると。とんでもない条件を呑んででも賭ける価値があるとみたってわけだ。返事は、どうすんだ?」

「だから、困っているんだよ」

 

 絶対に呑まれないと思って出した条件。実際この条件を提示した瞬間、名刺を渡して来た他クラブの関係者は、その後一切の音沙汰もなく一斉に手を退いていった。

 だけど、ここだけは違った。

 条件を知った上で朱雀高校まで直接足を運ん来て、一旦は持ち帰ったものの、改めて再度正式にオファーをしてくれた。本気だという熱意は伝わってきた。学校側も、最大限の配慮をしてくれると言っている。

 しかし、学校の部活とプロは違う。生活がかかる真剣勝負の世界。医学の道も、患者の人生に関わる世界。二足のわらじを履いて歩いて行けるような甘い道じゃない。右膝に目を落とす。

 ――俺は、それを身をもって知っている。どちらかを諦めなければならない。

 

「くだらねぇなぁ......」

 

 表情ひとつ変えず黙って聞いていた黒い詫摩(たくま)が、ボソッと呟いた。寧々(ねね)が、キッと目を向ける。

 

「何がよ?」

 

 詫摩(たくま)は、鼻で笑った。

 

「ハッ! くだらねぇって言ったんだよ。テメェ、何をぐだぐだ悩んでやがる、情けねぇな!」

「あ、あなたねぇ!」

「フン、本気で断る気があるなら、朝比奈(そいつ)みてーに片っ端しから全部断りゃいいだけのことじゃねーか。なのに条件とかまどろっこしい言ってよぉ......まだ未練が残ってるからそんなこと言ってんだろ?」

 

 何も言い返せなかった。

 呆れ顔で大きなタメ息をつき、席を立った詫摩(たくま)は、ドアノブに手をかけて立ち止まる。

 

「それらしい理由を作って言い訳にして逃げてんじゃねーよ。逃げんなよ、テメェ自身からな......!」

 

 振り返らずに強い口調で言い放った詫摩(たくま)の言葉は、俺の心に深く、深く突き刺さった。

 

           *  *  *

 

「やっぱり、まだ寒いわね......」

 

 冬の冷たい風を受けて、両腕で自分の身体を抱いてつぶやく。

 あの後すぐに部室を出た俺たちは、校舎の屋上に来ていた。北風が当たらない校舎の壁に背中を預けて、日向に並んで腰を下ろす。

 

「気にしてるんでしょ? 詫摩(たくま)に言われたこと」

 

 見透かされている。割り切ったつもりだったのに。今、もの凄く揺らいでいた。

 

「ねぇ、覚えているかしら? どうして私が、生徒会長になりたいか聞いたこと」

「あ、うん、覚えてるよ。親しくなったら教えてくれるって言ってた」

「そうだったわね」

 

 すっと寄せられた体、寒かった身体に感じる柔らかな温もり。

 

「ずいぶん親しくなったわよね」

「そうだね」

 

 去年の秋から付き合い始めて、もう一年以上が経つ。倦怠期とかも特になくて、今も、こうして隣に居てくれている。

 

「私、愛されたかったの」

「愛されたい?」

 

「誰に?」と思ったけど、「違うわよっ」と慌てて両手を振った。

 

「恋愛感情って意味じゃないわ。どう言えばいいのかしら? そうね......みんなから頼られて、慕われて、尊敬される存在とでも言えばいいかしら。そうなれるように努めてきたわ」

 

 寧々(ねね)の表情が、ほんの少し曇った気がした。

 

「それが原因で、中等部の頃は嫌がらせの対象になったこともあったわ。だから私は、生徒会長になろうと思ったの。自分がしてきたことが正しいことだって証明したくて。でも――」

 

 曇っていた表情(かお)は晴れていて、風になびく髪を軽く押さえながら、小さく微笑む。

 

「意味がないってことに気づいたのよ。それは、あなたと出会ったからよ。だって地位とか、名誉とか、そんなもの関係なしに、あなたの周りにはいつも大勢の人たちが居て、みんな楽しそうなんだもの。あの、黒い詫摩(たくま)ですらね」

 

 何かを企んでいるような詫摩(たくま)のそれは、そういうのとはちょっと違う気がするけど。でも前に、白石(しらいし)にも同じようなことを言われた気がする。

 

「結局は、嫌われたくなかっただけなのかもしれないわ。ああ......だから私は、魔女になったのね」

「ん? 寧々(ねね)が、魔女になった理由?」

「ううん、何でもないわ。ねぇ、結人(ゆいと)くん。私、テレビで日本代表のユニフォームを着たあなたを見て思ったの。試合終了のホイッスルが鳴った時、スゴく寂しそうな表情(かお)をしてるって――」

「寂しそう......」

 

 あの試合が俺の、高校生活最後試合になった。二対二の引き分という中途半端な結果だったけど、あの試合で全てを出し切ったハズなのに......。やっぱり俺は、まだ――。

 

「......寧々(ねね)。今、凄いバカなこと考えてるかもしれない」

「バカなんかじゃないわ。この一年間、あなたを一番近くで見てきた私が保証するんだから自信を持ちなさいっ」

「ありがとう」

 

 今までの、そしてこれから先の分の感謝の言葉を伝えて、立ち上がる。

 

「どこか寄り道して帰ろっか?」

「そうね、温かいものがいいわ」

「コーヒーか、紅茶?」

「そうねぇ、今は、ミルクティーの気分かしら」

「了解。じゃあ、行こう」

 

 差し出した手を握り返してくれる。

 寧々(ねね)の手は冬の寒さで少し冷たかったけど、とても温かかった。

 それはきっと、彼女の優しさに触れたからで......。

 この時俺は、まだ明確な答えは出せなかった。だけど、彼女のお陰で、自分自身で一番後悔をしない道を選ぶ決意を持てたんだと想う。

 そして、卒業の日を迎えた――。

 


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