視界に映るのは、真っ白な天井。
少し硬めの規格ベット、鼻につく消毒の匂い、窓際で揺れる清潔感のある白いレースのカーテンが、入院していた時のことを思い起こさせる懐かしい雰囲気。なぜ今また、医務室に居るのかというと試合後ミーティングを行うロッカールームへは行かず、負傷した足の治療のためスタジアム内に完備されている医務室へ直行したため。治療といってもそんな大ごとではなく、ちょっとつっただけだから大したことじゃない。
「
ベットに横になって治療を受けていたところ、血相を変えた
「どうしたの? そんなに慌てて――」
「どうしたの、じゃないわ! ロッカールーム行ったら、医務室で治療を受けてるって言うじゃない!」
大丈夫だと伝えておいてとは言ったんだけど、それは聞かずに飛び出して来てくれたんだ。不謹慎だけど、やっぱり嬉しい。
「大丈夫、ふくらはぎが少し張っただけだよ。だからこうやって、水分補給と患部のアイシング。それと、テーピングで固めとけばすぐに歩けるから」
「ホントなんでしょうね?」
「ほんとほんと、ですよね」
信じてもらうため、患部の処置してくれた女性看護士に話を振ると「ええ、心配ないですよー」と、どこか微笑ましそうにうなづいた。
「ほら、大丈夫でしょ」
「そう。ハァ、もう心配させないでよね?」
看護士のお墨付きが出たことで納得した
「まだ、走れる
「仕方ないわよ。本来は、冬に復帰の予定だったんでしょ。それなのに、無理して五点目を奪いに行って、それでケガしちゃ意味ないじゃない」
「はい、スミマセン」
大したことなかったとはいえ、心配させたことは間違いないから素直に謝っておく。
――でも、これがきっかけになるのなら安い出費。
治療が終わったことを告げるアラームが鳴り響いた。患部のアイシングを外した看護士がテーピングを巻こうすると「私がやります」と
「どうかしら?」
「スゴく動かしやすい。でも、いつテーピング巻けるようになったの?」
教えた覚えはないし、他の女子マネージャーたちにもこれほど手際よく巻ける人はいない。
「本とか、動画サイトを見て独学で覚えたわ。部室に入り浸ってる後輩たち二人にも協力してもらってね」
――あの子たちが練習台になってくれてたのか、今度何か埋め合わせしておこう。
「それじゃ戻りましょ。早く戻らないと、ミーティングが終わっちゃうわ」
「あ、そうだね。ありがとうございました」
「はい、お大事に」
俺たちは看護士と医者に頭を下げて、医務室を退室。
「来たか。ミーティングは、今さっき終わったところだ。今日は解散、明日は一日フリーだ。顧問と何人かのレギュラーメンバーと次の対戦相手が決まる試合を観戦する予定だが、お前たちは休んでいろ」
「たちって。私も?」
「監視を頼みたい。しっかり、療養させてくれ。全国が見えている今、故障で離脱でもされたらシャレにならないからな」
「そういうことなら任せておきなさい。しっかりめんどうを見てあげるわっ」
「俺は、子どもですか」
「痛いと素直に言う子どもの方が幾分扱い易い」
「そうよ。あなたは、もう少し自分の身体を大事にするべきだわ」
自覚があるから、何も言い返さない。二人から、実に耳の痛い有難いお説教をしていただき、デビュー戦を勝利で飾ったスタジアムを後する。すると偶然にも、対戦相手の帝王学園サッカー部とばったり出くわした。大差で負けるなど夢にも思っていなかったのだろう。俺たちの数メートル前を落胆した様子で歩く集団の中に、アイツの姿を見つけた。向こうも俺たちに気がつき、苦虫を潰したような表情で歩いてくる。
「そういえば、ドリンクのストックが切れていたな。マネージャー、買い出しに付き合ってくれ」
「えっ? でも――」
気を利かせてこの場を離れようとする
「......わかったわ。行きましょ、
不満半分心配半分といった感じで渋々、この場を離れて行く。二人が見えなくなった直後、眉間に皺を寄せ憮然とした表情の
「この借りは、冬に倍にして返す」
すれ違いざまにそう言い残して過ぎ去ろうとした背中に向かって、言葉を投げつける。
「ムダだ、もう勝負はついた」
「たかが一度勝っただけでいい気になるな。必ず物にしてみせる......」
「何度やっても結果は変わらない。お前だって、本当はもう分かってるんだろ。こんな
問い掛けに答えることなく、バスが待機している駐車場へ歩いて行くその後ろ姿に、どうしようもないやるせなさを感じて思わずタメ息が漏れる。
「どうしたの?」
「――えっ?」
顔を上げると、すぐ近くに
「今の、対戦相手の人よね?」
「うん、少し話してただけだよ。他のみんなは?」
「買い物に行ったわ」
「買い物?」
「ええ、初出場とベスト4進出のお祝いをしようってことになって。電話しても通じなかったから直接呼びに来たの」
そういえば、スマホの電源を切ったままだった。
「ごめん。電源切ってた」
「ううん、すれ違いにならなくてよかったわ。
「ああ、
「あら、うららちゃんじゃない」
「心遣いはありがたいが。俺は明日、朝イチで偵察へ行く予定だから、今日は早めに休みたいんだ。気持ちだけ受け取っておく」
「そう、それなら仕方ないわね。お疲れさま。それから、おめでとう」
「サンキュー。お前も早めに上がれよ」
「分かってる」
「じゃあな」とスポーツバッグを担ぎ直し、くるりと踵を返して軽く手を上げて、バス停へ向かっていく背中を見送る。
俺たちは別路線のバスに乗り、パーティが催される
「相変わらず、大きい家ね」
「だね」
「もう、みんなは来ているかしら?」
「おっ、来たか」
「スゲーうまそうじゃん。イテッ!」
「ダメ。まだ盛り付けが終わってないんだから!」
料理上手な
「いいだろ、いち枚くれーよ」
「ダーメっ!」
「
「
「えっ、マジかっ?
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないくれる!?」
「よく言うぜ、バーベキューセット全部運ばせたクセによー」
「平等な対価でしょ。アンタはどうせ、セットし終えたあとは食べるだけなんだから」
「うぐっ......」
理不尽を訴えるつもりが完全に言い負かされていた。しかも、ド正論で。
「まったく、キミたちは......」
二人のやり取りを呆れた
「先ずは、今日の主役を出迎えるのが先じゃないのかい?」
そう諭した
「ベスト4進出おめでとう。僕も鼻が高いよ」
「まだ会長として何も実績ねーもんな」
「
「まったく、相変わらずね。
「おうよ、食材は好きに使ってくれていいぜー」
「手伝うよ」
「テーピングで固めてる足じゃ立ってるのも辛いでしょ。いいから座って待ってて」
確かに、ここはお言葉に甘えさせてもらおう。
「あっ、ちょっと待って今荷物退けるから」
「ありがとう、
椅子にある買い物を退かそうとしてくれた
「そう? って言うか、アンタたちはサボってないで手を動かす! 真面目に手伝ってる
「へいへい」
「言われなくてもわーっているって」
「あ、先輩、おめでとうございまーす」
「おつかれさまでーす。ノアの応援のお陰ですねー」
「あはは、そうだね。二人とも応援ありがと」
「いえ。てゆーか先輩、その足......」
「少し張っただけで大したことないよ」
「そうですか。もしかしてそれ巻いたの、
「そうだよ」と答えると、練習に付き合った甲斐があったと彼女は笑った。
「と言っても、一番体張ったのは
「そうそう、今、先輩のスネちょーキモいんですよー」
「お前が、原因だろうがッ!」
近くで大型ペットボトルを運んでいた
「何があったんだ?」
「聞いてくれ。
「うわぁ......」
シャレにならない、スゲー痛いヤツ。
「言っておきますけど、私は関係ないですよー?」
「あ、ずるーい、止めなかったじゃん」
「だって、面白そうだったし」
「お前らなぁ......」
「料理出来たわよー! ノアちゃん、
「んじゃあ、
* * *
パーティは夜になって、お開きになった。
手分けして庭の片付けを済ませ、いざ帰ろうとしたその時、夜空から雨粒が落ちてきた。みんな、すぐに止むだろうと高をくくっていたのだが、雨はいっこうに止む気配はなく降り続けた。帰れない程の雨足ではないのだが、
風呂を借り、ベランダに出る。今なお、雨は降り続いている。雨が当たらない壁に寄りかかり、静かに目を閉じる。地面や屋根に当たった雨粒が弾ける音、土と緑の混ざりあうどこか懐かしさを感じるニオイ。雨の日の情景に耳をすます。
「あっ、
「ん? ああ、
目を開けると、
「どうしたの?」
「涼んでただけだよ。エアコン苦手なんだ」
「入院していた時もつけてなかったわね」
懐かしそうに微笑んだ
「試合のあと、相手の人と何を話してたの?」
「大したことじゃないよ。昔の知り合いだったから少し話しただけ」
「そう」と、
「でも、あの時のあなた、少し寂しそう見えたわ」
ドキッとした。
どうやら見透かされてるみたいだ。
小さく深呼吸をして心を落ち着かせて、
「俺さ......」
「ん?」
「あ、いや。俺、憧れていたんだ」
「憧れ?」
「天才とか、才能とか、そんな簡単に口にしたくないんだけど、
サッカー部に入部して、初めて
こんなスゴいヤツに追い付きたいと、俺は必死に練習した。猛練習の甲斐もあって、二年からベンチ入りを果たし、試合に出ることが増えてきた。ただその時にはもう、アイツは既にチームの中心選手になっていた。
だが、ある出来事が
ただ、唯一許さなかったのは――アイツ自身だった。
その日から、司令塔に拘り出した。
自身の練習と平行して、別メニューで練習を続けた。そして、三年が引退して部内で行った最初のミニゲーム。本来ポイントゲッターの
その異常さに危機感と恐怖感を覚えてた顧問は、
追われるプレッシャーは半端なかった。
必死に練習して身に付けた新しい
「時期が時期だけに動揺は走ったけど、いざ大会が始まれば気にする余裕なんてなくてそれっきり。それで結局、アイツ、今も何も変わってなくて。本当ならもっと出来るのに、くだらないことに拘って、才能を無駄遣いしてる」
本来なら今頃、全国で脚光を浴びててもおかしくないくらいの実力を持ってる。だから俺は、今日の試合でフットサルで培った経験と技術を織り混ぜた中学時代とはまったく異なる新しいプレースタイルで、試合終了の笛が鳴るその最後の瞬間までケガのリスクを犯してでも全力で得点を奪いにいった。
今なお拘り続けていることがどれだけ無駄なことか、それに気づいてれさえすれば――。
「本当に、そうなのかしら?」
「え?」
「何となくだけど。
「別の理由?」
「ええ。だって、前の大会は全国大会に進めなかったんでしょ? それなら、中学生の頃の
確かに、
――だったら、どうして今も......。
思考を巡らせている最中ふと空を見上げると、雨はいつの間にか止んでいた。薄暗い雲の切れ間からは、銀色に輝く満月が姿を見せ、雨上がりの澄んだ夜空を鮮やかに彩る。
しばらく静かに眺めていたい、そんなことを思っていると部屋の中から「いやあぁーっ!」と静寂を切り裂く大きな悲鳴が聞こえてきた。
「今の悲鳴は......」
「
「だよね? どうしたんだろう」
頭文字にアルファベットのGがつく昆虫でも出たのかな。
「そろそろ、戻ろっか?」
「ええ、そうしましょう」
夜空に浮かぶ目映い輝きを放つ満月に少し名残惜しさを感じつつ、部屋に戻る。
「今の話、オフレコでお願い。ちょっと恥ずかしいから」
「それは構わないけど、どうして私に話てくれたの?」
「どうしてだろう。親しくなったからかな? こんなこと知られたら、
「ふふっ、私もきっと、
「はははっ、お互い大変だね。うれしいけど」
「ええ、本当に――あっ!」
不意に
「どうしたの?」
「私、わかった気がするわ」
「なにが?」
「
「みんな、楽しそうだからよ」と、