いつまでも高かった夏の太陽も暮れて、夜の街には灯りが点っている。大通りを行き交う大勢の人たち、夏休みということもあって同じ年代の学生、家族連れの姿も数多く見受けられる。もう、夜も遅いのに活気に溢れるきらびやかな商店街を、塾帰りの私はひとり歩いていた。
「お、
「え? あ、
額に汗をかいている
同じコートの奥には、スポーツウェア姿の
「時間あるなら、寄ってかね? あっちに、
支柱の影で見えなかったけど、三人が居るコートのベンチに
今日は――今日も、両親の帰りは遅いため、少し寄っていくことに。少しはしたないけど、フェンスを跨いで、
「
「あら、うららちゃんじゃない」
「オレが誘ったんだよ」
「そう。塾帰りなの?」
「ええ」
一歩横に動いて空けてくれたスペースに、腰かける。
「ルールはさっきと同じ。ボールを奪えばお前たちの勝ち、ゴールを奪えば俺の勝ちな」
「はい、お願いします」
「――来い!」
「おっ、いい目するじゃねーか。んじゃ行くぞー?」
どこか楽しそうな笑顔の店長さんは、ゆっくりと二人の方へ足の裏でボールを転がしながら距離を縮めて行く。
「勝負してるの?」
「そうよ。バイトが終わったあとはほぼ毎日、店長さんに手合わせしてもらってるの。今日は、
「オレもな!」
「ま、そういうことね」
塾帰りにここを通りかかる時は、いつもバイト中。
「超研部は、夏休みはどうするの? また、合宿を張る予定なのかしら?」
「まーな。つっても、三年恒例の受験対策講習と平行してだけどな。オレ、
――殿様大学。全国各地の成績優秀者が目指す日本最高峰の大学。入るのはもちろん、卒業する方が難しいと言われている。通っている塾からも毎年多くの受験生が殿様大学を目指して受験するけど、合格者は二桁に届かない狭き門。
「
「オールA!? さすが学年一位は伊達じゃないわね......」
殿大かは分からないけど、大学進学はすると思う。
――でも私は、大学で何をしたいのかしら......? 高校は、自宅から一番近い進学校だったから朱雀高校を選んだだけ。
足下に目を落として、進学する意味を考えていると
「
顔をあげる。
「なかなかいい反応するな。けどな」
「――なッ!?」
素速い動きに一瞬左右に振られて足がもつれてしまった
「愚直に奪いに来るだけじゃ止められねぇぞ」
「くっ! 頼む!」
今度は、
「あの
「そんな簡単に言わないでくださいよ。苦労したんですから......!」
「どうしたのかしら?」
「もしかしてアイツ、見失ってんじゃねーか!?」
「見失ったって、ボールを? でも――」
「
「まずまずってとこだな。さて、時間切れだ。続きはまた今度な」
「ありがとうございました」
「クソ......!」
頭を下げる
* * *
「それで、何の用なの?」
あの後私たちは、
「話ってのはな、
「魔女? ああー、あなたと
「そうだ。
今日の放課後、遅れて部室にやって来た
「
――心の準備。確かに、突然記憶が戻れば多少の混乱はすると思うけど、そこまで身構えるようなことなのかしら、と不思議に思うも。
「全生徒の記憶が戻れば、
一年の間に二度も謹慎処分を受けていたことを、
「この学校で謹慎なんてことはよほどの
「みくびらないでっ!」
眉尻を上げた
「今さら態度を変えたりなんてしないわっ!」
「中学の頃は知らないけど、少なくとも俺の知ってる
――やっぱり私、二人のことも大好き。
「記憶が戻って問題が起こるとすれば、
「ああー、確かにあり得るな。
「フッ、ヘタレていたら首根っこ掴んででも引き合わせてやるさ」
そう言って、
「まっ、はなっから何も心配してなかったけどなっ! あーあ、なんか腹減っちまった。
「ハァ、相変わらず調子のいい男ね。仕方ないわね、キッチン借りるわ」
「あ、うん」
「あっ、私も手伝うわ」
「じゃあオレたちは、コイツで勝負して待ってようぜ......!」
「また、カード麻雀か」
「あれれー?
「......上等だ、さっさと配れ!」
手伝いを申し出て、
「ん? なに」
「髪が伸びたって思っただけ。伸ばすの?」
「合宿前に切ろうと思ってたんだけど、ちょっと迷ってるの。今くらいも似合ってるよって――」
少し照れくさそうに話した
「さあ、作りましょ」
「何を作るの?」
「鶏の唐揚げにしましょ。冷蔵庫に鶏肉があるから、レンジで解凍してもらえるかしら。ひとつはササミをお願い」
「わかったわ」
――包丁とか鍋とか、調味料もどこに何があるのか全部知っているのね。私も、
失われた、三学期の記憶。
当時から私と
翌日の放課後。儀式は約束通り執り行われ、全校生徒の失われた記憶は戻り、私たちは本当の恋人になって――全てを思い出した。
* * *
すべての記憶を取り戻してから数日が経ち、私たちは夏恒例の受験対策講習に参加するため、泊まり掛けでクラブハウスを訪れていた。でも、進学する意味を見出だせない
「大学に行く理由?」
「おう!
「理由って言われても将来のためとしか言いようがないわ」
「もっと何かないのかよ?
「オレ? オレはとりあえず、スポーツ推薦が確定してる朱雀大学の体育科に進学するつもりだけど、サッカー強い
「フムフム。サッカーバカ、と」
「オイコラ、誰がバカだ!」
「
「いや、留学予定だ」
「......は? 留学って......あの留学かよ!?」
「他にあるかは知らんが、アメリカの大学へ進学が決まっている。夏休み明けからはリモートで授業を受けつつ、冬の選手権が終われば即渡米だ」
「スケールが違いすぎて参考にならねぇ......」
まさかの答えに、
落ちたペンを拾った
「俺は、医学部。スポーツドクターを目指したい」
それが、彼の解答だった。
* * *
「あ、
「
合宿最終日の夜、やわらかな月明かりが照らすクラブハウスのテラス席にひとりで座って、東京とはまるで違う満点星空を眺めていた
「また、入れ替わってるんだね」
「自分の課題を片付けてる間にお風呂に入ってもらってて。どうしたの?」
いったいどうしたのかしら。複雑な
「いや、その、
――
「自分で入ることにするわ」
「うん、そうした方がいと思うよ。
少し考えれば当たり前、他の男子に自分の彼女の裸を見られたらイヤに決まっている。時間がなくても、ちゃんと自分で入るようにしないと......。
「医学部を受験するって言っていたけど、
色々と話している間に話題は、また自然と進路の話になった。
「そのつもりで、朱雀を選んだんだけどね。
紙コップを口に運び、苦笑いの
「それだけ期待されているのよ。それにあなたなら、殿大の医学部だって受かる気がするわ」
「買い被り過ぎだよ」
「そうかしら。私は、そんなことないと思うわ」
去年の秋、絶対勝つと言って、宣言通り勝利を収めた。
――ううん、それだけじゃない。いろいろな相談に乗ってくれた一年の時も、
「今度の試合も応援に行くわね」
「それは心強いけど、受験勉強大変じゃない?」
「平気よ」
出来ることは、これくらいしかない。それに、参考書を持参すれば十分事足りる。そんなことを考えていると、ふと頭に思い浮かんだ。
「そう言えば、
「ああー、そうだね」
去年の夏休みの終わり頃、みんなで行ったプールで私と
この時は、ただ単純にそう思っていた。
でも、本当の理由を後日、私は知ることとなる――。
「転校......?」
「ええ。お父さんが急にアメリカの会社に転勤することになったわ。うららも、ちょうど卒業だから向こうの――」
受験本番まであと4ヶ月あまりに迫った秋の中頃、突然母から告げられた衝撃的な話に頭が真っ白になった。次気がついた時、私は真っ暗な自分の部屋のベッドに横になって、天井を見つめていた。
「......ゆめ?」
喉がカラカラに乾いていて、上手く声が出ない。それに、酷く頭が痛い。まるで風邪を引いた時のように気ダルい身体で壁伝いに階段を降り、リビングに入る。いつの間にか住み着いた黒猫と自分以外、誰もいない物静かな家。
夢だったのかもしれない――でも、そんな現実逃避な願いは一瞬で消え去った。ダイニングテーブルに置かれたメモ。母の直筆で「月末に出国するから、荷造りしておきなさい」と書かれていた。やっぱり、夢じゃなかった。
――私は、どうすればいいの......?
心の中で問いかけても、正解があるテストとは違って答えは導き貸せなかった。誰にも話せないまま、ただただ時間だけが過ぎ去って行く。告げられたあの日からの勉強に身が入らない。引っ越しの準備、海外の大学へ進学するための手続きと想像以上に多忙を極め、成績も必然的に落ちてしまった。
そして、転校を前日に控えた昼休み。
「俺は、もう一人で大丈夫だからさ......!」と、私の成績が落ちたことを自分の責任と想わせてしまって、寝る間も惜しんで一人で努力した
「俺、
「
この人には、もう私が居なくても大丈夫。
きっと......ううん、絶対に殿大に合格する。
だから私は、別れの言葉じゃなくて、心からの想いを伝えた。
――大好きよ、と......。
日が暮れ始めた、晩秋が近づく放課後。
思いを告げた後、部室の私物と教室のロッカーを片付け終えた私は、窓際一番後ろの自分の座って、窓の外に広がるオレンジ色に染まった街をぼんやりと眺めていた。
別に、今生の別れというわけじゃない。卒業式には卒業証書をもらうために、また
でも、その時、私は――。
「どうしたの?」
「――えっ!?」
突然かけられた声に驚く。だって、三年生は受験の追い込みで、もうみんな帰っている時間だから。まさか、こんな時間に誰かに声をかけられる何て思いもしなかったから。
何より、その声の主は――私の、始めての友達だったから......。