対人戦描写、なかなか難しい……。
「目と目があったら、ポケモン勝負! だろ?」
どきん、と心臓が飛び跳ねた。嬉しさと緊張がロッカの中を駆け巡る。
「ボクはアルバ。君は?」
「……き、キッサキシティのロッカ! バトル、よろしくお願いしますっ!」
家族や友人との〝ポケモン勝負ごっこ〟とは違う。初めての、本気のバトル。
バトル開始の
「お願いっ、グラシエ!」
「頼んだぜ、ルカリオ!」
タマザラシは待ってましたとばかりにボールから飛び出した。氷の床面を腹で受け止め、好戦的に喉を鳴らす。
咆哮と共に現れたのは、凛々しい立ち姿のポケモン。図鑑をかざせば、それがかくとう・はがねタイプだと分かる。
(タイプ相性は圧倒的に不利……どうやって――)
「おおおおおっそれはっ、そのポケモンはッ!!」
ルカリオの声に負けないか、それ以上の音量でアルバが叫んだ。吃驚して図鑑から顔を上げれば、タマザラシとルカリオの間に割り込むようにして少年が飛び込んでくる。
「タマザラシ!! 噂に聞いていた通りモフモフだ!!」
勢いよく伸ばされた指がタマザラシに触れる寸前で、後方にぐいと引っ張られる。ルカリオが呆れたような表情で、アルバを羽交い締めにしていた。流石はかくとうタイプだ、アルバがどれだけ腕の中で暴れようともびくともしない。
「ええっ……えええ……?」
「うおおおおお離してくれルカリオォォォ、だってタマザラシだぞ! 我慢出来るわけがないだろォォォ!!」
「タマザラシはな、寒~い海でも生きられるように、モッフモフの毛皮を持ってるんだぜ!? ただのモフモフじゃないんだ、モッフモフなんだモッフモフ!!」
ルカリオの眉間にシワが寄る。ぐっと力を込めて今度はベアハッグ状態に。
「あだだだだ痛い痛い!? 悪かった、バトルの後にするからいでででで!!」
微妙な表情だが、ルカリオは力を抜いてアルバを離す。息を整え、こほんと一つ咳払い。
「だ、大丈夫……?」
「へへ、いつもの事だよ……なあ、後でモフらせてくれな」
アルバはタマザラシに小さくウインクしてみせる。ロッカは苦笑するが、タマザラシは満更でもなさそうに拍手した。
「そんじゃ、気を取り直して行くか!」
すん、と場の空気が一変する。背筋がしゃきっとするような、ピリピリとした緊張が走った。
「ルカリオ、まずは『グロウパンチ』だ!」
「ああっ、『まもる』!」
――速い。
作戦を考える暇もなく、ルカリオは素早い動きで間合いを詰めてきた。すんでの所で『まもる』を発動させたが、そのスピードにタマザラシにも焦りの表情が見て取れた。
「『まるくなる』!」
「『どくどく』だ!」
「ふええっ!?」
相手が物理で来るならば、と防御力を上げさせたロッカであったが、それを見越したのか、アルバはタマザラシに猛毒を仕掛ける。
「は、はがねタイプがどくタイプの技を……!?」
「覚えるんだな、これが! ルカリオ、『インファイト』ッ!!」
直感。これは必殺技か。
「お願い、守りきって! 『まもる』!」
毒が回って鈍くなった身体で、タマザラシはなんとかインファイトを耐え切った。しかし、その表情には苦悶の色が滲んでいる。
猛毒はただの毒とは違い、侵食が進めば進むほど、一気にその力を増していく。こちらが防御技を多く覚えるのを見切っての事なのか、アルバとルカリオは余裕げに見えた。
どちらにせよ、このままでは防戦一方だ。このまま黙ってやられる訳にはいかない。
(インファイトは隙が大きいから、防御力がどうしても落ちるんだっけ……チャンスは、今しか無いッ)
振り返って指示を待つタマザラシは、どこか不安げで。大丈夫、と自らにも言い聞かせるように、大きく頷いた。
「グラシエ、『あられ』!」
曇り空から、雪がひとひら。と思えば、氷の粒が一斉に落ちてくる。タマザラシは氷に気持ちよさそうに身体を震わせた。
――特性、〝アイスボディ〟。天気が霰状態であれば、体力を少しずつ回復することができる。
こおりタイプ以外のポケモンは、その鋭利な霰でダメージを負うことになる。戦況はロッカへ少し傾いた。
「決めるよ、『ふぶき』!!」
「ふぶッ――!?」
大きく息を吸い込んで、冷気を乗せて吐き出した。呆気にとられたルカリオは、避ける事もできずに霰交じりの吹雪に直撃する。
「おいおい、そんな大技を……!」
威力は高いが、その分命中率は低い『ふぶき』。ただし、それは天候に変化が無いときの状態だけ。霰が降りしきるこの場では、襲い来る猛吹雪は避けようが無い。
あの小さな丸い身体に、強大な冷気を秘めていた。予想外の展開にアルバは絶句する。
「ルカリオ! 大丈夫か?」
身体中に積もった霰混じりの雪を払う。片膝をついているものの、眼光は鋭くぎらりと輝いていた。ゆっくりと立ち上がり、咆哮。
「う、そ……!」
タマザラシの全力を出し尽くした『ふぶき』を、ルカリオは耐え抜いた。息遣いは荒いが、まだまだ戦えるだろう。一方タマザラシは、アイスボディの回復があるものの猛毒によって着実に体力を奪われている。恐らく、『ふぶき』はもう撃てない。
耳の奥でドンドンと太鼓を叩くように鳴り響く心拍音。頭の中が、真っ白になる。
霰が、止んだ。
「――ルカリオ」
そっと優しく、それでいてどこか芯の通った力強い声で。アルバはルカリオの名を呼んだ。
その声に振り向いたルカリオと、目を合わせる。こくりと大きく頷いて、前方をきっと見据えた。
瞬間、ルカリオは猛スピードで駆け出した。そのままタマザラシへ突進し、右腕を大きく振り被る。
「――ッ! 『まもる』!」
はっと我に返って、咄嗟の指示。タマザラシもぎゅっと目を瞑って、前からの衝撃に耐えようとした。
その時だった。
渾身の一撃がヒットしたのは、〝後方〟。タマザラシは衝撃を防ぐすべも無く、宙へと投げ出された。
「決めろ、『おんがえし』!」
無防備に空を舞うタマザラシへ畳み掛けるように攻撃を浴びせる。最後に尻尾を大きく振り回し、氷面へと叩きつけた。
把握できなかった。あの一瞬、何が起こったのか。
口の塞がらないロッカ。ぱくぱくと口を動かしてみても、声は出てこない。身体中の熱が、魂ごと一気に抜けてしまったかのような感覚。
「どうして……『まもる』が」
震える声で絞り出す。目を回したタマザラシをボールに戻し、冷たい氷の上にへたり込んだ。
「……『フェイント』だよ」
その言葉で、ロッカの白くぼやけた脳内が晴れた。あの一瞬のアイコンタクトで、彼は『フェイント』を指示していたというのだ。
「どうする? ボクらはまだ、戦える」
残る手持ちは後二匹。でも、ロッカは首を横に振った。
白い吐息。冷たくなった指先。タマザラシのボールを抱え、小さくごめんねと呟く。
心臓に、銃弾で穴を開けられたようだ。凍えるような冷たい一筋が、すうと通り抜けていくようで。
「悔しいけど……今の私たちじゃ、あなたに勝てないや」
なんとなく、伝わるのだ。ルカリオの放つプレッシャーに混じって、彼らの積み重ねてきた時間、想い、強さが。
――遠い。
ただ強いという訳じゃなかった。彼らには彼らなりの、負けられない理由が、覚悟がある。
まるで自らの意思の弱さを突きつけられたようだった。どれだけ自分が小さな存在だったのかを、冷水と共に浴びたようだった。
勝負に負けて、悲しい訳ではない。ただひたすらに、己の未熟さを憂いていた。
ひどく冷たい涙で視界が滲む中、少年の手がロッカの目の前へ伸びる。手のひらには、金色に輝く小さな欠片。
「これ、使ってくれよ」
彼が手渡したのは〝げんきのかけら〟だった。タマザラシはたちまち元気になり、アルバの膝の上で気持ち良さそうに撫でられている。
冷たい氷上で、二人は並んで座っていた。ルカリオはおやつと称した木の実をかじりながら、彼の言うタマザラシを〝モフる〟のをじっと見つめている。
「ねえ、アルバくんはどうして旅を?」
ふかふかの毛皮を触りながら、アルバはルカリオの方を見て、それからゆっくりと答えた。
「ボクは〝世界最強〟になる。子供の時からの夢なんだ」
そして彼は、ルカリオがまだリオルだった頃から夢をずっと追い続けている、と話す。その横顔は清々しい程に輝いていて。
「……夢、かあ」
「ロッカは?」
「私は、ジムリーダーになりたくて。こおりタイプ使いになりたいの」
――だけど、こんなのじゃダメダメだね。
ぽつりと呟いた。
ごろごろと喉を鳴らすタマザラシを撫でる手を止めて、俯いたロッカにアルバは声をかける。
「なあ、こいつ――グラシエ、だっけ。いつ捕まえたんだ? バトル経験は?」
「え? ええっと……昨日で、今日が初戦――」
「はあ!? 昨日!?」
突然叫んだアルバに驚いて、タマザラシは膝から転げ落ちた。周囲の人間の視線が一気に集まる。
そのまま彼はあー、うーん、としばらく唸った。不安な面持ちで彼を見つめるロッカ。
「なるほど、確かにそんな気はした」
「ううっ……実際、私自身も今日が初めてのトレーナーさんとのバトルで。バトル慣れ、してないからかなあ」
「んーまあそれもあるな。だけどさ」
ふわりと優しくタマザラシの顔に触れる。つぶらな黒い二つの瞳が、しっかりとアルバを捉えた。
「お前、使えるけど、使いこなせてないだろ、『ふぶき』」
しゅん、とタマザラシの表情が萎む。ロッカもどきりとして拳を強く握った。
「……正直言って、ボクはお前が『ふぶき』を使えるってことに驚いた。すごいと思う。だから、きちんと使えるようになれよ!」
にっと笑って、頭を撫でる。そうしてロッカに向き直ると、彼は続けた。
「んで、ロッカの課題は――〝知ること〟だ。ポケモンのことも、バトルのことも、実力だけじゃ勝てっこないのさ」
「……知る、こと」
その言葉に、ルカリオも頷いた。
(……すごいな。私と年はほとんど変わらないのに。アルバくんはいろんな事を"知ってる"んだ)
「ボクとルカリオがアイコンタクトで指示を出せるのは、ずっと昔から一緒に過ごしてきたから――つまり、お互いのことをこれでもかってぐらい、知ってるってこと」
それに、と彼は付け加える。穏やかな表情が、真剣なものに変わって。
「それに、トレーナーの主観だけで全部を判断するのは間違いなんだ――まあ、ボクの持論なんだけどね!」
はは、と今度は軽快に笑う少年の横で、ロッカは浮かない表情を浮かべていた。
「まあ何が言いたいかって言うとな、ボクは正直驚いたんだよ。ロッカが、勝負を諦めたこと」
ずきりと胸が痛んだ。そうだ、私は――。
「その時、他の手持ちのポケモン達のこと、考えたか? きちんと勝負を着けたいって、思ってたやつもいたんじゃないのか?」
返事が、できなかった。
アルバの言葉が、震える少女に伸し掛かる。
「おいおい、そんなに思い詰めるなって! ……ちょっと言い過ぎたよ、ごめんな」
「……ううん、アルバくんの言ってることは、正しいよ。私、自分のことでいっぱいいっぱいだったから……」
胸の前できゅっと拳を握り、ロッカは静かに呟いた。自らに言い聞かせるかのように、反省の誓いを刻みつけるかのように。
「……まあ、先輩トレーナーからの軽いアドバイスだと思って、聞き流してくれよ」
「うん、ありがとう……アルバくんのおかげで、バトルについて、トレーナーについて――ちょっと、〝知ること〟ができました!」
溢れそうな涙を振り払うように、勢いよく立ち上がった。その意気だ、とアルバも立ち上がり、右手をそっと差し出した。
「次に会うときは、もっと……強くなれるように、頑張るね」
「ああ……〝世界最強〟を、超えられるかな?」
「えへへっ、大丈夫。今度は追いついてみせるから!」
優しく握られたそれぞれの右手から、お互いの体温がゆっくりと流れ込んでくる。
「ロッカはどうするんだ?」
「この先の……アイスエイジ・ホールに行くんだ」
頑張れよ、と少年は彼女の肩を優しく叩いた。それに答えるように頷いて、タマザラシをボールに戻す。
「本当にありがとう! また、またいつか!」
横を通り抜けて、ロッカはルカリオとアルバに手を振った。負けじと振り返す
(正直言って、悔しい。だけど――)
走り出す。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
蘇ってきた微かな自信は、やがて少女の足取りを軽くする。
「……なあルカリオ」
彼女が走り去った後で、アルバはルカリオにそっと話しかける。振り向く事もなく、ルカリオは静かに彼の言葉に耳を傾けていた。
「――いや、なんでもないや。心配しなくても、また会える気がする」
リーグで会おうぜ、と小さく呟いて。
少年は、少女に背を向け歩き出す。その一歩は大きく、力強かった。
ロッカは進む。ただひたすらに、夢を叶えるために。
一歩ずつ冷えていく空気は、まるで一歩ずつ夢に近づいているかのようで。
悔しさをバネに、少女は氷上を駆ける。
ポケモンの技に関しては、ポケスペ準拠でアクティブ個数の制限は設けないことにしてます。その方がバトルに弾力を持たせやすいというか……。
ちなみにタマザラシの『ふぶき』、実際に覚えます(Lv41)(第7世代時点)。18番道路は後半の方だし、覚えててもおかしくないかな~なんて……。