「つかれた~」
短くもとても濃い時間を過ごした冬休みも終わり、卒業までいよいよひと月余りとなった1月末の放課後。
ただ、そうなっている理由の要因でもあるため。ここは、ちゃんと労ってあげよう。
「おつかれさま。はい、お茶よ」
「お茶菓子もあるよ」
「あっ、ありがとうございます。先輩方」
背中を丸めたまま、
「あ、このお茶おいしぃ~」
「
「先輩の実家って、静岡でしたね。さすがお茶処、お菓子もおいしぃ~」
お茶と一緒に送ってくれたお菓子をほうばり、ご満悦なようす。
「ところで、
「家の用事で先に帰ったよ」
だいたいここでダベっているノアちゃんは、部活存続のために後任を探していた
「う~ん、私、帰りましょうか?」
「そう言うのいいからっ」
苦笑いでやり過ごしていると、ドアをノックする音が響いた。
「私が出るわ」
「誰? あら、あなた......」
「お疲れさまです。
来客は、生徒会長の
「あれー?
「
「だって私、
得意気な顔をして言う。
そう。
「そうだったね。呼び出す手間が省けたよ、キミも一緒に来てほしい。先輩、ご同行お願いします。詳しい話は、生徒会室で」
事情はよく分からないけど、断る理由もない。
とりあえず、話を聞くために生徒会室へ向かう中、
「また取材の申し込みかしら?」
全国大会優勝を成し遂げた日から、テレビや雑誌、新聞社などから取材依頼が殺到している。その対応に教職員はもちろん、生徒会の面々も日々追われている。
「サッカー部への取材だけではなく、学校案内や受験に関する問い合わせも増加していて、学校や僕たち生徒会にとっては嬉しい悲鳴ですよ」
「私、結構大変なんだけど?」
「報酬は弾んでいるつもりだよ。その証拠に、フットサル部の存続を認めたわけだし」
「報酬なのっ!?」
「当然だよ。
「むむっ、あの計算天然のおばけ巨乳めぇ~。ちょっと胸が大きいからって――」
密告のことよりも別のことに力がこもっているように感じるのはきっと気のせいだろう。なんてことを話している間に、生徒会室に到着。生徒会長直々にドアを開けて、促されるまま生徒会室に入る。
「よっ!」
「
「では、役者が揃ったところで本題に入りましょう。先生」
「ああ。実は今日、とあるところから連絡があった」
司会役の
「何すか? 改まって」
「取材じゃないみたいですね」
「ああ、今回は別件だ。来月初め――」
顧問の口から伝えられた話は、まったく予想していないことだった。
* * *
「どうするの?」
「正直、迷ってる」
部室へは戻らず、そのまま学校を出た俺たちは、住宅街をアパートへ向かって歩いていた。
生徒会室で顧問から告げられたのは、来月行われる国際親善試合への選出を打診されたという話。東京都で半世紀ぶり開催される世界大会へ向けて若手選手の強化を目的とした、高校生以下の世代で構成されるU-18日本代表メンバーに選ばれたという旨。
「時期が、ね」
「受験真っ只中だものね」
強化試合と同月に実施される、朱雀大医学部への内部進学の実力試験。翌月には、選手権後日に行われたセンター試験で足切りをクリアした、殿様大学同学部の本試験も控えている。
内部進学については、担任と顧問から「問題ない」とお墨付きはもらっているといえ、勉強に専念したいというのが本音。
だけど、同じく代表に選ばれた
「もう! もう少し時期を考えてくれてもいいんじゃないかしらっ?」
「まあ、選ばれてたメンツのほとんどはもう進路が決まってるからね」
プロだったり、強豪大学へ推薦入学だったり、社会人チームを持っている企業だったりと卒業後の進路が既に決まってる人が大半で。むしろ今回の場合、普通に受験する俺の方が特殊なケース。
「それに――」
言いかけたところで、ふと足が止まる。
「どうしたの? あっ......」
住宅街に佇む、三階建ての一軒家。門の向こう側に見える広い庭の草木は伸び、まったく人の気配を感じられない。ただ「白石」と刻まれた表札だけは変わらずにそのままだった。
「行こっか」
「ええ」
止まっていた足を前へ踏み出す。歩幅を合わせて歩いている
「約束。ちゃんと守れたわね。おつかれさま、かっこよかったわ」
「ありがと」
柔らかい手を握りかえして、空を見上げる。
「
吐いた白い息が、少しだけ長くなった冬空に融けていく。昼とも、夜とも、どちらともいえないオレンジ色とスミレ色の幻想的な空がどこまでも広がっている。
大切な約束をした、あの日と同じ黄昏色の空。
あの日......
* * *
寒さが厳しくなり始めた、夕暮れの放課後。
部室終わり帰り支度をしている最中、スマホを教室に忘れたことに気が付き、教室へと急いでいた。下校時間まで間もなくということもあって、廊下ですれ違う人もほとんどいない静な校舎。人気のない校舎西側の窓から差し込むまばゆい光が、徐々に廊下をオレンジ色に染めていく。
自然と足が止まり、窓の外に広がる鮮やかな世界に見いってしまう。幻想的で美しい景色の中に、どこか物悲しさを覚えながら、ふと、昔のことを思い出した。
あの日も今日と同じ、とても美しい夕暮れだった。
バイトだったり、部活だったりと、この時間帯に校舎に残っていることは稀で。あまり思い返すことはなかった記憶が頭の中で甦る。
もう六年も昔の、淡い初恋の記憶――。
夕日を眺めながら当時の幼い想い出に浸っていると、下校時刻10分前を告げる校内放送が流れた。
後ろのドアから教室に入ると、よく知る女子が自分の席の椅子に座って、窓の外を眺めていた。教室を照らす夕日のせいなのか、それとも昔を思い出して、少しセンチメンタルになっているせいなのか。どこか儚げな雰囲気にも感じた。
だから俺は、忘れ物を探すよりも先に、彼女へ声をかけた。
そう、まるであの日と同じように......。
「どうしたの?」
「えっ!?」
振り向いた彼女――
「スマホを取りに来たんだ」
ロッカーに置き忘れた、スマホを見せる。
「そういえば、振動音がしていたわ」
「見つからなくて、
「そうなの」
窓の外へ顔を戻した
そして、しばしの静寂。
どちらも口を開くことなく、ただただ高層ビル群の向こう側へと沈んでいく夕日をしばらく眺める。
手に持ったスマホが振動した。確認すると、着信は
「帰らないの?
「待っててくれてる。でも――」
机を挟んで
「今、このまま帰ったら後悔する。そんな気がするんだ」
彼女に顔を向ける。
「あの時と同じ顔してるから」
いつの間にか夕日は高層ビルの向こうへと消え去り、オレンジ色だった空が、東から徐々にスミレ色に移り変わっていく。
昼とも、夜とも、どちらとも言えないとても曖昧な時、黄昏時。
「私......」
お互いの顔が見えにくくなった頃、
「私、転校することになったの......」
告げられた言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。正に青天の霹靂というもので、しばらく言葉を失う。それくらい衝撃的な告白。親の都合とは言え、受験を数ヵ月後に控えたこの時期での転校だなんて思いもしなかった。それも、海外。
「じゃあ、明日にはもう......?」
「......うん、早朝の便で出国するわ。ごめんなさい......」
「なんで謝るの?」
「だって、応援に行けないから......」
――応援......ああ、そうか。だから
「それは仕方ないよ。事情が事情なんだし――」
「違うのっ!」
俺の言葉を、彼女は強い口調で遮る。彼女らしからぬ力強い否定の言葉。
そして、そのあとに続いたのは――“はじまりの魔女”なる言葉だった。
「代償の支払いが、転校で早まるってこと......?」
俺の問いかけに
「もし応援に行けたとしても。あなたは......みんなは、私のことを覚えていないわ。最初から存在していなかったみたいに......」
はじまりの魔女が消えれば、朱雀高校の魔女も力を失う。
記憶を取り戻す儀式を行うことも不可能。朱雀高校での
「......でも、やっぱり私は、忘れられたくない。だから、代償を支払いに行くわ」
代償を支払う。
「......代償の支払いに条件を加えることはできる?」
「条件を? たぶん、出来るけど」
それなら、俺にもまだ出来ることがある。
「条件は、選手権優勝。それで、失ったみんなの記憶をぜんぶ取り戻す。失敗した場合に支払う代償は、俺の記憶――」
「えっ!? で、でも、そんなこと......!」
血相を変えて、勢いよく席を立ちあがった。
「大丈夫。全国で優勝すれば、俺の記憶も消えないから。だから、約束する。必ず守るよ。俺を信じて――」
俺は、そんな彼女に少しでも安心してもらえるような声で話しかける。だけど
「信じられない?」
うつむいたまま首を小さく横に振り、顔をあげて、日が沈んで暗くなった窓の外に顔を向けた。
「信じるわ。だって、あなたは......」
こちらへ向き直す。
「名は体を表すって言うけど。私にとって、あなたは本当にそういう人」
彼女の表情は暗くてよく見えない。
それでも、穏やかな声色でなんとなく分かる。
「あなたの周りには、いつもたくさんの笑顔で溢れているわ。私も、そう......。昔から勉強ばかりで、人付き合いが苦手で、いじめられたこともあったわ。そんな私に友だちができて、好きな人ができて、みんなと一緒に笑えるようになったのは、あなたがいたから......」
「俺、そんなたいしたことしてないけど」
「ううん、そんなことない。あなたは、私が悩んでいるといつも助けてくれたもの」
――それはただ、いつもひとりでつまらなそうに教科書とにらめっこしている
「あの時も、そう。今日と同じような空だったわ」
「――えっ?」
建物の角度なのか。一瞬オレンジ色の光が照らした
「あなたは、きっと憶えていないと思うけど。ずっと昔、まだ幼かった私は、あなたに救われたの」
――ああ、そうか、そうだったんだ......。覚えていてくれたんだ。
「......憶えてるよ」
あの日、あの冬のことは生涯忘れることはない。
――俺の、初恋だ。