林間学校、二日目の朝。
設定変更をし損ねた目覚ましアラームに起こされて起床。まだ眠っているルームメイトを起こさないように注意して、大部屋の外へ出て、朝日が差し込む廊下の窓を開ける。少し肌寒さを感じる風を受け、深く深呼吸。周囲が山々に囲まれているためか、空気がとても澄んでいて清々しい朝の目覚めだった。
「はえーな......」
「お前はまだ、眠そうだな」
だらしなく腹を掻きながら寝ぼけ眼の
「枕か?」
「いや、なーんか妙に目が冴えちまって。こう、神経が高ぶるっつーか」
「朝飯まで時間あるけど、どうする?」
「ああー、
二度寝するかと思いきや、
宿舎周辺に整備されている散歩道は、周囲の山々から降りてくる風の通り道で、より肌寒さを覚えた。どうやらこの辺りの夏は、もう少しのんびりやって来るみたいだ。
「早かったけど、眠れなかったの?」
ロビーで偶然会い、話しの成り行きで一緒に散歩している
「ええ。昨日は、ずっとおしゃべりしてて」
「ずっとって、オールで?」
「寝落ちするタイミングがわからなくて、だから......」
両手で口を隠してした欠伸が、本当に完徹したことを物語っている。枕が変わって程度のレベルのではなかった、女子トーク恐るべし。よく話題が絶えないものだ、と思わず感心してしまう。
「でも、少しスッキリしたわ」
「それはなりよりで」
昨日の朝の通学時と同様、明日行われる模試、彼女が新しく始めた部活動などの世間話をしながら散歩道を歩き、朝食の時間に合わせて宿舎に戻った。
朝食後しばしの休息を挟んでからの班行動は、事前の予定通り、近くの山寺で座禅体験。両隣で座禅を組んでいた
昼食はクラスごとに、キャンプ場がある河原でバーベキュー。一度宿で帰り仕度をして、行きと同じくクラス別のバスで朱雀高校へ帰る。
「足と肩がいてぇ......」
「アタシも......」
行きと同様の一番後ろの席で、
「二人とも、どうしたの? 朝からずっと落ち着きがないんじゃないか?」
「ああー......なんか、こう妙に体が火照るっつーか」
「
「おおーっ、まさにそんな感じだ!
どうやら二人とも同じ症状みたいだ。悪いものでも食べたのだろうか? と思ったが、全員同じ食事を食べているのだから、その可能性は低い。となれば、考えられるのは入れ替わりの検証のため、キスのし過ぎで可笑しなテンションになっているのだろう。周りに悟られないように主語を隠して、検証結果を聞く。
「で、どうだったんだ? 例のヤツ」
「......ダメだった。昨夜と同じで、何も起こらなかった」
「いったいどうなっちゃったのかしら? 昨日の夕方までは普通に使えたのよね?」
「朝から、うららちゃんと入れ替わっていたんだし」と、
「まあ、もともと使えてたのが不自然だっただけで。自然に戻ったってことで納得するしかねぇーだろうよ」
「でも、何か原因があるはずよっ。使えたのも、使えなくなったのも! アタシ、学校についたらまた試してみる!」
「いやいや、それなら先ずはオレだろ?」
「何でアンタなのよ、アタシよ。アンタ、今納得するって言ったでしょ」
「そんなの一般論を言ったまでさ。オレだって、原因を解き明かしたいに決まってるだろ」
――な、なんだ......?
その後も高速道路を走るバスが朱雀高校へ到着する迄の間、小声で
林間学校の翌日の登校日は、全国模試で一日中試験。試験後のホームルームも簡略で終わり、帰りの準備をしていると、
「ん、なに?」
「ちと頼みがあってな。お前、弁当自分で作ってるんだよな?」
バイト前に本屋へと立ち寄る。
料理本を探しに来た、
「料理本って、こんなに種類あんのかよ」
平積みにされている中の一冊を手に取った
「どうしたんだ? いきなり、弁当作りだなんて」
「いやまあ、ちょっとな......」
詮索されたくないのか、言葉尻を濁した。まあ、いいや。聞かれたくない事情もあるだろうし、その辺りを深く詮索するのは野暮。
「初めてなら、この辺りが分かりやすいかも」
「おっ! 結構良さげじゃん」
しかし、料理本の弁当を主に取り上げているコーナーで男子が二人並んでいるのは、端から見たらどう思われるのだろうか? 横目で、参考書のコーナーを見る。四角いレンズで黒縁眼鏡をかけた朱雀高校の制服を着る女子生徒が、逆さに持った参考書で顔を隠しながらチラチラとこちらの様子を伺っている。うん、考えないようにしよう。自分に言い聞かせてる。
「じゃあ俺、医学書の方にいるから」
「おう。てかこれ、どうやって作ってんだ?」
最新のフィジカルケアの本をチェックしていると、しばらくして
「良いのは見つかったのか?」
「バッチリだ」
「そらよかったな」
付き合ってくれた礼ということで、近くのカフェでテイクアウトのコーヒーを奢ってくれた。今日は、長居することなくその場で解散。そのままバイトへ先へ向かう。
「コーナーです!」
ピッ! と短くホイッスルを吹いて、コーナーアークを指差す。子どもたちのスクールが終わって、今は初心者クラスの審判をピッチの外から務めているのだが――。
「ねぇ、ちゃんと聞いてるかしらっ?」
「えっと......。うん、聞いてるよ」
ボールがラインを割り、プレイが止まる度に
しかし、林間学校帰りと、更には全国模試前日が重なったためシフトに入っていないことを知り、無駄足を踏んだ
とは言え、審判を務めながら話を聞くのは非常に困難。とりあえず終わるのを待ってもらい話を聞くことで納得してもらった。残りの仕事を片付け、
「お待たせ。それで話って?」
「何よ、話がなきゃ来ちゃいけないのかしら?」
試合中に聞き取れなかったことを改めて尋ねたつもりが、カンに障ってしまったのか、やや口をとがらせた。
「いえ、むしろ大歓迎です。はい」
不機嫌そうに頬を膨らませていた
「まあ、いいわ。それでね、さっきスーパーの前で
スーパーならきっと、明日の弁当の買い物でもしていたんだろう。
「ちょっと話を聞こうと思ったのに。アイツ、何て言ったと思う!?」
「さ、さあ、ちょっとわからないかな? 何て言ったの?」
「アイツ......。
バンッ! と、壊れそうなほど勢いよくウッドテーブルを両手で叩いた。
「私はただ、
「え?
突然、何の脈絡もなく出てきた
「ち、違うのよっ。ほら、
「ああ~、それね。バスの移動で体調を崩して、昼飯を抜いてたからだよ」
「あ、そうなの。なら、安心したわ」
胸元に手を添えて肩を撫で下ろした。これ以降の話はこれといって特別なこともなく、先日と同じく駅まで送っていった。
* * *
そして、翌日の昼休み。果たしてどんな弁当を作ったのか、
仕方なく今日も一人で、屋上で弁当を食べる。
別に
キィー、と校舎へと続く鉄の扉が開く音が聞こえた。今は初夏で、日差しも暑いからあまり来ないが。実は、たまにこうして来客も来る。
「隣、いいかしら?」
「どうぞ」
顔を上げずとも声で分かる、
「最近よく一緒になるけど、久しぶりだね。こうして、
「そうね。一年生のいつ以来かしら?」
「さぁ、どうだったかな?」
「それで、どうしたの? 悩みごとだよね?」
「わかるの?」
頷いて答える。もちろん、わかる。
最後に、ここであったあの日。何か大切な物をなくしてしまった子どものように、とても悲しげな
「話なら聞くよ。悩みに答えられるかわからないけどね。
「知ってるのね」
「うん。
「そう」
一呼吸間を置いてから、
「たぶん、それ勘違い」
「勘違い......?」
キョトンとした顔で首を傾げた
「林間学校の夜。
「入れ替わりの能力が消えた......? そう、それで断られていたのね。納得がいったわ」
「それでさ。一応、
「ええ、わかったわ」
前を見て頷いた
そして、そのまま俺に顔を向ける。
「
また答え難い質問を。正直誤魔化してもいい、だけど
「――したよ」
結局、正直に答えてしまった。
「その相手は、前にいっていたのと同じ人?」
「そうだけど......?」
口元に手を持っていき、目を落として深く思案している。そして、考えがまとまったらしく顔を上げた。
「実験したいことがあるの」
「実験?」
「ええ」
頷いた
――キスしていいかしら? と。
沈黙は肯定と言わんばかりに、返事を待たずに近づいて来る
そして、次の瞬間とても柔らかいモノが一瞬触れて離れていく。目を開けた次の瞬間、信じられないモノが視界に飛び込んできた。
それは、鏡に映る姿よりも立体的な自分の姿だった。