病室のベッドから、窓の外へ目を向ける。
時刻はもう16時を回っているのにも関わらず、まだまだ太陽は高く、気温も蒸し暑い。ビルが多い東京の街の中でも多くの木々が茂る病院の中庭では蝉時雨が響き、季節はすっかり夏の様相を呈してきた。
右膝の手術はあらかじめ、カルテを提出していたことで診察からトントン拍子に話が進んだ。手術日程が決まり、術前の精密検査の結果を受け、右膝の手術は段階的に経過を見ながら複数に回分けて行うことになった。日本有数の整形外科医師の執刀のもと一回目の手術は無事成功を納めたのだが、代償として、大きなモノを支払うことになってしまった。
それは――。
「......暇だ」
枕を背もたれにして読んでいた本を、ベッド脇のパイプ椅子に積んである本の上に重ねて置く。
支払った代償――それは、充実感。
手術から一月弱。当然のことながら、術後は入院生活を送ることとなり、加えて右足は絶対安静。右足はギプスで固定され、動きにも制限がかけられている。そんな訳で出来ることと言えば、本を読むことと勉強くらいなもので。自習に関しては既に一学期分の授業内容を、梅雨の季節が過ぎる頃には全て終わらせてしまい、今は二学期の内容に入っている。
入院して最初の頃は、男女問わずクラスメイトが毎日のように見舞いに訪れてくれていた。だが、彼らの学業の妨げになり兼ねないと担任に進言し、学期末の試験を終えるまで遠慮してもらうことにしたため来客も殆どいない。代わりにスマホへメッセージが増えたけど、それも徐々に落ち着きつつある。
メッセージの返信を終え、充電器に携帯を差し込むとほぼ同時に控えめに扉がノックされた。時間的に、看護師ではない。どうやら、来客のようだ。
「はい、どうぞ」
来客は、あの日のメッセージ以来一度もやりとりをしていない同じクラス女子生徒、
「ありがとう。助かるよ」
「別に。日直だから」
「そっか」
「......なに?」
事務的な対応が以前と同じで思わず笑ってしまう。
「いや、時間があるなら話しに付き合ってくれるとありがたいなって。入院生活って退屈なんだ」
「塾の時間までならいいわ」
「別に、つけなくていいわ」と、
「それで、この前の件は進展はあった?」
無表情のまま返事をしない。
「無いわけですか」
「......ん」
表情を崩さず、小さく頷いた。彼女の性格上、こうなるのではないかとある程度予想してはいたが見事的中してしまった。
「遠くから見てるだけじゃなくて、普通に話しかけてみれば?」
「普通にって。どうやって話しかければいいの?」
「どうやって、て。今してるみたいにすればいいんだよ」
「あっ......、そっか。私、あなたとなら普通に話せているのね」
ハッとした
「気になる相手は、男子でいいんだよな?」
「ええ、そう」
「同級生?」
「たぶん」
となれば話は早い、手っ取り早く確実な方法がある。
今さら普通に話かけたとしても警戒されており、色眼鏡なしで彼女を見てもらうことは難しいだろう。
「あなた、医学書読んでいるのね」
「え? ああ、うん。今後のリハビリとか再発予防に役立つんじゃないかと思って」
何かいい方法はないか策を講じていると、
「ふーん」
「ん?」
俺の視線に気づき、顔を上げた彼女は小さく首をかしげた。
時おり目にかかる前髪を気にしながらも集中して本を読む
「時間、大丈夫?」
「......そうね。そろそろ行かないと間に合わないわ」
腕時計で時間を確認すると医学書を元のパイプ椅子に置き、スクールバックを肩にかけて席をたった。
「それじゃ、お大事に」
「プリント、ありがとう。
「なに?」
ドアへ歩き出そうとした
今から口に出そうとしているセリフは、かなり気恥ずかしい。正直、キャラじゃない。でも、可能な限り引かれないように平静を装い、爽やかなキャラを演じて自然な感じに、先ほど彼女に思ったことを伝える。
「前髪は分けた方がかわいいと思う。それと、眼鏡をかけてない
「......そう」
身を翻した
「いつから学校に来られるの?」
来週から、リハビリ開始予定。おそらく、夏休みを全て費やすことになるだろう。
「うーん、早くて二学期の初めくらいかな?」
「そう。じゃあ、また学校で」
深く大きなタメ息をついてから、冷房を止め窓を開ける。
窓の外はいつの間にか日は傾き出し、西の空はオレンジ色に染まり、東の空はレモン色した月が登り、星の見えない夜空がビルの上に広がっている。
まるで、あの日と同じような黄昏時だった。
そして、彼女の想いが実ったのかどうかは、俺には知ることが出来なかった。