ストライクウィッチーズ~愛の夢~   作:プレリュード

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第8話 ぴあの

「ねえ、サーニャさん。お願いがあるんだけどいいかしら?」

 

 基地に帰ってきたばかりのミーナ中佐に私は呼び止められた。何だか大事そうに紙袋を抱えているミーナ中佐の目の端は赤い。

 

 あれは目をこすった跡。何度も何度も見てきたからわかる。ぶたれた痛みに泣きじゃくった後から鏡越しに見た私の顔はちょうどあんなふうだった。

 

 そんな泣き腫らした目をして私に何の用事なんだろう。

 

「えっと、なんでしょうか?」

 

「そんなに硬くならないで。命令ってほどじゃないの。単なるお願いなんだけど、サーニャさんってピアノが弾けたはずよね?」

 

「はい」

 

 サーニャはピアノを弾けたらしい。どれくらいの腕なのかは私にはわからないけれど。

 

 でも私だって実はちょっとくらいなら弾ける。

 

 私の名ばかりだった家庭が崩壊してから私は施設に引き取られた。そして偶然にもそこの施設にはピアノがあった。

 

 グランドピアノみたいに立派なものじゃなくてアップライトピアノだったけれど、それでも十分すぎるくらいいい音は出た。後から聞いた話だと寄付されたものだったらしい。

 

 まだ幼い頃の私はそのピアノがとても素敵なものに見えた。だからどうしても少し触ってみたかった。

 

 ある日、私は勇気を振り絞ってこっそりと私はピアノの鍵盤を押してみた。それは何の音だったか思い出せないけれど、澄んた綺麗な音がしたことだけは覚えている。

 

 そして本当に幸運なことに、その施設に来る人でピアノの弾ける人がいた。その人は私がおそるおそるピアノを触っているところを見ていたようで、「こう弾くんだよ」と私の目の前で簡単な曲を弾いてくれた。

 

 以来、私はその人からピアノの弾き方を習った。一時は身投げまで考えた子供の私をこの世につなぎ止めてくれたのはピアノだった。

 

 ちゃんと教室に通ったわけじゃない。たまに来てくれるあの人が来るたびに少しずつ教えてもらっては、私がひとりで練習していただけ。

 

 だからそんなにうまいわけじゃない。でも弾けるかどうか、と聞かれたら弾ける方だと思う。

 

「これを弾いてほしいのだけど、弾けるかしら?」

 

「これは……『リリー・マルレーン』ですか?」

 

「ええ。弾けそう?」

 

 ミーナ中佐に渡された楽譜に目を通していく。弾いたことのない楽譜。けれど難易度はそこまで高くなさそうだ。

 

 即興とは言わずともこれなら数回ほど練習すればきっと弾ける。

 

「ミーナ中佐。ピアノ、お借りします」

 

「じゃあ、やってくれるのね?」

 

「はい。でも先に少しだけ練習させてください」

 

「それこそ大丈夫よ。私も少しやらなきゃいけないことがあるから」

 

「じゃあ先に練習しておきます」

 

「ごめんなさい。お願いね」

 

 ぜんぜん大したことじゃない。それに前々からあのグランドピアノは気になっていた。

 

 具体的に言うと少し触ってみたかった。だからこれは私にとっても渡りに船の提案だった。

 

 まだ誰もいない広間の真ん中に安置してあるグランドピアノに寄ると、慎重に重い蓋を押し開ける。

 

 そして軽く鍵盤を押してみた。

 

「やっぱり少し重い……」

 

 さすがはグランドピアノ。鍵盤がアップライトピアノよりも重い。強弱の付け方はアップライトピアノで弾いていた時より、強めに鍵盤を押した方がいいかもしれない。

 

 楽譜立てにミーナ中佐から渡されたリリー・マルレーンの楽譜を立てかける。

 

 それから最初の数小節を弾いてみた。慣れてきたらだんだんと演奏にペダルを入れてみる。

 

 やっぱりいい音だ。響き方が違う。一音ごとにどっしりとした重厚感がある。

 

 数回ほど弾いてみれば、だんだんと鍵盤の重さも気にならなくなってきた。完全に感覚を取り戻すにはもうちょっと時間がかかるけれど、それでも軽く弾くぶんにはなんとかなる、はず。

 

「サーニャさん。そろそろなんだけど大丈夫かしら?」

 

 カツン、カツンと床を踵が叩く音が響く。いったんピアノを弾く手を止めて振り返る。

 

 やって来たのはミーナ中佐だった。けれどいつもみたいなかっちりとした軍服姿じゃなくて、素敵な赤いドレスに身を包んでいた。背中の部分が開いているせいで、肩や背中が惜しげもなく外気に晒されている。でも嫌な感じを覚えさせる露出ではなくて、むしろミーナ中佐自身の魅力を引き出すようだった。

 

「はい……ミーナ中佐、とっても綺麗です」

 

「ふふ、ありがとう」

 

 柔らかくミーナ中佐が微笑む。どこか誇らしげで、それでも少し寂しげな微笑みだった。

 

「ちょっと待ってて。そろそろシャーリーさんが……ああ、来たわ」

 

「ミーナ中佐ー。ここでいいのかー?」

 

「ええ。ありがとう。そこに置いて」

 

「はいよっと」

 

 見ただけでも重そうな通信機材を明るい色の髪を腰あたりまでのばしたシャーリーさんがドスンと床に置いた。ぐぐっとシャーリーさんが伸びをしながら見渡していると、どこか小動物的なツインテールの少女がマイクスタンドを持ってきた。

 

「シャーリー! 持ってきたよー!」

 

「よし! ルッキーニ、マイクスタンドはそこに立てるんだ!」

 

「はいはーい!」

 

 シャーリーさんの指示によっててきぱきと舞台がセットされていく。どうやらミーナ中佐はこれを放送するつもりらしい。

 

 どうしよう。そんなこと聞いてない。

 

 でも今更になって断るのも気が進まない。それにこの基地でピアノをまともに弾けるのはサーニャ、つまり私しかいない。

 

 途端に体が固まる。人前で弾いたことがないわけではないけれど、無線で拡散するなんて経験はゼロだ。

 

 もう覚悟を決めるしかない。私が迷っているうちに気づけば舞台はセットされてしまった。しかも出撃中の人たちを除いて全員がこの広間に集結してしまっている。

 

「いきます」

 

 深呼吸をして息を整える。踵を床につけて右足をペダルに乗せた。指を立てて鍵盤にそっと触れる。

 

 全体的な曲調はすこし弱めに(メッゾピアノ)。テンポは歩くような速さ(アンダンテ)で。

 

 私の指が鍵盤の上を撫でるように踊り始める。しばらくすると私のピアノに歌声が乗った。

 

「────────」

 

 優しくて伸びるような歌声だ。これがミーナ中佐の歌。

 

 ほんの気持ちだけピアノのボリュームを落とした。あまり強すぎるとミーナ中佐の歌と喧嘩してしまう。

 

 この舞台の主役はミーナ中佐だ。私の役目は独奏(ソロ)ではなくて伴奏。主張の強い演奏をするのではなくて、ミーナ中佐の歌声を引き立たせる演奏をしなくてはいけない。

 

 ペダルはあまり踏み過ぎないように。リズムは一律に保って。ミーナ中佐が歌いやすいように。ミーナ中佐が思いのままに歌えるように。

 

 ミーナ中佐の歌声とピアノの演奏がゆるやかに広間に響き続けた。

 

 

 

 

 

 そしてミーナ中佐が広間からいなくなり、他のメンバーもそれぞれの部屋に帰っていく。

 

「ん? サーニャはまだ寝ないのか?」

 

「すぐに寝るわ。ありがとう、エイラ」

 

 今夜は夜間哨戒のシフトもない。今夜の私はゆっくりと眠る自由がある。

 

 でも、布団に入るのはもう少しだけ後。自分の部屋へ戻っていくエイラを見送って、広間に私以外がいないことを確認すると、そろりそろりとピアノへ近づく。

 

 この部屋が防音になっているのは確認済み。少しくらいピアノを弾いたって漏れる音はほとんどないから、他の娘たちの迷惑にはならない。

 

 久しぶりにピアノを弾いてちょっぴり懐かしくなった。だからもう少しだけ弾きたかった。

 

 改めて椅子に座りなおす。丁寧に蓋を持ち上げると、鍵盤に手を添えた。弾きたい曲は決まっている。楽譜はないけれど、暗譜しているから大丈夫だ。

 

「作曲フランツ・リスト。愛の夢第2番ホ長調『私は死んだ』」

 

 小さな声で曲名を言うと柔らかめのタッチで私はピアノを弾き始めた。昔から何かある度に弾いているお気に入りの曲だ。サーニャが弾いたことなくとも、私が覚えている。

 

 ひとつの音が奏でられる度に様々なものが頭に浮かぶ。それはすべてこの世界に来てからのことばかり。

 

──最初はとても混乱したな

 

 曲の冒頭は少し弱め(メッゾピアノ)。強弱やタメにはかなり私のアレンジが入っているのはいつもの話。

 

──初めて飛ぶ空は意外と悪くなかった

 

 ペダルを使いつつ、滑らかに音と音を繋げる(スラー)。のびのびとした音が途切れることなく広間に響く。

 

──サーニャの周りはいい人ばっかりで

 

 ほんの気持ちだけ鍵盤を押す力をだんだん強め(クレッシェンド)にしていく。

 

──だけど

 

 1度は上げた音量を再びだんだん弱く(デクレッシェンド)。そしてわずかにタメを入れる。

 

──なんで私をこんな幸せの中に入れたの!

 

 ころりと曲調がかわり、強く(フォルテ)に。テンポは穏やかに速く(アレグロモデラート)なっていく。

 

──まるで見せつけるかのように!

 

 自分のピアノの音以外は耳に入らない。ただひたすら無心にピアノと向き合う。

 ペダルを踏み直す足もテンポが上がるに合わせてペースが早まっていく。

 

──眩しいくらい純粋な笑顔をずっと目の前にされて!

 

 鍵盤上を忙しなく指が動き回る。今の私は私だ。サーニャじゃない。

 

 強く、けれど雑にならないように。そして曲調を壊すことは防ぎつつ。でも激しさは増すばかり。

 

──お前は可哀想な子だと突きつけられるように!

 

 サーニャだってそうだ。誕生日に両親がサーニャのためにラジオでピアノを弾いてあげる人だ。

 

 私の親だった人たちとはぜんぜん違う。ずっと理想だけでありはしないと思い続けていた本当の『親』という存在。

 

 私にないものをみんな持っている。当たり前のことだ、と言うように。それをこの戦争が起きている世界ですら当然だと言う。

 

──ああ、やっぱり私は惨めなんだ

 

 強く(フォルテ)で奏でていた音を段階を踏んで落としていく。まずは少し強め(メッゾフォルテ)、次に少し弱め(メッゾピアノ)。そして弱く(ピアノ)

 

 最後は穏やか(トランクイロ)な音になるよう鍵盤を押さえると、ちょうどいいと思えるくらい余韻を残して、鍵盤から手を離した。

 

「ふう……」

 

 自分の声が耳に届く。周囲の音が返ってきた。よくよく今の演奏を思い返すとだいぶ乱暴だったかもしれない。

 

「久しぶりに聞いたな、サーニャのピアノ」

 

「え、エイラ? どうしてここに……?」

 

 ぱちぱちと拍手をしてドアの影からエイラが現れた。にやっといたずらっぽい笑顔を浮かべながらピアノのそばまで寄ってくる。

 

「廊下を歩いてたらピアノの音が聞こえたんだ。サーニャが弾いてると思ったから引き返した」

 

 少し焦りすぎた。久しぶりに弾けるから舞い上がっていたのかもしれない。だめだ。私はここで私を殺してサーニャを演じなくてはいけないというのに。

 

「明日も早いし寝といた方がいいぞ」

 

「うん。そうするわ」

 

 ピアノを片付けて椅子を元に戻す。きっとまた弾くチャンスはある。その時に弾けばいい。

 

「じゃあ戻るぞー」

 

「わかったわ」

 

 今日はエイラのベッドに潜り込まなくてもいい。寝ぼけているふりをしなくてもいいからだ。

 

 せっかく手に入れた1人でゆっくり寝られる時間を大切にしよう。

 

 そんなことを考えていた私の耳にはエイラの呟きなんて何も聞こえなかった。

 

「なんかへんだな?」




サーニャのピアノ回ですよ! あのシーン、個人的にはすごく好きなのです。というかそもそも楽器が弾ける女の子っていいと思いませんか? ピアノが弾ける子だとなおよし。そういう意味ではサーニャ、どストライクです。でもリーネちゃんのふかふかなどことは言わない場所に飛び込んでみたい。どことは言いませんが。

ちなみにフランツ・リストの愛の夢はYouTubeなどにもあるのでもし時間のある方は聞いていただけると曲調がイメージしやすいかと。今回は2番を使いましたが、3番の方が有名な曲です。曲名を知らなくても聞けば「あ、知ってる!」となる方も多いと思います。

と、内容に触れるのはここまでにまして。

大変、申し訳ありません。愛の夢、一時的に更新を停止させていただきます。予想以上に伸びなかったというのもありますが、なによりちょっとタスクを抱えすぎてしまったのでそちらをやらなくては。

ですがいずれ必ず完結させます。とりあえずはキリのいいここらで止めるのがいいかと思ったので。このあとの予定としてストパン1期は終わりでブレイブウィッチーズのエイラーニャを書いていくつもりでした。最終戦などはオールカットです。ごめんなさい。どちらかといえば不定期投稿変更するといったほうが近いかもしれませんね。

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