コードギアス 二度も死ぬのはお断り   作:磯辺餅太郎

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そして燕はやってくる。

 こらえきれなくなった涙が、兄の目の端から雫になって頬を伝い落ちていく。

 ロロは素直に、それは綺麗なものだと思った。

「ロロ!! お前よく無事で!!」

 ぎゅっと抱きついてすぐに看護師に引き剥がされた兄は、弟の無事を喜び、そして自分の軽率さを詫び続けている。呆れ顔の看護師が気を利かせて立ち去ってくれたことにも気づいた様子もなく、ずっとそれだ。

 さすがに苦笑いしかできない。

「大丈夫だよ兄さん、怪我なんて特にないし」

 兄はとにかく弟である自分しか目に入っていないようだった。

 繰り返しテレビの中で報道されるゼロの姿などまったく気にならないほどに、ロロの左手を両手で包むように握っている。

 ルルーシュ・ランペルージはロロ・ランペルージの兄として、確かにここにいた。

 

 

 

 

 タッチパネルの上を迷いなく滑るように指が動く。

 指がより速さを増していけば、あたりには規則正しく滑らかな旋律が広がった。

 コードが洗練されればされるほど、奏でられる音はより雑味のない旋律に近づく。

 飽きることなくナナリーの指から延々と打ち込まれるそれは、音楽ではない。

「タネの割れた手品なら、いくらでも手を打てます」

 読み上げ機能の備わった端末、それはラクシャータの提供したものだ。

 とはいえ今の情勢では一級品とはいかない。

 だが、足の動かないナナリーにとって、それは第二の足であり翼であり武器となった。

 ふわりと花がほころぶような笑顔の少女に、卜部はいくらかこわばった笑顔でぎこちなく応じる。

「ユーロのドローン技術か、出所は聞かない方がいいんだろうな」

 カレンはその横で別の端末で仕様を眺めながら唸りだしそうな顔だ。それなりに頭は回るが、ギークといっていい範囲のことは理解しようとする方が無理だと思うのだが。

 現に変わった毛色で猫みたいな性格の女の方は、すでに飽きて毛先を指でいじってくるくる回している。こっちはもう少し聞く耳を持って欲しい。

「まあ、ちょちょいのちょいでしたから」

 人差し指を曲げて見せてナナリーは言うが、それで済むレベルではない。

 彼女は動けないし、見えないのは確かだ。

 だが、音に関しては常人より鋭い。

 そこから音を利用した端末があればいいという発想になるはわからなくもない。

 とはいえこの一年近くでその技術力は洒落にならないものになりつつあった。

 ゼロという男の妹だからなのか、彼女の意志の強さか、あるいは両方か。

 妄執すら感じる勢いで彼女は力をつけ、こうしてユーロからの技術、恐らくは盗み出したそれを目的に合うように組み替えている。

 『ハンニバルの亡霊』と噂されたある一部隊の技術は、普通ならば手に入るはずのないものだ。彼女いわく、すべては手に入らなかったが目当ては手に入ったから満点です、という事らしい。

 会話をしながらも、ナナリーの指は滑らかに踊り、コードが奏でられる。

 組み上げているのはそのユーロから頂戴したドローン技術を、より簡易にしたものだ。

 これを、紅蓮と月下に仕込む。

 

 ブリタニアの機密情報局に『数秒相手の意識を失わせる能力を持った者』がいる。

 卜部は正直、確実に自分の正気が疑われると思いながら今この場にいる三者にそれを打ち明けていた。

 ナナリーは、ごくあっさりと受け入れた。

 カレンも『そういうのもあるかもしれない』などと同意し、この時ばかりは協調性のかけらもないはずの女も異を唱えなかった。

 ユーロで起きた件や今まさに学園にいる少年の影響かもしれないが、思いのほか簡単に受け入れられたばかりか対策まで練られはじめたのには、むしろ卜部の方が置いていかれかねない流れだった。

 機情の庭から『ゼロ』を奪還しようとすれば、必ずその異能の力を使う者が障害になること、そして何より脱出経路と脱出先。

 ほとんど少女たちの主導で物事が流れていくことに、内心で冷汗をかく思いだったのは秘密だ。

 

「脱出経路の方は流れ次第なのが不安といえば不安だけど、中華連邦とは話がついてるからそこは気が楽ね」

 ドローンの概要だけつかむことに頭を切り替えたらしいカレンが、端末から目を上げずに言う。

「それと、あいつにうまく接触できるか、か……」

 珍しく少しばかり物憂げに、かつてゼロの愛人と噂された女、C.C.が呟いた。

「あからさまに誘うための入り口が設えてありますから、そう難しくはないでしょう」

 ユーロと違って、とナナリーは最後に付け加える。

 

 ユーロでの動乱は、卜部とカレンがインド軍区で紅蓮の修理に四苦八苦していた頃だった。結局得られたのは事が終わってからの情報だけで、ナナリーが得た技術情報はともかく、『ジュリアス・キングスレイ』という男の情報は輪郭のぼんやりとしたものだけで終わった。

 ただ、恐らくはブリタニア側の工作であろう『方舟の船団』を名乗ったテロリストとされる者の手段が、妙にゼロの劇場型の手口を思わせるものであったり、かの男に枢木スザクが随行していたというのは嫌な符号だった。

 その彼の記録はユーロ・ブリタニア内部での混乱の際にふっつりと途絶えている。まるでそんな人間などいなかったように。

 代わって現れたのが、一人の学生だった。

 

 ルルーシュ・ランペルージ。

 

 部下の一人がどうにか手に入れた画像は、確かにゼロだとカレンはいう。

 だが、彼のそばにいるのは車椅子に乗っているわけでも盲目でもない、弟だ。

 彼はごく普通に暮らし、弟や友人たちとブリタニアの学生としてはありふれた、穏やかな日常を送っていると言えるだろう。

 彼の行く先々に監視の目が張り付いていなければ、であるが。

 本人はそれに気づいている様子はない。知らず鳥籠の鳥になっている。

 年相応の青さと監視に気づかない程度に凡庸なその姿は、ゼロと呼ばれた男には程遠く、『ブリタニアの皇帝は他人の記憶を弄ることができる』という『声』の情報を裏付けるに足るものだった。

 さて、『弟』の存在を聞かされた時のナナリーである。

 彼女は『私にとっては、兄になるんでしょうか、弟になるんでしょうか』と見たこともないくらい満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔をまともに目にした卜部は背中に氷でもつっこまれたような気分に陥ったが、それは余談だ。

 

「まあ、なるようになれ、か」

 ふっと息を吐いた女の横顔はわずかに笑いを刻んでいる。

 この女も卜部にはよくわからない。

 中華に渡り、時としてインド軍区まで足を伸ばし、各所を転々としてやっと日本に戻ったタイミングでC.C.は突然卜部たちの前に現れた。

 

 幽霊でも見たような顔をしたのはカレンだった。

 彼女はガウェインの信号がどこで途絶えたかを知っている。脱出したのがルルーシュ一人だということも。そうでなければあの対決の場に彼女がいなかったことに説明がつかない。だからしばらくは距離があったのだが、C.C.はあまりにもいつも通りにC.C.であり過ぎた。

 三食どころか、たまのお茶の時間ですらピザを強引に推すスタイルに一度切れてからは、すっかりコントのようなやりとりをするくらい、慣れた。

 ナナリーに対しては、むしろ驚きを見せたのはC.C.の方だった。

 誰が連れてきたと食いついた彼女に、カレンはあっさり卜部を指差し、ナナリーもニコニコ笑いこういう時だけ名前呼びで『巧雪さんですね』と朗らかに告げ、たちまち彼は売られた。

 彼女たちも常々卜部の情報源に疑問を持っていたせいもあるのだろうが、それにしても微妙に楽しげな様子だったのを卜部は覚えている。

 とはいえそこでも少し妙なことが起きた。

 

 彼女が噛み付かんばかりの勢いで迫った時、どう誤魔化すかで必死だった卜部をよそに『声』はテンションを上げに上げまくっていた。

『やったーー!!C.C.だぁーー!!本物だーーー!!ゆっかなぁーーー!!』

 もう何度目ともしれない男の聞き苦しい黄色い声に、眉間のしわがますます深くなった、その瞬間だ。

 C.C.から表情が抜けた。

 つと、一歩引き眉をひそめ卜部を見上げ沈黙する。

 警戒すら含んだそれにどう返したものかと考えあぐねている間、『声』も様子がおかしいことに気づいたのか口を噤んだ。

 奇妙な沈黙が数秒続き、C.C.がかぶりをふった。

「まあ、お前に限って……ないな」

 なんとなくものすごく失礼なことを言われた気がしたが話の矛先がそれた以上、藪をつついて蛇を出すまいと卜部も話の流れがわからないふりを通した。

 

 それから『声』は彼女がいる場ではあまりしゃべらなくなった。本人曰く『なんか言うたびに、C.C.が変な顔でこっち見るんだもん……』だそうだが、内容が聞こえているようでもないという。

 おかげで以前よりは卜部は静けさを手に入れたが、代わりにC.C.の理不尽なわがままに、それにつられてちょっと自分への扱いが雑になったカレンに、ある意味平常運転で無茶振りを投げるナナリーと、対価としては釣り合っていない気苦労が増えた。

 世の中は本当にままならない。

 

 物思いにふけっていた卜部の耳に、少女の声が響いた。

「みなさん、機情に動きがありました」

 ドローンの組み替えをしながら情報も漁っていたらしい。端末をいじる指は踊るように軽やかな旋律とともにディスプレイに塔を描き出す。

「やはり例の賭場を使うようです。お兄さまのチェス好きにも困ったものですね」

 

 くるくると回転する塔の姿に、『声』が息を飲んだのが卜部にはわかった。

 この一年散々言われていた場所だ。

 バベルタワー、ルルーシュ・ランペルージ、時間停止──いや、感覚の停止能力を使う、ロロ・ランペルージという名の死神。

『あのさ、こんだけ対策してるんだから』

 少しの間をおいて、『声』は低く呟く。

『死ぬなよ』

 言われるまでもない、卜部もそんな気は微塵もなかった。

 

 

 C.C.は泡が浮き上がってくるような、奇妙な気配に顔を上げた。

 視線の先では四聖剣で唯一自由の身の卜部がいる。

 まただ。

 黒の騎士団の残党に合流してすぐ、彼女はあの男からおかしな気配を感じることがしばしばあった。コードやギアスに類するものにどこか似ているが、何かが違う、妙な感触だ。

 そもそも言動を振り返っても不審な点は多い。まずブラック・リベリオンの最中に卜部の立ち位置で、ゼロがルルーシュ・ランペルージという学生であるという発想にたどり着けるだろうかといえば、疑問だ。ましてやあの動乱の中でナナリーを押さえに行くというのも、不可解だった。実際は現場は混乱していたとはいえ、アシュフォード学園は黒の騎士団の拠点になっていたのだ。そこから連れ出したということはあの学園がもう安全ではないと()()()()()ことになる。

 他にもC.C.には疑問があった。自分が姿を見せた時の態度だ。カレンの態度はわかる。どこでガウェインが落ちたかを知っていれば、あんな顔もするだろう。だが、その彼女から話くらいは聞いていただろうに、あの男は少し驚きを見せたもののまるで遅かれ早かれ顔を出すと思ってでもいたような態度ですんなりと受け入れた。

「まあ、あんたなら無事だろって思ったよ」

 案内がてら卜部が言ったそれは、ただの軽口だったのか、あるいは彼女の不死をさしての言葉だったのか。後者だったのではないかというのが今の考えだ。

 根拠はある。一番の問題でもあるのだが、この男がギアスの──異能の力の存在を知っていることだ。

 『ジュリアス・キングスレイ』という存在を最初に口にしたのは卜部だったと、彼女はナナリーから聞いていた。何かの拍子に耳にしていたからその存在に気づけたのだとも。そして『現在の』ルルーシュ・ランペルージである。

 この二者を記憶が操作されていると指摘したのが卜部だ。

 さらにルルーシュ・ランペルージの『弟』には、人の感覚を数秒停止させる能力があるとも言った。それはギアスという名を口にしなくとも、王の力を知っているということになる。とはいえゼロの、ルルーシュの絶対遵守の力にも気づいているかと思えば、そうでもないらしい。ユーフェミアの虐殺の件ではまわりと同じようにごく普通に憤りを見せていた。

 用心すべきなのかも知れないが、妙な知識を持ち合わせていたり時折泡が浮かぶように『気配』が感じられても、卜部巧雪という存在自体はちょっと他より使える程度のごく普通の凡庸な男だった。

 男の知識は今のところは益はあっても害はない。

 C.C.は軽く結論づけると、ナナリーからの指示を元に団員たちとせわしなく準備に取り掛かった男に傲然たる態度で歩み寄った。

 とりあえずは、ピザを要求するために。

 

 

 

 

 

 バベルタワーと呼ばれるそこは、黒のキングと呼ばれる男のご自慢の城だった。娯楽ならば何でも、ブリタニア人のために用意されたそこは今混乱の只中にあった。

 その混乱の主であるテロリスト──黒の騎士団は的確に飛ばされてくる指示に従って冷静に動いていた。彼らの当面の敵と同様に。

「はい、ブリタニア人でも日本人でも学生服以外は威嚇射撃で追い払ってください。目標以外は邪魔です」

 まっさきに押さえたコントロールルームから指示を飛ばす声は少女だが、その能力を疑うものはここにいない。血なのか本人の才だったのか、これまで何度も彼女の指揮で窮地を脱してきたのだ。それがかなり薄情でも、だ。

 自分やカレンだけではこうはいかなかっただろう。

 卜部は月下でカレンとの合流地点へ向かいながら思う。

 ナナリーやC.C.ほどには割り切れずどっちつかずの判断になる場面がきっといくつもあったはずだ。何しろ彼女たちは基本的にシンプルだ。

 ルルーシュという少年の身の安全。

 これだけ目的が純化されていれば、迷いもなくなるというものだ。

 現に同胞が虐げられているこの場で、それが犠牲になるのを知りつつ作戦を遂行して行くことは覚悟はしていたこととはいえ、やはり胃の腑が重くなるものだった。

『うう……また死体が転がってる。これやったの、うちかな機情かな』

 今にも意識を失いそうな『声』はうんざりもさせられるが、かえって気が楽になる。

「どっちでも一緒だが、ここで踏ん張らないと俺もお前もこうだぞ」

『知ってるよ!! とにかくハラキリ禁止だからね!!』

 急に威勢が良くなった『声』に卜部は喉の奥で笑った。『声』は真剣に聞けなどとやかましく怒鳴りつけていたが、不思議と不快感はない。

 赤い機体が待っているだろう数ブロック先へ、卜部は月下を走らせた。

 

 

 

「……C.C.さんはまだお兄さまに接触できないようですね」

 カジノでは潜入任務だったカレンがその所在を確認していた。ただ、突入直後に確かにおかしな感覚の欠落があり、そのせいでルルーシュを見失ったとも報告があった。

 それは、例の『弟』の力は確かに情報通りのものだったのだと、裏づけるものだ。

 目標は兄弟揃って下層へとタワー内を逃走しているという報告は上がっている。

「タワー上層の一般客が逃げ込む先、お兄さまは出遅れたようですから……」

 ナナリーは呟きながらも手を止めない。すでにコントロールルームと接続した端末は、高速化された音声で彼女に塔の構造を雄弁に語る。

 ルルーシュ・ランペルージ、彼女の兄は体力がない。

 『弟』が急かしたところで移動速度はさほどではないだろう。本来は欠点というべきそれに愛しさを感じながらも冷静に位置と時間を割り出して指示を出した。

 「猫さん犬さんキリンさん、送った座標に向かってください。そうですね…お魚さんの足なら15分後くらいがちょうどいいでしょう」

 幸いにして、機密情報局は兄に食いつくであろうC.C.に夢中で他に気が回っていない。他の人員にすばやく命じる。

「上部のみなさんは正規軍が入る前に準備の方、進めてください」

 退路を作るための策、兄ならば取るであろうそれも進めておく。時間は使えるうちに使った方がいい。

 あとは、兄次第だった。

「お兄さま……見極めさせてくださいね」

 

 

 

 C.C.は空を切った手もそのままに、呆然としていた。

 確かに彼女の知るルルーシュは身内にとことん甘い男だ。それは溶けきらないほどに砂糖を加えた紅茶のように度を超えた甘ったるさだ。

 わかっては、いたはずなのだ。

 だが、今目の前で起きたことは心底想定外過ぎた。

 ルルーシュが一人きりであることに好都合だと思いながら、コクピットから姿を現した彼女への第一声がこれである。

『弟を!! 俺と同じ制服を着た弟を見なかったか!?』

 シスコン転じて超ブラコン。

 虚を突かれた。

 会ったら言おうと思っていたことも何もかも吹っ飛んでしまった彼女は、つい素直にこの階層では見ていないと答えてしまったからいけない。

 途端である。

 彼女の魔王は、日本人最後の希望の星であるゼロは、彼らしくもない速さで取って返して下層へ向った。

 躊躇なく、得体の知れない相手に背を見せることに微塵も恐れず、彼は目の前から消えた。

 それが、ほんの数瞬前である。

「ありえん……」

 差し出した手を力なく下ろした彼女の背後で気配が動く。

 機密情報局だろう。

 彼らとて接触を図ろうとする瞬間を狙って網を張るのだろうから、それは正しい。

「犬さん、キリンさん、殺れ」

 振り返りもせずに彼女は低く小さく、インカムで指示を飛ばした。

 背後からの輻射波動の赤い輝きが彼女に影を落とす。

 彼女の背後に潜んでいたKMFは壁越しの輻射波動で吹っ飛んだ瓦礫に反応が遅れた。

 そこを浅葱色の機体がハーケンで貫き、それが戻り切るかきらぬかのうちに刃でコクピットブロックを刺し貫き横へなぎ払って両断しとどめを刺す。

 爆風にC.C.の髪がそよぎ、機銃の音が響く。

 かすめるように飛んできた、ところどころに焼け焦げのある手帳をその手が捕まえる頃には、生きる人間の気配は消えていた。

 

 

 

 機情の部隊だけは始末した、という報告にナナリーはこめかみを抑えた。

 彼らの存在が消えたということは、これから時を置かずしてブリタニアの正規軍が投入されることを意味していた。あの頭におがくずでも詰め込んだような総督は、確実に正規軍を動かし自分ものこのこやってくる。

 とはいえ、兄の身の安全という意味では正規軍は問題はないだろう。だが機情の『弟』と兄が合流した場合は面倒だ。脱出してくれるならいいが、再度接触を図ろうとするかも知れない。

「正規軍のKMF、一機はシステムが生きた状態で確保できますか?」

 ナナリーからの通信に少し目を泳がせたのはカレンだった。機体の特性上、彼女は手加減が難しい。

「誰かが注意引いてくれればなんとかするが。なあ猫さん」

 付け加えた一言に少し意地の悪さをにじませたのは卜部である。ナナリーはしかしその提案に特に問題がないことに気づき首肯する。

「そうですね、猫さん今はパイロットスーツでしたか?」

 仮にその場にいたとしても見えない彼女にC.C.はそうだと答える。わざわざしつらえなおした、あの別れの日の装いだ。本人にはまるで無視されたが。

「じゃあ適当に着られそうな服、調達して着替えてください。猫さんならブリタニア人で通りますから」

 ルルーシュ、お前の妹はお前より悪辣だぞ。

 C.C.はどう考えても死体から服を探さないとまずい状況に、頭痛を覚えながら続くナナリーの指示に生返事で答えていた。

「じゃあ後はそちらに向かっている機体、お任せいたしますね!!」

 朗らかな声でナナリーは告げて通信を終えると、護衛についてくれた団員に集合地点への移動を頼む。兄の無事を確認すること、自分たちの身の安全を確保すること。やるべきことはなかなか終わりが見えてくれそうになかった。

 

 

 

 鹵獲されたサザーランドから、難なく通信系を掌握したナナリーの指示は明確を極めた。同乗した団員は確かにそこにゼロの片鱗があると見せつけられ圧倒されていた。

 一方で、コクピットブロックがちゃんと閉じられていることに安心感を覚える。

 サザーランドは当然ながら複座式ではない。だからはたから見れば親が子を膝に座らせているような体勢なのだ。

 彼は状況はどうあれ、同僚たちに今の姿が見られなかったのは本当に良かったと胸をなでおろしていた。

 

『うう、ナナリーちゃん膝に乗せてるんだよなアレ……』

 みっともない『声』に卜部は脱力しそうになる。

 彼女を乗せたサザーランドが合流し、C.C.と別れてこの吹き抜けへ移動した時は半ばパニックを起こしていたというのに、落ち着いたらこれだ。

「おいおい、んなことよりここなんだろ例のロロとかいうのが出たって場所」

『いや、状況が違いすぎて自信なくなってきた……ゼロいないし来るかどうか』

 来ないなら来ないでそれでいい、だが問題は本物のゼロだ。

 まだタワー内部にいるのならまずい、作戦を実行すれば彼が死ぬ。

 だからこそナナリーも配置こそ急がせているものの、実行のタイミングを計りかねているのだろう。

「卜部さん、ルルーシュ無事ですよね」

 不安げな声はカレンからの通信だ。

 自分が見捨ててしまったから今日がある、いくら気にするなと言い聞かせたところでそれは彼女から消えない罪悪感だ。

「落ち着け紅月、今騒いだとこでどうにもならん」

 カレンに通信を返した、まさにその瞬間だった。

 

「見つけました、お兄さまです!! お兄さまが軍に保護されました」

 

 混ざりけなしの感情だけの少女の声を聞くのは、初めてかもしれない。卜部はふとそんなことを思った。

「機情からお兄さまの情報が伝わってないおかげでしょうね、他のブリタニア人ともども病院に搬送される最中です」

 それはつまり、籠に戻ることを意味するとはいえゼロの安全が確保されたということだ。

()()()()()()にすむまで、何分だ?」

「一般車両はいませんから多く見積もっても……五分といったところですね」

 五分、普通に考えれば持ちこたえられるだろう。

『ロロにはそれ、伝わってるのかな……』

 そう、問題は例の能力持ちだった。件の機情──どうやら男爵だったらしい──の部隊の死体を見つけていたとしたら、ゼロが中にいると判断してもおかしくはない。

 彼らはルルーシュ・ランペルージを監視していたのだから。

「例のやつが来る用心も含めて、五分か……」

 卜部の独り言に、通信越しにカレンが息を飲む気配があった。

「卜部さん、カレンさん、例のシステムが稼動するか確認してくださいね」

 再び緊張をまとったナナリーの声が応じる。

 長い、五分の始まりだった。

 

 

 

 初めの違和感は、一機目を仕留めた後だった。二機、三機と続けて進路上の障害物を排除しようとする前に、それらは牽制程度の射撃をしながら次々と退却していった。

 進むうちにそれは露骨になった。あらかじめそうであるように彼らの姿はなく、道が開けられている。

 それまでの軍の動きと彼らが撃破された情報から導き出した配置は、指揮する者の存在がこの奥であることを示していた。

 誘い込まれている、わかっていても進むしかなかった。彼は確かめなければいけないのだ、この先にいる者が誰かを。

 まだ幼さの残る面立ちの少年──ロロ・ランペルージは忌々しげに通路の奥を睨んだ。

 

 

 

 金色の機体が出た、その一言とともに僚機の信号が途絶すると行動は早かった。

「みなさん手出し無用です、手筈通りに撤退してください」

 鋭さを含んだナナリーの指示で次々と配置されていた部隊が撤退する。例の機体ならば、通常の機体では太刀打ちできないからだ。

 ただのヴィンセントなら、この場の卜部とカレンで容易に討ち取れる。

 問題の相手ならば──ナナリーの思考を打ち切るように、上層階の壁がやぶられ、金色のナイトメアフレーム、ヴィンセントが舞うように吹き抜けの広場へと降下した。

 

『出た……』

 怯えた声が、卜部の頭に響く。予言された死神、これがそれならなおさら退くわけにはいかない。

「測ります、始めて下さい」

 少女の声が合図だった。

 紅蓮弐式はMVSを二刀構えるヴィンセントへ仕掛けた。

 近距離の間合い、通常ならカレンでも余裕で仕留められる程度に相手の動きは卓越したものではないように見えた。

 だが。

 ヴィンセントが消えた。

「5秒……こいつです!!」

 ナナリーの鋭い声が響くと同時に一気にナナリーの機体の前に立つ月下へヴィンセントが距離を詰めて現れていた。

 廻転刃刀はとうに構えている。

 ヴィンセントがこれ見よがしにMSVをランス型へ切り替えるや否や、月下は加速をかける。後ろからは紅蓮弐式も追撃に入り、挟撃した形になった。

 さっきと同じならばその動きは再びかわされるはず、だった。

 

『やっぱおっかないわ、あの子』

 静止するはずだった5秒の中で『声』が怖々と呟く。もっとも相対したロロはそれ以上の驚きに襲われていただろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それでも紙一重でスラッシュハーケンを避け、刃を左腕で受けたのは、乗り手の腕が意外に悪くなかったということだろうか。

 

 卜部は仕掛けにいった次の瞬間に、自分の刃が相手の左腕を破壊したことに気がついた。狙いはコクピットブロックだったが、流石にそこまでは届かなかったらしい。

 だが、これで実証された。

 ナナリーの組んだ、簡易ドローンシステムはこの相手に通用する。

 とはいえこれは諸刃の剣だ。システムが有効になっている間はこちらの入力が絶えた途端にドローンが機体を動かすのだ。それは時としてこちらの意図しない動きを誘発することに他ならない。

 さらに言えばエネルギー消費が激しい、長時間使用することは不可能だ。

 ではあるが、この相手にはこれ以上ないほどの武器だった。

「あいつ、ナナリーを!!」

 カレンが叫んだ先で、ヴィンセントが使い物にならない左腕をパージし、まっすぐサザーランドへ向かおうとする。

「させるか!!」

 ナナリーの機体は鹵獲したサザーランドで当然ドローンは無い。ヴィンセント相手では丸腰も同然だ。

 月下は勢いよくサザーランドを弾き飛ばし、ヴィンセントのランスをその刃で受け止めた。

 片腕のヴィンセントでは当然月下に押し負ける。勢いよく刃で弾きあげれば、ランスは弧を描いてヴィンセントの手から離れる。

 獲った。

 卜部は獰猛な笑みを浮かべ構え直そうとした瞬間だ。

 再び『能力』が発動した。

 もちろんシステムは稼働している。月下はその直前の攻撃の動作の続きを問題なく取ろうとしてた。

 対するヴィンセントは残った右腕の肘をこちらに突き出す構えをとった。

 コクピットブロックをまっすぐに捉えたそれは、『声』にとって最悪の瞬間だった。

 確かに自分はロロ・ランペルージの能力は伝えていた。

 だが、うっかりしていた。

 生き残るためには、機体の情報だって大いに関係あったのだ。

 ニードルブレイザー。

 肘から打ち込まれるそれは、近接では凶悪な武器だった。

 ドローンは直前の攻撃の続きに入るだけで、回避なんてしてくれない。そこまで柔軟なシステムでは無い。このままでは、あれでぶっすりやられて『声』の人生は再び終わりだ。

 

『冗談じゃねえよ!! 二度も死んでたまるか!!』

 

 無我夢中だった。

 だから『声』はしばらく自分が()()()ことに気づけなかった。

 激しい衝撃に機体が揺れ大声が響いて、やっと、事態を知った。

「おい、何が起きたんだ!?」

 卜部だった。生きている。

 

 月下はその瞬間、()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 素人丸出しのそれはあまりうまくいったとはいえず、ヴィンセントとお揃いに綺麗に左腕を吹き飛ばされたのだが、コクピットへの直撃は避けていた。

『動けた……』

 呆然と『声』が呟く。今まで当然のように自分は声を卜部に送るだけで何もできないのだと思い込んでいた。だが、一つわかったのだ。

 卜部がギアスにかかっている間は、自分が体を動かせる。

 よくよく考えると使い道が狭い、今以外に使うとこあるのだろうか。

 だが無いよりはマシ、のはずだった。『声』は頭を切り替える。

『肘に武装があるんだあいつ、ごめん忘れてた』

「忘れてたじゃねえよ!! って、あぶねえ!!」

 必殺の一撃を避けられて焦ったのか、雑な動きで仕掛けてきたヴィンセントのハーケンを月下はかわす。口ぶりの割に動きに無駄がないのは『声』との技量の違いだ。

「カレンさん、そいつフロアの端に弾き飛ばせますか?」

「任せて!!」

 かわされてよろめいたヴィンセントに紅蓮がランドスピナーを加速させ、勢いよく体当たりをかける。

 横合いからのそれにギアスを使う暇もなかったのか──そもそも加速の動作に入った彼女を固定しても意味はないが──ヴィンセントは押し負け、そのまま弾き飛ばされた。

「さて時間です……はいカチカチ、と」

 引き気味の団員の膝の上で、やけに楽しげにナナリーが仕掛けを作動させると同時にあちらこちらで爆発が起きる。弾き飛ばされたヴィンセントも大きな瓦礫に遮られ、姿が見えなくなった。

 

「まったくよくやる……」

 別のフロアで退避していたC.C.は崩壊するタワーの中で苦笑いだ。

 これで内部のブリタニア軍に、馬鹿正直に出張って真正面に陣取っていた総督も一挙に排除できる。さらに中華連邦までの脱出経路のおまけ付きである。

 今頃あの電子の悪魔はさぞかしご機嫌だろう。

 

 ハックした通信系は、次々とブリタニアの機体信号が消えていくことを彼女に伝える。もちろん総督もしっかり予測通りの位置で律儀に潰されてくれたのは気分がいいなどというものをはるかに通り越している。

 ナナリーは花がほころぶような笑みを浮かべた。

「うわぁ……」

 呟きは、カレンのものか、卜部のものだったか。

 この一年卜部もカレンも少し思っていたのだが、彼女はどうも、爆破という手段がかなりお好みらしかった。やはり血なのだろうか。

『やだあの子怖い』

 今更な『声』の呟きに、卜部は軽く笑った。

 

 

 

 

 

 運が良かったのだ。

 いくら衝撃に備えた作りをしていても、コクピットブロックの耐久性など倒壊するタワーの中ではたかが知れている。

 瓦礫に押しつぶされればそこで終わっていただろう。

 ロロは大きく息を吐いてから計器をチェックしていく。

 おおむね通信系の機能は無事だ。どうやらとことんついているらしい。識別信号を出しながら携帯電話を取り出す。

「ヴィレッタ、そちらの状況は」

 応じた声は戸惑いが強い。

「ロロ、お前無事だったのか。どこにいるんだ!?」

「ゼロが出ましたか」

 指令を出していたらしき機体はまだいい。護衛の二機はロロのギアスの範囲内でも明らかに動いていた。それも片方は確実に能力下でも能動的な動きを見せた。どういうことなのか、わからない。

 順当に考えれば、あの場にはゼロ──監視対象であったルルーシュと、ギアスの効かない魔女がいたはずだ。

 来るべき日が来た。それだけのはずなのに、内臓が捻れたような不快感が強い。

 わかっていたはずのそれが、ひどく重い。

 それを、女の声が打ち砕いた。

 

「ああ、ゼロが出たには出たんだが、ルルーシュだ!! ルルーシュが軍に保護されたと」

 

 機密情報局でほぼ半年以上共に監視任務に従事してきたヴィレッタ・ヌゥという軍人は、そのもとの立場の割には柔軟性のある対応を取れるとロロは評価していた。

 その彼女が明らかに困惑し判断に困っているようだった。

 だがロロ自身も混乱していた。

「いつですそれは、僕は確かにさっきゼロと交戦して……」

 あれがゼロでなければなんだというのだ。それにヴィレッタは確かに今『ゼロが出た』とも言った。

「正規軍が突入して、すぐだ。弟が保護されていないかと、食ってかからんばかりの勢いだったらしい」

 すぐに軍の管理下の救急病院に運ばれたが、局員が軽く調べた範囲では記憶に欠落のある者はいなかったという。

「ゼロは、どう現れたというんです」

「領事館だ。タワーが倒壊してすぐに中華連邦の領事館から、放送をジャックして声明を出した」

 ロロは考える。

 放送はどうにでもなるだろう。だが、まるで彼の能力を読みきったような作戦を取るには遠隔からでは無理だ。例えどんなに軍の目をごまかすことができたとしても、正規軍の突入からすぐに保護された兄では不可能なはずだった。

 ──あのゼロは、誰だ。

「おいロロ、それでお前はどこなんだ」

 焦りをにじませた女の声で現実に引き戻された。

「バベルタワーの……ああ、倒壊したって言ってましたっけ、その瓦礫の下です」

 平然としたロロの声にますますヴィレッタの声のトーンが変わるが、構わず続ける。

「識別信号も出してますし通信も繋がるようなので、そちらからも根回しをお願いできませんか」

 相手が空回りしそうな時は先んじて指示を出せば案外すんなり行く。それは普段の兄の振る舞いからロロが学んだことだ。そう、この短い日々の中でロロが兄から与えられたものは、あまりにも多い。

 二、三指示を追加して通話を切る。

 薄暗い一人きりの空間で、ロロは携帯からぶら下がるストラップをしばらく見つめ、そっと手のひらで握り込んだ。

 

 あのゼロは──兄では、ない。

 福音だった。

 

 ロロは救援が来るまでの間、奇妙な安心感と共にしばしの眠りについていた。

 目が覚めれば面倒はあるだろうが、兄がいる。

 それで、十分だった。




盲目の天才ハッカーとかCLAMPキャラならアリだろうという方向性で。

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