クリスマス冬合宿からひと月あまり、年を越して新しい年を迎えた。今年の冬は、最終的に暖冬とだったとされる去年と比べると、かなり寒い。特に新年に入ってからはより、冬らしい寒い日が増えて、都心の交通網に支障をきたすほどの積雪も記録した。ニュースに出演していた気象予報士の話では、日本列島全域で冷たいシベリア寒波が停滞していて、その影響を受けて、全国的に大寒冬となる見込みとのこと。
この数年に一度の大寒波と同調するかのように、朱雀高校でも、安定を保っていた体制を揺るがす程の冬の嵐が吹き荒れていた――。
* * *
「はぁ......」
一月下旬、ある日の放課後。バイト先のフットサルコートのベンチに座っている
「大丈夫?」
声をかけると
「えっ? あっ、ええ、平気よ」
「それに、こうなったのは......」小声で何かを言いかけた後、淡い薄紅色の唇をキュッと結んで、深刻な顔で目を伏せてしまった。こんな姿で平気と言われても疲れが、特に心労の方が貯まっているのは目に見えて解る。
年を跨いでから突如として勃発した、とある問題に、
その問題は――現生徒会に対するリコール運動。
現生徒会に不満を持つ一部生徒によるリコール運動は日に日に激しさを増し、既に全校生徒の1/3の署名が集まっていて、リコールに必要な過半数に到達するのも時間の問題になっている。このままの勢いで行けば来週の頭には過半数に届き、リコールが成立する見込み。そうなれば、指名制度を敷いている朱雀高校においては実に、40年振りの全校生徒参加(3年生は、3月で卒業のため不参加)の投票による、選挙戦へと突入することとなる。
一応、生徒会と関わりのある俺としても、何か力になれればいいんだけど。そんな俺の思いを見透かしたように、いつの間にか顔を上げた
「
そう、二年半という長い期間を経て、俺の右膝は完治した。
故障当初の検査結果は骨折、脱臼及び、前十字靭帯部分断裂。骨折した場所が悪く、更に成長期と重なったことで、下手をすれば骨が曲がって再形成される可能性もあって、長い時間をかけての治療を余儀なくされた。しかも、治ったとしてもケガ以前のようなプレーを出来る保証もなかった。
それでも、希望を棄てなかった。
それは全て、あの日交わした、約束を果たすために......。
「あっ、そろそろ帰らないと」
クラブハウスの外壁に掛かっている時計を見る。いつもよりも、少し早い時間。
「今日は両親が遅いから、弟に夕飯を用意してあげるの」
「受験って言ってたね」
「ええ、そうなの。まあ、二人とも、
前のグループが予定時刻よりも早く切り上げたお陰で準備は済んでいるから、駅まで送って帰ってくる時間は充分あるけど、彼女はそれを望まない。先日同じようなことがあった時「バイト中でしょ。こういうことで迷惑はかけたくないの」と断られたことがあった。だから見送りは、敷地を出た歩道まで。
「じゃあ、また明日。気を付けて」
「ええ、ありがと。あっ、そうだわ!」
駅へ向かって歩き出した直後、
「今日も、バイトが終わってからトレーニングするんでしょ。わかってると思うけど、私が見てないからって無理したらダメだからっ」
やや上目使いでまっすぐ顔を見て、釘を刺された。
バイト終わり、空いているコートを使わせてもらって、日課のランニングで汗を流していると、防球ネットの向こう側から、声をかけられた。
「まだ、続けるのか?」
足を止めて、声の主を確認する。
声をかけてきたのは、生徒会リコール運動の発起人の一人――
休憩がてら、クラブハウス前のちょうど風が当たらないウッドデッキで、話すことにした。
「久しぶり」
「ああ、しばらく」
簡単な挨拶を交わしたあとベンチコートを羽織り、スポーツドリンクで水分補給、フェイスタオルで額の汗をぬぐう。冬だというのに、汗は拭いても拭いても溢れ出てくる。こういう時は、タオルを巻いてしまう方が楽。熱の通り道を作り、額にタオルを巻く。
この様子を黙ったまま見ていた
「お前、いつもそんなになるまで走っているのか?」
「ん? ああー、まあそうだね」
「まだ、病み上がりだろう。少し飛ばし過ぎじゃないか?」
「オーバーワークなのは分かってる。だけど、
「力?」
うなづいて、逆に尋ねる。
「入学からずっと部活を頑張ってきてさ。最後の大会でいきなりレギュラーを奪われたらどう思う?」
「まあ、面白くはないだろうな」
「だろ。だから俺は、見せなきゃいけない。二年間本気でやってきたヤツらの、更にその上を行かないといけない。そうでないと、誰も納得しない。それでもし壊れたら、その程度だったってことだ」
「......なぜ、そこまで賭けられる? 所詮は、部活働だろう」
確かに、学校の部活は教育の一環。もしまた故障したら、次はもっと深刻な状況に陥ることあるかもしれない。そのリスクを考えれば、これほど無謀でバカげたなことはないだろう。だけど――。
「譲れないことはある。たとえそれで、誰かを、大切な人を悲しませたり、辛い想いをさせることになったとしても。絶対に譲れないことはある。それは、お前も同じじゃないのか?」
「......そうだな。あいつは、
「むしろ逆、自分を責めてる。言葉には出さないけど」
時折、酷く辛そうな
「......そうか、俺のせいだな」
そういうと、黙りこんでしまった。
「さてと、暇だったらちょっと練習付き合ってくれない」
「はあ?」
「ほら。もうそろそろ、球技大会だろ」
毎年恒例、1月末に開催予定の球技大会。リコールが成立して選挙となれば、選挙後にずれ込むことも考えられる。どうなるにせよ、基礎体力強化を開始してひと月、現状どのくらい動けるかチェック出来るまたとない機会。
「ちょっと、実戦勘を取り戻しておきたくてさ。最近、フットワークばっかりだから」
「別に、構わないが......」
「サンキュ。あと本気で来てくれて構わないから、どうせ獲れないし」
「......ああ?」
さっきまで辛気臭い顔をしていた
「上等だ、その鼻っ柱へし折ってやる!」
客の居ないコートに入り、コートを脱ぎ捨て、腕まくりをしてやる気満々の
「じゃあ、行くよ」
「いつでも来い」
センターサークル付近からボールを蹴り出し、
――これなら行けるか? 視線、重心、足下、複数のタイミングを計って、試したかった技を仕掛ける。バランスを崩して、片手をついた
「な、なんだ......今のは? 足が――」
「新技」
「狙ってやったと言うのか!?」
驚いた顔をして、勢いよく立ち上がる。
「相当条件が揃わないと使えないけどね」
「条件?」
「そ。相手のフォローが居ない一対一であることと、相当反応の良い相手にしか使えない。
「......褒められているのか、けなされているのか分からんぞ」
「いやいや、褒めてるって――」
突如、右足に激痛が走った。あまりの痛みに、その場で両膝をついてしまう。
「つぅ......」
「お、オイ、どうしたッ!」
「まさか、膝をやったのか!?」
「ふくらはぎつった......ちょーイテェー」
「......ハァ」
心配して損したと言いたそうに、呆れ顔で大きなタメ息を漏らす。そんな顔されても、痛いんだから仕方ないだろう。
「悪いんだけどさ、肩貸してくれないか? マジで立てない」
「まったく、世話のかかるヤツだ」
肩を借りて、コート脇のベンチまで連れていってもらう。
「後始末が済んだら、部活に戻る」
「了解。
「......ああ。それと――俺も、前を見て歩くことにすると伝えてくれ」
どういう意味なのかよく分からないけど、
そして翌週、潮目は大きく変わった。
現生徒会のリコールが成立し、生徒の投票による選挙戦が行われることが正式に決まった。