いよいよ三年夏のインターハイ予選大会が幕を開けた。
去年の冬の選手権、新人戦で好成績を残したことで今大会のシード権を獲得した朱雀高校は、二次予選からの出場。クジ運にも恵まれ、リーグ戦を順当に勝ち上がっていった。そして、二大会阻まれてきたベスト8の壁を三度目の正直で突破し、明日ベスト4進出を賭けた準々決勝を迎える。
試合前日の練習を終えていつもの様に、
「よっ! お二人さん」
「どうしたんだ?」
「あなた、まだ帰ってなかったのね」
「待ってったんだよ。お前らをな......!」
そういって、また無駄に爽やかにウインクをして見せた。
と言うわけで途中、商店街で夕食の買い物をしてから三人でアパートに移動。家に着くと、
「それで?」
「ああ~、ちょっと待ってくれ」
待っている間、寝転がってスマホをイジっていた
「とりあえず、ベスト8おめでとさん」
「ああ、ありがとう」
とは言ったものの、実のところ俺はまだ、試合に出ていない。今年は良い一年が何人か入って選手層は厚くなったし、苦戦するような試合運びにはなっていない。
「んで。明日の試合だけど、みんなで応援に行くからな!」
スマホをイジっていたのはそれでか、先日中間試験も終わって時間に余裕が出来たから、みんなを誘って応援に来てくれるそうなのだが。
「別に来なくていいよ」
「お前、友だちなくすぞ......?」
「そういう意味じゃないって。応援は準決からでいいよってこと」
「準決からって何で? 明日は、楽な相手なのか?」
「そんなことないわよ。明日の対戦相手は去年の秋、
キッチンから三人分の夕食を乗せたおぼんを持って来た
「スゲー美味そう! つーか、厳しい相手っていう割りにはずいぶん余裕みてぇじゃね?」
「そうなのよねぇ。組み合わせが決まってすぐ『4強は確実だな』って、
「苦労してたベスト8どころか、ベスト4かよ。何でそんなに余裕なんだ?」
「ま、相手の手の内は知れてるから。負けるワケがない。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
手を合わせてから、料理に箸を運ぶ。豚肉に絡んだ生姜と醤油、みりんの絶妙な塩梅のタレが口の中に広がって、白米も進む。
「うん、スゴく美味しい」
「マジで美味いな!」
「ふふーん、当然よ!」
「でもよ、相手もお前のことは知ってんだろ? 前に相手校に居るヤツと同じチームだったって言ってたしさ」
確かにアイツは、古豪・帝王学園で十番を背負う司令塔の
そう、“中学時代”の俺のプレースタイルを――。
「そういえば、
夕食を食べ終わると思い出した様に話を切り出した
「まあ、なんだ、ストーカーは犯罪だぞ?」
「ストーカーじゃねぇーし。つーか、何で知ってんだよ?」
「被害を訴えてる女子は、私のクラスの子なの。目撃証言もあるわ。あなたたち、いったい何を企んでるのよっ?」
「お前のクラスだったのかよ......」
否定せず、めんどくさそうに目を逸らした
「あの子、極度の人見知りなの。
「それはまたずいぶんだね」
「私、何度も声をかけてるの。でも全然馴れる様子がなくて、同じ中学の子に聞いたら特に男子が苦手だそうよ。だから、どんな事情か知らないけど、あまりしつこく付きまとわないであげて」
「つってもなー、もう接触しちまったんだよなー」
両手を頭の後ろで組んでニヤッと白い歯を見せて笑い。対照的に、
「んなデカイタメ息つくなよ。今回の一件は、
「どういう意味よ?」
「その前にだ。そもそも今回の件は、オレたちの消された記憶に関係してんだよ」
先の修学旅行で判明した、驚愕の事実。
俺たちが一年だった頃の三学期の記憶が、朱雀高校の生徒全員から消されているということ。それは以前、当時の生徒会の儀式によって消されたと
「更にとんでもねぇことが判明しちまったんだ。実は当時、
「イヤ、知ってるけど」
「知ってるわよ」
「は......?」
まるで、鳩が豆鉄砲を食ったように固まった。
「イヤ、なんで知ってんだよ......?」
「俺、当時の記憶あるし。彼女が居たって噂を聞いたことあるから」
「私は、その話を
「なんだよ、それ。オレ、ピエロじゃねーか......」
ふて腐れた
「もう。それで? それが、私とどういう関係があるって言うの?」
「おう、そうだったな! これ見ろよ!」
一瞬で立ち直った
「これ、私っ?
「この画像の
「そんな......」
明かされた真実に、
「夜飯、ごっそさん。じゃあまたな」
「ああ、また。気を付けて帰れよ」
「おう!」
玄関の外で
「ありがとう」
「別にいいのよ。これくらい大した事じゃないわ」
後片付けをしてくれた
「やっぱり気になる?」
「さっきの話? そうね、確かに驚いたわ。でも、当時がどうだったか何て興味ないわ」
――なんでだろう。ナンシーに消された一年の二学期の記憶の時とは、ずいぶんと反応が違う。
「仮に記憶を取り戻して、どんな真実が判明したとしても。私は、私の今の気持ちを大切にしたいの。だから――」
一瞬触れるだけのキスを交わし、彼女は隣に移動して寄り添い合う。
「私、間違って無いわよね......?」
「うん、間違ってないよ」
もう一度、お互いの気持ちを確かめ合うように。さっきよりも長い時間をかけて、互いの気持ちを重ね合わせた。
* * *
準々決勝当日。今日は、梅雨入り前の最後の晴れ間だと気象予報士が言っていた。その予報通り、蒼く晴れ渡った空から降り注ぐ日差しが手入れの行き届いた鮮やかな緑色の芝のピッチをより鮮明に映えさせている。
試合前の練習時間、足を止めて立ち止まり目を閉じる。ピッチを抜けるやや生温い風が頬を掠め、土と緑の香りが混ざった自然な匂いを運んでくる。その風と匂いにどこか懐かしさを感じながら、ひとつ大きく深呼吸をして、ゆっくり目を開らく。
両校の選手たちが声を出し、ちょうど試合前の練習を始めたところ。――よし、行こう。
「
練習に合流しようと足を踏み出そうとした時、朱雀高校応援スタンドから
「よっす! 応援に来てやったぜー!」
「やっほー、応援に来てあげたわよっ!」
「
超常現象研究部のみんな、
「ええ、中間試験が終わったから。それに
「お前、スゲー自信ありだったろ。どうせ観に行くなら、勝ち試合の方がいいからな」
「そっか、ありがとう」
「礼なんていいっての。つーかお前、こんなところで油売ってていいのか? 他の連中は、もう練習してんだろ?」
「ああ、それは大丈夫。俺、スタメンじゃないから」
「えっ? 先輩、出ないんですか?」
「先輩が試合に出るって言うから、ノアたち応援に来たんですけどー」
「戦術があるんだろう」
スタートから試合に出ないと知って、みんな少し拍子抜けしたといった感じ。
「ま、たぶん途中から出ることになるとは思うから、その時は応援よろしく。じゃあ、そろそろ行くよ」
「私も、サッカー部の応援席へ戻るわ」
「あ、そっか。
「そうよ。じゃあ、また後でね」
俺はグラウンドへ、
朱雀高校ベンチ側タッチラインの外に転がっていたボールを足で掬い上げ、リフティングでボールと芝の感触を確かめながらピッチに入り、センターサークル付近まで行く。
夜に降った雨は止み、日が出ているとはいっても、湿った芝のピッチはややスリッピーな状態。足下には少し気を遣う必要がある。そのまましばらくリフティングを続けていると、背中越し声をかけられた。
「まさか、
誰か確認するまでもない、
「まあ、どこが相手だろうと関係ないけどな。
――まったく、よく喋る。それだけ自信があるということなのだろうが、構わずリフティングを続ける。足から伝わる感触は悪くない、いつも通り。
「無視するな。こうして話しをしに来たんだから」
「試合前の練習中の対戦相手に話しかけるのは、マナー違反だ」
「そう固いこと言うな。オレは、オマエの復帰を心から嬉しく思ってるんだ。故障したお前とはもう二度と、フィールドで会うことはないと思っていたからな」
「そりゃどうも」
「お前の意見を聞きたい、来てくれ」と、ベンチ前で顧問と守備戦術の確認を行っている
「お前、出るんだろ?」
「試合展開によってはな」
「フッ。そうか、楽しみにしてる」
自信満々な様子で小さく笑みを浮かべると、練習へ戻って行った。しばらくして練習が終わり、両校の選手共にベンチへ戻って最終ミーティング。ゲームプランの確認と共有をし、円陣を組む。
「前半理想はリード、最悪でも同点で後半に入るぞ。そうすれば勝てる。さあ、冬の借りを返しに行くぞ!」
主将
主審は腕時計の針に目をやり、試合開始を告げるホイッスルがスタジアム中に響き渡る。
帝王学園のキックオフで試合開始。
いよいよ、ベスト4進出を賭けた一戦が幕を開けた。
* * *
前半戦も中盤、試合は終始うちのペースで進んでいる。
相手の攻撃を確実にシャットアウト、チャンスはおろかペナルティエリア内からのシュートも一本も打たせない鉄壁の守備。そして攻撃面では、完全に引いて守って一瞬のカウンターを狙っていた冬とは違って、高い位置から奪ってのショートカウンターで、相手ゴールネットを揺らせずとも何度かチャンスを作っている。
「ここまでは、お前たちの試算通りに進んでるな。あとは、フィニッシュの精度だけか」
「はい」
顧問の言うようにあとはフィニッシュだけ、このペースでいけば、いずれゴールは奪えるだろう。
しかし、ゲームが進み終盤に差し掛かった時、予想していなかったことが起きた。主審の笛が鳴り響き、ゲームは中断。朱雀高校ゴール前に選手は集まり、ただならぬ異変を感じ取ったスタンドもざわつき出す。慌てて立ち上がった顧問は、監督が指示を出せるテクニックエリアのギリギリまで飛び出し、近くの選手を呼びつけて状況を確認。
すると主審は、両ベンチの中間地点で待機している第四の審判に担架を要請した。担架を持ったスタッフ四人が走ってピッチへ入り、ゴール前で倒れている選手を担架に乗せ、ベンチ前に連れて戻って来た。倒れていたのは、朱雀の選手。相手のコーナーキックで相手選手との競り合いの際、頭を打ったらしい。本人は大丈夫だと言っているし、意識もしっかりしているが、場所が場所だけに「はい、そうですか」とは無責任に判断は出来ない。
脳震盪のおそれがあるため、医療スタッフの診察を受ける間も試合は進む。人数が一人少ない状態では必然的に劣勢を強いられる。ひとり欠けた場所を攻め込まれ、フリーになった相手の強烈なシュートがキーパーの腕を弾き、ゴールバーを叩いた。
それを見た顧問は険しい表情で、俺に顔を向ける。
「これ以上は、厳しいか......行けるか?」
「行きます」
「はい、頑張ってね」
「ありがと」
ベンチ入りしている同級生の女子マネージャーから貰ったスポーツドリンクをひとくち飲んで、選手交代の手続きを済ませる。ディフェンスのクリアボールが、タッチラインを割った。第四の審判が選手交代のボードを掲げ、主審は選手交代を認めた。
ひとつ息を吐いて、ピッチに足を踏み出した。