コードギアス 二度も死ぬのはお断り   作:磯辺餅太郎

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タネも仕掛けもあるキセキ。

 無数のゼロを乗せた海氷船が海上を行く。

 渋面のローマイヤをはじめとして誰もがしてやられたことに歯噛みする思いだった。

 そんな場に、弾けるような笑い声が響いた。

「やられたな、スザク」

 笑うのは、してやられた張本人であるエリア11の総督、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。

 笑いすぎたのか、涙を拭ってすらいる。

「ルルーシュ、君笑いすぎだよ!!」

 あまりのルルーシュの笑いっぷりに、枢木スザクも若干素に戻っている。

「こういう手は考えなかったかといえば嘘になる。だがなスザク、本当にやるバカがいるとは思わなかったぞ!! それも百万人もだ!!」

「返せ!! この前ちょっと感動した()の純情を返せ!!」

「いや無理だ無理無理、考えてもみろ、あの中に確実にあのいつもしかめっ面してた藤堂だのがいたんだぞ、あのコスプレで!!」

 総督の一言で、警備の兵に指示を出していたギルフォードが一瞬むせたのを咎められるものはいなかった。

「あー殿下、一応ですね公式の場ですから、殿下、聴いてます? 殿下? ……おい、ルルーシュ!!」

 歯止めになるかと思ったヴィレッタもまるで役に立っていない。

〈記録……〉

 壇上のコントをアーニャは淡々と写真に収める。

〈それブログにアップするなよ〉

 苦笑いでジノが彼女を嗜めるが、効果があるかはわからない。

 ローマイヤと並び待機していたロロは彼女にそっと尋ねる。

「放送は」

「彼らが『国外追放』されたあたりで中継は止めました」

 確かに大ウケして笑い転げる今の兄はお茶の間にはお見せできない。

「最初はお怒りのあまり震えているのかと思っておりましたが」

「笑いをこらえてただけでしたね、アレ」

 まあ百万人に逃げられたとしてもだ、黒の騎士団が不穏分子をまとめて連れて行ってくれたのは事実である。エリア11は確実に安定する。

「そろそろ枢木卿が本気でキレそうなので、止めてきます」

「よろしくお願いいたします……」

 疲れをにじませたローマイヤの言葉を背に、ロロはため息をつきつつ兄の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 卜部はぼんやりと海面を眺めていた。

 潜水艦と港湾地区の一角が今の彼らの隠れ家だ。

 今頃は方針を巡っての会議でもしているのだろうが、戻る気になれなかった。

 

 千葉が、死んだという。

 

 こういう立場なら、死は珍しいものではない。ましてや日本解放戦線で抵抗活動を続けていたのだから、それはいつかあり得ることだった。

 それでも、実感がわかないことが逆にこたえた。

 作戦前に散々お小言を食らった、その彼女が死んだというのが現実味がない。

 今も後ろから突然現れて、『何をサボっているのか貴様は!!』とえらい剣幕で尻を蹴りつけてきても不思議ではない。

 だが、彼女は現れない。もう、いない。

『あの作戦、死んでたのは仙波さんだったんだ』

 呟く『声』にも日頃の勢いがない。

『おかしいだろ、トリスタンは来るのがあらかじめわかってて、藤堂さんには玉城がくっついてて、仙波さんだって生きてて、なのに、なのに……なんでこうなっちゃうんだよ』

「そんなもん、運だろ」

 死そのものに動揺を受けている『声』が、卜部は少し羨ましかった。そういう部分が、自分はかなり磨り減ってしまっている。

『それでいいのかよ!? 俺は嫌だよ、だってこの前までちゃんと、怒って、笑って』

 泣いているのだろうか、『声』が途切れる。

「いいわけねえ、ただ……」

 ふと、脳裏に卜部に千葉の死を告げた時の藤堂の姿が浮かんだ。

「俺は中佐が心配だよ」

 

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの施策は穏健路線だった。

 襲撃を受けたにもかかわらず、黒の騎士団への追求もおざなりであったことからもうっすらと察する者は多かったが、それは数日もしないうちに明らかになった。

 矢継ぎ早に打ち出された施策は、ナンバーズに対して苛烈であった前総督とは明らかに異なるものだ。戸惑いを隠せない者も多かったが、逆に納得する者もいた。

 前総督が燻らせた不満の結果がゼロの復活であると見る者たちには、ナンバーズへの懐柔ともいえる政策がその牙を抜くためのものに見えたのだ。

 その中で、大きな発表があるという。

 

 アシュフォード学園の生徒会室では少年少女たちが集まってテレビに注目していた。

「ルル、ほんとにほんとの皇族だったなんてなぁ……」

 何度目ともわからない愚痴を漏らすのはシャーリーという少女だ。彼女の淡い恋心は当人に告げる前に宙に浮いてしまっている。

「会長も人が悪いよ、俺バベルタワーの件で芋づる式に偉い人にすっげえ怒られたんだぜ」

 恨めしげに生徒会長であるミレイを見上げるのはリヴァルという、誰からも『ああ、いいやつだよね』と言われるタイプの人間である。

「それはルルちゃんを悪い遊びに付き合わせたリヴァルの責任でしょ?」

 立場を黙っていたこととは別物、と笑うミレイは屈託がない。皇族の立場に戻されてしまったことには寂しさがあるが、ロロやスザクがまめに送ってくれるメールや写真を見る限り、彼は彼なりにそこそこ小狡く、そこそこしっかりやっているようだからだ。

「ニーナもこれ、見てるのかしらね……」

 ポツリと落ちた呟きに、シャーリーとリヴァルは口をつぐむ。ブラックリベリオンで取り乱した級友の姿は、あまり後味の良いものではない。

 おまけに軍事機密に関わっているとやらで、どこにいるのかすらわからない有様だ。

「俺らのことなんか忘れてるかもしれないけどさ……元気だといいよな」

 リヴァルの頭をポンポンと撫で、ミレイは再び画面に目を戻した。

 

 

 

 画面の中のルルーシュをスザクは複雑な気分で眺めていた。中継はあらかじめチェックが入った原稿に従って進む。とはいえその原稿を練り上げるまでが大騒ぎだった。

 経済特区『日本』、よりにもよって虐殺事件で極めて印象の悪い名称をそのまま使うその施策はもめて当然のものだ。

 それでも皇帝の許可は降りてしまっている上に、ルルーシュの提案はかつてのユーフェミアのそれを踏襲しながらも地に足がついていたのだから官僚たちもその方向で動かざるを得なくなってしまった。

「ルルーシュ、君は何を考えている……」

 三度にも渡る記憶の操作で何か齟齬が起きているのではないか。スザクにはその懸念を拭い去ることができなかった。

 さらに()()()()の存在である。ヴィレッタの報告を見るまでもない、あのゼロはルルーシュではない。

 だというのに、手口はまるでゼロだ。スザクには、ルルーシュを知る何者かが巧みにゼロを演出しているようにしか思えないのだが、そんな者が果たしているのだろうか。

 弟のロロはルルーシュをわかっている人間の一人だが、彼とてまさか兄がかつてのゼロだなととは思ってはいないだろう。

 一方で黒の騎士団はといえば、彼らはゼロしか知らない。カレンの場合も、正体を知っていることと、ルルーシュを知っていることは別物で、その意味では彼女はルルーシュから遠い。

 C.C.は、どこまでルルーシュをわかっているのか。ただの直感だが、彼女はルルーシュをわかっていたとしても、ゼロ足りえる人間ではないという気がしている。

 何かが欠けている。

 ゼロにしても、ルルーシュにしても考えるためのピースが欠けている気がしてならなかった。

 それにしても、経済特区日本とは。数日前の慰霊訪問で、ルルーシュの考えを多少なりとも聞かされてはいたものの、スザクはますます今のルルーシュをどう受け止めれば良いのかわからなくなっていた。

 

 ルルーシュはフジの霊廟で慰霊のキャンドルに臆することなくユーフェミアの名を刻んで水に浮かべた。その時の横顔を覚えている。

「スザク、彼女は確かに夢を持っていたんだ、俺とは違う優しい夢を」

 皇帝のギアスは、細かな記憶は辻褄合わせの働きに任せてしまうものなのだと聞いている。そのせいだろうか、ルルーシュはいつのものともしれないユーフェミアとの会話を覚えているらしかった。そしてもう一つ、彼は聞き捨てならないことを口にしていた。

「これは俺がユフィにできる数少ない償いなんだ、だから」

 その先の言葉を思い浮かべた瞬間、テレビはルルーシュの特区宣言を放送した。

 

  

 

 藤堂は複雑な気分で放送を見る。

 一年前、血の中で潰えた夢を語る『ゼロ』の姿を。

 もし、あの時ユーフェミアがああならなかったら、世界はどうなっていたのだろうか。

 考えてみたところで詮無いことだ。夢は血にまみれ、ゼロは消え──千葉は死んだ。

 時は戻らない。もしもは、無い。

「では、はじめますね」

 少女の声に、一同に緊張が走る。

 潜水艦内に少女の操る端末の奏でる旋律が響く。

「よかったぁ、気に入ってくれたみたいで」

 笑うラクシャータには、情勢などどうでもいいこだ。

 ただ、自分の()()()()()が生き生きとしていることが喜びなのである。

「ええ、前の子も力になってくれたんですが、この子すごいです。処理速度はもちろん読み出しは圧縮音声で──」

「繋がったみたいだ」

 急に早口になったナナリーを遮るように扇が画面を指した。

 ゼロの、放送ジャックだった。もちろんナナリーの仕込みである。

 ちらりとカレンがナナリーの様子を伺うと、案の定不貞腐れている。そっと頭を撫でると服の裾を掴まれた。

 こういうところは、ここ一年の間に見せるようになった姿だ。

 学園ではもっと大人しい印象が強かったが、ルルーシュの前ではこんな面も見せていたのかもしれない。

 人は、色々鎧っていなければ生きていけない。

 多少なりともそれを解いてくれているのは、少しは信じてもらえているからなのだろうか。

 カレンはケレンたっぷりに語る画面の中のゼロを横目に、ナナリーに微笑んだ。

 それは、柔らかなものだった。

 

 

 

 卜部が戻った頃には両者の放送は終わっていた。

 内容は『声』の想像通りでルルーシュの特区の宣言とゼロによる放送をジャックしてのそれへの参加表明だったらしい。

 睨む仙波に素知らぬ顔をしながら卜部は藤堂に尋ねた。

「中佐、例の船もですけど、黎星刻はちゃんと本国行きの便に乗ってます?」

「ああ、どちらも問題ない」

 中華連邦の海氷船に、それの責任者の所在をぼかすための領事の交代、どちらも仕込み自体は前々からのものだ。『声』曰くルルーシュも使った手だそうだが、普通に思いついたナナリーはやはり発想が兄に似ているのだろうか。

「……会談は、総督引っぱり出せそうですかね」

 気になったのはそれだった。『声』の知る世界では総督はナナリーで、特区参加表明後の会談は彼女抜きだったという。だがルルーシュはそういう立場を甘んじて受け入れるタイプには見えない。

「あ、ああ」

 どこか面食らった顔の藤堂に卜部は首をかしげた。そんなにおかしなことを訊いただろうか。

『アホ!! それ俺が言ったことだよ!!』

 頭に響いた『声』で、いっぺんに肝が冷えていく。

 自分はついさっきまで外でサボっていたのだ。今のは完全に『声』から聞いた話でしかない。

「あ、えーと……俺、C.C.の様子見てきます、はい」

 

 そそくさと部屋を出ていく卜部の背中を眺めながら、朝比奈が顎に手をやる。

「なるほどねー、カレンが言ってた卜部の妙なことってこういうことかぁ」

「紅月が何か言っていたのか?」

 仙波の問いに、朝比奈は肩をすくめた。

「眉唾だと思ってたんですけどね、知ってるはずのないことを時々知ってるって不思議がってましたよ」

「あの情報音痴がか……」

 ひどい言われように思わず藤堂は苦笑いを浮かべ、ふと視界の隅に扇のもの言いたげな顔を見つけた。

「扇、何か話があるのか」

 扇はちらりと朝比奈と仙波に目をやる。聞かれたくない話らしい。

「仙波、朝比奈、すまんが少し席を外す」

 扇を促し藤堂は部屋を後にした。

 

 

 

 座り込み、仮面を眺める横顔に日頃の傲岸さはかけらもない。

「おい、C.C.大丈夫か?」

 卜部の声に顔を上げたその表情も、およそ魔女だと言ってはばからぬ彼女らしからぬぼんやりとしたものだった。

「ああ、この後はまた適当に振り付けて喋っているフリだ、問題ないさ」

 投げやりな調子だが、無理もないことだろうとも思う。この策がうまくいったところで、それはルルーシュからますます離れることを意味している。彼女には何の得もない。

「なあ、そんなもん誰かに投げちまえば良いんじゃないか?」

 そう、別に仮面の中身は体格さえ合えば誰だって済むことなのだ。

 嫌な言い方をすれば、機密情報局以外に彼女を必要としているものは、誰もいない。

 V.V.とやらの追求さえかわせれば、彼女は好きに生きていける。

 もっともルルーシュをゼロに戻すためには彼女は必要だが、それを知る者は限られている。

 そして今の黒の騎士団にあのゼロが必要なのかといえば、卜部にはそうだと言い切れる自信がなくなっている。

 そう、ゼロも必要でなくなってしまえば──彼女は本当にいてもいなくてもいい人間になってしまうのだ。

 答えのない空気になんとなく頭をかいても埒があかない。

「そうだな、オーストラリアあたりに引っ込んで、素知らぬ顔で暮らすのも良いかもしれないな」

 ぽつりと落ちた呟きはかなり飛躍がすぎている。

 そこまで投げろといった覚えはない。

 卜部はまじまじとC.C.を見た。

 そこに浮かんでいたのはいつものような小馬鹿にしたような笑みだ。

「バカか、これはルルーシュのために作ったんだ」

 声の調子とは裏腹に、仮面をそっと抱きしめるその仕草は愛しさが込められている。

「そこらの有象無象にくれてやるわけあるか」

「……確かに玉城あたりが被ってたらぶん殴るわ俺」

 C.C.は、ふんと鼻で笑うと追い払うように手を振った。

「言ったろ、これから着替えるんだお前はさっさと出ていけ」

 

 

 

 追い出された先の階段の踊り場で、卜部は腰を下ろした。

 藤堂らとは顔を合わせづらいし、戻れば調子の戻ったC.C.に確実にぶん殴られる。

『……ナナリーってさ、C.C.をルルーシュに会わせる気あるのかな』

「何言ってるんだ、バベルタワーでも航空艦でも散々苦労しただろうが」

 そう口にしながら卜部もまたその疑惑を捨てきれなかった。

 ナナリーという少女と、C.C.という女の利害は本当に一致しているのか。

 彼女のいう兄と、C.C.の言うルルーシュ、それが相入れないものだとしたら。

 卜部は両手で顔を拭った。

「ダメだ、考えてもさっぱりわからん」

 そもそも卜部はルルーシュという少年のことなど知らない。情報のことではない、どういう人間であるか、だ。

 そしてゼロについてもわからない。そんな自分に何がわかるというのだ。

「卜部さんまたサボってるんですか」

 呆れ声はカレンのものだった。

 両手いっぱいに黒い布を抱えて階段を降りてくる。

「おいおい大丈夫か」

『ゴリラパワーを舐めてはいけない』

 おいやめろ馬鹿。喉元までこみ上げたツッコミをこらえ、半分奪い取るように荷物を持つ。

「……これアレか」

「はいアレです、卜部さんも手伝ってくださいよ。後はひたすら人海戦術なんですから」

 長いゲリラ生活で、繕い物は別に苦手というわけでもない。黒い布をひたすらゼロの衣装に仕立てていくことも、まあやれないわけでもないだろう。

「なあ紅月、お前はこれでいいのか?」

 ふと、先ほどの延長で問いが口をついて出ていた。

「日本を……母の元を離れるのは、そりゃ嫌ですよ。でもそれ言ったらこの一年それこそあっちこっち行ったじゃないですか」

 今さらでしょうとカレンは笑う。確かに逃亡中はインドやら中東やらあちこち移動させられた。そういう意味では中華連邦はお隣さんレベルではある。

「そうか……」

「そうですよ、ただ……今度戻る時はエリア11じゃなくて、日本だといいんですけどね」

 くすりと笑うカレンに戸を開けてやり、卜部も笑い返した。

 ゼロのことは考えても自分ではわからない。

 それはそれとして、確かに──帰る国は、日本であってほしい。

 

 

 ペテンである。

 『ゼロ単独という名目の会談』を見届けた藤堂は小さくため息をつく。

「あの態度は、こちらの手を読んでいるとは考えられないか」

 ルルーシュという少年は昔も敏かった。そして『ゼロ』の申し出にも周囲ほどには驚いた様子もないように藤堂の目には映った。

「そうだな、藤堂のいう通り、こっちのことはお見通しかもしれんぞ」

 外した仮面をくるくる回しながらC.C.が笑う。

 両者に対してナナリーは穏やかに口を開いた。

「ええ、お兄さまには読んでもらわなくては困ります」

 いたずらっぽい笑顔は心底楽しんでいる時のそれだ。

()()を国外に追放するデメリットとメリット、お兄さまならすぐに気がつくはずです」

「……労働力は逃げるが、エリアの安定化を図れる、か」

 藤堂の模範解答にナナリーはにこりと笑い、カレンはぽかんと口を開けた。

「ルルーシュがわかってて見逃すってこと?」

「はい、お兄さまを信用したくても信用しきれない立場のナンバーズ…それに名誉ブリタニア人にしてみれば、約束を反故にしない総督となりますから」

 藤堂が腕を組み替え、皮肉げに笑う。

「彼のお膳立てをしてやるということにもなるが、我らとしても日本に留まり続けるのはそろそろ限界だ」

 背に腹は変えられん。そうしめくくった藤堂の言葉は実感がこもっていた。

 一国の反政府組織でブリタニアに抗うには限界がある。中華連邦をはじめとする諸外国を巻き込んで、やっと対抗できるものだろう。

「そうです、私たちもお兄さまも、ええと……うぃんうぃんですわ」

「う……うぃんうぃん?」

 首をかしげた藤堂にラクシャータがむせた。

 カレンはなんとか堪えつつそっと四聖剣の様子を伺う。

 仙波は壁を向いているが肩が小刻みに震えているし、卜部は宙に目をさまよわせている。

 朝比奈は、こっそりと携帯で動画を撮っていた。

 ディートハルトかこいつは。

 呆れながら室内を見回し、カレンは揃った面子に足りない顔があることに気づいた。

 玉城は締め出されていたからいないのは当たり前なのだが、扇の姿がない。

 さっきのテレビ放送の時は確かにいたはずだが、今この場にいないのは、少し奇妙なことだった。

「ところで衣装の方は間に合うのか?」

 藤堂の問いに仙波が答えている。

 カレンも多少なりとも関わっているので慌てて話に加わる。

 扇のことは、頭の片隅に追いやられてしまっていた。

 

 

 

 

 

 ジノは経済特区日本の式典会場を見下ろして、思わず笑い声をあげていた。

 百万の行政特区参加希望者が、たった今国外退去処分を公に命じられたゼロに姿を変えたのだ。

「なるほどそういう手か……ルルーシュ殿下、わかってて乗ったなこれ」

 おあつらえ向きに中華連邦船籍の海氷船がやってくる。恐ろしく用意がいい。

 完全にゼロの奇策にやられた格好ではある。

 だが、これで大衆には印象づいたはずだ。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはユーフェミア・リ・ブリタニアとは別物であると。

「損はしてるが、得もあるか……ゼロってやつも謎な男だ」

 ブリタニア軍に手出しさせることなく百万のゼロを見送るルルーシュの姿は、失態であると同時に約束を違えないという姿勢を強烈に打ち出す。

 態度を決めかねていたナンバーズや名誉ブリタニア人に与える影響は大きいだろう。

「まあ、揉め事はないに越したこと、ないよな……」

 大小様々のゼロを見送りながら、ジノは小さくあくびをもらしていた。

 

 

 

 海氷船が洋上を進みしばらくして、朝比奈はようやくゼロの仮面を取った。

 大慌てで作ったそれは紙の貼り合わせの割には意外に似ている。

「藤堂さん、扇のこと本当に良かったんですか?」

 ゼロの衣装のタイを緩めている藤堂に声をかければ、微かな笑みを返される。

「彼の選択だ。我々がどうこういうことではない」

 藤堂はそうは言うが、朝比奈は不満がないわけはない。

 扇要はこの場にいない、特区へ参加するのだ。

 朝比奈にしてれば、それはブリタニアに情報を流すことにつながるだろう懸念を拭い去れない。

 ましてやその理由ときたら、女である。

 こっそりと扇と藤堂の密談を聞いた朝比奈は、正直呆れかえっていた。

 ブラックリベリオンではぐれたブリタニア人の女がいるから、残って特区に参加したいという。朝比奈には理解不能な話だった。

 だが、藤堂はそれを認めた。

「目当ての女にべらべら情報漏らすって思わなかったんですか」

 朝比奈の咎め立てる調子に、藤堂は笑みを引き締める。

「……あのナナリーという少女の件だけは漏らすなとは言ってある」

「あの子は確かにすごいけど、そんなに隠すほどのことなんですか?」

 ハッキングとその発想は凄まじいあの少女だが、素性となると卜部もカレンも微妙に言葉を濁す。一方で少女はあの総督を兄と呼ぶ。

 藤堂もまた何かを知っているようだが明かす気配はない。

「わからん、だがブリタニアの今の状況が異常なのは確かだ。彼女の手がかりを与えるのは避けたい」

 藤堂は言葉を選んで答えた。ゼロを総督に据え、彼の妹の存在を消し去っているその狙いがわからない。そこにナナリーという少女の存在を知られるのは、藤堂にはあまり都合のいいことではない予感がしていた。

「藤堂さんの言うことですから従いますけど……」

 朝比奈からすれば、彼女に関してはゼロ並みにわからないことだらけだ。

 一人で考えても答えが出るはずもない。

 軽く心の棚に放り投げ口をつぐんだ。

 それにもう一つ気づいていることがあるのだ。

 たかだか女一人のためにすべて放り捨てる扇の選択に、藤堂が異を唱えなかったのは──千葉が、いなくなったからだと。

 

 

 

 ヴィレッタ・ヌウは特区への参加希望者含まれる減刑者のリストに目を疑った。

「総督、この男は……」

 本来は事務方レベルのものだ。だが、確実に黒の騎士団と関わりがある者の情報は上がってくるようになっている。

「扇要、先だっての領事館のゼロの騒動で逃亡した男だな」

 かつてはあの組織で副司令を任ぜられていたそうだが、と続けるルルーシュに興味の色は薄い。

「ご存知だったのですか」

 ヴィレッタの問いにルルーシュはこともなげに答える。

「立場が立場だからな、鏡越しとはいえ聴取に立ち会った。残念ながら逃亡後は組織で大した役割は与えられていなかったようだ」

 随分と凡庸な男だったからな、と付け加えられた言葉でルルーシュの評価が知れた。

 確かに、ヴィレッタの知る扇という男は突出した才覚のある男ではない。

 客観的に見れば、ルルーシュの評価は妥当なのだろう。

「監視は……つけておきます」

「ああそうだな、それくらいは必要だろう」

 あっさりと片付けられ、扇の名は業務の片隅に追いやられていった。

 あの百万のゼロ事件以来、行政特区への参加希望者は多くもないが少なくもない。

 ルルーシュという総督が、ゼロとの約束を守ったことが効いているのだろう。

 おかげで事務方含め仕事はきりがない。

 ヴィレッタも本分を忘れかけるほどに忙殺されていた。

 だから、いつか調べよういつか調べよう、そんな風に扇のことは後回しになっていった。

 

 

 

 

 

 

 いよいよ、いよいよゼロとの再会を果たせる。

 ディートハルト・リートは絶頂の極みにあった。あまりに喜びが溢れすぎて、遠巻きにこちらの様子を伺う宦官どころか女官や天子にも半目で見られているのだが、もはや気に留めるような神経が残っていない。

「咲世子を迎えに送ったのは失敗でしたわね……」

 こめかみをおさえて神楽耶がぼやく。こういう時、容赦ない一撃で正気に戻す彼女がいないのは痛手であった。

「それより神楽耶、星刻も戻ってくるけれど打ち合わせの通りでいいの?」

「ええ、あの連中必ず仕掛けてきますもの、準備だけはお忘れにならないでくださいね」

 宦官たちを横目に少女たちは笑う。

 狂喜する男をよそに、少女たちは花がほころぶように笑っていた。

 

 海上に大きなくしゃみが響く。

「中佐、風邪かもしれませんよ中に戻られては」

 卜部の気遣わしげな声に藤堂はうなずきかえした。

「ここで風邪など引いたら、神楽耶様にもご迷惑をおかけしてしまうな」

 この海の先で待つ、たった一人となった皇の血を引く少女を思い浮かべる。

 欠けたものもある。だが、やっと踏み出せるのだ。

 船内に戻ろうとした藤堂はもう一度大きなくしゃみをした。

 朝比奈が眉をへにゃりと下げてぼやく。

「藤堂さん、やっぱそれ風邪ですよ……」

 


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