黄昏時の約束   作:ナナシの新人

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Episode62 ~夢舞台~

 試合終了を告げる長い笛の音がスタジアム中に響き渡った。

 応援席から聞こえる歓声と拍手、ベンチのチームメイトもみんなで勝利の喜びを分かち合っている。歓喜に包まれるフィールドで、俺は独り立ち尽くしたまま、空を見上げていた。

 雲ひとつない、遠くどこまでも澄み渡る冬の青空。フィールドを駆け抜ける冷たい北風は、走り終えた直後の火照った身体の熱を徐々に奪っていく。

 ひとつ、大きく深呼吸。

 ゆっくりと長く吐き出した息は真っ白で、大気に触れた瞬間に消え去る。

 

「あと、ふたつ」

 

 この試合を勝利したことで、夏のインターハイと同じベスト4進出を決めた。悲願の優勝まで、あと二試合。ベスト8まで勝ち上がってきたチームは、夏のインターハイで上位に名を連ねた有名校、下馬評をひっくり返して勢いに乗っている学校もある。ここから先は、さらに厳しい戦いになる。それでも......。

 

宮内(みやうち)、整列だ」

「ああ、すぐ行く」

 

 朝比奈(あさひな)に促され、緑色が鮮やかな芝のピッチを駆け足で列の最後尾に付いた。審判、線審、対戦相手、スタンドから応援してくれた人たちに頭を下げて挨拶したあと、ベンチに戻って、控え室へ引き上げる支度を始める。

 

「スポドリよ。少しぬるめに作ったわ」

「ありがとう」

「あなたたちのも用意してあるわよ」

 

 寧々(ねね)が用意してくれた、紙コップに注がれたスポーツドリンクをひとくち飲み。スパイクの紐をほどいて、レガースを外す。

 

「他会場の結果が出たわよ」

 

 顔を上げる。ゴール裏の大型ビジョンに同時刻スタートした他会場の試合結果が表示されているスコアに、目を疑った。

 スタジアムを出て、宿舎へと向かうバスでの帰り道。一番後ろの席で、先ほど映し出された試合結果について、森園(もりぞの)を加えた四人での会話。

 

「相手は、インターハイの優勝校よね?」

「そう。まぐれで勝てる相手じゃない」

「だよな。それにあのスコア......夏の覇者を相手に5対0の圧勝だぞ? アイツらが、あんな点差つけて勝つだなんていったいどうなってんだ?」

「さーな。だが、大差で勝利を収めたことは確かだ」

 

 インターハイの王者を大差で敗ったことは間違いない。

 今年の夏、俺たちがインターハイ東京都予選で奇しくも今回と同じ五点差をつけて倒した相手――帝王学園。

 宿泊先のホテルに到着。割り当てられた部屋に荷物を置き、夕食までは自由行動。寧々(ねね)と一緒に、近所のカフェへ出かけた。

 

「おーい、ここだー」

 

 カフェに入ってすぐ、店の奥の席から俺たちを呼ぶ声。声の主は、宮村(みやむら)。彼と同じ席に、二人知っている顔が座っている。

 

「やあ、久しぶりだね」

「ごぶさたですね。寧々(ねね)さん、宮内(みやうち)さん」

 

 宮村(みやむら)のひとつ前の生徒会長の山崎(やまざき)と、秘書の飛鳥(あすか)

 

「お久しぶりです。会長、飛鳥(あすか)先輩」

 

 軽く会釈をして挨拶をした寧々(ねね)に続いて挨拶して、引いた椅子に腰をかける。

 

「じゃあ、次の試合から?」

「ああ、家の用事で来れなかった伊藤(いとう)椿(つばき)、進路が決まってる連中もな。山田(やまだ)詫摩(たくま)は受験に手一杯だから、総体の時と同じでテレビの中継を観るってさ」

「卒業生も、サッカー部のOBを中心に現地へ応援に来ると言っていたよ。西園寺(さいおんじ)くんは、日焼けが気になるから決勝戦なら観に来ると言っていたよ」

「そうですか」

 

 勝ち上がるにつれて応援してくれる人たちが、期待してくれる人たちが増えていくのを実感している。それは朱雀高校関係者だけじゃなくて、中学時代の先生やクラスメイト、ベンチが叶わなかった部員たち。縁もゆかりもない全国各地から学校や放送局に寄せられる数多くの祝電、応援メッセージが物語っている。

 

猪瀬(いのせ)くんは来ていないのかい? 見当たらなかったけど」

(じゅん)ちゃんは今日、学校で始業式の準備があるから来られないそうです」

「そうか、久しぶりに顔を見たいと思っていたんだけどね」

「準決勝からは生徒会総出で応援に来るって言っていたわ」

「じゃあ、挨拶はその時にするとしよう。しかし、彼女も生徒会に所属しているんだね」

 

 玉木(たまき)が任期満了で生徒会長を退いた後も、(じゅん)ちゃんは生徒会に所属している。現在は、生徒会長秘書という役職で。

 

玉木(たまき)のヤツ、ずっと悩んでたもんな。悠理(ゆうり)猪瀬(いのせ)のどっちを次期会長にするかをさ」

 

 宮村(みやむら)が話したとおり、玉木(たまき)は任期ギリギリまで任期を決めかねていた。どちらも仕事をミスなく、そつなくこなし、生徒からの信頼も厚い。悩み悩んだあげく最終的に、秘書の経験がある三浦(みうら)を新生徒会長に指命した。

 山崎(やまざき)玉木(たまき)と二人の生徒会長の元で働いてきた(じゅん)ちゃんは、苦労をよく知っているからか「ぶっちゃけ面倒ですし、選ばれなくてよかったです」と笑っていた。

 

「はっはっは、猪瀬(いのせ)くんらしいね。ところで宮村(みやむら)くん、レオナくんはいつ来るんだい?」

「あ? 姉貴? 姉貴なら来ねーぞ」

「......な、なんだって!?」

 

 好意を寄せている宮村(みやむら)の姉、レオナが応援に来ないと告げられてショックを受ける山崎(やまざき)。手に持つティーカップが傾きコーヒーが滴り落ちる。店員が対応するよりも早く、溢れたコーヒーを拭き取った飛鳥(あすか)は、何事もなかったかのように紅茶を口に運んだ。この二人の関係も相変わらずのようだ。

 

「ど、どういうことだい!? レオナくんは、後輩の応援に行くと言っていたんだけど......」

 

 眼鏡を直そうとする手が、これでもかと小刻みに震えてる。

 この人にとっては、後輩の応援よりも自身の恋愛の方が重要のようだ。同じ立場だったらどうだろう。寧々(ねね)を見ると、少し呆れ顔になっていた。

 

「つまらない意地悪言うのはよしなさいよ。レオナさんも、次の試合から応援に来てくれるって言ってたじゃない」

小田切(おだぎり)くん、それは本当かい!?」

「ええ、ホントよ。今は、ご両親と新年を過ごすためにイギリスへ戻ってるって激励と一緒に受け取ったわ」

「勝手に教えんなよなー」

「いつまでも姉離れしないからでしょ、まったく。シスコンなんだから」

「シスコンじゃねーよ!」

「そ、そうか、そうだったんだね。はっはっは! ここば僕に任せてくれたまえ。僕からの餞別だ」

 

 寧々(ねね)の話を聞いた山崎(やまざき)は途端に上機嫌になった。お言葉に甘え、広げたメニューを彼女と一緒に見て、夕食前のため二人で分けられる軽い物を選び、先に注文した飲み物を運んできてくれた店員さんに追加で注文を頼む。

 

「ところで、何があったんだい?」

「何がですか?」

「店に入って来たキミたちから、まるで危機感のようなただならぬ空気を感じたからさ。今のやり取りから、仲は良好のみたいだからね」

 

 ティーカップを置いた山崎(やまざき)は微笑んで「話して楽になるなら聞くよ」と、会長時代のように両肘をテーブルについて手を組んだ。どこか有無を言わさぬ雰囲気のある懐かしい笑顔だった。

 

「フム、なるほど、帝王学園か」

「帝王学園といえば去年の秋、宮内(みやうち)さんに絡んで来られた方がいらっしゃいましたね」

「うん、居たね。分かりやすい挑発だったけど、相手にしていなかった」

 

 去年の選手権東京都都大会の予選でベスト8を阻まれた試合後の俺を見下した態度は、あの場に同席していた二人の記憶にも残っていた。

 東京都の選手権予選は二つのブロックに別れて、各ブロックで勝ち上がった優勝校が全国大会への出場権を得られる。別ブロックの帝王学園は、苦戦しながらも予選を接戦で勝ち上がり、全国大会でも延長までもつれ込む試合展開を演じ、辛うじて競り勝ってきたという印象だったが......。

 

「けどよ。帝王って、お前がデビュー戦でボコった相手だちゃよな?」

「その時と同じ五点差を今日の試合で、インターハイの覇者相手にやってのけたのよ」

「マジか、まぐれか......?」

「さあ実際に試合を見てみないとわからないけど。ただ、まぐれで勝てる相手じゃないのは間違いないと思う」

「インターハイの覇者となれば、当然今回も優勝候補の筆頭だろうね。圧倒するほどの力を急激につけたりできるものなのかい?」

「ちょっとしたきっかけで化けることはあります。ジャイアントキリングも少なからずありますし。でも、サッカーはチームプレーですから」

「個人競技と比べると、チーム全体が急激にレベルアップするとは考え難いと。フム......」

「でしたら、実力ということではないしょうか? 『能ある鷹は爪を隠す』ということわざもあります」

飛鳥(あすか)くんのようにかい?」

「まあ、春馬(はるま)さまったら。お恥ずかしい限りですわ」

「はっはっは!」

 

 なんだか懐かしいやり取りを見た気がする。

 しかし、それだと疑問は残ったまま。わざわざ敗退のリスクを犯してまで隠す必要性があったか。何故、このタイミングで実力を発揮したのか。それとも、他に別の理由が存在するのか。

 どうにせよ、次の試合ではっきりする。

 さまざま要因が重なって起こった偶然の勝利なのか。それとも本物なのか――。 

 

           * * *

 

 準決勝は同日、同じ会場で時間をずらして行われる。先ずは帝王学園対選手権で優勝経験もある全国屈指の名門校。事前の予想では、プロ内定者が数名いる名門校が優勢という見方が大半だったが――。

 

「二試合連続で五点差ゲームかよ!」

「間違いないな。アイツらの実力(チカラ)は本物だ。しかも......」

「ああ、あれは俺じゃない。昔のアイツでもない。あれは完全なオリジナルだ」

 

 縦横無尽にピッチを駆ける嘉納(かのう)は、夏とはまったく違うプレースタイルを駆使し、チームメイトの能力を最大限引き出し、圧倒的なまでの実力を見せつけて、対戦相手を撃破した。それは、先日の準々決勝の大差での勝利が偶然ではないことを証明した。

 試合後控え室へ続く通路で、試合に勝ち控え室から引き上げる帝王学園と出くわした。

 

「悪かったな」

 

 すれ違いざま、突然の謝罪。

 俺たちは、まるで示し合わせたようにお互いその場で立ち止まった。顔は合わせず、背中合わせでの会話。

 

「なにが?」

「言ったはずだ)借りは冬に返す。思いの外、“調整”に時間がかかった。正直、間に合うか分からなかったが、ここに来てようやく形になった」

 

 新しいプレースタイルをチームメイトとアジャストさせるのに時間がかかった。それで予選から苦戦していたのか。そして、準々決勝で形になった結果が五点差ゲーム。

 

「......オマエが、全国で脚光を浴びているのを見て思い出した。特に、オマエたちが負けた試合の後にな。オレは、オマエのプレースタイルにこだわっていた訳じゃないってことを......。オレは――」

 

 フッ、と小さく笑った。嘉納(こいつ)が、こんなにも愉快気に笑うなんて初めて見た。

 

「決勝で待っている。約束通り、決着をつけよう。最高の舞台でな!」

 

 左手を軽く上げ、徐々に遠ざかっていく背中。

 俺が本気で憧れた、あの時と同じようなオーラを纏っていた。いや、それどころか、もっと凄みのある雰囲気を感じさせた。

 

           * * *

 

 全国選手権大会決勝戦当日。

 先日、準決勝の二試合目で俺たち朱雀高校は、夏のインターハイで惜しくも敗れた相手に競り勝ち、遂に初の決勝進出を果たした。

 

「おーいっ!」

「ん? あ、伊藤(いとう)さん」

 

 ベンチ裏の朱雀高校応援スタンドから、伊藤(いとう)が手を振っている。彼女の周りには宮村(みやむら)椿(つばき)五十嵐(いがらし)に、玉木(たまき)。後輩二人と、ナンシーたち元魔女とシド。それとバイト先のスタッフや、山崎(やまざき)たち卒業生や学校関係者、家族、本当にたくさんの人たちが応援に来てくれていた。練習開始まで、まだ少し時間がある。俺と寧々(ねね)は一緒に、彼女たちの元へ向かった。

 

「今日も応援に来てあげたわよっ」

「ありがと、伊藤(いとう)さん。みんなも!」

「祝勝会用にもう食材仕込んであっから勝ってくれよな!」

「会場は、オレん家な。因みに結構な額を出し合ってから無駄にさせんなよー」

「ちょっと、試合前にプレッシャーかけないでくれるかしらっ!」

 

 寧々(ねね)が叱って、宮村(みやむら)は面白がって笑う。いつも変わらないやり取りで、肩の力が抜けて少し楽になった。

 

「しかし、スゴい観客の数だな」

 

 五十嵐(いがらし)は後ろを振り返って、スタンドを見渡す。世界大会を開催出来る規準を満たした数の客席は、まだ試合開始まで時間があるのに既に2/3に以上が埋まっている。高校サッカーで、これだけの人たちが入るのは数十年ぶり。

 

「それはそうよ。だって、史上初の東京勢同士の決勝戦だもの」

「だから、ゴール裏とスタンドにもカメラとかいっぱい来てるんですね」

「あ、ホントだっ」

 

 (じゅん)ちゃんとノアちゃんの視線の先には、数多くの報道陣がカメラの調整や打ち合わせを行っている。これほどの注目度は、近年で一番かもしれない。

 

「じゃあ、そろそろ行くよ。寧々(ねね)

「ええ、行きましょ。また後でね」

 

 背中に声援を受けながらベンチに戻り、準備を始める。

 両校ともに試合前の練習を終えて、いったん控え室へ下がって、試合開始直前、最終ミーティングを行う。

 知らせに来た会場スタッフの指示を受けて、寧々(ねね)たちは一足先にベンチへ。俺たちはグラウンド中央への通路で、相手校と共に試合開始の時を待つ。

 

「ついに来たな、決勝(ここ)まで」

「ああ」

 

 ケガをした時は、正直、ここに立っているなんて夢にも思わなかった。

 俺は、いろんな人たちに支えられて......今、この舞台に立っているんだ。

 

「つーか、やべぇ、マジでワクワクしてきた! こんなの代表の海外遠征の時以来だぞ!」

森園(もりぞの)らしいな。この場面でワクワクするなんて」

「気負い過ぎるなよ」

「わーってるっての」

 

 朝比奈(あさひな)森園(もりぞの)と言葉を交わしていると「そろそろ時間です。両チームとも整列をお願いします」と、運営スタッフの指示。指示に従って、両校ともにキャプテンを先頭に一列に整列。

 

「約束通り、借りは返すぞ」

 

 俺と同じで、列の最後尾に付いた嘉納(かねさだ)からの宣戦布告。

 

 ――俺だって負けられない。この試合だけは、絶対に。

 

 腕時計を確認して歩き出した主審の後に続いてスタジアムを抜けると、まで浴びたことのない大歓声に包まれた。

 高校サッカー生活において、最高で最後の夢舞台へと足を踏み出した。






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