主な修正個所は後半部分を全てです。
選手権大会決勝戦、朱雀高校は序盤から劣勢を強いられていた。
理想の型にはめようとしていた息苦しいフォーメーションプレーを捨てた対戦相手の帝王学園は、夏の予選よりも少し高いトップ下にポジションを取る
ゴールこそ奪われてはいないが、攻守において掴み所のない変幻自在な戦術になす術もなく、防戦一方の時間帯が続く。
「両サイド、コース切れ! マーク外すな!」
ゴール前でディフェンスリーダーの
「戻せ!」
右サイドの相手選手はゴール前まで運んだボールを惜しむことなく、あっさりと後ろへ叩いた。選手を一人経由して、キャプテンマークを巻く
「くっ......!」
マークを外して、シュートブロックに行くもあと一歩間に合わず。ゴールまで約25メートル、フリーで右足を振り抜かれてしまった。
「跳べーッ!」
「――えっ!?」
守備陣の頭上、ゴールバーの上を越えたシュートにブレーキが掛かり軌道を変えた。急激な変化とスピードにキーパーは反応できず、ゴールネットを大きく揺らし、同時に前半終了告げるホイッスルが鳴り響いた。
前半戦、終了寸前での失点。一点ビハインドでハーフタイムに入る。今の一連のプレーで悟った――このままでは負ける、と。
「クソッ! 訳わかんねー動きしやがって、どうする?」
「既に手は打ってある。マネージャー、頼んでおいたものを頼む」
「はい、どうぞです!」
「スコアブック? スゲー、全員の動き、おおよその走行距離まで測ってんじゃん」
「これほどとはな」
「引退した先輩方も手伝ってくれたんです」
「そうか。お前たちの努力は絶対にムダにしない、ありがとう」
「......はいっ!」
「先生、ホワイトボードを」
「よし!」
応援席から控え室へ手伝いに来てくれた二年生の女子マネージャーから、スタンドで取ってもらっていた相手のデータを受け取った
みんなが後半戦へ向けて体を休めながら意見交換をする中、トイレへ行く言って控え室を出た俺は、右膝のサポーターを外して、救急箱から持ち出した医療バサミをテーピングの隙間にあてがう。
「何してるのよっ!」
突然ドアが開いて、
「テーピング、切ろうと思って」
「だ、ダメよ! そんなことしたら――」
「反応が一歩遅れた」
「え?」
テーピングを巻いた右膝に目を落とす。
「あの失点は、俺のミス。あの距離からもあるって解ってたのに、あと一歩が届かなかった。ホントはもう、必要ないんだ。主治医から、お墨付きをもらってる。ただ、テーピングなしで思いきりプレーするのが......怖かった」
――情けない。こんなものにいつまでも頼っていた自身の弱さが招いた結果。
「......貸して。私がやるわ」
顔を上げて見た
「
「言ったでしょ、私が支えるって。だから......私も、一緒に戦うわ。もしもの時は、私を恨んで。テーピングを切ってあなたを送り出した、私を――」
ハサミを持つ手は小さく震えている。
人通りのない廊下で彼女を抱き寄せ、心から感謝の想いを伝える。
「ありがとう。
出会った頃よりも伸びた髪にそっと触れる。
いつも自分のことは二の次にして、ずっと側にいてくれた。三年に上がって、受験生なのに一緒に部活に入ってくれて、休日もほぼ毎日部活で、バイトがある日は夜遅くまで待っててくれた。そんな彼女の優しさに甘えるだけで、恋人らしいことなんてほとんどしてあげられなかった。それでも愛想を尽かさず、今も傍に居て支えてくれてる。
「
「
手の震えはもう治まっていて、腕の中で顔をあげた
「なによ、急に。別れ話の前みたいじゃないっ」
照れ隠しなのか、可愛らしく口を尖らせる。
「別れるつもりはないけど?」
「私だってないわよっ」
少しの間見つめ合って、どらからともなく小さく笑い合った。
「そろそろ戻らないと。ハサミ、貸して」
「イヤよ、私が切るわ。だって私は、サッカー部のマネージャーで――あなたの彼女なんだからっ!」
そう力強く宣言した
「戻ったか」
「悪い、処置してた」
「処置? なるほど......」
足下に目を落とした
「行けるんだな?」
「問題ない、任せろ」
「フッ、そうか。
「わかってるわ。さあ、みんな急いで準備するわよ。手の空いてる人は手伝いなさい」
「はいっ」
後輩のマネージャーたちとベンチ入りの選手たちを従え、治療道具のチェック、ドリンクの補充など後半戦へ向けて準備を始めた。
「流石だな。
中学の頃から生徒会に所属していた彼女は、部活のマネージャーは未経験だったけど、それを感じさせない早さで仕事を覚えて、すぐにみんなから頼られる存在になった。実際、
「そっちは?」
「こちらも見つけた。集まってくれ」
スタートと同じ面子は、相手選手の攻守の動きを番号付きマグネットと矢印で記したホワイトボードの前に集まる。
「今まで相手の捉えどころのない無造作の動きに惑われていたが、ポジショニングにある種の決まりごとが存在することがわかった。それが、これだ」
ホワイトボードの選手の動きを示す矢印を指す。それを見て俺を含む何人かは、相手選手の動きのある共通点に気がついた。
「そうか、そういうことか」
「どういうことっすか?」
「ゾーンだよ」
「ゾーン? ゾーンディフェンスとか、ゾーンプレスとかのゾーンっすか? でも、それって――」
「そうだ」
「通常ゾーンは予め決められた
ローテーションでポジションを動かしているワケではなく、役割自体を決めていないから、攻撃も守備も人がいないところへ流動的に動き回るため、ポジションが定まらない。
「大袈裟な表現になるが、トータルフットボールにおけるひとつの答えだろう。当然、簡単に出来ることじゃない。どのポジションもそつなくこなせるひとりひとりの高い技量はもちろん、どこへ行けばいいのかを瞬時に導き出せる判断力が求められる」
そしてなにより、試合中常に走り続けられる
「んで、結局どうすんだ?」
「単純な戦術だ。相手のポジション変化に惑わされず、マークを切り、従来のゾーンディフェンスで対応する」
「変則ゾーンには正統派ゾーンでってワケだな。攻撃は?」
「決まってるだろ?」
俺の肩に、ポンっと手を乗せた。
「うちの司令塔に任せる」
また丸投げかよ、と突っ込む間もなくトアがノックされた。
ドアの向こうから「朱雀高校、準備をお願いします」と運営スタッフの呼び掛け。
「
「いつでも行けるわ」
「サンキュー。集合」
マネージャーたちも加わり円陣を組む。
「さあ、歴史を造りに行こう!」
鼓舞し、支度を整え終えた選手とマネージャーたちは、控え室を出て行く。
目を閉じて、ひとつ深呼吸。
ゆっくりと目を開けると、ドアの近くで
「忘れ物よ」
「忘れ物?」
控え室のドアを閉めて、つま先立ちで首に手を回した。
「おまじないよ」
初めてキスした時と同じ言葉。
あの時とは違う、恋人同士のキス。
「無事に戻って来ないと許さないから」
「了解。行こう」
「ええ!」
一緒に、決戦の舞台へ向かった。
後半戦開始直前、ベンチで最後のミーティング。泣いても笑っても試合は後半戦を残すのみ。守備に関する最終確認のあと、最後に顧問と
「悔いが残らないように持てる力を全部出し切って戦って来い!」
「ここで負けたら初戦で負けるのと同じよ、絶対に勝ちなさいっ!」
朱雀高校の応援席からも。
「勝負は、ここからだぞー!」
「そうよ、勝ちなさいよー!」
「こりゃ負けられねぇーな」
「だな。
センターサークルに向かおうとしていたところへ声をかける。
「弱点を突く。ファーストプレーで同点にするぞ」
「オーライ!」
主審の笛がスタジアム中に鳴り響き、後半戦スタート。センターサークル中央で
そのボールを、テーピングとサポーターを外して自由になった右足で受ける。自然な感覚、違和感は微塵もない。
顔を上げて前を向く。相手が素速いプレスで、ボールを奪いに来ていた。右足で軽くボールを転がし、奪おうと大きく伸ばして開いた足の間を狙い澄まして通す。一人目をかわして相手陣地内に侵入するも、すかさず別の選手がフォローに駆けつけてくる。抜かれた選手は、ポジションチェンジで空いた場所へ移動、敵陣の後方へ回った。
「いかせねぇよ!」
フットサル仕込みのステップで二人目をあしらい、更に三人目をかわしたところで、
「速いッ!? くっ!」
地道な走り込みの成果なのか、自分でもビックリするほど思った以上に体が動く。それだけじゃない。今までは、テーピングの存在で逆に無意識の内にセーブがかかっていたのだろう。
「誰でもいい、当たってくれ! ペナルティエリアに入らせるな!」
「わかった!」
「任せろ!」
大声で叫んだ
カラクリが解った今、冷静に対処さえ出来れば技量で負ける相手じゃない。距離を計り、チェックに来た相手をあざ笑うようなフライボールで頭上を越すスルーパスを通す。
これがひとつ目の弱点。フォローが速い反面、他の場所に居た選手がポジションチェンジをするさい僅かなタイムラグが生じる。
パスを出した俺は、パスアンドゴーでゴール前へ走った。
「ナイス!」
パスを受けた選手はダイレクトで、ツートップのひとり
「もらいッ!」
ゴールキーパーが片手一本で辛うじて弾いたこぼれ球を、俺と同じく走り込んでいた
インターハイと同じ、魔の時間帯での同点ゴール。
「悪い、どっちかが引きべきだった......」
「謝る必要はない。今のは、簡単にやられたオレのミスだ。それに――」
不意に目が合った。
「こうでなければ面白くない。振り出しに戻っただけだ、オレたちが必ず勝ち越すぞ!」
「オオーッ!」
初めて見た。アイツがチームを、仲間を鼓舞する姿。キャプテンマークを巻く理由も納得。
このあと試合は、両校の攻守が目まぐるしく入れ替わる激しい展開になった。どちらもゴール付近まで攻め込むが、寸でのところで防ぎ合う。
そして、後半戦の残り時間の半分が経過した頃、先に流れを掴んだのは――帝王学園。ペナルティエリア付近で、
「
走り込んだ相手にマークの意識を奪われたわずかな隙をついて、シュート。大外から巻いて来たボールは、キーパーの指先をかすめてゴールポストに直撃、ゴールマウスには嫌われたがパス要求した相手選手の下へセカンドボールが転がった。無人のゴールへと押し込まれ、失点。残り時間半分を切ったところで、朱雀高校は再び勝ち越しを許してしまった。
「まさかととは想うが、今のは......」
「ああ、間違いなく狙ってやった」
勝ち越しゴールを決めた選手にはマークがついていた。普通のパスでは通らないし、シュートコースもなかった。あれは、ゴールポストを利用したアシスト。
「とんでもないことを考えるな、アイツ」
本当に恐ろしいのは、その無謀な発想を実現させてしまう飛び抜けた
「あと二十分弱か」
「大丈夫、すぐにとりかえす」
センターサークルから仕切り直し、後半戦開始時と同じようにボールをもらう。そろそろ頃合いのハズ。奪いに来た選手を、両足の足裏を使った細かいタッチのドリブルであっさり抜き去る。
「くそッ!」
思った通り、相手の足はかなり重い。
これが二つ目の弱点。二人目、三人目には追いつかれもしない。前半からあれだけ走り回っていたため必然的に体力の消耗をしている。それも慣れないポジションで複数の役割をこなさなればならないため、疲労は通常の戦術の比じゃない。
速いパスワークで足が止まったディフェンスを崩し、あっさりゴール前へまで運び、キーパーと一対一の場面を作り出し、ノールックで左にパス。
「ごっつぁんっす!」
フリーで受けた
「勝負は、ここからだ!」
どちらも延長戦は頭に入れず、最後の力を振り絞り、ぶつかり合う。時間が進むにつれて、両校のスタンドボルテージも上がり声援はどんどん大きくなる。
そして、試合がアディショナルタイムに突入したのとほぼ同時にホイッスルが鳴り響いた。それは、試合終了を告げる音ではなく――。
「帝王、フリーキック!」
朱雀高校ゴール前で、痛恨のファール。ゴールまでの距離は22、23メートルほど、十分直接狙える距離。蹴るのは当然、
「
「だけど」
壁の上を巻いてくるか、先制点を奪った無回転シュートで来る。壁は、一枚でも多い方がいい。
「策はある。必ずお前に送る」
「......わかった」
――ピィッ! と主審の短い笛が鳴り、帝王学園のフリーキック。キッカーの
「なにッ!?」
「カウンター!」
信じて待っていたところへ、セカンドボールを拾った
守備に残っていたディフェンダーを三人のショートパスの交換で置き去りにするも、選手交替で入ったフレッシュな選手が前線から全速力で戻って来た。
試合終了間際、残る最後の三人目、最後の攻防。視線のフェイクを入れ、右サイドを駆ける
「
不意に、
中学最後のプレーでケガしたあの状況がだぶる。咄嗟にボールを浮かせ、自分は後ろに飛び、スライディングを避けて左足で着地。落ちてきたボールに合わせ、右足を振り抜いた。
ゴールを告げるホイッスルが鳴り響き、そして同時に試合終了を告げる長い笛の音がスタジアム中に鳴り響いた。
途中入部の俺を受け入れてくれて、最後まで一緒に戦ってくれた最高の仲間たちは喜びを爆発させ、ベンチやスタンドの応援団も一緒に喜びを分かち合う。
ベンチ前で涙を拭う
突き上げた左腕の、黄昏色のミサンガが切れて、鮮やかな緑色の芝生の上に落ちた次の瞬間――因果を取り戻した。
そして、まるであの日と冬の教室のような黄昏色の教室でした誓いを今、鮮明に思い出した。
『約束する、必ず守るよ。だから――』
『――信じるわ。だって、あなたは......』
――
どこまでも、どこまでも続く蒼く澄渡った空の向こうの居る彼女へ問いかけた。