コードギアス 二度も死ぬのはお断り 作:磯辺餅太郎
月下から少女を抱えて降りれば当然の如く周囲から訝しげな視線が突き刺さる。
当たり前だ。卜部はひとりごちる。
制服の少女は明らかにブリタニア人だ。
ついでにいえば、多分、少し頭の痛い想像だが、お世辞にも人相が良い方ではない自分が人形のような容姿の少女を抱えているのは、人種関係なく妙な方向で訝しまれている可能性が大いにある。
『こりゃようじょ誘拐犯を見る目ですわ』
どなり返したい気持ちをぐっとこらえ、卜部は投げやりにあたり一帯に爆弾を投げた。
「この子はゼロの妹、つまり保護対象だ」
『声』との初問答からそれほどの間を置かず、特区の式典が虐殺の場に変わるのを卜部は目の当たりにした。
『血染めのユフィ』。言葉通りのそれを目の当たりにした時、ぞっとしなかったといえば嘘になるだろう。
だが事態は止まってくれない。あっという間に蜂起へと煽り立てたゼロにより、トウキョウ租界への侵攻が始まった。
そんな時だ。
『エナジーフィラー保管庫の確保って、抜けられる?』
妙な問いを発したのは『声』だった。
「おい、例の『死にたくないから逃げろ』ってのか」
卜部は正直『声』にはうんざりしていた。なにしろ心底根性がないのだ。
特区の惨状にパニックを起こしたのは、まあ理解できなくもない。
だが、ちょっと戦闘にでもなろうものなら神仏なんでも良いから祈りまくり悲鳴をあげ怯えまくる。体があったら上から下から漏らしてそうな勢いで、だ。
そこまでされれば逆にこちらの頭は冷えに冷える。
隙だらけのグラスゴーのコクピットブロックを貫きながらの今の言葉も、冷たいものがありありと浮かんでいた。
『ちがう!! これからのため!! 今動かないとゼロがやばいんだってば!!』
「あ?」
卜部はここで耳を傾けたのが、後々まずかった気がしている。
この時は想像もしなかったのだが。
アシュフォード学園、そこに司令部を置くと聞いた時からどこかで覚えがあるのは紅月の通っている学校がそんな名前だったからだと思い出す。
ついでにどことなく見覚えのある校舎に、卜部は顔をしかめた。
ここが、ユーフェミアの特区宣言の場だと思い至ったからだ。
「俺、何やってんだろうなあ……」
『卜部、卜部、クラブハウスあっち!!』
急に元気を取り戻した『声』に導かれるまま、卜部は不慣れな学園を進む。
さきほどからあたりが妙に騒がしい。司令部のそれというには、かけ離れた騒然さというべきか。
下手に顔見知りに出会ったら妙な疑いを持たれかねない。そんな気がしてくると、卜部は己のハンドガン一つという武装がかなり頼りなく思えてきた。とにかく誰にも見つからないように目的地のクラブハウスを目指す。
KMFは校外だ。『声』曰く、とにかく外の方が良いの一点張りだった。
『とにかくV.V.より先に、ナナリー見つけないと!!』
「ゼロの妹、ねえ。そんなもんとっくに保護してるだろ?」
すでに黒の騎士団が占拠してはいるのだ。わざわざ保護する必要があるのだろうか。
『ここ全っ然、安全じゃないから!! どっか連れ出さないとまずいんだよ!!』
言い切られて黙る。『声』を完全に信じているわけではない。とはいえ特区の虐殺と武装蜂起、それに伴うゼロによる租界外壁のパージなど、言葉足らずながらもぴたりと当たってはいるのだ。
「わかった、わかった。ガーガー喚くな」
目当ての建物にようやく見え、卜部はほっとため息をついた。
最もこれからの方が、より面倒が待ち構えている。確実にいるだろう見張りとはあまり揉めたくない。一応目的を同じとする仲間ではあるのだから。
少しだけ考え、卜部はあっさりと面倒ごとを投げた。
『正面から行ったァ!?』
動揺する『声』をよそに、すたすたとクラブハウスへ向かえば、すでに裏口が開いている。
「手間、省けたな」
『あーうん、どうしよう……間に合うかな』
『声』の焦りに加えてこの状況、これはかなりまずいんじゃないのか、そう思いながらも卜部はそっと中へと進む。
たぶんこの先、といった頼りないナビゲーションに従い進んだ先で、『ここ!』という『声』とともに扉は勝手に開いた。
『バリアフリーだもの、自動ドアだよー』
呑気な響きの『声』に苦虫を噛み潰したような顔になりながらも、室内へと足を踏み入れた。
明るい室内は、妙にがらんとしている。
そこだけ切り抜いたような空間に、一人きりで車椅子の少女が佇んでいた。
音で気配に気づいたのかこちらへ体を向けているが、その目は閉ざされている。
亜麻色の髪は、ふわりと波を描き柔らかに見えた。実際触れればそうなのだろう。
人形じみた、少女。
それが卜部の第一印象だった。後々盛大に訂正することになるのだが、知らぬが仏だ。
『うわあ……本物は本当にマジでかわいいなあ』
やにさがった『声』で現実に引き戻される。
本物ということは、彼女こそが目的の人物ということだ。
戸惑い気味にこちらの様子をうかがう少女に向かって卜部は口を開いた。
「あんたが、ゼロの妹か」
『だから…なんで直球で行くのォ!?』
『声』は自由になる体があれば頭を抱えてうずくまっていただろう。
こうして脳内寄生生活を続けてみると、卜部は思い切りがいいという見方もできるが、頭より先に動くタイプの様な気がしてくる。
己の中の卜部巧雪という男のイメージがガラガラと音を立てて崩れる気分だった。
少し前のルルーシュ直撃事件もそうだ、今だってそうだ。もしかしたらこの先訪れてしまうかもしれないバベルタワーの一件だって、単に体がとっさに動きまして、なんてオチだった気すらしてくる。
そういえばチョウフでは、ゼロの制止を無視してランスロットに仕掛けてすっ飛ばされていなかったかこの男。
そんな『声』をよそに、卜部と少女の間には静かな緊張が張り詰めていた。
車椅子の少女はぎゅっと膝の上の手を握りしめる。
震えを堪えるためか。
あくまでも弱みを見せまいとする姿に卜部が少女への評価を二、三段上げる一方、『声』はその仕草に舞い上がっていた。
「あなたは……なにか、思い違いをされているのではありませんか」
「いや、あんたがルルーシュ・ランペルージの妹だろう。なら間違いない」
『ひゃああ仕草も声もかわいいよぉう!!』
自分の発した言葉が男の聞き苦しい黄色い悲鳴にかき消され、卜部はぐっと拳を握りしめていた。
野郎、目の前にいたらぶん殴るだけじゃすまさねえ。
こみ上げてくる憤りを抑えながら、卜部は少女の元へつかつかと歩み寄るなりその体を抱き上げる。
「悪いな、問答する時間も惜しい。このまま後方部隊に合流させてもらう」
息を飲む少女は言葉もない。大声をあげればよかったのかもしれない。
だが、彼女の中の疑念がそれを妨げてしまった。
『君も大変だね、兄貴の馬鹿げた道化芝居のダシにされてさ』
かつて、そう告げた男の名は、マオといった。
異様な男だった。他者を嘲り嗤いながら、どうしようもないほどにその他者に怯えきっている、不安定な男だった。
そんな男の囚われの身になった時に告げられた、その言葉だけがざらりと心に染みついてしまっていた。
兄であるルルーシュは、彼女にとってこの上なく優しく愛しい人間だ。
だが、ここしばらく──そう、ゼロという男が現れたあたりからだ──兄は、変わった。
以前から賭博に手を出して帰りが遅くなることはあった。とはいえそういう時の兄は、危なっかしいながらも どこか陽気で得意げですらあった。
だというのに最近はどうだったか。
いつもと変わらぬ晩ももちろんあったが、それ以上に、塞ぎがちであったり苛立ち気味になり、それを取り繕う様に殊更に優しく振舞おうとすることが増えた。
特に、枢木スザクが彼女の姉の騎士に選ばれた直後の兄は、明らかにおかしかった。
見て見ぬふりで、『いつも』を取り繕ったのは、今でも正しい振る舞いだったのか、彼女にはわからない。
それでも、いくらなんでもゼロと──クロヴィスを、ユーフェミアを殺したゼロ、今しがたもスザクを罠にかけコーネリアの元へ、おそらくは殺しに向かった男と、兄を結びつけて考えることは心のどこかで拒否していたのだ。
だが、様子のおかしかったシャーリー・フェネット。あれは、もしかしたら。
あるいは──こんな状況になってもなお、疑念は消えてくれなかった。
そして今、現れた男は迷いなくゼロを『ルルーシュ・ランペルージ』と言った。
すでにヒビの入った少女の日常を壊すにそれは十分な言葉だった。
少女が大声をあげたり暴れ出すこともない様子に内心ホッとしながら、卜部は音を立てぬよう注意を払い入ってきたときと同じように表へ出る。
月下の元に向かう間もこれといった騒ぎに巻き込まれることもなかったのは、幸運だった。実に静かにことは運んだ。
頭の中で『よっしゃあお姫様抱っこ!!』などとテンションを上げている『声』を除けば、だが。
「大人しいのは助かるが、何も訊かないのか」
月下に乗せても心ここにあらずといった様子の少女にさすがに心配になって卜部は声をかけた。
「えっあ、はい……あの、これからどちらへ?」
思い描いた中でもっとも無難かつ当たり前の問いに、少しだけ視線を宙にさまよわせてから卜部は答える。
「さっきも言ったとおり、後方の部隊に合流する。しばらく窮屈だが我慢してほしい」
はあ、とも、はいともつかない小さな返事はよほど気がかりが他にあるということなのだろうが、これ以上の単独行動は拙いだろう。
「そういうわけで移動する間は、そうだな、俺に掴まっててくれ」
半ば言い捨てるように告げ月下を起動させる。
機体に異常がないことを確認する卜部の背に、そっと少女が掴まった。
『ひゃっほう!!』
瞬間響いた声に、色々と台無しにされながら月下は走り出した。
走りながらも入ってくる通信に、元々さしてよくない卜部の人相がより苦味を含んだものとなる。
不幸中の幸いか、この盲いた少女には見られずに済んでいるが。
扇が撃たれたとか妙な機体が現れたとか、どうも「良くない流れ」だ。
軍人になってからの卜部のこういう勘はしばしば当たる。
「……急ぐぞ」
返事を待たずに加速させた月下は、戦場を進んでいく。
悪い予感を、振り払うように。
少年というよりは、子供といっていいだろう。
丁寧に手入れされたプラチナブロンドを長く伸ばしたその子供は、足を踏み入れるなり小首をかしげた。
探し人がいるはずの部屋はがらんとしている。
主を失った車椅子が取り残されているだけだ。
子供は車椅子に触れ、わずかに眉をひそめる。
「なんだ、この気配……気持ち悪い」
彼という存在と似て非なるそれの、ざらざらとした不快感。
コードを得た者──V.V.にとって、それは歓迎すべからざるものだ。
「気に入らない、な」
つぶやきは、誰もいない部屋に静かに吸いこまれた。
彼らをこのトウキョウ租界へ駆り立てた男、ゼロの妹。
その驚きからほどなくして、戦況の変化に団員たちはそれどころではない空気に包まれていた。
ゼロが奇妙な機動兵器に追撃され乱戦になるうちに海上へ向かい通信も途絶したという知らせは、卜部でなくても頭の痛くなるものだ。
急遽ゼロから指揮を投げられた藤堂は、コーネリアの肝いりの部隊と交戦中で、全体を指揮できるほどの情報が得られる場所にはいない。
トップが負傷したのがかえって闘志に火をつけたのかブリタニアも硬いうえに、彼らの援軍がこちらへ到着するのも時間の問題だ。この状況でゼロが消えたのは、勘でもなんでもなく完全に「悪い流れ」だ。
トレーラーの空気は、重い。戦線は、維持などできないだろう。
「卜部さん、つながりました」
不安げな部下に、軽く感謝を伝えながら通信に出る。
相手は藤堂だった。
話しているだけでも、余裕の一切ない状況がこちらにも伝わってくる。それでもいくつかのやり取りを済ませると、卜部は通信を切った。
切る間際に「決して馬鹿な真似はしないでくださいよ」と釘をさすのを忘れなかったのは、ぎりぎりの卜部の意思表示だ。
藤堂の指示は、シンプルだった。
残存する戦力を出来る限り逃がせ。
それは前線にいる藤堂を見捨てることを意味していた。
卜部は淡々と周囲に指示を飛ばしていく。人を使うことには慣れている。
やるべきことがそれなりに片付いてしまうと、不意に憤りがこみ上げてきた。
間違いなく、日本解放戦線が崩壊したあのナリタの後より状況は悪くなる。
卜部は衝動のままに壁を殴りつけようとして、ふと、視線を感じた。
傍らで少女が自分を見上げている。
見上げるとはいっても、音を頼りに顔を向けているだけなのだろうが、見られているという気がした。
ゼロの、妹。
目は見えず、その上歩くこともできない少女。
『声』にそそのかされるまま連れてきてしまったが、結局は負け戦に向かっている。
その肝心の『声』はといえば、ぶつぶつと何かを確認するように小さくつぶやいているが、よく聞き取れない。
ふっと軽いため息が卜部の口から漏れた。
資材に座らせた少女の目線にあわせてしゃがみ、語りかける。
「悪いな、嬢ちゃんの兄貴に会わせられんかもしれん」
ことさらに明るく言えば、さきほどの衝動も少し落ち着く気がした。
「あの、卜部さん、でしたよね。あなたは……あの仮面の下を、見たのですか」
もっともな質問に言われてみれば自分の根拠は『声』の主張だけたったということに気付かされる。とはいえここまできたら取り返しのつけようもない。
「いいや、だから確かめる意味でも嬢ちゃんを連れてきたんだが……正直それどころじゃなくなってきた」
落ち着いた分、今度は先行きへの不安に苦笑いがこみ上げてくる。
「とりあえず、嬢ちゃんはそこにいてくれればいい。こっちも何かする気はないから」
『気がないんじゃなくて、余裕がないの間違いだろ』
ここにきて『声』のツッコミに、おう、と卜部は小さく呻いた。
「あの」
弱さのない声は、一瞬誰のものか卜部にはわからなかった。
「嬢ちゃんはそろそろやめてください。私は、ナナリーです」
この場にいる人間の中で一番弱いはずの少女が、にこりと笑った。
強い、笑顔だった。
マオが少し余計なことを言ってました、という捏造設定。