厳しい日差しが照りつけるアスファルトに揺れる陽炎、蝉時雨の波、異常な暑さにも負けず、逞しく咲く小さなアザミの花。梅雨らしい長雨もなく、比較的空梅雨だった初夏が過ぎ去り、本格的な夏の様相を見せ始めた七月下旬。高校生活最後の夏休みを数日後に控え、一学期の期末試験を終えた私は、新校舎に構えるフットサル部の部室へ足を運んだ。
部室は、蒸し暑い廊下とは違って冷房が効いていて、熱のこもった体を冷まし、額や制服の下にかいた汗もすぐに乾かしてくれる。けど、汗が乾いた後臭いとかやっぱり気になるから、デオドラントボディシートは夏の必須アイテム。
「その、ボディシート良い匂いですね。なんの香りですか?」
「バラの香りよ。匂いがキツすぎるのが多いけど、これは微香料で保湿成分も配合してるから、冷房が原因の乾燥ケアにもなるわ」
「あ、ほんとだ、すべすべしてる」
「てゆーか、日焼けもほとんどしないし」
「当然よ。部活中も、ちゃんと対策してるもの。女子たるもの常に人から見られていることを意識しなきゃダメよ」
「
「努力してるんですね、やっぱり。ただエロいだけじゃないんだー」
「ちょっと! その言い方やめてくれないかしらっ!」
「どうしたの?」
「あ、
「おつかれさまでーすっ」
部室に入るなり、不思議そうな
「それで、何話してたの? 廊下まで声が聞こえたけど」
「何でもないわ、他愛のない話よ。それより。
「
ここに居る時メールでやり取りしてるのは何度か見たことがあるけど、生徒会室へ直接呼び出されるのは珍しい。何か重要な用件なのかしら? なんてことを思いながら四人で話をしていると、
「受験のことで呼ばれたんだ。そこで、“7人目の魔女枠”ってので朱雀大学へ推薦での進学が決まった」
「あ、そういえば
「ええーっ、なにそれ、ずるーいっ」
「何言ってるのよ。
何て言っても、“7人目の魔女”の能力を使うと、みんなに自分のことを忘れられてしまう。魔女の能力を知ってる人には事前に学校の敷地外に出てもらえば忘れられないから、
「あっ、そうだ!」
「言っておくが、
「なーんだ、じゃあいいです」
宛が外れたノアちゃんは、露骨に興味を無くした。そんな彼女に対して、呆れ顔で
「サッカー部は、終業式から合宿なんですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、ここはどうするんですか?」
「大会に出るとか、何か目標があるわけでもないし」
「部員も、私たち三人だけ」
「そもそもこの部自体、魔女探しのためだけに作った仮初め部活だったからな」
――そうなのよね、魔女を探すことが目的だったのに。今みたいな関係になるなんて、去年出会った時には夢にも思わなかった。
「あん? ここフットサル部の部室じゃねーか」
「つーことは、こん中に魔女が居るのか!?」
ノックもなしに突然、部室のドアが開いて騒がしい声が背中から聞こえてきた。いちいち確認する必要もない、この緊張感のない声の主は、あの二人の男子。
「
「俺は、呼び捨てかよ!?」
「せんぱーいっ、ノアに会いに来てくれたんですねーっ!」
「ちげーし! 引っ付くな! おい、
「フム。どうやら、
「また、無駄足かよ」
「あんたたちねぇ。いきなりやって来て、いったいどういう了見なのかしら? ちゃんと説明なさい!」
「は、はい......」
私の一喝で、
「
「ま、そうなんだけど。けどよ、全校生徒の記憶を消さなきゃいけねぇほどの
「記憶が消されてなきゃ今頃、
「なッ!? んなこと、ちょっとしか思ってねーよッ! 俺はただ純粋にだな――」
――何が純粋よ、白状してるじゃない。
焦る
「ま、そう言うわけさ。
「あったら、会長に報告してます。生徒会にとっても、7人の魔女全員の把握は最重要案件ですし」
「それもそうだな。しかし、これだけ探して見つからねぇなんて、あと一人はいったいどこに――って居た! 行くぞ、
「行くって、オイ、
二人してどたばたと慌ただしく部室を出ていった。
「まったく、騒がしいわね。ドアくらいちゃんと閉めて行きなさいよ」
「あ、私、生徒会室へ行ってきますので」
ドアを閉めようとした私を制止して
「あれー? 今日、休みじゃなかったのー?」
「最後の魔女が見つかったみたいだから」
「たぶん、緊急会議の招集がかかる思うし」と、めんどくさそうに答えてからスクールバッグを肩にかけた
「先輩方はこれから、デートですか?」
「違うよ。今日はお互い個別の用事があるんだ」
「そうなんですかー、いつも一緒なわけじゃないんだ。あれ?」
「どうしたの?」
不意に階段の踊り場で、彼女が立ち止まった。全面ガラス張りの窓辺から校舎裏のグラウンドを不思議そうに見つめている。同じようにグラウンドを見ると、肌を焼くような強い日差しがさんさんと降り注ぐ夏空の下、対称的な短髪と長髪の制服姿の男子が二人、グラウンドのトラックを走っていた。
「今日って、部活ないですよね?」
「そのハズだけど」
テスト終わりで、運動部の殆どが休み。そもそも、制服に革靴で走ってるから運動部でも体育の補習でもなさそう。
「あっ、あれ、
「
「はい。あの杖とキザなブレザーのはおり方、間違いありません。生徒会室にふらっと現れては、人をおちょくってその反応を面白がってる問題児なんです!」
「でも、誰かと一緒に居るなんて珍しいな、学校ではいつも一人なのに」と続けた
「......もしかすると、一緒に走っているのが
「行ってみましょ!」
「って、
「魔女を見つけたって言って、
「たんなる気まぐれじゃないの。
「あり得ますね」
「じゃあ私は、生徒室へ行きます」
「ええ、私たちも行くわ。行きましょ、
けれど、
「ぜんぜん気づかないですね。せんぱーいっ」
「ん? どうしたの」
視界に入るように手を振って、ようやく気がついた。
「
「はい?」
「そ、そんなことないわよっ!」
――突然何を言い出すのかしらっ、この子はっ!
「冗談です」と、いたずらっこのように笑って「そろそろ生徒会室へ行きます。また明日」と言って、校舎へ入っていった。私たちもグラウンドを離れて、校門へ向かう。
「結構おちゃめさんだよね。初めて部室に案内してもらった時は、真面目でちょっと堅い感じがしたけど」
「実際一緒に生徒会で活動していた時はそうだったわ。元会長の理不尽な命令には不快感を示したし、テキトーに仕事をする
でも、だからこそ
「あ、そういえばお茶の時間になると、いつも嬉しそうだったわね」
「そこは、やっぱり年相応の女の子だね」
「ええ。でも、さっきみたいに笑顔で冗談を言うことは一度もなかったわ」
あんなに楽しそうな表情も生徒会で一緒だった頃には見たことない。
「やっぱり、同級生の友だちが居るのが大きいのかもね」
「そうかもしれないわ、生徒会はみんな上級生だったし。だけど! 先輩をイジって楽しむのはどうかと思うわ!」
「きっと、二人とも面倒見が良いからだよ。ほら、
「ああー......アレックスのことね」
アレックス・スペンサーは、アメリカから来た留学生。
そして、うららちゃんの能力と同じ“入れ替わり”の能力を持つ、
アレックスは、文化の違いからかどうもコミュニケーションが取りづらくて、クラスで浮いた存在になってしまっていた。
「だけど、あなたたち容赦なく返り討ちにしてたじゃない」
「あれは、
「ま、確かにね」
体験入部の最中調子に乗ってサッカー部に来た
それでも
「ようやく来たね!」
話をしているうちにいつの間にか、ナンシーと待ち合わせした校門に到着。門柱に寄り掛かって腕を組んでいるナンシーが、やや不満気な視線を向ける。連絡しなかった私に落ち度があるから、ここは素直に謝っておきましょ。
「ごめんなさい。ちょっと急用があったの」
「ふーん、ま、いいけどさ」
「ところで、
今ここ居るのはナンシー、
「
「あら、そうなの。そういう事情なら仕方ないわね」
そう言えば、去年の今頃も忙しそうにしていたわ。因みにうららちゃんと
「へぇー、こんなところにカフェなんてあったんだね」
「ステキなお店ね。ワタシ、知らなかったわ」
「さすが、
「ふふーん、まーねっ」
本当は去年の秋、二回目のデートで彼が連れてきてくれたカフェ。落ち着いた雰囲気で、隣の席とも距離があって静かにゆったりくつろげるから、一人で訪れることも。
「ところであなた、いつまでそうしているつもりなの?」
席についてから、ずっとスマホとにらめっこしている
「ふぇっ!?」
「今日は女子だけでなんだから、そんなに身構えなくてもいいじゃない」
「そ、それは、そうなんですけど......」
相変わらずの人見知り。
「えっ!?
「そうなの。ウインドウショッピングしてたら、読者モデルに興味ないかって声かけられて」
「マリアちゃん、すごいですっ!」
「で、引き受けるのかい?」
「う~ん、まだ考え中かな? でも、将来アパレル関係の仕事に就きたいから――」
写真の中の
「
「え、なに?」
「進路の話です」
考え事をしていた間に、
「私は、女子大に行けたらいいなって」
「
「えっと、やっぱり男子はまだちょっと......」
「私も、進学よ。中間も今回のテストも手応えはあったから推薦をもらえると思うわ」
「さすが、
「あっははっ! 愛の力は偉大だねー」
頬杖をついて、ニコッと微笑む
「何よ?」
「いや、ちょっと意外だと思っただけさ。
――何よそれ、失礼しちゃうわね。いったい、どういう目で人のことを見ているのかしら。反論する前に、ナンシーは続きを話し出した。
「その証拠に自分の身だしなみは二の次みたいだしね」
「そんなことないわよ。どんなに忙しくたって、スキンケアを怠ったことなんて――」
「アタシが言ったのはそこじゃないよ。髪のことだよ」
「髪? あっ......」
指摘されて、意味がわかった。確かに今の私は、以前の私と違う。いつもショートボブだった髪は、いつの間にか肩にまで伸びて後ろで結べるくらいになった。
今までの私からすれば、こんなに長くなっても切らずにいるのは初めて――。
「人一倍気を使ってた
「ワタシは、羨ましいな。自分のことは二の次、好きな人の......大切な人のために生きられる。そんな人と巡り逢えるなんて」
「わ、私もそう思いますっ。大学に行きたいと思ったのも、ずっと引っ込み思案だった私が
「......私も、いつかそんな恋が出来たりするのかな?」
「できます、絶対ですっ、一緒にがんばりましょうっ」
「
「なら先ずは、その人見知りを克服しないとね!」
「う、ううっ......」
「あーあ、
「
「
「だから、
「あははっ」
みんな、それぞれの未来へ向かって歩き出そうとしている。
私は、どうなのかしら? 大学に行って何をしたいのか、自問自答をしてみても正直まだ、答えは見つからない。でも今は、好きな人の力になりたい。その気持ちだけは間違いない。
だって、あの人は――
――私の瞳に映る世界を彩ってくれた人だから。