黄昏時の約束   作:ナナシの新人

3 / 72
Episode2 ~レモン色の月~

 病室のベッドから、窓の外へ目を向ける。

 時刻はもう16時を回っているのにも関わらず、まだまだ太陽は高く、気温も蒸し暑い。ビルが多い東京の街の中でも多くの木々が茂る病院の中庭では蝉時雨が響き、季節はすっかり夏の様相を呈してきた。

 右膝の手術はあらかじめ、カルテを提出していたことで診察からトントン拍子に話が進んだ。手術日程が決まり、術前の精密検査の結果を受け、右膝の手術は段階的に経過を見ながら複数に回分けて行うことになった。日本有数の整形外科医師の執刀のもと一回目の手術は無事成功を納めたのだが、代償として、大きなモノを支払うことになってしまった。

 それは――。

 

「......暇だ」

 

 枕を背もたれにして読んでいた本を、ベッド脇のパイプ椅子に積んである本の上に重ねて置く。

 支払った代償――それは、充実感。

 手術から一月弱。当然のことながら、術後は入院生活を送ることとなり、加えて右足は絶対安静。右足はギプスで固定され、動きにも制限がかけられている。そんな訳で出来ることと言えば、本を読むことと勉強くらいなもので。自習に関しては既に一学期分の授業内容を、梅雨の季節が過ぎる頃には全て終わらせてしまい、今は二学期の内容に入っている。

 入院して最初の頃は、男女問わずクラスメイトが毎日のように見舞いに訪れてくれていた。だが、彼らの学業の妨げになり兼ねないと担任に進言し、学期末の試験を終えるまで遠慮してもらうことにしたため来客も殆どいない。代わりにスマホへメッセージが増えたけど、それも徐々に落ち着きつつある。

 メッセージの返信を終え、充電器に携帯を差し込むとほぼ同時に控えめに扉がノックされた。時間的に、看護師ではない。どうやら、来客のようだ。

 

「はい、どうぞ」

 

 来客は、あの日のメッセージ以来一度もやりとりをしていない同じクラス女子生徒、白石(しらいし)うらら。彼女は、溜まっていたプリントをクリアファイルにまとめて届けに来てくれた。

 

「ありがとう。助かるよ」

「別に。日直だから」

「そっか」

「......なに?」

 

 事務的な対応が以前と同じで思わず笑ってしまう。白石(しらいし)は、若干面白くなさそうに目を細めた。それでも帰ろうとしないということは、何か用事があるのだろう。

 

「いや、時間があるなら話しに付き合ってくれるとありがたいなって。入院生活って退屈なんだ」

「塾の時間までならいいわ」

 

 白石(しらいし)は、本が積まれていない別のパイプ椅子に腰を下ろす。俺は彼女と反対側の窓を閉め、冷房を作動させてから、身体を冷やさないために長袖の上着を羽織る。

「別に、つけなくていいわ」と、白石(しらいし)は言ったが、彼女の額にはうっすら汗が滲んでいる。来週からリハビリが始まる前ということもあり、過度に筋肉や靭帯を冷やさないため普段から使用を控えているのだが、親が来た時もこうしていると、話すと無駄だと判断したのか「そう」と一応納得してくれた。

 

「それで、この前の件は進展はあった?」

 

 無表情のまま返事をしない。

 

「無いわけですか」

「......ん」

 

 表情を崩さず、小さく頷いた。彼女の性格上、こうなるのではないかとある程度予想してはいたが見事的中してしまった。白石(しらいし)なりに、さりげなく視界に入ったり、物影に隠れながら遠巻きに行動を観察する等、一応アプローチをしているつもりらしいのだが。話を聞く限り、不審者やストーカーとしか思えない。さすがに、面と向かって口には出来ないけど。

 

「遠くから見てるだけじゃなくて、普通に話しかけてみれば?」

「普通にって。どうやって話しかければいいの?」

「どうやって、て。今してるみたいにすればいいんだよ」

「あっ......、そっか。私、あなたとなら普通に話せているのね」

 

 ハッとした表情(かお)を見せた白石(しらいし)の表情が緩んだ。そのとても穏やかな微笑みを見れば、きっと誰でも彼女のことを好きになる、心からそう思えた。人付き合いが苦手な白石(しらいし)がどうすれば、意中の相手と普通に話を出来るようになるかを考えるため、先ずは根本的なことを尋ねる。

 

「気になる相手は、男子でいいんだよな?」

「ええ、そう」

「同級生?」

「たぶん」

 

 となれば話は早い、手っ取り早く確実な方法がある。白石(しらいし)に対して好意を持たせてしまえばいいと思ったのだが、本人の話によると、相手の男子は彼女の存在を認識している。しかも、いきなり怒鳴り付けてしまい、マイナスな印象を植え付けてしまったらしい。

 今さら普通に話かけたとしても警戒されており、色眼鏡なしで彼女を見てもらうことは難しいだろう。

 

「あなた、医学書読んでいるのね」

「え? ああ、うん。今後のリハビリとか再発予防に役立つんじゃないかと思って」

 

 何かいい方法はないか策を講じていると、白石(しらいし)は隣の椅子に積んであった一番上の本を手に取って開いていた。興味があるのだろうか、ペラペラとページを捲って左右に目を動かし、視線は徐々に下へと向かって降りていく。

 

「ふーん」

「ん?」

 

 俺の視線に気づき、顔を上げた彼女は小さく首をかしげた。

 時おり目にかかる前髪を気にしながらも集中して本を読む白石(しらいし)を見て、ふと気づいたことがある。

 

「時間、大丈夫?」

「......そうね。そろそろ行かないと間に合わないわ」

 

 腕時計で時間を確認すると医学書を元のパイプ椅子に置き、スクールバックを肩にかけて席をたった。

 

「それじゃ、お大事に」

「プリント、ありがとう。白石(しらいし)さん」

「なに?」

 

 ドアへ歩き出そうとした白石(しらいし)が振り向く。

 今から口に出そうとしているセリフは、かなり気恥ずかしい。正直、キャラじゃない。でも、可能な限り引かれないように平静を装い、爽やかなキャラを演じて自然な感じに、先ほど彼女に思ったことを伝える。

 

「前髪は分けた方がかわいいと思う。それと、眼鏡をかけてない白石(しらいし)さんを見てみたいな」

「......そう」

 

 身を翻した白石(しらいし)は、ドアノブに手をかけてながら半身で振り向き俺を見る。

 

「いつから学校に来られるの?」

 

 来週から、リハビリ開始予定。おそらく、夏休みを全て費やすことになるだろう。

 

「うーん、早くて二学期の初めくらいかな?」

「そう。じゃあ、また学校で」

 

 白石(しらいし)が病室を出たのを見届け顔をふせた俺は、あの恥ずかしいセリフに自己嫌悪に陥った。彼女に引かれなかったことだけが、せめてもの救いだと思いたい。

 深く大きなタメ息をついてから、冷房を止め窓を開ける。

 窓の外はいつの間にか日は傾き出し、西の空はオレンジ色に染まり、東の空はレモン色した月が登り、星の見えない夜空がビルの上に広がっている。

 まるで、あの日と同じような黄昏時だった。

 そして、彼女の想いが実ったのかどうかは、俺には知ることが出来なかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。