黄昏時の約束   作:ナナシの新人

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都合上、主人公を含めた数人の視点で進みます。
なお、一話の中で視点が切り替わることはありません。あくまでも話数によって変わります。その際は、前書きに誰視点かを記載します。


Prologue
Prologue ~初恋~


 彼女と初めて言葉を交わしたのは、小学六年の卒業間近の頃だった。放課後の下校時間が迫り、教室へ忘れ物を取りに行った俺は、校舎に残っている生徒も誰も居ない廊下を一人歩いていた。

 季節は、冬。冬至を過ぎたとはいえ、まだ早い時間から沈み始めた太陽は陰り、徐々に気温を下げていく。暗くなる前に帰宅しようと廊下を早足で歩いていると、誰も居ない教室で人影を見た気がして少し廊下を戻り、教室の前のドアから中を覗いてみた。

 オレンジ色の日差しが差し込む教室、その窓際の席の前で、彼女は一人何かを見つめて佇んでいた。

 

「どうしたの?」

「――っ!?」

 

 切なさを感じる後ろ姿が気になって、声をかけた。誰も来ないと思っていたのだろ、突然の声に驚いた彼女は、若干身体を震わせた。

 

「なんでもない......」

 

 小さな声で言った彼女の足下にはノートや教科書が散乱していて、黒いインクで醜く汚い言葉の羅列が書き殴られていた。

 ――胸くそが悪い。

 子どもながらに感じたことを、今でもよく覚えている。

 

「触らないで......!」

 

 無残に散らばったノートを拾おうとしたところを、大声で拒絶された。しゃがんだ彼女は、両手で隠すようにして散らばったノートや教科書を抱え込む。

 

「こんなの何でもない。いつものことだから」

 

 そう言った彼女の表情(かお)は前髪で隠されて見えなかったが、強がっていることは容易に想像できた。

 ごめん、と反射的に謝って教室を出た俺は、職員室で教師に許可をもらって資料室に備蓄されている予備の教科書を持ち、彼女が居る教室へ戻った。彼女は膝を抱えて座ったまま、使い物にならなくなった教科書を片付けていた。

 

「これ」

「......なに?」

 

 彼女は、俺が持ってきた新しい教科書を見つめ黙ったまま受け取ろうとしない。

 

「新しい教科書。もうすぐ卒業だけどさ、まだ授業あるし、ないと困るでしょ? 理由は掃除の時間にバケツをひっくり返したことにしてあるから」

「......余計なお世話」

 

 タメ息に近いような呼吸をひとつして、教科書を机の上に置いてから彼女に背を向けて、教室のドアへと歩き出す。

 

「......あの!」

「ん? なに」

 

 彼女の声に身を翻して、向き直す。

 オレンジだった日差しは、いつの間にかスミレ色に変わり始め、夜の訪れを告げる。そんな、ある冬の日の黄昏時、二人きりの教室。

 

「......ありがと」

 

 教科書を胸に抱いて、少しうつむき加減でお礼を言ってくれた彼女の頬には、大きく綺麗な瞳からこぼれた落ちた涙の跡と残っていて。それが、とても印象的で――。

 目を奪われて動けないでいた俺を見た彼女は「どうしたの?」と、不思議そうに首を傾げた。

 

 この時、俺は――彼女に恋をした。

 

 

           * * *

 

 

 ジリジリと肌を焼く強烈な日差し、滝のように流れ出す汗、鮮やかな緑色の手入れの行き届いた、鮮やかな萌葱色の芝生のフィールドに真夏の生温い風が吹き抜ける。息を吐いて顔をあげる。スタンドには、「全国制覇」と書かれた横断幕が掲げられている。

 フィールドでは、二種類のユニフォームを着た選手たちが声を張り上げながら、白いボールを追いかけ攻防を繰り広げている。

 俺も、その中の一人だ。

 中学最後の大会、全国中学サッカー大会決勝戦のピッチに俺は立っている。ゴール裏スタンド上部に設置巨大なスクリーンには、2-1とスコアが映し出されている。

 

「裏!」

「頼むッ!」

「オーライ! ナイスパスッ!」

 

 一点リードで迎えた後半アディショナルタイム。チームメイトからの絶妙なタイミングのスルーパスが出た。相手ディフェンダーの裏に抜け出し、ペナルティーエリア内でボールを受ける。ゴールキーパーとの一対一飛び出して来たキーパーを冷静にかわして、軸足の右足に体重を乗せシュート体勢に入る。

 ゴールまで、あと五メートル。

 目の前に妨げる者は居ない、無人のゴール。完全にフリー、打てば確実に決まる、残り時間的にダメ押しの決定打。

 俺は、左足を振り抜いた――。

 

「――ッ!? ハァハァ......」

 

 気がつくと、ベッドで横になっていた。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。枕元で、スマホの目覚ましアラームが鳴り響いていた。

 ――また、あの時の夢か......。

 寝汗でべっとりと湿ったシャツが気持ち悪い。ひとつ息を吐いて右手を伸ばし、手探りで今なお鳴り響き続ける目覚ましアラームを止める。

 

「ほっ、はぁ~......」

 

 上半身を起こして思い切り腕と背中を伸ばす。ベッドを降りてカーテンと窓を開けると、まだ少し肌寒い春の風が部屋に流れ込み、寝苦しさでほてった身体を冷やしてくれた。

 窓の外に広がる街並みを眺める。自然の少ない密集した住宅街。遠くにはコンクリートのビルが建ち並び、赤と白の一際大きな二本のシンボルタワーが、ここが東京であることを実感させてくれる。

 一月前に住んでいた街とはまるで正反対で環境に若干の戸惑いを覚えながら、シャワーで寝汗を流して、手短に朝食を済ませ。クローゼットにかけてある、真新しい制服に身を包み、身支度を整えてから部屋を出る。

 爽やかな朝の空気。どこからか舞ってきた薄桃色の桜の花びらが始まりの季節を告げている。

 

「行ってきます」

 

 挨拶をしても当然ながら誰も居ない家からは、返事は返ってこない。なぜなら、この春から高校進学に伴い東京都内のとある街のアパートで一人暮らしを始めたから。

 新しい学校生活に胸が踊る――と言うことは特にはなく。高層ビルとアスファルトで固められた地面と、人工物に囲まれた都会の風景が続く、以前住んでいた街とは正反対の通学路をゆっくり歩いて20分弱の登校時間で、校門前に辿り着いた。

 門に刻まれた校名――私立朱雀高校。

 東京都内でも有数の名門進学校。今日からここが、三年間通うことになる新しい学校。校門を潜り、生徒会役員と思われる上級生の案内に従って、昇降口前に貼り出されたクラス分けを左から順番に確認。

 

「えーと、み、み......あった......」

 

 ――宮内(みやうち) 結人(ゆいと)。自分の名前が1-Aの欄にあるのを確認し、手入れの行き届いた自然の多い敷地を歩き、入学式が執り行われる体育館へ向かう。クラス別の出席番号順に用意された自分の席に腰を掛けて、入学式が始まるのを待つ。入学式は時間通り始まった。

 中学時代サッカー部で静岡県の代表校として全国制覇を果たした俺は、とある理由で県内外の名門強豪校の誘いを全て蹴り、この朱雀高校への進学を決めた。この学校を選んだ理由は幾つかあるが、主な理由は進学率の高さ。俺の将来に関わる知識を得るために、この学校を選んだ。

 そして――。

 

『理事長先生ありがとうございました。それでは、新入生のみなさんは、先生方の指示に従い教室へ移動してください』

 

 学園長の長いありがたい話が終わり、眼鏡をかけた美人生徒会長の指示通り、クラス担任の誘導の元移動を開始。クラス担任の先導で、講堂を後にするため席を立ち歩き出した時だった。

 同じ様に移動している新入生の中に――。

 あの冬の日、黄昏時の教室で恋をした彼女が、目の前に居た。




第一話拝読ありがとうございます。
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