夏休みが明けて、二学期が始まった。しかし、俺はまだ入院生活を強いられていた。手術を受けた右膝のリハビリは想像以上にキツく、長期に渡って段階的に行われた。
そして、二学期の始業式から数日後の定期検診で、ようやく退院の許可が下りた。ただ、しばらくの間は通院の日々。中間試験後には、固定したボルトを取り除く手術の予定が決まっている。まだまだ全快にはほど遠い。
翌朝、松葉杖を突きながらの登校は思った以上に大変だった。ぶっちゃけ、使わない方が歩きやすい。復学そうそう遅刻。職員室で担任に事情説明と退院の報告を済ませ、休学中に片付けた課題を提出し、休学中の学力を測るための試験を別室で受けた。結果は、無事クリア。今日のところは、結局これだけで一日を費やした。
休日を挟んで、週初めの月曜日。先日の反省を踏まえて、先日より30分早く登校。学校前の通学路につく頃には、ちょうど良い時間帯。昇降口の下駄箱で、靴を履き替える。松葉杖を突きながらの履き替えは、やっぱり手間が掛かる。まあ、持って行けと言われた代物。一旦下駄箱に立てかけようとした時、横から手が伸びた。
「大丈夫?」
突然かけられた声に顔を向ける。手を貸してくれたのは、背中まで伸びたロングヘアの女子生徒。知っている姿と違ったから一瞬、見間違いかと思ったけど、両サイドのバッテンの髪留めは変わらない。それに、彼女の横顔は印象に残っている。
「ありがと。
「ううん。退院できたんだ」
「先週末にね」
「先週末? 見かけなかったけど?」
「補講で、学力テスト受けてたんだ」
廊下を教室に向かって会話しながら歩く。松葉杖のせいか、他の生徒たちは気を遣って道を譲ってくるのだが、何とも居心地が悪い。脇に挟んで、自分の足で歩く。すると、
「......平気なの?」
「歩くだけならね」
ズレた骨を固定するためにボルトが埋め込まれているから走ったり、激しい運動は出来ないけど、歩くことくらいなら出来る。中間試験後の経過次第で、ボルトを抜く予定。そうしたら、またリハビリが待っている。今回ほど長期じゃないけど、ひと月くらいはかかるだろう。
「髪、おろしたんだ」
「......うん、今日から。前髪も、少し切ってみたんだけど。変じゃない?」
「似合ってると思うよ。メガネも」
「ないから変な感じ。それに、まだちょっと怖い、コンタクト」
思わず笑いそうになったのを堪えるが大変だった。ただ、そのおかげで柄にもなく感じていた緊張が解けた。その勢いに任せ、久しぶりに教室に入ると、まるで動物園のパンダにでもなったかの様な扱いを受けて、気が休まる暇は殆どなかった。ただ、
昼休み。これまた久しぶりに屋上へ足を運んだ。屋上に続く途中の階段で、危ない場面に遭遇したりもしたけど。事前に連絡いれておいた別のクラスの友人、
それから、ひと月ほどが経過して――。
「その頃なんだよな? お前が、
一年の頃のアルバムを開きながら話しを聞いて腕を組んだ
二泊三日の合宿という体の魔女調査を終え、膝のクリーニング手術を翌日に控えた七月末日。バイト終わり俺を、近所のコンビニで
「副会長のオレと
「聞いたよ、明け渡し先がないんだろ?」
今年に入って新設された部活は、フットサル部のみ。既存の部活は、既に部室を保有しているため、新しく部室を用意する必要がない。
「あの狸ことだ、何か必ず裏がある。臭うぜ......」
無意味なことはしないだろうから理由があるのは間違いないだろう。体育祭の時の様に。けど、待ち伏せしていた挙げ句、来てそうそう家主の目の前で家捜しをしていたヤツが、本棚から引っ張り出した一年の頃のアルバムを捲りながら凄んでも締まらない。
「にしても、
「知的だろ、実際」
この学校唯一の学業特待生にトップを攫われることが稀あるが、基本的に成績は学年トップで、容姿端麗。少々人付き合いが苦手だったり、時折感情に浮き沈みがあることを差し引いても、才色兼備という言葉がぴったり当てはまる。
「やっぱ仲良さげだよな~、一緒に写ってる写真多いし。こんな楽しそう
「セクハラ発言ばっかりするからじゃないか?」
悪びれる素振りも見せず、それどころか逆に爽やかに笑った。まったく、困ったヤツだ。本人に悪意はないし、嫌味もないからタチが悪い。だから、好かれるんだろうけど。
「それで、
「ぶっちゃけ、ぶっつけ本番だな」
テレパシーの魔女の
「まあ、入れ替わっておけば未来に変化が起きることがわかったからな。原因にも目星がついてる。お前は、安心して手術受けろよ」
「ああ、そうさせてもらう」
明日、8月1日に右膝のクリーニング手術を控えている。今までのような大がかりな手術ではないが、同日に起こると予知された旧校舎の火災。
テーブルに肘をついて、窓の外に目を向ける。カーテンの隙間から、住宅地の向こう側に建ち並ぶ都心のビル群の灯りが夜空を明るく照らしている。火事も、あんな風に空が明るく......ふと、疑問が浮かんだ。
「そういえばさ。どうして、放火になるんだろう」
「あん?」
「予知された未来は、
「ああ。
「で?」
「ふむ、おかしいな......」
「だろ?」
「ああ、よくよく考えれば不自然だ。鎮火後に実況見分が入るわけだから、料理油が原因で火災が起こった場合、通常は“事故”として処理されるハズだ。なんとなーく見えてきたぜ、この件の本質がな......!」
ニヤリと白い歯を見せた。
どうやら、同じ考えに至ったようだ。光が洩れるカーテンを閉じて、座り直すと。
「んじゃあ、もうひとつの謎の解明といこーぜ」
頬杖をつきながらウインクした
俺と、三人の記憶の相違について。
「お前の記憶では、三人は特に仲違いしてた様子はなかったんだな?」
改めて、記憶を思い起こす。
あれは一年の初秋頃、中間試験前後に部室棟の一室で三人を含めた数人で昼食を食べているところを何度か見かけた。けど、
「確認するけどよ。間違いなく、
「ああ......。屋上で昼食べるだろ? フェンス際から、部室棟が見えるんだ。どの部室かまではわからないけど」
「ナルホド。けど、三人が三人とも身に覚えがない、と......おもしれーじゃねーか!」
まるで、新しい玩具を買ってもらった子どものみたいな顔。
「俺の方を信じるのか?」
「いーや、まだ決めかねてる。三対一だし、見間違いの線が消えないからには断言出来ねぇ。けど、そんな嘘をつく理由がないのも事実。そこでだ、信用させてくれ」
今度は意地悪そうな
「お前が、
「どうしてわかった?」
「ピンときたのは、超常現象研究部の部室に初めて来た日、魔女の能力実験で
「正解、その通り。さすがに頭の回転がいいな」
賛辞の言葉を贈ったが、
「オレが
左肘を机に突いて、グイッと身を乗り出した。
目を閉じて、思考を巡らせる。正直、
そこで、交換条件を持ちかけることにした。
「教えてもいいけど、俺からも質問がある」
「なんだよ?」
「朱雀高校へ転校してきた理由」
「んなもん。ただ単に時間ギリギリまで寝てたいから、家から近い学校に転校しただけさ。じゃダメか?」
「いや、別にそれでもいいよ」
俺が答えてから、まるで時間が止まったかのように部屋は静寂に包まれた。時おり聞こえる、気が早い秋の虫の鳴き声と掛け時計の秒針が刻む音は、この静かな部屋中ではより存在感を増す。そして時計の針が夜の九時を差した頃、
「......わかった。正直に話す」
「別に、無理しなくていいぞ?」
「いや、お前には嘘つき野郎と想われたくねぇからな」
大きく息を吐き、いつにもなく真剣な表情。真面目な話しだと瞬時に察し、身を引き締めて聞く。
「......オレには、ひとつ違いの姉貴が居る。その姉貴を助けるために、朱雀高校へ転校してきたんだ」
しかし、ある日突然変わってしまった。
彼女は、呆れるほど嬉々として話していた部活や魔女のことを一切話さなくなり。そして、何かに怯えているかのように、学校にも行かなくなった。
「姉貴が口走った“7人目の魔女”ってのが、姉貴に何かをしたんだ。だからオレは、朱雀高校へ来た。もう一度、姉貴が笑顔で学校へ通えるようにするためにな」
「そっか」
なるほど、そのために一番手っ取り早いのが朱雀高校の全権を所有する生徒会長になること。生徒会長なら、7人目の魔女の存在を把握している可能性がある訳か。しかし、自分の姉を救うためだけに転校してくるなんて、とんだシスコンだ。だけど――。
「スゴいな、お前」
「よ、よせっての!」
「ははっ、テレるなよ」
「そ、それよか。次は、お前の番だぞ!」
照れ隠しで強引に話題を替えた。
「
「......はあ?」
何言ってるんだ? コイツ、と言いたげな
「マジ?」
「おおマジ」
「マジなのか。って、誰だよ!?」
「知りたい?」
「当然! やっぱ
スゴい決めつけだ。記憶喪失の話以上に食い付いてきた。
「仕方ないな。オフレコで頼むよ?」
「任せとけって。オレの話もオフレコな」
拳同士を軽く合わせ、お互いにこの話は二人だけの秘密だと誓う。
そして俺は
「マジか......そういうことかよ。
「まあ、そういうことだね」
「なるほど、まあ頑張れや。親友」
「ああ、お前もな。親友」
今度は笑い合って、拳を合わせる。
「よっしゃ前祝いだぁ! 今日は騒ぐぞーッ!」
「いや、近所迷惑だから。それに明日、手術なんだけど?」
「んなもん知るか!
「
スマホを弄る
眠そうな
二人に返信をしてから部屋を出た俺は、ひとつ大きく深呼吸をして手術予定の病院へ向かった。