インフィニット・ストラトス~君が描いた未来の世界は~ 作:ロシアよ永遠に
横浜港北総合病院
深夜にもなりつつある時間にも関わらず、遅番や夜勤で勤務に当たっていた職員はバタついていた。
木綿季の担当医師である倉橋医師もその1人だった。
内科医師や循環器科、そして特殊機器技師もが医療器具や計器を持って、その目指す先へ足早に目指す。
「まさか…いや、まだ早すぎる…まだ…彼女は…!」
冷や汗は元より、若干青ざめた顔でブツブツと独り言を言いながら、他の職員に負けじと急ぐ。
『第一特殊機器計測室』
そのセキュリティ管理され、普段はカードがなければ開かないその扉は、職員がスムーズに出入りできるように解放されていた。
忙しなく職員が出入りする中で、倉橋医師もするりとその中へと入る。一面の壁に張り巡らされたガラス越しに見たその光景は、彼が想像したくない物と合致していた。
殺菌された防護服を急ぎ身に纏い、消毒液のシャワーを浴びて倉橋は其処へと足を踏み入れる。
「木綿季君!」
大声を出して良いわけではない。しかし呼びかけねばならないと思うからこそ、叫んでしまった。
ズカズカと木綿季が横たわるメデュキュボイドの傍らで計器と睨めっこしている医師に詰め寄る。
「状況は?」
「先程…紺野さんの心肺が一時的に停止しました。」
さぁ…っと血の気が引くのが解った。
が、ここで臆面に出してはならない。
冷静に、飽くまでも冷静に。
震える身体を押さえつけながら、倉橋は口を開く。
「一時的に、と言うことは、今は?」
「先述の状態以外は普段と変わらない症状です。心拍も落ち着いています。」
「そう、ですか。」
ホッと胸をなで下ろす倉橋。
よかった。
その安堵感で胸は一杯だった。
「しかし、覚悟はしておいた方が良いかもしれません。」
そう…今の彼女の身体を一番よく把握しているのは倉橋自身。すぐに現実に引き戻される。
「えぇ…ヘタをすれば…何らかの兆候…前触れやも知れませんね。」
そうであって欲しくはない。しかし現実は非情で、そして時として医者はリアリストでなければならない。
「一度…木綿季君をメデュキュボイドへと引き戻します。」
メデュキボイドの計器を操作し、緊急時の仮想意識リカバリープログラムを実行する。
今木綿季は、ALOにログインしているはず。
誰かと交流中だったのなら、相手にも申し訳ないのだが、如何せん今は命に関わる事態だ。一度帰還して貰わないことには、どうにもならない。
帰還の実行メーターが貯まっていくのが堪らなく遅く感じるが、焦っても仕方がない。
じっと待つこと10秒ほど。
ピーッと言う機械音が、木綿季の意識を拾い上げたと告げる。
「木綿季君!木綿季君!」
急ぎマイクを引ったくるように取った倉橋は、起動すると必死の形相で呼びかける。
返事がない?
今バイタルは異常を示していない。
呼びかけに答えないのは、意識消失しているのか?
若しくは脳内に何らかの異常が!?
嫌な想像ばかり浮かんでしまう倉橋。願わくば、この声に応じてくれ…!
『あ…れ?倉橋…先生?』
ややあって、まるで寝起きのように、ぼんやりとした声で彼女は返した。
『どうか…したんですか…?どうしてボク、メデュキュボイドに…?』
全く…こっちの気も知らないで…!
泣きたくなるのを必死で抑えながらも安堵に胸を再びなで下ろす。
「私が木綿季君の意識を回収したんですよ。たしか…木綿季君はALOにインしていましたね?」
『あ、はい…そうですけど…。』
「ALOでの最後の記憶…何があったか話せますか?」
心拍に異常があったなら、彼女の精神にも何らかの影響が出るだろう。木綿季に自覚症状があるなら、それは…。
『えっと…確か…友達と飛んでたら…急に胸が痛くなって…目眩がして…耳鳴りがして……』
「やはり、ですか。」
矢張り自覚症状はあった。そして仮想世界でもそれは顕著だった。
『先生、ボク、何かあったんですか?』
不安そうに訊ねる木綿季に、倉橋は真実を伝えるべきか思案する。
ここで嘘偽りなく教えてしまえば、気持ちが後ろ向きになり、症状が進行しやすくなる可能性もある。
病は気から、と言う言葉があるように、気の持ちようによって病状の進行が左右すると言っても過言ではない。
かと言って、何の問題もないと言って嘘を付き、いざ次なる症状が出て木綿季がそれを知れば、そのショックは大きなものだろう。ヘタをすれば、急激に落ちる可能性も否定できない。
『先生。』
如何するべきかと悩む中、強い意志が籠もった木綿季の言葉が耳を刺す。
『ボク、覚悟は出来てる。だから、ボクに何があったのか。教えてください。』
その言葉は、倉橋の胸に強く響いた。
木綿季が覚悟してそう言うのなら。
それに医師が応えず如何するのか。
「先程…木綿季君の心臓が、一時的に停止しました。」
重く、辛い言葉。
聞く方もだが、言う方もこれ程重くのし掛かる物があろうか。
倉橋の宣告に、木綿季が息を吞む音が聞こえる。
「今は…バイタルに問題はありません。ですが…」
『うん、わかってるよ先生。…何となく、想像はついてたから。』
「そう…ですか。」
『大丈夫…落ち込んでなんていられませんから。』
木綿季の強い言葉に胸が締め付けられる思いに駆られる。しかし、ここ数日で木綿季の声色は明るくなり、どことなく強く感じられたのは気のせいではなかったらしい。
幾つかのモニタリングを終えて、集まってきた医師がメデュキュボイドの部屋を後にする中、木綿季は倉橋を呼び止めた。
他の医師が完全に退室したのを見計らって、木綿季は漸く言葉を紡ぎ出す。
『先生、あの、ね?』
「はい、どうかしましたか?」
『ボク、ボクね……』
言葉を選びながら、
心の準備をしながら、
モジモジといじらしい気配を漂わせながら、
年頃の少女らしさを滲ませて…木綿季は言葉を紡ぐ。
『恋人が…出来ました…。』
What?
恋人?
こいびと?
コイビト?
KOIBITO?
Lover?
史上最弱のアレ?
いやいやいや!
ステイ!ステイ!!
落ち着け…落ち着け…!
今の木綿季から汲み取れる感情、声色、そしてこの状況。
そして十数年前に味わったこの得も知れぬ甘酸っぱい空気。
そうだ、あれは妻と出会った東京の繁華街。
あの時妻は、道に迷っていた。スカイトゥリーに行くにはどうすれば良いかと。
それを私は快く案内した。
自身の目的も同じだったからだ。
そして一緒に観光して、連絡先を交換して、幾度目かのデートの時に告白して恋人に…
そう、恋人!
儚くも、何とも心地よく、そして甘酸っぱい響きなのか…!
『おーい…倉橋先生~。』
「ハッ!?いけないいけない…そうだ、木綿季君に恋人が出来た、と言う話でしたね、」
『えと……ハイ…。』
「やはり相手は一夏君ですか?」
『フォァッ!?な、何故にわかったのでございまするのことですか!?』
「さぁ?何ででしょうね?…私も、木綿季君がALOで活躍するのを動画で見てましてね?」
『へ?』
「『イチカはボクの恋人なんだから…』でしたか?これ、ネットの急上昇ワードになってたりしますよ?」
『ホァァッ!?』
何ということか。
倉橋があの動画を見ていたとは!?
よもや近しい知人にあの告白が知れ渡っているとは…
頭を抱えたくなる状況のなか、木綿季は頭を振るい、必死で冷静さを取り戻す。
『ご、ご明察…ボク、一夏と恋人になったんです。』
「そうですか…それは、おめでとう木綿季君。」
今度ばかりは茶化さず、ただただ純粋に祝福する。
人との距離を意識して置いていた木綿季が、恋人を作るともなれば、気持ちの変化は元より、その目出度いことに思わず顔が綻ぶ。
『だから…ね、さっきのボクの症状…もし一夏から尋ねられても…教えないで下さい。』
「それはまた…どうして?」
『その…やっぱり心配掛けたくないので…。』
「そうですか…それもそうですね。わかりました。尋ねられても一夏君
『お願いします。…とりあえずボクはALOの友達に、何でも無かったことを伝えてきますね。…ログアウトの理由は…回線トラブルにでも……』
そう言いながらALOへのログインを始める木綿季を尻目に、倉橋は第一特殊機器計測室を後にする。
恋人が出来た。
成る程、それが最近、明るくなった理由ですか。
思わぬ明るいニュースに、倉橋は思わず笑みを零してしまう。
この喜ぶべき事が、願わくば木綿季の症状に良い意味で影響するように。
そんな切なる思いを秘めて、倉橋は業務へと戻るのだった。
円夏が一夏を呼ぶ時の呼び方は?今後の小説に反映されます。
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にいに。
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お兄ちゃん。
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兄さん。
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兄貴。
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一夏。