コードギアス 二度も死ぬのはお断り   作:磯辺餅太郎

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大人をからかってはいけません。

 アーニャは珍しく困惑していた。

 はたから見れば日頃とそう変わらないが、いつもよりほんのわずかに目を見開いているのがその証拠だ。

れんふぁ(でんか)らりは(なにか)?」

 やっと口に出せたのはそれだけだ。

 結い紐を口にくわえていたせいで、もごもごとしか喋れない。

 髪の乱れが気になったからといって、そこらで結い直していたのは確かに迂闊だったかもしれない。

 通りかかった総督であるルルーシュとその弟がぽかんとした顔でこちらを見ている。後ろでは女官のローマイヤとかいう名前だったかが、ぴくりと眉をあげた。無作法を咎める目だあれは。

 正直気恥ずかしい。

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ルルーシュがまじまじと見る。

「アーニャ……アールストレイム」

 名前をゆっくりと呟き、ぽん、と手を叩いた。

「思い出したぞ!! どうも見覚えがあると思ったんだ!!」

 記憶の符号の高揚感なのだろうが、アーニャの目にその笑顔は一瞬輝いて映った。

「思い……だした?」

 ポロリと口から結い紐が落ちたがそんなことは気にならなかった。

 ルルーシュもかまわずアーニャの肩を軽く掴み、目を細めて笑う。

「八年前、行儀見習いに来ていたアーニャだろう!! そうだ髪はこんな感じで、でもあの頃はあんなに小さかったから……いや、それは俺もか」

 アーニャの記憶にルルーシュは無い。だが、彼の言葉はあることを確かめずにいられない気にさせた。

 ごそごそと端末を取り出し目当ての画像を出す。

「これ、殿下?」

 そこには黒髪の幼い少年が映っていた。アーニャの記憶には無い、記録のひとつ。

 画像を見たルルーシュは目を丸くする。それが子供の頃の自分の姿だったからだ。

「懐かしいな……これはアリエス宮の庭園だな」

 ふわりと笑うその背後で、ロロはわずかに身を強張らせていた。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニアの記憶は消されていても、ロロとしての記憶はそれを大雑把に塗り替えただけのものだ。そして彼には彼の記憶しかない。補完された彼女の記憶の中で自分がどういう役割なのかわからないのだ。

「そう、殿下は覚えてるの」

 ロロの懸念をよそに、アーニャがルルーシュにつられたように笑う。

 続いた言葉はロロにとっても、ルルーシュにとっても、予想外のものだった。

「私、なにも覚えてない。だから……嬉しい」

 

 

 

 

 

 

 ざわざわと人が行き交う空気は明るい。

 海上の旅を終え、蓬莱島という拠点を得て少し展望が開けた気分の者の方が多いからだろう。その空気の中、真新しいマニュアルとにらめっこをしている一団があった。

「フロートユニットか……紅月は使いこなしていたが」

「藤堂さんなら扱えないってことはないですよ、もちろん俺もね」

 慎重な藤堂に朝比奈の楽観主義がかぶる。

 一方で、スーツケースを開けて顔をしかめているのは仙波である。

「このデザイン……誰か止めなかったのか?」

 ちらりと覗きこんだ卜部も顔をひきつらせる。

「俺、今までのじゃダメですかね……」

「ダメですよ!! 前より安全性上がってるんですから!!」

 彼らに先行して機体データのテストに協力していたカレンが大人二人を叱りつけた。

 彼女も身につけているその新しいパイロットスーツは、仙波や卜部が難色を示したように確かに三十、四十過ぎにはつらいデザインである。

『仙波さんのは、特につらいというか、いたたまれないよ……』

 こればかりは同意せざるを得ない『声』に、頷くことができない状況がさらに卜部のつらさを増す。

「せめて黒、黒で……」

 絞り出したような仙波の声には必死さが滲み出ている。

「仙波、私は黒だから取り替えるか?」

 藤堂が労わるように声をかけるも、仙波は横に首を振った。

「お言葉ですが将軍、サイズが合いません……」

 うなだれる仙波の姿に、カレンはちょっと思う。

 普通に着ている自分がこれではおかしいみたいじゃないの、と。

「ほらほら、あんたらもさっさと着替えてちょうだい。こっちは他にも色々あんだから」

 煙管をくゆらせながら現れたのはラクシャータだ。

 うなだれる男どもを無情にテストへ追い立てる。

 ふえーいと気の無い返事をする卜部の尻を蹴りつけると、鋼の騎馬の母はふんと鼻を鳴らした。

「それにしたって、こんなもんまで必要になるのかねぇ」

 ラクシャータの手元には、再会したナナリーからの様々なお土産があった。

 その中の一つはいずれ必要になると言い含められたものだったが、今は到底着手できる余裕はないし、ラクシャータ自身もまだその局面が思いつかなかった。

「『アポロンの馬車』、か……」

 

 

 

 ディートハルトはこの世の終わりのように、崩折れている。

「……とてもにぎやかな方とうかがっていたのですが」

 紹介されたもののまるで口を開かない男は、ナナリーにしてみると所在すらつかみにくい。

「オブジェのようなものですわ、ささ、お気になさらずお茶のおかわりはいかがですか?」

 神楽耶は上機嫌で咲世子を呼ぶ。ここの女官たちも気心が知れてはいるが、やはりなじみの者の方が話はしやすい。

「ありえません……ゼロが、ゼロが……」

「衣装の余りで今からでもあなたもゼロになれますよ?」

 ナナリーの言葉にのろのろとディートハルトは顔を上げる。

「私はカオスの権化になりたいのではなく、カオスの権化の記録者になりたいんです……ッ」

 お茶のおかわりを楽しみながら、ナナリーは神楽耶に向き直った。

「困った性癖ですね」

「ですわ」

 それはそれとしてである、ナナリーには神楽耶と話すべきことが山ほどあった。

 これからが大変なのだ。神楽耶も読みきっていたことには驚かされたが──ブリタニアが今後打ってくる手である。

「ナナリーさんはどなたがいらっしゃるとお考えですの?」

「候補としては、オデュッセウス兄さまでしょう。シュナイゼル兄さまの考えそうなことですから」

 神楽耶はふむ、と資料に目を落とす。少し前に天子におすすめ物件としてプレゼンした藤堂に輪をかけておっさんくさい。

「これなら勝てますわね、シュナイゼル本人でしたらかなり危ないところでしたけど……いえ、これもこれで逆に引き立ちますわね」

 一人で納得してうんうん頷く神楽耶にナナリーがたずねる。

「……オデュッセウス兄さま、そんなに冴えない見た目でしたか」

 ナナリーにはうっすらとした幼少の記憶と、報道で耳にする声の印象しかない。頼りにはならない人間ではあるが穏やかな雰囲気の長兄は、少なくとも感じは悪くないように思えたのだが。

 しかし神楽耶は一刀両断である。

「ええ、藤堂で余裕ですとも」

「差し出がましいようですが神楽耶様、この話藤堂には伝えたのでしょうか」

 少し復活したディートハルトが口を挟む。さすがに本人不在でこの手の悪だくみが進んでいくのは、いくら相性は最悪とはいえ同じ男として気の毒な気がしていた。

「あら、人生にはサプライズが必要ですわ」

 にっこり笑う神楽耶に屈託はない。

 ナナリーもはしゃぎ気味に両手を顔の前で合わせて笑う。

「あの藤堂先生をびっくりさせられるなんて、楽しみですね!!」

 ああ、この少女もこの手合いか。

 確かにカオスではあるのだが、期待したカオスとちょっと違う状況に再びディートハルトは頭を抱えた。

 

 

 

 神楽耶曰く『案の定』ナナリーに言わせれば『順当に』、宦官たちとブリタニアはオデュッセウスと天子の婚姻を進めようとしていた。

 その祝いの席で、オデュッセウス・ウ・ブリタニアは思いっきり困惑していた。

 もともとあまり小さな子の相手は得意な方ではない。何年か前に末の兄弟姉妹の誰かを大泣きさせてしまった記憶がある程度に、苦手である。

 あの子は誰だっただろうか、そんなに物覚えの悪い方ではないはずなのだが大泣きしていた亜麻色の髪の女の子の顔と名前がどうしても思い出せない。

 だが泣かせてしまった罪悪感だけはくっきりと残っている。

 そんな苦い思い出のある上に、である。

 明らかに、あからさまに、大変はっきりと、天子と呼ばれている少女はさっきから静かにぽろぽろと涙をこぼしてはハンカチで拭っている。

 確かにどこからどう見ても言い訳のしようもないほどに政略結婚だが、ここまできっぱりと拒絶を態度で示されるのは胃が痛い。ついでに言えば挨拶に訪れる客人への返しもかなり困る。というか客も困っている。

 助け舟を求めて弟を見れば、パートナーらしい所在なさげな娘に何事かを語りかけてばかりでまったく頼りになりそうにない。

 誰か、誰か空気を変えて欲しい。そんな彼の願いが通じたのかどうか、その招かれざる客は現れた。

「ゼロ……」

 どよめきが広がる。

 今まで何度も映像で見てきた仮面の魔人がそこにいた。

 エスコートされているのが皇神楽耶という時点で、どういうごり押しをしたのかは察せられる。だがその黒い魔人の姿はオデュッセウスにとってまさしく救いの神だった。

 空気を変えてくれるだけで、テロリストだろうがなんだろうがかまわない。

「ほら見てごらん、ゼロまでやってきたよ」

 天子ににっこり笑いかけながら指をさす。

 動物園で子供に『ほらキリンさんだよ』と興味を引こうとする父親のノリである。

「……変な格好」

 ようやくベソをかくのはやめてくれたものの、上目づかいでゼロを見たその一言は大変辛辣だった。

 この子とうまくやっていく自信、ない。

 オデュッセウスは笑顔のまま、冷や汗を流すほかなかった。

 

 C.C.はまわりに聞こえない程度の声でそっと神楽耶に囁いた。

「おい、お前のお友達とやら、ずいぶんな目でこっちを見てるんだが」

「まあ、ゼロ様のファッションにはかなり首をかしげてましたから」

 私じゃない、これはルルーシュのセンスの問題だ。

 そう言い返したい気持ちをC.C.はぐっと堪える。あくまでもこの場で彼女はゼロとして振舞わなければならない。

〈いいですか、シュナイゼル兄さまの相手は私がやりますから、C.C.さんは指示通り動いてくださいね〉

 また人形劇か。

 ナナリーの声にうんざりしながらも、そうせざるを得ないのも彼女はわかっていた。

 はっきりいって、シュナイゼルみたいな男は苦手だ。あの何を考えているのかわからない態度もだが、そもそも完全にタイプじゃない、育ちすぎである。

〈ああナナリー、お前に任せるよ〉

 投げやりな返事とともに、C.C.はシュナイゼル・エル・ブリタニアへ向かって歩き出した。世が世なら役者としてやっていけたかも、などと思いながら。

 

 

 

 ルルーシュによく似ているが、確かにルルーシュとは違う。

 対局してシュナイゼルはあらためて実感していた。

 戯言のように枢木卿を賭けて始まったゼロとのチェスは、彼に多少なりとも今のゼロを考える上でのヒントを与えようとしてくれていた。

 ゼロは、シュナイゼルの兄弟の一人であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアによく似た思考の持ち主のようだった。その駒の動かし方は彼の傾向に非常に近い。

 だが、違う。

「君は……私が知る人間より、苛烈だね」

 ルルーシュが持つ人間味と言っていい一種の甘さが、無い。

 ゼロが盤面から顔を上げゆっくりと手を組み、肩をすくめる。

「優しい世界を望むなら、今の世界に挑まざるを得ない。違うかな?」

 シュナイゼルはほんのわずかに眉間にしわを寄せた。

 盤面から読み取ったこととのギャップもある、だがそれ以上に『優しい世界』、そのひと言がある人間を思い起こさせたからだ。

 かつて彼の前で勢いよく夢を語った、今はいない妹。

「ゼロ、君はユフィの」

 言葉は最後まで続かなかった。

 

 カレンはほぼ反射で動いていた。

 スザクのぽかんとした顔に、こいつより早く動けたのかという優越感がちょっとだけわいたがそれどころではなかった。

「ニーナ、落ち着いて」

 かつて学園の生徒会にいた少女、ニーナ・アインシュタインを取り押さえながらカレンは彼女の手から落ちたナイフを足で遠くへやった。

 とっさに掴んだものらしいそれは、テーブルウェアだから大したものではないが、習慣的なものである。

 衝動的なものだろうが、彼女がこんな行動に走った理由をカレンは察していた。

 ユーフェミア・リ・ブリタニア。

 ニーナは彼女に崇拝めいた感情を持っていた。

「離してよカレン、ゼロは、ゼロはユーフェミア様を殺したのよ!?」

 血を吐くような声に、カレンは口をひき結ぶ。

 本当は、殺す以上に酷いことをしている。知った上で黙っている自分も自分だ。

 

「そうだ、ユーフェミア皇女を殺したのは私だ」

 

 有無を言わせぬ声が響いた。

 すっとゼロが立ち上がり、カレンに取り押さえられたニーナへ歩み寄る。

 カレンの腕の中で、ニーナの体に震えが走ったのが伝わった。

「だから君にはこう言おうニーナ・アインシュタイン。私の知るユーフェミア・リ・ブリタニアは、憎しみで刃をふるう人間ではない」

 ばっと芝居じみた動作でマントを翻し、さらにニーナへ顔を近づける。

 カレンは、これはナナリーの言葉なのか、それともC.C.が喋っているのか判別がつかず少し混乱していた。

 そんなはずはないのに、メフィスト・フェレスじみたそれが本物のゼロにさえ思えてくる。

 その悪魔は怯えを浮かべるニーナへ囁く。

「ましてや、鞘のない刀を振るう事をよしとする者ではない。……それだけは覚えておきたまえ」

 言うことは言い終わったのか、ゼロはくるりと振り返りシュナイゼルに勝負は預けると告げている。

 ふっと体から力が抜けたニーナを、カレンはもはやおさえるというより支え、抱きしめていた。

 たいして親しかったわけではない。それでも、生徒会の片隅で曖昧に笑っていた姿を覚えている。

「ニーナ、大丈夫、大丈夫だから……」

 ニーナはカレンの声にのろのろと顔を上げる。その目は戸惑いで揺れていた。

「ねえカレン、あのゼロは……私が憎んだゼロなの……?」

 それは、カレンには答えられない問いだ。

 言葉を探しあぐねているうちに、ニーナが笑う。

 弱々しく、泣き出しそうな笑顔だった。

「……私、何やってんだろう。みっともないよね」

 

 スザクに連れられていくニーナに後ろ髪を引かれる思いで振り返ったカレンは、客の顔ぶれに知己を見つけて軽く目を見張った。

 当の本人はとっくに気づいていたらしく、小さく手を振っている。

 アッシュフォード学園の名物生徒会長、ミレイだ。その傍にいるのが例のランスロットの開発者、ラクシャータの言う『プリン伯爵』とやらだろう。

 周りに悟られない程度に笑みで返すとカレンは魔女と神楽耶のお供に戻った。

 スザクもニーナもミレイもかつては同じ生徒会室にいて、今も同じ空間にいるのにまるでバラバラで、元からそうだったのだと言われてしまえばそれまでなのだろうが、それが少し寂しい。

 まだいくらか騒然としているホールを後に、カレンはわずかにうつむいた。

 これから先、きっとこんなことがいくらでも増えていくのだろう。

 

 

 

 卜部は口をややへの字にしてモニターを睨む。

 画面はこれから始められる婚礼のために集まった人々を映している。

 そこに不満があるわけはない、作戦内容にも大きな不満はない。

「案外子供っぽい方ですね、あなたは」

 見透かされたようにディートハルトに鼻で笑われムッとするも、事実なので言い返せない。

 そう、卜部の不満は新型のナイトメアにあった。

 月下の発展系の機体のマニュアルは、先だってのテストの前にラクシャータの手で取り上げられた。

 かわりに渡されたそれは卜部の顔をひきつらせ、C.C.のニヤニヤ笑いを引き出すものだった。

「……あの機能なら、嬢ちゃんとゼロが乗るのが順当だろ」

『ていうかあの子怖い』

 否定できない部分がちょっとある『声』に胸の内で頷きつつ、幾度となく繰り返した主張を卜部は引っ込めない。

「あなたの技量を判断しての、最適な配置でしょう」

 ディートハルトはにべもない。卜部が思うにこの男、中華に渡っている間に何かあったのか、疲れた目で他人を突き放す物言いが増えた。

「あんたはゼロが出張る方が面白いんじゃないのか?」

 卜部の言葉にディートハルトは目を見開き笑う。

 乾いた笑いだった。

「ゼロ、ゼロですか、聞けばゼロは誰でもゼロだそうじゃないですか、あなたがゼロの扮装をすれば円満解決ですよ!!」

 目つきも虚ろで正直なところちょっと怖い。

『お疲れでいらっしゃる……』

 ヒキ気味の『声』に卜部はこっそりと同意した。

「……疲れすぎだろいくらなんでも」

 

 

 

 

 

 

 秘め事は密やかに、少女と魔女は声を潜める。

 いつまでも尻尾をつかませない狐はどうしたらいいか。

 犬をけしかけ追い立てて、巣穴を突き止めればいい。

「これが揺さぶりになるのか?」

 魔女の問いに少女は笑う。

「ええ、だって中華連邦(ここ)は彼のなわばりですもの」

 洛陽からはずっと離れた──例えば砂漠地帯、山岳地帯、この広大な国は彼らが人を避けて潜むにうってつけの土地が揃っている。

「きっと、仕掛けてくるでしょうね」

 それが狐自身を破滅に導く選択だとも気づかずに。

 少女は嗤う、心から。

 魔女は沈黙する、かつて捨てたものへの罪悪感で。

 

 

 

 

 

 

 婚礼の儀式は滞りなく進んでいく、はずだった。

 それを止めんと待機していた黎星刻も、縁者として列席していたシュナイゼル・エル・ブリタニアも、主役であるオデュッセウス・ウ・ブリタニアも呆然とせざるを得ない事態に直面していた。

 泣いている。

 天子と周囲に呼ばれる少女、蒋麗華が花嫁の象徴であるベールをはたき落とし、ボロボロと涙を流している。

 宦官らもこんな事態は想像もしていなかったのか、皆一様にオロオロとするばかりで指示を出すことも忘れていた。

「……こんな婚礼、拒否します!!」

 決定的な一言は、ぎりぎりで公の放送に乗ってしまっている。

 打ち切られた放送はたちまちネットを介したそれに取って代わられ、好奇心でいっぱいの大衆がそちらに飛びついたのは余談だ。

 綺麗さっぱりと拒否されたオデュッセウスは、やっぱりなあと思いながらもなだめようと口を開きかけた、瞬間だった。

「婚礼とは、心に決めた方とすることでしょう!!」

 こっちが泣きたい。かけるべき言葉を見失ったオデュッセウスは曖昧な笑顔を浮かべたままかたまった。

 少女はまるっきり彼を無視して続けざまに爆弾を投げた。

 

「わたしは、あの方以外との誓いなど、嫌です!!」

 

 その言葉を耳にした星刻は、知らずガッツポーズを取っていた。

 無理からぬことである。

 誓いといえば、彼の記憶にもあるあの日の永続調和のそれしか思い当たらない。

 あの小さく幼い少女は覚えていてくれたのだ。

 さあ今こそ彼女のために、そう一歩踏み出そうとしたその時だった。

 

《その声、確かに聞き届けた!!》

 

 式場の天井が崩れ、黒い影が彼女を覆う。

 赤い髪状の放熱器をなびかせた黒いナイトメアフレーム、それは黒の騎士団の機体の特徴を備えていた。

 だがそれは一番の問題ではない。

 その機体の手から降り立った者こそが、重要だった。

「我が名はゼロ!! 天子よ、あなたの秘めたる願い、叶えて差し上げましょう!!」

 優雅に、大仰な仕草で仮面の魔人は幼い少女に言い放つと同時に、黒いナイトメアのコクピットが開き、それを駆るものの姿があらわとなる。

 瞬間、ぱあっと花が咲いたかのような笑みが天子の顔に浮かんだ。

「……鏡志朗さま!!」

 その視線の先のコクピットには、日本人には厳島の奇跡と讃えられブリタニアには恐れられた武人──藤堂鏡志朗の姿があった。

 

 申し訳ありません天子様、何ですか、それ。

 黎星刻は、踏み込もうとした姿のまま軽く咳き込んで血を吐いた。

 

 藤堂は、凍りついていた。

 作戦は、あくまでも天子の──花嫁の強奪だったはずだ。

 ゼロを連れての突入と離脱、そこにこんな小芝居が入るとは聞かされていない。

 それ以前に、なぜ面識のまったくないはずのあの幼い少女はこちらへ期待に満ちた笑顔を向けているのか。いやそもそも、なぜ操作もしていないハッチが勝手に開いたのか。

 不幸中の幸いというべきだろうか、藤堂鏡志朗の表情は日頃からあまり変わらない。

 完全に動揺しまくりぎこちなく少女へ目を向けたその姿も、周囲には落ち着き払ったものとして映る。

 一方ゼロは危うげなところなど一つもなく、軽々と天子を抱き上げた。

「さあ天子よ、あなたの想い人とともに参りましょう」

 そのままひらりと藤堂に少女を預ける。

 とっさに少女を抱えようとした藤堂はさらに次の動きで完全に思考が混乱した。

 彼女がぱっと藤堂に飛びつく。

 感極まったように頰に顔を寄せ、そして言い切った。

「覚えていてくださったんですね!! いつか……必ず外の世界を見せてくださると!!」

 初対面な上に初耳である。

 思わずゼロを横目で見る。どうしたらいいのかさっぱりわからない。

「藤堂、離脱だ。天子はコクピットで守れ、私は予定通りコンテナに乗る」

「し、承知した」

 人間混乱の極みにあると、具体的な指示にはとことん弱くなる。

 つい飛びつくように従ってしまう。

 少女を抱えたまま藤堂がコクピットを閉じる間に、仙波のナイトメアがコンテナを抱えて現れた。

 カレンはコンテナの紅蓮に乗り込み、ゼロが悠々と神楽耶とともにコンテナへ収まる。

 やっと作戦通りの流れに戻ると、藤堂の頭はようやく働きだした。

 

 式場でオデュッセウスとシュナイゼルら皇族を守るラウンズは、一人だった。

 ジノ・ヴァインベルグ、トリスタンの乗り手だけで、昨日のレセプションにいたはずの枢木スザクの姿はない。

 つまり、もう一人の円卓の騎士は──反射的に藤堂は飛んで来たハーケンを絶妙に位置をずらして弾く。

「きゃっ」

 上がった声が先ほどまでの妙に芝居っぽい調子ではないことにどこか安堵しながら、藤堂は軽く詫びる。

「すまない、しばらく怖い思いをするだろうが……君は守ってみせよう」

 少女の返事を待たずに空へと飛び出す。

「やはり君か、枢木スザク!!」

 空を駆けるブリタニアの白い悪魔、ランスロットの姿がそこにはあった。

 容赦無く銃弾を放つ姿に、彼はまだ()()()()のだと気付かされる。

 輻射障壁で銃弾を防いで距離を取れば、ランスロットはさらに大型の火器まで構えた。

「なるほど、ブリタニアにとって彼女はその程度の存在だったか」

 オープンチャンネルで告げた一言で、たちまちその動きに迷いが生じる。枢木スザクのそういうわかりやすいところは、あまり変わっていないのだろう。

 どこか安堵を覚えながらも藤堂は己のナイトメア──斬月の刃を構える。

〈藤堂さん、あなたは何を言って……〉

「鏡志朗さま、わたしは殺されるのですか?」

 心細げに藤堂へたずねる天子の声に、スザクが息を呑む気配が伝わった。

 半ば彼へ畳み掛けるつもりで藤堂は少女に声をかける。

「そうはならない、安心しなさい」

 子供を相手に語るそれに、ふと八年前を思い出しながらも機体を繰ることは忘れない。

「君は外の世界を見せろと言った。ならばその願いは必ず果たそう」

 

〈おいスザク、絶対に撃つなよ…! そこに天子も乗ってるんだ!! えーと……その、駆け落ち、駆け落ちだよ!!〉

 藤堂の言葉に少女の声、そして焦りをにじませたジノからの通信。

 スザクは呆然とするほかなかった。

「あの藤堂先生が、駆け落ち? あんな小さい子と、駆け落ち? ……あの藤堂先生が?」

 今も昔も藤堂の印象はスザクの中でぶれることがなかった。

 敵として相対することに迷いが生じないほどに芯が通っている、そういう男だ。

 それが、どう見ても子供にしか見えない少女と駆け落ち。

 あのド天然の先生が、駆け落ち。

 しかも目の前の黒いナイトメアに今まさに同乗している。

 動揺が、仇となった。

「え? ああっ」

 藤堂は容赦なく動き、斬撃を浴びせてきた。

 一の太刀、二の太刀、ここまではほぼ反射でかわす。

 それらが可能な枢木スザクは確かに尋常ではない乗り手である。

 だが陰の太刀はわかっていても、他に気を取られていて手に負えるものではない。

 三の、太刀。

 気づけばフロートユニットの片翼が断ち切られていた。

「そ、その状況で攻めますかあなたは!!」

 半分泣き言である。

 当たり前だ。

 まず間違いなく黒の騎士団の仕込みだろうが、あの元師匠が幼女と駆け落ちした上に、なんだかほだされている雰囲気で、ここで撃ったら確実に国際問題でもあるから手出しもできない。詰んでいる。

 なのにいつもの調子で攻撃されれば、泣き言の一つも言いたくなる。

 ランスロットは高度を落としていく。

 藤堂の背後を通り過ぎていく紅蓮らの姿をコクピットの中で見送りながら、スザクは疲れた笑いをもらした。

 すべてが周到な上に、妙におふざけが過ぎている。

「今のゼロが誰だか知らないけれど……神楽耶だ、絶対これ神楽耶が絡んでる……」

 昔から苦手だった少女の勝ち誇った顔が浮かび、スザクは無性に泣きたい気分に陥っていた。

 

 

 

 ナナリーは通信や報告を受けるたびに笑顔を振りまいている。

 リモート操作で藤堂のコクピットを強制的に開けた時など、笑いをこらえて少し滑稽な顔つきになっていたほど、始終ご機嫌であった。

 一方でディートハルトの目はどんどん生気を失う。

『CHABAN過ぎるんだ……』

「藤堂さん、基本的に子供に甘いからな」

 

 『声』に相槌を打ちながら、卜部は思う。

 完全に騙し討ちではあるが、これは案外藤堂には悪くない状況かもしれない。

 藤堂という男は、ああやって『お荷物』を抱えている以上、決して馬鹿な真似はしでかさないだろう。

 日本解放戦線崩壊直後に彼がブリタニアに捕らえられた経緯を、卜部は後になって朝比奈から聞いている。藤堂は朝比奈と千葉を庇って捕らえられたのだ。

 その後のチョウフでもゼロが現れなければ死を受け入れる気だったということは『声』がぽろりと口を滑らせたことで知った。

 曰く『師弟揃って死にたがり』、ぞっとしないが真実だと思う。

 そして先だっての千葉の死。

 藤堂が彼女をどう思っていたのかはわからないが、卜部はあれから何か()()()()感じがしていた。

 だからだろうか、茶番劇の只中で真面目に少女をなだめる藤堂の姿は、歓迎すべきものとして目に映る。

 生きている、そう思えたからだ。

 

 思索を打ち切ってちらりと横目でうかがえば、やる気がなさそうに見えてもディートハルトは果たすべき仕事はきっちり果たしている。

 藤堂は気づいていないが、先程からのコクピットでのやり取りはしっかりとネットに放流されている。視聴数はとんでもないことになっているらしい。

「こういうのウケが……いいんですよね……大衆はわかりやすい物語を好……ううっ」

 顔を覆ったのは泣いているからなのだろう。そこまで嫌かとディートハルトに軽くヒきながら卜部はナナリーに尋ねた。

「陽動に使わせてもらった連中は本当に放置でいいのか? 対立するもんでもないだろ」

 事情を知らない星刻が気の毒すぎての言葉だ。

 向こうも打算ありきだろうが、領事館では散々世話になったというのもある。

 加えてここまで大胆な登場ができたのは彼らの蜂起を利用したからこそのもので、その後ほったらかしというのはどうにもおさまりが悪い。

「最初から協力していただく手もありましたけど……あの星刻という方に確実に反対されそうでしたから」

 切れものではあるが、天子のこととなるとやばい。

 『声』の言っていたことを思い出す。

 ついでに式場外で捕縛されていた彼の、気落ちしすぎて今にも死にそうな顔も。

「ああ、偽装って言い聞かせてもあれはダメだったろうな……」

 頷く卜部にナナリーはにこにこと上機嫌に語る。

「それに、あの宦官たちにはもうちょっと悪役をやっていただかなくてはいけませんので」

 彼女は星刻たちに恩を売りたいのだ。後々のパワーバランスを調整する、来るべき日のための下準備である。

「あと神虎でしたっけ、あれも戦場に引っ張り出したいところですね」

「あれが欲しいのか、そうか」

 卜部の呆れ声に、できればその乗り手ごとです、などと言いながらナナリーは見えない目で巧みにタッチパネルを駆使する。

 伏せ札はとっくに揃っていた。火をつけられれば即座に爆発しそうなほどに燻った大衆、うってつけに宦官らに手を貸すブリタニア、そして撃ってくださいと言わんばかりに保身しか考えていない宦官。

 一気に事態を転がすには演者の踊り具合だけなのだが、藤堂に関しては期待以上の成果を出しつつある。

 『少女の小さな願いのために、立場のあるはずの他国の男が身一つで戦っている姿』はウケがいい。藤堂があくまでも保護者然としているのも印象がいいのだろう。

「さて、私たちも準備を始めましょうか」

 車椅子を押して場を移そうとする少女に手を貸す。

 楽しいショーに新しいおもちゃ、ナナリーはご満悦だ。

「宦官のもう一味、これなんですよね。早く動いて欲しいものです」

 シュナイゼルはゼロを苛烈と評したが、なかなかいい指摘だった。

 あれは人を見る目を持ち合わせている。

 楽しげな少女の車椅子を押してやりながら、卜部は小さくため息をついた。

 

 

 

 黎星刻という男はとことんついていないらしい。

 宦官らが彼の部下を人質に、虎の子のナイトメアを与えて彼に指示を出している真っ最中と聞き、シュナイゼルは体を寛げた。

「優秀なのも、大変だね」

 とはいえども今のあの男は宦官の期待ほどには動けない、そうシュナイゼルは確信している。

 天子である。

 彼女は望んで黒の騎士団の手を取ったのだ、それも実にメロドラマ的に。

「……気の毒なことだ」

 頬杖をつき、ぽつりと呟いたシュナイゼルに副官であるカノンがちらりと目を向ける。

「どなたのことでしょうか」

 副官の言葉に、ナイトメアのハッチが開いた瞬間の藤堂の姿が浮かぶ。

 微かなものだったが、そこに動揺があったのをシュナイゼルは見逃さなかった。

 花嫁に逃げられた立場の兄も相当なものだが、()()()()()()()()()思慕を向けられるのもなかなかしんどいことだろう。あれはとても生真面目そうな男に見えた。

「言うね、君も」

 シュナイゼルに浮かんだ笑顔はうわべ以外のものもほんの微かに含んでいる。

 気づいたカノンはにっこりと笑い返した。

 

 

 

 

 

 

 スザクもジノもなんだかんだ言って、こういう時は悪い意味で『男の子』だ。

 アーニャは執務の合間に中華連邦に行っている同僚の状況をチェックしながらため息をついた。

 眉間をちょっと揉んで目をつぶれば、少し楽になったような気にはなる。

「悪いなアーニャ、本来ならラウンズの手を借りるべきことじゃないんだが」

 申し訳なさそうなルルーシュと、少し自分に警戒の目を向けているその弟に苦笑いしながら首を横に降る。

「いいの、気にしないで。私がやりたいからやってる」

 そもそもはスザクである。彼がルルーシュの護衛に名乗りを上げ野次馬的にジノがのっかりついでのように巻き込まれたのがアーニャだった。

 そう、本来ならここにはスザクがいるはずなのだが、彼はゼロ絡みになるとどうも判断がおかしくなる。護衛も忘れて鉄砲玉のようにシュナイゼルに着いて行ってしまった。

 ジノまで行ってしまったのは、おそらくあの赤いナイトメアとの再戦が目当てだろう。

 これだから『男の子』は。

 とはいえルルーシュという総督の傍らで、多少なりとも手伝うことができるのは彼女にとってそう悪いものではない。時折昔の話もしてくれるし、いちいち毛を逆立てた猫みたいな反応をする弟も面白い。いまも相変わらずこちらを不機嫌そうにチラチラと見ている。

「……兄上たちには悪いが、さっきのは傑作だったな」

 思い出し笑いだろうか、ルルーシュがくすくすと笑う。

「駆け落ち?」

 さらににやりと笑うルルーシュはちょっと悪い顔をしている。

 ヴィレッタの軽い咳払いは、嗜めるものだろう。

「いや、藤堂もオモチャにされてるなあれは。……犯人は皇神楽耶だろう」

 アーニャはちらりと横目でミス・ローマイヤの様子をうかがう。一心不乱に書類や端末のファイルを片付けているが、あれは見ないふり聞こえないふりだと気付いた。彼女なりに苦労は多そうだ。

「八年前でもあの女を時々扱いあぐねていたからな、もはや今の藤堂に勝ち目などあるまい」

 堪え切れなくなったのか、とうとう声を立てて笑い出したルルーシュにアーニャはちょっとだけ思った。

 

 この悪い笑い方。なんだか殿下、ゼロみたい。




中華も前後編になってしまいました。

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