黄昏時の約束   作:ナナシの新人

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Episode47 ~潮目~

 クリスマス冬合宿からひと月あまり、年を越して新しい年を迎えた。今年の冬は、最終的に暖冬とだったとされる去年と比べると、かなり寒い。特に新年に入ってからはより、冬らしい寒い日が増えて、都心の交通網に支障をきたすほどの積雪も記録した。ニュースに出演していた気象予報士の話では、日本列島全域で冷たいシベリア寒波が停滞していて、その影響を受けて、全国的に大寒冬となる見込みとのこと。

 この数年に一度の大寒波と同調するかのように、朱雀高校でも、安定を保っていた体制を揺るがす程の冬の嵐が吹き荒れていた――。

 

 

            * * *

 

「はぁ......」

 

 一月下旬、ある日の放課後。バイト先のフットサルコートのベンチに座っている小田切(おだぎり)が、大きなタメ息をついた。今日は、これで三回目。ここ最近は、ずっとこんな調子で心配になる。

 

「大丈夫?」

 

 声をかけると小田切(おだぎり)は、はっとした感じで顔を上げた。相当、重症。声をかけられるまで気づかなかったみたいだ。

 

「えっ? あっ、ええ、平気よ」

 

「それに、こうなったのは......」小声で何かを言いかけた後、淡い薄紅色の唇をキュッと結んで、深刻な顔で目を伏せてしまった。こんな姿で平気と言われても疲れが、特に心労の方が貯まっているのは目に見えて解る。

 年を跨いでから突如として勃発した、とある問題に、小田切(おだぎり)を含めた生徒会一同は、毎日下校時刻まで対応に追われていた。

 その問題は――現生徒会に対するリコール運動。

 現生徒会に不満を持つ一部生徒によるリコール運動は日に日に激しさを増し、既に全校生徒の1/3の署名が集まっていて、リコールに必要な過半数に到達するのも時間の問題になっている。このままの勢いで行けば来週の頭には過半数に届き、リコールが成立する見込み。そうなれば、指名制度を敷いている朱雀高校においては実に、40年振りの全校生徒参加(3年生は、3月で卒業のため不参加)の投票による、選挙戦へと突入することとなる。

 一応、生徒会と関わりのある俺としても、何か力になれればいいんだけど。そんな俺の思いを見透かしたように、いつの間にか顔を上げた小田切(おだぎり)は、心配するなと言うように、俺の右膝へ目を向けて微笑んだ。

 

生徒会(わたしたち)のことはいいから。あなたは、自分のことだけを考えて。ようやく、治ったんだから」

 

 そう、二年半という長い期間を経て、俺の右膝は完治した。

 故障当初の検査結果は骨折、脱臼及び、前十字靭帯部分断裂。骨折した場所が悪く、更に成長期と重なったことで、下手をすれば骨が曲がって再形成される可能性もあって、長い時間をかけての治療を余儀なくされた。しかも、治ったとしてもケガ以前のようなプレーを出来る保証もなかった。

 それでも、希望を棄てなかった。

 それは全て、あの日交わした、約束を果たすために......。

 

「あっ、そろそろ帰らないと」

 

 クラブハウスの外壁に掛かっている時計を見る。いつもよりも、少し早い時間。

 

「今日は両親が遅いから、弟に夕飯を用意してあげるの」

「受験って言ってたね」

「ええ、そうなの。まあ、二人とも、朱雀(うち)の高等部と中等部への内部進学だから、殆ど決まっているようなものだけどね」

 

 前のグループが予定時刻よりも早く切り上げたお陰で準備は済んでいるから、駅まで送って帰ってくる時間は充分あるけど、彼女はそれを望まない。先日同じようなことがあった時「バイト中でしょ。こういうことで迷惑はかけたくないの」と断られたことがあった。だから見送りは、敷地を出た歩道まで。

 

「じゃあ、また明日。気を付けて」

「ええ、ありがと。あっ、そうだわ!」

 

 駅へ向かって歩き出した直後、小田切(おだぎり)は何かを思い出したように、身を翻して戻ってきた。

 

「今日も、バイトが終わってからトレーニングするんでしょ。わかってると思うけど、私が見てないからって無理したらダメだからっ」

 

 やや上目使いでまっすぐ顔を見て、釘を刺された。

 バイト終わり、空いているコートを使わせてもらって、日課のランニングで汗を流していると、防球ネットの向こう側から、声をかけられた。

 

「まだ、続けるのか?」

 

 足を止めて、声の主を確認する。

 声をかけてきたのは、生徒会リコール運動の発起人の一人――五十嵐(いがらし)

 休憩がてら、クラブハウス前のちょうど風が当たらないウッドデッキで、話すことにした。五十嵐(いがらし)と最後に会ったのは12月の始め頃、今年に入ってからは初めて。あの日も今日と同じ、寒さの厳しい夜だった。

 

「久しぶり」

「ああ、しばらく」

 

 簡単な挨拶を交わしたあとベンチコートを羽織り、スポーツドリンクで水分補給、フェイスタオルで額の汗をぬぐう。冬だというのに、汗は拭いても拭いても溢れ出てくる。こういう時は、タオルを巻いてしまう方が楽。熱の通り道を作り、額にタオルを巻く。

 この様子を黙ったまま見ていた五十嵐(いがらし)は、手の中で握っていた緑茶のボトルをテーブルに置いた。

 

「お前、いつもそんなになるまで走っているのか?」

「ん? ああー、まあそうだね」

 

 小田切(おだぎり)が居ると、こうなる前に止められるから、彼女が居ない時限定になるけど。

 

「まだ、病み上がりだろう。少し飛ばし過ぎじゃないか?」

「オーバーワークなのは分かってる。だけど、実力(チカラ)を見せなきゃいけない」

「力?」

 

 うなづいて、逆に尋ねる。

 

「入学からずっと部活を頑張ってきてさ。最後の大会でいきなりレギュラーを奪われたらどう思う?」

「まあ、面白くはないだろうな」

「だろ。だから俺は、見せなきゃいけない。二年間本気でやってきたヤツらの、更にその上を行かないといけない。そうでないと、誰も納得しない。それでもし壊れたら、その程度だったってことだ」

「......なぜ、そこまで賭けられる? 所詮は、部活働だろう」

 

 確かに、学校の部活は教育の一環。もしまた故障したら、次はもっと深刻な状況に陥ることあるかもしれない。そのリスクを考えれば、これほど無謀でバカげたなことはないだろう。だけど――。

 

「譲れないことはある。たとえそれで、誰かを、大切な人を悲しませたり、辛い想いをさせることになったとしても。絶対に譲れないことはある。それは、お前も同じじゃないのか?」

 

 五十嵐(いがらし)は険しい表情で目を伏せ、小さく笑みを浮かべた。それはどこか自虐的に見えて、それでいて儚げで、まるで何かを悟ったような笑みに思えた。

 

「......そうだな。あいつは、小田切(おだぎり)は、俺を恨んでいるだろう。それとも、呆れているか?」

「むしろ逆、自分を責めてる。言葉には出さないけど」

 

 時折、酷く辛そうな表情(かお)をすることがある、見ていられないくらいの。

 

「......そうか、俺のせいだな」

 

 そういうと、黙りこんでしまった。五十嵐(いがらし)にも信念が、何か特別な事情があることは分かる。好意を寄せていたハズの小田切(おだぎり)を悲しませてまで、しなければならないほどの特別な事情が。けど、無神経に踏み込んでいいことじゃない。

 

「さてと、暇だったらちょっと練習付き合ってくれない」

「はあ?」

「ほら。もうそろそろ、球技大会だろ」

 

 毎年恒例、1月末に開催予定の球技大会。リコールが成立して選挙となれば、選挙後にずれ込むことも考えられる。どうなるにせよ、基礎体力強化を開始してひと月、現状どのくらい動けるかチェック出来るまたとない機会。

 

「ちょっと、実戦勘を取り戻しておきたくてさ。最近、フットワークばっかりだから」

「別に、構わないが......」

「サンキュ。あと本気で来てくれて構わないから、どうせ獲れないし」

「......ああ?」

 

 さっきまで辛気臭い顔をしていた五十嵐(いがらし)の表情がいっぺん、狙い通り挑発に乗って、ガチな顔つき変わる。

 

「上等だ、その鼻っ柱へし折ってやる!」

 

 客の居ないコートに入り、コートを脱ぎ捨て、腕まくりをしてやる気満々の五十嵐(いがらし)とやや距離を取って、向かい合う。

 

「じゃあ、行くよ」

「いつでも来い」

 

 センターサークル付近からボールを蹴り出し、五十嵐(いがらし)との距離を詰めてる。腰を落とし、半身に構えて守備体制に入った。挑発した甲斐があった、素速い反応でボールを奪いにくる。緩急にも喰らい付いて来る。

 ――これなら行けるか? 視線、重心、足下、複数のタイミングを計って、試したかった技を仕掛ける。バランスを崩して、片手をついた五十嵐(いがらし)の脇を抜ける。

 

「な、なんだ......今のは? 足が――」

「新技」

「狙ってやったと言うのか!?」

 

 驚いた顔をして、勢いよく立ち上がる。

 

「相当条件が揃わないと使えないけどね」

「条件?」

「そ。相手のフォローが居ない一対一であることと、相当反応の良い相手にしか使えない。五十嵐(いがらし)は、反射神経が良いから上手く嵌ってくれた」

「......褒められているのか、けなされているのか分からんぞ」

「いやいや、褒めてるって――」

 

 突如、右足に激痛が走った。あまりの痛みに、その場で両膝をついてしまう。

 

「つぅ......」

「お、オイ、どうしたッ!」

 

 五十嵐(いがらし)が、血相を変えて駆け寄ってきた。

 

「まさか、膝をやったのか!?」

「ふくらはぎつった......ちょーイテェー」

「......ハァ」

 

 心配して損したと言いたそうに、呆れ顔で大きなタメ息を漏らす。そんな顔されても、痛いんだから仕方ないだろう。

 

「悪いんだけどさ、肩貸してくれないか? マジで立てない」

「まったく、世話のかかるヤツだ」

 

 肩を借りて、コート脇のベンチまで連れていってもらう。

 

「後始末が済んだら、部活に戻る」

「了解。小田切(おだぎり)さんに伝えておく」

「......ああ。それと――俺も、前を見て歩くことにすると伝えてくれ」

 

 どういう意味なのかよく分からないけど、五十嵐(いがらし)は吹っ切れたのか、まるで付き物が取れたかのように、清々しい表情(かお)をしていた。

 そして翌週、潮目は大きく変わった。

 現生徒会のリコールが成立し、生徒の投票による選挙戦が行われることが正式に決まった。


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