魔法夫婦リリカルおもちゃ箱   作:ナイジェッル

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第07話 『shopping』

 【13:00】

 

 場所は高町家所有の道場。そこには一人の男の姿があった。容姿は長身体躯のガッシリした身体を持ち、細い切れ目は狼の瞳よりも尚鋭く、近寄れば即斬られかねない重い重圧を放っている。――――彼は月村恭也。古武術『御神流』の師範代であり、月村の姓を譲り受けたなのはの兄だ。恭也はただ無言で道場の中心で座禅を組む。その心中では、幾つもの思いが駆け巡っていた。

 

 “なのはとクロノが拉致され、はや一週間が経ったか………”

 

 恭也が家を留守にしている間、高町家では大きな事件が起きた。過去現在、この世界のどこでも行われている拉致事件だ。しかし、ただの拉致ではない。自分の常識を遥か上を行く『異次元の人間』がなのは達をさらっていったというのだ。

 

 多くの犯罪者と相対することは日常茶飯事だが、異次元の犯罪者なる者はこれといって経験がない。さらに連れ去られた場所がイギリスやアメリカなどの国外ではなく、『別世界』などと言うのだから手の出しようがないときた。助けに行くこともできやしない。

 リンディが総力を挙げてなのは達の行方を探っているが、見つけられず手を拱いている。無限に存在する平行世界から特定の人物を探し出すということは、非情に困難な作業だというのだ。元々ミッドチルダは他世界の干渉は危険過ぎると遠ざけていたため、特定の人物を探すという行い自体が苦手だとも言っていた。

 

 “つまり、俺達にできることは――――なのはとクロノを信じ、帰りを待ってやることのみか”

 

 恭也はクロノを強く信頼している。愛する妹を彼ならば任せるに値すると太鼓判を押しているほどだ。当然だろう。でなければなのはとの結婚なぞ許すものか。また彼は別世界に連れて行かれる前に書置きを翠屋に残していった。書かれていた内容は「必ず帰ってくる」というものだった。

 

 “ふん。この兄も舐められたものだ”

 

 不意に笑みが零れた。そのような書置きを残されずとも、皆はお前達の帰りを心の底から信じている。絶対に帰ってくると承知している。書置きなど不要というもの。故に、恭也はただ彼らの帰りを待つ。ジタバタと騒いでいても何の解決にもならないのだから。

 

 “しかしだな、クロノ。お前には無事帰ってくることの他にもやるべきことがあるぞ”

 

 名も知らない犯罪者はあろうことか聖職場である翠屋を襲撃し、なのはとクロノを拉致した。彼らの日常という名の平穏を打ち壊したのだ。さらに、高町桃子及び多くの知人に大きな不安を与えた。ならば、クロノは男としてケジメはつけなくてはならない。ここまで命知らずな蛮行に及んだ愚か者にお灸を据えねばならないのだ。

 

 「必ず元凶を叩き潰して帰ってこい。お前が高町の姓を継ぐ者であるのならばな」

 

 月村恭也のその言葉は、威厳に満ちていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 【13:00】

 

 同時刻、高町夫婦は息抜きにミッドチルダ首都クラナガンに足を運んでいた。流石に拉致した人間二人っきりで外に出すほどジェイルも甘くは無く、監視役としてナンバーズのチンクも付き添っている。またクロノ・ハラオウンと高町なのはは有名人故、同じ顔を持つ高町夫婦は下手に目立つことを避ける為に、認識阻害の法術が組み込まれている眼鏡を着用しなくてはならなかった。

 

 「何かすっごく物騒なこと言われた気がする」

 

 女性の憩いの場である服屋に身を置いていたクロノは、額を下る汗を無造作に拭う。先日も何処からか複数の闘気を向けられた感覚があったが、いったい何なのだろう。まさか機動六課が自分を捕縛する計画でも練っているのだろうか。

 

 「……少し、自意識過剰気味かな? 気を付けよう」

 「何をぶつくさと言っている。独り言を言ってる暇があるのなら、今すぐ貴様の嫁の暴走をなんとかしろ」

 

 右目に眼帯を取り付けている銀髪の少女はうんざりとした口調でクロノに言う。

 アジトを出た時はシンプルな黒のワンピースを着ていた彼女だが、今はもうゴテゴテした派手で可愛らしい服装に身を包んでいる。そう、世間一般的に言うゴスロリ衣装なるものを身に纏っているのだ。勿論チンクの意志で着ているのではない。目をキラキラと輝かせながら服選びに夢中になっている高町なのはのせいである。

 普通は拉致されている身としてもう少し自重するべきなのだが、生憎今のなのはにはそのような常識は通じない。第一に、彼女はナンバーズを敵として認識していないのだ。長女のウーノに関しては気が合うようで仲が良いほどである。故に、なのははナンバーズに対して恐怖や憎悪の念がない。フレンドリーに触れ合うことに何の疑念も感じていないのだ。恐らく天真爛漫な彼女だからこそ、できることなのだろう。

 

 「ごめんね、チンク。なのはがあのテンションになってしまったら、あと数十分は正気に戻らないよ。昼間の彼女はある意味無敵だから、僕でもそう簡単には止められない」

 「………どうしてだろうな。戦闘力皆無の一般人なのに全く勝てる気がしない」

 「うん。それには全力で同意するよ。――――それにしても、いつもより少し元気が少ないような気がするんだよね。いつものなのはならもっと元気があるような………」

 「いやいやいや。あれで元気が少ないわけないだろ。どう見ても有り余っているようにしか見えん」

 

 何度目か分からない溜息を吐くチンク。そんなチンクにもの凄い勢いでなのはが迫ってきた。手にはチャイナドレスが握られている。この服屋はなんでも揃ってるんだな~、とクロノは我関せずといった感じで陽気に感想を述べた。この瞬間もの凄くクロノの眉間に向かってナイフをぶん投げたかったのだとチンクは後に姉妹に熱く語ったそうな。

 

 「ねぇねぇチンクちゃん! 次はこれも着てみない?」

 「分かった。着る。着るからそんなに顔を近づけるな」

 

 何かを悟った顔をしたチンクは60分ほど、なのはが渡してくる衣装を甘んじて着続けた。というか途中からチンクもなのはのテンションに引きずられ、ノリノリになって着替えるようになっていった。相変わらずなのはが周囲に与える影響力は半端ではない、とクロノは改めて思うのであった。

 

 

 

 「ふふ、楽しかったねチンクちゃん♪」

 「……あ、ああ」

 

 やっとのことで暴走が収まったなのははほくほく顔で繁華街を歩いていき、それに疲れた顔を隠さずチンクは重い足取りで付いていく。もちろんチンクの服装は黒のワンピースに戻されている。

 ―――おかしい。身体は機械故に疲れは余り取らない筈なのに、恐ろしいほどの疲労感がチンクを襲っている。そして、ようやく彼女は理解した。……恐らく、コレは身体の疲労ではなくて精神的な疲労なのだということを。

 

 「次は何処行こうかなぁ」

 「まだ行くのか!?」

 「もちろんだよ。こんな素敵な街、早々来れないもの」

 「拉致されてる人間という自覚は無いのか?」

 「え、でもジェイルさんは自由に羽伸ばしていいって言ってたよ」

 「いやだから自重というものを」

 「私の辞書に自重という文字はない!」

 

 元気が有り余り過ぎているぞこの人。疲れというものを知らないのか? とても生身の人間とは思えないスタミナだ。流石に見かねたクロノは都市公園で一休み取ろうという助け舟を出した。チンクがその助け舟に全力で飛び乗ったのは、想像するに容易いだろう。

 

 

 

 【14:00】

 

 都市公園に配置されていたベンチにクロノ達は腰を下ろし、休息を取る。相当疲れていたのかチンクは力尽きたようになのはの膝の上で熟睡している。実に微笑ましい絵だ。まぁ、チンクをあそこまで疲れさせたのはなのはではあるのだが、細かいことはあまり考えないでおこう。

 

 「よく眠ってる。可愛いなぁ」

 「……そうだね。歳相応の、無邪気な寝顔だ」

 

 寝ているチンクの頬っぺたを優しくつっつくなのは。ぷにぷにと弾力が良さそうな肌である。つつかれる度にチンクが嫌そうな顔をするので、なのははチンクをつっつくのをほどほどにして止めた。

 こうして改めて銀髪の少女を見ると、やはり、戦闘を行うためだけに生まれた者とは思いたくはないものだ。一週間くらいしかナンバーズと共に生活していないが、自分から見ても彼女達が根っこからの悪人ではないと断言できる。ジェイル・スカリエッティは………良くも悪くもかなり『純粋』な人間であると言えるだろう。

 

 「ねぇ、クロノくん」

 「うん?」

 「また、ジェイルさんから命令が来たら、クロノくんはそれに従うの?」

 

 チンクが寝たことを確認したなのはは、急に落ち込んだ口調でクロノに問う。明らかに先ほどの陽気な振る舞いとは一変している。そしてその声色も酷く震えていた。やはり、先ほどの高いテンションは演技だったのだ。無理をしていたように見えたのも見違いではなかったらしい。

 問われたクロノはゆっくりとした口調でなのはの問いに答える。

 

 「今は、従う他に道はないよ。なのはの首の爆弾は、唯の爆弾じゃない。イデアシードクラスの代物だからね。そう簡単には取り外せないんだ」

 「やっぱり、私のせいだよね。私が、クロノくんの足枷になってるんだよね。私がいるから、クロノくんは―――――――」

 「なのは。それ以上言うと僕も怒るよ」

 「………ごめんなさい」

 

 なのははゆっくりと頭を下げ、表情を曇らせる。彼女は、不安を曝け出すことを我慢していた。クロノに心配かけまいとずっと己の罪悪感と戦っていた。その類いまれない柔軟な精神力で。だが、その踏ん張りも限界がきていたのだ。そして、今日なのははクロノに打ち明けた。

 ―――やはり自分は大馬鹿者だ。ここまで彼女に重荷を負わせ、苦しめている己に嫌気が指す。

 

 「これだけは言っておくよ、なのは。絶対に、何があっても『自分がいなければ』なんてことは考えちゃいけない。事の発端を招いた僕も考えないし、当然なのはも考えない。これは運命だったんだと潔く受け入れるんだ。それに、なのははこの世界に連れてこられた時に僕に言っていただろう。なってしまったことをくよくよ考えても変わらないし始まらない……ってね」

 「え、ちょ、クロノくん何を――――あう!?」

 

 クロノは彼女のデコにでこピンを軽く見舞う。そう、あの日、あの夜、この事態を招いた自分を強く責めていたクロノに対して、なのはが見舞ったように。

 

 ―――今さらどう嘆いたところで過ぎた過去は変わらない。終わってしまったことを悩んでいても何も始まらない。ならば、終わってしまったことは『運命』だったのだとキッパリ諦め、これからこの状況をどう打開すべきか、何か策を見出すよう前向きに努力する方がよほど賢明だ。そんな簡単なことに気付かず女々しく悩んでいた自分に気付かせてくれたのは他でもない。高町なのはだ。

 

 「この世界に被る被害だって最小限に食い止めてみせるさ。まぁ、だからと言って許されるものでもないんだけどね」

 

 そう、いくらなのはが人質に捕られているからと言って、他人を傷つけ、犯罪に手を貸していい理由にはなりはしない。だからこそ、これ以上被害の規模が大きくなる前に、何としてでも、早急にロストロギア製の爆弾の解除を図る必要がある。

 欲深いかもしれないが、自分はなのはを助けた上で、ジェイル・スカリエッティのロクでもない計画も藻屑にするべきだと考えている。ジェイルがレリックを集め、何を仕出かすかは知らないが、彼が行おうとしていることが真っ当なことではないのはもう既に確定しているのだ。この世界で不利益を生じさせた自分の罪滅ぼし、そしてなのはをここまで苦しませた元凶に対してお灸を添えるために。

 

 「とにかく、なのははあまり自分を責めないでくれ。自分のせいだと深く考えないでくれ。お願いだから………」

 

 懇願するようにクロノは言う。これ以上、自分はなのはが悲しむ顔は見たくない。なのはには笑っていてほしいのだ。それになのははチンクを起こさないよう、涙を堪えてか細い首を縦に小さく振った。何度も、何度も。自分の気が済むまで何度でも。

 

 

・・・・・・・

・・・・・・

・・・・・

・・・・

・・・

・・

 

 

 【15:00】

 

 「さーて、欝な展開はここまで! 気分を切り替え、否、吹っ切らせていざ行かん! 電気用品の王国へ!! ふふふ。さぁ、魅せてもらうよ。最先端のハイテク機械の性能とやらを!!」

 「なのは。声抑えて抑えて。周りの目もあるし、なにより熟睡しているチンクが起きてしまう」

 

 都市公園で一段落ついた高町夫婦一向は、なのはが一番行きたがっていた電気用品店に訪れていた。妻の高町なのはは大がつくほど機械類が好きで、それはもはやオタクの域に到達するほど。そんな彼女が、異世界の電気用品に興味を持たないはずがない。

 はしゃぎ回るなのはを見てクロノは安堵する。どうやら、あれは無理をして作っている笑顔ではないようだ。今のなのはは心の底から喜んでいる。本当に、なのはの意識の切り替えの早さは凄まじい。

 

 「クロノくんもはやくはやく、さっそくカメラを見に行こうよ!」

 「はいはい。そんなに急がなくてもカメラは逃げないよ」

 

 なのはの嬉々する声にクロノも今までの疲れがゆっくりとほぐされていく。

 カメラを展示されている場に着いたなのはは文字通り目を輝かせて隅々まで見漁っていった。服屋の時とは比にならない俊敏な動きだ。長年付き添っているクロノでも後をついていくのがやっとである。普段は運動音痴であるなのはではあるが、こと何かに熱中しているときは何倍もの身体能力を発揮する。人間、やはり気持ちの持ちようであるのだろうか。

 

 「この子可愛い! でもあの子も捨てがたいなぁ………」

 

 あの子この子と言いながらカメラを見ていく女性は一際目立つ。しかもその女性の顔が、ミッドチルダで知らない者はいないとされるエースオブエースとほぼ同一。いくら認識阻害眼鏡を掛けているからといっても、不安にはなるものだ。………まぁ、なのはが楽しんでいるから別にいいか。

 

 「――――――――」

 

 そんな彼女が急にピタリと動きを止めた。ガラスケースに展示されている一台のカメラを食い入るように見つめている。どうやら得物を見定めたらしい。クロノも横に並んでなのはが注目しているカメラに目を向ける。

 

 「これ、は」

 

 そのカメラを見た瞬間、クロノは驚きを露わにした。それになのはは小さく笑う。

 

 「クロノくんも気付いたんだ。ちょっと嬉しいかな」

 「ああ、気付かないわけがないじゃないか。それにしても、凄い偶然だね。まさか、こんな場所にあのビデオカメラと全く同じデザインのものが売られているなんて」

 

 なのはが見つけたのは、かつて幼い頃の彼女が欲しがっていたビデオカメラと、全く形状が同じタイプのものだった。性能こそは此方の方が圧倒的に良く、自分達の知る昔のものとは天と地ほどの差はあるが、その造形は瓜二つである。

 

 「あの頃の私のお小遣いじゃあ、あのビデオカメラを買うには全然お金が足りなかったよね」

 「そりゃそうだよ。なんせなのはが8歳の時だったもの」

 

 幼かった自分達を思い出す。あの頃の記憶をイデアシードに喰われなくて本当に良かった。

 ―――確か、なのははあのビデオカメラを欲しい欲しいと言っていたが、結局彼女は今持っているカメラを大事に使うといって、買うことはなかった。それに、なのはが昔から大切に扱っていたカメラをクロノが手を加えたことにより、現存するどのカメラよりも高性能になってしまったことから、新しいカメラを買う機会は自然と潰えていった。

 暫し懐かしく、大切な思い出に浸っていたが、上機嫌だったなのはが何やら不機嫌そうに頬を膨らませて自分を見てきたのですぐに現実に引き戻された。

 

 「うー。そう言えばクロノくん、幼気な私に容赦なく現実つきつけたよねぇ。確か、月1000円のお小遣いを貰える私があのカメラを買うには、どれだけ日数が必要になるのか考えたくもない、て言ったのにクロノくんは『このタイプをローンで買うと、165か月……13年と9か月』って得意げな顔で言ってたの………私、覚えてるよ」

 「いや、悪気は無かったんだよ? ホントだよ!?」

 「さらに私がビデオカメラ一台のために14年弱もおこづかいゼロは、いやぁあああって涙目で言ったら『見込めるお小遣いの増額予想値も混ぜて計算してみようか?』なんてS的発言もしてたよね。どう考えても絶望的数字が出るってこと、承知の上だったよね?」

 「あの時は本っ当に御免なさい!!」

 

 全力で謝る。言い訳できるのなら、あの頃の自分もまだ9歳の子供だったのだ。少し計算が得意で、好きな少女の前で自慢したかっただけなのだ。若気の至りというものである。決して悪意などなかった。しかし、こうして現在に至るまでなのはが記憶に留めていたということは、かなり根に持っているに違いない。今更だが、どうしたら許してくれるのだろう。チャンスをくれるのなら全力で応えてみせる。

 

 「うーん……このカメラを買ってくれるのなら、許してあげる」

 「分かった! 買ってあげるか………ハッ!?」

 「ふっふっふ。男の子なら、二言は無いよね!」

 

 ――やられた。あのドヤ顔は間違いない。クロノは、なのはにこう言うように誘導されたのだ。

 

 「………はい」

 

 勝てない。自分は、高町なのはにだけは絶対に勝てない。それを再認識するに足りるやり取りだった。

 

 「ほら、私ってこの世界にいきなり連れてこられたから、自前のカメラ達を持ってこれなかったでしょ。それでね。どうしてもこの世界の風景や、色んな思い出を形に残したかったから、この子が欲しかったの。ズルみたいなことしてごめんね、クロノくん」

 「謝らなくてもいいよ。どうせ僕も買ってあげようかなって思ってたし。ただ、いつもなのはに一杯食わされるのが正直悔しい」

 「ふふん。だいたいクロノくんが私にゲームや運動以外で勝とうなんて百年早いんだよ」

 「………きっと百年でも足りないんだろうなぁ」

 

 妻の尻に敷かれる夫とは、まさに自分のことを指すのだろう。だが、いつものことながら悪い気はサラサラ感じられないクロノであった。

 

 

 【20:00】

 

 「……今日も仕事詰めの一日だったなぁ。絶対労働基準法を軽く無視しているよあの組織」

 

 太陽の日差しを注がれていたクラナガンはもうすっかり暗くなり、今や電灯やビルの明かりなどの人工の光に包まれた繁華街を、とぼとぼと丸い眼鏡を着用している青年が仕事場の文句を垂れながら己が家に通ずる道を歩いていた。

 彼はユーノ・スクライア。膨大なデータを貯蔵している無限書庫の司書長を務めている若手の大物だ。そう、大物なのだが、如何せん今の彼には覇気というものが全くない。それどころか今にも倒れそうな足取りである。

 

 「……久しぶりに、クロノの奴と一緒に呑みに行こうかな。いつも僕をコキ使ってるんだ。ちょっとくらい憂さ晴らしに付き合ってくれてもいいだろう。アイツも今日は仕事が終わるの早いって言ってたし」

 

 昔からの旧友と共に飲み明かそうと思い、ユーノは携帯を取り出し電話を掛けようとしたが、

 

 「―――ん?」

 

 ユーノは携帯を操作する指をピタリと止めた。

 

 「あれは………」

 

 人ごみの先に見覚えのある姿をユーノの眼は捉えた。あの長身体躯の黒髪男は、先ほど自分が電話を掛けようとしたクロノ・ハラオウンだ。なんとタイミングのいい。わざわざ連絡する手間が省けた。

 

 「おーい!」

 

 ユーノは手を振って彼に近づいていく。それに気付いたクロノは目を丸くし驚いた顔をする。いや、あれはまるで何か焦っているような反応だ。そこで、ユーノは少し違和感を覚えた。

 

 

 

 

 「……拙い」

 

 クロノは焦っていた。まさか、こんなところでこの世界の『クロノ・ハラオウン』の友人と出くわすとは。なんという不運。しかも小走りで此方に近づいてくるではないか。認識阻害の効果はまだ続いている筈だが、やはり何らかの不具合が生じたのか。まぁ、その場凌ぎで作ったものだから仕方がないがあまりにもタイミングが悪すぎる。

 

 ”というかあの青年、ユーノ・スクライア司書長じゃないか………”

 

 自分と同じく長髪を一括りに纏めている青年「ユーノ・スクライア」はデータで何度か拝見させてもらったことがある。腕利きの結界魔導師にして最年少司書長。かなりの大物だ。まさかこんな街中で出会うことになるとは思わなかった―――――不測の事態である。

 不幸中の幸いか、今なのはとチンクは下着売り場で下着を選んでいる最中。なんとしてでも彼女らが自分の元に戻ってくる前に問題を解決しなければ面倒なことになる。

 

 「クロノ。こんなところで会うなんて奇遇じゃないか」

 「あ、ああ」

 

 気軽に声を掛けてきたユーノにクロノは冷や汗を掻きながら応える。彼と『僕』の関係を全く知らないクロノはどういった態度で接すればいいか分からない。

 

 「丁度君を呼ぼうと思ってたんだ。どうだい、久しぶりに飲み明かさないか?」

 「あー、うん。ごめん、ユーノ(・・・)。今日は、ちょっと………」

 「ユーノ(・・・)? なんで君付けなのさ」

 

 ―――しまった………呼び捨てで良かったのか。いきなりミスを犯してしまった。案の定ユーノはクロノを怪しむ目で見てくる。

 

 「今日のクロノはちょっとおかしいね。声もいつもと音質が違うし、髪はいつの間にか僕以上に伸びてるし、身に纏っている雰囲気は何故かフェイトに近いし、だいたいその眼鏡はどうしたんだい。おかしな魔力が感じられるんだけど」

 

 畳みかけられるように言葉が飛んでくる。嗚呼、何とかなるかと思ったけど何ともなら無さそうな気がしてきた。鋭すぎるよこの人。もしかして自分の姿を目視されたのは、認識阻害眼鏡が故障したんじゃなくて、単にユーノ・スクライアの物事を射抜く能力がずば抜けて高かったからなのではないだろうか。無意識に法術に対してレジストをしている可能性もある。

 

 さっそく絶体絶命に陥っている時、トドメを刺すかのように二人の女性が下着売り場から出てきた。なのはとチンクである。

 

 「お待たせクロノくん! えへへ、ちょっと遅くなっちゃった」

 「………何故私まで付き合わなければならなかったんだ」

 「なのは!?」

 

 終わった。もう対話では収拾がつかないところまで来てしまった。

 

 「これはどういうことだクロノ!」

 

 今にも殴りかかって来そうな勢いでユーノは怒気を籠めて問う。それもそうだろう。この世界の『クロノ・ハラオウン』は妻と子供を儲けている。そんな男が、高町なのはと小さな少女を連れて夜の繁華街にいるというのは、許されていいものではない。誤解されても仕方がないのだ。

 

 「―――ッ、すみません」

 「な!?」

 

 チンクがナイフを取り出したのを目視したクロノは、目にも留まらぬ速さでユーノの腹部に拳を入れた。一瞬にして彼の意識を飛ばす。一般人から見ればユーノが勝手に自分に向かって倒れたかかったようにしか見えないだろう。

 ……もし、あのままユーノがクロノに近づいて来ていたら、チンクは間違いなくユーノに危害を加えていた。彼女は自分達の監視と警護の二つの命令をジェイルから与えられている。命は取らないにしても怪我を与える可能性はあった。殺傷沙汰になるくらいなら、拳一つで気絶させた方がマシだろう。

 

 「僕は、この世界の『僕』に君のような友人がいてくれて嬉しいよ。羨ましいと思えるほどに」

 

 この心優しい青年は、友の間違いを正そうとした。不正不義を気付かせようとしていた。その行いは、眩しいと思えるほど正義感に溢れていた。そんな友人を持てたこの世界の『クロノ・ハラオウン』はとんだ幸せ者だ。

 

 「失礼極まりないけど、ほんのちょっとだけ記憶を弄らせてもらいます。今日のことは忘れてください」

 

 このまま記憶を残したままだと、後々騒動になることは目に見えている。この世界の『クロノ・ハラオウン』と『高町なのは』に迷惑をかけないためにも、必要最低限の手段は取っておかなければならない。他人の記憶を弄るというのは、身体を傷つけることよりも酷いことではあるが――――許してほしい。

 

・・・・・・

・・・・・

・・・・

・・・

・・

 

 

 「………うぅん」

 

 ユーノは深い眠りから覚め、寝ぼけた眼で辺りを見回す。がやがやと多くの人が集まり、世間話や痴話話などを興じている。酒の匂いが部屋中に充満しており、ちょっとだけ鼻をつく。どうやら、居酒屋の席で眠ってしまっていたようだ。

 

 「あ、あれ。いつの間に眠って……いや、それより何時から此処に」

 

 未だはっきりとしない意識を振るい起こして、記憶を辿る。

 

 「たしかクロノと一緒に呑もうと思って、ええと、それで電話しても連絡が取れなかったから……仕方が無く一人でこの居酒屋まで来たんだっけ……………」

 

 一人で居酒屋に来たのはいいのだが、どうやら酒を一つも飲むこともせずに眠りについてしまったらしい。よほど疲れていたようだ。

 

 「―――今日は、飲もう」

 

 明日からまた重労働な職場に行かなくてはならない。せめてこの一時くらいはハメを外してもバチは当たらないだろう。ユーノは財布の中身を見て、十分な蓄えがあることを確認したら高い酒をじゃんじゃん頼み始めた。

 

 


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