小田切を駅まで送って行ったあと、スマホを家に置き忘れたことに気づいて急いで帰ったところ案の定、着信を知らせるランプが点滅していた。上着をハンガーにかけてから手を洗い、食べかけだった焼きうどんを電子レンジで温め直している間に、アプリのトーク画面を開くと、未読件数は10件を越えていた。
グループの招待者小田切から送信された最初のメッセージは「暴走している魔女についてだけど。問題を起こしているのは、猿島さん、大塚さん、滝川さんの三人でいいのよね?」と、改めて状況を確認する内容。
三人の中で特に魔女に詳しい山田と、小田切の二人のやり取りを読んでわかったことは、大塚は特に魔女の能力を悪用している様子はない。逆に積極的に能力を使っている猿島と、校内で再び反乱を起こそうと企てている滝川、この二人の魔女を早めに抑えることが重要になるということ。
一通り読み終え、状況を把握したところで、箸を片手にトークに参加。話の流れで猿島を小田切が、同じクラスの大塚には、俺が話をしてみることになり。その間山田と玉木は、滝川と取り巻き三人を監視することに決まった。
そして話題は、あらぬ方向へと進んでいく。
『ところで、白石さんはどうするのよ?』
『白石は、別にいいじゃねぇか? 特に問題行動も起こしてねーしよ』
『確かに今のところ、白石くんは問題を起こしてはいないね。彼女はね』
玉木が、妙に意味ありげで思わせ振りな書き方で投稿したメッセージは、事情を知らない俺たちの興味をそそらせる。
『なんの話よ? 白石さんが、どうかしたの?』
『なんでもねーよ。気にすんなって』
『山田くんは、白石くんに告白してフラレたんだよ!』
『玉木、テメェーッ!』
山田の抵抗もむなしく、口封じが出来ないチャットのやり取りの前では無力。玉木によって暴露された事実は、衝撃的なものだった......なんてことはない。俺と小田切は、山田が白石に恋心を抱いていることを、以前宮村から聞かされていたし。何より、彼女に接する際の態度を見れば一目瞭然でわかりやすい。
『えっ? あなた、白石さんにコクったの? しかも、フラレたのねっ』
『優等生の白石うららと、問題児の山田くん。さらに今の彼女には山田くんに関する記憶が無いというのにも関わらず、告白するなんて無謀にも程があると、僕は思ったけどね』
『うるせー! あれは、その場の勢いで言っちまったんだよ!』
多少の後悔があるようだ。まあ確かに、白石に忘れられている今、このタイミング想いを伝えるのは少々無茶だとは思うけど、意識してもらうには充分な効果が期待できる。
『ふーん、でも意外と男らしいところもあるのね。ちょっとだけ見直したわ』
『えっ? マジか!?』
『ちょっとよ、ちょっと。それで、フラれた理由は何だったの?』
詳細を尋ねた小田切は、この手の話題に興味津々のようだ。
『ああー、悪ぃ、妹に呼ばれた。ってことで、魔女のことは頼んだぜ! じゃあな!』
それから、山田からの返信はピタリと止まった。しばらくして玉木も「では、僕も失礼するよ。ラノベの続きを読みたいんでね」と、以降既読が付かないことを理由にトークを抜けた。
『今日は、ここまでみたいだね』
『そうね。じゃあ、大塚さんのことよろしく』
俺と小田切も「おやすみ」と挨拶をして、トークを終える。スマホを充電して、食べ終えた食器の洗い物を済ませる。タオルで濡れた手を拭いて戻ると、不在着信を知らせるライトが点滅していた。どうやら、水道を使用していた音で気がつかなかったようだ。テーブルのスマホを持って、ベッドに横になり確認する。発信者は、山田だった。送られて来た個別宛のメッセージは内容は「ちょっといいか?」と、一言だけ。「どうした?」と返事を返す。山田からの返信は、少し遅れてから返って来た。
――白石の好きなヤツって、お前なのか......?
* * *
朝、目覚まし時計とは別の着信音で目が覚めた。寝ぼけ眼で枕元のスマホを探し当て、通話ボタンをタップして耳元へ運ぶ。
「はい......」
『おはよう。私よ』
名前を確認せずに取った電話は、小田切。予想外の出来事に一気に眠気が吹き飛んだ。目覚まし時計を見ると、まだ午前6時前。これはまた、ずいぶんと早いモーニングコール。
「どうしたの? こんな時間に」
『その様子じゃまだ起きてなかったようね。よかったわ』
「よかった?」
『ええ、メッセージでもよかったんだけど。それで、今日のお昼なんだけど。潮くんを誘って、一緒に食べましょう』
「え? ああ、うん、それは構わないけど......」
『決まりね。お弁当は私が用意するから、またお昼に連絡するわ』
そして、迎えた昼休み。
すっかり秋らしくなった寒い北風を避けるように、校舎の外壁を背にして、屋上のひなたにレジャーシートを敷き、シートの中心に広げられた小田切お手製の豪華な弁当を囲う形で座る。
「どうしたんだ? 突然、一緒に昼飯を食べようだなんて」
「あら。私の手作りのお弁当じゃ不満だったかしら?」
「そ、そんなことはないぞッ!」
割り箸を持つと、おかずに箸を伸ばし勢いよくほうばった。
必死の五十嵐を見て、クスッと笑った小田切は、俺にも割り箸を渡してくれた。お礼を言って、弁当をいただく。おかずは冷えていても、しっかり味が染みていてどれも絶品。
「ところで、潮くん。あなた最近、山田と話したかしら?」
「山田? いや、話していないが」
五十嵐は箸を止めることなく、普段と変わらない様子で返事を返した。どちらとも取れる曖昧な回答。確証を得るために、次の質問へ移る。
「じゃあ、夏休みに山田たちと花火大会に行ったことは覚えてる?」
「山田と? 行った覚えはないが」
今度は、手を止めて顔を上げた。
どうやら、昼休み前に小田切から来たメッセージの内容。五十嵐も、“7人目の魔女”の能力にかかっているかも知れない、という仮説は見事的中した。
「ハァ、やっぱり忘れているのね」
「みたいだね」
「どういう意味だ?」
眉間にシワを寄せ、腕を組んで首をひねる五十嵐に、昨日の出来事を伝える。最初は戸惑って聞いていたが、花火大会の写真や、プールに行った時の写真を見せるとかなり動揺した様子を見せながらも、俺たちの言葉を信じてくれた。
「まさか、俺の記憶が消されていたとは......! しかしなぜ、お前たちは山田のことを覚えているんだ?」
「それが、わからないんだよ。小田切さん以外の魔女は、“7人目の魔女”の能力にかかってるみたいだし」
「そうなのよね。ねぇ潮くん、どんな感じなの?」
「ふむ......」
右手でアゴに触れながら考え込み、スッと花火大会の写真を指さした。
「この花火大会は、確かに行った記憶はある。だが、山田は居なかった」
「じゃあ、男女のペアで花火を見たことはどうなってるの? 山田は、白石さんとペアだったけど」
「俺の記憶では、白石と朝比奈が一緒に回っていた」
「朝比奈くんが? どういうことなのかしら......?」
「矛盾が生じないように、かな?」
五十嵐の話から推察すれば、山田の存在は記憶から抹消された代わりに、消えた部分が都合よく別の記憶に書き換えられている。山田の記憶を書き換えた生徒会側の“7人目の魔女”もやっぱり、ナンシーと同じ記憶操作の能力を持つ魔女――。
「宮内くん、大塚さんの様子はどうだったの?」
「山田たちが話した通りだったよ。まあ、元々物静かだったし。ほとんど変わった感じはしなかったかな。あと話をしてみたら、俺たちのことは覚えてたよ。猿島さんは?」
「私の方も同じよ。能力が原因で悩んでいたことは、キレイさっぱり忘れてるみたいだったけどね」
小田切と五十嵐、そして山田たちの話を総合すると。山田と玉木が関わった出来事は、記憶操作の能力にかかった側の方で都合よく書き換えられ、補完されていることが判明。白石から部活関係の話しを持ち出された理由もおそらくは、この影響によるものと仮定できる。
「それで、その魔女たちをこれからどうするんだ? 山田たちに頼まれたのは、魔女の説得なんだろう」
「そのことだけど。大塚さんは以前と同じで、能力を悪用するって感じはしなかったから、特に心配なさそうかな」
人と関わることが苦手な彼女にとってテレパシーは、山田の記憶を失った今も、重要なコミュニケーションツールになっていることは事実みたいだけど。
「猿島さんの方は、嬉々として能力を使ってる節があったから、ちょっと厄介だったわ。生徒会の方にカンニングを疑う報告が来てるって釘をさしておいたから、しばらくは大人しくなると思うわ。まあそのお陰で、今日の放課後試験勉強を見てあげるはめになっちゃったけど」
「あっ、それなら、大塚さんにも声かけていいかな? 冬に大きなイベントを控えていて、赤点取ると準備が間に合わないんだって」
「そういえばあの子も、成績良くなかったわね。いいわ、まとめて面倒見てあげましょ。潮くんは?」
「そうだな。俺は、滝川の様子を探ってみるか。山田と玉木ってヤツだけじゃ不安だからな。問題を起こしそうになったら連絡する」
「そう、じゃあお願い、頼りにしてるわ。さあ、お昼食べちゃいましょう」
話し合いで止まっていた箸を再び動かし、来週に迫った中間テストの話。それと小田切の生徒会役員の仕事に区切りついたら、みんなでどこかに出掛けられたらいいねと話ながら、彼女の絶品手作り弁当を美味しくいただいた。
* * *
放課後、約束通り四人で勉強会を開くことになった。まあ、それはいいのだけれど。自習室や図書室を使わず、俺の自宅アパートで行うことになったのは少々解せない。
「あの~、この問題なんですけど」
「そこは、この公式を使うんだよ」
「は、はあ? それは、なぜでしょう......?」
数学を勉強中の大塚は、教科書の応用問題を解くのに必要な公式を教えても、頭にハテナマークを浮かべて、手に持ったペンは一行に進まない。これは、相当な困ったさんのようだ。
「この問題は解ける?」
「あ、はい、これならなんとか......」
「うん、合ってる」
少し時間はかかったけど、一年の一学期の後半に習う公式を使って答えを導き出した。次は一歩進んで、二学期の後半までに習う問題を出す。大塚は、そこでつまずいた。
本棚から一年の頃の教科書を引っ張り出して、二学期に習うページを開く。
「じゃあ、ここからやってみようか」
「あ、あの私、二年生なんですけど......」
「もちろん分かってるよ。このふたつの問題を見て、何か気づかない?」
一年と二年の教科書を広げて見せる。大塚は、教科書の問題を見比べて顔を上げた。
「問題の前の方が、同じ公式が使われていますっ!」
「正解。進級して習う授業って、前年度の授業をちゃんと理解してないと解けないんだ。だからただ、公式を暗記してもちゃんと理解できてないと応用が利かないし、意味がないんだよ」
「そうなんですかー」
「そうなんです。じゃあ始めようか、先ずは――」
基礎の基礎からやり直し、深いところで本質を理解する。遠回りに思えることが結局、一番の近道だったりすることはよくあること。特に習い事に関しては、それが顕著だったりする。
「出来ました」
ノートに書かれた解答に目を通す。
「ふむふむ」
「あの、どうでしょうか......?」
「全問正解。よく出来ました」
「ほ、ホントですかっ? 小田切さんよりも、分かりやすいです!」
「あら、何か言って......?」
俺の隣で、テーブルを挟んで猿島の勉強を見ている小田切が目を細めて、大塚に冷たい視線を向ける。
「な、なんでもありません!」
「あっはっは! 寧々、落ちついてぇー」
「落ちついてるわよっ。それよりあなた、問題は解けたのかしらっ?」
勉強を開始して一時間、切りのいいところで休憩を入れる。
台所で飲み物を用意していると、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。訪ねてきた客人は山田、玉木、五十嵐の三人。彼らの手には、それぞれ買い物袋が握られている。袋の中は今、ここに居る全員分の夕食。
「えっ? じゃあ、ワタシと芽子の記憶が消されてるって言うのっ?」
「私、ぜんぜん実感がないんですけど......」
「そうでしょうね。潮くんも、あなたたちと同じだったわ。だけど、これを見て」
夕食を食べる前に、五十嵐の時と同様に小田切は、山田も写っている花火大会の写真を見せて、記憶を操作された二人の魔女に事情を説明。
「ホントみたいね」
「は、はい......」
「信じてもらえて良かったぜ!」
山田は、心底嬉しそうな表情を見せた。
「でも、なんで記憶を消す必要があるんだろうねー?」
「それは、生徒会長以外に魔女の存在を知られたくないからさ。魔女の能力を使い、クーデターでも起こされた堪らないからね」
「じゃあどうして、今まで消さなかったの?」
素朴な疑問を述べた猿島は、玉木の解答に更に質問をぶつけた。そしてそれは、核心をつく疑問。
「そうだよな。“7人の魔女”全員の名前を知ってから記憶を消す理由って、何なんだ?」
「......言われてみれば。会長は、魔女の存在を把握している訳だから。問題が起これば、そのつど記憶を消してしまえばいい」
「何か出来ない理由があるんでしょうか?」
「どんな理由?」
「そ、それは分かりませんけど......」
山田たちが意見を出し合う中、ナンシーから儀式のことを聞いている俺たちは、極力会話へ参加しないように努める。
たぶん、このタイミング記憶を消したのは、山田たち魔女殺しには、記憶操作が効かないから。それなら利用するだけ利用して、いっぺんに記憶を消した方が効率が良いとか、そんなところかだろうか。
あとは、7人全ての魔女を集めたらどんな願いでも叶うとかいう、とんでもない儀式を事前に阻止するため。絶対権力を持つ生徒会長が、儀式のことを知らないハズがない。
「って、何してるんだ?」
考え事をして気がつくと、目の前で猿島と山田がキスをしていた。口同士が離れた二人は、平然としていると猿島と、恥ずかしそうに照れている山田と対照的な反応。
「これからどうなるか、山田の未来を占ってあげようと思って。あれ? なにも見えないわ......!」
「あ、当たり前だ! 俺の能力は、コピーだって言っただろ! 未来が見えるのは、俺の方だっての!」
「あっ、そうだったねー。ごめんご、め......ん――」
屈託ない笑顔でだった猿島が突然、テーブルに突っ伏した。慌てて駆け寄った小田切が、彼女の体を揺さぶる。
「ちょ、ちょっと、猿島さん!?」
「こ、これは......!」
「どうしたと言うんだいっ?」
「ちょっと見せて」
みんなが心配している中、小田切の隣にしゃがんで猿島の様子を確かめる。顔色は悪くない、呼吸も整っているし、熱もなさそう。
つまり――。
「ただ、眠ってるだけみたい」
「眠ってるって、こんな突然?」
「とりあえず、毛布かけておこう。風邪引いたら大変だし」
ベッドの近くにいる大塚に毛布をとってもらい、猿島の背中にそっとかける。
「山田、どんな未来が見えた?」
「あ、ああ、それがよ。ベッドで寝てる大塚に、俺がキスしてるところ......」
「わ、私にですかっ? どうして私にっ!?」
訳もわからず涙目の大塚。
「まあなんだ、無理矢理は犯罪だぞ?」
「サイテーね」
「クズだな」
「山田くん、キミというヤツは......」
「まだ何もしてねぇーだろッ!」
とんでもない未来予知に山田は、まだ起こっていない出来事を弁解しようと必死。その騒がしい声に、眠っていた猿島が目を覚ました。
「んぅ? あれ、ワタシ、寝てた?」
「ええ、そうよ。突然寝ちゃったけど、大丈夫なの?」
「うん、なんかスッキリしたわ。あっ、山田っ!」
「だから、未遂だって言ってんだろ! あん? なんだよ」
「芽子にキスして!」
「......は?」
目を覚ました猿島は、山田の記憶を思い出した。そして大塚は今、ベッドで熟睡中。留守を小田切たちに任せて、俺と山田は買い忘れた飲み物を調達するため、近所のコンビニへと向かっている。
「だけど、まさかキスで魔女の記憶が戻るなんて......」
「魔女に消された記憶を、キスで目覚めさせるなんて。まるで、どこぞのお姫様の物語みたいだな」
正確には、ちょっと違うけど。一定の間隔で設置された街灯が照らす住宅街を歩いていると不意に、山田の足が止まった。明かりの点いていない白石の家を、どこか寂しそうに眺めている。
「連絡してみる?」
「ま、待ってくれ! ちょっとまだ心の準備が出来てねぇって言うか、なんつーか......」
戻そうと思えば今すぐにでも、白石の記憶を取り戻せる。でも一度フラレているからか、なかなか踏ん切りがつかないみたいだ。スマホをポケットにしまう。
「そっか、じゃあ行くか」
「お、おう」
俺たちは、再び歩き出す。
「安心していいよ」
「なにが?」
聞き返してきた山田に、昨日の夜返した返事をもう一度伝える。
白石の好きな相手は、俺じゃない。
それだけは、間違いない。